「脱原発、6万人の最大規模集会」 マスコミの報道比較

読売新聞は、集会の規模(人数)を書かず、文字数も最少
20日の西日本新聞朝刊のトップ記事は「三菱重にサイバー攻撃 防衛情報狙いか」→原発メーカーが「脱原発が盛り上がった日」に発表。その結果、6万人「原発いらない」記事は3ページの目立たない場所に。20日の他の新聞はどうでしょうか。

脱原発、6万人の最大規模集会 東京・明治公園

(2011/09/19 16:55 共同通信

脱原発で最大規模集会

 作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた脱原発を求める「さようなら原発5万人集会」が19日、東京・明治公園で開かれ、約6万人(主催者発表)が参加した。東京電力福島第1原発事故後の集会では最大規模。廃炉に向けて活動している福島県の市民団体メンバーや大江さんらが口々に「原発はいらない」と訴えた。

 「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さん(58)は、原発事故からの半年を「逃げる、逃げない。食べる、食べない。日々、いや応なしに決断を迫られた」と振り返った。

 大江さんやルポライターの鎌田慧さん、作家の落合恵子さんらもそれぞれに脱原発を呼び掛けた。
2011/09/19 16:55 【共同通信】


福島第1原発:「さようなら原発集会」大江さんら訴え
(毎日新聞 2011年9月19日)

「さようなら原発5万人集会」に集まった大勢の人たち=東京都新宿区で2011年9月19日、本社ヘリから梅田麻衣子撮影

 東京電力福島第1原発事故を受け、原発依存からの脱却を訴える「さようなら原発5万人集会」が19日、東京都新宿区の明治公園で開かれた。集会やパレードには主催者発表で約6万人が参加。原発事故後では、最大規模とみられる。

 原水爆禁止日本国民会議(原水禁)や有識者らで構成する「さようなら原発1000万人アクション」主催。呼びかけ人の一人で作家の大江健三郎さん(76)は「原子力のエネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴う」と語った

 参加した俳優の山本太郎さん(36)は「今の日本の政治は一人の命や安全を無視している」と脱原発を訴え、参加者とともに「原発反対、子供を守れ」とシュプレヒコールを上げた。その後、参加者はプラカードや旗を掲げながら、明治公園から新宿や原宿など3コースに分かれて約2~4キロをパレードした。

 警視庁によると、集会やパレードには約3万人が参加した。【長野宏美、山田奈緒】

毎日新聞 2011年9月19日 19時30分(最終更新 9月19日 21時20分)

★9月20日「毎日新聞朝刊」記事を最後に掲載


大江健三郎さんら脱原発訴え 都心で6万人参加デモ
(2011年9月19日20時57分 朝日新聞)

【動画】「さようなら原発」全国各地で集会やデモ

写真:東京で行われた脱原発パレードには福島からの人も含めて6万人が参加した=19日午後3時56分、東京都渋谷区、樫山晃生撮影拡大東京で行われた脱原発パレードには福島からの人も含めて6万人が参加した=19日午後3時56分、東京都渋谷区、樫山晃生撮影

 脱原発を訴える「さようなら原発集会」が19日、東京・明治公園で開かれた。ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが呼びかけた。主催者側によると、全国から約6万人が参加し、東京電力福島第一原発の事故に関連した集会では、最大規模になったという。

 集会では大江さんのほか、経済評論家の内橋克人さんや作家の落合恵子さんらが登壇。大江さんは「原子力は荒廃と犠牲を伴う。私らは原発に抵抗する意志を持っているということを政党の幹部に知らせる必要がある」と呼びかけた。

 参加者は集会後、のぼりやプラカードを手に渋谷や新宿の繁華街を3コースに分かれてデモ行進。7歳の娘と初参加したという都内の女性(49)は「原発に無関心で無知だったことを反省した。子どもの世代に、原発に依存しない社会を残したい」と話した。

 集会は脱原発への政策転換を求める署名運動「さようなら原発1000万人アクション」の一環。原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが支え、これまでに100万人を超える署名を集めたという。

