2011/06/21

萱野茂さん「原発は天に向かって唾を吐くようなことだ」

文化人類学者で、100万人のキャンドルナイト呼びかけ人代表でもある辻信一さんが注目されています。その辻さんが2006年5月に書いた脱原発の想いを今、読み返したいと思います。

脱原発を誓う:萱野茂さん追悼メッセージから抜粋

辻信一とご縁でつながっている皆さん、
アイヌの指導者であり、シサムとしてのぼくたち日本人の指導者でもあった萱野茂さんが亡くなりました。ぼくの思いを以下、書き留めてみました。皆さんとともに、彼の遺志を継いで脱原発のために働けたら幸いです。

(中略)

ぼくが萱野さんのことが気になっていたのは最近加速するばかりの原発をめぐる動きのせいだ。特に六ヵ所村の再処理工場でのアクティブ試験なるもののあまりに性急な(なりふりかまわぬ)開始。あれはまさに縄文の地、アイヌの大地への歴史上最大級のテロだ。もうひとつのグラウンド・ゼロではないのか。これをやる側がアイヌの人々に思いを馳せることがなかったのだろうということは想像ができる。でも、それをとめたいと願う我々はどうなんだろう、とぼくは思わずにいられない。ぼくはとにもかくにもまず萱野さんのところに行って知恵を借りてきたい、と思ったのだ。

でも、萱野さんが逝ってしまった今となっては、本の中に、テープの中に、そしてぼくたちの記憶の中に残された彼の言葉にもう一度耳を傾けるしかない。

(中略)

萱野さんと最後にお目にかかったのは今からちょうど5年前の2001年のこと、ぼくの大学で行なわれた「チェルノブイリ15周年」(主催:ナマケモノ倶楽部、大地を守る会)の集会に無理をいって来ていただいた時だった。そこで、萱野さんはチェルブイリ事故の後、北欧先住民であるサーミの地を訪ねた時のことを話した。大地の上にあるすべてのものを同胞と見なす先住民族は、「大地を離れては暮らしていけない」ものであること、だからこそ、大地が汚染され、生態系が破壊された時に、最も大きな犠牲を強いられてきたのだということを、ぼくたちに思い出させてくれたのだった。

彼はこう言った。
「原発は天に向かって唾を吐くようなことだ。吐いた唾は必ず、自分の顔に落ちてくる。」今日、私はこれを遺言のつもりで言うんです、と彼は会議の前にぼくに漏らしたものだ。

また、講演の中で、彼はこんなことも言っていた。いくら悲惨な事故が起こっても懲りずに原発をつくり続けている人たちを見ていると、神様は、あまりにもおごり高ぶって、他の生きものたちのことを何一つ考えなくなった人間を滅ぼすためにこそ、ウランのような恐ろしいものをこの世に降ろされたのではないか、と思わずにいられない。そんな私の不安が当たっていなければいいのだが、と。

萱野さんが亡くなられた今、ぼくは自分の住む世界がいっそう寂しい場所になったことを痛感している。それはすでに彼の死のずっと前から進行していたプロセスのひとつの大きな節目なのだと思う。最後にご自宅に萱野さんを訪ねた時、彼は繰り返し、かつては踏み潰さないように歩くのに苦労するほどたくさんいたカエルが激減していることを嘆くのだった。まるでこのこと以上に大切なことが世界にあるか、というように。それは彼が参議院議員を惜しまれながら辞職し、「狩猟民族は足元の明るいうちに家に帰るもの」という名言を残して二風谷に戻って間もなくのことだった。彼が本当にあちら側へと「帰って」しまった今、こちら側に残されたぼくたちは、足元の暗さに呆然とするばかりだ。そして、カエルたちの消えた世界を寂しがっていた彼がいなくなったこの世界のなんと寂しげなことだろう。

チェルノブイリの原発事故からちょうど20年、水俣病公式確認から50年。原子力産業を推進しながら核拡散を防止するのだというIAEAが、チェルノブイリの被害を過小評価し「チェルノブイリは終わった」という幻想をつくり出すのに躍起になっているのは、日本の政府や産業界が「水俣」を過去のものとして封印しようとしてきたことと、ピッタリ重なる。それはまた、日本人がアイヌを差別と迫害で社会の片隅に追い込み、過去のものとして博物館の中に閉じ込めようとしてきたこととも重なる。

そういえば不知火海の漁師で水俣病患者でもある緒方正人さんは、4月29日の「新たな50年のために」と題する水俣病講演会で、こんなことを言っていた。仮に、人間の世界では、薄っぺらな謝罪の言葉や補償金や「和解」とかで問題が解決したかのような幻想をつくることができたとしても、人間と共に死んでいった魚や鳥たちはどうするのか。彼らに札束をちらつかせるわけにもいかないだろう、と。

これをぼくは、海の先住民族から届いた貴重なメッセージとして受け取りたい。沙流川の先住民である萱野さんも繰り返しぼくたちにこう語っていた。かつてアイヌは主食であるサケを、キツネやカラスたちと分かち合うことを忘れなかった、と。

ぼくは萱野さんの霊前に誓おうと思う。あなたがぼくたちに遺言としてくださった言葉をもう一度かみしめるところから始めます。そしてあなたの死の一ヶ月あまり前に吐き出され始めた六ヶ所村再処理工場からの放射能を止めるために最善を尽くします。そして、近づく東海巨大地震の予想震源の真上にある浜岡原発を止めるために、できるだけのことをします。あなたの不安が現実とならないように・・・。ご心配なく、とは残念ながら言えません。しかし、あとはお任せください。あなたの深い知恵をいただいたぼくたちには、きっとこの大切な仕事をするための大きな力が宿っているはずですから・・・

5月7日 辻信一



震災支援、ハチドリ精神で 「微力でも、できることを」 
(2011年6月13日 朝日新聞)

 鳥のなかでも体が小さい「ハチドリ」が、東日本大震災の被災者支援のイメージキャラクターになっている。一人ひとりは微力でも、行動を起こすことの大切さを伝えた南米の民話が共感を呼ぶ。

 文化人類学者の辻信一さん(58)がアンデスの先住民族に伝わる民話をもとに2005年に監修した物語「ハチドリのひとしずく」(光文社)がきっかけだ。

 1羽のハチドリが、燃えさかる森に一滴ずつ水を落としていく。「そんなことをして何になるんだ」と笑う動物たちにハチドリは答える。「私は、私にできることをしているだけ」

 地球温暖化防止などの課題に地道に取り組むメッセージと受け止められ、06年までに10万部を発行。東日本大震災でその精神に再び関心が集まった。「被災地で朗読したい」という声や書店からの問い合わせが版元に相次ぎ、4月に急きょ6千部を増刷した。

 物語をヒントにした被災地支援も始まった。通販大手ニッセン(本社・京都市)は「ハチドリのひとしずく募金」を企画。商品1点を販売するたびに同社が10円を積み立て、5千万円をためた。ハチドリのイラスト付きTシャツも販売し、収益を支援に充てる。


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