持続可能な社会のためのフェアトレード 中村隆市

2002年9月10日にエクアドル・コタカチ郡で開催された有機コーヒー・フェアトレード国際会議での中村隆市の講演録です。
下には、エクアドル・インタグコーヒー生産者カルロス・ソリージャさんの、会議に参加しての感想を掲載しています。

有機コーヒー・フェアトレード国際会議での中村隆市の講演録

 今日、私に与えられた演題は、「持続可能な社会のためのフェアトレード」です。
 なぜ、フェアトレードという言葉が生まれてきたのか。それは、現在、世界中にフェアではないアンフェアな状況が広がっているからです。
 今、世界の経済大国といわれている国々、特にアメリカと日本では、他人より多くのお金やモノを所有したい。他の会社より多くの利益を上げたい。他の国より沢山の富を集めたい。できるだけ、他者よりも多く所有したいという考え方が支配しています。自分に必要な分だけでいい、という考え方はありません。他人の取り分まで奪い取ろうとします。そして、欲望はさらに拡大し、未来世代の生存基盤である環境を破壊し汚染しながら、富を得ようとしています。
 今、日本の多くの子どもたちは、学校とは別に、塾というものにも通っています。そして、子ども時代の貴重な時間の大半を、十年以上も、受験勉強のために費やしています。日本の受験勉強というものは、受験に受かるための勉強で、人生をより豊かに充実したものにするためのものではありません。日本の子どもたちは、美しい自然のなかで、ゆったりと時を過ごすことなど、ほとんどありません。そんなことしていたら、受験競争に負けてしまう、と考えるからです。
 受験競争のことを一般的に受験戦争といっています。
 なぜ、受験戦争に負けまいとするのかというと、例外もありますが、多くの場合それは、いい学校、いい大学、そして、いい会社に就職するためです。いい大学というのは、いい会社に就職できる大学であり、いい会社というのは、日本では大企業のことを指しています。つまり、いい会社の「いい」というのは、給料が多いという意味です。ですから、いい会社というのは、いいことをしている会社ではありません。たくさん給料をもらえる会社のことです。 要するに、受験戦争に負けまいとするのは、たくさんの給料をもらうためです。残念ながら、日本の親たちの多くは、そのために子どもたちを受験戦争に参加させるのです。
 やがて、受験戦争を勝ち抜いた若者たちの多くは大企業に就職します。そして、たくさん給料をもらうためには、会社がたくさん利益を上げる必要があります。商社の場合には、たくさんの利益を得るために、安く買って、高く売ることになります。できるだけ安く買いつける人が、会社に貢献した人になります。鉱山開発などの場合は、開発のための資金をODA(政府開発援助)の資金で賄えば、より収益が大きくなります。より安く買い、より高く売る人は会社の中で出世していきます。より給料を多く貰える地位につくことになります。その結果、中南米、アジア、アフリカで沢山の人が生活できなくなったり、病気になったり、死んでいったとしても、それが自分たちのせいだとは考えません。競争社会は、食うか食われるか、だから、外国人のことなどほとんどの人が深く考えることをしません。そんなことを考えていたら、現代の競争社会では、生き残ってはいけないと多くの商社マンは考えています。
 それでは、そのような考え方に基づいてやってきた20世紀がどんなことをもたらしてきたのかを振り返ってみましょう。
(さまざまな環境破壊、環境汚染などの写真を映写)
 これは、私の会社から歩いて5分の所にある遠賀川という川です。川に浮いているのはジュースや水やお茶などが入っていたペットボトル、食品を包んでいたビニール袋やトレー、発砲スチロールなどです。この川の川底には、たくさんの空き缶やプラスチックなどが溜まっています。
 この川の水を浄水場にポンプでくみ上げて、目に見えるゴミを取り除いて、塩素で「消毒」したものを、私たちは飲んでいます。この水には、農薬、合成洗剤、工場廃水などの様々な化学物質が混じりこんでいます。環境ホルモン、ダイオキシンなどが含まれています。
(こういった説明を映像を見ながら解説)

