2012/10/12

玄海原発訴訟で、脱原発を求める医師、農民、福島県民、避難者

中小企業支援のネットアイビーニュースがいい記事を書いています。

玄海原発訴訟第2回弁論(1)―「フクシマ」後の原発訴訟とは
(2012年9月24日 ネットアイビーニュース)

 国と九州電力を相手取って、42都道府県の約5,000人が九州電力玄海原子力発電所の操業差し止めを求めた「原発なくそう!九州玄海訴訟」の第2回口頭弁論が9月21日、佐賀地裁(波多江真史裁判長)で開かれた。福島県からの避難者や同県郡山市に住む原告ら5人が福島第一原発事故の被害などを意見陳述し、傍聴者の拍手が禁止されているにもかかわらず法廷に鳴り響いた。

<被害の中身、立証責任のあり方>

 意見陳述に先立ち、法廷では、原発の操業を差し止めが認められるために原告側が何を立証するのか、波多江裁判長の発言をめぐって、地味だが重要な攻防があった。「これから勝っていくかどうかの分水嶺」とも言える内容であり、原発訴訟史上最大の裁判は、早くも「つばぜり合い」(板井優弁護団共同代表)が始まった。

 裁判長は「原告の主張は人格権、生存権にもとづく差し止め請求と理解していますが、人格権なので生命、身体、健康の被害の危険性を具体的に立証していただく必要あるということで、よろしいですね」と確認を求め、九電代理人がすかさず、「裁判長と同じ理解なので、調書に残してほしい」と応じた。

 この日の結論は、調書に残さないことになったが、原告側の反論は、大きく2つあった。1つは、被害とは何かであり、もう1つは立証責任のあり方だった。

 原告側は、「人格権といっても、生命、身体、健康に限定されない。たとえば、避難して、生命、身体、健康に被害がなくても、人格権の被害は起きている」として、今後詳しく主張立証していくとした。東京電力福島第一原発の事故後、被害を避けるために避難した人々は、人格権が侵害されていないとなれば、フクシマの被害実態とかけ離れてしまう。

 また、原発の危険性について、何をどのように立証するか原告側の考え方があるので、その内容は今後主張立証していくと反論した。

<判断の枠組み 従来通りか再構築か>
 一般論としては、裁判長の整理はおかしくないが、敏感に反応した九電側の態度からは、”従来どおりの原発訴訟をやって原告の請求を棄却せよ”という考えが透けて見えた。原告側と被告九電側との攻防であると同時に、別の角度から見れば、従来の裁判所の判断の枠組みとの戦いでもある

 原発訴訟は、行政訴訟の伊方原発訴訟(1973年提訴、松山地裁)、民事訴訟の女川原発訴訟(1981年提訴、仙台地裁)以来、主なものだけで十数回以上起こされてきた。そのなかで最高裁は伊方原発訴訟で、安全審査の資料がすべて国にあるのを踏まえて、安全かどうかまず国が立証するという判断の枠組みを示した。ただし、現実には、”国の審査をパスしたから安全だ”と国側が言うと、原告側が危険だと立証するという形になり、国の立証責任が矮小化されてきたといえる。

 しかし、福島第一の事故が実際に起き、国の安全審査が妥当性を失い、当事者からも「原子力の規制のあり方があまりにも形骸化していた」(9月18日、斑目春樹原子力安全委員長)と述べており、国の審査をお墨付きにした立証のあり方は、現実にそぐわない。

 「国側の安全立証責任を簡単に通過させてはならない。立証責任とハードルを、福島の事故をもとに再構築しないといけない。市民の生命、健康を守るために戦いを組み立てていく」。東島浩幸弁護団幹事長は語る。

<避難者や福島から被害の陳述>
 この日の口頭弁論は、第1次から3次提訴までの原告4,252人が対象。傍聴席約70席に原告250人、弁護団ら50人の合計300人が参加したため、原告側は第1回に続き、法廷に入れない原告らのために佐賀市内の別会場で「模擬法廷」を開いた。

 佐賀地裁の法廷で意見陳述したのは、福島県いわき市から福岡県に避難してきた金本友孝さん(51)、福島県郡山市在住の人見やよいさん(51)、佐賀県唐津市の農業経営者麻生茂幸さん(62)、佐賀市の医師満岡聰さん(53)の4人の原告と、弁護団共同代表の板井優弁護士。

意見陳述が明らかにした「フクシマ」の被害の一端は、傍聴者らの胸を打つとともに、「原発ゼロ」の目標(革新的エネルギー・環境戦略)が閣議決定されず形骸化を懸念されるもとで、どうやって原発をなくすのか、そして、福島第一事故後の原発訴訟のあり方を問いかけた。

玄海原発訴訟第2回弁論(2)―思い出のある故郷を離れて
(2012年9月25日)

佐賀地裁で9月21日開かれた「原発なくそう!九州玄海訴訟」第2回口頭弁論では、福島県いわき市から避難した牧師の金本友孝さん(51)と同県郡山市在住の人見やよいさん(51)の2人が、東京電力福島第一原発事故の被害を訴えた。

 全国の都道府県のなかで3番目という広大な面積を持つ福島県。福島第一原発から海岸沿いを約30km南下すれば、いわき市がある。郡山市は、原発の西約50kmにある。人口では、福島県内1位が、いわき市、次いで郡山市と続き、県都福島市は3番目となっている。いわき市は、石炭産業から新産業都市指定を経て成長を遂げた東北第一の工業都市、郡山市は交通の要所でもあり商業都市と、おおざっぱに性格分けできる。

<迫る「死の恐怖」に何もできず>
 「それまでの生活は完全に破壊された」。金本さんは、意見陳述で、そう表現した。

 妻(45)と、19歳、15歳、12歳の3人の子と一緒に、いわき市から妻の実家のある福岡県に避難した。口頭弁論後、金本さんは取材に対し「私たちに死の恐怖が迫ったのは事実です。一度死にかけたのに、原発事故をまた繰り返すのはおろかだ。原発をやめなさいと言うべきだ」と語った。

 法廷で陳述した「死の恐怖」――。2011年3月11日、金本さんの自宅も大震災で家のなかがめちゃくちゃになり、ガスも水も止まり、あちこちで火事が起き、救急車や消防車のサイレンが鳴り響くなか、始まった。

 3月12日午後4時頃、「原発が爆発したぞ!今すぐ逃げろ!」というメールが友人から届いたという。国、自治体、東京電力から正式な情報はまったくなく、「死の恐怖」が襲ったものの、「逃げたくても、道はふさがれ、ガソリンもなかった」

 金本さんは「いつ大爆発が起こるのか、今か、今日か、明日かという不安」があるのに何もできない。逃げ道はなく、死を待つだけと感じた。その恐怖を、「墜落する飛行機に乗っているようだった」と振り返る。3人の子どもたちに、「せめて、苦しまないで死ねるように祈りなさい」と話した。そのときの「もちろん死んでほしくなんかない。せめてもの親の気持ち」を、裁判官に訴えた。

<命の責任はとれない>
 「死の恐怖」のなか5日間が過ぎ、3月17日、ガソリンが手に入った。しかし、「家のなかにいた方が放射能の影響が少ないのではないか、ガソリンが切れて立ち往生するのではないか」と、迷いがよぎる。仕事のあてもなく、3人の子どもを抱えて食べていけるのか――。

 しかし、葛藤よりも「死の恐怖」が上回り、避難を決断した。「この頃、いわき市民の約3分の2が避難したと聞いている」と陳述した。

 避難者優先で車線が確保された常磐自動車道を走って東京まで避難したが、原発が爆発する不安から南へ南へと避難し、ついに3月25日に福岡県にたどりついた。幸い、牧師の仕事が見つかり、いわき市に戻らないことを決めた。子どもたちにとって生まれてからずっと生活し、すべての思い出があるふるさとを離れて…。「放射能に汚染されているところに(子どもたちを)行かせるわけにはいかない」(金本さん)。

 「子どもたちが浴びてしまった放射線でどんな影響が出るか、不安で仕方がない」という金本さんは、法廷でこう訴えた。

 「九州まで避難したが、ここにも玄海原発がある。原発の影響がないところはない。子どもたちを危険にさらすのはやめてください。『安全だ』『責任を持つ』と言うが、神様でない限り命の責任をとれるわけがない。再び起こる悲劇を防ぐには、今原発をなくす決断をするしかない」

<住み続ける人にも続く被害>
 東京電力福島第一原発事故により放射能で高濃度に汚染され、居住・立ち入りが制限されている警戒区域など避難指示区域からの避難者は11万3,000人とされている。避難者は、避難指示区域以外を含めると福島県全体で、15万8,000人にふくれあがる(いずれも福島県発表。2012年1月時点)。

 いわき市も郡山市も、避難指示区域ではない。しかし、原発事故前に人口34万1,000人だったいわき市は、9月1日時点で1万人以上減少した。事故後3カ月間で県外への転出が5,000人以上に上った。郡山市も人口流出は止まらず、33万9,000人から32万8,000人に落ち込んでいる。住民票を移動していない避難者は、もっと多いと見られる。

