第12話.福祉活動との関わり

ジャカランダ農場の生産者から消費者、そして自然環境を大切にするカルロスの仕事は、子どものいる未婚の少女たちや罪を犯した青少年を対象とする福祉活動にまで及ぶようになっていった。

ブラジルのストリートチルドレン
ブラジルのストリートチルドレン

1970年以降、ブラジルは急速に産業の近代化を押し進めてきた。しかしその高度成長の影では、農村の疲弊という社会の歪みが深刻化していた。大土地所有の拡大するなかで、小規模の農家はますます零細化し、農村に住む人々は職を求めて、サンパウロなど産業が集中する都市へと流れていった。都市の人口が爆発的に増大した結果、失業率は高まり、貧困層が形成されていく。

都市化が進み、治安が悪化していくなかで、子どもたちは保護者から守られることなく、街中や路上で麻薬や犯罪に関わるようになる。こうして「ストリートチルドレン」の数は増えていった。

このような状況を少しでも改善するために、1970年からカルロスはエバンジェリカ慈善協会の活動にボランティアとして関わりはじめた。同協会は、貧困な家庭の子どもたちを預かる託児所や老人ホームの運営に取り組んでいた。

祈りのなかで固めた決意

1977年から同協会の理事として活動していたカルロスは、1981年の3月に行われた理事会で突然、会長に推挙された。

カルロスはその会議の場から離れ、静かな場所で祈り、進むべき方向を見つけだそうとした。それは、カルロスの言葉によれば「神の声を聞く」という行為であり、幼い頃からの習慣であった。再び、会議の席についたときは、会長を引き受ける決意は固まっていた。そして、このとき下した決断は、カルロスの仕事に大きな転機を与えることになった。

当時カルロスは、農場を経営する一方で、ある土木建設会社に技術顧問として勤務しており、仕事は深夜まで続くことが多かった。会長としての多忙な仕事をこなすためには、その会社をどうしても退職しなければならなかった。

たとえ会長に就任してもそれまでと同様に報酬はなく、さらに会社を退職してしまえば月給もなくなる。会社の友人は「おまえの家族はどうなるんだ」とカルロスを引き止めようとしたが、自らも孤児院の世話をしていた妻のフランシスカは止めなかった。

会長に就任後、カルロスは週の4日を福祉関係の仕事に費やし、残りの3日をジャカランダ農場での仕事にあてた。

当時、300人の職員を抱えるエバンジェリカ慈善協会の経営状態は厳しく、給料の遅配が続き、ボーナスも支給できなかった。同協会の経営の建直しのために、カルロスはまず心理療養士であり会計士の資格を持つゲレット・サージャンキと工場経営者オスカール・フェルリの2人の友人に協力を仰ぎ、幹部職員になってもらった。さらに同協会の職員を集めて「今、何をするべきか」というテーマについて話し合う機会をつくった。経営においては、収入面での増加に努める一方で、できるだけ経費を節減し、係争中の諸問題は裁判に持ち込まず、話し合いで解決した。こうした努力の結果、カルロスの在籍中に協会は資産を持つまでに至った。

1981年から4年間、会長を務めたカルロスは、1984年にサンパウロ市議会から功労賞を受賞。この間、4つの財団を新たに設立し、その他に「未婚の女性の家」「農村学生の家」などのプロジェクトにも参加した。

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「ジャカランダコーヒー物語」

ブラジルにて「不可能」と言われていたコーヒーの有機栽培を丁寧な土作りと「いのちを大切にしたい」という想いから成し遂げたジャカランダ農場。農場主の故カルロス・フランコさんとジャカランダ農場の軌跡をお伝えします。

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