 今日、私は日本のことを中心に話をします。
皆さんが、日本のことをどのように見ているのか、外国の方々が日本をどのように見ているのか、私には分りませんが、多くの方々がご存知ない、日本の実態をお話します。たぶん、この会場に来られている多くの日本人の皆さんもご存知ないことです。特に、これから、お母さんになる日本の若い女性には、大変つらい悲しい話になりますが、これが現実ですから、この現実から目をそらさずに、しっかりと見据えていただきたいと思います。そして、日本以外の皆さんには、日本が歩んできた道をよく知っていただき、これから進む方向の参考にしていただきたいと思います。
 20世紀という時代は、人類の歴史上で最も自然を破壊し、環境を汚染してきた時代です。その中でも特に、日本とアメリカは環境破壊を進めてきた張本人ですが、未だに反省もせず、「国益」だけを考えて、モノとカネを追い続けています。「目先の経済」を最優先した大量生産、大量消費、大量廃棄の「使い捨て文化」は、世界の森林と地下資源を浪費しながら、ゴミを大量に生産し続けています。
 その結果、日本は世界一の熱帯林破壊国となり、世界一のダイオキシン生産国となり、世界一のフロンガス放出国となっています。フロンガスは、オゾン層を破壊し続けています。農薬や食品添加物、プラスチック、合成洗剤などの化学物質やダイオキシンによる環境汚染が広がり、大気、水、土壌の汚染をとおして、魚、家畜、野菜など食物の汚染が進行しています。
 日本では、アトピー性皮膚炎、ぜんそく、花粉症などのアレルギーが増え続けています。軽い症状も加えると子どもたちの約半数は、何らかのアレルギーだといわれています。
 今、育児中のお母さんたちの深刻な悩みは、母乳のダイオキシン汚染です。赤ん坊に母乳を与えるべきか、粉ミルクにすべきかということです。母乳の素晴らしさが分っていても、安心して母乳を与えられないのです。ダイオキシンは、サリンの2倍の急性毒性を持つだけでなく、発ガン性や内分泌かく乱化学物質(環境ホルモン)として免疫毒性や生殖障害、遺伝子への影響などが心配されるからです。
 ダイオキシンは、農薬や使い捨ての結果であるゴミ焼却場から大量に発生しており、それらが魚、家畜、野菜などの食物を通して、お母さんの体に濃縮し、更にそのダイオキシンが母乳に集まってきます。
 世界一ダイオキシン汚染がひどい日本では、母乳を飲んでいる赤ん坊は、WHOが提案しているダイオキシンの耐容一日摂取量(TDI)の数十倍から数百倍も体に取り込んでいると言われています。赤ん坊にとっては、唯一ともいえるいのちの糧そのものが、健康を害する可能性が高いのです。わが子の健やかな成長を願って与える母乳に、毒が含まれていることほど、悲しいことはありません。
 そのため、母乳ではなく、牛乳の粉ミルクを与える人もいます。しかし、実際には、その粉ミルクもダイオキシンで汚染されています。将来、どれほどの影響が現れるのか、誰にもわかりません。日本人は今、まさに、人体実験を続けているといっても言い過ぎではないと思います。
 まだ、はっきりと解明された訳ではありませんが、化学物質やダイオキシンなどの影響ではないかと思われる兆候がいろいろと現れています。
 今日は時間が限られていますので、若い男性の精子が減少したり、奇形化したものが増えているといった環境ホルモンの話は省略します。
 日本でもあまり知られていないことをお話したいと思います。
