命は授かりもの、自然は預かりもの
ごみ問題解決はあらゆる環境問題解決の第一歩
ポイ捨てを無くし、循環型社会を構築するデポジット制度
デポジット法制化を求める事務局 
妹川 征男(いもかわ・いくお)

デポジット法制化運動のページができました!ぜひご覧頂き、ご協力をお願いいたします。

はじめに

 古代より人は自然と触れ合い、共生しながら、心の安らぎと潤いを得てきた。また自然界は人を育み情緒や生命への感情を養成し感覚器官の発達を促すとともに、そこにまつわる文化と歴史をも育んできた。しかし今日、物質的な豊かさを追求して、極限まで発達した社会構造が、局地的公害だけでなく、多様な環境破壊をもたらしている。またそれは全ての人々が地球環境破壊の加害者であると共に被害者であるという面で深刻な問題でもある。第一次産業から流通、消費に至るまでの目先の経済利潤、また利便性のみを追求し構築された社会経済システムやそれに便乗した私たちの生活様式を、今改めて問い直すときではないだろうか。
 私は、今を生きる大人として、また教師として、環境の負の遺産を次世代に先送りすることは許されないとの思いから、学校現場であらゆる機会を通して環境教育を行うと共に、地域においても環境保護運動に携わりながら啓発活動を続けている。

娘は公害ゼンソク、公害の町、北九州市若松区を脱出、芦屋町へ、娘はゼンソクから解放

 私は、福岡県中部を流れる筑後川と秋月川に挟まれた田園地帯の福岡県甘木市出身。子供時代は、春は菜の花・れんげ畑でトンボや蝶を追いかけ、小川で魚を捕り、夏は近くの山でセミやカブトムシを追い、秋は干しだわらの中から凧揚げをして成長。その故郷も開発の波で自然が半減。1967年、教職として赴任した宮崎県は太陽と緑とオゾンの素晴らしい環境が息づいていた。7年後、不本意ながら家庭の事情で北九州若松区に転勤。洞海湾を挟んだ若松・戸畑地区の工場から吐き出す煤煙は多くのゼンソク患者を出していた。生徒の中には煤煙によってゼンソクを煩う者がかなり居た。我が家はその洞海湾を見下ろし、煤煙の吹き溜まり場所に位置していた。当時3歳だった長女は越してまもなくゼンソクの発作をおこすようになった。ヒューヒューという呼吸音、死人のような顔色の我が子を見て私たちはおろおろするばかり。真夜中に救急車で病院に駆け込む。小さな腕に数時間かけての点滴。この繰り返しが幾度となく続く。闇夜に紛れてはき出す工場からの煤煙を見るにつけ、怒りが込み上げてきた。
 病院から公害認定の申請を打診される。他の病院からは、「親として子供の健康と命を思うならばこの土地から離れなさい」とアドバイスを受ける。我が子を車に乗せて少しでも良い空気を吸わせるために近隣の地域に出かけるとともに家を探し回る日が続く。ようやく「オゾンと緑の町」遠賀郡芦屋町にたどり着き、この町に越してきた。不思議なことにその後、一度も発作を起こさない。娘はゼンソクから解放された。この時、自然のありがたさを身にしみて感じる。
 「素晴らしい自然を取り戻し、次の世代に引き継ぐ」ことこそ、今を生きる大人、そして教師としての責務であることを身をもって知る。そして、「命は授かり物、自然は預かり物」という言葉こそが環境問題の全てを包含していると考え私の座右の銘とする。この事が原点となり、いくつかの環境保護運動に携わってきた。
 まず私の環境保護運動の一端を簡単に紹介する。

目次

環境保護運動にかかわる自分史

火薬庫反対運動は市民運動の第一歩

 芦屋町に転住して間もないころの1980年、近くにある山を切り開き、火薬庫(ダイナマイト類)建設工事が始まった。獣道を削り拡幅し、緑に覆われた山を削り取り、他人の境界線を侵奪する火薬業者に対して「火薬庫対策委員会」を区として結成、事務局長として工事即時中止、即時撤去のチラシを絶え間なく配布、素人集団ながら業者、町、県と交渉を重ねた。2メートル前後しかない獣道に対して、建築確認申請書には4メートルと記載し、町も県もそれを認可していたことが発覚。「子ども達の命を守り、緑と自然を残そう」のスローガンの基に集まる母親たちは「火薬庫反対婦人部」を結成、運動は一気に前進した。終盤になり弁護士からのアドバイスを受け、私たち区民は業者に対して告訴状、告発状を小倉検察庁に提出、町に対しては監査請求をさらには調停という法定闘争へと臨んだ。7年間に及ぶ闘いではあったが、とうとう火薬庫業者を完全撤去に追い込んだ。この間、町と県行政は必要な情報を流さず責任逃れに終始する始末であった。

