2012/05/05

現役の東大教授が明かす 「平気で人を騙す東大の先生たち」

きょうは、こどもの日ですね。そして、日本中の原発が止まる日です。
こどもたちへの最高のプレゼントだと思います。

子どもたちの未来を奪わないために、二度と原発を稼動させないために、どうすればいいのか。そもそも原発のような「いのちを脅かすもの」が、なぜ地震列島に54基もあるのか。その原因から考えたいと思います。

友人から「面白い人に会った。現役の東大教授でありながら、原発推進派の東大教授を痛烈に批判している。『原発危機と「東大話法」』という本も出している」という話を聞いて、本を読んでみました。

凄い本だと思います。東大教授という立場より「人として、どう生きるのか」という生き方を大事にしています。「覚悟」を感じます。多くの人に読んでほしい本です。
(東京新聞と週刊現代がこの本を書いた安富歩さんを紹介しています)

原子力ムラでまん延 「東大話法」
思考奪う 偽りの言葉 高慢 無責任な傍観者

        安冨歩・東大教授に聞く 東京新聞 2月25日

(2012/2/25 一輪の花)から抜粋

着想のきっかけは福島原発事故の直後、NHKに出ずっぱりだった関村直人・東大大学院教授(原子力工学)の話しぶりだったという。関村教授といえば、不安でテレビにかじりつく視聴者に向かって、実際に起こっていそうなことよりも、ずっと楽観的な「安全」を強調し続けた専門家。
1号機が爆発したのではないか、という一報にも「爆破弁を作動させた可能性がある。」などと言い切り、あとにひどい学者不信を招いた。

「過酷事故が目の前で起こっていても、官僚や学者は原発を安全と印象づける『欺瞞言語』を手放さなかった。東大で見聞きする独特の話しぶりにそっくりだと思った。」

ちなみに「東大話法」とは、東大OBが最も巧みに操るだけで、出身大学とは関係なく散見されるとか。爆発事故を「爆発的事象」と繰り返した東北大出身の枝野幸男官房長官の会見も、典型的な東大話法という。

「正しくない言葉で、まずだましているのは自分自身。
目の前で爆発が起こっている現実を直視できなくなり、正気を疑うようなことも平気でできるようになる。」

二十代のとき、2年半の銀行勤務の経験もある経済学博士だが、安冨歩教授の研究テーマは、「なぜ人間社会は暴走するのか」。バブルに突き進んだ銀行の暴走と、戦争に向かってひた走った昭和初期の日本社会の相似に気づき、既存の学問分野を超えて探求してきた。

安冨歩(やすとみ あゆむ)教授は、「最も恐ろしいのことは、危機的な事態が起こった際、正しくない言葉を使うこと。それは一人一人から判断力を奪う」と強調する。

危険なものを危険といわず

戦前、戦時中に「日本は神の国だ」などと言い続けたことが客観的な現状認識を妨げ、いたずらに犠牲者を重ねた。そんな「言葉の空転」が原子力ムラでもまん延していると指摘する。

「『危険』なものを『危険』と言わない東大話法が偽りの安全神話を支え、事故を招いた」
先月出版した「原発危機と『東大話法』」(明石書店)では、上から目線の話しぶりに潜む東大話法のウソを暴いた。

「暫定的」と前置きしつつ、二十も列挙した法則の主な項目を見ると・・・。

規則1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する
「原子力関係者がよく使う言い回しに、『わが国は・・・しなければなりません』がある。
『私』ではなく、往々にして国や役所などを主語にするのが『立場』の人です。」
日本人のほとんどは、立場に合わせて考え、「立場上そういうしかなかった」といった言い訳もまかり通りがちだ。

「責任から逃げている『立場』がいくつも寄り添い、生態系のように蠢いているのが日本社会。しかし、『立場の生態系』がどこにいくのかは、誰一人知らない。」

高慢 無責任な傍観者
周囲もあぜん 「記憶飛んだ」

規則8:自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル張りし、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。原子力ムラには自分を「傍観者」とみなしたがる習性も根付く。「客観的であることと傍観することをはき違え、なんら恥じるところがない」

