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2018/05/07

自然を守り続けてきた先住民を応援して下さい

一度、破壊された自然を「森林農法」によって再生しながら40年も森を守ってきたメキシコ、プエブラ州のトセパン協同組合の皆さん(大半が先住民のナワット族とトトナカ族)。しかし今、その豊かな自然環境が「鉱山開発」という自然破壊の危機に直面しています


(鉱山開発の例)

このブログを読まれて、鉱山開発から森を守ろうとしている彼らを応援したいと思われた方は、署名サイト(コチラ→http://bit.ly/tosepan1804)で賛同の意思表示をお願いします。

この森を守っている人々を紹介した番組が2006年にNHKで放送されています。
その一部を抜粋します。

コーヒーを育てる恵みの森 〜メキシコ〜

モリゾー・キッコロ地球環境の旅
『コーヒーを育てる恵みの森 ~メキシコ~』から抜粋(1)
(語り: 竹下 景子)

[ ナレーション ]
今回の舞台は先住民の文化が残るメキシコ。一風変わったコーヒー作り。
森の豊かな自然を生かした農業を進めるメキシコの先住民たちのお話です。

[ ナレーション ]
この森は森林農法をしている農園です。背の高い作物や低い作物を一緒に植え、自然の森と同じような環境を作ってする農業なんです。もちろん、農薬も化学肥料も使いません。栄養の元は、降り積もった落ち葉です。虫や微生物が落ち葉を分解して豊かな土を作るんです。

今、地球の温暖化や木の伐採によって世界中で森が減っています。この森林農法。自然を守りながら進める新しい農業として期待を集めています。

[ ナレーション ]
メキシコにヨーロッパからコーヒーがもたらされたのは、今から300年前。山岳地帯の気候がコーヒー栽培に適していたため、20世紀にはメキシコ全体に広がりました。しかし、森林農法によるコーヒー栽培が始まったのは、実は最近のことなんです。

クエツァランの町に森林農法を広めたドン・ルイスさんです。以前はコーヒー協会という全国組織の指導で全く違った栽培をしていました。

ドン・ルイス「収穫量が増えるという栽培方法をコーヒー協会が教えに来たんだ。私たちは何も知らずに教えられた通りにやったんだよ。」

[ ナレーション ]
30年前(注:1976年)メキシココーヒー協会が農家に配ったテキスト。コーヒーの木の周りは、草を刈るように書かれています。また、化学肥料を使ったり、農薬を撒いて害虫を駆除するように教えていました。

コーヒー園での農薬散布・メキシコ

こうした、森を切り開いてつくる農園をプランテーション農園と呼び、これが世界のコーヒー作りの主流なんです。しかし、この方法は、収穫量が増えますが、自然を破壊する恐れがあります。コーヒー以外の木が切られると、露出した地面は荒れてしまいます。下草の生えない地面には虫はいなくなり、鳥などの生き物たちも姿を見せません。

ルイスさんも、1度はプランテーション農園にしましたが、収穫量は減っても自然に優しい森林農法に切り替えたんです。研究機関の教えも受け、ルイスさんは、町中に森林農法を広めました。

ドン・ルイス「収穫量がもっと上がれば、森林農法を選ぶ人は世界中に広がり、自然を守る意識も高くなると思います。私たち農家が森を守らなければ、誰が守るというのでしょうか。」

*** 動画の書き起こしは、ここまで ***

この番組では、ドン・ルイス(ルイス・フスティニアノ・マルケスさん)個人の経歴について触れていませんが、彼は40年前に大農園主、仲買人、高利貸しなどが利益を独占し、先住民の大半が極貧状態にあった地域に協同組合を創立した中心人物であり、仲間から尊敬され慕われています。その理由を森林農法の生産者が次のように語っています。

「ドン・ルイスの一族は、かつて裕福でした。なぜなら仲買人をしていたからです。地域の貧しい農民達は、遠く離れた町まで農作物を運ぶことはできませんでした。道路事情が悪い上に、輸送手段がなかったのです。そのため、トラックを持つ仲買人に買い叩かれていました。地域の発展のため、ドン・ルイスはその仲買人の仕事を辞めようと、家族に提案したそうです。もちろん、家族は大反対でした。兄弟はその後、ドン・ルイスと口をきくことは無かったそうです。」

1977年に設立されたトセパン協同組合は、日本の生協と農協が合体したような協同組合になり、森林農法を普及、店舗を増やし、銀行の設立2017年、ヨーロッパ・マイクロファイナンス賞を受賞)幼稚園、小学校、中学校をつくり、昨年は組合ができて40周年で初の女性代表が誕生しました。

40年前に姿を消した鳥たちを呼び戻したドン・ルイス

子ども時代から鳥が大好きだったルイスは、1970年代にある異変に気づきました。「コーヒーの収穫量が増える」というコーヒー協会の指導に従って「農薬と化学肥料を多用する近代農法」が地域に広まるにつれて、鳥が激減していることに気づいたのです。
「鳥がいない人生ほど寂しいことはない。鳥がいなくなる農法は間違っている」と確信したルイスは、鳥を呼び戻すために勉強し、森や森の生き物たちと共生する「森林農法(アグロフォレストリー)」を地域に広めました。40年後の今、この地域の森には、渡り鳥もたくさん飛来し、年間100種類以上の鳥を見ることができます。

鳥が戻ってきたことを喜ぶドン・ルイスは「クエツァランという地名は、世界で最も美しい鳥とも言われているケツァール(注:手塚治虫が描いた火の鳥のモデルとなった鳥)に由来しています」と嬉しそうに語ってくれました。

笑顔のドン・ルイスと中村
(ドン・ルイスと中村隆市 2003年)

トセパンを訪ねるといつも満面の笑みで出迎えてくれたドン・ルイスは
2013年3月9日、鳥たちの鳴き声に包まれて82年の人生を終えました。

火の鳥 ケツァール

ケツァール(みどり系胸は赤)

ドン・ルイスが他界して5年が過ぎた今、彼が創立したトセパン協同組合のメンバーが、鉱山開発から自然を守る活動の前面に立っています。

よろしければ、署名サイトで賛同の意思表示をお願いします。とても簡単な署名で、彼らを励まし、彼らを応援することができます。

2018/03/31

有機コーヒーの焙煎選手権を初開催(毎日新聞 2018/03/26 東京朝刊)

「毎日新聞 2018年3月26日 東京朝刊」に、昨年開催した「第1回オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会」の記事が掲載されたのでご紹介します。

有機コーヒーの焙煎選手権を初開催
 「単なる腕比べではなく、環境に配慮しながらコーヒー豆を栽培する生産者たちとの出会いを目的にした」と語るのは、フェアトレード(公正貿易)の有機コーヒーなどの輸入販売を手がける「ウインドファーム」(福岡県水巻町)代表の中村隆市さん(62)だ。東京都国分寺市の「カフェスロー」で昨秋、有志と「オーガニックコーヒー手煎り焙煎(ていりばいせん)選手権大会」を初開催。森の中で多種類の樹木や果樹などと混植する「森林農法」に取り組むメキシコやエクアドル、タイの生産者らが審査に加わった。

 ウインドファームが昨年、創業30周年を迎えたのを記念して企画した。東京や横浜などでの予選(計約30人参加)を経て5人が決勝に進出。森林農法で育てられた生豆をじっくりと煎り、コーヒーを抽出した。

 生産者や中村さんらが味や香りを評価した結果、一般社団法人「日本焙煎技術普及協会」(東京都杉並区)の理事で焙煎士の竹林利朗さん(52)が優勝した。「生産者と知り合ういい機会になった。今後も交流を深めていきたい」と竹林さんは話していた。【明珍美紀】

2017/12/30

トセパンが「ヨーロッパ・マイクロファイナンス 賞 2017」を受賞

【トセパン協同組合の金融機関(銀行)トセパントミンが
ヨーロッパ マイクロファイナンス アワード2017を受賞】

森林農法によって、森を守りながら有機コーヒー栽培を行っているトセパン協同組合(以下、トセパン)。彼らにとって森林農法による有機栽培は大変重要な活動ですが、その他にもさまざまな持続可能な地域づくりの取り組みを行っています。その代表的なものが、1999年に組合内に設けられた独自の金融機関(銀行)「トセパン・トミン」です。
今年、このトセパントミンが「ヨーロッパ マイクロファイナンス アワード2017」を受賞したとの嬉しい知らせが届きました。


       賞状を持つトセパントミン代表のアルバロ・アギラルさん

トセパンは、1999年に組合内に自分たちの「小さな銀行」をつくりました。貧困であるために、一般の銀行から融資を受けることができなかった組合員(99%以上が先住民)が、事故や病気などでお金が必要になったときに「高利貸し」からではなく、低利でお金を借りられるように、みんなで少しずつお金を出し合って自分たちの銀行をつくったのです。

今ではトセパントミンは、少額の融資を始め、預貯金、保険、送金といった金融サービスを提供すると共に組合が目標とする「生活の質の向上」のために金融以外のサービスも行っています。トセパントミンという名称は、先住民ナワット族の言葉で「みんなのお金」を意味します。組合のあらゆる活動の基本にある「連帯」「助け合い」といった意識が、このトセパントミンの活動を支えています。今回の受賞の決め手となったのは、この10年間、トセパンが取り組んできた「地域住民の住宅の質を改善するプロジェクト」でした。

●トセパントミンの住宅改善プロジェクトとは?
メキシコでは、およそ3500万人が良い住宅環境にないと言われています。新築の半分、また既成住宅の3分の2が自分で建てた家で、多くの住居は質の悪い資材を使っていたり、きちんとした建築技術もなく建てられており、問題も多くかかえています。

トセパンがあるクエツァラン市一帯でも、トウモロコシの茎とトタンで作った雨風もあまりしのぐことができないような住宅に暮らす生産者が多数いました。隙間だらけのため、雨が降ると家の中が濡れるという始末で、この地域は特に雨が多いことから多くの人たちが常に濡れた、また湿った住宅で生活していました。

その上、家庭で使用するカマドも昔からの非効率なつくりであったため、多くのマキ(木材)が必要になる他、主に女性たちがカマドから出る多量の煙を毎日吸うことで、肺の病気にかかるという状況でした。


       旧式のカマド

そこで2007年から国のサポートも受けて住宅プログラムを開始。まず、住宅のための建材を調達・製造する組合が新たにトセパン内に作られました。その組合が一括して外部から建材やその材料を仕入れることで、組合員たちに安く提供できるという利点とともに、新たな雇用も生み出しました。

こうして組合員たちは、トセパントミンから融資を受けて建材を購入し、家を建てることができるようになったのです。ただ、組合員の多くは、これまでお金を借りて何かに取り組むといった経験がありません。そこで、トセパントミンは(これが「助け合い」の精神が根付いているトセパンらしい方法なのですが)ただ融資するだけではなく、あらゆる面で組合員をサポートする方法で改築プロジェクトを進めてきました。

まず建替えが決まった時点で、トセパントミンがその予算組みから設計、施工に至るまですべての段階においてアドバイスを行い、組合員と共に建替えに向けて取り組みます。設計においては、環境にやさしい技術やリサイクルエネルギーなどの設備を取り入れたものになっています。また、施工が始まってからは、建築家や建築を勉強したトセパントミンのスタッフが、各工程でチェックに入り、きちんとした住居が予定通り建設されているかも確認します。


       改良型のカマド

そして、トセパンの「助け合い」の精神がさらに垣間見られるのは、実際に建替え工事を行うスタッフが他の組合員だということです。大工さんにすべて依頼して任せるというのではなく、皆がそれぞれ助け合おうという意識から、他のメンバーの家を建て替える時には手伝い、自分の番が来たら手伝ってもらう。こうした相互扶助でプロジェクトが進められています。

中央政府からは重視されていない地方の農村地域におけるトセパントミンの住居改善プログラムが、マイクロファイナンスの分野においてヨーロッパで高い評価を受け、今回の賞を受賞するに至りました。

この10年(2007年-2016年)に及ぶ住居改善プロジェクトによって、実際に家を建設した組合員は7,463世帯、改築を行ったのは8,770世帯。合わせて16,233世帯に及ぶ組合員がこれによってよりよい環境で生活できるようになりました。また、プロジェクトに関連して1,500名の新たな雇用も生み出す結果にもなっています。

このプロジェクトによって住居環境を改善できた組合員たちは、口をそろえて生活環境が向上したことに満足感を示し、トセパン組合に参加した意義を感じていると話してくれました。