沖合の海砂を乗せ、砂利トラックが町を走り回る〜芦屋町の自然を守る会の結成

 1985年に90億円かけて建造した芦屋商港は、2000トン級の商船が入港することを想定したものであった。しかし、この玄海灘周辺は遠浅であるため、港湾には絶えず砂が入り込み浚渫しなければ漁船ですら入港できない代物である。いわゆる欠陥港である。(県の課長が認める)したがって、その使用率は10パーセントと効率の悪い港であった。今で言う、無駄な公共工事だ。県としては県民の批判を浴びないために、使用目的を変更してでも使用率を上げなければならない。1989年、県は沖砂の荷揚げ港として使用することを町に提案。漁業権を持つ漁業組合と砂業者との砂売買に伴い県が了解したものである。漁獲量は年々減少する中、砂を採取すればますます不漁になるのは目に見えている。魚は砂の中に卵を産み付けるのであるから。砂を積んだ10トントラックが3分に1台の割合で町中を走り回る。それも入院患者を多く抱える病院の前を通り、しかも小学校、中学校の通学道路を走るのである。子どもやお年寄りを持つ母親たちの心配と怒りが、「芦屋町の自然を守る会」を結成させる事となった。チラシの配布、「砂利トラック反対の署名」活動、議員への要望書、公開質問状を提出して県交渉と重ねた。結果、その計画は中止となる。

降って沸いた玄海リゾート計画!

 砂利トラック反対運動が終結した翌年の1991年、町と県は玄海レクリゾート、「芦屋タウンリゾート計画」を発表。自然の浜辺を埋め立てマリンパーク、リゾートマンションなどを建造するという。しかも第3セクターによる民間企業も決定し、僅か数ヶ月の後に企業との協定書が成立、芦屋タウンリゾート株式会社が華々しく設立した。寝耳に水とはこのようなことを言うのであろうか。資本金1億円、町の出資額5千万円、投資総額は400億円といわれた代物。しかも最終責任は町が持たなければならないという。町議会は賛成派、反対派と二分化されたが、町民には殆ど情報が流されず事は進んでいった。反対議員の思惑は、自然環境派、反町長派など様々であり、賛成議員は公共事業による景気浮揚、雇用拡大など町の活性化を挙げた。環境保護運動に携わってきた私に、二人の某議員が我が家に反対運動ができないかと相談を持ちかけてくる。(その内の一人が翌年の町長選にリゾート見直しで立候補、当選し、現在も町長として在職している。)それから10ヶ月の闘いが始まる。海と浜辺の権利(漁業権)を漁業者が持つという法的根拠で漁業権を放棄する手続きが始まる。その代償として5億円という大金を町が漁協に支払うというのだ。この問題がクリアーすれば、計画は実行段階に入り、広大な海を埋め立てることになる。
 いちかばちかで、市民運動を開始。「芦屋町の自然を守る会」を中核とした市民による運動を展開することを反対派議員と確認。「芦屋町が誇る風光明媚な海岸線を埋め立てることの自然破壊、町の活性化になるどころか莫大な公共工事により後世まで借金を残す、経済的効果はない」など情報を全町民に発信する。僅か10ヶ月の運動とは言え、この間の運動について記述するには紙面の関係で割愛させて頂くが、町、県交渉、芦屋町民大会の開催、リゾート反対運動の宣言、講演会、リゾート賛否の住民投票のための条例制定の署名活動、そして町長選とあらゆる運動を展開した。事務局長として、この間、様々な闘いがあったが学ぶことも多かった。それにしても、行政は住民の声、住民自治のうねりをなぜ尊重しようとしないのか。その後、全国的にリゾート計画は中止され、倒産の憂き目にあい、莫大な赤字財政を抱える自治体が多い現在、私たちの運動は正しい行動であったこと誇りとしている。5万本の松林を切り倒し,自然を破壊して建設された宮崎県のシーガイヤは本年2000億円の赤字を抱えて倒産した。芦屋レクリゾート計画は、丁度同時期の事であった。