     ◇

 名古屋市中心部でも19日、「脱原発」を訴える集会とデモがあり、約2千人(主催者発表)が参加した。

 東日本大震災後半年にあわせ、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらが全国で呼びかける「さよなら原発1千万人アクション」の一環として、東海地方の実行委員会が同市でも企画した。参加者らは「原発さようなら」などと声を合わせ、中区の白川公園から東区の中部電力本店まで歩いた。

 インターネットで開催を知った北区の会社員田中秀之さん(47)はデモ初参加。「最初は少し怖かったが、いろいろな人が参加していて心強かった。デモだけで終わらず、考え続けたい」と話した。(畑宗太郎)

     ◇

 九州各地でも連帯の声を上げようと、集会やデモがあった


大江健三郎さんら「さようなら原発」集会
(2011年9月19日19時19分 読売新聞)

 作家の大江健三郎さんらが開催を呼び掛けた「さようなら原発5万人集会」が19日、東京都新宿区の明治公園で開かれ、全国から、脱原発や反核を掲げる民間活動団体(NGO)や労働組合などの市民が集まった。

 福島県三春町から参加した「ハイロアクション福島原発」の武藤類子さん(57)が壇上に立ち、「毎日『逃げる、逃げない』、『食べる、食べない』など苦渋の選択を強いられている。どうか福島を忘れないでほしい」と訴えた。

 参加者は集会後、自作のポスターやのぼりを手に、原宿などをデモ行進した。
(2011年9月19日19時19分 読売新聞)


脱原発で最大規模集会 東京・明治公園に6万人 大江健三郎さんら訴え
(産経ニュース 2011.9.19 16:47)

反原発デモの呼びかけ人の1人、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎氏は、日本の原発をなくすために1000万人署名に参加しようと呼びかけた=19日、明治公園(ロイター)

 作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた脱原発を求める「さようなら原発5万人集会」が19日、東京・明治公園で開かれ、約6万人(主催者発表)が参加した。東京電力福島第1原発事故後の集会では最大規模。廃炉に向けて活動している福島県の市民団体メンバーや大江さんらが「原発はいらない」と訴えた。

 「ハイロアクション福島原発40年実行委員会」の武藤類子さん(58)は、原発事故からの半年を「逃げる、逃げない。食べる、食べない。日々、いや応なしに決断を迫られた」と振り返り、「原発と対極にある生活のためには一人一人が決断し、行動するしかない」と呼び掛けた。

 大江さんやルポライターの鎌田慧さん、作家の落合恵子さんらも脱原発を主張。ゲストとして参加した俳優、山本太郎さんは「このままでは日本は核廃棄物の置き場になる」と話した。


「脱原発」訴え6万人集会=大江健三郎さんら呼び掛け―東京
(2011/09/19-17:41 時事通信

 福島第1原発事故を受け、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが結成した「さようなら原発1000万人アクション実行委員会」は19日、都内の明治公園(新宿、渋谷区)で集会を開き、国内すべての原発の廃炉を訴えた。主催者によると、参加者は約6万人で、福島県から約500人が訪れた。集会後、3コースに分かれて周辺をパレードした。
 呼び掛け人の一人でノーベル賞作家の大江健三郎さん(76)は集会で「私たちに何ができるか。民主主義の集会、市民のデモしかない。しっかりやりましょう」と声を張り上げた。
 ゲストに招かれた俳優の山本太郎さん(36)が「世界中に迷惑が掛かる原子力は要らない」と訴えた。「原発反対、子どもを守れ」と声を上げると、参加者も大声で繰り返した。(2011/09/19-17:41)


大江健三郎さんら脱原発訴え、都内でデモ
(19日17:16 TBS NEWSi)

