インタグコーヒー物語 第2回 インタグの森にコーヒーを求めて


霧が立ちこめる雲雲林の森

森の人、カルロス・ソリージャとの出会い


 1991年、10月1日の昼下がり。森の小道に人影が二つ。ある男に会うために、また一歩、その深き緑の世界に入っていく。 
 1人は、この地域の環境保護活動に取り組むシンガーソングライター、アンニャ・ランイト。もう1人は、日本でコーヒー会社を経営する中村隆市。2人の来訪を待ち受ける男の名をカルロス・ソリージャという。
 中村は、その豊かな自然に感動しながら、今回の旅を楽しんでいた。有機栽培コーヒーのフェアトレードを手がけてから11年。中村隆市の旅にはいつもコーヒーが絡んでいたが、これから会いにいくカルロス・ソリージャという男も、この森のコーヒー生産者だった。
 そして、これもいつものことなのだが、コーヒーの作柄よりも、その人柄の方に強い関心を持っていた。カルロス・ソリージャに会うのは今回で2度目になる。8ヶ月前にこの森を訪れたときには、ゆっくり彼と話しをすることができなかった。
 環境保護活動に取り組みながらコーヒーを栽培しているカルロス・ソリージャという人物を、もっと深く知りたい。自ずと、歩調は速まった。
 森のなかにひょっこりと現れた家の食卓で、カルロス・ソリージャは昼食を用意して待っていた。

カルロス・ソリージャとインタグコーヒー


 
 夕暮れまで続く対話のなかで、カルロス・ソリージャは、インタグの森でコーヒーを栽培するようになるまでの出来事を振り返った。


 カルロス・ソリージャ

 1951年一月にキューバのハバナで生まれたカルロス・ソリージャは11才までハバナ近郊の小さな町で育ち、一九六二年に家族と共にアメリカのロサンゼルスに移住した。
 カリフォルニア州オレンジ・コースト大学では写真と哲学を専攻したが、3年後「大学」教育を辞め、アメリカ各地を旅してまわった。その間、農業、大工、カメラマンなど多くの仕事を経験し、その後の5年間を、ヨーロッパ、北米、南米への旅に費やした。
 そして、1979年、27歳の時、自分の生涯の家を持つため妻と子どもと共にエクアドルに渡る。そこを終生の住処として選んだ理由は、「自然の素晴らしさと、人々の温かさにあった」と言う。

 
  木漏れ日のなかで育つコーヒー樹

 インタグ地方、プラザ・グティエレス教区に購入した約400ヘクタールの土地は、天然の森に覆われ、を買い、農業が可能だったのは五〇ヘクタールだった。そこに、家族と一緒に家を建て、森での生活が始まった。ベリーを栽培し、ワインを作り、その一方で、牧畜を営み、チーズを生産した。
 ある日、カルロス・ソリージャは多々ある樹木や果樹のなかに、コーヒー樹があることに気づく。この地域では、森の中に様々な果樹を植える多品目栽培が伝統的に営まれており、バナナやマンゴーなどの果樹の中にコーヒー樹も混じっていたのだ。普通、コーヒー園といえば、なだらかな丘陵の等高線に沿って、コーヒー樹が林立しているものだが、その地域で営まれている「コーヒー園」では、コーヒー樹がその場の主役にはなり得ない。だが、標高1000メートルから1800メートル、年間雨量2000ミリから2700ミリ、気温20℃から25℃という環境は、コーヒー栽培にとって最適で、また多品目栽培による自給的な生活のなかで、コーヒーは貴重な現金収入の支えになる。カルロス・ソリージャも少しづつコーヒー栽培を手がけるようになった。
 多くの自然の恵みを授けてくれるこの森に、鉱山開発による破壊の危機が迫っていることをカルロス・ソリージャが知るのは、それから後のことになる。 
 

投稿者 yano : 2004年02月14日 08:50