芦屋町の浜辺が護岸によって消滅

 夏井ヶ浜と白岩海岸はアカウミガメが産卵に来る所であり、近隣の小学校は、恒例の歓迎遠足の場として毎年利用する、貴重な自然の海岸線だ。開校以来、何十年も続いた環境教育の場でもあった。しかし、直方営林署は突如として、この地にコンクリート護岸を建造し、松の苗木を植えたのである。総工費5,000万円という公共工事であった。その理由として、この地が波によって侵食し、国土が削り取られているというのである。同漁業区域内の漁師さんたちはむしろ海底は堆積しているという。私たち「芦屋町の自然を守る会」は、事業主体の営林署に対して抗議と公開質問状を提出し交渉を重ねた。県に対しても国定公園としての管理義務について追求した。県は「国が策定した法律を営林署が違反する筈が無い」「したがって事前の調査には行かなかったし、行く必要もないと判断した」という回答に至っては、一瞬開いた口が塞がらず、と同時にこれが福岡県環境行政の考えることかと愕然とすると共に怒りが込み上げた。
 結局、営林署は交渉の場で謝罪したが、完成したばかりのコンクリート護岸を撤去することはできないと私たちに理解を求めた。そして、この浜辺からアカウミガメの産卵も歓迎遠足の子ども達の姿も消えた。

ホタルの里、山口川にアワビが定着?コンクリート護岸工事にホタルは絶滅

 嘉穂郡筑穂町を流れる山口川は遠賀川の上流に位置する。連れ合いの生まれ故郷、この地に家庭の事情で半年程定住した。自然豊かなホタルの里だ。北九州市や福岡市からホタルを求めて多くの人々が訪れる田園地帯。無数のホタルが飛び交い、ハヤなどの小魚が数多く棲む清流だ。平成2年以降、自然災害防止が目的で総工費16億円、工区は約1230メートルのコンクリートブロック護岸工事が始まった。町民には十分な説明もなく着工されたものである。工事の土砂が川に流れ出し、水の濁りもひどくなり、ホタルが殆ど見られなくなった。「山口川の自然を守る会」を発足し、護岸工事の一時停止と見直しを求めて署名運動を展開。町と町議会に「山口川の環境保全に関する要望書」を提出。工事主体の福岡県土木事務所には公開質問状を、また同県情報公開条例に基づき環境調査報告書の情報開示を求めた。ところが報告書には「体長4〜5センチの鮑(アワビ)まで定着、鮎(アユ)なども定着」とあった。勿論、アワビは海にしか生息しない。同川では確認されていないアユの生息も記載されていたのである。詳しくは週刊文集:平成8年5月号「川にアワビの仰天レポート、ズサンさの真偽」に記載。
私たちは、山口川に棲息する水棲動物捕獲探検隊を組み何度も川に入った。アワビやアユは影ひとつなかったが、希少種「イシドジョウ」を発見した。九州でも清流の川で、しかも源流にしかいないといわれるイシドジョウである。それ程に自然に恵まれた稀な川であったのだ。土木行政が町民の財産,自然の宝庫である川を公共工事という名のもとにいとも簡単に破壊していいのか。浄化作用を果たすべく水辺が次々と失われていくことに怒りが込み上げ、運動を展開したものだ。現在、山口川は「ホタルが生育しない川」と化した。

ごみのない浜辺と遠賀川をめざして清掃活動に

 福岡県の北部地域に流れる遠賀川は、旧石炭産地と筑豊平野を貫流して響灘にそそぐ一級河川だ。いにしえから歴史と文化を刻んできた母なる川として流域住民に親しまれてきた。遠賀川の「水」はわたしたち100万人のかけがえのない「命の源」でもある。しかしこの数年、九州の一級河川で水質ランキング「ワースト3」の中に入る程水質は悪くなっている。更に本年はワースト1。その原因を挙げてみると、

  1. 川がもつ本来の浄化機能を壊滅させてしまう旧態依然としたコンクリート護岸川づくり。
  2. 上流の山間部では産廃銀座と言われる程の廃棄物処理場とダイオキシン問題。
  3. 中流域では住宅や工場が密集、そこから流される合成洗剤などを含む生活雑排水や工場廃水などによる汚濁化。そして遠賀川に捨てられるごみの問題。

 雄大に流れる遠賀川が、梅雨時期や台風の時期になると大雨によって上流域から濁流に混じって流れてくる大量のごみが河口堰と海面を覆いつくす。遠賀川の河川敷はごみの捨て場、河口堰はごみの溜め場、海岸線はごみの墓場としかいいようのない状況に化す。私たち遠賀川流域住民は、今日まで河川敷、海岸線の清掃活動を永きにわたっておこなってきた。しかしながらごみの不法投棄は減少するどころかごみ回収の有料化に伴い、むしろ増加し続けている。上流域から流れ着いたごみの内、浮力あるごみは玄海灘に山となって流出し、一部は海流により漁港に入り込み、漁船の出漁さえままならぬ状態となっている。再下流の私が住む芦屋町の浜辺ではペットボトル、空き缶、発泡スチロールなどのごみが漂着する。また草むらにはフトンや電化製品等の大型ごみも捨てられる。このような惨状は、特定の地域に限らず全国的に広がっており、ごみの錯乱はとどまるところを知らない。また全国の都市河川の93%は環境ホルモンに毒されており、命の源である川は死する川となっている。
いまやごみ問題は国民的課題であり、各自治体はポイ捨て禁止条例等を制定し住民のモラルの向上を訴え、また清掃活動など住民の善意を促している。しかし、もはやそれだけでは解決できない現状なのだ。

