「人権侵害の決定にNO!世界市民法廷の開催にYES!」

「ふくしま集団疎開裁判」からのメールを転送します。

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本日、疎開裁判の最初のアクション「人権侵害の決定にNO!世界市民法廷の開催にYES!」の「ネット賛同」がスタートしました。

是非、ネット賛同に参加していただくと同時に、他の人たちに賛同に参加するように広く呼びかけてていただけたら幸いです。

以下は、昨年暮れの27日、高裁への抗告(異議申立)にあたっての皆さんのコメントです。

申立人のお母さん「私たちは仙台高裁に抗告して必ず子どもたちを守ってみせます」

私たちは仙台高裁に抗告して必ず子どもたちを守ってみせます
12月16日の夕方、判決がでるということで原告の一人である私は柳原弁護士と郡山地裁へ駆け込みました。裁判所の方が私たちに差し出した書類に「却下」という文字が書かれてあるのを見て、一瞬目の前が真っ暗になりました。
 本来なら10月末に判決がでるはずだったものが、約45日も遅れて出された結果がこのようなものだったことに対して次第に私はフツフツと怒りがこみ上げてきました。将来、福島県、いや日本を担う子どもたちを皆殺ししてしまうのか、と。今現在、子どもたちの体に症状が出ていないことをいいことに、司法は行政のやり方に同調しているではないか。100ミリシーベルトを持ち出してきたのには私も驚いてしまいました。

 6月24日に提訴してはや半年、その間、中学3年の息子は体育の授業で外でソフトボールをやったりしていました。中学3年なので、部活動は6月に終わりましたが・・・。でも、中学1、2年生は外の部活動の子どもたちは普通に部活動をしているのです。聞くところによると鼻血が出てきている子どもたちもいるそうです。
 子どもたちにも少しずつ何らかの変調が見られてきているのは確かです。早くて4ヶ月から症状が出てくるとも聞きました。チェルノブイリでは事故から4~5年後に甲状腺がんが多発してきています。どうして日本は、この福島はチェルノブイリの二の舞になろうとしているのだろうか。この判決を受けて私は司法へ怒りから恨みの感情へと変わってきました。
 子どもたちを守ってやれるのは大人しかいないのではないか。郡山地裁の清水裁判長は子どもたちよりも国の方針に従った犯罪者ではないか、とまで思えてきました。

 私たち原告は仙台高裁に抗告して必ず子どもたちを守ってみせます。
                                 抗告人の母

支援者の井上利男さん(疎開裁判の会代表)「疑ってはいけない」

3.11東日本大震災に端を発した東京電力第一発電所の大崩壊からこのかた、わたしたちの福島県は放射性プルームによる汚染に覆われただけでなく、政界・財界・学会が三位一体となった利権集団、いわゆる「原子力ムラ」勢力による放射能汚染地・戒厳令体制にも覆われてしまいました。利益共同体の一翼を担うマスメディアの協力によって、この戒厳令体制は、放射能や放射線と同じように不可視、裸の目には見えなくされています。

福島県内では、戒厳令体制下にあって、憲法や教育基本法、放射線健康障害防止法などのあらゆる国内法規、国連人権宣言、子どもの権利条約など、あらゆる国際法が無視され、県民の命、とりわけ子どもたちの身体生命が放射線被曝による危険にさらされたまま、顧みられることはありません。

12月16日の福島地方裁判所郡山支部による決定――郡山市内の小中学生14人が安全な場所での教育の実施を求める仮処分の申し立てに対して、裁判所は(1)御用学者たちの言説に頼って、「100ミリシーベルト未満の放射線量を受けた場合の癌などの晩発性障害の発生確率に対する影響については、実証的に確認されていない」と一方的に断定し、また、(2)訴訟の趣旨である債権者14人の生存権救済の訴えに対して、郡山市内の小中学生約3万人全員の強制疎開を求めるものであると勝手気ままに曲解して、「棄却」決定で応えました。法の番人たちが民事法制の原則をねじ曲げた結果、暗闇の戒厳令体制を照らすはずだった一筋の光が漏れでる扉が閉ざされてしまいました。

世も末だといいますが、3.11原発大震災以降のこの国は暗闇 …… 一寸先も見えない暗闇に閉ざされてしまいました。司法までもがグルになった戒厳令下の暗闇にあって、未来は見えない。しかし、一寸先が見えない世界だからこそ、希望の胚芽も宿るはずです。

