沿革

1987年 有機農産物産直センターを設立。無農薬野菜、自然食品などの販売を始める。有機八百屋「モモ」開店。
1988年 自社焙煎による無農薬コーヒーの販売を開始。コーヒー専門会社となる。
1991年 チェルノブイリ原発事故で被害を受けた人々の医療支援のため「チェルノブイリ支援コーヒー」の販売を開始。
1993年 有限会社有機コーヒーを設立。カルロス・フランコさんと出会い、ジャカランダ農場との提携が始まる。
1997年 株式会社ウインドファームを設立。以後、輸入、製造を有機コーヒー社が、販売をウィンドファーム社が担う。
「ジャカランダコーヒー物語」を発行する。
1998年 6月、コロンビアで開催された国際有機コーヒーセミナーに弊社代表がフェアトレードのモデルケースとして招聘され講演。同セミナーで講演したパトリシア・モゲル氏から森林農法の重要性を学ぶ。10月、ジャカランダ農場へのスタディーツアーを実施。11月、ブラジル、コロンビア、エクアドルから生産者や研究者を招き、日本各地で国際有機コーヒーフォーラムを開催
1999年 森林農法に取り組むエクアドル・インタグコーヒー生産者協会と提携しインタグコーヒーの販売を開始
学問と市民運動とエコビジネスの融合を目指す環境=文化NGO ナマケモノ倶楽部を市民有志と設立
2000年 ジャカランダ農場へのスタディツアーを主催。日本、エクアドル、メキシコ、コロンビアから多数参加。
ブラジルの3つの州で、有機コーヒー・フェアトレード国際会議を開催
ブラジル初のオーガニック・カフェ「TERRA VERDI(緑の大地)」をパラナ州クリチバに開店
2001年 エクアドルより有機コーヒー生産者や郡知事、音楽家を日本に招く。
市民団体とともに、森の大切さや平和を考えるフィエスタ・エクアドルを各地で開催し、ライブイベント、シンポジウム、交流会を行う。
南米の先住民が語り継ぐ「ハチドリの物語」を日本で紹介する。
2002年 スローライフを特集したNHKの番組「クローズアップ現代」で、スローなビジネスの実践例としてジャカランダ農場とウインドファームの取り組みが紹介される。(4月)
ブラジルに続き、エクアドルにおいて、有機コーヒー・フェアトレード国際会議を開催
環境団体と共に環境活動家 セヴァン・スズキを日本に招き、日本各地で講演会を実施(弊社代表と対談
2003年 テレビ朝日系の「素敵な宇宙船地球号」において、森を守る取り組みとして、エクアドル・インタグコーヒーの森林農法が紹介される。(4月)
夏至の日、みんなで電気を消して省エネや平和を想いながら、ローソクを灯す「100万人のキャンドルナイト」と連動し、各地でイベントを開催。
メキシコ・トセパン協同組合と提携し、森林農法で栽培されたトセパンコーヒーの販売を開始。
トセパン協同組合からゲストを招き、日本各地で森林農法をテーマとするイベントを開催。
2004年 「いのちを大切にする仕事」を広めるために、スロービジネス・スクールを開校。(5月)
『スロービジネス』(中村隆市、辻信一の共著)をゆっくり堂から出版。(11月)
ブラジルのマシャード市が世界に向けて「有機コーヒー首都宣言」(市議会で決議)
マシャード市より弊社代表の中村隆市が名誉市民章を授章。(12月)
2005年 弊社代表が愛・地球博にて「フェアトレードでできること」と題して「森林農法の重要性」について講演(この講演がきっかけとなり、NHKが森林農法の番組を制作)
エクアドルの先住民から聞いた「森を守るハチドリ(クリキンディ)の物語」を日本に紹介。
ナマケモノ倶楽部と共に『ハチドリのひとしずくコーヒー』をつくり、収益の一部を森林保護活動に寄付
2006年 メキシコ・トセパンの森で森林農法について学ぶエコツアーを実施。
福岡県田川郡赤村にて「ゆっくり村プロジェクト」をスタートさせる。(3月)
赤村に直営のスローカフェ・クリキンディをオープン。(5月22日)
NHK「地球環境の旅」において、地球温暖化への有効な対応として、トセパンの森林農法が紹介される。
2007年 メキシコ・トセパンへのエコツアーを実施。トセパン30周年と弊社20周年の記念行事を行う。(10月)
2008年 エクアドルより来日したアウキ郡知事、カルロス・ソリージャ氏によるイベントを開催。(5月)
エクアドル・インタグ地方を中心としたエコツアーを実施。
2010年 弊社とカルロスさんとのフェアトレードが絵本になる。
『考える絵本 しあわせ』辻信一著・大月書店
2011年 環境問題や社会問題について語り合う場をつくるため「いのちの映画祭」を開催。
福島原発事故が発生した3月以来、福島や関東からの避難者を受入れ、放射能から子どもを守る取り組みを始める。
2013年 有機栽培カフェインレスコーヒーの販売を開始。
2014年 市民団体と協力して、セヴァン・スズキ講演会を開催(弊社代表と対談)。
エクアドル・インタグの「ハビエル村長と森を守るコーヒー」の販売を開始。
「アグロフォレストリー全国キャンペーンツアー2014」を主催。
2015年 「放射能から子どもを守る企業と市民のネットワーク」を設立
メキシコ・トセパン協同組合の「ハリナシミツバチの発酵ハチミツ」を販売開始。
2016年 原発をやめない電力会社から新電力会社に切り替えるキャンペーンを呼びかける。
ウインドファームの電気をみやまスマートエネルギーなどに切り替える。
セヴァン・スズキの Be the Change! ツアー2016 ミライノセンタク 全国ツアーを主催
2017年 グアテマラ・フェセグ協同組合のスペシャリティコーヒーを販売開始
ウインドファームグループの30周年を記念して、エクアドル、メキシコ、タイで森林農法に取り組む生産者団体のリーダーを招いて、第1回オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会を開催。
2018年 タイのカレン族によって森林農法で栽培された「レイジーマンコーヒー」を初輸入
森林農法で栽培された有機カカオ(生豆)をメキシコのカスファ協同組合からフェアトレードで初輸入
メキシコから生物学者で森林農法研究者のパトリシア・モゲル氏を招聘。関東と九州で講演&弊社代表との対談を行う。パトリシアさんは、「しあわせの経済」フォーラム2018 でも講演。

