セヴァンが見たヨハネスブルグサミット

Severn Cullis-Suzuki(セヴァン・カリス=スズキ)

セヴァンからの報告

 2002年はリオの地球サミットから10周年に当たります。そして、その記念として、国連は前にもまして大きなイベントを南アフリカ、ヨハネスブルグで開催しました。「スカイフィッシュ・プロジェクト」は持続可能な発展に関する世界サミットでデビューを飾りました!私ことセヴァン・カリス・スズキ、ジェフ・トパン、エーロン・メイト(以上、カナダ)、イアン・チェニー(USA)、バータス・ロウ(南アフリカ)が代表として参加しました。

 180カ国の代表と4万人以上の人たちが参加する、そんなイベントをアフリカが引き受けて大丈夫なのか?と疑う人たちもいました。その人たちに対して、ちゃんとできるのだ、とヨハネスブルグは証明してみせる必要がありました。街はイベントのために準備万端。「歓迎」の看板が至る所に掲げられ、路上生活者は通りから追放(リオの再来!)。豪華なサントン・コンヴェンション・センターは軍による厳重な警戒下に置かれ、上空をヘリコプターが飛び回っていました。

 ジェフと私はサミット2日目に現地に到着し、南アフリカ人のラヴリーな友人、ベルタスの歓迎を受けました。それから私たちはエーロンを迎えに行きました。かれはグリーンピースの活動家であるおじさんのところに滞在していました。私たちはウェイヴァレイのスティル家まで車を飛ばしました。イアンはすでに来ていました。イェール大学のタイラー・ウェルティとブレンダン・マッケンナニーが私たちと一緒に滞在しました。私たちはそこにスカイフッシュの居場所を作りました。そこは私たちだけで使えるアパートで、裏庭には卓球台やテニスコートもあり、とても素敵です。私たちはそこを飛び出し、参加登録するためにサミット会場を目指しました。

 サントン・コンヴェンション・センターでは、長い時間ブルペン−つまり、メディア・センターで過ごしました。ストレスで疲れ切ったジャーナリストとモニターでいっぱいの巨大な部屋です。そこでジャーナリストたちは使い捨てカップでコーラやコーヒーを飲んでいました。階上は6階全部が会議室で、スーツ姿と警備服でいっぱいです。圧倒されずにはいられませんでした。本会議で議論されているのは地球規模の課題です。どうやって世界の貧困を終わらせるか、世界規模で衛生設備やきれいな飲み水を普及させるにはどうしたらいいか、生物多様性の喪失をどうやって防ぐか。このようなテーマについての会議が、コーカス、委員会、パネル、審議グループなど様々な形態で行われています。そして協議の参加者たちは最終文書をもっとも自分たちの利益になるような表現に書き換えさせようと交渉を進めるので、会議では何パターンもの文書が次々に出てきます。大量の紙が配布されるのですが、翌日にはすぐまた別のヴァージョンの文書に取って代わられるのです。

 私たちはナスレックのNGOフォーラムでスカイフィッシュ・プロジェクトのブースを出しました。ナスレックはサントン・コンヴェンション・センターから車で40分かかる町の郊外にあります。公共交通機関はないし、タクシーは馬鹿高いので、両方の場所を行ったり来たりするなんてとてもできません。この点に関してはどうにかしてほしかったと思います。私たちは二手に分かれ、あるものはサミット本会場に行き、あるものはナスレックに行くことにしました。
 ナスレックで私たちは他のNGOの人たちに出会い、私たちの「自分のライフスタイルに責任をもとう!(ROR−Recognition of Responsibility)」キャンペーンにサインしてもらいました。NGOの代表たちは本当にすばらしい人たちでした。水や農業、識字プログラムなど様々な分野で活動している人たちから、自分たちの主張を携えて世界中を回っている追放されたチベット人のグループまで。彼らとの出会いによって本当に謙虚な気持ちに立ち返ることができました。

 メディアの注目を集めること、これはうまくいきました。会議のための会議に飽き飽きした報道陣は、22歳になってサミットに戻ってきた「あのリオの12歳」を捕まえようと躍起になりました。私はBBC、NHK、CNN、SABCその他多くのアフリカのテレビ局やラジオ局のインタビューを受けました。
 私たちはドキュメンタリーフィルムの制作陣も伴っていました。私たちの視点から見たサミットを記録するためです。撮影陣をいつも連れて歩くというのはちょっと目立ちゃいますよね。でも、撮影陣の人たちは本当にいい人たちでした。かれらがサミット会場を抜け出して、町の中に入っていったことをとても評価しています。私たちはいくつかのタウンシップを訪問しました。南アフリカ人のカメラマンは、私たちを町中のスラムにある彼の友達の家に連れて行ってくれました。