傍観者ぶりが際立っているのが、原子力安全委員会の斑目春樹委員長。無責任な発言を繰り返し、「デタラメ」と揶揄された東大OBだ。つい最近も、事故直後の対応を聞かれた国会の原発事故調で「一週間寝ていないので記憶が飛んでいる。(官邸に)どんな助言をしたか覚えていない」と、当事者とは思えない言い訳をして、周囲をあぜんとさせた。

「原発に反対し続けた京大原子炉実験所の小出裕章さんが、講演のたび『原子力にかかわってきた者として謝罪したい』と繰り返しているのと比べると驚くばかりの傍観者ぶりだ。」

規則3:都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけを返事する。
規則5:どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも、自信満々で話す。
九州電力の社員動員が発覚した2005年の「ヤラセ討論会」に参加した灯台大学院の大橋弘忠教授(システム量子工学)も、典型的な東大話法の使い手だという。討論会の議事録などによると、参加者の一人だった小出助教授は「人は間違うし、想定外の事態も起こり得るので、安全余裕をなるべく多くとるのが、原子力のようなものを扱うときの鉄則だ」と主張していた。

これに対し、大橋教授は「安全余裕を完全に間違えて理解している方の考え方」と冷笑。水蒸気爆発の心配をする市民団体の代表にも、「私は水蒸気爆発の専門家」と胸を張り、見下すような議論に終始した。

「見つけたら 笑ってやって!」
プルトニウム拡散の『遠因』

「原子炉を四十年間、研究をしてきたのは小出さんの方。ところが、大橋教授が討論会を仕切ってしまった。その結果、九州電力の玄海原発には危険なプルトニウム混合燃料が投入された」
玄海原発に続き、福島第一原発3号機でも、プルサーマル発電が始まっている。
つまるところ、3号機の爆発事故でプルトニウムが飛び散った遠因に、大橋教授の東大話法が貢献したとも言える。ちなみに、同教授の語録には「プルトニウムを飲んでもすぐに排出される」がある。

「東大話法」にだまされないためには、どうすればいいのか。

安冨教授は、「自らの内にある東大話法に向き合い、考えることから逃げない姿勢が大切。東大話法を見つけたら、笑ってやること」と提案する。笑われて、恥ずかしいことだと気づくことで東大話法から抜け出せる。

どこに向かうかわからない『立場の生態系』については、パイプに詰まったごみのような存在が迷走を止める役割を担うこともあるという。

「官僚にも学者にも、あるいはメディアにも、自分の言葉を持つ人たちがわずかにいる。そんな一人一人の存在でかろうじて社会がもっている。もし、人間社会がひきょう者の集団になったら、社会秩序は維持できない。」

東大話法 20の法則 安冨歩(やすとみ あゆむ)・東大教授

○規則1:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
○規則2:自分の立場の都合のよいように相手の話を解釈する。
○規則3:都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事する。
○規則4:都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。
○規則5:どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々で話す。
○規則6:自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を、力いっぱいに批判する。
○規則7:その場で自分が立派な人だと思われることを言う。
○規則8:自分を傍観者と見なし、発言者を分類してレッテル張り氏、実体化して属性を勝手に設定し、解説する。
○規則9:「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘をつく。
○規則10: スケープゴートを侮蔑することで、読者・聞き手を倒喝し、迎合的な態度を取らせる。
○規則11:相手の知識が自分より低いとみたら、なりふり構わず、自信満々で難しそうな概念を持ち出す。
○規則12:自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
○規則13:自分の立場に沿って、都合のよい話を集める。
○規則14:羊頭狗肉。
○規則15:わけのわからない見せかけの自己批判によって、誠実さを演出する。
○規則16:わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
○規則17: ああでもない、こうでもない、と自分がいろいろ知っていることを並べて、賢いところを見せる。
○規則18:ああでもない、こうでもない、と引っ張っておいて、自分の言いたいところに突然落とす。
○規則19:全体のバランスを恒に考えて発言せよ。
○規則20:「もし○○○であるとしたら、お詫びします」と言って、謝罪したフリで切り抜ける。

現役の東大教授(安冨歩氏)が明かす
平気で人を騙す「東大の先生たち、この気持ち悪い感じ」

(2012年04月04日 週刊現代・賢者の知恵)から抜粋

 一流の学者が教鞭を執り、聡明な学生が学ぶ、最高学府・東京大学。その中にあって、彼らの話す「言葉」に不気味さを覚えた一人の教授がいた。「東大話法」と名付けられた、危険な話術の正体とは