未来を見据え、持続可能な地域づくりを組合員自らが組合員自身のために活動を続けているトセパン。森林農法のコーヒー栽培に限らず、実に多様な分野で自然や環境に寄り添いながら自分たちの生活を高めていく姿勢と理念に、改めて学びを得た受賞報告でした。
(※一部、European Microfinance Awardのホームページより情報抜粋)

メキシコ中部地震の被災者支援「仮設住宅建設プロジェクト」

そんな彼らは、これまでの経験を活かし、2017年9月におきたメキシコ中部地震で被災した人々のために地域の竹を活用した仮設住宅の建設を進めています。トセパンのある地域と同じく、行政サービスが行き届かない先住民が多く暮らす貧しい農村地域で、「助け合い」の精神で住宅建設を進めています。トセパンが資材調達から建設まですべてボランティアで行っているため、資金が不足している状況です。

そこでウインドファームでも、トセパンの支援活動を応援したいとの思いから、現在この「竹の仮設住宅建設」へのご支援を募っています。よろしければ、ご協力お願いいたします。

★詳しくはこちら → メキシコ中部地震トセパン支援プロジェクト

今年11月「しあわせの経済 世界フォーラム」や「第1回オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会」に出席するため来日したトセパンのレオナルドさんから竹の仮設住宅に関する追加情報と写真が届きました。


   左端がトセパンのレオナルド・ドゥランさん

現在、プエブラ州サンタクルス・クアウトマティトラ村で、12棟目を建設中だそうです。
また、この村の再建を担うとのことで、残り88棟、計100棟を建設する予定です。
やはり、長期的な支援が必要になります。

プエブラ州サンタクルス・クアウトマティトラ村
子どもは十分に学校にも行けず、貧しい生活をしている地域に地震の被害が集中していることが
推測されます。また、政府の支援はほとんど届いていないようです。

2017/11/11

トセパン協同組合に初の女性リーダー誕生!

トセパンコーヒーやハチドリコーヒー、カフェインレスコーヒーでお馴染みのトセパン協同組合が設立40周年を迎えた2017年、トセパンの歴史で初めて女性の代表が誕生しました。これまで自然と共存する先住民文化を大事にしながら、森林農法によって有機農業を広めてきたトセパン協同組合は、女性の自立も大きな目標の1つと考えて女性の社会進出を後押ししてきました。そのトセパンに女性のリーダーが誕生したのです。彼女の名は、パウリーナ(パウリーナ・ガリード・ボニージャさん)。


パウリーナさん

トセパンでは、6年に一度、組合の代表を決める投票が組合員によって行われます。
パウリーナさんは、子どもたちの教育支援を目指すトセパン基金を提案した人で、これが多くの人の評価を得ました。

トセパンでは、組合内に自らの学校を設け、言葉、文化・伝統、宇宙観など先住民としての教育と、国の教育カリキュラムを合わせた独自の教育プログラムを行っています。そして、これを充実されるために設立されたのがトセパン基金でした。これまで、トセパンの学校や教育活動の運営には、組合の主な活動であるコーヒーやオールスパイスなどの生産・販売によって得られた収入が使われていました。しかし、数年前に鉱山開発の問題がピークに達し、開発の危機が間近に迫りました。その時、「たとえ開発が強引に進められてコーヒー栽培が出来なくなったとしても、なんとかして子どもたちの教育は守りたい、学校だけは残したい」という強い思いから、学校の自立運営を目指すことを提案したのがパウリーナさんでした。今回の代表選での公約にも学校の自立運営を掲げ、これが多くの人から賛同を得ることとなったのです。


      トセパンの小学校

トセパンと子どもたちの未来を考え、子どもたちの教育の重要性を改めて皆に示したパウリーナさんの提案は、女性ならではの視点ともいえる重要なものでした。


小学校での農作業の授業

トセパン基金は元々、教育を充実させるために設けられた非営利団体ですが、今年9月のメキシコ中部地震以降、被災地を支援するプロジェクトの窓口としても機能しています。ここを窓口に、トセパンではメキシコ政府の手が届かない貧しい被災地に仮設住宅を建設する支援プロジェクトを展開しているのです。

トセパン基金を通じ、自分たちの組合の未来を作る子どもたちだけでなく、トセパンと同じく先住民が多く暮らす地域の未来を作るための活動に取り組むトセパンの人たち。そこには、いつものように彼らの「助け合い」と「分かち合い」の温かい思いが強く感じられます。

これからパウリーナさんを中心に進む女性ならではの活動と、今後のトセパンの取り組みを私たちスタッフもとても楽しみにしています。


      中央がトセパン協同組合の代表に選ばれたパウリーナさん

*現在ウインドファームでは、トセパンの地震被災地支援プロジェクトである「竹の仮設住宅建設」へのご支援を募っています。頂いたご寄付は「トセパン基金」へ送らせていただきます。ご支援のほどよろしくお願い致します。
詳しくはこちら→トセパン基金寄付

2017/10/07

第1回オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会

今年、ウインドファームは創業30周年を迎えることができました。私のようなナマケモノで、いい加減な社長を抱える会社がよく30年も続いたものです。有機栽培に取り組んでいただいた生産者の皆さん、コーヒーや紅茶を購入して下さった皆さん、ウインドファームで働いてくれたスタッフをはじめとするご縁があるすべての皆さんのお陰で、そして、水、空気、食物、美しい自然まで与えてくれる生態系と母なる地球のお陰で、ウインドファームはこれからも仕事を続けていくことができます。
みなさん、ほんとうにありがとうございます。

その30周年を記念して、ちょっと面白いことを企画しました。
「第1回オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会」です。
そのホームページができましたので、みなさんにお知らせします。
以下は、ホームページからの抜粋です。

ごあいさつ

普段コーヒーは焙煎されたものを買って飲むのが一般的ですが、手煎り焙煎器があれば、自分で簡単に焙煎することができます。好きなコーヒーの生豆を必要な量だけ、自分好みの焙煎度合で煎ることもできます。毎日、手煎りすることは難しくても、休日や来客を手煎り焙煎コーヒーでもてなすことはとても楽しいことです。

中南米やアジアで有機農業とフェアトレードを広めてきたウインドファームが創業30周年を迎えた今年、海外から有機コーヒー生産者の代表を日本に招きます。この機会に全国の友人たちの協力を得て、有機農業とフェアトレードの更なる普及を願ってオーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会を開催します。

10月中旬から全国5カ所で予選を行い、大会の決勝(11月14日)には有機栽培&森林農法でコーヒーを栽培している生産者団体の代表がメキシコ、エクアドル、タイから来日して審査に加わります。

森林農法は、一般的な「森を伐採して単一作物だけを大量に栽培するプランテーション農法」とは異なり、森の中でコーヒーを栽培したり、森を破壊された土地に多種類の樹木と果樹、コーヒーや農作物を混植することで、生物多様性の豊かな森を再生しながら生活の糧を得られる農法です。世界の森が減少し、生物種の絶滅が加速したり、気候変動が大きくなる中で、「森を守り森を育てる農業」「自然と共生する農業」として世界から注目されています。

3カ国の代表は、11月11日12日(土日)に東京で開催される「しあわせの経済 世界フォーラム 2017」や13日に横浜の善了寺でも講演されます。

オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会を通して有機農業や森林農業、フェアトレードをより多くの方々に身近に感じていただければ幸いです。

みなさまのご参加お待ちしております。

第1回オーガニックコーヒー手煎り焙煎選手権大会

2017/04/07

30年を振り返って:サンパウロ新聞 1998年 有機農法に携わる人々

ウインドファームの創立30年を振り返って(その1)

有機農法に携わる人々(前篇)(1998年11月サンパウロ新聞)より抜粋

 農薬や有害化学物質などによる環境汚染、自然破壊が侵攻する今日。特に開発途上国などでは、海外からの企業進出がその要因の一つになっているケースも少なくない。そうした中で、身体に害の無い安全な生産物をつくり、消費者に提供するという動きが世界中で目立ってきている。ブラジルでも農薬の使用を減らし、有機農法を実践する人たちがいる。ここでは有機農業などに携わり、身の周りから環境破壊を防ごうとする人々を紹介する。

(1)

農場スタッフと交流する中村さん(右)

 生産者との公正な貿易(フェアトレード)を目指し、ミナス州マッシャード市の「ジャカランダ農場」で栽培されている無農薬有機コーヒーの日本での輸入販売を、93年から始めた(有)有機コーヒー社長の中村隆市さん(43、福岡県出身)。
 地元の高校を卒業後、映画監督になることを希望していたが、水俣病との出会いにより、公害、環境問題に興味を持ち、有機農産物の産直活動に取り組んでいく。

 86年に発生したチェルノブイリ原発事故で被爆した、隣国ベラルーシ共和国の人々への支援を行うための運動を90年から並行して展開。その支援金を捻出するためにも、有機無農薬コーヒーの日本での販売は欠かせなかった。何より、ジャカランダ農場で働く人々との出会いが、現在の中村さんの活動を支えている。農場主のカルロス・フェルナンデス・フランコさん(七一)の無農薬の土地づくりを推進する思いが、中村さんの気持ちと一致したためだ。 

 今年5月末に来伯した中村さんは、農場の状況視察とともにコロンビアで初めて開催された国際有機コーヒーセミナーに出席。研究者だけでない生産者との交流を行い、現場の声を目の当たりにした。

 また、10月12日からは「消費者に実際の生産現場を見てほしい」との考えから、来年から本格的に行われるジャカランダ農場の「スタディー・ツアー」の準備を兼ねて約一週間滞在。再び農場を訪問し、生産者との交流も行なった。
 さらに、同じミナス州のラゴア村も訪問し、フェアトレードの可能性も探った。

 中村さんによると、現在の日本では有機無農薬産品について「一過性の健康ブームという訳ではなく、総合的な環境問題を含めて、当たり前といった意識になってきている」という。

 それだけ環境問題について、人々の意識が高まってきたとも言えるが、「身体に害のない美味しいものを食べたい」との考えが、消費者の中に芽生えてきたのも確かなようだ。

 「ジャカランダ農場とのつながりは、単に売る人と買う人の関係だけではなく、一緒に有機農業を広げていく仲間でもあります。農薬による被害で中毒になったり、亡くなったりしている人の問題を取り上げ、環境に対する一般の意識をさらに高めていきたい」(中村さん)

 中村さんの挑戦はさらに続く。

(2)

 中村さんがミナス州ラゴア村の小農民の状況を視察した翌日の10月8日、有機農法博士の宮坂四郎さん(74、北海道出身)の案内でモジダスクルーズへと向かう車に記者も同行させてもらった。

 宮坂さんは、7月のコロンビアでの国際有機コーヒーセミナーにブラジル代表として参加。炭を焼くことによって採取され、害虫の忌避剤にもなる「木酢(もくさく)」の効用について講義した。自然農法生産者協会(APAN)やブラジル有機農業協会(AAO)の創立に携わるなど、「有機農法の伝道師的存在」(中村さん)となっている。

(3)

 「ここでは、ハウス(栽培)内に鳥が巣を作ってますよ」―。
 こう語るのは、モジ群ビリチバ・ミリンでトマトを生産する鈴木啓三さん(61、山形県出身)。農薬を使用していない証拠だ。

 鈴木さんは、9年間11回にわたって、同じ場所でトマトの連作を行なっている。作っているのは「桃太郎」と言われる大玉の種類だ。化学肥料を使った場合、土地が疲弊するために休ませるのが普通だが、籾殻(もみがら)を焼いた煙炭、砂糖きびの絞りかすやボカシなどの有機肥料を使用することで、土地自体に持続力が付いていく。


有機トマトについて説明する鈴木さん

 自然農法生産者協会(APAN)にも89年頃から入会している鈴木さんだが、それ以前から有機農法には興味を抱いていたという。「大抵の生産者は、トマトを育てることに一生懸命になっていますが、私の場合は、土地を作りあげることに力を入れてきました」

 実際、鈴木さんが栽培しているハウスの中には籾殻を焼いた煙炭が一面に撒かれている。
 しかし、そんな鈴木さんも有機農法に切り替えた当初は、害虫の被害にもやられた。土地自身に害虫をはねつける力が無かったことが原因だ。それ以来、農道にだけ使っていた除草剤もいっさいの使用を止めた。
 「色々な人に会って話を聞いたり、有機関係の本は片っ端から読みましたね」