ポイ捨てをなくし、循環型社会を構築するデポジット制度の法制化運動

「もう、善意やボランティア活動だけに頼っている段階ではない。ごみによる環境破壊から浜辺や遠賀川を守るためには国による法制化が不可欠であり、大量生産・大量使い捨て経済社会から資源を節約する経済活動を目指さなければならない。地球環境を損なわない社会へ転換する循環型社会を創造するしか無い」という思いで1997年、遠賀川の再生を目指す「Ilove遠賀川流域住民交流会」(約40の環境保護、ボランティア団体)にデポジット法制化運動を立ち上げることを提案した。

デポジット制度とは?

デポジット制度とは?

  1. 製品本来の価格に預り金(デポジット)を上乗せして販売し、使用後の製品が所定の場所に戻された際に預り金を返却することにより、消費者からの回収を促進しようとするものである。諸外国においては、多数の国に導入され800〜90%という高い回収成果が報告されている。
  2. 消費者としては、使用後の製品(不用物)を廃棄物として排出するよりも、所定の回収場所に持ち込むことを選択するようになり、再生可能な資源を回収するインセンティブ(誘因)が与えられる。我が国では、ビールのびんに関してデポジット制に類似した容器保証金制が自主的にとられている(99%の回収率)」(環境庁「リサイクルのための経済手法検討会」平成6年4月資料より抜粋)

デポジット制度を導入している国は?

 欧米の先進諸国のみならず、アジアでも韓国、台湾等ではすでに導入され、事業者(製造販売業者)による回収および処理責任を明確化しており、リサイクルシステムは定着している。特に韓国では空き缶、ペットボトルなどの飲料容器の他、洗剤・塗料容器、タイヤ、ガラスびん、有害物質の容器、電化製品なども対象となっている。廃棄物の散乱防止、回収率向上、再使用(リユース)への転換の促進が期待でき、分別収集による行政負担の軽減、更には総合的な環境問題などその効果は計り知れないものがある。

生産者など事業者責任とは?資源循環型社会を構築するとは?

 飲料容器をはじめ、容器包装品などは製造した事業者・販売会社が責任をもって回収し、処理する義務がある筈。すなわち拡大製造者責任(EPR)主義だ。しかし、消費者も利用者として回収に協力する必要があろう。デポジット制度という経済的手法を制度化すればペットボトル、空き缶、空き瓶の回収率を高めることができ、しいてはごみの排出抑制につながることは明らか。したがって殆どの市町村行政はこのデポジット制度の導入に賛成するというアンケート結果が出ている。デポジット制度導入こそが大量廃棄社会から資源循環型社会を構築する手法なのである。