うわべを取り繕う天才

 私は今、東京大学に籍を置いていますが、身の周りでおかしなことがたくさん起きていることに気付きます。

 たとえば、ある教授が地位を維持するために、あるいは自分の研究費を稼ぐために、自分の研究室にいる研究員の論文や、学生のアイデアを取り上げる。

 ある助手は、直属の教授のパワーハラスメントを受けて苦しみ、学内の委員会に訴えました。でも、証拠がないと取り合ってもらえなかった。彼は、結局大学を辞めました。

 その助手はその前に、自分のやらされている仕事の理不尽さに疑問を抱き、仲間の助手と共に、仕事の意味を主任教授に尋ねました。するとその意味をきちんと説明せずに、代わりに「2人に研究費として10万円ずつ出そう」とこっそり条件提示をしてきたそうです。

 東大には、悪事や自分の本性を一切表に出さないようにうわべを繕うのに長けた人間がたくさんいます。調べても、確たる証拠を掴むまでには至らない。それは彼らの計算しつくされたバランス感覚で、これ以上ちょっとでも前に出たら悪事がバレる、という一歩手前で止めるのです。

 彼らはものすごく優秀な頭脳を持っていて、自分がおかしく見えないように振る舞うという技術のプロ。そんな人々に、私は常々気持ち悪さを感じていました。そこで、彼らの言動を注意深く解析してみました。すると、話し方、議論の仕方や態度に共通性があることに気が付いたんです。

 私は、この論争の技法、そしてそれを支える思考を「東大話法」と名付けることにしました。東大話法は、東大教授や卒業生だけが使う技術というわけではありません。ただ、使いこなすには、クルクル良く回転する頭脳が必要で、上手に、バレないように使える人間は、やはり東大に多く集まっているのも事実です。

 学生の中にも、東大話法的思考を持っている人は大勢います。

 私が担当した経済学部の授業のテストで経験したことです。私は経済学の思考方法そのものを考える授業をしました。すると、きちんと出席して授業を受けていた学生より、出席しなかった学生のほうが成績はよかった。なかには、ほぼ満点という学生もいました。

 なぜかというと、出席していた学生は、経済学の思考方法が飲み込めないから授業に出ていたし、自分の頭で理解しようとした。だから、試験ではできるところもあれば、できないところもあるのが当然なんです。

 ところが出席しなかった学生には、自分の考えというものがない。試験に出るものは、互いに矛盾した思想であろうが、かまわず頭に入れておいて、模範解答を書く。だから、点が取れる。彼らがやっているのは、上手な処理というだけのことで、考えるという行為ではありません。

 彼らに「君の意見はなんですか」と聞いたら、答えられないと思います。何でも受け入れられるけれど、自分というものはない。

 学問というのは、いろいろなところに矛盾が隠されているものです。だから普通の人が勉強して矛盾に突き当たると、わからなくなる。それは当然なのです。

 ところが、一部の人たちは矛盾など気にせずにスパッと割り切った上で、そこから先を無矛盾に構成する。この能力の高い人が「勉強ができる」人になり、「専門家」になるんです。この問題が端的に現れたのが原発事故後の対応でした。

「東大話法」の法則

 安冨歩氏(49歳)は京都大学出身。経済学の研究員・助教授としてロンドン大や名古屋大を経て、現在は東大の東洋文化研究所で教授を務めている。

 東大に身を置くようになって感じていた違和感の正体を、原発危機をきっかけに解明。その概念や法則を『原発危機と「東大話法」』(明石書店)という本にまとめ、話題になっている。

 テレビに出て原発の安全性を熱心に語る学者は、ほとんど「東大話法」の話者でした。また、官僚もそうでした。政治家も使うけれど、官僚に比べるとずっと下手です。だから、うまくごまかそうとしても、ちょいちょいボロを出す。そもそも、政治家は選挙民相手に話すので、東大話法とは別の欺瞞言語体系を持っている気がしますが、原発事故後の対応をしていた枝野さんは例外でした。

