自然を守り続けてきた先住民を応援して下さい

一度、破壊された自然を「森林農法」によって再生しながら40年も森を守ってきたメキシコ、プエブラ州のトセパン協同組合の皆さん(大半が先住民のナワット族とトトナカ族)。しかし今、その豊かな自然環境が「鉱山開発」という自然破壊の危機に直面しています


(鉱山開発の例)

このブログを読まれて、鉱山開発から森を守ろうとしている彼らを応援したいと思われた方は、署名サイト(コチラ→https://bit.ly/tosepan1804)で賛同の意思表示をお願いします。

この森を守っている人々を紹介した番組が2006年にNHKで放送されています。
その一部を抜粋します。

コーヒーを育てる恵みの森 〜メキシコ〜

モリゾー・キッコロ地球環境の旅
『コーヒーを育てる恵みの森 ~メキシコ~』から抜粋(1)
(語り: 竹下 景子)

[ ナレーション ]
今回の舞台は先住民の文化が残るメキシコ。一風変わったコーヒー作り。
森の豊かな自然を生かした農業を進めるメキシコの先住民たちのお話です。

[ ナレーション ]
この森は森林農法をしている農園です。背の高い作物や低い作物を一緒に植え、自然の森と同じような環境を作ってする農業なんです。もちろん、農薬も化学肥料も使いません。栄養の元は、降り積もった落ち葉です。虫や微生物が落ち葉を分解して豊かな土を作るんです。

今、地球の温暖化や木の伐採によって世界中で森が減っています。この森林農法。自然を守りながら進める新しい農業として期待を集めています。

[ ナレーション ]
メキシコにヨーロッパからコーヒーがもたらされたのは、今から300年前。山岳地帯の気候がコーヒー栽培に適していたため、20世紀にはメキシコ全体に広がりました。しかし、森林農法によるコーヒー栽培が始まったのは、実は最近のことなんです。

クエツァランの町に森林農法を広めたドン・ルイスさんです。以前はコーヒー協会という全国組織の指導で全く違った栽培をしていました。

ドン・ルイス「収穫量が増えるという栽培方法をコーヒー協会が教えに来たんだ。私たちは何も知らずに教えられた通りにやったんだよ。」

[ ナレーション ]
30年前(注:1976年)メキシココーヒー協会が農家に配ったテキスト。コーヒーの木の周りは、草を刈るように書かれています。また、化学肥料を使ったり、農薬を撒いて害虫を駆除するように教えていました。

コーヒー園での農薬散布・メキシコ

こうした、森を切り開いてつくる農園をプランテーション農園と呼び、これが世界のコーヒー作りの主流なんです。しかし、この方法は、収穫量が増えますが、自然を破壊する恐れがあります。コーヒー以外の木が切られると、露出した地面は荒れてしまいます。下草の生えない地面には虫はいなくなり、鳥などの生き物たちも姿を見せません。

ルイスさんも、一度はプランテーション農園にしましたが、収穫量は減っても自然に優しい森林農法に切り替えたんです。研究機関の教えも受け、ルイスさんは、町中に森林農法を広めました。

ドン・ルイス「収穫量がもっと上がれば、森林農法を選ぶ人は世界中に広がり、自然を守る意識も高くなると思います。私たち農家が森を守らなければ、誰が守るというのでしょうか。」

*** 動画の書き起こしは、ここまで ***

この番組では、ドン・ルイス(ルイス・フスティニアノ・マルケスさん)個人の経歴について触れていませんが、彼は40年前に大農園主、仲買人、高利貸しなどが利益を独占し、先住民の大半が極貧状態にあった地域に協同組合を創立した中心人物であり、仲間から尊敬され慕われています。その理由を森林農法の生産者が次のように語っています。

「ドン・ルイスの一族は、かつて裕福でした。なぜなら仲買人をしていたからです。地域の貧しい農民達は、遠く離れた町まで農作物を運ぶことはできませんでした。道路事情が悪い上に、輸送手段がなかったのです。そのため、トラックを持つ仲買人に買い叩かれていました。地域の発展のため、ドン・ルイスはその仲買人の仕事を辞めようと、家族に提案したそうです。もちろん、家族は大反対でした。兄弟はその後、ドン・ルイスと口をきくことは無かったそうです。」

1977年に設立されたトセパン協同組合は、日本の生協と農協が合体したような協同組合になり、森林農法を普及、店舗を増やし、銀行の設立2017年、ヨーロッパ・マイクロファイナンス賞を受賞)幼稚園、小学校、中学校をつくり、昨年は組合ができて40周年で初の女性代表が誕生しました。

40年前に姿を消した鳥たちを呼び戻したドン・ルイス

子ども時代から鳥が大好きだったルイスは、1970年代にある異変に気づきました。「コーヒーの収穫量が増える」というコーヒー協会の指導に従って「農薬と化学肥料を多用する近代農法」が地域に広まるにつれて、鳥が激減していることに気づいたのです。
「鳥がいない人生ほど寂しいことはない。鳥がいなくなる農法は間違っている」と確信したルイスは、鳥を呼び戻すために勉強し、森や森の生き物たちと共生する「森林農法(アグロフォレストリー)」を地域に広めました。40年後の今、この地域の森には、渡り鳥もたくさん飛来し、年間200種類ほどの鳥を見ることができます。

鳥が戻ってきたことを喜ぶドン・ルイスは「クエツァランという地名は、世界で最も美しい鳥とも言われているケツァール(注:手塚治虫が描いた火の鳥のモデルとなった鳥)に由来しています」と嬉しそうに語ってくれました。

笑顔のドン・ルイスと中村
(ドン・ルイスと中村隆市 2003年)

トセパンを訪ねるといつも満面の笑みで出迎えてくれたドン・ルイスは
2013年3月9日、鳥たちの鳴き声に包まれて82年の人生を終えました。

火の鳥 ケツァール

ケツァール(みどり系胸は赤)

ドン・ルイスが他界して5年が過ぎた今、彼が創立したトセパン協同組合のメンバーが、鉱山開発から自然を守る活動の前面に立っています。

よろしければ、署名サイトで賛同の意思表示をお願いします。とても簡単な署名で、彼らを励まし、彼らを応援することができます。

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