第1話.カルロスの祖先から

ブラジルの中南部、ネグラ山脈から連なるミナス州南部の高原地帯は幾つもの丘陵が重なりながら平地の彼方まで続いている。この丘陵の等高線をなぞるよう に、コーヒー樹が植えられていったのは、18世紀の初頭のこと。ミネラルを豊富に含むポリゾイロという土壌に覆われたこの大地は、年間を通して安定した気 温や降雨に恵まれ、良質なコーヒーを生産するための自然条件を備えていた。日中の気温は30度前後にまで達するが、朝夕の冷え込みは厳しく、この大きな気 温差はコーヒーの味をさらに引き立てる。

ジャカランダ農場全景
ジャカランダ農場全景

今日、ジャカランダ農場主カルロス・フェルナンデス・フランコまで受け継がれるコーヒー栽培の歴史は、1856年、この大地に入植したジョン・マノエル・フランコから始まる。

ジョン・マノエル・フランコは、一枚の紙にこう書き残している。「カショエイラ村に3年住んだ。1856年9月3日、ここに移り住んだ。3年間、この古い家に住み、今日、1860年2月16日新しい家に移る」

肥沃な土壌を頼みの綱とする栽培方法しかなかった当時、入植してしばらくは原始林の伐採作業が続く。切り倒した樹木や枝葉は、乾季が終わる8月までに全て燃やされ、焼け残った木々の間には、食料を確保するためにトウモロコシが植えられた。
コーヒー栽培は、その後から始まる。まず40cm四方の深さ30cmの穴の中に10粒程度のコーヒーの種を蒔いた。発芽後は3本から4本の強そうな芽を残し、コーヒー樹へと育てる。

こうして築いた農場に、初代農場主ジョン・マノエル・フランコは「マッタ・デントロ(深い森)」と命名した。
このマッタ・デントロ農場は、1889年に2代目セベーロ・ビルジリオ・フランコに引き継がれる。そして、彼の3男であるイザウチーノ・ビルジリオ・フ ランコは、1915年に250ヘクタールの土地を購入して独立。ジャカランダ農場の前身となるセーハ・ネグラ農場を開拓した。

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「ジャカランダコーヒー物語」

ブラジルにて「不可能」と言われていたコーヒーの有機栽培を丁寧な土作りと「いのちを大切にしたい」という想いから成し遂げたジャカランダ農場。農場主の故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をお伝えします。

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