2012/07/08

問答 「まさか『原発停止』万歳!で終わりでは無いでしょうね!!」

こんな質問が届きました。

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中村さんのFBでの記事?は、どれも「原発」「反原発」ですが どうしてですか?そしてそれは 何処が到達点なのでしょうか?原発に対しては 皆さん関心も強いし 怖い いけない 悪い 有害 …..。十分に分かってます。とは言え 今日の生活があり 有害物質を含んだ空気も吸わない訳にはいかず 毎日口にする物も 厳選する事も不可能に近いです。まぁそれが 現実ですよね! そんな中 幻想でなく もっと具体的なプロセスと言う物を語って欲しいと思いますが! まさか 「原発停止」万歳!で終わりでは無いでしょうね!! あの何十万人の人達はその後 何処に向かって行進するのでしょうか?
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今日は、この質問の返答になるかもしれない、私の会社のスタッフが朝日新聞に連載した文章を紹介したいと思います。

福島第一原発の事故後、生きる元気 くれた自然

生きる元気 くれた自然
(2012年04月10日 朝日新聞)

■赤村スローカフェ クリキンディ店長 後藤彰さん

 2011年3月11日の大震災とそれに伴う福島第一原発の事故。私にとっては、大げさではなく「人生観、文明観がひっくり返った」出来事だった。次々に爆発する原発、拡散する放射性物質。被災地の状況や亡くなられた方のことを知るにつれ、虚無感に覆われていった。これまで積み重ねてきたことが一瞬にして無に帰していく。そんな事態を思いながら「何をやっても無駄では」との感覚が強烈にあった。身体にも気持ちにも力が入らず、自給用の田畑の作業に着手できない自分がいた。

 しかし、時は積み重なり「種まきの時期」が嫌でも来る。「播(ま)かない種は出ない」のだ。4月中頃に入り「自然のリズム」に背中を押されるようにして重い腰を上げ、徐々に種まきや田んぼの整備などの仕事に取りかかった。晴天の下で身体を動かし、汗を流し、風を感じ、鳥の声を聞く。静かな空間の中での作業は気持ちが良く、心身ともに癒やしをもたらしてくれる。

 田植えも終わり、稲の生育も盛んになりだした頃だろうか、不思議と「虚無感」が薄らいでいった。自然や田畑から生きる元気をもらった。

 僕が赤村で農的営みをしているのは、農村を営業仕事で回った経験が大きい。農家と直接話す仕事を通し、自然の中に生き、暮らしや食べ物を自給する底力を感じた。「買う」だけではない、自ら育てる、手作りしていく文化の大切さ。そこに本当の豊かさがあると感じ、自分も実践者になりたいと強く思った。

 そんな折に有機栽培コーヒーのフェアトレードに取り組むウインドファームの中村隆市氏から「赤村でオーガニックのカフェを作り、長期的にはお金に依存せず生きていけるエコヴィレッジを作りたい。一緒にやらないか」と、誘ってもらった。「問題ではなく、こたえを生きる」。この口説き文句が、背中を押してくれた。こうして僕は赤村にたどり着いた。

 赤村では、古い民家をお借りし、シンプルな暮らしを営んでいる。米や野菜をほどほど自給しつつ、季節の山菜、野草を食べ、梅干しやみそ、こうじを手作りし、お風呂やストーブは燃料を薪に頼る。庭に畑があり、野山には山菜や野草があるため、冷蔵庫も置かず、畑を見てから料理をする。お金ではなく、自然に依存するライフスタイルは、心地よく安心感がある。「自然が生かしてくれる」のだ。

 しかし、福島第一原発の状況は現在も予断を許さず、放射性物質で汚染された大気や海、大地は傷みつづけている。大惨事を引き起こしながらも「経済のためにはエネルギーの安定供給が必要だ」と、原発の推進や再稼働の動きが盛んだ。

 この状況下で、虚無感に覆われることもある。しかし、今こそ「問題ではなく、こたえを生きる」ことを貫きたいと強く思う。「私が生きる意味は」「自然に生かされるとは」などを問い、具体的な変化を現実化していきたい。

 農村営業時代に感じ、3・11以後の流れの中で深めてきた思いや実践を「半農半スロービジネス」「構造的平和」をキーワードにして、ご紹介したい。

(写真:田んぼのならし作業をする後藤彰さん。できるだけ機械を使わずに耕している=後藤さん提供)

    ◇

 後藤さんは1977年、東京都稲城市出身。月刊誌「現代農業」を発行する農文協勤務を経て、2006年からウインドファームのスタッフとして赤村在住。「赤村スローカフェ クリキンディ」店長。