 少しずつだが、土地に変化が現れ出した。農薬を使用する一般のハウス内には飛ぶことのなかった小鳥が飛び、巣を作るようになった。その積み重ねが、今の鈴木さんの考えを強固なものへと変えた。
 「この周辺では有機栽培をやっている人はほとんどいませんね。ハウスは二、三年やるとほとんどの人は資材などの費用がかさんで続けられなくなります。化学肥料を使っていることが、却って自分を苦しめることになるのです」

 現在では、化学肥料を使っていないのが「売り」となっており、市販のものより多少値段は高くても、自然な甘さが消費者に受けている。記者自身も賞味させてもらったが、まだ表面は青さが残っていたものでも、内部は柔らかく、濃い甘みがあるのが印象的だった。

 ブラジルではまだ有機農法は一部にしか認識されていないが、鈴木さんは「『有機農産物を作るのは当たり前』という方向に必ずなるでしょうね」と自信を見せる。
 「土壌を作るといっても、実際には微生物がやるんです。それをいかに我々が手を加えてやるかなんです。今まで多かれ少なかれ、いじめてきた土地を元に戻す作業を今やっている訳です」

 「桃太郎」種のトマトは最近ブラジルでも値段も安定し、美味しいのが定評となっているが、生産が難しいという。
 「難しければ難しいほど、またそれが面白くなって止められないんですね」と鈴木さんは笑う。心から農業を大切にし、楽しんでいる姿がそこにはあった。
 
(4)

 モジダスクルーゼスで有機農法に携わる人たちを訪ねて同行した記者は最後に、ビリチーバ・ウス郡にある宮坂氏の別荘に案内してもらった。

 そこには現在、宮坂氏の娘のロザーナさん(34、二世)と夫で大工仕事を行う海老根盛人(えびね・もりと)さん(32、栃木県出身)が住んでいる。場所は「人里離れた森の中」といった感じで、旧家を建て直して生活しているという。

 海老根さんは元々、家具職人として神奈川県で職業訓練校の教師を養成する「職業訓練大学校」に勤めていたが、本格的に家具作りに取り組むため、栃木に移り住んだ。その合間に「創造の森」という有機農業による畑を自ら作り、野菜など40種類におよぶ生産物を栽培していた。その時に日本に就労していて知り合ったロザーナさんと結婚。並行して、有機生産物を使用したレストランも経営した。

 その後、96年にブラジルに移住する決意を固め、現在の場所で大工仕事の注文を受けながら生活している。
 しかし、移住した当初やりたかった有機栽培は仕事が忙しいために中断しており、「暇を見つけて続けたいのですが」と海老根さんは苦笑する。

 自然とともに生きることをモットーとする「シュタイナー教育」に「少なからず影響された」という海老根さんは、少しずつ自分の考えを実践する。

 海老根さんは家具職人としてブラジルで働く中で、一つのポリシーを貫く。それは、「無垢」(むく)と呼ばれる一本木を使うことだ。


海老根さんの作品

 「ブラジルで販売されている家具はそのほとんどが、合板が使用されています。表面は見栄えがいいですが、良い接着剤を使わなければすぐに剥がれてきます。それに比べて無垢では、五十年、百年たっても壊れません」

 さらに海老根さんは、釘やネジなどを使わない日本建築の手法を重視する。例えば、机などはネジでとめると割れたり、素材そのものが曲ったりするが、木を組み合わせることによって、気候の変化に対応して伸び縮みできるようにできるという。そのためにも、無垢の素材を探し、保管・使用することは海老根さんにとって、最大のテーマでもある。

 また、海老根さんが作業場を山中に選んだのは無垢によって出る木クズを畑の肥料などに再利用することにある。
 「都会で大工仕事をしていると、木クズが大量に出てその処理に困りますが、ここでは畑の肥料としても使えるし、一石二鳥ですよ」と海老根さんは、限りある資源を再生することを重視する。

 海老根さんは、障子の桟(さん)を削る鉋(かんな)など日本でも最近では使用されなくなった大工道具も、ブラジルに持参してきた。「昔は手作りの道具もたくさんあったのですが今ではブラジルでも電動工具が主流になり、職人のレベルが低くなっています」

 いかに、自然の理にかなった家具づくりを行うか。仕事だけでなく、日々の生活の中で海老根さんは、常にこのことを考えている。(つづく)
                    (1998年11月サンパウロ新聞掲載)

有機農法に携わる人々(後篇)

(5)

 モジを訪問した翌朝、無農薬コーヒーを生産する「ジャカランダ農場」を訪ねるべく、中村さんたちと一緒にミナスジェライス州マッシャード市に向かった。

 この日、同行したのは、ジャカランダ・コーヒー友の会会長で、来年の農場への「スタディー・ツアー」を前に、「ぜひ現場を見てみたい」と自費参加した村田久さん(63)と和子さん(52)夫妻と農場には初めて行くという宮坂さん。それに(有)有機コーヒー社のブラジル側スタッフで、ミナス州ラゴア村の小農民に有機農業による自立支援に力を入れているクラウジオ牛渡さん(29、二世)というメンバー。 

 サンパウロ市内のチエテ・バスターミナルから約三時間半。マッシャードに着いた我々を農場主のカルロス・フェルナンデス・フランコさん(71)がスタッフとともに出迎えてくれた。

 農場近くにあるカルロスさんの別荘で休憩したあと、午後から市内の農業大学とジャカランダ農場のコーヒーが選別・保管されている「DINAMO社」に案内される。

 大学内にはコーヒーの苗木も育てられており、カルロスさんの口添えにより、ジゼリー・ブリガンテ学長が校内を案内してくれる。


DINAMO社を訪問した一行

 続いて見学させてもらった「DINAMO社」には、マッシャード周辺の五十におよぶ生産農家のコーヒーが保管されている。会社側の説明では、有機無農薬のものを扱っている生産者は、わずかに数家族に満たないという。

 その中でもジャカランダ農場から出荷されるコーヒーは、品質もトップクラスで、化学肥料を使用したコーヒーと混ざらないように配慮されている。

 昨年、ジャカランダ農場では、天候不順とコーヒーの木の老朽化で四百俵しか収穫できなかったが、今年は二千俵と元の収穫量を取り戻した。現在、カルロスさんは、DINAMO社に日本への輸出向けに千二百俵を預けているが、それらはすべて、中村さんの有機コーヒー社に直接送られる。

 中村さんとカルロスさんの「環境保護を通じて次世代に希望をつなぎたい」との共通した考えが二人の人間関係を、より強固なものにしている。

 最近では、マッシャード周辺の小農民の間でも有機農業に関心を寄せる動きにあり、そのことをカルロスさんは、自分のことのように喜ぶ。

 夜、カルロスさんの別荘での夕食のあと、改めて各自が自己紹介を行なった。村田夫妻と宮坂さんは、訪問させてもらったことへの感謝をそれぞれ述べる。

 カルロスさんは席上、農場の現状や自分の身の周りからできる環境保護の重要性を切々と語る。
 「有機農業を行なっていくうえで、技術の面だけでなく、考え方も変えていかなければならない」とカルロスさん。地球の汚染が進む中で、一人でも多くの人々の環境に対する理解が必要だと強調した。

(6)

 翌日、朝から待望のジャカランダ農場を見学する。総面積は273ヘクタールあり、その内の80ヘクタールが、コーヒーの生産地。残りはバナナなどが植えられている。

 はじめに、カルロスさんが一日のスケジュールを確認するため皆を呼び集め、見学する行程を説明する。
 天日干し場に着くと、農場で働くスタッフがトラクターに繋いだ小型のトレーラーを用意していた。その上にスタッフやカルロスさんの家族を含めた十人ほどが乗り、農場内を見て回る。

 カルロスさんはポルトガル系移民の6代目。(株)ウィンドファーム社発行の「ジャカランダコーヒー物語」によると、この地でのコーヒー栽培の歴史は、1856年に入植したカルロスさんの曾祖父にあたるジョン・マノエル・フランコ氏から始まるという。それから数えて四代目となるカルロスさんは、現在でも、祖父の時代からの農場のスタッフとのつながりを大切にする。

 「5年前に初めてカルロスさんに出会った時、農場で働く人々との交流があったことが一番嬉しかった」と中村さんは、生産元にジャカランダ農場を選んだいきさつを目を細めて語る。


OC地区で農場スタッフと記念撮影する一行

 カルロスさんの指示により、OC(有機コーヒー)地区で下車する。農場には無農薬だが有機肥料を使用していない地域もあるが、ここは100%有機無農薬の土地だという。現在のコーヒーは96年に植えられたもので、森のように茂っている。
 実際に足を踏み入れて感じるのは、土の柔らかさだ。ブラジルに多い赤土の「テラ・ロッシャ」とは違い、全体に黒い土で覆われている。

 カルロスさんによると、はじめのころは堆肥を撒いていたが、昨年からは撒いていないという。土中に含まれる「みみず」などの益虫や微生物が害虫の発生を防ぎ、土が柔らかいことで根が深くまで入り、水分の吸収を良くしている。また除草剤を使わずに草を刈ることで、天然の肥料となり、全体のバランスが取れるようになるとも。

 この日、カルロスさんを訪ねて同行し、20年間コーヒー仲買商に携わっているという中島エジソン・サライバさん(43、三世)は「15年前のコーヒーは、その匂いを嗅いだだけで、大体の品質が分かりましたが、農薬使用して以来、試飲してみないと判断できなくなりました。しかし、カルロスさんのは、銀行融資を受ける際にも、匂いを嗅いだだけで良いものだとの信用を得ました」と品質の高さを保証する。

 OC地区には、1.8ヘクタールに1万7000株のコーヒーを植えた「ジャカランダコーヒー友の会」の土地がある。
 日本に出荷される高品質の有機コーヒーはすべてこの土地から採れる。

 ブラジル国内では皮肉にも、これらの高品質の製品は実際には飲めないという事実がある。

 カルロスさんはこのことについて、「私たちが努力して作ったコーヒーを日本の理解ある皆様に飲んでもらうことは、最高の喜びです」と意に介さない。

 良いものを良い仲間と作り、理解のある人に飲んでもらいたいとの気持ちが、カルロスさんを支配している。

(7)

 日本から中村さんとともにジャカランダ農場を訪問した村田夫妻。ブラジルに来たのも、初めてだ。
 福岡県に会社がある中村さんの近所に在住し、その意気を感じて、カルロスさんの農場を支援する「ジャカランダコーヒー友の会」会長にもなっている。また、消費者に現場の生産作業を見てもらうことにより、「より生産者のことを知ってもらいたい」とする考えから来年、本格的に始まるジャカランダ農場への「スタディーツアー」の準備や下見も兼ねての来伯だ。
 しかし、それ以上に村田夫妻がこの地を訪れたかった理由は、ほかにある。


農場スタッフと談笑する村田夫妻(中央と右)

 村田夫妻は、マレーシア・イポー市のブキメラ村に進出していた日本企業が不法で出した産業廃棄物の影響で病に苦しむ子供たちの医療援助を個人ベースで続けており、その支援金確保のためにジャカランダ農場の有機無農薬コーヒーを販売している。かねてから中村さんに、農場の話は聞いていたが、「消費者に品質の良い品物を販売する以上、ぜひ自分の目で生産現場を見てみたかった」というのが、村田夫妻の考えだ。

 村田夫妻は、福岡県北九州市にある三菱化成黒崎工場(現・三菱化学黒崎事務所)に勤務していたが、3年前に久さんが定年退職。和子さんも今年10月31日に退職した。

 1982年4月、三菱化成は、マレーシアのブキメラ村に合弁会社を設立。現地住民には産業廃棄物の恐ろしさが知らされないまま、働く場所があるというだけで、200人の労働者が集まった。

 翌83年、「ゼリーベビー」と呼ばれる骨無し状態の子供が産まれたことことから、住民の会社に対する反対運動が起きた。
 三菱化成は、「モナザイト」と呼ばれる物質から自動車部品やカラーテレビのブラウン管の蛍光塗料などに使用される希土類を抽出していたが、その抽出過程で「トリウム232」という放射性物質が出ることを知っていたにもかかわらず、産業廃棄物のずさんな管理を行なっていた。

 「トリウム232」の半減期は141億年もかかり、これらの事実を85年に知った村田夫妻は「まさか、自分の働いている会社がそんな危険なことをしているとは信じられなかった」とショックの色を隠せなかった。

 住人は85年に住民側8人の原告により提訴。92年7月にイポー市高等裁判所で勝訴したが、翌93年12月に逆転敗訴となった。陰でマレーシア政府が圧力をかけたと見られている。