先進地、大分県姫島村を訪問

 全国に先駆けてデポジット制度を条例として策定し、実施しているのは大分県姫島村だ。1984年に導入し、現在も実施している。回収率89%に達し、住民の意識や教育に好影響を果たしているという。デポジット事務局としては全国の先進地と知られる島を訪ねないわけにはいかない。国東半島北部の伊美港からフェリーに乗り、周防灘の潮風に当たりながら25分。私たちは船内で販売される缶ジュースを見つけて大喜び。缶の底に丸いシールが張ってあり、預かり金10円が上乗せされているからである。姫島村に着くと港の前に「空き缶の投げ捨て防止 デポジット方式実施中」と書かれた大きな看板が否応なしに目に付いた。対応してくれた役場の職員と共に島巡りと観光地を案内して頂いたが、道路、海岸線にポイ捨て空き缶はまったく目に触れなかった。
 1982年、大分県は、県独自で空き缶散乱防止対策として、離島の姫島村をローカルデポジットとしてモデル地区に指定したという。島では84年から86年までを試行期間として「姫島村空き缶などの散乱の防止による環境美化に関する条例」を制定し、県、姫島村、村商工会、区長会、老人会、学校、小売店などの代表による「デポジット・システム運営協議会」を設置し、試験的に始めたのである。この間、回収状況が85パーセントを超え、デポジット事業の効果も表れ、村民や小売店の全面的な協力そして観光客の理解もあって現在も続けられているのである。「デポジット制度はメーカーの協力を得て全国一斉にやらないと自治体が単独でやるには限界がある。全国一律のデポジット法制化になれば村としても助かる」と職員は語る。また生魚料理店でお世話になった女将さんの話、「デポジット制度が導入されてもう十数年になる。子どもたちが空き缶を捨てるようなことはありません。物を大事にするという意識がありますし、大人もそれに影響を受けて環境意識が高まっているのではないでしょうか」その話がとても印象的であった。デポジット制度導入がインセンティブとなってごみ問題の解決に良い影響を与えているのだ。ほろ酔い気分で女将さんと役場の職員との別れ。船上で心地よい潮風を受けながら、更なる法制化運動を進めようと確認し合った訪問であった。(問い合わせ:姫島村役場:0978-87-2111)
 東京都八丈島はマスコミにも再三報道されたが98年から試験的に始めた。紆余曲折しながらの導入だが、80パーセント以上の回収率を保っているという。
 1997年、笹本直樹氏は八丈町長に就任して間もない時に、循環型社会づくりを目指す東京都から、デポジット導入の提案があった。笹本氏は1986年に姫島村を視察した時、デポジット制度が導入されていることを始めて知ったという。後に直接デポジット制度に関係することになろうとは、その時夢にも思わなかったと述懐。「デポジットをまちづくりのシンボル事業」と捉え、環境問題と住民参加による島づくりという信念のもと積極的に進められてきた。しかも「デポジット法制化の一助」になることを目指しているという。デポジット法制化運動を展開している全国の仲間たちにとって、この言葉は大きな力となっているのだ。(問い合わせ:八丈町:04996-2-1121)
 この他、ポイ捨てに悩む観光地など全国の約10箇所で、また公共施設や高校、大学にも普及しつつある。このように我が国は環境先進国などに遅ればせながらでも徐々にデポジットが導入されつつあるのである。

なぜ拒否する、飲料メーカー

 全国清涼飲料工業会は、環境保護団体、消費者団体、全国都市清掃会議(約700の自治体が加入)がデポジット制度の導入を求めても拒否し続けている。その理由を挙げればきりがないが、いくつか列挙すれば、現在の回収ルートに混乱を招く、預かり金の扱いなどに手間と経費がかかる、回収の為の場所、人件費など膨大な逆流通経費が発生し、販売価格が高くなる、売上が減少するなどという理由である。結局、メーカーとしては利潤を徹底的に追及するという従来のマーケティング政策を踏襲しているのだ。現在、企業の社会的責任と社会利益志向に基づいたマーケティングが求められている筈だ。とりわけ環境問題に配慮した負荷の少ない製品づくりに努めることが必要である。循環型社会推進基本法試案にデポジット制度に関する記述があったが、最終的には23条「調査・研究」「国民の理解と協力」と後退してまった。飲料メーカーなどより圧力があったのではないかと言われている。環境問題解決は人類の緊急課題である。経済活動によって排出されたものはメーカーによって、経済活動で解決すべきものである。デポジット制度という経済的手法によって消費者も協力しようというのに。私は、「ごみのない遠賀川を目指して」「資源循環型社会を構築するデポジット法制化」というテーマで小学校、環境保護団体、ボランティア、婦人会などで講演会を行う中で、デポジット制度に関するアンケートや質問をする。デポジット制度賛成者がほとんどであり、デポジット(預り金)は10円でも効果は十分である。国民の理解と協力は証明されているのである。環境省を始め関係省庁は飲料メーカーなどの反発にめげず、実効性のあるものにすべきであった。

デポジット法制化運動の具体的取り組み

国に対する意見書採択に向けて

私たちは、1998年5月、地方議会から「デポジット制度導入を求める意見書」を国に提出するよう要請活動をおこなった。2年足らずで、福岡県議会を含め98の市町村議会全てが意見書を採択し、旧環境庁を始め関係省庁に提出した。更に47都道府県議会(その当時、秋田・東京都・栃木・熊本は提出済であった)に意見書採択の要請を行った。現在19の都および県議会が国に提出している。また1999年1月、福岡県知事に対し、「デポジット制度導入の要望書」を持参、「機会あるごとに国に要望していきたい」との約束を取り付けた。

