2015/01/22

本当の原発のコストは高い。本当に電力自由化されたら淘汰されるので、廃炉費用や再処理費用を新電力会社から電気を買う人からも徴収する 

これまで政府は、「原発のコストは、他の発電方法より安いから推進する」と言ってきました。しかし、原発のコストは本当は高いので、本当に電力自由化してしまうと淘汰されます。そこで、原発を続けたい政府は、「原発を持たない新規参入の電力小売会社」から電気を買う消費者にも「原発の廃炉費用」や「使用済み核燃料再処理費用」を負担させようとしています。具体的には、送電線使用料(託送料金)に原発関連費用が上乗せされます。このような原発を優遇するやり方は、本当の電力自由化とは言えません。原発を利用しない消費者から廃炉費用や再処理費用の徴収はやめるべきです。

西日本新聞(2014年12月)廃炉費 全電力利用者に   

※2014年12月18日 西日本新聞

廃炉費全利用者が負担 有識者会議決定
(2015年1月14日 東京新聞夕刊)

 原発の廃炉会計制度見直しに関する経済産業省の有識者会議は14日、報告書案をまとめ、2016年の電力小売り全面自由化後も、原発の廃炉費用を電気料金に転嫁することを決めた。14年度内に関連省令を改正する方針。新規参入の電力小売会社からの購入も含め、原則として全ての利用者が負担する方向となる。全利用者に負担を求めることには反対意見もあったことから、例外規定を設けるなどの詳細は今後検討する。

 大手電力が抱える老朽原発の廃炉を円滑に進めるため、費用を確実に回収する。利用者は原発に頼らない新規参入事業者から電力を購入しても、負担を迫られることが想定される。

 現在の制度は、原発を持つ大手電力が廃炉費用を電気料金の原価に算入し、利用者から徴収している。電力小売り全面自由化により、原価を基に料金を決める「総括原価方式」がなくなるため、新しい仕組みにする。

 具体的には、大手電力から分離してできる送配電会社が、送電線の利用料(託送料)に廃炉費用を織り込む。大手電力と新規参入の電力小売会社のいずれも送電線を使うため、利用者は原則として、どの事業者を選んでも廃炉費用を支払うことになる。

 一方、有識者会議の委員からは、原発に批判的な電力小売会社や利用者から廃炉費用を徴収することに異論も出ていた。

 また、原発のタービンなど廃炉になると役割がなくなる設備を資産にできるよう、会計ルールを改める。十年で減価償却できるため、大手電力の負担が軽くなる。

原発の電気価格、国が保証? 自由化後も優遇策
(2014年8月22日 東京新聞 朝刊)

 経済産業省は21日、電力の完全自由化後も、原発を持つ電力会社に損失が出ないよう支援する制度を検討していることを明らかにした。電力会社をつぶさないための現在の総括原価方式は自由化で撤廃されるが、新制度案は原発を特別扱いした「第二の総括原価」となりかねない。 (岸本拓也、吉田通夫)

 家庭用の電気料金は現状では、国の認可制度の下、電力会社が原発などの発電費用をすべて回収できるように設定できる総括原価方式で決まっている。だが、2016年4月に始まる電力の完全自由化策の一環として、総括原価方式は18~20年をめどに廃止され、料金は電力会社が自由に決められるようになり、競争による企業努力で消費者にとっては安くなることが期待されている。

 しかし、経産省がこの日の有識者会議で示した案では、原発で発電した電気の基準価格については、完全自由化後も国と電力会社が決定し、市場価格が基準価格を下回った場合は、差額を電気料金などで穴埋めする。基準価格は総括原価方式と同様に、原発の建設費や使用済み核燃料の処分費用などの投資額を基に決めるため、大手電力は損をしない。

 原発にはこれまでも手厚い優遇策が取られており、会議では九州大の吉岡斉教授が「原発は極端な優遇策を講ずるに値しない」とする意見書を提出。原子力資料情報室の伴英幸共同代表は「国や電力会社が繰り返してきた『原発は安い電源』との主張に矛盾する」と批判した。

「原発のコストが一番安い、うそだった」小泉元首相
(2014年10月22日 朝日新聞)から抜粋

小泉純一郎元首相
 ほかの国に比べて日本は地震、津波、火山の噴火が多い。原発をやってはいけない国だと確信した。政府は『日本の原発は世界一、安全基準が厳しい』と言うが、米国やフランス、アイルランドと比べてどこが厳しいのか、全然示していない。廃炉の費用、賠償費用、安全対策の費用。最終処分場なんて千年万年作らない。これを入れてないんだから、原発のコストが一番安いというのは、とんでもないうそだった。

古賀茂明 「(原発は)実は高いんですよ」

そもそも原発は“安いから使う”ということではなかったのか 電力自由化で売れなくなったら「消費者が差額負担」(2014年9月11日 そもそも総研)

政府や原子力ムラは、原子力発電は安いから使うと言い続け、だから九州電力の川内原発も再稼働させるとしている。ところが、経済産業省の総合資源エネルギー調査会・原子力小委員会は「原発は高くつく」という前提で議論が行われていた。

論点は「原発の価格保証」だ。電力自由化の方向は決まったが、そのなかで原子力だけに価格保証を考えるという議論だ。政府・経産省が心配する「このままでは自然淘汰で原発ゼロ」

そもそも総研 「ほおっておくと淘汰されるんです。原発は高いから」

伴委員「原子力は電力自由化と合わないですよ。コストが高い。原子力を生き残らせるためには支援が必要だということで支援策の議論をしています」

電力の小売りを全面自由化する「改正電気事業法」が6月(2014年)に成立した。これが電力自由化だ。従来はコストに利益を上乗せする総括原価方式で電気料金を決めてきたが、自由化によって市場が決めることになる。ただ、原発だけは特別扱いしようというのだ。

伴「基本的には高いことが明らかになっています。放っておくと淘汰されるので守ろうと?いうことです。『差額決裁契約』といいます。市場の価格との差額を補填しましょうとい?うことですね」

玉川「だれが補填するんですか」

伴「第3者機関を作って消費者から電気料金から資金を集めるわけです」

玉川「結局、消費者が負担するということですね」

伴「消費者が負担する」

・・・以下は、後日掲載した参考記事・・・

電力自由化 電力会社 「原発はコスト面で不利だ」(2002年12月27日 毎日新聞)

原発ゼロへ再考を 原子力は高くつく(2015年11月19日 中日・東京新聞【社説】)

送電料の1割が原発費用 九電などが上乗せ申請 再生エネ業者も負担
(2015年11月28日 西日本新聞)

西日本新聞(2015年11月)送電料1割 原発費用

 電力小売り全面自由化に向け大手電力9社が経済産業省に申請した送電線使用料(託送料金)に、使用済み核燃料再処理など送電と無関係な原発関連費用が上乗せされ、原価の1割近くを占めていることが分かった。