 91年、村田夫妻は会社への内部告発とともに年に一回、現地を訪れ、ブキメラの子供たちへの支援活動を行うようになった。「現地で望んでいるのは、ブキメラの村内に病院を建て、せめて週に3回でもいいから、簡単な診療をしてもらいたいということなのです」(和子さん)

 現在、ブキメラ村には診療所はあっても医者が常駐していない状態で、村田さん夫妻は会社を辞めた今でも支援活動を続けている。

(8)

 農場を隅々まで見学したその日の夜、カルロスさんから一人一人感想を聞かれた。
 村田久さんは、日本で市民団体が活動するために、物販活動を行う経緯について説明。熊本県の「チッソ」工場から排出されて人体に被害を及ぼした「水俣病」の例を話した。

 それによると水俣病の支援活動者は、30年以上にわたって柑橘類の一種で熊本特産の「甘夏」を販売しているという。しかし、甘夏の味が良くなくても、消費者は支援のために買っていた人が多かった。そのため、初めは支援の気持ちを持った人でも、時が経つにつれて、その気持ちが薄れてくると売れないようになるという。

 「ブキメラの支援運動も今年で七年目ですが、最初はマレーシアからカレー粉やTシャツを買ってきては販売していました。良い品物を売るというよりも、支援のために買ってもらっていた感じでした。しかし、ジャカランダのコーヒーを扱うようになってからは、いつの間にか、美味しいから買うという人が増えました。それが、そのままブキメラ村の資金援助に役立っているのです」(久さん)

 また、和子さんも「中村さんからカルロスさんの話を聞いてコーヒーの販売を始めましたが、累計で100万円以上の収益をブキメラに送りました。直接ここに来てみて、益々ジャカランダのコーヒーを自信を持って売ることができるます。人間関係がうまくいかないと、仕事もうまくいかないのだと実感しました」と率直な気持ちを語る。

 これまで、通訳に徹してきた牛渡さんに意見を求めた。

 牛渡さんは「消費者が、『誰が作っているのか』という生産者の顔を知ることが重要だと思います。私にとっていい仕事とは、いい気持ちでやることです。その意味で中村さんとカルロスさんという二人の人間関係の中で仕事をしていることに喜びを感じます」と述べた。

 しかし、農場経営が苦しいのも事実だ。今年は平年並みの収穫があったものの、ジャカランダ農場は昨年、大きな危機に見舞われた。コーヒーの木の交換時期と不作とが重なり、農場で働くスタッフの生活にも支障をきたした。

 そうした中、彼らを支えたのは、日頃から行なってきたコーヒーの品質に対する自信とカルロスさんへの信頼感だった。
 「スタディーツアー」の目的は、ジャカランダ農場の支援と同時に、中村さんをはじめとする関係者の新しい挑戦でもある。


カルロスさん宅で感想を述べ合う

 この日遅くまで話し合いは続けられた。今後の農場こと、来年から始まる「スタディーツアー」のこと。果ては、原発問題から環境問題にまで至った。

 同席していたカルロスさんの次女テルマさんが冗談めかして言った。
 「父はマサチューセッツ(工科大学)やハーバード(大学)よりも進んでいる」

 有機農業を実践しているという意味では、確かにそうかもしれない。
 人類がこれから迎える21世紀にあって、環境保護は自然なあり方として見られるようになってきた。しかし、それを良い方向に継続して進めていくか否かは、一人一人の考え方による。

 今回、有機農業に携わる人々を取材する中で、そのことを強く感じた。(おわり) 
               
              (1998年11月サンパウロ新聞掲載)

2017/01/28

「大人の人に伝えたいこと」 小学6年生 鷲野天音

福島原発事故前の2010年に、小学6年生の鷲野天音君が書いた「大人の人に伝えたいこと」

◆「大人の人に伝えたいこと」 小学6年生 鷲野天音

 僕が住んでいる愛媛県には原子力発電所があります。
 去年、ぼくが5年生の時、その原子力発電所に、フランスからMOX燃料が来ました。プルサーマル発電のためです。プルサーマル発電というのは、広島の原ばくウラン(一般の原子力発電所の燃料)と長崎の原ばくプルトニウム(高速増殖炉の燃料)をいっしょに核分れつさせて、タービンをまわす発電です。ウランもプルトニウムも危険な放射能を持っています。放射線というものは細胞の中の遺伝子をばらばらにしてしまうもので、ガンや白血病の原因となります。広島や長崎には、まだ今も後遺症で苦しんでいる人たちがいます。それなのに日本は世界第3位の原子力発電の国です。しかも、日本は世界第3位の火山国です。火山国だということは、地かく変動もよく起こります。もし、地しんが起きたらどうなるのでしょう。日本に原子力発電所は望ましいのでしょうか?

 もしなにも起こらなかったとしても、未来に、核のゴミとして残ってしまいます。

 CO2を出さないという理由で、原子力発電がさらに新しく建とうとしています。新しく作ると、きれいな海を埋め立てて、たくさんの命をうばい、住む所をなくします。それに原子炉を冷ますために、1秒で70トンの海水を、7度上げて、海に戻すことになります。もうこれ以上ぼくたちの環境をこわすのはやめてください。ぼくたちこどもも、あと何年かすれば、大人になります。ぼくたちの未来に汚れた海や山、空気や水、核のゴミを残さないでください。

 ぼくたちの未来に残してほしいのは、生き物のくらせる森、川、命、希望、そして大きくなったら、こんなことがしたいという夢が叶えられる社会です。

 地球の体積の99%は1000度以上あります。発電でいえば、この地球の熱を使う、地熱発電がいいとぼくは思っています。

 ぼくたちも一緒にやるので、大人の人も、勉強してほしいです。

 大人の人にやってほしいのは
●やりはじめたことの責任をとること。
●前のひとのやった無責任を、解決するようにがんばること。
●こわれてしまった自然を、元に戻す努力をすること。
●それから、これ以上自然をこわさないこと、です。

 未来に続く命のために美しい地球を創りましょう。
 よろしくおねがいします。

***********

★はじめよう!地熱発電 子ども署名から未来への提案

情報を発信するにあたって

この度は、息子天音の行動にご協力いただきありがとうございます。

彼がMOX燃料(プルトニウム・ウラン混合燃料)のことに関心を持ち、感じ、調べ始めて請願にいたるまで本当にあっという間でした。

普段は本当に普通の小学5年生ですが、ことMOX燃料を使うプルサーマル計画については納得がいかず、何とかしたいと思う非常に強い意志が、私たち両親を巻き込みながら展開していきました。

彼が今回の行動を起こしたことについては、ことのはじめから彼の気持ちに寄り添ってきた家族でも正確に説明するのは難しく、そしてなお、文章で簡単に説明できるものではないと感じています。本人はあくまでも、感じたことを純粋に行動に移しただけなのですから。

そこで父親の立場から、今回のことを振り返って整理したいと思います。

私たちは四国の山の中に住んでおり、「自然と人の相互依存・共生関係の本来の姿を求め」、仲間と共に里山づくりをしています。私たちが生活しているこのスペースを「人を含めた生き物が安心して暮らせる場所を目指している」と訪問者に説明していることを、天音はよく知っています。このことと、伊方に原爆の材料のプルトニウムがやってきたということが大いに矛盾していると感じたようで、彼はこのことに納得しませんでした。

「世界は良くなって行っていると思っていた」と彼が言ったとき、

「お父さんに任せとけ!」と言えなかった自分は困り果てていました。

核の問題にまったくの無知ではないつもりでいましたが、原子力発電の問題に関しては、あまり知りたくないし、自分は関わりたくないとも思っていました。電気を使っているのだから、この事はなんとも言えないと考えていたのです。

そこで息子の「世界は良くなって行っていると思った」発言です。

私たちは原子力発電やプルサーマル計画について正確な情報を持っておらず、

妻とも相談し、MOX燃料を怖がっている彼に、できるだけ考えが偏らないように天音が欲しがる情報を集める手伝いをしていきました。図書館ではエネルギー関係や原子力の本、原発反対派の方が出しているブックレット、インターネットの情報。賛成派の人の意見、反対派の人の意見など…。

同時に、私たち両親も彼に続いてプルサーマル問題の学習を始めました。

本人が納得するまで、彼に寄り添いながら家族の問題として取り組みました。

ここではっきりしておきたい事があります。11歳の息子の署名活動や請願といった行動は、彼自身がプルサーマル問題についてのいろいろな考え・情報・選択肢の中から、彼の純粋な思考・判断において、責任を持って今回の行動にいたる選択していったということです。数日前に兄弟のように共に生活をしていた子ヤギが、病気で苦しみながら息を引き取った時に立ち会ったことも、彼の中の何かに影響したようです。

その時我々夫婦は、恥ずかしながら彼に代わって事を進めていける知識や意志・勇気・強さを持ち合わせていませんでした。

彼は本当にたくさんの思いを「言葉」にして我々に伝えましたし、私たち家族はそれについて話し合いをしました。彼の言葉と純粋さに何度も涙したことを覚えています。

彼の決断と普段には見られない非常に強い意志・使命めいた眼差しに、夫婦そろって困惑しました。そして夫婦で話し合った結果、このことに関しては、彼の踏み台になり、盾になり、彼の思いを遂げさせようと決断しました。

今回,開設したこのページは、「大人たち、ことに親や周囲の原発反対派と呼ばれる人が子どもを使ったのではないか・・」という憶測や、さまざまな意見が交錯する中、「プルサーマルはやめてください」といった、小学5年生の子どもとその家族として、私たちに起こった事実と、その経緯。 それから、未来につなぐ今後の展望をささやかながら、当事者としてきちんと記しておこうと考えたからです。彼の思いはあくまでも、今も変わっていません。「伊方のプルサーマルは何としても止めたい」ということです。彼の請願提出後、多くの大人たちが動き始めてくれたことを知って心強く感じています。一緒に学習をしてきた私たちも、今はプルサーマルについて知り、現時点での装荷、プルサーマル発電の開始は中止すべきだと思っています。

6月議会以降、プルサーマルに変わるエネルギーを家族で考え、学習しています。署名を集めているときに、たまたま、NHKの放送で知った地熱発電を中心としたクリーンエネルギーが基幹電力供給に繋がるのではないか、と今考えています。我々大人がプルサーマル発電に代わるものとして提案しながら、行動をしていこうと思っています。

子どもに教えられました。正しいと思うことに臆病にならず、勇気を持って安心して暮らせる未来のために考え、行動していきたいと思います。

       *        *

核のごみ 地層処分ムリ 人が20秒で死亡
   (2012年6月19日 東京新聞)

以下は、放射性廃棄物に関する参考情報です。

10万年の安全は守れるか 行き場なき高レベル放射性廃棄物
(2012年10月1日(月)放送 NHKクローズアップ現代)から抜粋

原発が生むゴミ 高レベル放射性廃棄物

先月(9月)、日本学術会議が原子力委員会に出した報告書。
高レベル放射性廃棄物の地層処分の方針を白紙に戻すべきだという重い提言でした。

原子力委員会 近藤駿介委員長「大変、ありがたく思っています。よく勉強させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。」

現在、高レベル放射性廃棄物の多くは青森県六ヶ所村に集められています。

地層処分が行われるまでの間、この貯蔵施設で一時的に保管しています。

「オレンジ色のふたがありますが、9個ずつ(廃棄物が)入っています。
1,400個ほどがもう入っています。」

高レベル放射性廃棄物は原発で使い終わった使用済み核燃料から生まれます。
日本では使用済み核燃料を再び燃料として使用するとされていますが、その処理の過程で極めて強い放射能を持つ廃液が出てしまいます。この廃液に高温で溶かしたガラスを混ぜステンレス製の容器に入れるとその後、固まった状態で閉じ込められます。

ガラス固化体と呼ばれる物質。
これが高レベル放射性廃棄物です。
一体、どれほどの放射能を持つのか。

発電に使われた核燃料の放射能は使用前の1億倍に増えます
ガラス固化体にした時点で放射能は少し下がりますがそれでも人が近づけば20秒で死亡するほど危険なものです。もとのウラン鉱石と同じレベルにまで低下するには10万年もの歳月を必要とします。