 それぞれ市のホームページを見れば、小中学校、公民館、公園などの空間放射線量が連日公表されている。その数値は、たとえば、ある小学校の校庭で毎時0.3マイクロシーベルト、公民館では0.8となっている。

 東京電力の技術者だった小野俊一医師によれば、原発施設内で汚染を隔離する必要があるC区域(1平方メートル40キロベクレル)の汚染濃度を空間線量率に換算すると、0.13マイクロシーベルトになるという。

 福島第一原発からは、放射性物質が大量に放出され続けている。東京電力の発表(9月24日)でも、大気中に放出している放射性セシウムは今でも毎時1,000万ベクレルに上る。

 避難した人にも、住み続ける人にも、原発事故の被害は続いている。

玄海原発訴訟第2回弁論(3)―「福島」を返してください
(2012年9月27日)

「原発なくそう!九州玄海訴訟」の3次訴訟原告、人見やよいさん(51)は、東京電力福島第一原発事故当時、福島県郡山市で、両親と犬1匹といっしょに暮らしていた。今も郡山市に住むが、今年2月、人見さんの父親は亡くなって、母親(77)と2人暮らしだ。佐賀地裁での口頭弁論(9月21日)では、避難を決断できなかった葛藤を述べ、「一刻も早く遠くへ」という原発事故のセオリーを生かすことができなかった後悔を語った。

 人見さんは口頭弁論後の報告集会で、「泣かずに最後まで話そうと思っていたんです。でも、金本(友孝)さんの話で去年のことを思い出して、こみ上げたまま話し始めました」と語った。

 法廷では、何度も涙ぐみながらの意見陳述となり、傍聴席からもすすり泣く声が聞こえ、ハンカチで目を押さえる姿があった。

<寝たきりの父を連れて逃げることもできず>
 人見さんの父は、数年前に脳出血を起こしてからベッドに寝たきりでほとんど動くことができなかった。「動けない父を連れて、どうやってどこに逃げればいいのかわからず、かかりつけの病院から離れることも不安で、そもそもガソリンが残り少なかった」

 避難地区は日を追うごとに広がり、友人たちが他県に避難していくのに接し、「血の気が引くようだった」と陳述した。家族を連れて動けない状態に、「直ちに健康に影響はありません」「安全です」との報道にすがりたい気持ちだったという。

 寝たきりだった父は意識がはっきりしていて、ニュースを見て、原発事故も知っていたが、事故や避難の話は一言もしなかった。「もしかして父が自分のことを避難の足手まといと考えているかもしれないと思うと、それを父の口から聞くことが怖くて、わたしから避難の話をすることはできませんでした」と法廷で述べた。

<一見平穏な生活に「静かな恐怖」>
 人見さんは意見陳述で、原発事故後の福島を「一見平穏に見えながら、静かな恐怖に包まれている」と表現した。樹木の下は放射線量が高く、春が来ても桜の木の下を歩くのがはばかれること、人見さんが入手したガイガーカウンターの初期設定では毎時0.3マイクロシーベルト以上で警告音が鳴り、それでは鳴りっぱなしになるので1.5マイクロシーベルトに下げて使用していること、すべての公民館に1台ずつ食品の放射線測定器が設置されていること…。

 「どこまで注意すればいいのか。いつまで不安でいればいいのか。チェルノブイリでは今も『計って食べる』というのが日常だそうですから、この不安は一生続くと覚悟しています。みんな、将来への不安を抱えて疲れきっている」(人見さん)。

 放射能による影響への不安を抱え、女子高生が「どうせ長生きしない」とか「私は子どもを産んでいいの」という声が出る状況を紹介し、「こんな思いは福島でおしまいにしてほしい」と語った。

<「山は青きふくしま 水は清きふくしま…」>
 「山は青きふくしま 水は清きふくしま 忘れがたきふくしま…」。
 人見さんは、「故郷(ふるさと)」という歌の「ふるさと」の歌詞を「ふくしま」に替えて読み上げた。「さよなら原発集会」でも読み替えて歌うことがあり、涙が止まらないという。

 その福島は、2011年3月11日以降にカタカナで書かれることが多くなった「フクシマ」ではないことは、意見陳述を聞いた者にはよくわかった。

 人見さんは、「福島の美しく、海や山の実りに恵まれた生活、10年後も20年後も100年後も平穏に暮らせるはずの生活は失われた」「まだ汚染されていないところは大事に残してほしい」という願いを語り、涙声でこう訴えた。

 「原発事故で失われたものは、何よりも大切なふるさとです。私の一番の望みは、元の福島です。福島を返してください」

 人見さんの意見陳述が終わると、傍聴席から拍手が起こった。それは、人見さんだけでなく、意見陳述した4人の原告全員への拍手でもあったように思えた。

玄海原発訴訟第2回弁論(4・終)―「脱原発・脱ケージ」の挑戦
(2012年9月28日)

 9月21日の佐賀地裁での意見陳述で、「原発なくそう!九州玄海訴訟」1次訴訟原告で佐賀市の医師満岡聰さん(53)は原発事故における災害弱者の問題を指摘し、基本的人権を脅かす玄海原発の操業差し止めを求めた。満岡さんは、原発事故による死亡者は放射線被曝に限らないとして、適切な避難ができずに亡くなった例として、双葉病院事件をあげた。

<災害弱者らの「防ぎえた死」>
 福島第一原発から約4キロの位置にあった精神科の双葉病院入院患者340人と介護老人保健施設入所者98人が避難に当たって、必要な医療的引き継ぎが行なわれず搬送中・後に21人が死亡したと紹介し、その教訓を「学ぶべきことは、寝たきり、精神病や認知症などの患者、災害弱者たちの避難体制が確立していないと、餓死者や凍死といった『防ぎえた死』が起こるということだ」と述べた。

 「原発の半径30キロメートル以内のどこに何人の自力で動けない寝たきり老人、精神病患者や認知症患者、障がい者がいるか把握しているでしょうか。移送する手段や移送先は確保されているでしょうか」と、満岡さんは国と電力会社に問いかけた。

 「移送先に医師や医療スタッフ、介護スタッフ、特別食や薬の供給、検査体制、入院機能の確保が必要だ。避難時に交通渋滞など予想される混乱のなかで重症の病人や障がいを抱えた災害弱者の命が危険にさらされることは、福島の例を見ても明らか。残念ながら日本の災害医療は原発災害のような大規模な災害に有効に機能できない」と指摘した満岡さん。「私が普段診療している患者さんたちは災害弱者であり、原発を存続させると患者さんの命を守れない。「『防ぎえた死』を回避できない以上、原発の運転を行なってはいけない」と訴えた。

<農地は生活、人生のすべて>
 2次訴訟原告の麻生茂幸さん(62)は、玄海原発から約18キロメートルの佐賀県唐津市で「(有)みのり農場」を経営している。農場は、玄海国定公園の真ん中にある。先祖代々農業を営み、現在は、妻、二男家族、長女家族、三男、そして従業員が37人。1万6,000羽の鶏を飼い、田んぼ9反で米作、6反の畑で野菜を作る。観光客を相手に鶏飯やプリンを販売している。

 「地域循環型農場をめざし、食の『安心』『安全』『おいしい』をめざして、米や野菜の有機栽培と鶏の平飼い(放し飼い)を行なっている」と述べ、試行錯誤を繰り返しながら約30年かかって軌道に乗ってきたと話した。

 農業が軌道に乗るには、土づくり、コミュニティづくり、販売・流通の確保など経営基盤をつくるには長い年月が必要だという。「放射性物質に汚染され表土を除染と称して定期的にはぎ取っていたら農業ができない。表土にこそ様々な微生物がいて土を肥沃にしてくれる。放射性物質わずかな放射性物質がもれただけでも甚大な被害を受ける」。

 「福島第一原発事故クラスの事故が起きたら、『警戒区域』に指定され、立ち入ることができなくなり、愛情をもって育てている1万6,000羽の鶏を見捨てて避難せざるを得ないでしょう。農家が農地を失うことは、生産の拠点のみならず、財産、人間関係、生活の基盤、生き様のすべてを失うことだ」「私の家族の生活、人生のすべてといえる農場、先祖代々受け継ぐ土地を守るためには、原発の再稼動を許すわけにはいけない」と訴えた。
 
<経済効率優先への反省>
 弁論後に開かれた報告集会で、麻生さんは、「自然と人間が共生する拠点をつくりたい」と語った。

 「脱原発」は生き方の選択だとも言われている。原発推進派は、原発を稼動させないと停電や経済・産業の衰退を招くと脅すが、「脱原発」は「イモと裸足」の”原始生活”を求めているわけではない。逆に、ウォール街のオキュパイ(占拠)運動が告発したように、経済の”発展・成長”で富裕層の資産は増加しても”99%”の民衆には富ではなく貧困をもたらす経済格差の現状が浮かび上がっている。「原発ゼロ」の先に、新しい経済のあり方や豊かな生活があるという考えがある。