1955年12月1日のことです。アメリカ・アラバマ州モンゴメリーの混みあった市営バスのなかで、42歳の黒人女性、ローザ・パークス夫人が、白人に席を譲るために立つように運転手に命じられましたが、彼女は屈服することにうんざりして拒否しました。運転手が警察を呼び、彼女はモンゴメリー市条例違反で逮捕されました。
この時、彼女は予見していたでしょうか? この事件がマーティン・ルーサー・キングJrの目に止まり、やがて市バス・ボイコット運動が燃え上がって、全米規模の公民権運動が勃興するきっかけとなることを…

あるいは、1989年12月21日、ルーマニアの首都ブカレストの共産党本部庁舎前広場の官製集会で、一人の青年が得意顔のチャウシェスク大統領に向かって「人殺し!」と叫びました。この一声が広場を埋め尽くす民衆の抑圧された怒りに火をつけ、次々と波及した結果、ルーマニア革命の流れが決定し、やがて独裁者は銃殺されるまでになりました。

また、2010年12月17日、チュニジア中部の街シディ・ブジドで一人の青年が警察の横暴に抗議して焼身自殺を図りました。この事件が、ジャスミン革命勃発のきっかけとなり、アラブの春を経て、現在でもオキュパイ運動として全米各地、さらにはヨーロッパ、プーチンのロシアに飛び火し、そしてこの日本でも虐げられた人びとの運動に影響を与え続けています。

一寸先は闇。でも、明日には、世界がどのように動き出すのか、わたしたちの誰にも予測することができません。わたしとしては、予見不可能性のなかにこそ、希望の胚芽を見つけだしたいと思います。
たったいま、わたしたちを覆い尽くしている暗闇の只中で、たったいま身体の内外から放射線で撃たれている子どもたち、孫たちを守るために、新たな一歩を踏み出しましょう。

米国の人類学者、マーガレット・ミードの言葉「疑ってはいけない。思慮深く、献身的な市民のグループが世界を変えられるということを。かつて世界を変えたものは、実際それしかなかったのだから」――この言葉にならって、わたしたちは子どもたち、孫たちが生きてゆける世界を要求し、またみずからの手で創造してゆきましょう!

マーティン・ルーサー・キングJrはワシントン記念塔広場で「I have a dream! わたしは夢を見ている。ある日、不正と抑圧という熱で苦しんでいる不毛の州、ミシシッピーでさえ、自由と正義というオアシスに変わることを」と訴えました。

わたしたちも夢見ようではありませんか。12月16日、福島地方裁判所郡山支部が下した不正と抑圧を告げる棄却決定でさえ、いつか、子どもたちの命を守れと叫ぶ声が天下に満ちるきっかけだったと振り返る日の来ることを。

訴訟代理人

安藤雅樹「裁判官の独り相撲判決」

私はこの決定を、「裁判官の独り相撲判決」と呼びたいと思います。

裁判官は、この仮処分申立には、望まない人も含めて郡山市の全員の子どもの疎開を求める「意図」があると勝手に判断し、その意図からすると要件を厳しく解する必要がある、と述べています。
しかし、私たちはそのような主張をしているわけではないのです。完全に、裁判官の独り相撲です。

裁判官は、いったい何と向き合っているのでしょうか。どこを見ているのでしょうか。
裁判官は、なぜ独り相撲をせざるを得なかったのでしょうか。
私は、裁判官が子どもたちと、また私たちの将来と、向き合っているとはとても思えません。

ただ、絶望してはいけないと思います。
この決定への怒りを次の動きへのパワーにしないといけない、そう考えます。
                          

井戸謙一「ふくしま集団疎開裁判 抗告申立に際しての所感」

1 私は、本件仮処分事件で敗訴決定を受けるとすれば、直接の加害者は東電であって郡山市ではないこと、子供たちは自主的に転校できること等から、子供たちには、郡山市に対し、疎開を求める権利はないという理由付けだと思っていました。その点を乗り越えることができ、裁判所が、子供たちに対する健康被害の危険性の有無という実質的争点の判断に入れば、負けるはずはないと考えていました。それは、債権者側が、矢ヶ崎先生、松井先生、沢田先生、ヘルファンド医師等の意見書を提出し、詳細な主張、立証をしたのに対し、郡山市は、空間線量が下がってきていること、除染に努力していること等を主張するのみで、実質的な反論をほとんどしなかったからです。