2015/01/13

チェルノブイリ法は1ミリから被ばく対策 日本は20ミリまで安全

福島県の子どもの甲状腺がんが57人から84人に増えました。
「がんの疑い」28人を加えると112人にもなります。

甲状腺検査 112人(今回4人含む)がんやがんの疑い 対象38万人中30万人受診 

通常、子どもの甲状腺がんは、100万人に1人か2人、
未成年の甲状腺がんも100万人に2~3人と言われていました。
しかし、福島県では38万人に112人もがんが見つかっています。

福島県小児甲状腺がん及び疑い112人 発生地図

手術した54人のうち8割超の45人は腫瘍の大きさが
10ミリ超かリンパ節や他の臓器への転移などがあり、
2人は肺にがんが転移
していました。

そして、福島で増えている病気は、甲状腺がんだけではありません。
2013年の統計で、全国平均より福島の死亡率が1.4倍以上高い病気は、内分泌・栄養及び代謝疾患(1.40倍) 皮膚がん(1.42倍 ) 脳血管疾患(1.44倍) 糖尿病(1.46倍) 脳梗塞(1.60倍) 特に、急性心筋梗塞、結腸がん、腎臓病、消化器系の疾患などが原発事故の後に急増しています

2012年福島県の死因ワーストランキング
   (表は宝島から拝借 クリックで拡大)

チェルノブイリと同様に最も急増しているのが、セシウムが蓄積しやすい心臓の病気で、急性心筋梗塞の死亡率が全国平均の2.40倍慢性リウマチ性心疾患の死亡率が全国平均の2.53倍で、どちらも全国1位になっています。(これは発病率ではなく死亡率です)

放射能汚染地は、福島だけではありません

空間線量汚染地図:東洋経済
(出典www.toyokeizai.net

ウクライナでは「チェルノブイリ法」の第1章第1条に「放射性物質の汚染地域とされるのは、住民に年間1ミリシーベルトを超える被ばくをもたらし、住民の放射線防護措置を必要とする地域である」と明記し、年間被ばく量が1ミリシーベルト以上の地域には「移住の権利+補償」があり、5ミリ以上には「移住義務+補償」があります。しかし日本政府は「20ミリ以下は安全」として、子どもたちや妊婦さんも含めた避難者を放射能汚染地に戻そうとしています。

「チェルノブイリ法」の地図は、外部被ばくと内部被ばくの合計で作成
(地球の子ども新聞 2012年11月号)チェルノブイリ基準に基づく区分

地球の子ども新聞:チェルと日本の汚染地図比較

トリミング:汚染地図・移住権利・義務ゾーン

地球の子ども新聞2012年11月号から抜粋)

IAEA(国際原子力機関)、WHO(世界保健機関)を超えて
年間1ミリシーベルトを提唱したミハイル・マリコ博士(ベラルーシ科学アカデミー)
チェルノブイリの防護基準、年間1ミリシーベルトは市民の声で実現されました。核事故の歴史は関係者が事故を小さく見せようと放射線防護を軽視し、悲劇が繰り返された歴史です。チェルノブイリではソ連政府が決め、IAEAとWHOも賛同した緩い防護基準を市民が結束して事故5年後に、平常時の防護基準、年間1ミリシーベルトに見直させました。それでも遅れた分だけ悲劇が深刻になりました。フクシマでも、早急な防護基準の見直しが必要です


(参考:TV番組の書き起こし)
原発事故 国家はどう補償したのか ~チェルノブイリ法23年の軌跡~ ETV特集(2014/08/23 テレビまとめ)

NHK・Eテレの「ETV特集」で原発事故 国家はどう補償したのか ~チェルノブイリ法23年の軌跡~ が放送されました。1986年4月26日、チェルノブイリ原発が爆発事故を起こしました。膨大な量の放射性物質が放出され、広い地域が汚染されました。ウクライナ政府が現在被災者と認めている人は213万人被災者に対する補償はウクライナ政府によって続けられてきました補償の根拠となっているのが事故の5年後に制定されたチェルノブイリ法です。そこには「国が被災者の生活と健康を世代を超えて守り、被害の補償を続ける」と規定されています。チェルノブイリ法は事故後の長い議論を経て生まれました。しかし、チェルノブイリ法の制定から20年以上が経った今、被災者への補償は2割以下しか実施されない事態に陥っています。ウクライナ政府は内戦の前から深刻な財政難に陥り補償にあてる予算を捻出できなくなっていたのです。高い理想を掲げながら大きな壁にぶつかったチェルノブイリ法。その成立過程を明らかにする資料が去年初めて公開されました。

2013年10月、ウクライナのキエフで「チェルノブイリの経験をフクシマへ」と題されたワークショップが開かれました。これまで日本から多くの政治家や研究者がウクライナを視察に来ています。今回ワークショップを主催したのは元環境大臣ユーリ・シチェルバクさん。ウクライナが原発事故の被災者をどのように救済してきたのか報告されました。チェルノブイリ法の特徴は事故による被ばくが5年後の時点で年間1ミリシーベルトを超えると推定された地域を補償の対象としていることです。被災者をどこまで救済するかは、日本が現在直面している課題です。

チェルノブイリ原発の西120kmにあるコロステン市には、チェルノブイリ法が補償の対象とした地域があります。被災者には年1回、症状に合わせた保養所の旅行券が支給されます。また両親が被災者であれば事故後に生まれた子供も被災者として認定されます。コロステン市社会保護局イゴーリ・エシン局長は「旅行もできるし薬も無料、歯医者も無料、公共料金にも免除があり、全部合わせれば国は住民をとても助けていると思う」と言っていました。年間被ばく線量が法律を制定した時に1ミリ~5ミリシーベルトのこの地域では住民に移住の権利が与えられました。チェルノブイリ法は移住しなかった住民への補償を次のように定めています

・毎月の補償金(給料の1割分を上乗せ)
・年金の早期受け取り
・電気代やガス代など公共料金の割引
・家賃の割引
・公共交通機関の無料券
医薬品の無料化
毎年無料で検診が受けられる
非汚染食料の配給
・有給休暇の追加
サナトリウム(保養所)への旅行券
・大学への優先入学制度
・学校給食の無料化

それでも、この街からの移住を決断した人は4000人にのぼりました。当時、教師だったビクトル・ホダキフスキーさんは法律制定後すぐに移住を決めました。低線量の放射線は大人にとっては何ともなくても、子供にとっては危険かもしれないと思ったからです。そして新しい家、新しい仕事も補償されるということだったため移住を決めたと言います。移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供しました。また引越しにかかる費用や、移住によって失う財産の補償も行われました。

ソビエト連邦から独立したウクライナは1996年、新たな憲法を制定しました。そこにはチェルノブイリの被災者を救済することは国家の責務であると明記されました。チェルノブイリ原発で事故が起きたのは旧ソビエト時代の1986年です。原子炉が爆発し、おびただしい放射性物質が拡散しました。しかし、国民に放射能汚染の情報は知らされず事故から5日後にはソビエト全土でメーデーのパレードが行われました。コロステン市でも屋外でメーデーのお祝いが行われました。ソビエト政府はその後も放射能汚染の情報を隠し続けました。冷戦時代、社会主義諸国の盟主だったソビエトにとって原発事故の情報は西側に知られたくない国家機密とされたのです。