サミットにおける政治的側面

 コフィ・アナンはいつものように、会議を大局から見ようと努力していました。そして世界のリーダーたちが互いに対して持っている責任、特に貧しい人たちや抑圧されている人たちに対して負っている責任について思い出させようとしていました。彼はリーダーたちに「経済的利益の保護にばかり走るのではなく、勇気をもって政治的決断を下し」てほしいと要請しました。かれは本当にいいひとだと思います。ブレアは英国のアフリカ支援に再度言及し、彼の「情熱」を示そうとしました。そして英国が京都議定書の目標数値を大きく上回る予定であること、援助を50%増やしたことをことさらに誇示していました。ムガベ・南ア大統領は本会議でヨーロッパからの助言や援助は無用であるというスピーチをして、アフリカのリーダーたちから拍手喝采を浴びていました。
 アメリカ合衆国代表、コリン・パウエル長官が二日後に演説したときはブーイングが飛び、米国のやり方に抗議の意思を持つ人たちが(本会議の聴衆のなかに”抗議者”たちがいたのです)「恥を知れ、ブッシュ」と書いたバナーを拡げました。彼らはパウエルのスピーチの間、ずっとその文句を連呼していました。お気の毒に。この反米的な心情は2週間の会議がおわるまでずっと色々目に見える形で表されていました。
 サミットの間中、米国のイラク攻撃の脅威が一方的に高まり続けていたので、それがサミットに影響を与える政治的外部要因となっていました。イスラエル−パレスチナ紛争の影響も顕著でした−シモン・ペレスがサミットのイスラエル代表だったので、いくつかの反イスラエル抗議行動が行われました。

 今回のサミットで、私はこれまで感じていたこのような会議への疑問をさらに深めることになりました。話していることと実際の行動の間に明白な食い違いがあるのです。
 私はドキュメンタリーフィルムのためにニティン・デサイ(サミットの事務総長)に長いインタビューをしました。私はストレートに「リオのときのように、私に本会議でスピーチをさせてくれませんか?」と思わず聞いてしまいました。彼の答えはきわめて官僚的でした。曰く、自分はタダの調整役である、それぞれの人はここに参加するために大変な手続きを踏んできている、しかるべき手続きを踏まなくてはいけないので、自分の一存ではいかんともしかねる、と。
 これがこのような会議が抱えるジレンマの一つです。民主主義と外交の名の下に長々とした手続きがすべてに優先されるのです。

 滞在3日目にして私たちはすでにサミットにうんざりしていました。幸い、ナオミ・キャンベルとアヴィ・ルイスに出会い、彼らに「土地のない人々の集会があるよ」と教えてもらいました。やっと、サミット会場の外でなにが起こっているのかのヒントをつかむことができたのです。
 私たちは意気込んでなにが起こっているのか見に行きました。「土地なき民衆の集会」は町の郊外、ナスレックのそばの壊れかけた古い映画のセットで行われていました。映画のセットはちょっとしたスタジアムのように変えられていました。私たちが会場に着くと、建物は「土地なき人々」でいっぱいでした。外野席に当たるところで人々は歌い、体を揺すっていました。彼らの歌はとてもパワフルで、私たちがたった今までコンヴェンションセンターで見ていたものとはあまりに違っていました。私は泣きそうになりました。そのときカメラが私の顔をとらえたので、涙は止まってしまったんだけど。本当に力強い歌声でした。
 多くの人々が開発(ショッピングセンター建設)を理由に政府から土地を取り上げられ、都市の周辺に移転させられました。大きなトラックに強制的に文字通り積み込まれ、目的地にはちゃんと建築資材があるよと言い含められて。いま、彼らには失うものはなにもない。だからかれはここで、アレクサンドラのタウンシップからサントンへ向かうデモの準備をしているのです。
 これこそが悪名高い「貧困」なのです。この「貧困」について、毎日コンヴェンション・センターでは会議が開かれているのです。でも、「貧困」の当事者であるかれらは会場の遙か彼方にいて、ここで、自分たちの主張を聞いてもらおうとしているのです。

 2日後、私たちは15000人の人々と共にデモに参加し、バラックが建ち並ぶアレクサンドラからサントンに向かって約5時間歩きました。歩いている間中、アフリカの歌と踊りが続いていました。私たちの周りは世界中からサミットのために集まった人たちでいっぱいでした。社会問題や環境問題に取り組むありとあらゆる分野の人々が集まっていました。戦車と兵隊たちの隊列が通りに沿って監視していましたが、デモの雰囲気は平和そのもので連帯感にあふれていました。ただ、デモ隊がサントンについて集会を始めたとたんなんだか落ち着かない雰囲気になりました。イスラエルの旗が燃やされるのを見て(マスコミには格好の題材でしょうが)悲しい気持ちになりました。色々な政治的リーダー(ムガベなど)に対する非難の発言が続きました。
 いろいろありましたが、ともかくこのデモは私がかって参加したもののなかでもっとも感動的で比類のないものでした。