10万人請願署名活動開始

意見書採択運動と相俟って、市民に対してデポジット制度について啓発運動を展開。署名用紙の内容検討、地方議会と国会における署名の法的な違い、紹介議員と請願行動の進め方など国会請願課に数度なく問い合わせた。失敗は許されないからである。
 デポジット運動を始めてからマスコミの取材が多くなった。請願運動を展開することを明らかにしたとき、「何万人を目標にしているのか」という問い合わせに対して10万人と返事。仲間たちからハッタリではとの声。5月30日(ごみぜろ)には小倉駅前で、8月には夏祭りで賑合う飯塚市内の商店街で署名活動。環境保護、ボランティア団体、一般市民、自治労、生協、地球村、そして日本をきれいにする会、全国のありとあらゆる賛同者から署名簿とカンパが寄せられた。事務局事務所になってしまった我が家の座敷は、足の踏み場もなくなり、連れ合いは「書類(ごみ)のない座敷にして!」と言いながらも手伝ってくれた。このようにデポジット法制化運動は議会、行政、市民に確かな広がりを見せ始めた。目標をはるかに超えた15万8千名という署名簿はダンボール大15個分となった。

デポジット制度導入に関するアンケート調査

99年7月、福岡県内98全自治体に対する私たちのデポジット制度導入に関するアンケート調査に対して、全ての自治体から回答が返ってきた。90%を超える自治体がデポジット制度導入に賛成した。賛成する大きな要因は分別収集による行政負担の軽減、更には総合的な環境問題などその結果は計り知れないものがあるという。(アンケート結果資料の欲しい方は連絡ください)

2000年2月6日、デポジット全国集会開催

別紙、署名簿を持参して、遠賀川流域の環境保護団体の役員24名、ごみ問題ワーカーズ福岡の責任者、合わせて27名の仲間と共に上京。署名運動を通して知り得た北海道、新潟、三重、広島、高知、山口など各県の仲間たちにも呼びかけ20数名が署名簿を持参して上京した。その数6万名。結局、合計21万8千名であった。全国デポジット全国集会において、各地で取り組んできた実践を報告、遠賀川流域での報告は開場に集まった全国の仲間達に大きな反響を与え、さらなる国民的運動の必要性を共に確認し合った。

2月7日、いよいよ国会請願行動開始

翌朝、議員会館の会議室でその日の行動についてのスケジュールを説明。
午前中に環境庁や関係省庁への交渉、各政党の党首および政調会長への要望書、東京都都議会と石原慎太郎都知事への要望書、全国飲料工業協会への要望書提出などなどの行動。一方、全国から集められた21万8千名の署名簿を一人の紹介議員に対して平均2000名分を振り分けた。(その時の紹介議員は89名であった。)また請願代表名の記載を衆議院と参議院とに分類。各々の交渉が終了した時点で各紹介議員の事務所を訪問し、署名簿を提出。何しろ皆、初めての事であり、目が回るような忙しさで議員会館を走り回った。午後3時に終了、総括会議。この国会請願署名運動はデポジット法制化運動のスタートであること、次なる運動を各地区で展開することを確認。その後、国会議事堂内を見学、議長室で集合写真、国会議事堂をバックに横断幕を張っての集合写真。一世一代の仕事を成し遂げた思いで一路福岡へ。

紹介議員を増やそう!全国の仲間達へ、呼びかける

111名になった。

日本のごみ事情

廃棄物処理の現状

 日常生活から排出される一般廃棄物の量は平成6年度、5,000トンで東京ドームの136杯分、産業廃棄物の量はその8倍の4億500万トンと言われていたが、平成11年度に至っても横ばい現象であり一向に減少しないという。一日の廃棄物量は、2トントラックで68万台に相当し、焼却などの処理を講じても12万6,000台分のごみが埋め立てられている。ダイオキシン問題を含め地下水や土壌などの汚染は住民の不安を高め最終処分場の設置をめぐって各地で紛争が生じている。また最終処分場の不足を背景として、不法投棄も増加し環境破壊に行政も住民も頭を痛めている。
 今日までの高度経済成長政策は「使い捨ては美徳」、「利便性・多様化する消費者志向」などの言葉に代表されるように、大量消費を推し進めて反映を築いてきた。当然、このような経済システムの中では大量廃棄という深刻なごみの問題が発生することは当然なことだ。その結果,一般廃棄物処分場の残余年数は6年、産業廃棄物処分場のそれは2.5年という厳しい状況が続いている。厚生省の推計では2010年頃には埋め立て許容量はゼロになるとみている。このまま放置されれば日本はごみで埋まってしまい,海底もごみで覆われてしまうのではないだろうか。ごみの減量化にはごみ回収の有料化を図ることが望ましいとして、厚生省はまだ有料化未実施の自治体に有料化の働きかけをおこなっている。しかし、それに伴い不法投棄が増加しているのが現状である。