 私が発見した東大話法の法則を例としていくつか挙げましょう。

● 自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。

● どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々に話す。

● 常に傍観者の立場から話をする。

● わけのわからない見せかけの理屈を使って相手を煙に巻き、自分の主張を正当化する。

● 「誤解を恐れずに言えば」と言って、嘘をつく。

● 自分の都合のいいように相手の話を解釈する。

● 都合の悪いことは無視し、都合のよいことだけ返事をする。

● スケープゴートを侮蔑することで聞き手を恫喝し、迎合的な態度をとらせる。

● 自分の問題を隠すために、同種の問題を持つ人を力いっぱい批判する。

 これらを含め、全部で20個の法則を見つけました。

 もし、誰かの話を聞いていて、この中の1項目でも当てはまる要素が登場したら、相手は東大話法の使い手の可能性が高い。あなたをうまくやりこめようと狙っているかもしれません。

 東大話法の使い手は、教授や官僚や政治家だけではありません。財界にも言論界にもいます。

信念も感情もない人たち

 何度も言いますが、こうした東大話法の話者には、自分の信念とか、感覚とかがありません。というか、それを感じないようにしているので、いかなることでも理解できるし、いかなることでも発言できるのです。

 だから彼らとの対話は、互いに心を通じ合わせ、新しいアイデアとか価値を生み出すものにはならない。彼らの話法は、相手を言いくるめ、自分に従わせるためのもの、要するに言葉を使った暴力だから、そもそも対話にならないのです。

人体にただちに影響があるレベルではない」、「原子炉の健全性は保たれている」—原発事故後、名だたる学者や政府の役人などの口から、こんな信じられない発言が次々と飛び出しました。私はあれを見て、すごく不気味に感じた。たぶん多くの日本人が同じ感じを抱いたと思います。

 彼らは態度もおかしかった。たとえば経産省の西山英彦審議官(当時=東大法卒)は、なぜか会見でニヤニヤしていました。あの役割は、常人では耐えられないほどの重圧です。まして彼は原子力安全・保安院に在籍経験を持つ責任者の一人。半笑いを浮かべながら話すなど、普通は絶対にできません。それができたのは、彼が自分を傍観者の立場に置いていたからです。

 当時の枝野官房長官の会見も、気持ちの悪いものでした。口では「政府は国民の生活をまず第一に考えている」と言うけれど、感情が伝わってこない。何を言っても、ほとんど表情が変わらない。

 また、東京大学医学部附属病院の中川恵一准教授は、事故後にインターネット記事でこう書いています。

「100mを超えると直線的にがん死亡リスクは上昇しますが、100mSv以下で、がんが増えるかどうかは過去のデータからはなんとも言えません。それでも、安全のため、100mSv以下でも、直線的にがんが増えると仮定しているのが今の考え方です。

 仮に、現在の福島市のように、毎時1μの場所にずっといたとしても、身体に影響が出始める100mSvに達するには11年以上の月日が必要です」

 この文章には、東大話法特有の矛盾が生じています。最初に「100mSv以下でも、直線的にがんが増えると仮定」しておきながら、次の段落では「身体に影響が出始める100mSvに達するには11年以上の月日が必要」と、話を逆転させているからです。

 なぜかというと、仮定のほうは「今の考え方」、つまり「線形閾値なし仮説」という放射線防護業界の標準的な考え方なので、正面切って批判するのは、彼の「立場」からするとまずいからです。そこで一応、「私は線形閾値なし仮説を認めています」と断ったうえで、今度はクルリと立場を変えて、いきなり11年間は安全という「線形閾値あり仮説」に飛び移っている。これは「自分の信念ではなく、立場に合わせた思考を採用する」東大話法で話をしているからです。

 また、このケースは「どんなにいい加減でつじつまの合わないことでも自信満々に話す」という法則にも該当しています。

 東京大学大学院の大橋弘忠教授も、随所で東大話法を駆使しています。たとえば、’05年に佐賀県の古川康知事の主催で行われた「玄海原子力発電所3号機プルサーマル計画の『安全性』について」という討論会で、大橋氏はこう発言します。

