インタグコーヒー物語 第8回 インタグコーヒーの作り手たちを訪ねて 
〜その2 オルヘル・ルアレスさん

 インタグコーヒーを通して紡がれる人のつながり。その起点に位置するインタグコーヒーの作り手たちの姿を、ウインドファーム、エクアドル駐在員、和田彩子さんからのレポートを通してお伝えするシリーズの第2回目。
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(コーヒー樹を育む熱帯雲霧林)

 オタバロからいつものようにバスに乗って、インタグへ向かう。インタグの中心地とも言えるアプエラに到着。今回訪れるコミュニティーの名前は、ナランハル。今はほとんどないそうだが、かつてはオレンジ(スペイン語でナランハ)の木がたくさん生えていたことからナランハルと名付けられたそうだ。
 ナランハルを通るバスは1日1本だけ。というわけで、オタバロから一気にナランハルまで行くのは無理だったため、アプエラに1泊してからナランハルに行くことになった。
 翌日、たまたまナランハルのそばまで行くというAACRI(インタグ有機コーヒー生産者組合)の4WDに乗せてもらえることになった。そしてアプエラから1時間ほどでナランハルのオルヘル・ルアレスさん(47歳)宅に到着した。
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(インタグコーヒー作りに取り組むオルヘルさん)

 オルヘルさんはAACRIの有機認証推進委員会のメンバーでもあり、アグロフォレストリーに力を入れている。ご家族はオルヘルさん、グロリアさんご夫妻の他、ジェニーさん(18歳)、ディエゴくん(16歳)、マリア・クララさん(12歳)、アルバロくん、そしてパオラちゃん(2歳)の7人家族。現在上の3人のお子さんは高校や大学に通うためこの家には住んでいない。
 オルヘルさんご夫妻は、ともにインタグのクエジャヘというコミュニティー出身者だ。しかしこのナランハルに越してくる4年ほど前まで、比較的大きな町であるオタバロで5年間暮らしていたそうだ。お子さんの教育を考慮してのことだった。インタグの教育レベルは低く、また子どもたちの教育費を賄うことが出来なかったからそうだ。オルヘルさんは、大工仕事をしたり、ユーカリの木をチェーンソーで切り倒したりして、生計を立てていた。
 しかし町での生活は思いのほか厳しく、食べ物の質、特に野菜の鮮度が悪く、奥様も体調を崩され、やはり田舎の暮らし、農業を営む暮らしがいいと山に戻ってきたのだそうだ。
 「最初、本当にただの森だった」という場所に、オルヘルさんはコーヒーの木を少しずつ植えていった。それからオルヘルさんは、森に住むことのすばらしさや、森や土壌を守ることの大切さを知り、AACRIの技術班とともに、2001年7月からアグロフォレストリーを始める。
 今、オルヘルさんは全部で11ヘクタールの農園を持っている。「うち1ヘクタールがコーヒーだ。2420本のコーヒーの木が植えている」彼はマチェテという鎌を研ぎながら、そう説明する。
 研がれたマチェテを持ち、いざ農園へ。オルヘルさんは、コーヒーの木の間を、雑草をざくざくと切りながら進んでいく。途中、「このホウセンカは、切らないで取っておこうか」と語りいかにも楽しそうだ。 
 農園には野生のトマトやぺピーノ(メロンのような味のする果物)、様々なハーブがそこらに生えていた。もちろん樹木もたくさんある。アグロフォレストリーを推進しているだけあって、バナナ、パパイヤなど盛りだくさんだ。オルヘルさんは、「自分は教育を受けていないから」と言う。けれども、この森を通して、オルヘルさんはアグロフォレストリーを体感しつつ、自分のものとして表現している。 
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(森を歩くオルヘルさんの家族)

