(9月25日テレビ番組) 小出裕章さん、古賀茂明さんの発言

小出裕章氏、古賀茂明氏、児玉龍彦氏に注目したテレビの報道番組

サンデーフロントライン ―反骨―3人が語る(動画) から書き起こし、抜粋
(9月25日 テレビ朝日)

福島第一原発の最新映像です。
あの日、この場所から各地に影響を及ぼした放射性物質は日本人の暮らしも意識も一変させました。電力不足による節電、食料の放射能汚染、そして、未だに自宅に戻れない、およそ7万5千人の人々、番組では、今、注目されている3人の方々にお話を伺いました。

反原発を貫く原子力研究者、小出裕章さん。電力独占体制の弊害を唱えた改革派官僚、古賀茂明さん。そして、あまりに動きの遅い国会批判で名を馳せた放射性被ばくの専門家、児玉龍彦さん。大きな反響をよんでいる反骨の3人による「明日への伝言」です。

原発事故から2ヶ月経った5月23日、この日は原子力の歴史が変わった日とも呼ばれる。原発の危険性を訴える科学者ら4人が国会で証言したのだ。その一人が小出裕章氏だった。

原子力を推進する人たちがどういう対策をとったかというと、『破局的事故はめったに起きない』と『そんなものを想定するのはおかしい』と、だから想定不適当という烙印を押して無視してしまうことにした。

<「原発はいらない」小出裕章 京都大学原子炉実験所 助教>

京都大学原子炉実験所の小出さんの研究室は昼間でも薄暗い。節電のためエアコンや照明はほとんど使わないという。62歳の小出さんは37年間原子力の研究を続けてきた。しかし、現在の肩書は助教。昔でいう助手のままだ。

原子力をやるとこんな危険がありますよ。こういう放射能の汚染を起こしますよ。だから一刻も早く原子力をやめるべきですよ、と言い続けてきたわけですね。残念ながら事故は起きてしまったのですね。ですから、私にとっては今年は自分がやってきた仕事が最終的に敗北したというそういう年です。」

小出氏が原子力の世界に飛び込んだ1968年は日本の原子力の黎明期。小出氏も未来のエネルギーは原子力しかないと固く信じていた。ところが、研究を始めてすぐ、ある重大な疑問にぶつかったという。

「今から思えば大変単純なのですが、原子力発電所というのは都会で引き受けることができない危険を抱えていると、過疎地に建てるしかないということで原子力というものは進んできたということに私が気がついた、というかそれを知ってしまったわけですね。そうなると、私としては到底認めることができないと思いましたので、180度私の人生はそこでひっくり返しました。」

こうして原発をなくすために研究を進めた小出氏には、同じ志を持つ5人の仲間がいた。彼らは「異端の研究者」と見なされ、それは研究費や昇進にも露骨にあらわれた。彼ら6人は原子炉実験所の所在地大阪府熊取町にちなみ、「熊取6人組」と呼ばれるようになった。

「6人組と呼ばれた私たちのグループにシンパシーを感じて一緒に行動しようとして来てくれた人も実は何人かいるんです。いるんですけれども、私はその人を積極的に誘わなかったのです、自分たちのグループに入れと。それは、そういうグループに入ってしまうと研究費が取れないとか、そういうことはある。まあ、あたりまえのことであるわけです。」

原子力の危険性を訴え続けた37年。しかし、その声は届かなかった。

あまりにも力が足りなさ過ぎたんですね。まあ、マスコミの人もそうだけど、私たちの言うことは何も取り上げてくれない。政府、電力会社、巨大企業の言うことを聞いて、マスコミもずっと報道をしてきた。」

重大な事故が起きた今、全ての原発を止めるべきだと小出氏は全国を訴え歩いている。

(9月22日津田塾大講演)「私たち日本人は騙され続けてついに福島の事故も防ぐことができないで、今、変わり果てたこの場にいます。私もそうだし、皆さんもそうです。どうやってこれから生きていくかということを、特に若い学生の皆さんには十分考えてほしいと思っています。」

一方、野田政権は、安全性の確保と地元の理解を前提に原発を再稼働させる方針だ。全ての原発停止は電力供給に支障をきたし、日本経済が立ち行かないという意見が根強い。現在、福島第一原発は循環注水システムが機能したことで、一号機の圧力容器の温度が100℃以下になるなど収束に向かっているとされる。しかし、小出氏は本当の事故収束への道のりは険しいものだと指摘する。

――廃炉廃炉といわれていますが、いつごろできるんですか?