容器包装リサイクル法はごみ減量に貢献しているか〜分別回収をするほど自治体負担増

ごみ対策として国は「ごみゼロ社会を出発点」として「容器包装に係わる分別収集及び再商品の促進に関する法律」(容器包装リサイクル法)を1997年4月施行した。当初、環境庁は汚染者負担の原則に基づき事業者に収集から再商品化までのコスト負担義務を持たせるドイツ型の循環経済・廃棄物法の考えを同法に取り入れるよう求めた。その趣旨は飲料容器を始め、容器包装品などの製造者に、原材料の調達から生産・使用・回収・廃棄までの循環に及ぼす影響に責任を持たせるものだ。これを製造者拡大責任(EPR)主義という。それに加えてデポジット制度という経済的手法を制度化すればペットボトル、空き缶、空き瓶の回収率を高めることができ、ひいてはごみの排出抑制につながることは明らか。しかし、同法はこの製造者拡大責任主義を取り入れず、市町村による回収と中間処理を前提に事業者負担を軽減する方向で進められた。同法施行によりアンケート結果で明らかのように各自治体の処理費用は年々増加の一途をたどり市町村財政をじわじわと圧迫し、自治体はごみ回収の有料化を余儀なくされ、受益者(国民)負担を招いているのである。

容器包装リサイクル法は破綻(月刊自治研より資料一部参考)、免罪符となっている 全国における市町村分別収集計画量と再商品化計画量の推移(ペットボトル)について

 1998年度のペットボトルの再商品化計画量は30400トンで分別収集見込み量は44,600トン。一方生産量は1996年度、142,000トン、1997年度は、210,880トン、1998年度は248,000トンと大幅に増加している。つまり生産量248,000の内、30,400トン(12パーセント)を再商品化すればいいのであって、残りの203,400トン(88パーセント)はごみとして廃棄されることになる。容器包装リサイクル法の本来の目的であるはずの廃棄物の発生抑制・減量化がほとんど機能せず、リサイクル(再商品化)が目的になってしまっている。しかも上述の如くリサイクルまでを含めたシステム(受け皿)が構築されていないため、大量リサイクルには自ずと限界があり行き詰まっている。同じことがいえるが、新聞資料1(西日本新聞 全市町村で分別収集99.10.14)によれば、2004年度の福岡県内全体の収集見込み量は約8万トン、排出量見込み量は約41.9万トンとなっている。排出見込み量の約19パーセントを回収することになるが、その収集された8万トンの内、どれほど再商品化されるか。県内の収集見込み量も再商品化量を超えて収集されることになり実際の再商品化は8万トンを下回ることになる。
 政省令で決められた分別基準適合物の条件を満たすため市町村は分別回収、および中間処理施設を設置する必要がある。今でさえ分別回収による市町村のごみ回収・保管費用は増加の傾向のうえ、来年からは一層財政を圧迫することになり、事業者による再商品化の義務量が余りにも少なく、市町村の負担は予想以上に大きくなっている。

家電リサイクル法は、不法投棄を促す法

 本年4月に施行されて半年、新聞紙上で不法投棄の記事が目立つ。拡大製造者責任とデポジット制度の導入を盛り込むよう環境市民団体、消費者団体、地方自治体からの強い要望にもかかわらず、不要になった家電は、消費者がリサイクル料金と収集・運搬料金を払うシステムにしてしまった。このようなリサイクル料金の後払い方式は、不法投棄を招き、結局、自治体が肩代わりしなければならない。この法は、循環型社会づくりを目指してはいるが、商品価格にリサイクル料金を内部化して、排出時にメーカーが引き取る方式にし、しかもデポジット方式を導入すれば不法投棄は無くなる筈。環境先進国欧州連合の家電リサイクル法は、排出時に無償でメーカーが引き取るという原則を盛り込んだという。「経済大国(?)の日本、環境汚染大国」の一例がここにも表れている。

666兆円の赤字国家財政は無駄な公共工事のつけが

 全国開発総合計画などと称して政府は1960年代より山を削り、川を掘り返し、海を埋め立て、緑豊かな自然を破壊してきた。さらに高度経済成長を成し遂げるため、大量生産・大量消費社会を築いてきた。その結果、物質的豊かさと便利さをもたらしたが心の豊かさを失い、様々なツケがまわってきた。
 身近な問題を上げるなら水質・土壌・大気汚染さらにはダイオキシンなどを含む環境ホルモン問題。地球規模で言えば酸性雨・森林伐採・オゾン層破壊そして地球温暖化問題である。このように人類の存亡の危機的事態に迫りつつあるにもかかわらず、政府や財界は切実感がないと言わざるを得ない。
 今日、地球環境問題は緊急かつ国民的課題であり、乱開発と大量使い捨て社会を見直す市民運動は全国に展開されてきた。無駄な公共工事と自然の乱開発によって経済が発展するという神話はもう沢山である。環境先進国ドイツのように環境保護運動などの市民運動が行政を変え、国を変える原動力になることを願う者である。そのひとつとして環境教育の果たす役割は大きい。