2 しかるに、福島地裁郡山支部は、「債権者らの生命身体に対する切迫した危険性があるとは認められない」として、実質的争点の点で債権者らの主張を認めませんでした。その判断の過程は、都合のいい事実だけを拾い出し、債権者側が主張したチェルノブイリ事故被害との比較には全く触れない等、恣意的なものですが、特に、債権者らの申立は「実質的には、郡山市のすべての小中学生に対する教育活動の実施を求めるものである」として、被保全権利が認められるハードルを高くしたのは、不当であると考えます。私たちが求めたのは、債権者らを避難させることであって、児童生徒全員を避難させることではありません。裁判所が審理するのは、債権者らを避難させる必要があるか否かであって、児童生徒全員を避難させる必要があるか否かではありません。債権者らを避難させよという決定が出た場合に、債権者らだけを避難させるのか、債権者ら以外の希望者も避難させるのか、児童生徒全員を避難させるのかは、行政が考えることであって、裁判所が考えることではありません。

3 東大の児玉龍彦教授は、その著書「内部被ばくの真実」(岩波新書)において、「危険を危険だとはっきりいうのが専門家である。原子力政策の失敗の原因は科学者が科学者の矜持を捨て、政治家になってしまったことにある。」と喝破されました。私は、郡山支部の決定に同質の問題を感じます。裁判官がすべきことは、求められた事項について、提出された証拠だけから曇らない目で事実を認定し、認定した事実を率直に評価して結論を出すことであって、決定が出た後の社会的混乱を慮って政治的判断をすることではありません。

4 郡山の子供たちの大部分は、我が国の法律で、18歳未満の立入りが禁止される「放射線管理区域」とされる基準をはるかに超え、チェルノブイリ周辺で住民が避難を義務付けられた地域と同レベルの線量の中で生活しています。年20ミリシーベルトまでは安全であるなどというのはとんでもない話です。子供の8割が病気を抱えているというベラルーシやウクライナの今を、明日の郡山や福島にしてはなりません。今からでも遅くはありません。子供たちを逃がすべきです。
仙台高裁が賢明な判断をされることを期待しています。
                                     

柳原敏夫「『愛子さま』は疎開しないだろうか」

異議申立にあたって、1つだけ感想を述べます。

 疎開裁判をやる前からずっと疑問だったことは、福島市や疎開裁判の被告となった郡山市は福島第一原発からほぼ60キロ圏内ですが、もし都内から60キロ圏内の場所で福島第一原発と同様の事故が発生したなら東京の小中学生の扱いはどうなっただろうか、ということです。

 「愛子さま」は間違いなく避難したでしょう。天皇の直系で二親等の皇族を、今の郡山市(汚染マップ参照)のようにチェルノブイリ避難基準で強制的に避難させられる移住義務地域に住まわせておくわけには到底いかないからです。

 また、都内には元官房長官ほか政財界の子供たちが数多く住み、または通学していますから、彼らもまっさきに避難したでしょう。なにしろ年間1mSvだけでも「毎秒1万本の放射線が体を被曝させるのが1年間続くもの」(矢ヶ崎克馬琉球大学名誉教授)ですから、毎秒5~20万本の放射線の被ばくが1年間継続する年間5~20mSvのような強制移住地域で自分の子供を教育させておくわけにはいかないと正しく認識する政財界の人たちが自分の子供を避難させるのは当然だからです。

 その結果、政財界の子供たちが通っている有名私立小中学校も学校ごと疎開せざるを得なくなるでしょう。
 そしたら、私立が疎開するのに公立の小中学校はなぜ疎開しないのか、という問題が議論になるでしょう。
 そのとき、ソ連崩壊直後の混乱の中で、ロシア、ウクライナ、ベラルーシのような貧しい国ですらできた集団避難が経済大国の日本でなぜできないのか?60年前、日本が人権保障に最も薄く経済的にも最も困窮していた軍国主義末期の時代ですらできた集団疎開が、基本的人権の保障を基本原理とする経済大国の今日においてなぜできないのか?という議論になるでしょう。その結果、東京では、チュルノブイリ周辺国や軍国主義末期の日本のときのように集団疎開が実現したにちがいない。