(2)今ある現実 別の世界も
(2012年04月17日 朝日新聞)

■赤村スローカフェ・クリキンディ店長

 現代では、社会格差や環境破壊など、問題が山積している。原発が良い例だが、私たちの「豊か」な暮らしが、こうした問題を起こし続けるシステムに依存していることを、忘れてはいけないだろう。

 こういった問題を批判することも大切だが、もう一歩先に進んでいくには、「こたえを生きる」ことが必要だ。僕の現時点でのこたえは「お金ではなく、自然と人とのつながりに大いに頼り、多彩な仲間とコミュニティーをつくり愉快に生きる」ということだ。

 この思いの原点は高校生の頃にさかのぼる。制服も校則もない私立の和光高校(東京都)に通った。部活でサッカーに明け暮れたが、一方でオゾン層破壊、酸性雨、森林破壊などの環境問題について、自分で調べて学んだ。例えば、大規模な牧場と安いハンバーガーの肉、熱帯雨林の破壊のつながり。「そんなことをいちいち意識してたら、食べるものがなくなるよ」という友人の言葉に「でも、それが現実じゃないか。そんな現実は受け入れたくない」と憤りを感じたことを鮮明に覚えている。

 テレビや新聞を通して、紛争、飢餓、貧困、不正、汚職などが伝わってくる。「何で世の中は、こんな理不尽なことがまかり通っているんだ」というネガティブな感情を抱いていた。

 そんな折、「木を植えた男」というアニメーション映画を見た。羊飼いの老人が荒野にドングリをまき、苗木を育て、木を植えていく。ついには荒れ地を豊かな森に変えてしまう物語だ。「人間は破壊の神にもなり得るが、創造の神にもなり得る。尊い存在だ」といった一節があり、強い衝撃を受けた。今思えば「異なる現実を作り出すことは可能」ということを意識した原点だ。

 その後、1年の浪人を経て、中央大総合政策学部に入った。モジュタバ・サドリア氏というユニークな教授のもとで社会を批判的に捉え、代替案を考えることを徹底的に学んだ。学部1年から大学院博士課程までの学生が集うゼミでは、「問題意識は何か」「この社会でどう生きたいのか」を常に問われた。社会学や文化人類学、哲学などの学問分野を横断しながら、「開発や発展の前提となっている近代とは」といった問いを文献を読み、議論することで深めた。

 理論的な学びの中で、「今ある現実が、たったひとつの現実ではない」「別の世界はあり得る」という強い認識を作ることが出来た。この認識は、今でも僕の土台となっている。


(3)「こたえ」農村にあった

 大学での学問的な学びと並行して、「実体験」も大切にしていた。大学の長期休みには東南アジアや中東へ一人旅に出た。

 イランでは、バスの中で目が合っただけなのに「うちにお茶を飲みに来なさい」と誘っていただき、食事までごちそうになり、昼寝しておしゃべりして帰ったこともある。「君がハッピーであれば、僕もハッピーなんだよ」という文化に驚いた。

 また、会社を辞めて旅を3年続けているといったユニークな旅人と交流する中で「大学を出たら就職」「稼ぐが勝ち」といった呪縛から解放され、「人生なんでもありだ。好きなように生きたら良い」と思うようになった。

 世界観や人生観がゼミでの学びと旅によって広がったが、「自分が何をしてどう生きたいか」という肝心な問いへの「こたえ」は、全く見えていなかった。

 貧困や環境破壊を生み出す経済に加担することが嫌で仕方がなかった。就職活動をしても「働きたい」と思える会社が全くなかった。大学院を出た後に1年間、ナマケモノ倶楽部というスローライフを提唱するNGOで活動した。イベントの運営スタッフ、海外からのゲストと訪問した沖縄県の西表島でのお祭りの手伝い、ピースボートに乗って訪問したインドでの国際会議への参加など、自分なりに「こたえ」の模索を続けた。

 このNGOを通して出会った仲間たちが、実に魅力的でユーモアにあふれていた。原発につながる自販機は利用したくないと、水筒を持ち歩く。割り箸を使わずにマイ箸を使う。「安らぎや穏やかさが環境問題の解決につながる」という発想も新鮮だった。漠然とではあるが、「こういったつながりの中でなら、生きていけるかも」という希望が生まれた。