「(プルトニウムは)なんにも怖いことはありません。・・・・・・テロリストが取っていって貯水池に投げ込んだと。そこから水道水が供給されていると。じゃあ何万人が死ぬかというと・・・・・・1人も死なないというふうに言われています」

「皆さんは原子炉で事故が起きたら大変だと思っているかもしれませんけど、専門家になればなるほど、そんな格納容器が壊れるなんて思えない」

「私は水蒸気爆発の専門家です。・・・・・・我々専門家の間ではそんなこと(水蒸気爆発)は夢にも考えられていない」

 いずれも欺瞞だらけの発言です。科学的な背景を詳しく説明していく余裕はありませんが、大橋氏は「自分の立場に合わせた思考」に固執し、「都合の悪いことは無視」し、科学的にみて明らかに「つじつまの合わないことでも自信満々に話」しています。

 この討論会は、九州電力が動員した聴衆が半数近くを占めるヤラセでした。東大話法の飛びかう矛盾だらけの討論会だったにもかかわらず、終了後のアンケートでは、原発の安全性に肯定的な意見が約65%もありました。

「君のため」「国民のため」

 肉体の暴力は、暴力をふるう人の動ける範囲に限定されるけれど、言語による暴力は、メディアで、すさまじい範囲に広まります。その破壊力は、人類を滅ぼすことも十分可能なわけです。実際、そういうものによってナチスや、日本の軍国主義が生まれました。

 しかも巧妙なのは、東大話法が基本的に自分の攻撃を隠蔽するために使われるということです。彼らの言う「君のため」「国民のため」は、前後の文脈の中に、ほぼ確実に攻撃的な意図が込められています。

 権力の集まる場所にいる人は、だいたいこれを使っています。欺瞞的な言葉を使って、その場その場でごまかしながら、自分に都合のよい方向に周囲を動かしていこうとする。

 その技術が高いほど、物事の処理も巧みになっていき、組織の中心的役割を担うようになります。つまり、東大を出たような人で、かつそういう方向に頭を回すことが得意な、自分の考えも信念も感情もない人ばかりが上に集まっていくということです。これは国民にとって大変な不幸です。

 私が本の中で東大を散々にこき下ろしているので、東大関係者からは怒りの声も聞こえてきます。しかし、背中を押し、支えてくれた教員の方々がいたことも事実です。また、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教には、激励のお言葉をいただきました。

 私がこの本を出した目的は、東大の悪口を言うためではありません。原発事故によって露見した日本社会の真の様相を明らかにしなければ、この国は暴走してしまうと思ったからです。そうしなければ、私自身が生きる道を閉ざされてしまう気がしたのです。

 いま、原発の再稼働だとか、ヨルダンに輸出だとかいったおかしなことが、もっともらしい東大話法で唱えられています。これを抑えられなければ、もう原発も東大話法支配も止めようがない。でも逆に、ここで「怖い」、「嫌だ」というような思いをストレートに言葉にできる人が増えれば、逆転は始まると思うのです。実際、その兆しも出始めています。

 そういう人たちが政治家に選ばれて、大きな権限を持てるようになれば、国は変わる。いまがその最後のチャンスだと、私は思っています。


『原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語―』 
概要

福島第一原発事故に大きな衝撃を受けた著者は、その後の国や東京電力の対応、そして一般の人々のふるまいに唖然とする。

いったい原発で何が起こっているのか、事故はどの程度のものなのか。放射能はどこまで広がったのか。いっこうに情報が出てこない。枝野官房長官は「ただちに影響はありません」を繰り返すばかり。多くの人たちは、放射能がまき散らされたのを知っても、パニックにもならず、以前と変わらぬ生活を送っているように見える。いったいこれはどうしてなんだ!