 であれば、なぜ、それが福島県で実現できないのか、不思議でならない。
 チョムスキーによれば、偽善者とは「他人に対して自分が適用する基準を、自分自身に対しては適用しない人間のこと」です。東京と福島で扱いを異ならせる政府と自治体は偽善者ということになります。
のみならず、「ふくしまのこどもたちは死ね」と宣言するにひとしい不条理極まりない差別です。

それは基本的人権の保障を基本原理とする国において政府と自治体の手で行われた「国家もしくは集団によって一般の国民に対してなされた謀殺、絶滅を目的とした大量殺人、奴隷化、追放その他の非人道的行為」(人道に対する罪)に該当する集団人権侵害行為です。それは、国際刑事裁判所によって裁かれなければならない「国際法上の犯罪」を意味します。

 そのような異常事態に対し、この人権侵害の暴走にストップをかけるのが「人権の最後の砦」である裁判所の本来の任務です。しかし、今回、裁判所は、政府と自治体の人権侵害の暴走をストップさせるどころか、その反対にこれにお墨付きを与えたのです。その結果、国際刑事裁判所の被告席に並ぶ席が増えました。

 政府と自治体と裁判所が、こういう無気力・無関心・無責任で機能不全に陥っているとき、これまで、人類の歴史はどういう決着をつけてきたでしょうか。それは「退場」です(今日風の言い方をすれば「廃炉」です)。そのことは、近代の人権宣言の中にはっきりと表明されています。

「政府は人民、国家または社会の利益、保護および安全のために樹立される。いかなる政府も、これらの目的に反するか、または不十分であると認められた場合には、社会の多数の者は、その政府を改良し、変改し、または廃止する権利、いわゆる革命権を有する。この権利は、疑う余地のない、人に譲ることのできない、また棄てることもできないものである。」(米国ヴァージニア憲法3条)

 そして、この廃炉のあとに来る、きたるべき紛争解決機関が、「愛子さま」も福島の子どもたちも人間としてひとしく人権が尊重される、普遍的な原理に立脚した「市民の、市民による、市民のための市民法廷」です。
 
 その最初の一歩を私たちは、勇気を奮って歩み出すことにしました。それが来年開催が決まった、疎開裁判の世界市民法廷の設置です。全世界からの注目と支持に恥じない世界市民法廷を開催する決意です。皆さまの注目をお願いいたします。
                               (弁護団 柳原敏夫)

「人々をマインドコントロールできたとしても、放射能をマインドコントロールすることはできない」

昨年10月15日、郡山駅前から郡山市役所まで、疎開裁判支援のデモをやったとき、デモ終点の郡山市役所前で、「郡山市への申入書」を読み上げましたが、その中で、郡山市のお母さんの次の言葉が紹介されました。

「風の便りで、市長さんには中学生のお孫さんがいらっしゃると聞きました。そのお孫さんを放射能から守るために自主避難させているということを知りました。私にも同じ中学生の息子がおります。しかし、主人の仕事のため自主避難はできずにいます。せめて、市長さんが、ご自分のお孫さんと同様に、郡山の子どもたちも放射能から守るために集団避難させることにしてくださり、子どもたちの命を守ってくださればどんなにいいだろう、と願わずにはいられません」

郡山市長が自分の孫を自主避難させている事実は、その後、市議会でも質問されましたが、市長は笑ったまま答弁せず、その質問自体が議事録から抹消されました。

郡山市長が自分の孫を自主避難させたのは全く正しい。なにしろ、今の郡山市(汚染マップ参照)のようにチェルノブイリ避難基準で強制的に避難させられる移住義務地域に住まわせておくわけには到底いかないと考えるのは真っ当な判断だからです。そして、それは、郡山市が疎開裁判の中で、終始、「自分たちも被害者なのだ」と述べた主張と首尾一貫しています。

そうだとしたら、なぜ、郡山市長は、被害者である郡山市民にむかって、子どもたちを安全な場所に避難させよう、と呼びかけなかったのか。

そこには、様々な圧力、利害打算が交錯し、最終的に、郡山市長は自分の孫と自分たちの市民とで二枚舌を使う羽目となりました。これが可能だったのは、ひとえに、ミスター100ミリシーベルトなどの様々な科学者集団やマスコミ等の尽力によって、人々を「子どもたちを郡山市に住まわせても心配ない」とマインドコントロールすることに成功したからです。これがチュニジアやエジプトだったら、そんな訳にはいかなかった筈です。