 ある日、グリーンピースの活動家に勧められてCLAWという小さなヴォランティア組織を運営している女性と一緒に出かけました。CLAWはもっとも貧しいコミュニティに入っていって、そこで動物クリニックを開きます。ペットに注射をしたり、のみ取りのための入浴をさせたりするのです。それは強烈な光景でした。スラムに着いて、彼女とヴォランティアたちが彼女たちのバンを診療所に変身させると、何十人もの子どもたちが彼らのペットの犬をかかえて行列を作るのです。彼女が言うには、ペットを治療することはこのコミュニティの衛生状況の改善につながるし、子どもたちにどうやってペットを世話するのか教える効果があるそうです。彼女がこのコミュニティでソーシャルワーカーの役割をも果たしていることが見て取れました。時々エイズで両親を亡くした孤児に出会うことがあるが、そのようなときは、彼女は世話をしてくれる人を捜す手助けをするのだと語っていました。

 CLAWとのスラム訪問、土地なき民衆の集会やデモは、そこで起こっている事態を見据え、そしてその一部として参加できる本当にすばらしい機会でした。行動と情熱と運動−サミット会場の側にいてはなかなか見ることのできないものです。

その他の大きな出来事

 本会議が開かれている5階にあがるとどこかで見た顔が・・・わ、マンデラだ!!マンデラとグレースが廊下を歩いてる!!私は早足で追いついて、彼らの横を歩きながら彼のおなじみのマディバのシャツをポーッと見ていました。話しかけようなんて思いつきもしなかった!ワーオ。

 土地なき民衆の集会で、私は私たちのグループのカナダ人を代表して連帯のスピーチをしました。足がすくんでしまうような、でも、同時にとっても力づけられる経験でした。とても興奮しました。そののち、ある白人女性の隣に座ったのですが、はっと気づくと、なんとその人はモード・バーローだったんです。集会場の外の瓦礫の上で彼女にインタビューをすることができました。やった!

 友人と共にアフリカで、サミットの狂乱状態をともにすごすこと−この超現実的な経験を仲間と分かち合えるなんてすごいこと。この狂乱状態に誘発されて決定していったことや思いついたアイディアの数々もすごかった。仲間から教えられたことも数え切れない。

サミットの結果

 政治宣言と実施計画のための交渉は火花を散らす闘いでした。JUSCANZ(日本、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)は障害物の役割を果たし、米国は基本的にどことも手をつながず孤立していました。
 最終結果が出たときはもう夜の9時で会議はもう終わっていました。保健衛生の分野で活動している人々は「2015年までにきれいな水にアクセスできない人の数を半分に減らす」という文言が実施計画に挿入されたことにとても満足していたようです。
 私は宣言文を隅から隅までみて、地球憲章(私が国連の委員として作成に関わったすばらしい文書)を承認する文章が削除されていることに気が付きました。
 少人数のグループ(人権コーカス)が集まって、この宣言を拒絶するためにどんな圧力をかけることができるか意見を出し合っていました。なぜなら人権を守る試みを承認し支持するすべての記述が宣言文から削除されていたからです。
 私はこのサミットの遺産である4ページの宣言文に対して深い落胆の気持ちを抱きながら撮影陣と共に会場を去りました。この政治宣言と実施計画は http://www.johannesburgsummit.org/ で見ることができます。

 デモの具体的成果についてはわかりません。南アフリカ政府が土地のない人々の要求に応えたのかどうかも。また、あの集会やデモがサミット参加者たちにどのような影響を与えたのかもわかりません。私はただあのデモが海外のメディアの注目を集め、サミットにはすべての人々の代表が集まっている訳ではないこと、本当の行動が今こそ必要とされていることを示してくれることを願っています。これは昔からある課題なのです。

 このとき撮った映像は1月16日の "the Nature of Things" で放映されます。ちょっと心配だけど、でもいい番組になることを願っています!


 私はいまヴァンクーバーの自宅で、ようやく今回の旅で経験したことへの対応を取り始めています。そしてそれを通して私が今進めていることを明確にしようとしています。ヨハネスブルグという大きな出来事の後でも、私はまだ私たちの「自分たちの生活に責任をもとう!(ROR)」キャンぺーンを信じています。なぜならこれは今まで語られてきたすべてのことを実践にうつすことだからです!!いま、500人強の署名を集めています。これはほんの最初の一歩!みんながHPに書き込んでくれたコメントはすばらしいですよ。とても励まされます。私は同時に日本への旅の準備も進めていて、これはとても楽しい作業です。考えることがたくさんあります。日本への旅はなにをもたらしてくれるでしょうか?お楽しみも山盛り!ってとこかな?


翻訳:ウインドファーム