原発が生むゴミ 高レベル放射性廃棄物 10万年

そのため日本では地下300メートルより深い地層に埋め込む地層処分という方法が国の方針となっています。

地層処分 10万年の安全は

岐阜県瑞浪市。
ここで地層処分の研究が進められています。

地震国日本 問われる地層処分

しかし今回、日本学術会議は地層処分を行うのは地震の多い日本では困難だと結論づけました。

日本学術会議 検討委員会 今田高俊委員長
「千年から万年、10万年先なんていうのは、責任もって大丈夫と言えるような状況ではない。」

学術会議が一つの参考としたのは、地震学を専門とする神戸大学の石橋克彦名誉教授の意見です。

それまで、地震を起こす活断層を避けて処分すれば安全としてきた国の方針に対し、石橋さんは、活断層が見つかっていない場所でも大地震は起きると主張してきました。その根拠の一つとしたのが鳥取県西部地震です。

震度6強の大地震。
起きたのは活断層がないと考えられていた場所でした。

神戸大学 石橋克彦名誉教授
「第2次取りまとめ(1999年)の段階で日本列島の活断層は赤い線が引かれていて、地震の起こらない真っ白な土地が広大にあると言っているわけですけれども、2000年の鳥取県西部地震というのは、赤い活断層がまったく引かれていない所で、マグニチュード7.3の地震が起こってしまったわけですから。」

さらに東日本大震災から1か月後、福島県いわき市で起きた震度6弱の地震。このとき石橋さんが指摘していた、もう一つの問題が発生していました。地震による地下水の変動です。地震があったその日から住宅街の真ん中で大量の地下水が湧き出てきたのです。

「毎秒4リットルぐらい。」

産業技術総合研究所 地質情報研究部門 風早康平博士
「全然終わる気配がなくて1年半経っても出続けているということになっています。」

活断層がずれたことによって地下水の道に大きな力が加わり水を地表まで一気に押し上げたと考えられています。大きな地震が起きると岩盤という天然のバリアが機能しなくなる可能性があると石橋さんは指摘しています。

神戸大学 石橋克彦名誉教授
「今現在われわれの世代で『ここなら10万年間大丈夫です』という場所を選べるか具体的に指定できるかというとそれはできない。一言で言えば、この日本列島で地層処分をやるというのは未来世代に多大な迷惑をかけるかもしれない、かける可能性のある非常に無責任な巨大な賭けだと思う。」

ゲスト植田和弘さん(京都大学大学院教授)

●“原発のゴミ”問題 なぜ置き去りに?

これはやはり、放射性廃棄物だけ特別扱いするというか、そういうことが続いてきたことが、結果的にこういうことになったと思うんですね。実は一般の廃棄物については、1970年、公害国会のときに廃棄物処理法が出来ていますけれども、考え方としては、その廃棄物、生産をするというのは廃棄物が出るわけですが、その廃棄物をちゃんと処分できるという状況が作られないと、生産はできないんだと、こういうことだと思うんですね。

今、日本の工場で、最終的な処分の廃棄物の処分場所が決まってない工場はないと思います。あるとしたらそれは法律違反だと、こういうことになる訳ですね。

ところが、放射性廃棄物だけは1957年に、放射性廃棄物については、原発の場所で管理すると、こういうふうにされたままで、ずっとそれがそのまま続いてきてて、それが2000年のときに、やはりあふれ出そうになるわけですから、最終処分を決めないといけないという法律が出来て、2002年から公募するというようなこともしますけれども、結果的には全く応募もないということで、ずっと放置されてきたと、こういうことかと思います。

●福島第一原子力発電所の事故で見つめざるをえなくなったのか

福島の原発事故というのは、もちろん、事故リスクの問題をね、原発の事故リスクを大きく顕在化させたと思いますが、同時に、原発という技術の持っているいろんな問題を表に出したと、その一つとして、放射性廃棄物の問題はあったと思いますね。

これは、私は廃棄物の問題を考えるときの原則なので、これは産業廃棄物に共通していると思うんですが、やっぱり何か生産するというときは、廃棄物がどうなってるかというのが、明確にならないと本当は生産してはいけないと、そういう原則が本当は確立しないといけない、適用されるべきだったと思うんですね。

でも、放射性廃棄物の問題は、やはり私たちも電気の、コンセントの向こう側のことをあまり考えないまま、電気を使ってた面がやはりあったと、そういうこともあったと思います。

http://www.nhk.or.jp/gendai/articles/3254/1.html

ゴミを捨てないで!あなたの良心を信じます。 東京電力

人間が20秒で死ぬ「ガラス固化体」管理は10万年!?〈週刊朝日〉
(2012年10月26日号 週刊朝日)から転載

 日本学術会議が高レベル放射性廃棄物をパックしたガラス固化体の地層処分の見直しを提言し、原子力委員会に報告した。早稲田大学国際教養学部教授の池田清彦氏はそのニュースを聞いて、学術会議もようやくまともなことを言い出したという想いと、人類は10万年も先まで生存しているのだろうかという想いが錯綜し、ちょっと複雑な気持ちになったという。

*  *  *

 御承知の方も多いと思うが、ガラス固化体は使用済み核燃料を再処理する際に必ず生産されるもので、極めて強い放射能を有し、そのすぐそばに人間が立つと約20秒で致死量の放射線を浴びるというすさまじい物体だ。現時点までに日本国内の原発で使用された核燃料をすべて再処理した場合、約2万6000本のガラス固化体になると推定される。

 問題はガラス固化体の放射能は10万年経たないと安全なレベルにならない点だ。そこで30~50年ほど冷却しながら保管したあとで、地下300メートル以深の地層に埋めてしまおうというのが地層処分だ。しかし、地震のみならず、火山大国日本で、10万年も安定した地層を探すことは不可能であり、別の方法を考えろと学術会議は言っているわけだけれど、別の方法はあるかと言うと、どう考えてもないんだよね。

 原発を動かす限り、放射性廃棄物はどんどん蓄積し、未来世代は膨大な国の借金のみならず、膨大な量の放射性廃棄物に悩まされることになりそうだ。借金はハイパーインフレを起こせばチャラにできるが、放射性廃棄物にはいかなる手段をもってしてもチャラにできない。日本の政策を決定する議員や官僚は、今さえ凌げれば後は野となれ山となれと思っているのであろう。

 それにしても10万年も管理しなければ安全にならない装置って、いったい何なんだろう。現生人類はわずか1万年。化学燃料を大量に使い出してから200年しか経っていない。10万年とは言わず、1万年後のガラス固化体の面倒を誰が見るのだろう。自民党も民主党も電力会社もまず間違いなく消滅していると思いますがね。

池田清彦

福島のフレコンバッグの山

2017/01/22

世界富豪トップ8人の資産が、貧困層36億人分と同じ

「フェアトレード」といわれる仕事を30年やってきて、この30年間で最もショックを受けた報告があります。それは、2016年のデータを集計したもので「世界で最も裕福な8人の資産の合計」と「世界の経済的に恵まれない36億7500万人(世界人口の半分)の資産の合計」がほぼ同じだったという報告です。今の為替レートで見ると、36億人の資産は1人平均約1万3000円で、8人の平均資産は約6兆円。実に4.6億倍にもなります。「貧富の格差が過去にない極限状況」に達しています。

こうした巨大な格差は、日本にも広がっています。
アベノミクスによって日本の富裕層上位40人の資産は1.9倍に増えましたが、逆に貯蓄ゼロ世帯は427万世帯も増加し、1788万世帯(全世帯の35.5%)が貯蓄ゼロとなっています。富裕層上位40人の資産14兆5000億円は、経済的に恵まれない6300万人(日本の人口の半分)の資産に相当します。

格差が広がるの中で、日本は特に、一人親家庭の貧困率が高くなり(54.6%でOECDにデータがある34か国中でワースト1位)、食べものに飢えた子どもたちも増えています。(そうしたことから市民による「子ども食堂」が急増していますが資金不足が課題です)

かつてない経済格差の拡大は、富裕層をより裕福にし、貧困層をより貧困にし増やしています。これ以上お金は必要ない人の所にお金が集まり、必要な人たちには届きません。世界の過半数の人々が、このことで苦しんでいます。

富裕層トップ8人の資産、36億人分と同額 NGO試算
(2017年1月16日 朝日新聞)から抜粋

 国際NGO「オックスファム」は16日、2016年に世界で最も裕福な8人の資産の合計が、世界の人口のうち、経済的に恵まれない下から半分(約36億人)の資産の合計とほぼ同じだったとする報告書を発表した。経済格差の背景に労働者の賃金の低迷や大企業や富裕層による課税逃れなどがあるとして、経済のあり方に抜本的な変化が必要だと訴えている。

 スイス金融大手クレディ・スイスの調査データと、米経済誌フォーブスの長者番付を比較して試算した。下位半分の資産は、上位8人の資産の合計約4260億ドル(約48兆6千億円)に相当するという。

 報告書は1988年から2011年の間に下位10%の所得は年平均3ドルも増えていないのに対し、上位1%の所得は182倍になり、格差が広がっていると指摘している。経営陣に比べて労働者の賃金が上がっていないことや、大企業などがタックスヘイブン(租税回避地)を使って納税を回避することで発展途上国を中心に税収が減り、下位の層に影響を与えていることが背景にあるとしている。

 オックスファムは富裕層などへの課税強化などを呼びかけ、国内総生産(GDP)の成長を政策目標に掲げるのは誤りで、経済規模でなく、富の分配を反映した指標の採用が必要だとも指摘した。

世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有
(2017年1月16日 OXFAM JAPAN)から抜粋

格差問題に関する最新の報告書「99%のための経済(An Economy for the 99%)」では、富める者と貧しい者の間の格差は、これまで考えられていたよりも大きく、世界で最も豊かな8人が世界の貧しい半分の36億人に匹敵する資産を所有していると発表しました。

納めるべき税金はなるべく回避する。支払うべき賃金はなるべく抑える。カネの力で政治を動かし、経済のルールを自分たちの都合のよいように書き換える。こうした方針を取る大企業や大富豪が、格差の拡大を加速させています。経済によってごく少数の幸運な人々だけではなく、すべての人々が恩恵を受けるためには、その仕組みとあり方に根本的な変革が必要です。

世界は今、99%のための経済を必要としています。経済を私たちの手に取り戻し、「ヒューマン・エコノミー(人間らしい経済)」を実現しなければなりません。

各国政府は、労働者に適正な賃金が支払われるよう保障し、租税回避を阻止するだけでなく、競って法人税減税を推し進めるようなことをやめるために協力、協調しなければなりません。そして、株主の利益だけでなく、従業員の利益と社会への貢献を考える企業への支援を惜しんではなりません。

※詳細はコチラ

最富裕8人と36億人の総資産が同じ 6年前388人から8人に

◆世界富豪トップ8人の資産、貧困層36億人分と同じ=慈善団体
(2017年01月16日 BBC NEWS JAPAN)から抜粋

国際NGOのオックスファムは15日、世界で最も富裕な8人が、最も貧困な36億人分と同じ資産を所有しているとの推計を発表した。

オックスファムのライト氏は、経済格差が政治の2極化を加速させていると指摘し、その例として米大統領選でのドナルド・トランプ氏の勝利や、英国の欧州連合(EU)離脱を決めた国民投票を挙げた。同氏は、「人々は怒っており、別の選択肢を求めている。どんなに一所懸命働いても自分たちの国の成長の分け前を得られないために、取り残されたと感じている」と語った。

*****引用はここまで*****

江戸時代の医師であり、哲学者でもあった三浦梅園は「経済には、独り占めの経済(乾没)と分かち合いの経済(経世済民)の二種類がある」と言いました。

経済の語源である「経世済民」の「経世」は世の中を治め「済民」は民を救うという意味です。「世の中を平和にして人々を幸せにする」ことが、経済の本来の役割だというのです。そして、梅園がこうなってはいけないと言っていたもう一つの経済が「独り占めの経済」であり、いずれは乾いて没する「乾没」です。現代は、まさに「乾没の経済」がどんどん強まっており、近代資本主義250年の歴史の中で、最も経済格差が広がっています。

「自分の利益」「自社の利益」を何よりも優先する人々や企業は、多くの人々が貧困で苦しんでいても、自然環境が破壊され汚染されても、心を痛めません。より利益を多くするためなら法律まで変えて、反対するものを抑え込んでいきます。