また、昨年12月16日の裁判所の判決(決定)の日、裁判所の周辺は、機動隊の装甲車が止まり、警察がものものしい警備をするという、いまだ見たことがなかった光景だったと裁判所の近所に住むお母さんが証言しています。というのは、裁判所は、この判決が何を意味するか、正しく見抜いていて、もし多くの人たちがこの判決の中身を知ったら、憤激した市民が裁判所に押しかけ、何をしでかすか分からないと予期して、厳重な警戒態勢を敷いたのです。裁判所のこの認識は全く正しい。ところが、実際に裁判所に現れたのは数名の裁判関係者だけでした。

その上、この判決は、福島県のゴルフ場が東電に除染を求めた仮処分申立の却下決定のような泡沫事件ですら全国報道するNHKや朝日など既成の大手マスコミによって報道されず、多くの市民の目から隠されてしまいました。つまり、疎開裁判もまた多くの人々をマインドコントロールすることに成功したのです。

しかし、疎開裁判の最も恐ろしいところは、御用学者やマスコミを動員して多くの人々をまんまとマインドコントロールすることに成功したとしても、放射能をマインドコントロールすることだけはできないということです、神のごとき活躍をしたミスター100ミリシーベルトも放射能の前では無力です。

これは放射能に限らず、すべての科学技術の宿命です。科学技術のトラブルが発生するたび、国側の決り文句は「ただちに安全上問題が生じることはない」が飽きもせずくり返されてきましたが、それは、かつて祭司や坊主共が神のお告げと称して神の権威で神政政治をおこなったように、今日では「科学者」が科学のお告げと称して科学の権威で政治決定をおこなっているのです、しかも、その科学はジャンク科学、似非科学と同然のインチキなものです(狂牛病に端を発した2005年の米国牛輸入再開に至る一連のドタバタ騒ぎの経過を思い出せば一目瞭然です。自分たちが引き出したい政治的決定の理由づけとして科学を用いるのですから、似非科学になるのは当然です)。

そして、それは善意だったり、無知だったりする市民をまんまとマインドコントロールすることに成功しました。しかし、人間界をマインドコントロールできたとしても、自然界はマインドコントロールすることは決してできません。自然界が沈黙しているので、人間界と同様にマインドコントロールできたかと思い込んだとしても、いつか必ず、自然界からのしっぺ返しが来ます。それが3.11の福島第一原発の事故そのものです。

そして、それは福島第一原発の事故発生後の今も続いています。「100ミリシーベルト以下なら心配ない」というマインドコントロールは放射能には通用しません。放射能は情け容赦なく、己の自然法則を貫徹するだけです。その結果が必ず出ます。この意味で、私たちは見えない、臭わない、味もしない放射能を畏れるほかありません。ましてや、どんなに感覚を研ぎ澄ませても決して感じることができず、長い潜伏期間を経て初めてガン等の健康障害が明らかになる今回の低線量被ばくの放射能は畏れるしかありません。

思想家の柄谷行人は、放射能のおそろしさについて、こう語っています。

「福島原発事故は、片づいていない。今後もすぐには片づかない。むしろ、今後に、被曝者の病状がはっきりと出てきます。また、福島の住民は永遠に郷里を離れることになるでしょう。つまり、われわれが忘れようとしても、また実際に忘れても、原発のほうが執拗に残る。それがいつまでも続きます。原発が恐ろしいのはそのことです。それでも、人々はおとなしく政府や企業のいうことを聞いているでしょうか。もしそうであれば、日本人は物理的に終り、です。」(デモが日本を変える)

「100ミリシーベルト以下なら問題ない」ことを最大の論拠にして、申立を却下した裁判所もまた、放射能を畏れない人たちの席に加わることを表明しました。このような席には未来はありません。

私たちは放射能を正しく畏れる必要があります。そして、人間どもに決してマインドコントロールされない放射能からあざ笑われないだけの判断を持つ必要があります。それだけが正しく生き延びる道です。

それを明らかにする試みが、この冬、東京とふくしまで開催される世界市民法廷なのです。
                               (弁護団 柳原敏夫)
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