CHANCE!福岡のご紹介

チャンス!福岡は、平和のしっぽをつかもうとしている個人のあつまりです。 ひとりひとりの中の「平和」の姿はそれぞれ。 それぞれの望む「平和」や世界のあり方を考え、 行動する一歩を踏み出す場所がチャンス!福岡です。

CHANCE! 福岡 これまでやってきたこと

※画像はそれぞれのイベントのチラシです。クリックすると別窓で拡大表示します。

ピースウォークとは?

「誰もが参加できる、平和を創るためのウォークです。」
 平和への願いを込めて、音楽とともに同じ思いの人たちと一緒に歩くことです。「個人の自発的な参加」が基本です。もちろん、参加者の年齢・思想信条はまったく問いません。自分の思いをプラカードなどで表現し、アピールします。と言っても、難しい言葉なんか、いりません。「反対・対立」を超えて「対話・共存・相互理解・思いやり」といったピースフルな気持ちで歩きます。

Do It Yourself !!  いのうえしんぢ

記憶に新しいのは、レイヴ(DJダンスパーティ)。「有事法制」っていう、ムツカシくって解りづらいテーマをどういう風にみんなに伝えようとかな、と頭を抱えちゃいました。有事法制に詳しい人を呼んで講演会というのは、直球だけど聞きに来る人は、ある程度限られてる。もっと、違う感じで無関心な人を振り向かせたい。言うなれば「天の岩戸」方式で(スネてしまって穴の中に隠れてしまった太陽の神様。困ったみんなは、穴の近くでドンチャン騒ぎをする。すると、「楽しそうに何やってんだろ?」太陽の神様が出てきたところを、穴をふさいだ…という伝説)。という流れで、警固公園を1日借り切って、そこにDJセットを持ち込み、「有事法制って知ってますか?」というMCをいれながらのレイヴを開催。公園中に聞こえるぐらいの音量が欲しいけど、それにはコンサートに使用するような大出力のアンプとスピーカーが必要。「そういう事なら!」と、主旨に賛同してくれたプロの音響屋さんから借りた無料の機材を大分から、大きなテントやテーブルやイスを満載した「Chance!福岡」メンバーのトラック、電力をまかなう大型発電機は仕事時間中に関わらず(ごまかしながら)あるメンバーの会社の2トントラックに積まれて、続々と警固公園に集合。本家「チャンス!(東京)」からも応援部隊がやってきました。4時間のレイヴと、夜のピースウォーク。どれぐらいの人に「有事法制」のヤバさが伝わったかは、わかりません。ふらりと警固公園で休んでて、後ろの方で見ていた誰かひとりにでも「有事法制」があるってことが伝わったとしたら、それでオッケーなんじゃないかなって思います。だって、何かをやって世界がガラリと音をたてて変わることなんて、ありっこないと思うから…。

つーわけで、「平和」に関するアクションをちょぼちょぼやってますけど、改めて感じるのは、僕自身は平和主義者じゃないってこと。ピースにあふれてる人って、動物を愛し、植物を愛し、幹に耳あてて樹の声を聞く…という風なスピリチュアルにあふれて、オカリナとか吹いてるイメージ(かなり乱暴だけど)。ちょっと苦手なんです…。だいたい、僕って、パンク好きだし 。そもそも、パンクって、音楽のジャンルでもあるけど、失業率の高いイギリスではヤサグレ兄ちゃんたちの支持したムーブメントの部分もあったんですね。ファッションひとつとっても、自分たちが着ているレザージャケットやTシャツを安全ピンや鋲でデコレーションするのは、Do ItYourselfという「誰かが作ったモノにのっかるんじゃなく、自分たちの手で作りあげる」という精神からだし、パンクスのはく迷彩パンツは「戦争」のアンチテーゼを、工事現場ではくような編み上げのブーツは「労働者」の象徴だったり。アコースティックでキレイな音で、「♪イノチはひとつ。さあ、隣人と手をとりあって平和を〜」っていう美しく正しいメッセージ唱われても、僕には響いて来ないんです。ノイジーなディストーションばりばりの音に、「♪クソッタレな世界だ。だけどブッ壊すのも新しく塗り変えるのもおまえ次第だ」という世界のやりきれなさとちょっとの希望を唱われると、キュンとしてしまうんです。ま、これって、音楽の好みの問題と思うけど…。だから僕のなかで、美しく正しいとは思うけど「私たち人類は宇宙船地球号に乗り合わせた…」なんつー手垢のついた言葉じゃ、もはや誰にもインパクトを与えられないかな、と。

 だって、人間というのは戦うもの。戦いそのものをなくす事なんて出来ないハズ。だけど、どうにかして「すこしでも戦わせないシステムを創っていきたい」と。んで、そんな問題を考える時には、軍事や政治の問題だけでなく、環境問題、人権問題、開発・グローバリゼーションなんかを同時に考えなきゃ、システムの構造が見えてこない。例えば、「お金」の話。だって戦争って儲かるでしょ? 武器産業などの「壊す」事だけじゃなく、戦後復興のインフラ整備(道路、通信、電気やら施設やら)も「戦争産業」に含まれてるから。だから、世界銀行だとか世界貿易機関とかコムツカシーのも知らなきゃ。多くの人が問題にガッツリ関心を寄せて(単位で言えばFカップぐらい)盛り上がれば(国際世論ってやつに)、クロだってシロになるかも。