 麻生さんは、「経済効率という(考えの)最先端が原発だと思う。私も正直言って生産効率から鶏をケージ飼いしてきた」と、反省を語った。ケージ飼いは、鶏を鶏小屋のなかのケージ(かご)に仕切って飼う方法で、日本の養鶏場のほとんどが採用している。麻生さんも、1万6,000羽の鶏のうち、平飼いしているのは6,000羽だという。「ヨーロッパでは、鶏のケージ飼いは禁止されている。しかし、私もケージ飼いを廃止できなかった」

 「反省を踏まえて、今度の意見陳述をさせてもらうなかで悩み、これを機会に結論を出しました。脱原発・脱ケージをやろう」と麻生さんが決意を語ると、会場の大ホールは拍手に包まれた。

 麻生さんは続けてこう発言した。「超ローコストで最高クオリティの放し飼いの玉子ができる。新しい日本の農業、自然と人間が一体の最先端の農業です。アグリトピアをつくりたい。知恵と力を出し合って、単に脱原発でなく、生産から生活を含めて、新しいスタイルをつくっていきたい」。

みのり農場
(中村コメント:こうした生活や仕事を見直し、転換していく動きを応援し合って、世界を少しずつでも変えていきたい。)

2012/10/11

山下俊一氏 福島県民の健康より 国家財政を重視する発言

福島県の甲状腺検査の責任者を務める山下俊一氏の発言
「100ミリシーベルト以下の健康リスクは明らかには証明されていない、または非常に小さいというのが科学者の国際的合意だ」「日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ

山下氏に福島県民の健康管理や甲状腺検査の責任者を任せ続けた場合、特に子どもたちの健康がどうなるかを皆で考えたい。

ノーベル平和賞の「社会的責任を果たすための医師団」が警告

米国科学アカデミーによれば、安全な放射能の線量というものはない。過去数十年にわたる研究から、放射線はどんなに少ない線量でも、個々人の発がんリスクを高めることがはっきりと示されている。

日本で危機が続く中、人に発がんの危険が生じるのは最低100ミリシーベルト被曝したときだという報道が様々なメディアでますます多くなされるようになっている。これまでの研究で確立された知見に照らしてみると、この主張は誤りであることがわかる。100ミリシーベルトの線量を受けたときの発がんリスクは100人に1人、10ミリシーベルトでは1000人に1人、そして1ミリシーベルトでも1万人に1人である。

原発労働者のガン 5ミリシーベルトで労災認定

甲状腺検査:福島県外の子供と比較 内閣府方針
(2012年08月26日 毎日新聞)から抜粋

 福島第1原発事故を受けて福島県が始めた子供の甲状腺検査に関連し、国は放射線の影響の有無を調べるために県外でも同様の検査を実施し、今年度中に比較データを得ることを決めた。福島では受診者の約35%にしこりなどが見つかり、県は「良性の小さなのう胞やしこりは通常でもよくある」と説明しているが、通常の保有率の精密なデータがなく保護者の不安が募っている。国の担当者は「比較可能なデータを得て、福島の人々の安心につなげたい」という。

 チェルノブイリ原発事故で子供の甲状腺がんが増えたことから、福島県は昨年10月、震災時に0〜18歳だった県民約36万人を対象に超音波検査を始めた。今年3月末までに受診した3万8114人のうち35.8%にあたる1万3646人で結節(しこり)やのう胞(液体がたまった袋状のもの)が見つかり、186人が2次検査の対象となった

 検査を実施している福島県立医科大の鈴木真一教授は、チェルノブイリ事故後に子供の甲状腺がんが増え始めたのが4〜5年後だったことなどから「現時点で放射線の影響が出ることはない」と説明する。一方、放射線の専門家からは「子供の一般的なしこりの保有率を調べて比べなければ、被ばくの影響の有無は判断できない」との指摘が出ていた。

 ◇説明不足、不安招く

 「子供の健康を見守り、安心してもらうため」として福島県が無料で実施している18歳以下の甲状腺検査に、保護者の不安が募っている。セカンドオピニオンを求めて県外の病院を受診する人も続出。背景には結果に関する県の説明不足がある。【須田桃子、鈴木泰広、坂井友子】

 福島県川俣町に住む60歳の女性は6月、4歳の孫を秋田市の中通(なかどおり)総合病院に連れて行った。車と新幹線で片道3時間、前日から宿泊し、甲状腺の触診と超音波、血液の検査を受けさせた。健康診断のため保険は適用されず、費用は約1万4000円。交通費なども約4万円かかった。

 福島県立医大から検査結果の通知が来たのは2月。「小さな結節(しこり)やのう胞(液体がたまった袋のようなもの)がありますが、2次検査の必要はありません」とあるだけで、約2年後の次回検査まで放置して大丈夫か不安が募った。秋田の病院で複数ののう胞を確認、気が動転した。医師は半年後の再受診を勧め「今度は病名がつき保険も使える」と言ったという。

 この病院には今年3月14日から約5カ月間で福島県の子供ら65人が訪れた。新潟や北海道、首都圏でも同様の受診が相次ぐ。福島医大が実施する県の検査は担当医を日本甲状腺学会など7学会に所属する専門医に限っているものの、検査は設備と経験のある医療機関ならどこでも可能だ。

 だが、遠くまで足を運ぶ人の中には、福島県内で検査を拒否された例が少なくない。会津若松市に避難する2児の母親(38)は市内の5病院に電話をかけ、断られた。「診てもらいたい時に診てもらえないなんておかしい」と憤る。

 医師らに理由を聞くと、「福島医大と異なる判断が出たら混乱を招く」(福島市の小児科医)▽「保護者の不安を解消するのは民間病院の役目ではない」(会津地方の病院)。県の検査に携わる医師の一人は「今回の福島医大の検査は放射線の健康影響を追跡する世界でも例のない疫学調査。他の病院で受けて県の検査を受けない人が出ると、邪魔することになる」と話した。

 福島医大の山下俊一副学長らが1月に日本甲状腺学会など7学会に出した文書の影響を指摘する声もある。県の検査結果に関する相談があった際、「次回の検査までに自覚症状等が出ない限り追加検査は必要ないことを、十分にご説明いただきたい」との内容だ。同学会に所属する医師の一人は「この文書に従うと、医師は診療を拒否してはいけないという医師法に反してしまう」という。

 保護者の不安が広がる中、浪江町は7月、県の検査がない年は町の診療所で検査する事業を独自に始めた。紺野則夫健康保険課長は「県は保護者や子供の気持ちが分かっていない。もっときめ細かく対応しデータを提供すべきだ」と話す。

 ◇「親の声を謙虚に聞く」

 福島医大で甲状腺検査の責任者を務める山下俊一副学長に、課題を聞いた。

 −−検査の目的は。

 ◆県民の健康増進のための医療サービスで、決して調査研究ではない。WHO(世界保健機関)の推計で、福島住民の被ばく線量はどんなに高くても100ミリシーベルト。100ミリシーベルト以下の健康リスクは明らかには証明されていない、または非常に小さいというのが科学者の国際的合意だ。

 −−県外でセカンドオピニオンを求める保護者が増えているが。

 ◆改善策を考えなければならない。医師の考え方とお母さんの立場にギャップがある。謙虚に声を聞き、信頼関係を築きたい。

 −−放射線の影響をどう判断するのか。

 ◆小さながんも見つかるだろうが、甲状腺がんは通常でも一定の頻度で発症する。結論の方向性が出るのは10年以上後になる。県民と我々が対立関係になってはいけない。日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。


非常に重要なドキュメンタリー
Fukushima Radiation NOT SAFE! (日本語字幕付き動画)

山下教授が発言を訂正「100マイクロSVは、10マイクロSVの誤り」

ウクライナと比べ 原発事故被害者への補償が手薄な日本

福島原発事故の被害者への補償より、ウクライナの原発事故被害者への補償がずっと手厚い

チェルノブイリ法 (2012-10-09 増山麗奈の革命鍋!)から転載

ちょ、ちょっと!こども被災者支援法の元となった「チェルノブイリ法」を熟読してたんだけど、ウクライナの原発被災者への補償、手厚すぎる!!

避難者は優先的に保育園に入れるし、14歳以下の子どもが病気になった場合親のどちらかは保養も含む看病の間賃金の10割を貰えるし、医療は無料だし、家も無料で貰えるし・・。しかも「生涯被曝量が80ミリSv以上の被曝になると想定される場所にすんでいる18歳以下の子ども」は避難権利取得対象となる。

年間20ミリシーベルトを子ども被曝許容量としている日本と雲泥の差。このような手厚いケアをしたウクライナのキエフで20年後健康な子どもが二割、現在は一割以下といわれているのだから、被曝放置国家ニッポンはどうなるのか。

このチェルノブイリ法は事故から5年後の1991年に国民の運動によって実現したもの。

少なくともウクライナ人程度の権利を私たちも政府に要求して、くだらない復興予算のばらまきをいますぐやめさせるべき。ひょっとすると彼らは国が崩壊するとわかっていて残された金をかき集めているのか?