 4メートルくらいの木を指して、「このパッチェという木は、アボカドの木のように、アグロフォレストリーには向いていないんだ。そうわかるようになるまで時間がかかったよ」と言う。
 コーヒーの木はすでに花の時期を終え、緑色の実をたわわに見をつけていた。植えてから2年ほど経つコーヒーの木は、前年度より収穫量は多くなりそうだ。
 有機農業で大切なのは肥料だ。大きなプラスチックの中のビオルと呼ばれる手作り肥料を見せてもらった。鶏糞、ギニア・ピッグの糞、葉っぱ、卵の殻、土、野菜くずなどをミックスさせて40日間樽の中で熟成させてから使う。この肥料は豆やとうもろこし、トマテ・デ・アルボル(ツリートマト)にも良いそうだ。樽の中の肥料はちょうど良い具合になっていて、枝を拾ってきたオルヘルさんは中身をかき混ぜ、においを嗅ぎ、冗談で、「うーん、いい匂い」。 
 コーヒーの隣にはトマテ・デ・アルボルと言われる果実がたわわに実っている。トマトと言いながらも、日本で言ういわゆる「トマト」とは違う属の果実である。インタグに限らず、エクアドルではジュースにしたり、アヒ(とうがらしを使ったソース)によく使われる。トマテ・デ・アルボルはインタグでは、実は問題があって、化学薬品を使っているところが多い。しかしながらインタグの農家にとって大きな収入源であるため、またその栽培面積は多大なため、いきなりすべて有機農法に変えるということは難しいようだ。しかしオルヘルさんのところのトマテ・デ・アルボルは違う。彼のトマテ・デ・アルボルはすべて有機だ。化学薬品を使えば、収穫は2倍になるが、それはしたくないと言う。だから、そのままがぶりとかじることができる。
 家に戻ったら、私が泊まらせていただいた部屋のベッドの上に鶏がいた。「うわー、入ってきちゃったよ。」と思い、その鶏を追い出すと、なんとまだ温かい卵がベッドの上にあった。グロリアさんに言うと、「きっとそれは、ようこそ、という意味なのよ。アヤに食べてほしいのね。」とケラケラ笑っていらっしゃった。
 その夜、オルヘルさんに、有機認証推進委員会のメンバーとして活動していらっしゃる理由を聞いた。「有機農業を進める上ではとにかく『続ける』ことが大事だ。生態系の多様性保全、コーヒーの質の向上、そして有機認証の獲得のために、続けること、それを推進しようと思った」という。 
 部屋にはたくさんの環境保全関連のポスターが貼ってある。そして恥ずかしそうに、私にニ枚の紙を見せてくれた。一枚は「アグロエコツーリズム・プロジェクト」というタイトルがついている一枚の紙だった。アグロ・エコツーリズムとは、一般に、農業とエコツーリズムをミックスしたもので、農園訪問や、森林の中で散策を通して自然の大切さなどを学ぶツーリズムのことだ。いずれ自分の敷地にキャビンを建て、観光客やボランティアを受け入れたいと言う。
 そしてもう一枚の紙は、地図だった。このプロジェクトを始めたら、この農園に、「シエンプレ・ヴェルデ」という名前を付けたいのだという。シエンプレ・ヴェルデとは、永遠に緑をという意味だ。「ここにはバナナがあって、」「ここに行くと川があって」と、いろいろ説明してくれる。しかしよくよく聞くと、「この道もキャビンもまだない。」という。それは彼の理想の農園の図だったのだ。 
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(オルヘルさん理想の農園の図)

 翌日、コーヒー農園よりさらに下にある森に向かった。前日と同じようにマチェテを片手にざくざく進む。雨が降っていたので、私はカッパ着用で後について行く。グロリアさんとパオラちゃんと家で飼っているわんちゃんとぶたちゃんも一緒だ。眼前に広がる霧が包む森。歩きながらいろいろな鳥の声が絶えず聞こえてくる。ところどころに、「自然を守ろう。」といった類の木の看板が木にくくりつけてある。「まだ観光客は誰も来ないんだけどね。」と照れくさそうにおっしゃるオルヘルさん。でも「できるところから」を見事に実践している方だと思った。

投稿者 taniguchi : 2004年08月04日 10:24