インタグコーヒー物 第9回 インタグに移り住む人々 
〜その1 アンニャ・ライト

 ひとたびインタグの森を歩けば、人はその美しさに魅了され、森を守りたいと願う。そのために、年々、海外からインタグを訪れる人は増え、なかにはインタグの森に移り住む人も現れる。そして、そこから生まれる新たなつながりを通して、人々はインタグという一つの地域の問題を、地球全体で分かち合うようになっていく。
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 アンニャ・ライトという女性もそのひとり。シンガーソングライターであり、環境保護運動家である彼女は、インタグの森に辿りつくまで、ギターを片手に世界各地の環境破壊の現場を歩いてきた。
 アニャ・ライトはスウェーデン生まれ、オーストラリアで育った。「命あるものを大切にする」ことを両親から教えられたアンニャは、幼い頃から環境運動や反核運動に関わり、高校時代にはすでに、「自分の人生を母なる大地を癒すために捧げよう」と決意する。

 18歳のとき、アンニャは旅にでた。 
 中国、シベリアを経てヨーロッパへ。そしてドイツ滞在中にチェルノブイリ原発事故が勃発。放射能から逃げるようにアジアへ向かった。
 チベット、中国を経て、マレーシアへ。そこである国際会議に出席した。それは各国のNGOが熱帯雨林保護の旗を掲げて初めて結集し、国際的な運動を開始する歴史的な会議だった。

 オーストラリアに戻って大学で演劇と音楽を専攻し、卒業後、ただちにマレーシア領サラワクのジャングルに入った。急速に押し進められる開発により原生林は伐採され、森を奪われた先住民族は、存亡の危機を迎えていた。

 伐採反対の運動は政府の激しい弾圧を受けており、アニャは警察から身を隠しながら、3週間ジャングルを歩いて最後の移動型狩猟採集民ともいわれる森の民、ペナンの元にたどり着く。この人々との出会いがその後のアニャの生き方を決定づけた。

 「ペナンの人々は底深い、本質的な優しさに満ちていました。こういう人間たちに今まで会ったことがなかった。その頃の私は人間不信に陥っていて、私たちにはこの地球という共同体に暮らしていく資格はないと思っていた。ペナンに出会って、人間にはまだ希望がある、と確信できたのです。この出会いのために自分は生きてきた、と感じたのです」

 ペナンとのコミュニケーションには歌が最も効果的だった。出会って間もないころ、言いたいことがうまく伝わらない時に、自分の想いをこめて歌を歌った。すると急に人々の表情が晴れて生き生きと輝いた。この時に思い知らされた音楽の力が、その後のミュージシャンとしての彼女を支えている。

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 森林伐採を防ぐため、伐採用道路を封鎖したことで500人以上のペナンが逮捕されたとき、アンニャも彼らと行動をともにしたことにより逮捕され、二ヶ月間拘留された。

 サラワクで体験した牢屋暮らしもまた貴重だった。他のペナンの人たちと共に囚われの身になることで、アンニャは本当の自由というものを実感したという。
 初めは抑圧的だった女性看守たちとも歌を通して親しくなり、マッサージをし合ったり。ある看守が言った。「実は囚われているのは私たちの方よ」と。釈放されて牢を出るとき、見送る女性看守たちはみな泣いていた。

 サラワクを追われたアンニャはまっすぐ日本へ向かう。熱帯雨林を守るためには、その木材の最大消費国である日本が変わる必要がある、と確信したからだ。以後、オーストラリアやサラワクとともに、日本が活動の舞台になった。

 9年間、日本でさまざまな環境保護活動に取り組んだ。振り返ってアンニャはこう語る。「海や山が壊されていくのを目の当たりにして、日本人は痛みを感じないのだろうか。自然が急速に破壊され、生命が衰退していくのを、日本人は平然と受け入れているようにみえる。でも古代から培われてきた人間と自然との結びつきは、今でも人々のこころの奥底で息づいているはず。この9年、環境運動は確実に広がっている。私は日本人から多くのことを学びました。日本は大変革をもっとも速く実現する必要に迫られた社会だと思う。そして、それができる能力に恵まれた社会だと思っている。」

 その後、活動の拠点をエクアドルに移した。「自分の人生を母なる大地を癒すために捧げようと決意した」アンニャにとって、インタグの森はまさに癒しを与え、そして守るべき場所だった。

 地球で繰り広げられる環境破壊を大洪水に例えれば、そこには「ノアの方舟」という言葉が当てはまる。日本の約3分の2、世界の0.2%の面積にしか持たないこの国には、全植物種の10%の生息が確認されており、後世に伝えるべき種が、ぎっしり詰まっているのだ。
 さらに文化も多様で、日本の約10分の1の人口の中に、13の異なる言語を話す人々が住んでいる。

 ガラパゴス諸島の海辺から6000メートル級のアンデスの山々まで、熱帯雨林から氷河まで、さまざまな気候と生態系がモザイクのように組み合わさってできている。それがエクアドルという国だった。 

 同時にその場所は、激しい環境破壊の現場でもった。特に最近は世界中で最も急速な森林破壊、土壌侵食に見舞われ、すでに90%を越える原生林が失われたと言われている。自然破壊は日々難民を生み出し、コミュニティを崩壊し、貧困は深刻化する。

 「エクアドルは今、分かれ道にさしかかっている」、とアンニャは思う。
 グローバル経済がこの国に押しつけようとしているような、強引な乱開発による「豊かさ」をとるか、自然や文化の多様性を破壊しない持続可能な発展による真の豊かさをとるか。
 後者の道を選び、伝統に根ざした環境型の地域づくりを模索する動きが各地で起こり、次第にひとつの大きな流れとなるのをアニャはこれまで見てきた。その流れに自らの想いを込めて、アンニャは歌い続ける。

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投稿者 taniguchi : 2004年09月06日 14:23