日本と世界が、そして、地球の生態系が「乾いて没する」前に、私たちは、政治、経済、社会を変える必要があります。

【「子どもたちに美しい自然を残したい」という村長が逮捕された】より

2016/08/22

オリンピックが終わったブラジルの「もうひとつの物語」

赤いコーヒーとカルロスさん

今から89年前の1927年8月22日、ブラジルのミナス州マッシャード市に
カルロス・フェルナンデス・フランコは生まれた。

ジャカランダ農場の遠景

第二次世界大戦後、ブラジルでは少しずつ化学肥料や農薬が使われるようになった。
研究熱心なカルロスの父イザウチーノはすぐに化学肥料を導入したが、農薬については
コーヒー栽培にかけた生涯において、一度も使用することはなかった。(享年75歳)

「1968年頃から、急速に農薬や化学肥料が広まった」とカルロスは振り返る。
それは、ブラジルにおいて国家主導の産業化政策に拍車がかかり始めた時期と重なる。
1968年から74年までの6年間に記録した年平均9.6%の高度成長は、戦後のドイツや
日本の経済復興になぞらえて、「ブラジルの奇跡」と呼ばれた。

こうした高度成長のなか、1.3億ヘクタールという広大なブラジルの耕地は
農薬や化学肥料を売りつける企業、特にドイツやアメリカの企業にとっては
格好の投資対象となり、積極的な販売活動が展開された。
欧米ではすでに使用禁止になった農薬までもが
まだ充分な規制が確立されてないブラジルに入り込んできた。

ブラジル全国の農薬消費量 年次推移

ジャカランダ農場に対する営業活動もすさまじかったという。
化学肥料を販売する企業は8社、それ以上の企業が除草剤や殺虫剤を販売に来た。
1時間に1本は、そうした営業案内の電話がなる。企業から派遣された農学者が
実験データを持って農場に出没し、その対応に追われた。
「試しに使ってみるなどと言ってしまうと、次から次へと新しい農薬を売り付けてくるので
口を滑らせないように気をつけました」とカルロスは言う。

除草剤を散布した場所で小鳥の死骸を見て以来、カルロスは農薬に対して危機感を抱いていた。
ある日、コーヒー栽培の講習会があり、農薬を使用している農場を見学していたときのこと。
「コーヒーの実には農薬が散布されているので食べないでください」という注意があったのに
いつもの習慣でカルロスはコーヒーの実を口に入れてしまう。
その瞬間、口の中がはれあがっていくような感じがして、吐き出し、すぐに水でうがいした。

マノエラ農場のよく実った赤いコーヒー

こうした経験もあって、カルロスは少量の農薬しか使わないようにこころがけた。
そのためジャカランダ農場では命に関わる重大な事件は起こらなかったが、それでも
農薬を散布した後に頭痛を訴えてくる作業員がでてきた。

周辺の農場では、農薬が散布されたバナナを食べた農場の子どもが中毒症状を起こしたり
農薬を溶かした水を飲んだ牛が死ぬ事件も起きた。

その事件から2年後、当時サンパウロ大学で生化学と薬学を学んでいた娘のテルマ
「中毒学」を受講した後、父カルロスに農薬の取り扱いに関する注意事項を
こと細かく書き込んだレポートを送った。

○農薬散布時における人体保護機材として、手袋、長靴、自然ゴムでできた前掛け、帽子、長袖シャツ、防水性の作業着、防塵用マスク、保護眼鏡を必ず使用すること。
○使用後、全ての機材はきれいに洗い、安全な場所に保管すること。
○農薬の調合は密閉された室内で行わず、屋外で行うこと。農薬散布は風下に向かって行い、また、強風のときは行わないこと。
○農薬が肌に着かないよう充分注意し、粉、あるいは噴霧液を吸い込まないようにすること。
○散布後は、石鹸と水で手を洗い、その他の部分で農薬に触れたところもよく水洗いすること。
○農薬のかかった作業着はただちに取り替えること。
○農薬を包んだ紙や包装物は焼却すること。
○農薬の入っていた缶やビンは穴を掘り埋めること。
○散布時には仲間の作業者が近くにいないかよく確かめること。
○作業中、あるいは作業終了後、農薬散布地に子どもや動物を近づけないこと
・・・(さらに注意事項は続いた)

このレポートを読んだカルロスは「農薬の使用は生産者にとっても
消費者にとっても自然環境にとってもよくない」と判断した。
1978年からコーヒー園における農薬の使用を減らし、2年を経ずして完全に停止させ
農道に繁る生命力の強い牧草の処理に使っていた除草剤も1983年から使用をやめた。

ジャカランダ農場のコーヒーは農場に定住するスタッフたちの手により生産される。
16人のスタッフの多くはジャカランダ農場で生まれ、その父、祖父たちもまたここで働いていた。
カルロスにとって農場のスタッフは家族同然であり、そこには農場主と労働者という
枠組みを越えた関係が成り立っている。

カルロスの助手を務めるジョゼ・アイルトンは、カルロスにこんな相談をしたことがある。
当時、19歳のアイルトンは、日中はコーヒー栽培の仕事をし、夜になるとカルロスの援助により
マッシャード市の農業学校に通っていた。しかし労働の後では疲れて勉強に集中できず、結局
「学校を辞めさせてくれ」とカルロスに申し出た。

忍者のように手を組むカルロスさんとアイルトン

「勉強は大切なことだから続けなさい」と答えたカルロスは
アイルトンがマッシャード市に寄宿して、学業に専念できるように手配し
彼が授業に出ている間の給料も保証した。

その理由について、「私もアイルトンの年令のときには、大学で勉強させてもらった。
どうしてアイルトンもそれと同じことができないというのですか。全く当たり前のことを
しているだけです」とカルロスは述べる。
就学のチャンスを与えられているのはアイルトンだけではない。
スタッフの子どもは全て小学校に通い、さらにその先の進学を希望する者には
その機会を与えられる。

カルロスはこう語る。「農場での仕事と生活に誇りをもってもらいたいのです。
田舎だから勉強ができないとか、生活が乏しいというふうに考えてほしくない。
私は彼らにできるだけ教育を受ける機会と、きちんとした家を保証したいと思います」

   *     *     *

1970年以降、ブラジルは急速に産業の近代化を押し進めてきた。
しかしその高度成長の影では、農村の疲弊という社会の歪みが深刻化していた。
大土地所有が拡大するなかで、小規模の農家はますます零細化し、農村に住む人々は
職を求めて、サンパウロなど産業が集中する都市へと流れていった。
都市の人口が爆発的に増大した結果、失業率は高まり、貧困層が形成されていく。

都市化が進み、治安が悪化していくなかで、子どもたちは保護者から守られることなく
街中や路上で麻薬や犯罪に関わるようになる。こうして「ストリートチルドレン」の数は増えていった。

ブラジルのストリートチルドレン

このような状況を少しでも改善するために、1970年からカルロスは
ある慈善協会の活動にボランティアとして関わりはじめた。
その協会は、貧困な家庭の子どもたちを預かる託児所や老人ホームの運営に取り組んでいた。

1977年から協会の理事として活動していたカルロスは、1981年、会長になってほしいと
要請された。それまでと同様に報酬はなく、友人は「おまえの家族はどうなるんだ」と
カルロスを引き止めようとしたが、自らも孤児院の世話をしていた妻のフランシスカは止めなかった。

会長に就任後、カルロスは週の4日を福祉関係の仕事に費やし、残りの3日をジャカランダ農場での仕事にあてた。当時、300人の職員を抱える慈善協会の経営状態は厳しく、給料の遅配も続いていた。経営の建直しのために、カルロスは協会の職員を集めて「今、何をするべきか」というテーマについて話し合う機会をつくった。

経営においてカルロスは、できるだけ経費を節減し、一方で収入を増やすために裕福なお年寄りにこう話した。「あなたが持っている土地を貸して下さい。貸してくれるだけでいいです。私たちはそこにビルを建てて、その家賃を福祉活動の資金にします。あなたの人生を有意義なものにしませんか」と。

こうした努力の結果、カルロスの在籍中に協会は資産を持つまでに至った。

1981年から4年間、会長を務めたカルロスは、1984年にサンパウロ市議会から功労賞を受賞。この間、4つの財団を新たに設立し、その他に「未婚の女性の家」「農村学生の家」などのプロジェクトにも参加した。

   *     *     *

人も自然も大切にするカルロスが、無農薬栽培に切り替えた最大の理由は「いのちを大切にしたい」ということだった。

その決意を固めた背景には、近代農業に対する疑問があった。その疑問、というより憤りについてカルロスはこう語る。
「近代農業は多額の投資を強要します。しかし、農業生産者にはほかの産業のような見返りはありません。農薬、化学肥料、農業機械を販売する商売人と、大量にコーヒー豆を生産する巨大な農場と、それを買い占める商社だけがますます儲けていくシステムのなかで小さな生産者や生産基盤を持たない農村労働者はますます貧しくなっていきます。近代農業がもたらしたこうした状況に対して私は強い憤りを抱いています。」 

「人類の抱えている全ての問題の解決策などあるものではありません。私は、私のできる仕事のなかで、出来ることから取り組みたいと思っています。そのような理由から私は有機農業を始めました。有機農業は自然を痛めません。多くの手間を必要とするため、たくさんの人の仕事をつくりだしてくれます。病気の力を弱め、飢餓を追放する食糧の生産が可能です。豊かさを生み、あらゆる階層の人々にそれを配分できます。」

1970年頃から化学肥料は、急速にブラジルの大地に浸透するようになっていった。化学肥料を多用すると、最終的には土壌のバランスが崩れ、地力は衰える。そのためコーヒー樹は病害虫に抵抗できず、殺虫剤や殺菌剤の助けなくしては実をつけることもできなくなる。
しかし、化学肥料の投入により人工的に豊富な養分を与えられたコーヒー樹は一時的ではあるが、安定した収穫を約束してくれる。

即効性のある化学肥料を使わずにコーヒーを栽培するためには堆肥を施し、時間をかけて地力の豊かな土壌を培っていかなくてはならない。そして、その土作りの過渡期においては、大幅に収穫が減少する可能性が高かった。

農場への被害を軽減するために、カルロスは段階的な有機栽培への移行を試みる。86ヘクタールの農地を4つの地区に分け、1年を経るごとに有機栽培の地区を1つずつ増やし全ての地区で有機栽培のコーヒーを生産することができた。

有機栽培を試みるなかで、カルロスが多くの時間をかけているのが土壌の分析である。農場を22の地区に分け、深さ20センチまでの土を採取。それを土壌分析の専門会社に送って土中に含まれる13種類の要素の含有量を分析する。
その数値に応じて、それぞれの農地に必要な堆肥の量、土壌矯正用の石灰の散布量、不足している養分の補給量を決め、年間作業計画のなかに組み込んでいく。

カルロスは農場内をよく歩き、コーヒーの樹を観察する。できるだけ多くの場所の葉や土に触れて、農場全体の様子を把握する。「コーヒー樹や土と対話している」と言ってもいい。

その1

そのような努力も数年間は実を結ばなかった。

農薬も化学肥料も使わなくなった最初のエリア(5.7ヘクタールの耕地)に植えられた6000本のコーヒー樹の葉は黄色く染まり、枯れてしまうのではないかと心配した。この年の収穫は大幅に減少し、その影響は翌年の収穫にまで及んだ。

コーヒー樹は非常に繊細な植物で、霜がくればすぐに枯れてしまう。1993年に起こった霜害は、ブラジル全体の収穫量を3割以上も減少させた。ときには天から氷の粒が落ちてくる。1996年にジャカランダ農場を急襲した雹(ひょう)は、12.000本のコーヒー樹の花芽や葉を打ち抜き、地面へと叩き付けた。

何年もの歳月をかけて育ててきた有機栽培のコーヒー樹が、身ぐるみ剥がれた状態になるまで5分もかからなかった。被害を受けた4.5ヘクタールの耕地はたくさんの収穫を期待できる場所だったが、花芽を失ったコーヒー樹に実は付かず、この地区からの収穫はほとんどなかった。

こうした自然の被害を受けながらも、カルロスは有機栽培に取り組み続けた。そして、少しずつ生産量が回復していった。

カルロスは有機栽培コーヒーのパイオニアとして、いくつかの新聞に紹介され、農業学校で講師として話をするようになっていた。コーヒー園を見学に来て、有機栽培を志す生産者も増える中で、カルロスは「できれば、地域全体を無農薬にしてエコロジーの里を作りたい」と語った。

その後、カルロスは、ブラジルの3つの州で「有機コーヒーフェアトレード国際会議」を
開催するなどして有機農業に取り組む生産者とそれを支える消費者を増やしていった。

「すべての生命はつながっていて、そのつながりによって私たちは生かされています。分かち合うこと、助け合うことが、私たちにこころからの平和と豊かさをもたらしてくれます。
本当に豊かな生活とは、自然と共にあって、未来世代に希望を残していくことではないでしょうか」