 でも、日本で生まれ育ったヒトが、世界の問題について考えるってこと、ぶっちゃけ言って、ちょっと難しい。例えば、テロリストの背景だとか。外国の階級意識だとか民族対立とかも、そう。2001年9月11日のアメリカ同時多発テロと、その後の10月8日に始まったアフガニスタンへの報復攻撃は、多くの人に影響を与えたと思うけど、中には「外国でビルが燃えたね」と些細な記憶にしか残ってないかもしれない。ホントの痛みなんか、当事者にならないとわからないものかも…。けれど、あの事件が世界の色んな問題が絡み合ってあるってこと。日本も無関係では、ぜ−んぜんないってこと。そこは、もー「想像力」でもって、考えなきゃ始まんない。でも、「想像力」ってのは、ヒトが持っている素敵なチカラのひとつだと思いません?

繋がりこそが平和 藤井 大輔

「皆さん、平和ですか?」

 なんて聴かれても困っちゃう? なんか変な宗教団体みたいだし、アントニオ猪木みたいだ。反対に、平和と比して戦争って言葉がよく使われるけど、「皆さん、戦争ですか?」なんて聴かない。もちろん、言葉として対語であることは確かで「うーん、多分そうだろうな」とは思いつつ、改めて考えてみると何となく違う気がする。例えば、戦争をすることが平和への途なんだっていう「正戦論」なんかにぶつかると頭のなかに「?」がハザードランプのように点滅したりする。
 たぶん、この疑問は世界中の人が抱えているんだと思う。同時に、世界中で「反戦」のアクションが行われているにもかかわらず、未だに戦争がなくならないのは、単純に物理的に人の命を奪うことを戦争だと思いこんで、それを無くせば「平和」になるって、思いこんでいる僕たちにもあるように思う。ついでに、その責任を全て軍隊なんかを指さして、国やそれに類するものに押し付けているからなんだと思う。

 お、自己批判か?自虐的か?だなんて、流行ってるからといってそういうわけじゃない。単純に、その政府って僕たちの政府だよね?って確認したいだけだ。それと、「平和だなー」って戦争がない時間や空間を過ごしてきた裏側で、目に見えない、ジワジワと人を苦しめてきたことだってあるよね?って確認したいだけだ。そう、例えば、身の回りにはそうして作られた製品があるかもしれない?
 ジッと息を潜めて周りを見渡すと、見えにくいかもしれないけれど、自分がどこかで小さいかもしれないけれど「繋がっている」ことが分かる。いや、スピリチュアルな怪しいものを言いたいんじゃなくて、例えば、現実に今着ている服が中国製だったりするよね?ってこともそうだ。

 そこからしか平和は始まらないと思う。知って、感じて、考える。起こっている戦争は今そのときだけではなくて、必ず多様で複雑な背景・思惑がある。だから、チャンス!福岡のアクションは、あんまり「反戦だ!」なんて言いたくない。だって、それはあまりに問題を単純化しすぎてるし、みんな考えてることだ。それよりも、いろんなことを知って、感じて、考えて、自分たちで「平和」を創ろうとすることが大事だと思う。ついでに、その過程も含めて楽しかったらいいなと思う。「繋がってる」と思えたら、その繋がりを切らないために一緒に楽しく平和を創ろう。創ろうって呼びかけよう。いいかい? 平和は僕たちが創るものだ。ピース。

"CHANCE!福岡" な人達に聞いてみました。

あなたにとって“平和”ってなんですか?
どうしてCHANCE!の活動に関わっているの?

「シルバーカードはまだいらない迷い猫」さん

 そうですね、参加のきっかけは、9.11とその1−2日後に出された、ブッシュの‘我々は報復する’宣言です。「いけない、いけない、暴力の連鎖はもうごめんだ、声を出さないと、このままほうってはおけない…」と一人焦っているところに、新聞でピースウォークをするという記事をみつけ、すがる思いでかけつけました。
 その底には、仕事にほとんどのエネルギーをすいとられる生活を30年あまりつづけながら、なにもできないまま、絶えずどこかで起こっている争い、広がってゆく貧富の差、壊れてゆく地球…などを感じて絶望感にちかいものを膨らませていた私があったと思います。
 そして、なぜしっこく、年の差をものともせず(!)今も参加しつづけているか。 参加してみて、かって学生運動に関わりながら、どうしてもなじめなかった、硬直した言葉、発想、行動etcが、そこにはなくて、ただひとりひとりの人間がいるというのが、ひどくぴったりときて、気恥ずかしいシュプレヒコールもなく好きに歩けるのが、もうこれしかない、あたりまえ…となった次第です。 加えて、ほとんどインターネットとは無縁だったのがmlとやらに加わり、いろんな情報を得ることを知り、また、NGOの多様な自由な活動、それに関わる多くの人々がいることを知りあらためて目を開かれつつある感じです。