ウインドファーム 設立までの経緯 と 設立後の歴史

1 環境問題との出会い

1974年、ウインドファーム代表の中村隆市は胎児性水俣病の患者さんと出会ったことがきっかけで、公害や環境問題に関心を持ちはじめました。その頃、朝日新聞に連載されていた、有吉佐和子さんの「複合汚染」を読んで、農薬や食品添加物などの化学物質の問題と有機農業の重要性を知りました。

1978年、有機農業の生産者になるべく山村に移住し、無農薬で米と野菜をつくり始めます。しかし、農薬も化学肥料も使わずに栽培した野菜は一般の野菜に比べ、小さかったり「見た目が悪い」ことで、消費者に理解されませんでした。1980年、有機農業を広めるためには消費者の意識と流通システムを変えることが重要だと考えた中村は、生活協同組合に就職。農薬の勉強会と並行して農作業を手伝う「援農」を行いながら産直運動と青空市場を各地に広めることで、有機農業の理解者を増やし、有機生産者を順調に増やしていきました。

そのような中、1986年にチェルノブイリ原発事故が起こり、日本の農地も放射能で汚染されました。

2 有機農産物産直センターの設立 (1987年)

原発事故によって汚染されたヨーロッパの食品が「途上国」にまわされたと知り、放射能に弱い子どもたちが心配になりました。そうした問題に対して中村は、自分にできることはないかと考えて生協を退職。有機農産物産直センターを設立して、途上国支援も行う「有機八百屋モモ」を開店しました。飢餓に苦しむアフリカ支援のコーヒーも販売開始。ところが、2カ月後に劇症肝炎で入院(住んでいた山村地域で農薬が多用され井戸水への農薬混入が原因と思われる)福岡県有機農業研究会の会長だった安藤孫衛医師が院長を務める安藤内科に入院。当時、7-8割の人が死亡すると言われていた劇症肝炎が、無農薬の玄米と野菜の食事療法などの治療で病状を回復、4カ月で退院。その後、自宅療養を継続して奇跡的に完治しました。

1988年、幅広くやっていた事業をコーヒーだけに絞って再起することにしました。コーヒーの産地である途上国とつながることで、将来、子どもたちの困難な状況を少しでも改善していきたいと考えてのことでした。それまで、国内に有機農業を広める仕事に取り組んできた中村は、今度は途上国に「コーヒー栽培をきっかけとして有機農業を広めていきたい」と考えました。その頃、日本には無農薬コーヒーは流通していませんでした。

幸いにも無農薬コーヒーを求める人たちと出会い、協力してブラジルから輸入することができました。そして、コーヒーの焙煎を独学で学びながら自社焙煎を開始しました。最初は家庭用の100gの焙煎機、次に500g、業務用の8kg焙煎機を導入できたのは2年後でした。現在は10kgと30kgの焙煎機を使用しています。

1991年からチェルノブイリ支援コーヒーを開始。原発事故被害者の医療支援を開始しました。

3 (有)有機コーヒーを設立 (1993年)