 2万7000人の市民が参加しました。原発に依存しない社会を訴える、ノーベル賞作家の大江健三郎さんらの呼びかけで東京都内で大規模なデモが行われました。

 東京・明治公園に集まったおよそ2万7000人の人々。「さようなら原発1000万人アクション」と題した脱原発の集会です。

 「私らに何ができるか、私らにはこの民主主義の集会、市民のデモしかないんです」(大江健三郎さん)

 大江さんらは既存の原発について計画的な廃炉の実施を求めるとともに、原発に依存しない社会を目指そうと訴え、東京都内をデモ行進しました。

 「子どもたちを疎開させてほしい、食品のこともきちんとやってほしい。どういう選択肢があるのか、専門家と一緒に考えたい」(福島から避難中の女性)

 「原発に頼らない生活をしていこうと。大変だとは思いますけど、それより命の方が大切」(参加した女性)
(19日17:16)


大江健三郎さんら 脱原発訴える
(NHK 9月19日 17時12分 動画あり)

「脱原発」を訴える集会が、19日、東京都内で開かれ、ノーベル賞作家の大江健三郎さんら文化人やジャーナリストも参加して、原発の廃止などを呼びかけました。

東京・新宿区で開かれた集会には主催者側の発表でおよそ6万人警察によりますと、およそ2万7000人が集まり、呼びかけ人となったノーベル賞作家の大江健三郎さんや、経済評論家の内橋克人さんらが壇上に立ちました。このうち、大江さんは「原子力によるエネルギーは必ず、荒廃と犠牲を伴う。私たちはそれに抵抗する意志を持っていることを、政党の幹部や経団連に、デモで思い知らさねばならない」と呼びかけました。また、内橋さんは「技術が進歩すれば安全な原発が可能であるという『新たな神話』が台頭しつつある。こうした動きを私たちは警戒しなければいけない」などと訴えました。このあと、参加者は3つのルートに分かれて都内をデモ行進し、脱原発や、子どもを放射線から守ることを呼びかけるプラカードなどを手に、原発の廃止を呼びかけていました。集会に参加した神奈川県の教員の男性は「自分の勤めている学校でも校庭の放射線を測定していて、原発の問題はひと事ではない。福島県の教員が脱原発に向けて頑張っているので、少しでも力になりたい」と話していました。


<9月20日記事>

脱原発:東京で大規模集会 避難者も叫び
(毎日新聞 2011年9月20日 東京朝刊)

 ◇日本全体で考えて/まだ隠しているのでは/「安全」うそだった

 東京都内で19日午後開かれた原発依存からの脱却を求める「さようなら原発5万人集会」やパレードには多くの市民が参加した。故郷の福島を離れて避難している人や、事故をきっかけに初めて問題意識を持った人も目立った。【長野宏美、山田奈緒】

 福島県南相馬市を離れ、川崎市に妻と娘、孫の4人で避難している元教師の山崎健一さん(65)は「福島に暮らしている人以外にも、原発問題にもっともっと関心を持ってほしい。原発政策、脱原発を日本全体で考えてほしい」との思いで集会に参加した。南相馬に戻りたいが「1歳の孫を思うと、除染が完全に終わらない限り安心して暮らせないので戻れない」と訴える。

 福島に残っている消防士の娘婿の内部被ばくも心配という。「この年で故郷を追われて暮らすなんて考えたこともなかった。不安だらけで悲しいが何か行動しなければ何も変わらない」と話し、パレードに出発した。

 同県飯舘村から避難し、福島市の借り上げ住宅で暮らす女性(40)もバスで東京に駆け付け、パレードに参加。飯舘村で生まれ育ったが、第1原発のことは「小学生か中学生のころに社会科見学で行ったことがあるが、その後の日常生活で意識することは全然なかった」と振り返る。

 原発事故後、夫と一緒に勤めていた村内の会社を「100%安全と言い切れない場所では働けない」と夫婦そろって退社。「原発に無関心だった自分への戒めの意味もあってデモに参加した。悔しさをぶつける場所はどこにもないが、せめて今日は大声で『原発はもういらない』と叫びたい」と話した。