そんな中、ソビエト連邦の15ある共和国の一つウクライナから批判の声が上がりました。被ばくによって病気になったと訴え出たのは原発で事故処理にあたった作業員たちでした。チェルノブイリ原発の事故処理にはソビエト全土から兵士、消防士、警察官など80万人が動員されたと言います。放射線に対する知識もなく不十分な防護服で原子炉の消火や瓦礫処理にあたりました。人々はゴルバチョフ書記長に窮状を訴えました。やがて事故処理の作業員とウクライナの市民が一丸となってソビエト政府に抗議するように。この運動を率いたのがユーリ・シチェルバクさん。真っ先に求めたのは事故の情報公開でした。

事故から3年後、ソビエト政府はようやく汚染の情報公開にふみ切りました。汚染は北西部にまだらに広がり、原発から110km離れたコロステン市にまで届いていました。コロステン市では体の不調を訴える住民が相次いでいました。事故の翌年に始まった住民検診で9人に甲状腺がんが見つかりました。ウクライナだけでなく隣国のベラルーシでも子供たちから甲状腺がんが次々と見つかりました。汚染地域の住民から次々に寄せられた強い要求にウクライナ政府はモスクワの指示を仰ぐことなく独自に被災者の救済に乗り出しました。当時のウクライナ最高会議レオニード・クラフチュク議長は被災者救済の法律を作る決断をしました。1990年6月、12人の代議員でチェルノブイリ委員会が結成され法案作成がスタート。法律の完成までには8ヶ月の時間を要しました。いかなる議論が繰り広げられたのでしょか?

去年、初めて委員会の議事録が公開されました。委員会が最初に取り組んだのはソビエトが決めた被災地の範囲を見直すことでした。事故後、ソビエト政府によって汚染レベルの高いエリアの住民は強制的に避難させられていました。そして年間の被ばく線量が5ミリシーベルトを超える地域は被ばく量を下げる対策が必要とされていました。この方針を決めたのはソビエト科学アカデミーのレオニード・イリインさんです。イリインさんは放射線学の権威で、ソビエトの政策決定に大きな影響力を持っていました。イリインさんが住民対策の基礎にした被ばく限度量は事故後1年間は100ミリシーベルト、2年目は30ミリシーベルト、3年目は25ミリシーベルト、それ以降は年間5ミリシーベルト。これは平常時の値として生涯350ミリシーベルト、70歳まで生きるとすると年間5ミリシーベルトが限度だとしたからです。イリインさんたちは被ばく線量とがんの関係を計算して、その結果それ以下の放射線量なら自然に発生するがんの範囲内におさまると結論付けました。しかし、当時世界には放射線の被ばく限度量について異なる見解も存在していました。1985年に国際放射線防護委員会(ICRP)が平常時の被ばく限度量を年間1ミリシーベルトとすると声明を出していたのです。ウクライナのチェルノブイリ委員会は被ばく限度量をどこに定めるのか討論を行いました。基準を5ミリシーベルトから1ミリシーベルトにすれば、被災者と認定する住民の数は100万人以上膨れ上がります。将来にわたる補償の規模が大幅に変わる問題でした。

委員会発足から8ヵ月後、チェルノブイリ法は採択されました。その第1章第1条には「放射性物質の汚染地域とされるのは、住民に年間1ミリシーベルトを超える被ばくをもたらし、住民の放射線防護措置を必要とする地域である」と記されています。法律の冒頭に被ばく限度量を年間1ミリシーベルトとすることが明記されたのです。チェルノブイリ法に基づきウクライナの被災地は4つの区域に分類されました。

【強制避難区域】
事故直後から住民を強制的に避難させた汚染レベルの高い区域

強制移住区域】
年間被ばく線量が法律制定時に5ミリシーベルトを超える区域

移住選択区域】
年間被ばく線量が法律制定時に1~5ミリシーベルトの区域

放射線管理区域】
年間被ばく線量が法律制定時に0.5~1ミリシーベルトの区域

チェルノブイリ法が施行されて20年以上が経ちました。今、その運用はどうなっているのでしょうか?
コロステン市の人口は6万2000人。そのうち5万8000人が被災者として登録されています。コロステン市にはウクライナ政府からチェルノブイリ法のための予算が配布されています。去年は日本円で5億円が配布されました。現在、無料検診、無料給食、公共料金の割引などは引き続き行われていますが、給付金はインフレのため大幅に目減りしています。

2011年にウクライナ政府がまとめたチェルノブイリ事故の報告書の中でチェルノブイリ法の運用について検証しています。チェルノブイリ法で支出すべき予算のうち、実際にどれだけ実現されたのかです。1996年に57%だった実施率が2010年には14%にまで落ち込んでいます。現在ウクライナで被災者として登録されている人は213万2251人。人口の5%にあたり政府は補償と財政の板ばさみになっています。ウクライナの国家予算は2000億グリブナ(1兆6000億円)ですが、チェルノブイリ法で定められた補償を完全に実施すると800億グリブナ(6600億円)もかかります。これは国家予算の40%にのぼります。去年、実際に予算を組めたのは110億グリブナ(900億円)でした。法律制定当時、ウクライナのチェルノブイリ委員会では財源についてどのような計算がなされたのでしょうか?

実は当時ソビエト政府はチェルノブイリ事故の対策に特別な予算を組もうとしていました。予算の主な配布先は汚染がひどかったロシア、ベラルーシ、ウクライナです。それらへの対策費として総額150億ルーブル(3兆7000億円)必要としていました。この試算に基づきソビエトの閣僚会議はチェルノブイリ対策費を検討。その結果、103億ルーブル(2兆5000億円)を投じることを決定しました。しかし、チェルノブイリ法制定の時、世界は大きく動き始めていました。

1989年にベルリンの壁が崩壊し、東欧の社会主義諸国で民主化が広がり、その波はウクライナにも及びました。チェルノブイリ法制定から半年が経った1991年8月24日、ウクライナは独立を宣言ソビエト政府の財政も危機的状況にあり1991年12月にソビエト連邦は崩壊。その後誕生したロシア連邦はソビエトの方針を引き継がないことを表明チェルノブイリ関連支出に関しては今後各国が自ら支出するようにと通達しました。

こうしてチェルノブイリ法実施の費用をあてにしていたウクライナの目論見が崩れたのです。自らの予算でチェルノブイリ法の遂行を担うことになったウクライナ政府。初代大統領のレオニード・クラフチュクは予算の配分に頭を痛めました。そして彼は教育や科学への予算よりもチェルノブイリ法の予算を優先させました。しかし1990年代後半、世界的な経済危機がウクライナにも波及。国の財政難から被災者への補償は当初の予定の3割しか支給できなくなりました。政府は今も補償と財政の狭間で苦しみ続けています。

経済危機の中、去年のくれから始まったウクライナの反政府運動。2月には首都キエフ中心部での銃撃戦に発展。大統領は国外に逃亡しました。新たに就任したポロシェンコ大統領ですが、内戦の収束、経済の建て直しなど難題が山積しています。新政権はチェルノブイリの被災者に対し、これまで通りの補償を行っていくと表明しています。