そのように考え、人と自然を大切にして生きたカルロスは、2003年7月に亡くなった

翌2004年5月、ジャカランダ農場があるマッシャード市は、市議会の承認を得て、ブラジル初の「有機コーヒーキャピタル(首都)宣言」を行ない、市をあげて有機栽培の首都になることを宣言した。カルロスの夢でもあった「地域全体を無農薬にしてエコロジーの里を作りたい」という願いに少し近づいた。

その2

カルロスさんをモデルに書かれた絵本
『考える絵本 しあわせ』(大月書店 辻信一 文、森雅之 絵)

2016/06/02

原発事故後、東日本で大人にも甲状腺がん増加

甲状腺がん多発原因は、被ばくしかない
(2016年4月24日 女性自身)

津田敏秀教授
(津田教授は「今後どんな疾病がふえるか、症例を把握することが必要」だと語る)

福島県で多発している小児甲状腺がん。依然、「被ばくによる多発だとは考えにくい」という見解を示している県の検討委員会だが、疫学者の津田敏秀氏は、「甲状腺がん(おもに乳頭がん)の外的要因は、放射線被ばくであることは、国際的にも認められており、他の原因が説明できない現状において、甲状腺がん多発の原因は、被ばくしかない」と断言する。

津田氏が、被ばくの影響を裏付けるデータとして挙げているのが、チェルノブイリ原発事故の影響を受けたベラルーシで、〈被ばくの影響を受けていない14歳以下の子ども4万7203人を対象に行った甲状腺エコー検査〉の結果だ。

「被ばくしていない地域の子どもたちには、一例も甲状腺がんが見つかっていません。チェルノブイリでも、原発事故後、今の日本と同じように10年以上にわたって、甲状腺がんの多発は、『スクリニーング効果だ、過剰診断だ』と論争が続いていました。でも、このデータが、論争に終止符を打ったんです。やっぱり被ばくの影響だ、という確証になりました」(津田氏)

また、「チェルノブイリで甲状腺がんが増えたのは、原発事故後5年目から。福島は早すぎるので被ばくの影響とは考えにくい」とする検討委員会の意見に対しても、「チェルノブイリでは、爆発的に甲状腺がんが増加したのが事故後5年目以降であって、事故の翌年からはっきりとした甲状腺がんの多発が始まっていました」と反論する。

「ぜひ、みなさんには、こうしたデータをしっかりご覧になったうえで検証してほしい」と話す。

また、津田氏は、チェルノブイリ原発事故のあと、小児甲状腺がん以上に、大人の甲状腺がんが増えたことや、その他の疾病も増えたことなどを例にあげ、「今後、どんな疾病が増えていくのか、しっかり症例を把握していく必要がある」と警鐘を鳴らしている。

取材・文/和田秀子

甲状腺がんは、子どもにも大人にも増えている
福島原発事故後に甲状腺ガン 20歳女子の悲痛な日々 
2度の手術も、リンパや肺に転移。弟2人も甲状腺にのう胞が…

(2015年9月25日号 FRIDAY)から抜粋 取材・文/明石昇二郎(ジャーナリスト)

福島原発事故後に甲状腺ガン 20歳女子の悲痛な日々(フライデー)

「小児甲状腺ガンという診断をうけたときは、『えっ!? なにそれ』という感覚でした。それまでなんの自覚症状もなかったんですから。ガンがリンパや肺にも転移し、その後2回も手術を受けることになるとは思っていませんでした」
こう明かすのは福島県中部(中通り地方)に住む、20歳の女性Aさんだ。

8月31日の福島県の発表によると、11年3月の福島第一原発事故発生当時18歳以下だった県民36万7685人のうち、甲状腺ガン、またはその疑いがあるとされた人は137人。発症率は10万人あたり37.3人で、通常の100倍近くも高い。とくに左ページ下の地図で示した「汚染17市町村」の発症率は 10万人あたり42.9人で、ガンが見つかったAさんも同地区内で悲痛な日々を過ごしている――。

福島県内「避難7町村」と「汚染17市町村」-汚染地図

東日本大震災が起きた当日は、Aさんの中学校の卒業式だった。原発事故直後の3日間は外出をひかえていたものの、その後は通常の生活を続けていたという。 「県立高校への進学が決まっていました。事故から1週間後には、制服を注文するため母と一緒にJR福島駅前にあるデパートに出かけたんです。高校入学をひ かえ た子どもたちが押しかけ、デパートは超満員。建物の外にまで行列がのび、私たちも30分ほど屋外で待たされました」(以下、ことわりのない発言はAさん)

当時は県内の空間放射線量が非常に高く、福島市内では毎時約10マイクロシーベルトを記録していた。そうした事実を知らされず、Aさんはマスクをつけずに外出していたのだ。

通い始めた大学も再発で退学

翌年の夏休み。自宅近くで行われた県の甲状状検査で、Aさんに異常が見つかる。県からは「福島県立医大で精密検査をお願いします」との通知が届く。「ノドが少し腫れていましたが、自分で気づかなかった。県立医大で2回目の精密検査を受けたときに医師から『深刻な状態だ』と告げられ、ガンであることがわかったんです。高校3年の夏休みに手術を受け、甲状腺の右半分と転移していた周囲のリンパ組織を切除しました」

だが、これで終わりではなかった。高校で美術部に所属していたAさんは「ウェブデザイナーか学芸員になりたい」という夢を持ち、卒業後、県外の芸術系大学に進学。入学後の健康診断で「血液がおかしい」との結果が出たのだ。「夏休みに帰郷し、県立医大で検査を受けると『ガンが再発している』と言われたんです。治療に専念するため、通い始めたばかりの大学も退学せざるをえませんでした。10月の再手術では、残っていた左半分の甲状腺とリンパ組織を切除。甲状腺は全摘出することになったんです。肺への転移も判明し、術後しばらくはかすれた声しか出ず、キズの痛みをこらえながらリハビリを続けていました」

生理不順にもなりホルモン剤を投与。今年4月には肺がん治療のため「アイソトープ治療」も受けた。放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲み、転移したガン細胞を破壊するという療法だ。「カプセルを飲む2週間ほど前から食事制限があり、飲み物は水だけ。カプセルを飲んだ後も3日間の隔離生活を強いられます。 強い放射能のため周囲の人が被曝する可能性があるからです。お風呂に入るのも家族で最後。医師からは『トイレの水も2回流すように』と言われました」

Aさんは4人兄弟の長女で、弟2人も「甲状腺にのう胞がある」との診断を受けている。だが県立医大の担当医は、発病と原発事故との因果関係は「考えにくい」としか言わない。

疫学と因果推論が専門の岡山大学大学院、津田敏秀教授が解説する。「もっとも空間線量が高かった時期に、福島県では県立高校の合格発表が屋外で行われていました。生徒も線量の高さを知らされず無用な被曝をしていた。Aさんが暮らしている場所は、住民が避難していない地域で最大レベルの甲状腺ガン多発地域です。Aさんのケースも原発事故の影響である確率が非常に高い」

******* FRIDAY記事の転載は、ここまで ********

福島・見捨てられた甲状腺がん患者の怒り
(2016年4月24日 女性自身)から抜粋

3月に都内で開かれた「311甲状腺がん家族の会」発足記者会見(家族の会提供)
3月に都内で開かれた「311甲状腺がん家族の会」発足記者会見(家族の会提供)

「僕が、がんになったのは、こんな体に産んだお母さんのせいだ! 僕は、どうせ長生きできないんだから、もう放射能の話なんてしないで!」
13年の春、郡山市内に住む川向アキさん(仮名・52)は、次男の隆くん(仮名・事故当時中2)に夜通し泣きながら責められた。「だから私、隆に言ったんです。『お母さんのせいで、アンタががんになったんだったら、死ぬときは、お母さんも一緒に死ぬべ。ぜったいにアンタ一人では死なせねぇ』って」

隆くんは13年に、県が実施する甲状腺検査で、がんと診断され、14年に、福島県が検査や治療をすべて委託している福島県立医科大学附属病院(以下、県立医大)で、甲状腺の片側を切除する手術を受けた。14歳の子どもが”がん”と宣告され、病と向き合う恐怖はいかばかりか。また、見守る親の心情は……。

川向さんが、今回、本誌に胸の内を語ろうと思ったのは、治療を受けている県立医大や福島県の対応が、あまりにも患者の心を踏みにじるようなひどいものだったので、「誰かが訴えなくては」と考えたからだ。

福島県では、原発事故以降、子どもの甲状腺がんが”多発”している。福島県が、原発事故当時18歳以下だった県内の対象者約38万人(受診者は約30万人)に対して甲状腺検査を実施したところ、11年から15年12月31日までに、甲状腺がんの”悪性”ないし”悪性疑い”と診断された子どもは166人、手術の結果、隆くんのように悪性(がん)と確定した子どもは116人にものぼった。

12年ごろから、「福島県では小児甲状腺がんが多発している」と警鐘を鳴らしていた津田敏秀氏(岡山大学大学院環境生命科学研究科教授)は、「もともと小児甲状腺がんの発症率は、全国平均で年間100万人当たり約3人。ところが福島県内では、この4年間で約30万人中、がんと確定した人が116人。これは、全国平均の約30倍。あきらかな多発です」と、その深刻さを訴える。

小児甲状腺がんは、86年に起きたチェルノブイリ原発事故のあと、ロシアやウクライナ、ベラルーシなどで多発。原子力を推進するIAEA(国際原子力機関)でさえ、被ばくとの因果関係を認めざるをえなくなった唯一の病だ。

しかし、これまで国や福島県は、これほど福島で小児甲状腺がんが増えているにもかかわらず「いっせいにエコー検査したことで、将来見つかるがんを前倒しで見つけている。いわゆる”スクリーニング効果”だ」として、多発すら認めていなかった。ところが、県民健康調査(注)に対して専門家の立場から助言するためにつくられた、「県民健康調査検討委員会(以下、検討委員会)」が、3月末に発表した「中間取りまとめ」では、福島県で小児甲状線がんが”多発”していることを、ようやく正式に認める形となった。つまり、スクリーニング効果では説明がつかないほど増えてしまったというわけだ。

「息子の目の前でがん告知で、顔面蒼白に」

 この発表に先立ち、去る3月12日には、福島県の検査で、子どもが小児甲状腺がんと診断された5人の子供の家族が、「311甲状腺がん家族の会」(以下、家族の会)を発足。東京都内で記者会見を開いた。冒頭の川向さんや、記者会見に出席していた患者の親の話を聞いていると、福島県から委託されて甲状腺がんの検査や治療、分析まで一手に引き受けている、福島県立医大の対応のマズさ、ずさんさが見えてきた。
「息子の目の前で、あなたはがんですよ、と伝えられたときはものすごくショックでした。息子は顔面蒼白になって、イスにも座っていられないような状態でしたから。私自身も、目の前が真っ暗になって……。気が遠くなりましたね。息子も、その後数日間は、かなりふさぎこんでいました」

記者会見でそう話していたのは、福島県中通り地方に住む、事故当時10代だった息子の父親。がんの告知も含め、医師からの説明は、わずか10分足らず。いまや常識となっているセカンドオピニオンの説明もなかったという。

「思春期の子どもに対して、あの告知の仕方はないんじゃないかな……」父親は記者会見で、そうもらした。家族は福島から中継で、顔を隠しながらの会見だった。実際に子どもが県立医大で治療を受けている手前、表立って批判しづらいという事情もある。「子どもを人質にとられているようなものだ」と話してくれた患者の母親もいた。

今回、つらい心情を語ってくれた川向さんの場合も、告知のされ方はひどいものだった。「私たちが診察室に入ると、先生は、しばらくパソコンの画面やエコー画像を眺めて『う―ん』とうなっていたんですが、いきなり「乳頭がんですね、手術しましょう」と言われました」
川向さんの次男、隆君も顔面蒼白になり、親子共々、なにも言葉を発せなかったという。通常は行われるエコー画像を見せての詳しい病状の説明もなく、次の検査の予約をとっておきます、と告げられ、10分ほどで終了。