 同県郡山市から近所の主婦仲間と訪れた女性(72)は「街から子供の姿が消えた。公園や校庭に子供の元気な声が響く街に戻ってほしい」と参加。「国も東電も信じられない。都合の悪い情報をまだ隠しているのではないかと思える。こんなにも大勢の人が集まったのは、不信感の表れだと思う」と話した。

 一方、東京都練馬区のパート、小川美樹さん(40)は「行動しないのが一番悪い」と思い、初めて参加。実家は静岡県富士市で浜岡原発は身近な問題。3月11日以降「原発は安全というのはうそだった」と不信感を募らせた。

 埼玉県戸田市に住む妹が6月に女児を出産したが、外で遊ばせることにも不安を感じている。「子供の将来を考えると、原発を止めてほしい。同じ思いの人がたくさんいるのを見て、止められるんじゃないかと思った」と話した。

毎日新聞 2011年9月20日 東京朝刊


脱原発6万人集会
(2011年9月20日 東京新聞朝刊)

 脱原発を目指して作家の大江健三郎さんらが呼び掛けた「さようなら原発五万人集会」が十九日、東京・明治公園で開かれ、参加した約六万人(主催者発表)が原発依存社会からの脱却を訴えた。集会で、大江さんが「私らには民主主義の集会や市民のデモしかない。しっかりやりましょう」と呼び掛けると、会場からは地鳴りのような拍手が湧き起こった。 

 作家の落合恵子さんは参加者に「あなたたちに会えたきっかけを考えると腹立たしくてならない」と語り掛けた。その上で「放射性廃棄物の処理能力もない人間が、原発を持つべきでない」と原発不要論を唱えた。

 ゲスト参加した俳優の山本太郎さんがあいさつで「すごい…すごい人ですね」と切り出すなど、会場に入りきらないほどの人が集まった。集会後は福島県民らを先頭に「再稼働させるな」「子どもたちを守ろう」とシュプレヒコールを上げ、都心を練り歩いた。

 大江さんらは東京電力福島第一原発事故を受け、来年三月までに脱原発を求める一千万人分の署名を政府と国会に提出する計画。主催者によると、署名は現在約百万人に達しているという。

 集会は原水爆禁止日本国民会議(原水禁)が中心となって開催。警視庁は参加者を三万人弱としている。

できることから行動を 福島からの参加者「訴え継続必要」

(2011年9月20日 東京新聞朝刊)

 作家大江健三郎さんらの呼び掛けで十九日、東京・明治公園で開かれた「さようなら原発五万人集会」。東京電力福島第一原発事故の影響に苦しむ福島の人たちも加わり、集まった人々は「原発はいらない」と大きな声を上げた。次世代を思い、子連れで都内をデモする人も。「脱原発」の思いは大きなうねりとなって広がった。 

 集会には、福島県からも多くの人が駆けつけた。

 福島市でパン店を経営しながら市民運動をしている橋本敬子さん(42)は、福島の地名が入った旗を持ち会場入りすると拍手で迎えられた。「私たちだけが闘っているんじゃないんだ」と感じ入った様子。これまで県内でデモをする機会は少なかったという。

 また、飯舘村の会社員小暮俊和さん(55)は「東京で集会をするのは全国へのアピールになる。大勢集まるのはいい」。一方で、「村の人は五年、十年では忘れることができないが、十年後にこれだけ人が集まるかなとも思う。続けていくことが必要」と訴えた。

 新地町の会社員菅原政紀さん(41)は「子どもたちのためにも声を上げ、私たちの世代で原発を止めることが役目」と、次女(3つ)を連れて初めてデモに参加した。「広島、長崎を経験した日本は原発を持つべきでなかった。同じことを思う人がこれほどいて心強い」と会場を見渡しながら、しみじみと語った。

 自治労福島県本部県南総支部の村越晴也事務局長(55)は「今は脱原発の流れだけど、大停電などが起きて風が変わってしまうこともあるんじゃないかな」と危ぶんだ。

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