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ウクライナ政府は財政難の中でも被災者への補償を続けています
一方、日本政府は20ミリシーベルト以下の地域を「汚染地」としない政策を進めています。

「年20ミリシーベルトを超えない」として南相馬の避難勧奨を解除 住民反発

福島で甲状腺がん 6歳10歳15歳17歳 2巡目検査で増加 84人がん確定+がん疑い28人

子どもの甲状腺がん検査

星北斗 県民健康調査検討委 座長「放射線の影響を証明することも難しい」

「マスコミはどのように報道したか」今後のための記録

「がん・疑い」4人 福島県民甲状腺検査2巡目
(2014年12月26日 河北新報)

 福島県立医大は25日、東京電力福島第1原発事故に伴い事故当時18歳以下の県民を対象に4月から実施している2巡目の甲状腺検査で、新たに4人が「がんまたはがんの疑い」と診断されたと公表した。福島市で開かれた県民健康調査検討委員会で明らかにした。

 4人は原発事故当時15歳だった女性1人と6、10、17歳の男性3人。避難区域があった田村市と大熊町、避難区域外の伊達、福島両市で各1人だった。2巡目の検査を受けたのは10月末現在、8万2101人。

 2011年10月から実施された1巡目の検査では、全員が結節や嚢胞(のうほう)がないか小さいため2次検査は必要ないと診断されていた。県立医大は、今回の検査までの最長2年半の間に発症したとみている。

 検討委の星北斗座長は記者会見で「現時点で放射線の影響の有無は断定できない」と述べた。

 1巡目で甲状腺がんの確定診断を受けた子どもは8月の発表から27人増え、84人になった。1巡目の受検者は10月末現在、29万6586人。

 1巡目の検査で甲状腺がんと診断された23人から摘出された腫瘍の遺伝子の解析結果も発表された。チェルノブイリ原発事故後に現地周辺で子どもの甲状腺がんが増加した際に多く見つかった遺伝子変異はなく、成人の甲状腺がんと同じ変異パターンが多かった。

2巡目検査でがん疑い4人 甲状腺、福島県検討委報告
(2014.12.25 23:52 産経ニュース)

 東京電力福島第1原発事故の影響を調べる福島県の「県民健康調査」の検討委員会が25日、福島市で開かれた。子供の甲状腺検査で事故直後の1巡目検査では「問題ない」とされた4人が、4月からの2巡目で「がんの疑い」と診断されたことが報告された。

 調査主体の福島県立医大によると、4人は事故当時6歳男子、10歳男子、15歳女子、17歳男子で、腫瘍の大きさは7~17・3ミリ。会合では「1巡目でがんを見逃した可能性がある」「1巡目の後に急激に大きくなった腫瘍が見つかったのではないか」「(検査を受ける子供の)平均年齢が上がれば、がんの人数が増えるのも不思議ではない」などの意見が出た。

 終了後の記者会見で検討委の星北斗座長は「(がんの疑いが4人見つかったが)放射線の影響は考えにくいという見解を変える要素ではない」と話した。

福島で甲状腺がん増加か 子ども4人、放射線影響か確認
(2014/12/24 02:00 共同通信)

 福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが23日、関係者への取材で分かった。25日に福島市で開かれる県の検討委員会で報告される。

 甲状腺がんと診断が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる。調査主体の福島県立医大は確定診断を急ぐとともに、放射線の影響かどうか慎重に見極める。

 1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した。

子供4人、甲状腺がん疑い 原発事故直後「異常なし」
(2014年12月24日 2:00 日本経済新聞)

 福島県の子供を対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子供4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが23日、関係者への取材で分かった。

 25日に福島市で開かれる県の検討委員会で報告される。調査主体の福島県立医大は確定診断を急ぐとともに、事故による放射線の影響かどうか慎重に見極める。

 検査の対象は1巡目が事故当時18歳以下の約37万人で、2巡目は事故後1年間に生まれた子供を加えた約38万5千人。1次検査で超音波を使って甲状腺のしこりの大きさや形状などを調べ、程度の軽い方から「A1」「A2」「B」「C」と判定し、BとCが血液や細胞などを詳しく調べる2次検査を受ける。

 関係者によると、今回判明したがんの疑いの4人は震災当時6?17歳の男女。1巡目の検査で「異常なし」とされていた。4人は今年4月からの2巡目検査を受診し、1次検査で「B」と判定され、2次検査で細胞などを調べた結果「がんの疑い」と診断された。

 また、1巡目で、がんの診断が「確定」した子どもは8月公表時の57人から27人増え84人に、がんの「疑い」は24人(8月時点で46人)になったことも新たに判明した。〔共同〕

福島の子4人、甲状腺がん疑い 2巡目検査で診断
(2014年12月24日 12時33分 中日新聞)

中日新聞:甲状腺検査 2巡目 4人がんの疑い

 福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが23日、関係者への取材で分かった。25日に福島市で開かれる県の検討委員会で報告される。

 甲状腺がんと診断が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる。調査主体の福島県立医大は確定診断を急ぐとともに、放射線の影響かどうか慎重に見極める。

 1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した。
(共同)

福島で子どもの甲状腺がん増?4人が疑い
(2014年12月24日9時8分 日刊スポーツ)

 福島県の全ての子どもを対象に東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べる甲状腺検査で、事故直後の1巡目の検査では「異常なし」とされた子ども4人が、4月から始まった2巡目の検査で甲状腺がんの疑いと診断されたことが23日、関係者への取材で分かった。甲状腺がんと診断が確定すれば、原発事故後にがんの増加が確認された初のケースとなる。

 1986年のチェルノブイリ原発事故では4~5年後に子どもの甲状腺がんが急増した。このため県立医大は、事故から3年目までの1巡目の結果を、放射線の影響がない現状把握のための基礎データとしてとらえ、2巡目以降でがんが増えるかなどを比較し、放射線の影響を調べる計画。

 また、1巡目で、がんの診断が「確定」した子どもは8月公表時の57人から27人増え84人に、がんの「疑い」は24人(8月時点で46人)になったことも新たに判明した。

福島の甲状腺がんは原発事故原因が決定的に
(2014年12月24日 15時57分 ヤフーニュース)から抜粋

団藤 保晴 | ネットジャーナリスト、元新聞記者

福島の子どもたちに発見されている甲状腺がんが原発事故による発症である疑いが決定的になってきました。原発サイトからの放射能流出が長期に渡った点も新たに判明、原因でないと否定していた行政側見解が崩壊です。事故直後の甲状腺検査で異常なしだった子ども4人に、今年になって2巡目の検査で「がんの疑い」が報じられました。

日経新聞の《子供4人、甲状腺がん疑い 原発事故直後「異常なし」》がこう伝えました。《今回判明したがんの疑いの4人は震災当時6~17歳の男女。1巡目の検査で「異常なし」とされていた。4人は今年4月からの2巡目検査を受診し、1次検査で「B」と判定され、2次検査で細胞などを調べた結果「がんの疑い」と診断された。

《幻の放射性ヨウ素汚染地図を復活させる【福島県版まとめ】》から引用させていただいた汚染分布地図です。米国の航空機モニタリングが原データで福島県の東半分しか描かれていませんが、セシウム134に比べてヨウ素131の分布が南部にも西部にも厚く広がっている点が見て取れます。