 しかし、現実的に「食っていく」ことに壁があった。その後、さすがに「働かないと食えない」という状況になり、農文協という出版社で農村営業に従事した。5千人近い農家と出会って対話をする中で、「自然の近くで食べ物を育てて生きている人は強い。不思議な余裕がある」と感じた。「農業は食えねぇ、だめだぁ」と言いながらも、物理的に食べる物はふんだんにあるし、自然が与えてくれるものを活用する知恵工夫もたくさん持っている。そんな60代、70代の方とのやり取りが多く、その人の歴史を聞く機会もあった。「わたしは70年間こうして生きてきた。さて、君はどう生きるかね」と問われている気がした。

 現場を回る中で、暮らしを作る農的営み、自給、地域のつながり、お互いさまの文化の中に、「豊かさ」や「安らぎ」があると感じた。徐々に、そういったものを傍観する立場ではなく、地に足をつけて自ら実践して生きたいという思いが募っていった。


(4)自然に対する感覚 変化

 自分が農的な営みや地域に関わる実践者になりたいとの思いで、赤村に移住した。2006年2月のことだ。

 立場としては、有機コーヒーの販売会社「ウインドファーム」のスタッフだが、仕事はまさに「多足のわらじ」だった。新規に立ち上げる「赤村スローカフェ クリキンディ」への「加勢」、農的暮らしを実践しつつ長期的にはエコ・ヴィレッジにつなげる取り組み、ウインドファーム本社のコーヒー営業などの仕事、そしてスロービジネスを広めるためにインターネットと実地での学びを展開するスロービジネススクール(SBS)の事務局。とにかく忙しかったが、僕にとっては全てが面白く、多様な学びがあった。

 「ま、やりながら考えよう」というおおらかなウインドファーム社長の中村隆市氏のスタンス。クリキンディは「加勢」という設定だったが、曲折があり今は責任者になっている。

 移住してからは、とにかく赤村の人たちと知り合う、交流することを大切にしていた。「赤村ほたるの会」に参加させていただき、ホタルのエサであるカワニナを養殖するプロジェクトのお手伝いをしたり、ホタルバスの運行にボランティアで参加したり。その中で「ホタルが生息できる環境は、人間が暮らしやすい環境でもある。この意味でホタル=人間なのだ」との小川次男会長の哲学に感動した。

 また、下赤地区の神幸祭にも参加し、ここ5年ほどはみこしを担がせていただいている。5月初旬にみこしを担ぐことで、忙しくなる田畑の仕事に向けて身体に気合が入る感覚がある。こういった機会を与えていただいていることがとてもありがたく、うれしい。

 もちろん失敗やトラブルも多々ある。育てた10俵ほどの米がほとんどカビてしまったり、楽しみにしていた大豆が全てシカのエサになったり、「屋敷周りは、キレイに草刈りしなさい」とお叱りを受けたり、多忙でカフェスタッフとのコミュニケーションが後手に回って迷惑をかけたり。「まったく、なんしょん」との声が聞こえてきそうだ。

 振り返れば、大学に入ってから大学院を出るまでと同じ期間があっと言う間に過ぎた。自分の中で大きく変わったのは「自然に対する感覚」だ。「プラスチックやビニールなど土に戻らないものはなるべく使いたくない」「河川に生活排水が直接流れるので台所や風呂で化学物質は使いたくない」「田畑を通して自然が生かしてくれるから安心していよう」ということを自然な実感として持つようになった。

 私たちのおなかにいる腸内細菌を思い浮かべて欲しい。それが「わたしの一部」と感じられるだろうか。同じように、私たちは地球の一部なのだと思う。日々自然を感じ、自然に働きかけ、働き返される環境の中での暮らしの積み重ね。それが今の感覚を培ってくれている。


(5)満ち足りた幸せ ここに

 「問題ではなく、こたえを生きる」

 化学肥料や農薬に頼らない自然農を提唱する川口由一さんはそう言っている。

 僕の現時点でのこたえは「お金ではなく、自然と人とのつながりに大いに頼り、多彩な仲間とコミュニティーをつくり愉快に生きる」ということひとつのスタイルとして「半農半スロービジネス」という道を生きたい。自給程度の農的営みをしつつ、必要な現金は世の中がより良くなるビジネスに関わる。僕なりのこたえを暮らしと仕事の側面からお伝えしよう。

 暮らしの軸は自給的な農と食の営みにある。家の庭先に畑があり、無農薬、無肥料でもそこそこ野菜が育ってくれている。最近は、春の野草をよく食べる。ノビル、ノカンゾウ、フキなどなど。集落内に田んぼをお借りし、主食であるお米を自給。一粒を大地にまけば、水、太陽、微生物などの働きによって、なんと2千粒以上のお米に育ってくれる。田畑と野山の恵みで1年食っていく糧があるという事実は、圧倒的な安心感だ。「自然に生かされる」ということを、理屈抜きに実体験している。