大学生のYちゃん

私は自分が平和だなって思えるのが平和な状態なのだと思います。だから一人ひとり価値観の違いによって平和のあり方も違っていいと思っています。私にとっての平和は、
生きていく為に必要な量のめしがあり
家族を大事に思い
恋人を大事に思い
友達を大事にする、
相手をいやな気持ちにさせない=無駄に欲張らないということかなって思います。戦争は欲の塊によって起きています。相手を思いやるっていう小学生でもわかっていることを大人が出来ていないのは本当に悲しい。飢えや戦争がどれほど苦しいものか私は実感が湧きません。でも今、苦しんでいる人がたくさんいて、私の思う平和の状態とは程遠い人がたくさんいる。私は平和な世の中がいい世の中だと思っています。世界平和を実現させるのはすごく難しいことかもしれませんが、私はすべての人が生きていく為の食べるものがあり、周りの人を大切に思い、相手に不快を与えることなく、無駄に欲を張らないで生きていけたらいいなと願っています。
奇麗事かも知れません。平和って何なのか色んな人の意見を聞きたいです。
まだまだ模索中です・・・

Tさん

この地球は美しい、すべての存在は、とてつもなく美しい!
でも、いまこの地球は、環境破壊、仕組まれた戦争、構造的な貧困、飢餓等、様々な問題を抱え、取り返しのつかない状況になっています。それを何とかしたいと思っています。
私たちは、いろんな意味で全て繋がっていて、そのことを見失っていることが、混迷の根本原因だと思うのです。
平和な世界を作るのは、本当はとてもとても簡単なこと。
自分を好きになり、自分の周りの人を愛すること。
たったそれだけ。
決して、大上段に構えることは必要ではないと思うのです。
こんな簡単なことに、なんで気付かないんだろうって。
そう言うと、“アマイ”とか“夢想家”とか言う人もたくさんいます。もちろん、それで思考停止することなく、具体的、計画的な行動につなげる必要はあります。 でも、遠回りに見えても、確実に根本的に変えて行くためには、これしかないんじゃないかなと思います。
“平和”は他に求めるのではなく、自分のなかにみつけて、持ち続けることだと思うのです。
“平和”を“しあわせ”という言葉に置き換えてもいいかもしれない。
そのことに気付いてもらいたいと思っています。
ピースウォークは、外に向かって反対するためのものではなく、「自分も平和のために何かをしたいけど、どうしたら良いかわからない・・」そんな人たちが行動を起こすため、初めて一歩を歩み出すためのステージだと思っています。
そして、ピースウォークを見た人にも、何かの気づきとなるような、そんな、きっかけ(CHANCE)を提供したいと思っています。
それが、この“CHANCE!福岡”でやれること。
平和は、ひとり一人からしか生まれてこないこと。
そして、「自分にも出来る」「自分だからそこそやれる」
そんなことに気付いて、さらに広げてもらいたいために“CHANCE!福岡”に関わっています。

マエダアレイさん

日常。その人にとって当たり前となっている一日一日。例えば私にとっての日常は、朝、起き抜けに飲む一杯の珈琲に始まり、次にシャワーを浴びる。 好きな音楽を聴きながらパソコンに向かって文章を書いたり、自転車に乗って取材や用事を済ませたり、友だちと会って外食したり。たまにライブや映画に出かけたり、大好きな人たちに囲まれて、それなりに生活している。 でも、このあたり前になっている毎日という日々を望んでも手に入れる事のできない現状の人たちが、この地球上には存在しているんだ、と以前より意識的に感じるきっかけになったのが、911の出来事から活動を起こした『Chance!福岡』という個人の集まりに参加したこと。 ここで私はNGO活動をしている人から学校の先生、OLさんや学生さんなどたくさんの人に出会った。 アフガン、パキスタン、チベット、アメリカ…日本が無関係でない国際的な問題などいろんな入口を知った。 けれど、そこから先の、ひとつひとつの問題を探っていくことを私の日常にすることは、正直けっこうハードで、実際にあまり進んでないと言わなくちゃいけないだろう。 そんな時、私は私のあたり前の日常がどんなにぬるま湯で、どんなに贅沢なことかを感じる。 そして、ひとつ知るとそういう日本や世界の事柄が次々と心にひっかかってくることもまた確かだと思う。 こんな感じの私のような人たち が一歩入口を知ったら、どんなにいいだろう。親子や知人、友だち、恋人、カフェで 偶然隣り合わせた人とのちょっとした会話の中に、そういう話題が出てくるような、そんなやさしい世界に。現実を受け止めることはむずかしい。 けれど、そんな少しずつの思いが巨大な声となって、世界の悲鳴を今からなくしていくことを強く願って。

「CHANCE!福岡」ホームページ
http://chance.npgo.jp/