スゴーく分かりにくい場所にあるけど、熟読をおすすめします。今の日本が如何にひどいか改めてわかります。

衆議院のHPに「チェルノブイリ法」全文の翻訳が公開されています。(PDFのくせにテキスト選択が出来ないし、出来るだけ国民にスルーしてほしいという役人の下心が透けて見える感じ・・)

7の1)ウクライナの(6)にPDFがあります。
http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/shiryo/201110cherno.htm

「再稼働反対」もその通りなんだけど、これから体調を壊す人が増えるんだから、生活の補償、医療の保障、避難に金を使えという運動に力入れないとだめなんじゃ?


山下俊一氏は、福島県民の健康よりも国家財政を重視

福島県の甲状腺検査責任者の山下俊一氏は、福島県民の健康よりも国家財政を守る方を重視する発言をしている。(2012年8月26日 毎日新聞) 「日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ」

こうした考えを持つ人が「福島県の放射線健康リスク管理アドバイザー」を務め、国家予算を圧迫しないように「導いて」、原発事故被害者への補償や避難を抑圧している一方で、膨大な復興予算が被災地と関係ないところに使われている。


◆これは極めて悪質な犯罪だ 
復興予算19兆円を他に転用続々に国民の怒り爆発
(2012年10月10日 ゲンダイネット)から抜粋

 復興予算とは震災の復旧、復興のために組まれた特別会計(東日本復興特別会計)で、5年間で少なくとも19兆円を投じることになっている。うち、10.5兆円は復興増税(所得税や住民税)で賄うもので、国民も「被災者のためになるなら……」と認めたものだ。

 ところが、そんな予算が被災地とはまったく関係ないところで、てんで関係ないものにジャブジャブ使われていたのである。

 被災地以外の道路整備や官庁施設、公営住宅の耐震化に使われた「全国防災」名目の予算は4827億円。「多くの納税者の安全に耐震化は必要」とか言って、都内など12カ所の税務署も耐震化されたが、その一方で、被災地は置き去りなのだ。震災で本庁舎の建て替えが必要な自治体は13市町村に及ぶが、ひとつも着工していない。

「武器弾薬にも巨額の復興予算が使われていますよ。武器車両等整備費に669億円、航空機整備費に99億円。防衛省は『津波で被災したから』というが、武器より、被災者の生活改善が先でしょう。

 経済産業省が企業の国内での立地や設備投資を支援するために2950億円もの予算をブン捕った「国内立地推進事業」にも驚かされる。一見、被災地の産業復興、雇用改善に役立ちそうに見えるが、補助金対象510件のうち、被災3県の事業はたった30件しかなかった。残りはどこが受け取ったのかというと、トヨタやキヤノン、東芝などの大企業の名前が出てくるのだ。

全文 http://gendai.net/articles/view/syakai/139045

2012/10/05

小沢代表ら脱原発のドイツ訪問へ 2022年に全原発を廃止

小沢代表ら脱原発のドイツ訪問へ
(10月5日 4時22分 NHK)

国民の生活が第一の小沢代表らは、10年後の西暦2022年までに国内のすべての原発を廃止することにしているドイツの実情を視察し、党の政策に反映させたいとして、今月16日から現地を訪問し、アルトマイヤー環境相らと会談することになりました。

国民の生活が第一は、ことし8月、10年後の西暦2022年をめどにすべての原発を廃止するとともに、省エネ技術の開発や再生可能エネルギーの普及を促進することを柱とした、緊急に取り組む党の主要政策を発表しました。

小沢代表らは、党の政策と同様に、ドイツが10年後までに国内のすべての原発を廃止するとしていることから、その実情を視察し、党の政策に反映させたいとして、今月16日から20日までの日程で、現地を訪問することになりました。

ドイツ滞在中、小沢氏らは、アルトマイヤー環境相らと会談するほか、太陽光や風力などですべてのエネルギーを賄っている村などを視察することにしています。

2012/10/04

大間原発敷地に活断層か 規制委が調査検討

大間原発敷地に活断層か 規制委が調査検討
(2012年10月4日 河北新報)

 電源開発(Jパワー)が建設工事を再開した大間原発(青森県)の敷地内に、10万年前以降に繰り返し動いた活断層が存在する可能性があることが、3日までの渡辺満久東洋大教授(変動地形学)らの分析で分かった。

 原子力規制委員会の田中俊一委員長は3日の記者会見で「大間原発に疑義があれば、早急に現地調査を含めた準備をしたい」と、過去の調査資料の点検や新たな調査を検討する考えを示した。

 渡辺教授らは既に、周辺の地形の分析から近くの海底に未知の活断層があり、原発直下で地震を繰り返してきた可能性を指摘。今回の敷地内の断層は、そうした地震に伴ってずれた可能性があるとしている。

 渡辺教授らは、2004年3月の建設許可申請前に、原子炉建屋の北200~300メートルの場所に掘った試掘溝の図面に注目。岩盤が上下に1メートル以上ずれ、その上に載る10万年前以降の地層も上下にずれていた。

 地層が古いほどずれが大きく、渡辺教授は「断層活動によるずれで、少なくとも2回は活動している」と指摘。断層の形状や原子炉建屋に与える影響、他に敷地内に断層がないか詳しく調査する必要があるとしている。

 電源開発は、ずれは地下の粘土が水を吸って膨張してできたと説明。活断層と指摘されたのは薄い粘土の層が連続する「シーム」で、活断層ではないとしている。

 国の基準は、13万~12万年前以降に動いた断層を活断層として考慮するよう定めている。

イラク帰還の陸上自衛隊員の自殺率は日本平均の14倍以上

イラク帰還の陸上自衛隊員の自殺率は日本平均の14倍以上
米兵自殺者はアフガン戦死者に迫る

(2012年10月03日 WEBRONZA)より

 『東京新聞』9月27日付に編集委員・半田滋さんの署名記事が掲載されました。以下その記事から一部抜粋します。

 イラク帰還隊員 25人自殺
 (『東京新聞』2012年9月27日付、半田滋編集委員)

 2003年に米国主導で始まったイラク戦争に関連して、中東へ部隊派遣された自衛官のうち、先月までに25人が帰国後に自殺していたことが防衛省への取材で分かった。陸上自衛隊は19人、航空自衛隊は6人に上る。

 陸自は04~06年、イラク南部のサマワに合計5,500人を派遣し、空自は04~08年、合計3,600人をクウェートに派遣した。海上自衛隊は現地駐留せず、自殺者もいなかった。

 自衛隊全体の2011年度の自殺者は78人で、自殺率を示す10万人あたり換算で34.2人。イラク特措法で派遣され、帰国後に自殺した隊員を10万人あたりに置き換えると陸自は345.5人で自衛隊全体の10倍、空自は166.7人で5倍になる。

 一般公務員の1.5倍とただでさえ自殺者が多い自衛隊にあっても極めて高率だ。(※『東京新聞』からの引用はここまで)

 そして、その1カ月ほど前の8月18日、「共同通信」は次の記事を配信しています。

 米兵自殺者が過去最悪 7月38人、アフガン戦死者に迫る
 (「共同通信」2012年8月18日配信記事)

 米陸軍は17日までに、7月の米兵自殺者が38人だったと発表した。月別自殺者の公表を始めた2009年以降では最悪。今年1~7月の総計は187人に達し、同時期のアフガニスタンでの米兵戦死者197人に迫った。年間自殺者も過去最悪を記録する可能性が高そうだ。

 イラクとアフガンで10年以上続いた戦闘が終息に向かう一方、米軍内部では心的外傷後ストレス障害(PTSD)や、社会生活への適応に苦しむ兵士の自殺が急増。パネッタ国防長官は自殺対策を最重要事項の一つと位置付け「あらゆる手を尽くす」と表明している。

 7月の自殺者の内訳は現役陸軍兵士26人に対し、州兵・予備役兵12人。現役兵士の年間自殺者は7月末までに116人に上った。(※「共同通信」からの引用はここまで)

 こうした報道を見ると、そもそも「戦争と人間」は共存できないのだと強く思います。

 イラクから帰還した陸上自衛隊員の自殺率345.5というのは、2011年の日本全体の自殺率24.0と比べると、14.39倍もの高率となる驚くべき数字になっているのです。

 それで、こうした報道で思い出したトークセッションがあります。もう3年前の話になるのですが、2009年11月6日に「平和の棚の会」が主催したジャーナリストの三宅勝久さんと斎藤貴男さんのトークセッション「自衛隊という密室――自衛隊員の死因第1位は自殺、いま現場で何が」です。簡単なメモが残っていましたので三宅勝久さんのお話の一部要旨を以下紹介します。(byノックオン。ツイッターアカウントはkokkoippan)

 「平和を、仕事にする」――自衛隊員募集ポスターのキャッチフレーズです。私は自衛隊員の自殺問題を取材する中で、こうした理想とは裏腹に、自衛隊の現場では人権を無視した残酷ないじめや暴力事件が蔓延していることを知りました。

 私が自衛隊の取材を始めたきっかけはサラ金の取材でした。みなさん、自衛隊とサラ金とはまったく関係ないと思われるでしょうが、今から5年前、私がサラ金問題を取材していたとき、サラ金の多重債務に苦しむ自衛隊員のあまりの多さに驚いたことが自衛隊員の問題を取材するきっかけになったのです。