「できません。何十年か後ですね。」

アメリカで起きたスリーマイル島の事故では、炉心の半分が溶けて圧力容器の底に溜まった。燃料を取り出すまでに11年もかかっている。一方、福島第一原発でも溶けた燃料は、圧力容器の底に溜まった。ところが、福島ではこの圧力容器も損傷し、溶けた燃料が格納容器にまで落下したとみられている。

「抜け落とさせて、下に落ちちゃっているわけですね。そうなるとスリーマイル島のような回収作業は絶対できません。全くできない。で、どうしていいか実はわからない。」

防げなかった破局的な原発事故。我々はここから何を学ぶべきなのか

――未来への伝言を最後にお願いしたいんですが

「ウソをつかない。人に対してもウソをつかない。自分に対してもウソをつかない。もし間違えたらば謝ると、それさえできていれば原子力なんてあり得なかったと私は思います。全く安全でもないものを都会では引き受けられないほどの危険を抱えたものを『安全です。絶対事故は起こしません』と言い続けて原子力を進めてきたわけですね。」


●古賀茂明氏

もう一人、今、渦中にいるあの人物が、原発事故後の明日を語った。
「電力会社の根回しが相当効いてきていて、ほとんど、この改革が瀕死の状態になってきている」

3日前、経済産業省から退職するように迫られていた「改革派官僚」古賀茂明氏がついに辞表を提出した。改革の志し半ばで退職することになった。古賀氏は、経産省と電力会社の癒着を暴露し、電力改革をぶち上げていた。

「電力会社の根回しが相当効いてきていて、ほとんど、この改革が瀕死の状態になってきている。強いですよ、ほんとに電力会社というのは、特に地方に行けば、その力っていうのは歴然としています」

<「電力独占体制を打破せよ」古賀茂明 経済産業省 大臣官房付>

われわれは昨日、渦中の古賀氏から話を聞くことができた。
Q、辞表を出された率直な気持ちは?
「もともと辞めるというのは、だいぶ前から覚悟していたので、特別な気持ちは、あまりなくて、むしろやっと一つの区切りがつくなと」

古賀氏を一躍有名にしたのは、去年の国会だった。
(古賀氏の発言)「天下りによって、そのポストを維持する。それによって、大きな無駄が生まれる」――以前から公務員改革を訴えていた古賀氏は仕事を与えられなくなり、「大臣官房付」という待機ポストに留め置かれていた。

(仙谷由人官房長官の国会での発言)「こういうやり方というのは、彼の将来を傷つけると思います」(この官房長官発言は、古賀氏に対する恫喝だと受け止められている)

原発事故は、この5ヵ月後に起きた。古賀氏は経産官僚でありながら、原発行政を強く批判し始めた。

今回の事故は、天災だということで最初は進んでいたけれども、私は一番最初からこれは天災じゃないと思っていた。東京電力、これは電力会社に共通の体質ですけど、競争がない。規制をしているはずの経産省に対しても優越的な立場に立っている、ということで東京電力の中で『事故を起こしちゃいけない』とか、あるいは事故を起こした後の対応についても『ウソをついちゃいけない』とか、普通の組織だと当然あるはずの規律が働かない仕組みになっていた思う

実は、古賀氏は電力会社の地域独占体制を壊す「発送電分離」がかねてからの持論だ。

「独占企業で、料金を勝手に国と電力会社が一緒になって決めて、家庭に押し付けているわけです。家庭は、電力会社を選ぶ自由がありませんから、ほとんど税金と同じですね。そういう意味で発送電分離というのは、一つの鍵を握っているので、これを提言するのは意味があると思います」

1997年、OECD経済協力開発機構は、発送電分離などの規制緩和の指針を発表し日本にも対策を迫った。実は、このとき古賀氏は、OECDに出向していて、議論に加わっていたのだ。

「経産省の中では、『こんなこと誰がやっているのだ』と『誰が新聞にしゃべったんだ』ということになって、『呼び戻して首にしろ』とか」

電力業界は、発送電分離は電力の安定供給に支障をきたすと主張している。電力自由化が進むアメリカでは、日本より停電が多かったためだ。

古賀氏は5月、電力改革を提言した本を出版。異例の売れ行きを記録し、その主張に賛同者が増え始めた。翌月の6月、古賀氏は事務次官から突然、退職を勧められるたという。

「『放置しておくのは非常にまずい』という判断はあったんじゃないかと思う」

明日、経産省を退職する古賀氏。最後にこんなメッセージを述べた。
こと原子力については、(電気料金が)高いか安いかという議論だけでいいのかどうか、考えなくてはいけない問題だと思う。特に核燃料廃棄物、ゴミを処理することについて見通しが立っていない。何万年先まで、これからの若い人たち、将来の世代にツケを残す、そういうことをやっていいのか。いろんなデモが起こっているが、僕はああいうのが非常に重要なことだと思います。国民が直接声を政治に届けていくことが大事だと思います

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