どうしてこのような差があるのか不思議でした。21日放映のNHKスペシャル「メルトダウン File.5 知られざる大量放出」が謎を解いてくれました。これまで政府事故調などが調べてこなかった2011年3月15日以降に大量放出が続いていたのです。1号機や3号機の水素爆発、2号機の格納容器破損による放射能流出は全体の25%ほどに過ぎず、15日以降こそが流出本流だったと言えます。その中にヨウ素131が特異に多い流出もあり、南に西に福島県内に広く流れたようです。地図は土壌に沈着した分だけであり、揮発性であるヨウ素は空気中に大量に拡散したでしょう。甲状腺に蓋をするべきヨウ素剤は配布されませんでしたから子どもたちは無防備のまま置かれていました。

報告されている甲状腺がん患者の分布は福島県全域に広がっており、原発サイトから北西方向に汚染の主流がある状況と差がありましたが、この疑問も解消です。福島県はチェルノブイリ事故での甲状腺がん増加が4、5年経ってから起きたことを論拠に、福島での甲状腺がんは多数の検査をしたため普段は見つからない例が掘り起こされたもので事故とは無関係との見解でした。最初の爆発が圧倒的だったチェルノブイリに比べて、福島では放射性ヨウ素への被ばく状況は大きく違ってきました。チェルノブイリ後の再現でないから原発事故の影響でないと否定するのは非科学的です。


NHKスペシャル メルトダウンFile5.「知られらざる大量放出」
2011年3月13日、東北沖に展開していたアメリカの空母が放射線量の上昇を捉えていた。東京電力福島第一原子力発電所の事故。空母は、事故で放出された放射性物質のデータをその後も記録し続けていた。今回、こうした新たなデータを解析すると、これまで知られることのなかった大量放出の実態が浮かびあがってきた。

世界最悪レベルとなった原発事故。福島第一原発は、巨大津波によってすべての電源が失われ、3つの原子炉が次々とメルトダウンした。さらに1号機と3号機の建物が爆発。これまで放射性物質の大半は、事故発生から最初の4日間で放出されたと考えられてきた。今年公開された吉田調書など国がこれまでに行った事故調査は、この4日間が中心だった。しかし、その放出は全体の一部に過ぎなかった。今回新たなデータを解析し、専門家とともに映像化。結果は衝撃的なものだった。最初の4日間で放出された放射性物質は、全体の25%に過ぎなかった。その後2週間にわたって全体の75%もの放出が起きていた。

この知られざる大量放出は、なぜ起きたのか。その原因として強く疑われたのは原発に潜む構造的な弱点だった。
【事故解析の専門家のコメント:事故の現象が長引いたというところが最大の問題。原子炉の専門家のコメント:もともと(放出を止める)マニュアルなんて全然できていない。】

事態は収束に向かうどころか、むしろ悪化していた。人々の帰還を阻む深刻な汚染、その新たな原因が見えてきた。
【事故対応にあたった東電社員のコメント:のちの復帰を考えると(3月15日以降は)かなり(放出による)汚染が高い時期でしたので、(環境への)影響は変わってきたのではないかと。】

事故から3年9か月。いま浮かび上がる新たな真実。

これまで全体の放出量は概ねわかっていたが、それがいつどのように出たのかという詳細な部分はわかっていなかった。それが今回新たにわかってきた。まずこれまでにわかっていたことを時系列でみる。

あの時、福島第一原発では、6つある原子炉のうちの運転中だった3つの原子炉が次々とメルトダウンした。
まず事故発生当日の3月11日、1号機がメルトダウンして翌日に水素爆発。
その次が3号機。3月13日にメルトダウンして翌日に水素爆発。
最後が2号機。3月14日にメルトダウンし、爆発はしなかったが格納容器が損傷。
そこから放射性物質が大量に放出されたと言われている。ここまでが事故発生から4日間(3月15日の午前中まで)の出来事。

これまでの調査は、なぜ事故が起きたのかという原因の調査に重点が置かれいた。その意味で、最初の4日間が重要だと考えられてきた。しかし、全体の75%の大量放出があった15日の午後以降2週間の間、水面下で新たな危機が起きていた。

福島第一原発事故の影響で大規模な停電が続いていた2011年3月15日東京。枝野官房長官「1号機、2号機、3号機とも注水作業を継続している。冷却の効果が生じているものと思われる」。事故発生から4日間で次々とメルトダウンした3つの原子炉。現場は事故の収束を急いでいた。原子炉はなおも高い温度の状態が続いていた。このまま圧力が高まり、原子炉を覆う格納容器が大きく損傷すれば、大量の放射性物質が放出されかねない。原子炉を冷やすために行われていたのが、消防車による注水。 本来、消火用の設備だった配管を使って原子炉に水を注ぐという全く想定していなかった対応だった。

事故対応の最前線の免震重要棟。このころ、600人を超す社員らが一時的に避難していたため、吉田所長以下、およそ70人が事故対応にあたっていた。3月15日。消防車からの注水が本格化したことで、現場は、最悪の事態は切り抜けたと感じていた。【免震重要棟に戻ってきた東電社員のコメント:「精神的に疲れていた。私自身もそうだったが、なんとか早く復旧をして、安全な状態に福島第一をもっていくと。」

新たな情報は、原子炉がある建物から放射性物質の放出が続いているというものだった。消防車による注水が届いていない可能性が浮かび上がった。

現場の放射線量が高いため、消防車は無人の状態でまる2日間、注水を続けていた。消防車は順調に水を送り出ていた。一方、3号機中央制御室に確認に向かった運転員たち、水は原子炉に届いているのか、バッテリーを使って水位計を復旧。水位を確認。すると、TAF-2300。燃料が露出していた。炉心損傷割合は30%まで上昇。現場は、原子炉で起きている事態をつかみきれずでいた。

【免震重要棟で事故対応にあたった東電社員のコメント:「手足をもがれて、目も見えないみたいなそのような状況の中でみんな必死になって対応している。やれることを一生懸命やっていながらも、なかなか思い通りになってくれないし、そういった流れが怖かった。」】

原子炉の中で何が起きていたのか。2013年のFile3の放送では、消防車注水が一部別の場所に抜けていたことを突き止めた。複雑な配管の途中にあるポンプ。本来動いているはずのこのポンプが止まっていたため、水が別の場所に流れ込んでいた。その後、東電の検証で抜け道は1号機から3号機、合わせて18箇所にのぼっていたことが明らかになっている。

今回、新たな取材から、実際に原子炉に注がれていた水の量に関する手掛りもみつかった。東電の内部資料では、1トン/時。これに対して、消防車から出ていた水の量は30トン/時。現場の誰もが想像し得なかったわずかな量だった。この水の量は原子炉にどのような影響を与えていたのか?【原発事故解析の専門家 エネルギー総合工学研究所 内藤正則氏:「(わずかな)水を入れたことによって、溶けていなかった燃料の温度がさらに上がる。で、また溶け出す。」】 専門家による3号機のシュミレーションでは、メルトダウンによって核燃料の43%が溶け落ちたものの、半分以上は中心部に残っている状態だった。溶け残った燃料のメルトダウンを防ぐためには、すべての燃料を水に浸す必要があった。しかし実際には水はわずかしか入っておらず、注がれた水はすぐ蒸発。このわずかな水を注ぎ続ける状態が、かえって事態を悪化させていたのではないかと指摘されている。