 国から衣食住が保障されている自衛隊員がなぜサラ金で借金を重ねるのか? 疑問に思った私が取材を進めると今度は自衛隊員の自殺が多いことに気づきました。

 1994年から2008年までの15年間で、1,162人もの自衛隊員が自殺しています。2004年度が100人、05年度101人、06年度101人と3年続けて過去最悪を記録し、2006年度の10万人あたりの自殺率は38.6で、一般職国家公務員の自殺率17.1の2倍以上にあたります。

 また、2007年度の数字を見ると、暴力事件での懲戒処分80人。わいせつ事件での懲戒処分60人。脱走による免職326人、そのうち半年以上も行方が分からず免職になった自衛隊員は7人。病気で休職している自衛隊員は500人にのぼっています。

 私は『自衛隊という密室――いじめと暴力、腐敗の現場から』(高文研)という書籍の中で紹介しましたが、取材を進める中で自衛隊というのは「暴力の闇」の中にあると感じています。男性の自衛隊員から殴打も含む虐待を受け、声を出すこともできなくなり自殺に追い込まれた女性自衛隊員。異動のはなむけとして15人を相手に格闘訓練と称したリンチを受け亡くなった自衛隊員。先輩の暴行を受け左目を失明した自衛隊員。自衛隊員の自殺の原因に、日常的な上官らのいじめがあったとして遺族が提訴しているケース。守るべき一般市民を自衛隊員が襲った連続強姦事件。上司からセクハラされた上に退職強要を受けた女性自衛官の裁判闘争。自衛隊員へのアンケート結果によると、女性隊員のうち18.7%が性的関係の強要を受け、強姦・暴行および未遂は7.4%にものぼり、自衛隊全体で700人以上が強姦・暴行および未遂の被害を受けているのです。その上、“臭いものにフタ”をして隠蔽する組織の取材を続けているうちに私は「死は鴻毛よりも軽し」という言葉が浮かびました。

 また、制服幹部一佐の年収は1,000万円以上、退職金は4,000万円。そして納入業者に役員待遇で再就職。防衛省との契約高15社に在籍しているOBは2006年4月に475人もいて、三菱電機98人、三菱重工62人、日立製作所59人、川崎重工49人などとなっています。2008年度の1年間で、防衛省と取引のある企業に再就職した制服幹部一佐以上は80人。三菱重工と防衛省との年間契約高は2,700億円にのぼっているのです。

 こうしたいじめ、暴力、汚職などが蔓延する職場が自衛隊という密室なのです。そうした職場のストレスから酒やギャンブル、女遊びにはまって借金を作り、身動きがとれなくなる人は後を絶たず、自殺者も続出しているのです。

 そうした職場の歪みから来るストレスに加えて、屈強、精強なはずの自衛隊員を自殺に追い込む大きな矛盾が背景にあるのではないかと私は思っています。それは、「旧日本軍」と「自衛隊」の矛盾、言い換えれば「軍国主義」と「民主主義」の間の迷走です。かつて他国の人々と日本の国民を脅かした「旧日本軍」のあとを今現在の「自衛隊」が追うという矛盾のなかに「兵士」の苦悩や多くの問題が隠れているのではないかということです。

 2007年度の1年間で、海上幕僚長の行った20回の訓示の中には、「帝国海軍」「海軍兵学校」などという「旧海軍」を讃える発言が15回もあるなど、いま現在も自衛隊そのものの中に「旧日本軍」が脈々と生きているのです。「旧日本軍」のように、他民族の命を抹殺できるようになるには、他民族への蔑視、他民族への人権侵害などの点でも「旧日本軍」のあとを追うことにならざるを得ません。他民族に対する蔑視や人権侵害を行おうとする組織において、その組織内部においても人権侵害が横行するであろうことは容易に想像がつくでしょう。

 「旧日本軍の伝統を、陸海空自衛隊はそのまま引き継いでいます」と言ってはばからない田母神俊雄・元航空幕僚長の姿に、「軍隊あって国家なし」のようだった「旧日本軍」への憧憬を見出すのです。国民の生命・財産を守るはずの自衛隊は、かつて国民を苦しめたこの「旧日本軍」の背中を追いかけようとしているのではないでしょうか。


イラク帰還隊員 25人自殺
(2012年9月27日 東京新聞)

 二〇〇三年に米国主導で始まったイラク戦争に関連して、中東へ部隊派遣された自衛官のうち、先月までに二十五人が帰国後に自殺していたことが防衛省への取材で分かった。陸上自衛隊は十九人、航空自衛隊は六人に上る。防衛省は「イラク派遣との因果関係は不明」としている。

 陸自は〇四~〇六年、イラク南部のサマワに合計五千五百人を派遣し、空自は〇四~〇八年、合計三千六百人をクウェートに派遣した。海上自衛隊は現地駐留せず、自殺者もいなかった。

 自衛隊全体の一一年度の自殺者は七十八人で、自殺率を示す十万人あたり換算で三四・二人。イラク特措法で派遣され、帰国後に自殺した隊員を十万人あたりに置き換えると陸自は三四五・五人で自衛隊全体の十倍、空自は一六六・七人で五倍になる。

 一般公務員の一・五倍とただでさえ自殺者が多い自衛隊にあっても極めて高率だ。防衛省の担当者は「帰国後、何年も経過した派遣隊員と一年ごとに調べる隊員の自殺者数を比べても意味がない」と反論。派遣隊員が自殺した時期は明らかになっていないが、陸自のイラク派遣期間中の三年間は毎年九十人以上が自殺しており、自衛隊全体の自殺者数を押し上げている。

 イラク派遣された陸自は宿営地で十三回、計二十二発のロケット弾攻撃を受け、うち四発が宿営地に落下した。車両で移動中、仕掛け爆弾による攻撃も受けた。

 空自は武装した米兵をバグダッドへ空輸する際、たびたび携帯ミサイルに狙われたことを示す警報が鳴り、着弾を避けるため、急旋回などの飛行を余儀なくされた。

 過酷な環境下で任務遂行したことになるが、前出の担当者は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)で自殺した例は確認できていない」としている。 (編集委員・半田滋)


米兵、自殺が戦死者上回る 昨年過去最悪に 自衛隊も同様

戦争は、「敵」を殺すだけではなく、「私」をも殺している
先週、米紙ワシントン・ポストは、「昨年自殺した現役米兵が349人と過去最多を記録し、アフガニスタンでの昨年の戦死者(229人)を上回った」と報じた。また、昨秋の東京新聞は、「イラク帰還の陸上自衛隊員の自殺率は日本平均の14倍以上」と報じていた。

イラクの若い米兵が、こう語っていた。
「イラクでは大人も子どもも敵だと思わないといけないんだ」

イラクでは子どもも敵と思わないといけない

兵士たちは、「もう戦争は嫌だ!もう人を殺すのは嫌だ!」と叫んでいるのだと思う。

憲法9条は、日本を守るためにではなく、世界を守るために必要なのだと思う。

◆米兵、自殺が戦死者上回る 昨年過去最悪に
(2013/01/16 共同通信)

 【ワシントン共同】15日付の米紙ワシントン・ポストは、昨年自殺した現役米兵が349人と過去最多を記録し、アフガニスタンでの昨年の戦死者(229人)を上回ったと報じた。

 国防総省は2001年から自殺者の集計を開始。06年から増え始め、09年に310人となった後に減少したが、昨年再び急増した。

 イラクとアフガンに派遣された兵士が心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しんで自殺するケースが多発。米軍は多数の専門家を雇用し、兵士の精神衛生問題を研究するなど対策を進めている。

2012/10/03

福島健康調査 「秘密会」で見解すり合わせ (毎日新聞)

福島健康調査:「秘密会」で見解すり合わせ
(毎日新聞 2012年10月3日)

福島健康調査で秘密会 県、見解すり合わせ 会合シナリオ作る

 東京電力福島第1原発事故を受けて福島県が実施中の県民健康管理調査について専門家が議論する検討委員会を巡り、県が委員らを事前に集め秘密裏に「準備会」を開いていたことが分かった。準備会では調査結果に対する見解をすり合わせ「がん発生と原発事故に因果関係はない」ことなどを共通認識とした上で、本会合の検討委でのやりとりを事前に打ち合わせていた。出席者には準備会の存在を外部に漏らさぬよう口止めもしていた。

 県は、検討委での混乱を避け県民に不安を与えないためだったとしているが、毎日新聞の取材に不適切さを認め、今後開催しない方針を示した。

 検討委は昨年5月に設置。山下俊一・福島県立医大副学長を座長に、広島大などの放射線医学の専門家や県立医大の教授、国の担当者らオブザーバーも含め、現在は計19人で構成されている。県からの委託で県立医大が実施している健康管理調査について、専門的見地から助言する。これまで計8回あり、当初を除いて公開し、議事録も開示されている。

 しかし、関係者によると、事務局を務める県保健福祉部の担当者の呼びかけで、検討委の約1週間前か当日の直前に委員が集まり非公開の準備会を開催。会場は検討委とは別で配布した資料を回収し議事録も残さず、存在自体を隠していた。