 日本人が一年間に死亡した数のうち、その中の何人がガンによって亡くなっているか、というデータがあります。交通事故や自然災害、自殺などの死者も含めた数のうち、ガンで亡くなった人が何%いるか、という統計がこれです。(スクリーンにグラフを写す)
 1970年17%、75年19%、80年22%、85年25%、90年27%、95年29%、2000年31%と、5年ごとに2〜3%ずつ増加しています。75年には5人に一人がガンで亡くなっていました。85年には4人に一人がガンで亡くなっていました。今は、約3人に一人がガンで亡くなっています。
 いま日本では、肉体的な病気が増えるだけでなく、精神面での異常なできごとが増えてきています。多くの日本人が漠然と感じていることですが、若い世代による凶悪な犯罪や殺人が激増しています。子どもが親を殺したり、若い母親や父親が幼いわが子を虐待して殺したりすることが増えています。このことに関連して、メキシコの2つの地域で、注目すべき調査があります。
 この二つの地域は、ほとんど同じような生活、文化をもっている地域なのですが、近年、二つの地域に大きな違いが現れました。農業において、一方は昔ながらの農薬を使わない農業を続けていた。もう一方は、農業近代化をすすめようと農薬と化学肥料を多量に使う農業に転換していった。このような違いを持った2つの地域にどんな違いが現れてきたかということが調査されました。その結果、わかったのは、農薬を多用する地域の子どもたちは、とても暴力的になった、ということです。おだやかさや精神的な落ち着きがなく、自分自身の感情を自分でコントロールできない、暴力的な子どもが多いということが分かりました。
 農薬をはじめとする化学物質や遺伝子組み換え作物などは、その安全性が充分に確認される前に、一般社会に流通します。農薬、食品添加物などは、数年後、十数年後に、じつはその農薬には発ガン性があった、ダイオキシンが含まれていた、遺伝子に傷をつけることが分かったということで、製造が禁止されたものが沢山あります。ガンが増えるのは当然です。なぜ人間は、こんな愚かなことを繰り返しているのでしょうか。
 こういうことが起きてくる理由に、他社よりも一日でも早く、新しい化学物質や遺伝子組み換え作物を開発して、莫大な利益を得たいという考え方があります。そして、その安全性が充分に確認されていないものを認可している国も、他国よりも多くの利益を得るためには、時間を充分にかけて安全性を確認している訳にはいかない、ということなのです。
 つまり、お金がいのちよりも優先されているのです。
 特に、日本人やアメリカ人は貪欲で、「目先の利益」を追い求めるあまり、途上国の人々との関係、自然との関係、未来世代との関係を深く考えることをしません。自分たちの仕事の仕方、消費のあり方、生活習慣、そういうものが、他国の人に、どのような影響を与えているのか。身近な環境や地球環境にどのような影響を与えているのか。その結果、もの言えぬ未来世代や動植物にどのような影響を与えるのか、深く考えようとしません。
 そうした現代人、大人たちに対して、1992年、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催された地球サミットにおいて、12才の少女が歴史的なスピーチをしました。私の会社が「座右の銘」として、会社の中に掲げているものです。その一部だけ、読み上げます。