核燃料を覆っている特殊な金属を使って実験。まず1200度まで加熱し、わずかな水を蒸発させて流し込む。すると金属は冷やされるどころか、急速に温度が上昇。わずか2分で温度は78度上昇。これは、核燃料を覆っている金属と水蒸気が化学反応を起こし、激しく熱を出すためだ。表面の温度が急上昇すると亀裂が生じ、放射性物質が漏れだす。 メルトダウンを止めるはずの水が、逆に放出を長引かせていた。

【内藤正則氏:「核燃料を覆う金属と水の反応の発熱量が大きいので、燃料はゆっくりと溶け出す。高温の持続時間がかなり長引いた。そうすると放射性物質が流れ出る時間がどんどん長引く。」】

今回明らかになった全体の75%を占める大量放出。3月15日午後からおよそ2週間続いた。その間、原子炉内部では注水が原因で放射性物質が出続けていた。それが格納容器の隙間からじわじわと漏れだし、長期間の放出につながっていたとみられる。

そもそも原発がすべての電源を失って、注水が出来なくなるという事態は全く想定されていなかった。消防車による注水も、いわば吉田所長が考え出した苦肉の策だったが、まさかこれほどの水が別の場所へ抜けるとは思ってもみなかった。さらに、わずかな水が原子炉の状態をこれほど悪化させるということも考えていなかった。想定外のことが次々起きて、対応がその場しのぎにならざるを得なかった。そのことが、放射性物質の放出に拍車をかけた。今回の分析では、大量放出の原因がこれだけではないということもわかってきた。3月15日の午後から始まる大きな放出のやまがある。このやまは、全体の10%を占める極めて大きなやまであった。このやまは、これまで考えられていた汚染の実態をくつがえすものだった可能性が浮かび上がってきた。

今回新たに入手したデータをもとに、原発周辺の汚染をシュミレーションした。帰還困難区域となっている北西方向に深刻な汚染が広がっている。これまで、この汚染の大半は事故発生から4日間の放出で広がったと考えられてきた。しかし、専門家と共に時間ごとの汚染の広がりを調べたところ、驚くべき事実が明らかになった。15日正午までの汚染の状況では、放射性物質は広範囲に広がるものの汚染はそれほど集中していない。15日午後以降、翌朝までの時間帯を見ると、北西方向に放射性物質の濃度が極めて高い場所が現れた。この汚染をもたらしたのが、今回新たに分かった全体の10%を占める放出だった。なぜ放出が起きたのか?再び専門家と読み解く。

【日本原子力研究開発機構 茅野政道氏:「大きな線量上昇があるところの時間帯は(15日の)夜中。」】
【エネルギー総合工学研究所 内田俊介氏:「問題は、ある時期だけヨウ素が出やすい。それが何かというのが今回のポイントの一つ。」】
専門家が注目したのは、この時間帯に放出された放射性物質の種類。なぜかこの時間帯だけ、放射性ヨウ素が大量に放出されていた。格納容器から直接漏れていたとすれば、放射性ヨウ素ばかりがこれほど大量に出るはずがない。ではどこから放出されたのか?15日午後以降の記録を徹底的に洗いなおすと、放出の少し前、3号機である操作が行われていたことがわかった。ベントである。

この時間、3号機では格納容器の異常が検知されていた。3月15日午後4時3号機中央制御室、ウェットウェルベント開。【中央制御室で事故対応にあたった元東電運転員のコメント:「まずは格納容器の保護。そこを第一に考えなければいけないので、(格納容器の)健全性を失わないためにも保護するためにもベントは必要だった。」】ベントは、圧力が高まった際に格納容器を守る操作。格納容器内部の蒸気を水にくぐらせ、放射性物質の量を1000分の1に下げた上で外に放出するというものだった。しかし、ベントの後、敷地内で放射線量が急上昇。メルトダウンFile.4では、ベントに潜む弱点を指摘した。ベントでは、格納容器の下に溜められた水に放射性物質を取り込む。しかし、水が高温になるとその機能を失い、大半の放射性物質を逃してしまうことがわかった。ただ、その場合でもここまでの放射性ヨウ素が出るこ とは考えにくい。そこで、ベントによる放出経路を全て調べることにした。注目したのは、30mに及ぶ地下の長い配管。実はこの配管は、ベントで放射性物質を出す際、最終的なフィルターの役目も果たす。ここまでに水で捉えきれなかったヨウ素などの放射性物質が、配管の内側に吸着される。記録によれば、3号機はそれまでに4回のベ ントを行っていた。大量放出は5回目のベントのタイミングで起こっていた。

【エネルギー総合工学研究所 内藤正則氏:「1回目、2回目、3回目と5回目のベントとは、かなり様子が違う。」】それまでのベントで配管に溜まった大量のヨウ素が、5回目のベントで一気に放出されたのではないか? 地下配管の構造を再現し、実験で確かめる。放射線を出さないでヨウ素 を管に入れ、それが混じった蒸気を格納器側から流し込む。 この時、ヨウ素が配管に付着する。しかし、予想外のことが起きた。ベントを繰り返すうちに、管に水がたまり始めた。その状態でベントによる蒸気が流れ込むとどうなるか?蒸気が水を押しこむ。しかし、水によって押し戻される。しばらく水と蒸気が押し合う状態が続く。そして、水が加熱されて霧状となり、外部へ押し出されていく。排出されたヨウ素の量を測ると、1回目の10倍以上になっていた。

地下に埋設された配管は、水がたまりやすい構造になっている。ベントを繰り返すうちに配管は水で満たされ、付着したヨウ素が水に大量に取り込まれていたとみられる。5回目のベントによる蒸気がここに流れ込み、本来配管にとどまるはずの大量のヨウ素をこれが一気に放出したと専門家はみている。

【エネルギー総合工学研究所 内田俊介氏:「こういうところ(配管)にトラップ(吸着)されたものが、ぶわっと出てくるということは事実としてわかったので、こういう現象が起きないようにするということは考えていかないといけない。」】

【エネルギー総合工学研究所 内藤正則氏:「事故の時間経過が、何日間にも渡るということは今まで想定していなかった。例えば格納容器ベントだって、それ(配管)を付けた時はもっと短時間の現象しか想定していなかった。」】

