「債務と貧困を考えるジュビリー九州」のご紹介

運営委員 高丸正人

世界最大規模の「ジュビリー・キャンペーン」

 「ジュビリー」という言葉は、古代イスラエルに記されたヨベルの年から来たもので、その年にはすべての債務が帳消しにされ、奴隷も解放されたとあることから、ヨベルの年にあたる西暦2000年に貧しい国々の返済不可能な債務の帳消しを目指そうと、この運動が始まりました。  ジュビリー・キャンペーンは1990年に全アフリカ・キリスト教会協議会が「キリスト生誕2000年というお祝いの年に、アフリカの貧しい国ぐにの重い債務を帳消しにしよう」と呼びかけを行ったことが発端になりました。1996年、イギリスのキリスト教系援助3団体(Christian Aid、CAFOD、CMS)と国際開発協力NGO(OXFAM)によって国際事務所が設置されキャンペーンが開始され、これをきっかけに「ジュビリー2000国際キャンペーン」として世界中に広がっていきました。1998年には東京でも「債務帳消しキャンペーン日本実行委員会(英文名Jubilee2000Japan)が設立され、宗教界、労働界、市民団体、NGO、学者などによる日本のNGOではかつてない幅広い連合体が形成されました。1999年ケルンサミットでは、G7首脳に最貧国債務の一部削減を公約させ、また、2000年の沖縄サミットの時には166ヶ国から約2400万人もの債務帳消しを求める署名が集まり、世界最大の国際署名キャンペーンとなりました。

累積債務の問題

 1960年代に植民地支配から独立したアフリカの国々に与えられた経済支援は、結局は貸し手側の利益のためのものであったり、その国の実情を省みない経済発展に対する誤った考え方に基づくものでした。途上国に貸し付けられる債務には目的が決められているものが多く、貧しい国民が本当に望んでいる基本的な基盤整備ではなく、その国に進出しようとする国際企業のためのインフラ整備のための貸し付けも多く行われました。たとえ途上国の政府がもっと国民生活のためになる融資を受けたいと考えていたとしても、選択肢はほとんどないという状況でした。途上国は経済発展の軌道に乗れず、債務だけがもはや返済不能な額にまで膨らんでいきました。アフリカを中心とした重債務国では、債務の額があまりに多すぎるために学校や病院などが閉鎖され、国家そのものが壊滅しかねない危険な状況に追い落とされています。

当事者である日本

 日本もODAを通じて重債務国に多額の融資を行っており、ケニアのソンドゥ・ミリウやフィリピンのサン・ロケ、インドネシアのコトパンジャンのように、ダム建設など必要を疑問視される事業に日本企業が入り込んで利益を得ようとしています。効果が少ない割に環境に甚大な被害を与えるダム工事は先進国では新たな工事にストップがかけられつつあります。そのような技術を途上国に輸出すること自体問題ですし、それによって利益を受けるどころか、環境破壊により土地を奪われ生活の糧を失う人々にその借金を背負わせることは大変矛盾しています。

ジュビリー九州の活動

 ジュビリー九州はジュビリージャパンとテーマを共有しながら、独立した団体として1999年に発足しました。ジュビリー九州では、「借りたものは返すべきだ」と誤解を受けやすいこの問題に対して正しい認識を得てもらい、貸し手の責任を追及し、南の国々の人々にとって本当に必要な支援とは何なのかを考えていく活動を行っています。そのために連続講座の開催やニュースレター、ホームページ、メーリングリストを通じた情報発信を行い、他団体との交流も活発に行っています。

日本の「債務問題」

 債務問題は南の国々だけの問題ではなく、私たちの国が抱える債務もとても深刻な問題として受け止められています。ジュビリー九州が本拠を置くここ九州で、いま最も大きな争点になっているのが川辺川ダム建設問題です。ここでも南の国々と援助と同じように、そこに住む人たちのための開発ではなく、建設をする人たちの利益のための開発が行われようとしています。その目先の利益のために作られる借金は、誰が、いつ、どのようにして返すのか、まったく検討もついていません。ジュビリー九州では、川辺川ダム建設問題のように日本国内の「債務問題」にも積極的に関わっていきたいと考えています。

債務と貧困を考えるジュビリー九州ホームページ
http://jubilee.npgo.jp/