すべての学校で環境教育を

環境問題の本質を認識した上での環境教育を

 私たちはこの社会経済システムを改善する視点と同時に、私たちの生存基盤である自然生態系を、様々な観点から守り育て、次世代に引き継ぐために、環境問題の本質を認識し、「環境への責任ある行動」を始めなくてはならない。そうした意味で現在、全国各地で環境保護運動にかかわる市民団体の「責任ある行動」は、注目され評価されるべきものであると考える。
 環境先進国といわれるヨーロッパを始め,アメリカにおいては早くから環境教育を実施している。我が国において、文部省による環境教育指導資料には環境教育の充実を一層図っていくことを奨めている。それによれば地域的、また地球的規模の環境問題に対する解決のために「我々一人ひとりが人間と環境とのかかわりについて理解と認識を深め、豊かな自然や快適な環境の価値についての認識を高め、環境に配慮した生活や責任ある行動をとるとともに、環境問題を引き起こしている社会経済の背景や仕組みを知り、その構造を環境に配慮したものへと変革していく努力が求められている。そのためには、まず、環境に対する豊かな感受性や見識をもつ人づくりこそ環境問題解決の確実な方法といえる。いわゆる環境教育の推進が必要である。・・・・」平成3年に出されたこの指導資料が教育現場でどれ程活用されているか、各自治体の教育行政が環境教育施策を学校現場でまた地域においてどれほど浸透させているか、非常に疑問である。
 私たち教育者の環境問題への認識の深さ、価値観の共有はこれからの日本の環境教育に欠くことのできないものであると考える。全ての教育者が環境教育の理論と実践を果たすべく、学校現場での環境作りを緊急の課題とし、全ての教科と連携しながら総合的,相互関連的に取り組まなければならないと考える。
 一方各自治体は、環境教育基本計画などを策定し、市民の環境に関する啓発とライフスタイルの見直しなどを緊急なる課題として取り上げて欲しいものである。

環境問題解決は人類共通の課題であり、人類の存亡にかかわる重大な問題

 環境問題はすべて命あるものの生存(生命)に直接関わる問題であり、環境教育は人権教育の一環としてとらえなければならない。いじめ、中退、不登校、学級崩壊など学校教育の危機が大きな社会問題となっている。それらの問題は豊かな自然環境の欠如と無縁ではないだろう。現在、自然環境から学び得る場は、経済優先による自然破壊と乱開発とともに失われてきた。したがって自然と共生する生き方を通して、環境の保全と復元を目指す環境教育カリキュラムを幼・小・中・高一貫性のあるものとして策定しなければならない。全ての学校で環境教育を進める中から、今日の教育の危機を解消する展望が開けてくると私は確信する。 環境保護運動を20年余り取り組んできた者として、環境教育が全ての学校で実施されることを切望する。

今後の取り組み

  1. 遠賀川の現状を解決するために、流域住民が水質改善と河川の環境保全運動に立ち上がる必要がある。一つの手法として「遠賀川水質改善と環境保全条例(案)」なるものを流域住民の英知によって策定し、自治体に対し、条例制定のための要請を行うことである。
     それには、行政・事業者・住民の責務と責任を明記し、また学校・地域では環境教育及び啓発運動の必要性を盛り込むなど、住民一人ひとりが遠賀川を清流に戻す意思を示す必要がある。その思いで現在「遠賀川を美しくするための提言」策定の検討段階に入っているところである。
  2. 国会請願団体署名運動をスタートします。そして団体署名参加とカンパ(賛助金)のお願い
     環境保護団体、ボランティア団体、企業、生協などデポジット法制化を願う団体による国会請願運動を展開。請願の要旨、集約などは下記の通り。
    • 容器包装リサイクル法および家電リサイクル法の改正とデポジット制度導入の法制定
    • リサイクル関連法に拡大製造者責任(EPR)を盛り込んだ改正
    • 参加団体数は衆参院議員数750名を超える数。目標は1000団体
    • 一次集約期日は2002年6月末。
    • 2002年内に上京し、請願書を提出。
    • 環境省を始め関連省庁と交渉。
    • 賛同される団体は下記へご連絡を!!

おわりに

 ごみのポイ捨て防止・散乱防止、資源循環型社会を構築するためデポジット制度が早急に法制化されることを願って止まない。そのために各地域でデポジット法制化の運動を立ち上げること、そして共に連携を図り、国民的運動を展開し、早急に法制化にこぎつけたいものだと強く切望する。


デポジット法制化運動のページができました! ぜひご覧頂き、ご協力をお願いいたします。