ベントを繰り返したことで起きたとみられる10%の大量放出。 事故の収束が長引く中で浮かび上がった思わぬ事態だった。

「スタジオ:これまで、浪江町や飯舘村など原発から北西方向の汚染というのは、15日の午前中に2号機から放出された放射性物質が原因ではないかと言われてきた。しかしまだ放射線量の埋もれたデータがあって、これを専門家が改めて分析したところ、今回のこの3号機のベントも大きく影響していた可能性というのが浮かび上がった。私たちが取材した東京電力の元幹部は、ここまで対策をすれば絶対安全だというふうに考えた途端に同じ過ちを繰り返すことになるというふうに話していた。つまり、原発に100%の安全はないということだ。実際アメリカやヨーロッパでは、スリー マイル島原発事故やチェルノブイリ原発事故を境に、原発にはリスクがあるもの、つまり原発は絶対安全なものではないという前提に立って規制を行っている。これに対して、事故が起きる前、日本では重大事故は起きないという前提 にたってきた。そのことが、原発の弱点や落とし穴を見逃すことにつながった。

放出が概ねおさまったというのは、3月末。その後、電源が回復して仮設のポンプが動き始め、原子炉が安定して冷やせるようになって放出が収まっていった。75%の放出の裏には、原発の構造的な問題だけではなく、事故の対応にあたる人の判断も大きく関わっていた。今回の取材で、そこにも原発事故特有の難しさがあったということが明らかになった。」

2011年3月16日。事故から5日が経ち、なおもメルトダウンが続く3つの原子炉。現場はが急いでいたのは、津波によって失われた電源の復旧。電気があれば強力なポンプを使い、原子炉に大量の水を注げる。核燃料を冷やすことが出来れば、放射性物質の放出も抑えることができる。【事故対応にあたった東電社員のコメント:「非常用の冷却機器を動かすもととなるものは電源。その電源がなくなったということは、何もできない、何も動かせない。バルブの一つも動かせない。それ(電源)を確保するということを最大に考えていた。」】

その一方で、原子炉とは別の懸念も膨らみ始めていた。1号機から4号機の燃料プール(核燃料を冷やして保管するための設備)で、冷却装置が止まっていたため水が蒸発し、核燃料が最悪メルトダウンするおそれがあった。現場が最も不安を抱いていたのは4号機のプール。 ここにはもっとも多い1,500体を超す核燃料が保管されていた。4号機は、3号機から流れ込んだ水素による爆発で、天井が吹き飛んでいた。プールの核燃料がメルトダウンすれば、東日本全体に深刻な汚染が広がるおそれがあった。しかし、プールの周辺は放射線量が高く、水があるかどうか近づいて確認できずにいた。

3月16日午後、燃料プールの状況を確認するため、自衛隊のヘリコプターが原発上空へ向かった。3号機は、爆発の瓦礫が積み重なり、水蒸気を吹き上げていた。その隣の4号機。免震重要棟にもその映像がすぐ届けられた。崩れた壁の隙間から、一瞬、光の反射が見えた。プールの水面ではないか?

当時の東電内部のやりとりを示した内部資料:「燃料プールに水があるように見える。」

プール周辺の線量のデータも入ってきた。毎時100mSv。それは、プールにまだ水が残っていることを示す数字だった。プールの映像を確認した後、東電は作業の優先順位を決めていた。翌朝の現場での作業は、電源復旧作業を急ぐ計画になっていた。3月17日朝。電源復旧を担う応援部隊が福島第一原発に向かった。関東各地から400人を超す電気工事の技術者が集められていた。しかし、福島第一原発の手前10kmの地点で止められた。最優先と位置づけられたはずの電源復旧。なぜかすぐに始めることができない。急遽進められていたのは、自衛隊ヘリによるプールへの放水。さらに地上からも放水。放水中はケーブルがぬれるため、電源復旧作業はできない。

【当時の自衛隊トップだった折木良一元統合幕僚長:「統合本部が判断されて、まずこちらが優先だよねということで、ヘリの放水をやった。専門的な判断とか分析は、我々にはわからない。」】

3月17日夜、「その日は作業中止、翌朝から再開」との本部決定が技術者たち告げられた。

【電源復旧にあたった東電社員のコメント:「危機的状態だったので、待ち時間というのは自分たちの命にも関わることに直結した時期だったので、なかなかイライラ感はぬぐえなかった。」】

なぜプールへの放水が優先されたのか?この頃、事故の指揮命令系統に大きな変化が生じていた。東電本店に設置された政府・東京電力事故対策統合本部。事故対応の判断を本部が下すようになった。プールへの放水は、本部が急遽決定したものだった。

【当時、首相補佐官:「もともと予定していた形(電源復旧)と異なる形になって、現場には大変ご迷惑をお掛けすることはお詫び申し上げます。ただ政府として効果を最大限に出すためにどうすればいいかということを菅総理、北澤防衛大臣を含めて、朝、緊急協議をした結果であります。ぜひご理解いただき、ご協力いただけるようお願い申し上げます。よろしくお願いします。」】

東電では、原発事故の際、対応の優先順位を現場が決めることが原則。本店は物資の補給など現場を支援する役割。しかし、統合本部が設置された3月15日以降、その役割は逆転し、東京の本部から現場に指示が出るようになっていた。プールを優先するという本部の判断の背景には何があったのか?事故直後、アメリカが日本に送り込んだ専門家チームの代表 米国・原子力規制委員会のチャールズ・カストー氏。 カストー氏は総理大臣官邸で、自衛隊ヘリから撮影された4号機の映像を見せられたという。

【チャールズ・カストー氏:「日本政府は非常に短い映像を見せてきて、そこに映っているのは水面の反射だと考えていると言った。しかし、人の命がかかっているときは慎重になるべき。我々は決定的な証拠がない限り、燃料プールには水がない、もしくは限りなく少ないと考える。そこが日本との判断の違いだった」

米国・原子力規制委員会の当時の議事録:4号機の燃料プールは干上がっているようだ。激しく蒸気を出している3号機のプールも水がないだろう。限られた情報しかない中で、アメリカは最悪のシナリオを想定。原子炉に加え、4号機のプールでメルトダウンが起きるおそれがあるとして、日本政府が指示した範囲よりはるかに広い、80km圏内からの避難を呼びかけた。自衛隊ヘリによる放水の前日、アメリカは日本政府に強い危機感を伝えた。

【東アジア地域の責任者だったカート・キャンベル元国務次官補:「かなり不安だったので、今すぐ本国に危機を伝えるべきだと大声で訴えた。’大使、今はこの60年で日本が直面する最大の危機です。すぐに行動をとるべきだ’」 】
キャンベル元国務次官補が危機感を伝えたのは、藤崎一郎元駐米大使。

【藤崎一郎氏:「アメリカが、3号機も4号機も水がないんじゃないかと心配していると。すぐ外務省に伝えて、外務省が官邸に伝えていると思う」】

プールを優先するという統合本部の判断は、国内外の危機感を重く受け止めた結果だった。電源復旧作業はプールへの放水のたびに中断を繰り返す。その間に も、放射性物質の放出は続いていた。3月21日には南向きの風に運ばれ、関東一円を汚染。東京の水道水の一部からも放射性物質が検出。4号機プールへの放水が終わり、 電源復旧作業が本格化したのは3月22日。「キリン」と呼ばれるポンプ車でプールへの安定的な注水ができるようになったためだった。4号機の燃料プールの様子がカメラで直接捉えられたのは4月。プールに水があるという決定的な証拠だった。ひとたび原発事故が起きれば、正しく状況を把握し対処することがいかに難しいか。突きつけられた重い課題だ。