そこから著者が感じたのは、現代日本人と原発との関係は、戦前の日本人と戦争との関係によく似ているということ勝ち目のない戦争を続け、原爆を投下されてもなお戦争をやめることのできなかった戦前の日本と同様の何かがあるのではないか。そう感じ、そのような視点で日本社会を眺めてみると、そこに共通して浮かび上がってきたのは欺瞞的な言語体系だった。

社会が暴走を始めるとき、きまって言葉の空転が起こるというのは、著者がこれまでの研究で確信していることで、今回の福島第一原発事故でも同様に、欺瞞的な言葉があふれだした。そもそも、欺瞞的言語は、原子力を推進する側が多用してきたものであり、原子力は安全と言い換えられ、事故は起こらないとされ、それを私たちが信じてきた結果、今回の事故が起こったのだ。あれほどの事故後も、その欺瞞的言語は使われ続けた。

その欺瞞的言語体系の代表が「東大話法」である。もう二度とあのような事故を繰り返さないためには、欺瞞的言語と決別しなければならない。そのような問題意識のもとで、著者が欺瞞に満ち溢れたと思われる原発をめぐっての言説を取り上げ、徹底解析。御用学者の発言や東大話法を駆使する池田信夫氏のブログを検証し、欺瞞的言語の悪質性を明らかにするとともに、欺瞞的言語を生みだす日本社会の構造を明らかにする。


無責任な言説にだまされないために, 2012/1/20 By 大島堅一
レビュー対象商品: 原発危機と「東大話法」―傍観者の論理・欺瞞の言語― (単行本)

霞ヶ関文書ともよばれるような政策文書や審議会議事録等を読んできた私にとって、何か変だな、と引っかかっていることがありました。それは、なぜ、原子力政策を立案している人々がかくも無責任で、傍観者的なのであろうか、ということです。また、決定的な出来事や反論があっても、まるで何ごともなかったかのように、従前と同じように事が進んでいくのは、どうしてなのだろうか、と疑問に思っていました。

こうした場面は極めて多く、そのたびになんとも言えない気分を味わっていました。

安冨氏は、この本の中で、原子力に関連する様々な論説を分析し、無責任な言説がどのように展開されるのかを詳しく述べています。その分析ツールとなるのが、「東大話法」です。私は、この本の分析によって、長年の疑問が解けました。

「東大話法」というのは、あくまで話法を総称した名称です。安冨氏自身が述べていますが、東大出身者であっても「東大話法」を使わない人もいますし、その逆もいます。しかし、東大出身者および東大内部にそのような言説が多いというのは、安冨氏自身が、東大教員として内部で実感しているようです。

ではなぜ、こと東大で、「東大話法」が使われるのか。

東京大学という権威を利用すると、それは非常に効果的であって、多くの人をだまくらかせるのであり、そういう経験を積むことによって、東大関係者は自信満々となり、ますます東大話法に磨きをかける、という循環関係になっています。」(pp.191-2)

と安冨氏は明快に述べています。この指摘は痛快であり、極めて鋭い。

このような権威に依拠した言説にだまされないためには、どうしたらよいのでしょうか。「東大話法」のやり口を知り、自らがそれを使わないことだ、と安冨氏は言います。

「必要なことは、「東大話法」に代表されるような、日本社会に蔓延する欺瞞話法を鋭く見抜くことです。・・(中略) 個々の人が、自らの中の「東大話法」を見出して取り除くことに努力せねばならず、そうすることではじめて、他人の欺瞞もみぬけるようになります。自分は欺瞞話法を駆使しつつ、他人の欺瞞話法を見抜くというのは無理な相談だからです。」(p.192)

「東大話法」を知ることは、「東大話法」を自らが使用しないためにも必要です。例えば、「「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘をつく」のは東大話法規則9に該当します。このような言い方をして、無茶苦茶なことを言った経験がありませんか?

「東大話法」で分析対象となっているのは、大橋弘忠氏、香山リカ氏、東大大学院工学研究科、池田信夫氏、鈴木篤之氏の言説です。また、斑目春樹氏(原子力安全委員会委員長)、近藤駿介氏(原子力委員会委員長)、鈴木達治郎氏(同代理)についても、安冨氏はその傍観者性を批判しています。

なお、この本は、「東大話法」そのものの他に、経済学への批判的見解、エントロピー論、地球温暖化に対する見解なども含まれています。評者とは見解を異にするところもあります。ですが、かといってこの本の価値が失われるわけでは決してありません。なにより、「東大話法」を定式化した安冨氏の努力は高く評価されるべきでしょう。

全体を通して、叙述の仕方は平易です。原子力村=ショッカー、小出裕章氏=仮面ライダーとたとえるなど、感覚的にわかりやすい表現を採用しています。現代社会に生きる私達にとって必読と言えるでしょう。

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