 9月11日に福島市内の公共施設で開いた第8回検討委の直前にも県庁内で準備会を開いていた。同日は健康管理調査の一環である子供の甲状腺検査で甲状腺がん患者が初めて確認されたことを受け、委員らは「原発事故とがん発生の因果関係があるとは思われない」などの見解を確認。その上で、検討委で委員が事故との関係をあえて質問し、調査を担当した県立医大がそれに答えるという「シナリオ」も話し合った。

 実際、検討委では委員の一人が因果関係を質問。県立医大教授が旧ソ連チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんの患者が増加したのは事故から4年後以降だったことを踏まえ因果関係を否定、委員からも異論は出なかった。

 また、昨年7月の第3回検討委に伴って開かれた準備会では、県側が委員らに「他言なさらないように」と口止めもしていた。

 毎日新聞の取材に、県保健福祉部の担当者は準備会の存在を認めた上で「あらかじめ意見を聞き本会合をスムーズに進めたかった。秘密会合と言われても否定できず、反省している。(今後は)開催しない」と述べた。

 福島県の県民健康管理調査は全県民を対象に原発事故後の健康状態を調べる。30年にわたり継続する方針で、費用は国と東電が出資した基金で賄う。【日野行介、武本光政】

==============

 ■解説

 ◇揺らぐ信頼性

 「データだけを明らかにすれば数字が独り歩きして住民の不安をあおりかねない」。原発事故に伴う福島県の県民健康管理調査で専門家が「秘密会」(準備会)を開いて調査結果への見解を事前にすり合わせていた背景には、県や関係者のこんな思惑がうかがえる。

 検討委員会の山下俊一座長は公の場などでこれまで「今回の事故で誰も大量被ばくしていない。エビデンス(科学的根拠)から見て危険な人たちはほとんどいない」と繰り返し強調してきた。だが、秘密会では調査結果について本会合でどうやりとりするかの「シナリオ」まで事前に協議。県民の不安解消を目的とした調査結果への信頼を揺るがし「最初に結論ありき」だったとの不信感が高まるのは避けられない。

 秘密会を今後は開かないという県の方針は当然だが、そこでどのような議論が交わされてきたのかも明らかにする必要がある。不信の払拭(ふっしょく)には徹底した情報公開しかない。【日野行介】

福島健康調査「秘密会」 県、出席者に口止め

福島検討委 委員発言 県振り付け「内部被ばく相当低い」

福島民友 不信感募る 県民健康調査「準備会」
(2012年10月4日 福島民友)

福島県の甲状腺検査の責任者を務める山下俊一氏の発言
「100ミリシーベルト以下の健康リスクは明らかには証明されていない、または非常に小さいというのが科学者の国際的合意だ」「日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。」

山下氏に甲状腺検査の責任者を任せ続けた場合、子どもたちの健康がどうなるかを皆で考えたい。

ノーベル平和賞の「社会的責任を果たすための医師団」が警告

米国科学アカデミーによれば、安全な放射能の線量というものはない。過去数十年にわたる研究から、放射線はどんなに少ない線量でも、個々人の発がんリスクを高めることがはっきりと示されている。

日本で危機が続く中、人に発がんの危険が生じるのは最低100ミリシーベルト被曝したときだという報道が様々なメディアでますます多くなされるようになっている。これまでの研究で確立された知見に照らしてみると、この主張は誤りであることがわかる。100ミリシーベルトの線量を受けたときの発がんリスクは100人に1人、10ミリシーベルトでは1000人に1人、そして1ミリシーベルトでも1万人に1人である。

原発労働者のガン 5ミリシーベルトで労災認定


甲状腺検査:福島県外の子供と比較 内閣府方針
(2012年08月26日 毎日新聞)から抜粋

 福島第1原発事故を受けて福島県が始めた子供の甲状腺検査に関連し、国は放射線の影響の有無を調べるために県外でも同様の検査を実施し、今年度中に比較データを得ることを決めた。福島では受診者の約35%にしこりなどが見つかり、県は「良性の小さなのう胞やしこりは通常でもよくある」と説明しているが、通常の保有率の精密なデータがなく保護者の不安が募っている。国の担当者は「比較可能なデータを得て、福島の人々の安心につなげたい」という。

 チェルノブイリ原発事故で子供の甲状腺がんが増えたことから、福島県は昨年10月、震災時に0〜18歳だった県民約36万人を対象に超音波検査を始めた。今年3月末までに受診した3万8114人のうち35.8%にあたる1万3646人で結節(しこり)やのう胞(液体がたまった袋状のもの)が見つかり、186人が2次検査の対象となった。がんが判明したケースはない。

 検査を実施している福島県立医科大の鈴木真一教授は、チェルノブイリ事故後に子供の甲状腺がんが増え始めたのが4〜5年後だったことなどから「現時点で放射線の影響が出ることはない」と説明する。一方、放射線の専門家からは「子供の一般的なしこりの保有率を調べて比べなければ、被ばくの影響の有無は判断できない」との指摘が出ていた。

 ◇説明不足、不安招く

 「子供の健康を見守り、安心してもらうため」として福島県が無料で実施している18歳以下の甲状腺検査に、保護者の不安が募っている。セカンドオピニオンを求めて県外の病院を受診する人も続出。背景には結果に関する県の説明不足がある。【須田桃子、鈴木泰広、坂井友子】

 福島県川俣町に住む60歳の女性は6月、4歳の孫を秋田市の中通(なかどおり)総合病院に連れて行った。車と新幹線で片道3時間、前日から宿泊し、甲状腺の触診と超音波、血液の検査を受けさせた。健康診断のため保険は適用されず、費用は約1万4000円。交通費なども約4万円かかった。

 福島県立医大から検査結果の通知が来たのは2月。「小さな結節(しこり)やのう胞(液体がたまった袋のようなもの)がありますが、2次検査の必要はありません」とあるだけで、約2年後の次回検査まで放置して大丈夫か不安が募った。秋田の病院で複数ののう胞を確認、気が動転した。医師は半年後の再受診を勧め「今度は病名がつき保険も使える」と言ったという。

 この病院には今年3月14日から約5カ月間で福島県の子供ら65人が訪れた。新潟や北海道、首都圏でも同様の受診が相次ぐ。福島医大が実施する県の検査は担当医を日本甲状腺学会など7学会に所属する専門医に限っているものの、検査は設備と経験のある医療機関ならどこでも可能だ。

 だが、遠くまで足を運ぶ人の中には、福島県内で検査を拒否された例が少なくない。会津若松市に避難する2児の母親(38)は市内の5病院に電話をかけ、断られた。「診てもらいたい時に診てもらえないなんておかしい」と憤る。

 医師らに理由を聞くと、「福島医大と異なる判断が出たら混乱を招く」(福島市の小児科医)▽「保護者の不安を解消するのは民間病院の役目ではない」(会津地方の病院)。県の検査に携わる医師の一人は「今回の福島医大の検査は放射線の健康影響を追跡する世界でも例のない疫学調査。他の病院で受けて県の検査を受けない人が出ると、邪魔することになる」と話した。

 福島医大の山下俊一副学長らが1月に日本甲状腺学会など7学会に出した文書の影響を指摘する声もある。県の検査結果に関する相談があった際、「次回の検査までに自覚症状等が出ない限り追加検査は必要ないことを、十分にご説明いただきたい」との内容だ。同学会に所属する医師の一人は「この文書に従うと、医師は診療を拒否してはいけないという医師法に反してしまう」という。

 この文書について山下氏は「県は精度の高い検査を行っているので保護者が混乱しないようにきちんと説明してほしいという意味で、セカンドオピニオンを与えることを否定するものではない」と説明する。

 保護者の不安が広がる中、浪江町は7月、県の検査がない年は町の診療所で検査する事業を独自に始めた。紺野則夫健康保険課長は「県は保護者や子供の気持ちが分かっていない。もっときめ細かく対応しデータを提供すべきだ」と話す。

 ◇詳細結果、開示請求が必要

 福島県の甲状腺検査は、しこりやのう胞の有無、大きさを基に「A1」「A2」「B」「C」の4段階で判定している。BとCは2次検査を受ける。

 保護者の不安が最も大きいのは「A2」だ。しこりなどが見つかったが基準より小さいため2次検査の対象外のうえ、通知にはしこりの数や部位、大きさが具体的に記されていないからだ。福島医大には電話の問い合わせが250件を超え、同大は改善を始めた。今後は結果に関する住民説明会も開くという。

 だが、他にも課題はある。検査前に保護者が署名する同意書には、結果について「(保護者や本人の)希望により、いつでも知ることができる」と明記されているが、医師の所見やエコー画像を見るには、県の条例に基づき情報公開請求しなければならない。

 開示請求はこれまでに6件あった。うち3件が約3週間後に開示されたが、静止画像は通常のコピー用紙に印刷されたもので、より鮮明な画像のデジタルデータは「改ざんされる恐れがある」(福島医大)と提供されなかった。同大広報担当の松井史郎特命教授は「身体に関する情報の取り扱いは特に慎重を期さなければならない。本人と確認するには開示請求してもらうのが確実だ」と説明する。