「病院の廊下は、二次検査を受けるために来た子どもたちでいっぱいでした。告知がわずか10分で終わってしまうのも、人手が足りないからでしょう」

通常は、病院の対応が気に入らなければ、病院を変えればすむ。しかし、福島県内には甲状腺の専門医が少ないうえ、国や福島県は、原発事故による被ばくの影響を調べるために、すべての検査データを県立医大に集約しようとしているためマンパワーが不足している。さらに、県が実施している検査の枠組みから外れると、受診しづらいという事情があるのだ。実際に、患者が一般の病院を受診しようとしても、拒否されるケースがあった。

記者が取材した別の母親は、子どもが県で受けた甲状腺検査でB判定(二次検査が必要)の通知が送られてきたので、県立医大に「二次検査はいつ受けられますか?」と問い合わせたが、「いつできるかわからない」との回答を受けた。「早く二次検査を受けて安心したい」と思った母親は、県内の別の医療機関で検査の予約をとり、子どもを連れて行くことに。しかし、検査当日に病院に行くと、医師から、「うちでは診られません。県立医大に行ってください。これからずっと医大で診てもらうようになるんだから、個人の病院で検査することはできないんです」と言って帰されたという。

結局、県立医大で二次検査を受けられたのは、B判定の通知が送られてから約半年後。その間、母親も子どもも、「がんだったら、どうしよう」と、不安な日々を過ごした。結果は、がん。リンパ節にも転移が見られた。「検査を待たされている間に、もっと進行していたら、と思うと、今考えてもおそろしい」と、母親は振り返る。病院の対応が後手にまわり、患者がおきざりにされている現実があった。

ほかに母親が疑問に思うことは、なぜ、わが子が甲状腺がんになったのかということ。「原発事故の影響で甲状腺がんになるかもしれないと言われ、実際に受けた検査でがんが見つかったんです。それが放射能のせいかどうか、知りたいのは当たり前です」と、前出の川向さんは言う。

しかし、いままで医師からきちんとした説明はない。それどころか、川向さんが主治医に「どうして、うちの子は甲状腺がんになったのでしょうか。やっぱり、放射能の影響なんでしょうか」と尋ねたら、主治医は、頭ごなしに、こう言った。「そんなのは(がんは)前々からあったんだ!」 川向さんは、それ以上聞けなくなり、「そうですか……」と、うつむくしかなかった。

過去の公害問題の過ちを繰り返そうとしている

 前出の「検討委員会」の中間取りまとめでは、(現時点で完全に影響は否定できないものの)「放射線の影響で多発しているとは考えにくい」と結論づけている。その理由として、あげている主なものが、「将来的に臨床診断されたり、死に結びついたりすることがないがんを、(いっせいに大規模に検査することで)多数診断している可能性がある」という点だ。これを”過剰診断”という。この説明に従えば、これまで手術を受けた116人の子どもたちの中には、「しなくてよい手術を受けた子どもが含まれている可能性がある」ということになる。

県立医大で甲状腺がんの手術を行っている鈴木眞一教授に尋ねてみたところ、「手術は、診療ガイドラインに沿って行っています。手術をせずに経過観察をしていたらどうなっていたかを知る術はありません」という趣旨の回答が文書で寄せられた。

だが、実際に、手術を受けた子どもや保護者は、心中穏やかではない。「家族の会」は4月12日、「ほんとうに不必要な手術が行われていたのなら、許されない」として、現在までに施行されている手術のうち、何例が必要のない手術だったのか明らかにすることや、医療過誤に詳しい専門家を集めた第三者検証機関を大至急設置し、手術の検証を行うことなどを求める要望書を、検討委員会に提出した。

「家族の会」の世話人を務める武本泰さん(郡山市在住)は、「過剰診断説が声高に叫ばれたら、検査を受けないほうがよいと思う県民が増える。そのせいで、重篤な症状に陥る患者が出てきた場合、福島県や医大は訴えられる可能性もあるのでは」と危惧する。実際に、最近では検査の受診率が低下しているのだ。

こうした現状を、福島県はどう見ているのか。担当者に問い合わせたところ、「県としては、検査を受けたい人が受けられるように案内していく。検査を受けていない人が、万が一、予後の悪い甲状腺がんになった場合は、自覚症状が出るハズ。それから受診したらいいのでは」と、無責任な回答だった。

これに対し、早くから福島県での甲状腺がん多発を警告していた前出の津田氏は、「過去の公害問題などでくり返されて来た過ちを、再び堂々とくり返そうとしている。犯罪的だ」と述べた。さらに、「すでに議論をしている時期はすぎた」として、医療体制の整備や、県民へのリスク喚起など対策を急ぐべきだと語る。

最後に川向さんはこう訴えた。「甲状腺がんは、予後がいいから大丈夫、なんていう専門家もいますが、急にしこりが大きくなったり、すでに肺転移や再発をしたりしている子もいる。盲腸じゃないんですよ、がんなんです。私たちは日々、転移や再発を心配しながら生活しているんです」

******** 女性自身の記事はここまで ********

福島 県民健康調査 甲状腺検査の結果(2015年12月31日現在)

報道ステーション古館 甲状腺「がん」「疑い」167人に

福島原発事故が発生(*)した当時、福島県にいた18歳以下の子どもに、2011年10月から甲状腺検査を始めました。その結果、甲状腺がんとがんの疑いは、合計で166人になりました。(117人が手術を受けて、1人が良性で116人が悪性と判明しています)
*今も原発事故は収束しておらず、放射性物質は環境に放出され続けています。

福島-県民健康調査 先行検査116人、本格検査51人、合計166人(2015.12.31現在)

先行検査では、スクリーニング効果(通常は、病気の症状が出てきて検査をするが、スクリーニング検査では、症状がない人も一斉に検査することで、通常よりも多くの病気が見つかること)によって、通常よりも多くの甲状腺がんが見つかっていると言われています。しかし、津田敏秀・岡山大学教授によれば、通常スクリーニング効果で現れるのは、数倍程度(10倍以下)であるため、福島の場合は「けた外れに多い」ということ、そして、スクリーニング効果は1巡目の先行検査でほとんど刈り取られている(harvest 効果)ので、2巡目の本格検査にはあまり出ないはずですが、福島の場合は本格検査でも多発しているため、スクリーニング効果で説明できなくなっています。

ここまでは、子どもたちを見てきましたが、
甲状腺がんは大人世代にも全国的に増えてきています。

甲状腺がんは子どもだけでなく、大人にも増えている

大人も含む「甲状腺がんの手術数」を原発事故前の2010年事故後の2013年を「DPC対象病院」で比較すると、九州・沖縄の甲状腺がん「手術数」の増加は 1.07倍の増加ですが、南関東では 1.52倍、北関東では 1.83倍、東北では 2.18倍、そして 福島では 2.78倍に増加しています。(福島県の2.78倍には、子どもたちのスクリーニング検査の数字は入っていないようです)

九州・沖縄 1.07倍<南関東 1.52倍<北関東 1.83倍<東北 2.18倍< 福島 2.78倍

東北地方の「甲状腺がんの手術数」は、以下のように増加してきています。
*元データ(2010年度〜2012年度 2013年度

東北地方の「甲状腺がんの手術数」-2010-2013-年次推移

2010-2013-東北の甲状腺がん-年次推移(表)

関東地方の「甲状腺がんの手術数」は、以下のように増加してきています。

2010-2013-関東の甲状腺がん-年次推移(合計なし)

東京は人口が多いので、手術数も多く目立ちます。逆に群馬は人口が少ないので目立ちにくいのですが、2010年と2013年の手術数を比較すると2.88倍に増えています。茨城も2.26倍と多く、東京は1.62倍、関東全体は1.55倍となっています。

2010-2013-関東の甲状腺がん-年次推移(表)

九州地方の「甲状腺がんの手術数」は、以下のように推移してきています。
どの県も右肩上がりではありません。

2010-2013-九州の甲状腺がん-年次推移(合計なし) (1)          
   (大分県には、甲状腺がん治療実績で全国2位の野口病院がある)

2010-2013-九州の甲状腺がん-年次推移(表)

九州、近畿、関東、東北は、それぞれ次のように推移しています。
東北と関東だけ増え続けています。

2010-2013-九州・近畿・関東・東北の甲状腺がん-年次推移(合計なし)

2010?2013-大人含む甲状腺がん-比較(東北・関東・近畿・九州)

ここまでは、甲状腺がんを見てきましたが、その他の病気も増え始めています。
特に、チェルノブイリで最も多い死亡原因になっている心臓の病気が増加しています。

チェルノブイリと同様に、心臓病も増え始めている

チェルノブイリ原発事故の後、甲状腺がんだけでなく様々な病気が増えました。(NHK ETV特集『 チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告 第2回 ウクライナは訴える 』) 特に、心臓や血管の病気(循環器系疾患)で亡くなる人が急増しました。そこで、福島の循環器系疾患を調べてみましたが、原発事故前より増加し、全国平均との差が拡大しています。

循環器系の疾患・心疾患・脳血管疾患の死亡率 福島/全国

心疾患の中でも目立つのが「急性心筋梗塞」の死亡率で、この5年間で全国平均の1.9倍から2.5倍に増えています。(全国1位) 全国平均より2.5倍も多いというのは異常なことです。

急性心筋梗塞-福島/全国 2009-2014-年次推移
*データソース(政府統計)

原発事故の前から福島に心臓病が多い理由の一つは、塩分の摂り過ぎなど「生活習慣病」もあるかもしれませんが、塩分摂取が多い東北の中でも、特に福島県の心臓病が多い理由には、放射能の問題があると思います。なぜなら、福島には原発が10基もあったことと、明らかになっている「小さな事故」だけでも沢山あるからです。しかも、日本で最初の臨界事故まで起こしています。それを29年間も隠ぺいしていました。東京電力は隠ぺいやデータの改ざんを繰り返しやってきました。そうした体質の中で、過去に10基の原発が、いつ、どれだけの放射性物質を放出しているかは分かりません。

原発は事故が起こらなくても日常的に放射性物質を放出するため、原発に近いほど病気が増えています(ドイツ政府の調査で、原発から5km圏内の小児ガンは全国平均の1.61倍、小児白血病は2.19倍) 福島にある10基の原発は、それに加えて「小さな事故」もいっぱい起こしてきたので、心臓病が増えてもおかしくないと思います。

そして、急性心筋梗塞よりも急増しているのが慢性リウマチ性心疾患です。

慢性リウマチ性心疾患 死亡率 年次推移 福島と全国

これは、慢性リウマチ性心疾患の死亡率の全国平均と福島県とを比べたものですが、福島は原発事故の翌年から急増して全国平均の約3倍も死亡率が高くなっています。(全国1位)*データソース(政府統計)

チェルノブイリでは、原発事故から5年後に「チェルノブイリ法」を制定

年間被ばく線量が5ミリシーベルト以上の地域には「移住の義務」
1~5ミリシーベルトの地域には「避難の権利」を与えて移住を促進した

チェルノブイリ法 1ミリシーベルト基準 ウクライナ汚染地図

チェルノブイリ原発事故から5年後、ウクライナでは「チェルノブイリ法」を制定して、年間被ばく線量が1~5ミリシーベルトの地域では住民に移住の権利が与えられ、移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供、引越し費用や移住によって失う財産の補償も行われました。

チェルノブイリ法:移住先での雇用と住宅提供 引っ越し費用の補償 喪失財産の補償

移住しなかった住民にも無料検診、薬の無料化、非汚染食料の配給、保養…などの補償を定めて、住民の健康と生活を守ろうとしてきました。(ベラルーシとロシアにも同様の法律ができています)

一方、事故から5年たっても「20ミリシーベルト基準」を撤回せず、20ミリ以下は安全だとして住民を汚染地に戻している日本…そうした政府の横暴に対して、「特定避難勧奨地点」に指定されていた福島県南相馬市の住民ら約530人が、「まだ安全と言えないのに国が指定を解除したのは不当」として、国に解除取り消しを求める訴訟を起こしています。

20ミリシーベルト以下 健康影響なし 福島民報

このままの政策を続けた場合、子ども世代、若者世代、そして、
これから生まれてくる未来世代が大きな健康被害を受けてしまうでしょう。
この非人道的な政府の行為を、私たちはこのまま放置していいのでしょうか。

国連人権理事会は「科学的な証拠に基づき、年間1ミリシーベルト未満に抑えるべきだ」と指摘しています。

東京新聞:甘い年間被ばく基準 遅い情報公開 健康である権利-侵害

(参考サイト)
岡山大学・津田敏秀教授 日本外国特派員協会での記者会見の動画と読み上げ原稿
福島の子ども 甲状腺がん「多発」 原発事故の影響 否定できぬ 津田敏秀・岡山大大学院教授

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