「私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。そして、もう行くところもなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。
太陽のもとに出るのが、私はこわい。オゾン層に穴があいたから。
呼吸することさえこわい。空気にどんな毒が入っているかもしれないから。
父とよくバンクーバーで釣りをしたものです。数年前に、体中ガンでおかされた魚に出会うまで。そして今、動物や植物たちが毎日のように絶滅していくのを、私たちは耳にします。それらは、もう永遠に戻ってこないんです。
こんな大変なことが、ものすごいいきおいで起こっているのに、私たち人間ときたら、まるでまだまだ余裕があるような、のんきな顔をしています。 まだ、子どもの私には、この危機を救うのに何をしたらいいのか、はっきりわかりません。 でも、あなたがた大人にも知ってほしいんです。 あなたがたもよい解決法なんて持ってないっていうことを。
オゾン層にあいた穴をどうやってふさぐのか、あなたは知らないでしょう。
死んだ川にどうやってサケを呼び戻すのか、あなたは知らないでしょう。
絶滅した動物をどうやって生き返らせるのか、あなたは知らないでしょう。
そして、今や砂漠となってしまった場所にどうやって森をよみがえらせるのか、あなたは知らないでしょう。 どうやって直すのかわからないものを、こわし続けるのはもうやめてください。

私の国でのむだ使いはたいへんなものです。買っては捨て、また買っては捨てています。それでも物を浪費しつづける北の国々は、南の国々と富を分かちあおうとはしません。物がありあまっているのに、私たちは自分の富を、そのほんの少しでも手ばなすのがこわいんです。
二日前ここブラジルで、家のないストリートチルドレンと出会い、私たちはショックを受けました。ひとりの子どもが私たちにこう言いました。
『ぼくが金持ちだったらなあ。もしそうなら、家のない子すべてに、食べ物と、着る物と、薬と、住む場所と、やさしさと愛情をあげるのに。』 家も何もないひとりの子どもが、分かちあうことを考えているというのに、すべてを持っている私たちがこんなに欲が深いのは、いったいどうしてなんでしょう。

もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えばこの地球はすばらしい星になるでしょう。
学校で、いや、幼稚園でさえ、あなたがた大人は私たちに、世の中でどうふるまうかを教えてくれます。たとえば、争いをしないこと 話し合いで解決すること 他人を尊重すること ちらかしたら自分でかたづけること ほかの生き物をむやみに傷つけないこと 分かちあうこと そして欲張らないこと。 ならばなぜ、あなたがたは、私たちにするなということをしているんですか。

お聞きしますが、私たち子どもの未来を真剣に考えたことがありますか。

父はいつも私に不言実行、つまり、何をいうかではなく、何をするかでその人の値打ちが決まる、といいます。 しかし、あなたがた大人がやっていることのせいで、私たちは泣いています。 あなたがたはいつも私たちを愛しているといいます。もしその言葉が本当なら、どうか、本当だということを行動で示してください。」

 この12才の少女のメッセージは、自分たちのことしか考えない大人たちに対して、未来に生きる子どもたち、飢えに苦しむ子どもたち、絶滅の危機に瀕している動植物の声を見事に代弁したものでした。
 リオサミット以後の十年間、一部の国では、変化が現れています。デンマークでは、使い捨てをやめるために、スチールやアルミ缶の飲み物はすべて再使用を前提としたビンで売られており、デポジット制によって、返却するとビン代が戻ってきます。ビン1本の平均使用回数50回、回収率99%。さらに使用不能になったものは新しいビンの原料になります。
 ウラン鉱石を掘り出すときに環境破壊と汚染をともない、未来世代に放射性廃棄物を残す原子力発電所を作らず、石油、石炭などには炭素税を課して利用を抑え、風力やバイオマスなどの再生可能エネルギーの普及に力を入れています。
モノを作ると原料税、モノを捨てると廃棄税がかかり、中古品を修理して再使用した方が安くなる経済システムを導入し、「大量生産、大量消費、大量廃棄、そして、地下資源の大量採集」という悪循環を断ち切っています。環境教育も含め、社会システム全体を改革し、環境保護に国をあげて取り組んでいます。
 こうした国が現れる一方、残念ながら、地球環境に最も大きな影響を与える日本と米国の人々は、自分たちのことしか考えない社会を変えることができていません。
 今から25年以上も前に私は、「現代人が今のような生き方を続けたら、未来世代の環境はどうなってしまうのか」と恐れました。それから25年以上経った今日、私自身も含めて、ほとんどの日本人は、この問題を真剣に考えてこなかったと言われても仕方がありません。
 少なくとも日本では、有効な環境政策は全く取られてこなかったのです。1970年代から、未来の環境危機に警鐘を鳴らす人々がいて、国連でも繰り返し議論されてきましたが、結局、日本は「目先の経済」を優先し、環境を破壊し汚染し続けてきました。
 私は、9月4日から3日間、民衆議会(Asamblea de Unidad Cantonal)を見学してきました。3年前から、この会議に参加するのが夢でしたが、その夢がようやく実現しました。子どもを含むすべての人間に対する信頼に基づいた「民衆議会」や世界にもほとんど例がない「生態系保全自治体宣言」をつくり育ててきたコタカチでの取り組みは、現代の貪欲な競争社会の反対側に位置するものです。
 コタカチの皆さんが考える発展は「モノやカネを最優先する、経済に偏ったものではなく、人間の生活の質を高め、心の豊かさを高めること」であり、「子どもたちや未来世代にとっての生存基盤である環境を破壊したり汚染することは、持続可能ではないので、決して発展ではない」という考え方に感動しました。
 世界でも屈指の生物多様性を誇る森林を、他に例を見ない環境保全自治体が守ろうとしている。その取り組みが、いかに世界の環境保護運動にとって重要であるか、持続可能な社会づくりにとって重要であるのかを、できるだけ多くの人に伝えたいと思って、このコタカチで国際会議を開催しました。この素晴らしい取り組みに私たちも連帯していきたいと思っています。
 今日の演題、「持続可能な社会のためのフェアトレード」とは、他人よりも、他の国よりも、できるだけ多くのカネやモノを所有しようとする「奪い合い」の社会から、「助け合いと分かち合い」の人間らしい、暖かな社会へと、世界を変えていくことだと思います。