 梅干しやこうじ、みそ、切り干し大根、ジャム、ぬか漬けなどの加工もたのしみのひとつ。昨年は梅干しの塩を自然海塩にしてみた。非常にマイルドでおいしい。自分でやってみるからこそ、アレコレ工夫ができる。その結果も実感できることがうれしい。

 ある時、自分が食べている物の大部分がいわゆるオーガニック(有機)だと気がついた。そのおかげか、身体の調子はとても良く、病気になることもほとんどない。質素だが、非常にぜいたくだと思っている。

 こうした恵みを与えてくれる自然を汚したくないという思いもあり、暮らしはとてもシンプル。水は井戸水、調理の一部、お風呂と暖房に薪を活用。薪は赤村内の製材所から端材をいただいている。モーター音がうるさいので冷蔵庫は置かず、エアコンなどもちろんない。電気代もガス代もせいぜい月1000円程度。気が付くと「生きていく」のに、お金に振り回されることがない。決してガマンしているのではなく、シンプルさと心地よさを求めたら自然とこうなったのだ。

 「田舎の生活は退屈では」と問われるが、月、草花、鳥の鳴き声など変化がダイナミックな自然が近くにあり、毎日が刺激的だ。特に毎夜変わる月明かりに感動する。毎日ぐんぐん伸びる雑草の生命力にも感動する。こうした草も生えないような畑では、作物も育ちにくい。

 6年間農村に住んで得た実感は「自然と人とのつながりに頼れば、食っていくのは難しくない」ということ。そして、「ここに感動と満ち足りた幸せがある」ということだ。


(6)「構造的平和」つくりたい

食べ物や感動、安らぎは自然が与えてくれる。しかし、現代を生きる上でどうしても必要になる最低限の現金をどうするか。

 「言っていることは分かるし、自然の近くで自給的生活というのは理想だけれども、現実には……」。私の話を聞いて、多くの人が示す反応だ。100万年後まで汚染を残しかねない原発の再稼働を求める人たちも、結局は「暮らし」「仕事」「お金」という悩みに行き着く。もちろんそれもひとつの現実だ。

 だが、異なる現実は自分たちで試行錯誤をしながら作っていくしかない。その手だての一つに「スロービジネス」がある。言い換えるなら、「いのちを大切にする仕事」。すればするほど、世の中がより平和になり、自然が輝き、人々に笑顔が増え、幸せも増える。本来、仕事とはそういう営みだったのではないか。

 しかし現状は、弱肉強食的な世界観や経済成長を重んじる考え方によって、ビジネスを通して自然は破壊されている。先進国と途上国の関係のように、誰かの幸せや満足が、誰かの不幸になっていることが多い。

 この状況は、どこかに悪の親玉がいて、それを倒せば解決するものではない。「仕組み」「構造」として悪循環が成立してしまっているのだ。これを「構造的暴力」と言う。これは今の社会の中の隅々まで、菌糸を伸ばすかのように広まっている。知らず知らずのうちに、私たちは暴力の加害者になってしまう。

 ある時、ふと思った。仕組みを変えて「構造的平和」というものを作っていけば良いのだ、と。例えば、私が所属しているウインドファームの森を守るコーヒー。一般のコーヒーは、森を切りひらき、農薬と化学肥料が前提の大規模プランテーション栽培をする。しかし、森林農法は、日本の里山のような環境を生かしながら、多様な生態系の中で農薬にも化学肥料にも頼らずにおいしいコーヒーを育てる。

 森は現地の人々に食料や建築材、薪、薬草など多様な恵みを与えてくれる。鳥や小動物の心地よいすみかにもなり、生態系が豊かになる。「森なんて必要ない。伐採してしまえ」と思ってコーヒーを飲む人はいないだろう。逆に、「森が守られるならすてき」と思ってコーヒーを選ぶ人はいる。あるいは「とてもおいしいから」と森林農法コーヒーを選択することが、森を守ることにつながる。こういった「仕組み」「構造」をスロービジネスを通して育てていく。それが社会の隅々にまで広がっていったら良い。

 原発事故と放射能汚染、「いのちを大切にしない仕事」の蔓延(まん・えん)という現実の中で、これから私たちが試行錯誤しながらより良い未来を作っていく。「理想だけれども、現実には……」と言う人には伝えたい。「もうひとつの世界は可能だ」と。

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