 これに対し、日弁連情報問題対策委員会委員長の清水勉弁護士は「子供を守るための検査なのに本末転倒だ。検査結果のように本人や保護者にとって切実な情報は、本人と確認できれば速やかに希望する形で開示すべきだ」と指摘。仮に提供した画像が改ざんされても「元データを管理していればよい話で、非開示の理由にはならない」という。

 ◇「親の声を謙虚に聞く」

 福島医大で甲状腺検査の責任者を務める山下俊一副学長に、課題を聞いた。

 −−検査の目的は。

 ◆県民の健康増進のための医療サービスで、決して調査研究ではない。WHO(世界保健機関)の推計で、福島住民の被ばく線量はどんなに高くても100ミリシーベルト。100ミリシーベルト以下の健康リスクは明らかには証明されていない、または非常に小さいというのが科学者の国際的合意だ。

 −−放射線の影響をどう判断するのか。

 ◆小さながんも見つかるだろうが、甲状腺がんは通常でも一定の頻度で発症する。結論の方向性が出るのは10年以上後になる。県民と我々が対立関係になってはいけない。日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナでは健康影響を巡る訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。


山下俊一座長の意見などが記された資料を委員に配布していた

2012/10/02

「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」

【もう一度、読み直したい記事】

「政府発表を鵜呑みにせず自分の身は自分で守れ」
チェルノブイリ事故処理班の生存者が語る
凄惨な過去と放射能汚染への正しい危機感

(2011年4月20日 DIAMOND ONLINE)

危険ゾーンのなかでは植物が枯れ、動物が死に命あるものすべてが影響を受けた。放射能は動物の脳にも影響を与え、通常は人に寄りつかないキツネが近づいてきた」――。放射線生物学者として1986年に起きたチェルノブイリ事故の汚染除去作業を指揮したナタリア・マンズロヴァ氏は、硬い表情で当時を振り返る。同僚を失い、自らも甲状腺がんを2度患い、生死の境をさまよった。過酷な作業環境、そして今後予想される福島原発事故の健康被害の規模などについて、話を聞いた。(聞き手/ジャーナリスト、矢部武)

ナタリア・マンズロヴァ(Natalia Manzurova)
生物が放射線から受ける影響を研究する放射線生物学者。チェルノブイリ事故の後、5年間にわたり汚染地域の放射線量を測定し、汚染物質を地面に埋めるなどの事故処理作業を指揮した。この仕事に従事した他の科学者13人全員は癌(がん)などで亡くなり、自身も2度の甲状腺がんを患った。1997年に放射能汚染の被害者の権利擁護活動を行うNPO「チェルノブイリ・ユニオン」を設立。放射線生態学に関する記事を多く執筆し、国際的な環境・人権擁護団体などと共に被爆者支援活動を続けている。

――福島原発事故が起きたときに何を考えたか。

 チェルノブイリ事故処理作業に関わった科学者は皆、福島原発事故の報道を見て、「第2のチェルノブイリ」が起きたと思っただろう。私たちはチェルノブイリ事故には肝をつぶすほどに驚いたが、まさかこれほどまでに深刻な事故が日本で起こるとは夢にも思わなかった。

 世界はチェルノブイリ事故の教訓から何も学んでいないということだろう。これまで行われたチェルノブイリ関連の検査や調査研究などの結果はすべて公表すべきである。

――あなたの研究所はチェルノブイリ原発のすぐ近くにあったというが。

 ソ連では1957年に初めて原子力発電所の事故が起きたがその直後、放射線が水、植物、鳥、動物などに与える影響を研究調査するための研究所が設立された。私はそこで70年代半ばから約10年間働き、汚染地域の放射線量測定や生物影響に関する調査などを行っていた。そしてチェルノブイリ事故が起こり、モスクワ政府から研究所の他の科学者13人といっしょに事故処理作業に加わるように言われた。

 チェルノブイリでは原発から30キロ圏内を「放射線危険ゾーン」としたが、私の研究所のあったプリピャチはその危険ゾーンの中心部に位置している。実際、私の研究所の建物の窓から原子炉が爆発炎上するのが見えた。原発の近くには集合住宅があり、庭のベンチに座りながらその光景を見た人もいた。集合住宅の庭では子供が駆け回ったり、自転車に乗ったりして遊んでいた。近くの川で魚釣りをしている人もいた。当初、住民たちは放射線被曝の危険性をまったく知らされず、何の警告もなされなかった。

 危険ゾーンのなかでは植物が枯れ、動物が死に命あるものすべてが影響を受けた。放射能は動物の脳にも影響を与え、通常は人に寄りつかないキツネが近づいてきたり、気が狂った犬が人を攻撃したりした。

 また、近くには幼稚園もあったがそこにいた子供たちに何が起こったか、いまどこにいるのかとても心配だ。

――チェルノブイリの事故処理作業はどのように進められたのか。

 チェルノブイリ事故では原子炉の建屋や制御室が爆発炎上し、大量の放射能が放出された。崩壊した原子炉の事故処理作業には軍隊の他、刑務所を釈放された囚人などの作業員が大量動員された。放射線量が高すぎて、1分以上作業を継続できないような場所もあった。

 私たち科学者チームは汚染地域内のあらゆる場所の放射線量を測定したが、線量が高すぎて機器が壊れてしまい、軍用の測定器を使った。

 危険ゾーン内ではアパートやオフィスビル、家具などあらゆるものが大量の放射能に汚染されたため、作業班はこれらを解体して軍用トラックで運び、地面に埋めた。軍人のなかには放射線量が高すぎる場所での作業を拒否する者もいた。

 また、近くには青々と茂った松林があったが放射能を浴びて赤く枯れ、まさに「レッドフォレスト」と化した。汚染された松林から放射性物質が漏れないように、ヘリコプターで空から大量の特殊接着剤が撒かれた。

 福島でも事故処理作業が進められていると思うが、日本は狭い国なので放射能汚染されたものをどこに埋めるかも今後の課題になるかもしれない。

――放射能汚染地域での作業は健康被害が心配だが。

 作業を始めてしばらくして、科学者チームメンバーのほとんどが体調不良を起こした。インフルエンザにかかったときのように高熱が出て体が震え、全身の筋肉が痛んだ。また、突然の眠気に襲われたり、異常に食欲が増して常に何かを食べていないと我慢できないような状態になったりした。体のなかの良い細胞がどんどん減り、悪い細胞が増殖しているのを実感した。

――あなたの研究所から作業チームに加わった科学者14人のうち、あなたを除いて全員は亡くなったというが。

 その通りだ。私たちは皆チェルノブイリ事故によってすべての国民が放射能汚染にさらされることを懸念し、作業チームに加わったのだが、不幸にも癌(がん)などにかかり、命を落とした。

 私自身も作業を始めて3年後に甲状腺がんが見つかり、甲状腺の半分を切除して摘出した。そして5年間の作業を終えて家に戻った時は40歳だったが、その後3年間はひどい体調不良で仕事はできず、ほぼ寝たきり状態だった。

 甲状腺がんも再発し、2度目の手術で甲状腺をすべて切除してしまったため、今はホルモン剤治療を受けながら、なんとか生きている。

――チェルノブイリ事故の死者は4千人と報じられているが、実際には100万人が死亡しているとの報告書も出ている。どちらが正しいのか。

 真実は誰にもわからない。しかし、どちらが真実に近いかと問われれば100万人の方だろう。当時、ロシア、ウクライナ、ベララーシ各共和国では医療制度はモスクワ政府の管理下にあった。多くの医師は、患者が放射能汚染が原因と思われる癌などで亡くなったにもかかわらず、死亡診断書にそれを書かなかったことがわかっている。

――福島原発の放射能汚染による健康被害はどこまで拡大するかと思うか。

 福島原発の原子炉からの放射能漏れが完全に止まった時点で汚染地域の放射線量などを測定してからでないと、全体的な健康被害の規模を予測するのは難しい。

 たとえば、一定量の毒物を入れたコップの水を一気に飲めばすぐに死ぬかもしれないが、それを毎日少しずつ飲めばしばらくは元気でいられるかもしれない。しかし、それでも毒は少しずつ体に蓄積され、いずれ命の危険にさらされるだろう。健康被害が早く出るか遅く出るかの問題である。

 日本政府の人たちは汚染地域の住民と直接会い、彼らの目を見ながら話をするべきだ。そして放射能の影響を受けた子供や妊娠中の女性がこれからどうなるかを真剣に考え、対策を講じることだ。

――国民のほうはどのような心構えを持てばよいのか。

 いま現在も放射能が漏れ続けているので、(事態の推移について)人々は最大限の注意が必要だ。汚染地域の住民が健康守るために何をしなければならないかについて、私たちには経験に基づいた知識がある。家畜の飼育や野菜栽培をする上での注意点や、放射能汚染されたものをクリーンにする方法なども知っているので、いつでも聞いてほしい。ちなみに、放射能を浴びる直前に安定ヨウ素剤を服用すれば、甲状腺がんの予防に効果がある。錠剤を飲みたくなければチキンスープなどに混ぜてもよい

