第23話.想いを全て伝えて

中村は無性に嬉しくなってきた。これまでたくさんのコーヒー園を訪問してきたなかで、これほど労働者とその家族を大切にする農場主に会ったのは初めてだった。

ジャカランダの樹を植える
ジャカランダの樹を植える

「自分が探し求めていた生産者はこの人だ」と確信した中村は、カルロスとの話をすすめていく中で、水俣に始まり、無農薬野菜の産直活動、チェルノブイリの支援活動に至るまで、それまでブラジルで語るに語れなかった想いの全てを語った。

「19歳のときに、胎児性水俣病の子どもたちを見て、なぜ大人たちはこんな公害病を起こしてしまったのかと考えました。今も、チェルノブイリの子どもたちの支援をしながら同じことを考えています。どちらも大人が子どもに被害を与えています。環境問題の本質は、後の世代のことを考えず、自分たちの目先の利益や快適さだけを追求していることに原因があると思います」

話題はさらに広がり、フロンガスや農薬によるオゾン層の破壊、原発から作りだされる放射性廃棄物のこと、地球規模で深刻化する自然破壊の問題などについて中村は話し合った。

終始、深くうなずきながら中村の話を聞いていたカルロスは、「本当に豊かな生活とは、自然と共にあり、次の世代に希望を残していくことではないでしょうか」と答えた。

中村はますます嬉しくなり、「私は単なるフェアトレードではなく、ジャカランダ農場と共同で有機コーヒーを育て、広めていく事業をしたい」と語ると、カルロスも嬉しそうにうなずいた。

この話の後、カルロスは「ちょっと表に出ましょう」と中村を誘った。そして、「これを植えてください」と言って、ジャカランダの樹の苗木を渡した。中村が5、6本の苗木を植え終わると、カルロスはこう語った。「これであなたはこの農場に根を下ろしました。末永いお付き合いをお願いします。できれば、私だけでなく、私の次の後継者とも仕事をするつもりで太い絆を築いてほしい」

それは、これまで何度もブラジルを訪れたなかで、中村が最も感動した言葉だった。

このとき、ジャカランダ農場には世界の美味しいコーヒーだけを買い集めているイタリアのコーヒー会社が、高値で購入を打診してきていた。にもかかわらず、カルロスは、自分の次の世代も見据えた長期の提携を約束してくれたのである。

ジャカランダコーヒーの産直活動

1993年、有機農産物産直センターのコーヒー部門が有限会社有機コーヒーとして独立。この年からジャカランダ農場でとれたコーヒーのうち、輸出向けの高品質のものは、すべてこの有機コーヒー社が輸入することになった。これまでのような輸出業者が間に入る形ではなく、カルロス本人が有機コーヒー社に直接輸出するという形を実現した。

有機コーヒー社がジャカランダ農場のコーヒーを購入する際の価格は、上質コーヒー相場価格の30~50%増しの金額を設定した。また相場が下がっても農場の経営が困らないようにするために生産原価は必ず保証し、代金はコーヒーが日本に届く前に支払われた。

このほかに、ジャカランダ農場が順調に発展していけるように設備投資のために資金援助も行った。これにより、有機肥料を運ぶための農道作りや、栽培面積拡大のための新植作業が実施された。

有機コーヒー社と提携する前、ジャカランダ農場では銀行からの借入金が膨らんで、農場の一部を売却することまで検討されていたが、ここ数年は借入金を少しずつ返済できるようになっている。

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「ジャカランダコーヒー物語」

ブラジルにて「不可能」と言われていたコーヒーの有機栽培を丁寧な土作りと「いのちを大切にしたい」という想いから成し遂げたジャカランダ農場。農場主の故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をお伝えします。

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