カルロス・ソリージャさんから「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」の感想

 エクアドル・インタグコーヒーの生産者であり、環境保護団体DECIONの会長であり、コタカチ郡・環境保護委員会の委員長でもあるカルロス・ソリージャさんから「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」の感想が寄せられましたので、ご紹介します。

コタカチ国際会議の感想

 私にとっては、コタカチの国際会議には2つの重要な点があった。そのひとつは、コタカチとエクアドルの人々に、公正かつ、持続可能な社会づくりに向かって、世界中のポジティブなイニシアティブたちの活発な活動を学ぶ場を与えることができたことだ。もうひとつの重要な点は、日本からのたくさんの人々が、エクアドルのような途上国が直面しているような現実やいくつかの問題に接することができたことだ。さらに、国際会議が意義深かったのは、これらの挑戦に応えて、支配的な開発に対する奮闘と、コタカチ郡において人々が生み出した健全な解決方法に、人々が接することができたからだ。
 国際会議は、持続可能なコーヒーや女性たちのサイザル麻の手工芸品、コミュニティーが中心となったエコツーリズムなどの地域のオルタナティブな経済にスポットをあてることに成功した。これらのイニシアティブたちは、メキシコからの講演者のプレゼンテーションにより、さらに強化され、中村氏の講演により、重要性が強調された。それはつまり、地球と生命のコミュニティーとの古い関係を変える必要が出てきたということなのである。
 私は、日本から個人的に来てくれたたくさんの人たちに、国際会議だけでなく、インタグへの訪問を通してコタカチの現実を知ってもらえたことはとても意義深いことだったと思う。そしてそれは未来に実を結ぶものだと信じている。人々は工業化した北側と発展途上にある南側を分かつ社会的、経済的不公正さや、貧困にあえぐ南の国々の上にあぐらをかいている北側の裕福な生活スタイルは野蛮な環境的、社会的な犠牲を生むことなどを議論することはできるけれど、最初にその現場を見て、これらの国々の人たちと話すことは、計り知れないほど貴重な経験である。
 国際会議は地域の人々にとって、他にもとても重要な特徴があった。おそらくその中で一番重要なことは、発展につながるプロジェクト、アイディア、健全なイニシアティブたちが、このエクアドルという国の中で芽生えつつあるということを目の当たりにできたことではないだろうか。よりよい、そしてより健全な生き方を求めているのは自分たちひとりだけではないということを知ることができたのは、彼らにとって、感動的なことだったことだと思う。
(カルロス・ソリージャ)