日本の有機農業を育ててきた生産者と消費者の相互扶助を基本とする「提携」のように、心の通うコーヒー生産者との出会いを求めて南米に何度も出かけました。生産者と消費者の関係を育てる「国際産直」です。

1993年4度目の訪問で カルロス・フランコさんと奇跡的に出会い、本格的な提携が始まったことを契機に「有限会社 有機コーヒー」という会社を設立しました。当時は「有機コーヒー」という言葉が一般に使用されていなかったため、「一般名詞」である「有機コーヒー」が奇跡的に社名として登記されました。

産地情報を冊子『エコロジーの風』にまとめて発行したり、動画『ジャカランダ農場リポート』も制作しました。また、カルロスさんの影響により周辺地域にも有機農業が広まりはじめ、ジャカランダ農場の見学者も年々増えていきました。国内では、オーガニック食品を求めるお客様だけでなく、チェルノブイリ支援コーヒーや福祉作業所を応援する有機コーヒーが全国に広がっていきました。

(詳細は「ジャカランダコーヒー物語」をご覧にください。)

4 (株)ウィンドファームを設立 (1997年)

原発事故から見えてきた世界の格差問題や環境問題に対して、何かやれないかという思いから事業を起こして10年が経ちました。途上国の生産者とのつながりを広げ、いろいろな農産物を扱いたいという思いがあったことと、お客様からコーヒー以外のオーガニック食品の要望も増えたことから「株式会社ウィンドファーム」を設立しました。「新しい風を起こす」という意味と、原発に替わるエネルギーとして、再生可能エネルギーの中でも重要な風力発電の意味も込めて、社名を決めました。

自社焙煎の技術が高まったことにより、有機栽培コーヒーの特長である「マイルドな甘味とほのかな酸味の調和のとれた優しい味」を生豆から引き出せるようになり、味の評価が年々高まっていきました。

1998年6月 コロンビアで初めて開催された「第1回 国際有機コーヒーセミナー」に招待されました。この会議では、有機コーヒーのフェアトレードが重要なテーマとして取り上げられ、そのモデルケースとして、中村は「カルロスさんとのフェアトレード」について講演させていただくことができました。

その国際会議でメキシコのパトリシア・モゲル氏(アグロフォレストリー研究者)に出会い、森林農法の重要性を学びました。後に、森林農法を広めている先住民がつくったトセパン協同組合を紹介していただくことができました。今や、トセパンが生産するコーヒーは、ウィンドファームの代表的なコーヒーのひとつになっています。

1998年11月、ブラジル、コロンビア、エクアドルから有機コーヒーの生産者と研究者を日本に招いて、「国際有機コーヒーフォーラム」を福岡と関東で開催しました。そのフォーラムに参加した、辻信一さん、アンニャ・ライトさんとの出会いが環境=文化NGO「ナマケモノ倶楽部」の設立につながります。

1999年2月、前年に来日したエクアドルの生産者の故郷=インタグ地方を訪問し、森林農法のコーヒー園を見学。「鉱山開発」という名の自然破壊をくい止めているコーヒー生産者と出会います。生産者の「美しい自然を子どもたちに残したい」という熱い思いに打たれた中村は、生産者がその思いを持ち続けるためには適正な価格で買い支えることが不可欠だと考え「できたものは全て買います」と約束してインタグコーヒーのフェアトレードが始まりました。ーーー提携から20年以上を経て、インタグコーヒーの品質は年毎に高まり、今ではウインドファームを代表する美味しいコーヒーと評価されています。

1999年7月 ナマケモノ倶楽部を有志と設立。翌年からスロー、カフェスロー、スローウォーターカフェ、ゆっくり堂などの関連会社も設立され、オーガニックやフェアトレード、スローフードなどを掲げる「スローカフェ」も全国に増えていきました。

5 今後の展望

おかげさまで、ウィンドファームグループは、2022年に創業35周年を迎えることができました。そして、有機農業や森林農法、フェアトレードをこれまで以上に応援するためオーガニックカフェ・ウインドファームという名のカフェを福岡県水巻町に開店しました。

「ビジネスを通じて、社会をよりよく変えていきたい」「いのちを大切にする仕事を広めていきたい」との思いを持ち続けて事業を展開してこられたのは、生産者の皆さんとウィンドファームをご支持いただいている皆さんのおかげです。心からお礼を申し上げます。

これからもウィンドファームは、いのちを大切にする仕事を通して「今、生きている人間だけでなく動植物や未来世代も含めた皆が幸せに生きていける社会を創っていく」その一員であり続けたいと願っています。

皆様と共に、こうした仕事を続けられることを幸せだと感じています。
ありがとうございます。

目次