 国民にとって大切なのは政府発表を鵜呑みにするのではなく、自ら学び、考え、主体的に判断をして行動することである。

映画 「飯舘村」  第一章 故郷を追われる村人たち

ゆふいん文化・記録映画祭 第5回「松川賞」受賞
飯舘村 第一章 故郷を追われる村人たち

住居や農地を放射能に汚染された酪農家の家族は、“家族の一員”だった牛を手放し、祖先が眠る墓と家を残して村を去っていく。故郷を失い、家族が離散する現実を前に、村人たちは“故郷とは何だったのか”“家族とは何か”を改めて自問する。“村”のかたちを死守しようとする為政者たちと、子どもを守るために村を離れる若い親たちとの深い乖離と軋轢。放射能が破壊したのは、故郷の“土地”と村の“絆 ”だった。

2012/日本/59分
製作・撮影・編集・配給 土井敏邦

監督のことば

私は、ジャーナリストとして30年近く“パレスチナ”を追い続けてきました。そんな私は、3・11の大惨事という、これまでまったく体験したこともない未曽有の事態を前にして、「ジャーナリストの私は何をすべきか、何ができるのか」と自問し苦悶しました。そしてやっと出た答えは、「故郷と土地を奪われたパレスチナ人の“痛み”を伝え続けてきた私なら、大震災と大津波で故郷と土地を奪われた人の“痛み”をいくからでも伝えられるのではないか」ということでした。

私は取材の場所として、大津波による被災地ではなく、原発事故の被災地である「飯舘村」を選びました。 “パレスチナ”の故郷喪失は“天災”ではく、「イスラエル建国」のために原住民が故郷を追われる“人災”でした。もし被災地に“パレスチナ”があるとすれば、原発事故という“人災”によって故郷を追われる人びとの状況だと思いました。“パレスチナ”でそうしたように、私は飯舘村の人びとを追いながら、「人間にとって“故郷”とは何か、“土地”とは何か」を問い続けていたのです。

この映画は、飯舘村の長谷川健一さん一家と志賀正次さん一家の2つの酪農家の家族がその生業を失い、村を追われていく過程を縦軸に、村人たちの家族や故郷への想いと土地の意味、そして放射能に汚染された村からの避難をめぐり、子どもたちの被曝を恐れる若い親たちと、“村”という共同体を残そうと奔走する村長との乖離と軋轢を横軸にしながら描いたものです。

その後、数回の追加取材の素材を加え編集して本作品を膨らませ、1本のドキュメンタリー映画として劇場公開をめざそうと、当初考えていました。しかし、この1時間の本編がすでに1本の映画として成立しているし、その後の取材の素材も編集してみると、別の1本の映画として耐えられるだけの密度はあると判断しました。結局、1時間版『「飯舘村 第一章 故郷を追われる村人たち』としてDVD販売と自主上映会で公開し、いま取材・編集中の映画は『飯舘村 第二章 放射能と帰村』として劇場公開することをめざすことにしました。本作品はすでに英語版も完成し、今後、海外に向けても発信していくつもりです。

土井敏邦

26年後のチェルノブイリ報告 健康被害、3世代に

26年後のチェルノブイリ報告 健康被害、3世代に
(2012年10月1日 北陸中日新聞 中日メディカルサイト)から抜粋

 原発事故でまき散らされた放射能汚染は、子どもらの健康をいかにむしばむのか。事故から26年後のチェルノブイリを視察した日本の作家やNPO法人が、現在進行形の被害や苦しみを相次いで報告している。福島の子どもらに、同じ悲劇を繰り返させてはならない。学ぶべきものとは。 (林啓太)

 「高い放射線量で内部被ばくした女性の子どもたちのほとんどに健康被害があった。悲劇だ」

 俳優で作家の中村敦夫さん(72)が険しい表情で語る。

 日本ペンクラブの環境委員長として、浅田次郎会長らと4月中旬から1週間の日程でウクライナを訪れた。1986年4月に事故を起こしたチェルノブイリ原発の廃虚やその周辺を巡り、健康被害に苦しむ住民や医師らに話を聞いた。

 原発から南に約100キロ離れた首都キエフ郊外にウクライナ内分泌代謝研究所がある。面会した男性(34)は事故当時8歳で、20年以上もたってから甲状腺がんを発症した。

 テレシェンコ医師によると、事故時に18歳以下の人に施した甲状腺がんの手術は90年に64件を数えたが、「それが2010年に約700件に上った」と説明した。

 小児甲状腺がんは、飲食を通じて放射性ヨウ素を喉にある甲状腺に取り込み、細胞ががん化した病気だ。事故の4年後ぐらいから急増し、90年半ばをピークに減った。ところが当時の子どもが大人になった今、甲状腺がんを多発している。半減期が長いセシウムが蓄積されて被ばくしているとの報告書もある。

 小児甲状腺がんは国際的に原発事故との関連が認められている。中村さんは「後から発症する人も放射線との関連を疑うべきだ」と指摘する。

 日本ペンクラブの視察団はほかに、事故から約20年もたって生まれた子どもに、放射線の影響をうかがわせる障害があることを報告している。

 原発から西に約80キロのナロジチ市で、市民病院の近くに住むブラート君(8つ)。心臓や甲状腺に障害があり、生後4カ月をはじめに5回も手術を受けた。年の離れた2人の姉も甲状腺に障害がある。母親は事故時、10代後半だった。中村さんは「ほかにも筋肉まひや発達障害など、さまざまな病気に苦しむ子どもたちがいた」と話す。

足首や関節に 痛み訴える子

 同様の健康被害は、NPO法人「食品と暮らしの安全基金」(さいたま市)も現地で把握した。原発事故を経験した女性の孫の世代までを対象とした健康調査を今年2月に開始。5〜6月には、原発の半径約150キロの8つの村で、14家族の61人や小学生らに聞き取りした。

 放射線の健康被害の研究は、がんや心臓病、白内障などの症例が知られているが、小若順一代表(62)は「幼児や児童らが足首や関節に痛みを抱えるケースも多いことが分かった」と明かす。

 原発から120キロほど西にあるモジャリ村。約20人の小学生に「脚が痛くなる人は」と聞くと半数近くが手を挙げた。膝、すねやくるぶしに痛みを感じると言い、痛む箇所を指さしたりさすったりしてみせたという。

 小若さんは「胎児の細胞の遺伝子を傷付ける食べ物の放射線量、摂取した量や期間を明らかにした研究はあまり知られていない」と指摘。基金は9月24日から3回目の現地調査を行い、住民の食べ物の放射線量も本格的に調査している。

 これまで牧草地や菜園など20カ所で放射線量を測ると、平均値は毎時0.115マイクロシーベルトなのに、放射線の影響が疑われる健康被害も出ている。

 小若さんは「福島県内に毎時0.115マイクロシーベルトを超える地域は多い。現時点では、妊婦がウクライナの農村のような自給自足の生活を送った場合、子どもの健康に害を及ぼす可能性を肝に銘じる必要がある」と警告する。

 福島原発事故の子どもの健康への影響をめぐっては、甲状腺検査で1人が甲状腺がんで、ほかにしこりも多く見つかっている。小若さんは国などにこう注文を付ける。

 「チェルノブイリの事例からも、放射線が人体にどのような影響を及ぼすのか、解明されていない点は多い。対応の遅れで正真正銘の被害者を出さないためにも、子どもの健康被害の可能性を最大限にくみ取って対応や調査をしてほしい」

事故に関心 持ち続けて

 そのウクライナでは原発事故の記憶が風化しつつあるという。「時間がたつほど原発事故の被害は見えなくなる」。同国出身で、東京で通訳業を営むエレーナ・ポタポワさん(40)が話す。

 原発事故の時はキエフで暮らしていたが、父親の計らいで別の場所に一時避難した。日本に住んで約10年になるが、2度も原発事故を経験した。「都会の人は事故を忘れがち」。エレーナさんには、福島原発事故の前のにぎわいを取り戻した東京がそう見えて訴える。

 「チェルノブイリや福島では時間は止まったまま。事故に関心を持ち続け、放射線の被害で苦しんでいる人たちを支援することが大事です」

 前出の中村さんは、福島第1原発の周辺自治体などを帰還のために除染する方針に異を唱える。「チェルノブイリ周辺も除染して農業の再開を試みたが結局、諦めて移住したケースが多い。広大な森林は手付かずで汚染されたまま。放射性物質は消えず、除染は気休めにすぎない。除染事業が新たな大手業者の『利権の巣』にならないようにしなければならない」

●デスクメモ

 中村さんは参院議員時代、脱原発を唱え、いち早く再生可能エネへの転換を説いた。小中学のころの10年間を福島県いわき市で過ごす。その浜通りの人びとは放射能汚染で追われた。「気分が鉛のように重い。晩年にこんな思いをするとは」。思い出の詰まった故郷の再生にペンで訴えていくつもりだ。(呂)

全文 http://iryou.chunichi.co.jp/article/detail/20121001160549536

中村敦夫さん、もう一度、政治家になってくれないかな。。。

Copyright © 2009 株式会社ウインドファーム.  

中村隆市ブログ「風の便り」 コーヒー関連ブログ「豆の便り」 スタッフブログ「土の便り」 /abbr/li