「精神のがれき洗おう」 ノンフィクション作家・佐野眞一さん

日本よ!悲しみを越えて ノンフィクション作家・佐野眞一さん
(毎日新聞 2011年11月18日 東京夕刊)

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 ◇精神のがれき洗おう 佐野眞一さん(64)

 「まるでポール・デルボーが描く幻想画のようでした。黙示録ですよ。この目の前に広がる光景はたぶん死ぬまで夢に出るんだろうと感じました」。佐野眞一さんが静かに振り返る。実際、今も悪夢にうなされる夜がある。

 ベルギー生まれのデルボー(1897?1994年)は、シュールレアリスム(超現実主義)の代表的画家。静寂の中に、幻想的な世界を表現する。大震災の発生から9日後の3月20日、岩手県の陸前高田市街で“それ”を見た。

 「津波が奪い去った無人の廃虚を、恐ろしいほど明るい満月が照らしていたんです。恐怖と怪奇、あるいは夢幻。濁流にのまれて絶命した人々も、末期に同じ光景を目にしたかもしれない。私は生きて見ている」。そう思ったら、体に震えがきたという。

 「被災者が『失った』言葉を、その沈黙を、どうやって伝えるか」。メディアからの2次情報でなく、自ら体感し取材した事実を丹念に積み上げるのがノンフィクション。事故や災害の現場には、常に「生の声にかさぶたができる前」に駆け付けた。昨年初めに受けた大手術後の体調を懸念し出発こそ遅れたが、今回も三陸沿岸を走り回った。

 実は、地震直後に<略奪一つ行われなかった日本人のつつましさも、誇りをもって未来に伝えよう>との文章を在京紙に寄せている。現地入りする前のこと。東京ではそんな「美談」が報じられ、海外でも、絶賛評が続いていた。

 「ところが、実は行われていたんです。複雑な気持ちになりました」。自警団が夜間パトロールをしていたという。「大災害は、人間の崇高さと同時に醜悪さもあぶり出すんです。その現実から目を背けてはいけない」

 一方で、佐野さんは「傷ついた人が前を向くのはたやすいことではない」と憂える。岩手県宮古市の定置網業の社長(57)は朝から酒浸りで「日本の漁業は全滅した」とむせび泣いていた。6隻持っていた船の5隻を流され、ろれつの回らない声で、「船さえあれば」と訴えたという。

 「ところが東京都知事が『天罰』と発言してみたり、『がんばろう』では済まないのに、テレビではエラソーな評論家がもっともらしい顔で空疎なコメントを繰り返す」。そのコメントで妙に納得してしまう。「日本人のすべてが彼らの身の上を思いやれるか、その想像力を問うているのが今回の震災なんです」。想像力が欠如しているとすれば??。「それこそ、精神のがれきですよね。国会を見てください」

 千葉県にある自宅の2階。本に埋もれた仕事場で、椅子に座った佐野さんがこちらを見つめている。最も嫌うのが「日本は一つ」キャンペーンだという。

 「冗談じゃない。日本って一つじゃなかったんですよ。福島県の原発は東京のため、中央のため。(沖縄の米軍)普天間飛行場と同じ植民地が福島にあった現実が、あらわになったんです」。原発から送られてくる電力で築かれた繁栄。安全でクリーンだと言いくるめられてきた私たち。そして、取り返しのつかない事故が起きた。しかしそれで国と電力会社に八つ当たりするのは短絡的だという。

 「原発労働には歌がないんです」。同じエネルギーでも炭鉱労働には歌があったし、娯楽映画もできた。漁師も、板子一枚、下は地獄といわれる危険な仕事だが、「でも、誇りもあったんです。俺が女房、子どもを支えていると。単なる金稼ぎではないんです」

 それまで体をいたわるように静かだった語り口が、急に熱を帯びてきた。「しかし、原発で働く人たちは、作業をすればするほど放射線を浴びる。そして最後に捨てられる。体を張るというより、ある意味、体を売っている。原発に支えられた繁栄の前に原発労働者を踏み台にしての繁栄だったんですよ。私たちは、その事実にあまりに鈍感過ぎた。原発が日本にできて40年以上もたつのに気づいてこなかった。想像力の欠如。罪深いことですよ」

 今こうしている間も、原発では約3000人が被ばくの恐怖と闘いながら復旧作業に努めている。

 佐野さんが埼玉県加須市の避難所で聞いた被災者の話では、原発付近に住む人々は、江戸時代の「天保の飢饉(ききん)」の際に失われた労働力を補うために相馬藩が全国から集めた農業移住者の子孫だったという。

 「なのに今、古里を追われ散り散りになっている……。私は阪神大震災の翌日、神戸市に入ったんです。火のくすぶる焼け跡で、焦土をふるいにかける夫婦がいましてね。近寄ってのぞいたら、中に白っぽいものが見えたんです。我が子の骨を探していたんですよ。三陸や福島では、それすらできない」

 今取り組んでいる作品は、ソフトバンク社長、孫正義さんの人生記だ。以前から取材を続けていたという。「震災の後に何をしていたか尋ねたら、彼は、ずっとテレビを見ていたと言うんです。三陸の海岸で赤い服を着た女の子が、海に向かってお母さんと叫んでいる姿が映って、思わず泣いてしまったと。その時どう思ったかと重ねて聞くと『自分は非力だ』って3回も繰り返したんですよ。本当なら、そういう言葉って政治家の口から出てくるものだと思うんですけどね」

 孫さんは福島県の避難所を訪ねて、子ども1000人に佐賀県への一時避難を勧め、すべての移動費は自身のポケットマネーから払うと申し出たそうだ。「表現は悪いが彼は一介の携帯電話屋ですよ。しかも言葉だけでなく、行動した。逆に言えば、日本のリーダー不在が露呈したんです。菅直人前首相も失言で辞任した閣僚も、民主党も自民党も公明党も、空疎な時間の浪費を続けている」。国会の関心は、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)に移っているようだ。

 「私たちが、言葉をいかにつむいで行動していくか。政治家や他人の言葉に左右をされず、想像力を働かせる。考える訓練が必要です。それがこの震災を乗り越える一つの道だと思うんです。戦後の日本は若く勢いがあって復興を果たしたけれど、今は高齢化が進んでいる。一人一人が精神のがれきを洗い流さないと、今回ばかりはちょっと難しいかもしれない」

 精神のがれきを洗い流す……ひょっとしたら、それは被災地のがれきを取りのぞくことよりも、難しいのかもしれない。

 被災地に厳しい寒さがやってくる。【根本太一】

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 ■人物略歴
 ◇さの・しんいち

 1947年、東京都生まれ。早稲田大学文学部卒。97年に「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞。「東電OL殺人事件」など著書多数。近著に東日本大震災の現場をルポした「津波と原発」。

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