スタジオ:「当時は東京電力の中でも、プールに本当に水があるのか慎重な考え方もあった。ひとたびメルトダウンが起きてしまうと、極めて高い放射線量というものに阻まれて現場に近づくことが出来なくなる。そうなると、重要な情報も確認が出来なくなる。情報がなければ判断が分かれた時に決断を下すことが難しくなる。判断を誤れば、極めて深刻な事態に陥りかねない。それが原子力災害の難しさであり、原発が宿命的に抱えるリスクでもある。いま原発再稼働へ向けた動きがある中で、今回のことは安全対策にしっかり生かされていくのか?ベントに関して言えば、配管の途中に放射性物質を取り除くフィルターを取り付けるなど安全性を高める取り組みが行われている。またこの原発の事故の後に作られた新しい規制基準の中でも、ベントは7日間は性能を維持できるということが要求されている。ただ、それ以上に事故が長期化する可能性はないのか、その点は考える必要がある。一方、消防車による注水だが。福島第一原発の事故の後、全国の原発で原子炉に水を注ぐ最後の手段として消防車の配備が広がった。ただ、これも万が一の際に本当な充分な水が入るのか、こういったことも検証が必要だ。

現状として、事故の全貌はどのくらい明らかになっているのだろうか?
放射性物質の大量放出については、まだ埋もれているデータもあり、検証は道半ば。さらにメルトダウンを起こした原子炉だが、これは近づくことさえ困難で、内部の状況が確認できていない。全体像の解明には数十年かかると考えられている。原発に絶対の安全はないという原点を見つめ続ける。そのことは、将来に向けた私たちの責務。

事故から3年9ヶ月。原発の周辺では、専門家による汚染の調査が続く。今も点在するホットスポット(放射線量が高い場所)。今回わかった3号機からの知られざる大量放出の影響が大きいとみられている。故郷に帰ることができない12万人を超す人たち。事故前、畜産業を営んでいた女性。原発周辺に残していった牛の世話をするため、いまも避難先から通っている。
【女性:「なんとも言えないね。帰りたいのに帰れない。」】

事故の悲劇を繰り返さないために、過去の教訓に学び、生かしていけるのか。 問いかけは続く。

おわり

2015/01/10

「年20ミリシーベルトを超えない」と南相馬の避難勧奨を解除 住民反発

ウクライナ、ベラルーシ、ロシアでは、原発事故から5年後には、「チェルノブイリ法」を制定し、年5ミリシーベルトを超える地域は、「移住の義務」+補償があり、年1~5ミリシーベルトの地域には、「移住の権利」+補償があるため、避難しやすくなりました。しかし、福島原発事故からまもなく4年になる日本では「住民を被ばくから守ろう」という姿勢がなく、年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト相当)を下回り、「健康に影響ないレベルになった」(高木陽介経済産業副大臣)などとチェルノブイリでの健康被害(5ミリシーベルト以下でも凄まじい健康被害が出ている)を無視して「20ミリシーベルトを超えない」地域に住民を戻そうとしており、補償も打ち切る予定です。

避難勧奨、最後の解除・南相馬
(2014年12月29日 河北新報)

 南相馬市内の152世帯が指定された東京電力福島第1原発事故に伴う国の特定避難勧奨地点が28日午前0時、解除された。福島県内の勧奨地点は全てなくなった。市によると、指定世帯の約7割が現在も避難を続けている。国の決定を「一方的だ」と非難する声も強く、地元ではさらなる環境改善を訴えている。

 勧奨地点はもともと往来の制限が無く、解除時に、バリケードの撤去作業などはなかった。

 国は全世帯が指定基準の年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト相当)を下回り、「健康に影響ないレベルになった」(高木陽介経済産業副大臣)として解除に踏み切った。指定時に平均毎時2.4マイクロシーベルトだった線量は、除染で同0.4マイクロシーベルトに下がった。しかし、同1マイクロシーベルトを超える世帯もあり、地域には原発20キロ圏内より線量が高い場所が散見される。

 勧奨地点があった行政区長は、再除染と住民の被ばくを管理する健康手帳の発行などを国に求めてきたが、実現しないまま解除を迎えた。解除に伴い、慰謝料は来年3月で打ち切られる。避難の継続は家計の負担増にもつながる
 地区30世帯の半数を超える17世帯が指定されていた同市原町区の大谷行政区の場合、指定世帯だけでなく、非指定世帯の避難者もいる。藤原保正区長(66)は「まだ空間線量が高く、特に若い住民の不安が消えない。解除は納得できない」と憤る。

 藤原区長は、国の対応次第では法廷闘争も辞さない構え。住民らと解除差し止めの訴訟についても検討しているという。

 原町区の自宅が勧奨地点になり、子ども3人と新潟市に避難する杉由美子さん(45)は「子どもに不必要な被ばくはさせられないので、慰謝料がなくなっても戻れない。解除で周囲に『戻れるんでしょ』と思われるのがつらい」と話した。

[特定避難勧奨地点] 福島第1原発20キロ圏外の比較的放射線量が高い地域で、世帯ごとに指定。避難区域のような強制避難ではなかったが、国が避難を勧奨したため、避難区域と同様に1人月額10万円の慰謝料の対象。伊達市と福島県川内村の計129世帯は2012年12月に解除された。

南相馬の避難勧奨地点を解除
( 2014/12/28 福島民報)

 政府の原子力災害現地対策本部は28日、東京電力福島第一原発事故に伴い放射線量が局所的に高いために指定した南相馬市の特定避難勧奨地点142地点(152世帯)を解除した。県内の特定避難勧奨地点は全てなくなった。ただ、住民からは「除染が不十分」などの根強い反発があり、指定されたうち約8割に上る避難世帯の帰還が進むかどうかは不透明で、住民の不安払拭(ふっしょく)が課題となる。

 南相馬市には、放射線の年間積算線量が20ミリシーベルトを超えるとみられ、特定避難勧奨地点に指定された地点が橲原、大原、大谷、高倉、押釜、馬場、片倉の7行政区にあった。対策本部が7、8の両月に実施したモニタリング調査で、年間積算線量が20ミリシーベルトを下回ることが確実となったため、県、市に指定解除を通知。市を通じて住民に通知された。

 しかし、住民の放射線に対する懸念は払拭されておらず、「宅地内に放射線量が高い場所がある」と再除染を求める声もある。市除染対策課は「帰還促進のため対応する必要がある」としているが、実施時期は市の除染計画に基づいた20キロ圏外の除染が完了する29年3月以降にずれ込む可能性があるという。

 さらに、宅地周辺の林野部の除染は周辺20メートルまでと限定的な対応となっている。林野全体の除染は、政府の方針が定まっておらず、手付かずの状態だ。特定避難勧奨地点があった行政区長らでつくる南相馬特定避難勧奨地点地区災害対策協議会の菅野秀一会長は「自分が知る限り、解除されたから帰るという住民はほとんどいない。徹底的な除染が必要だ」と指摘する。

 市は住民の帰還促進対策として、専門家による健康相談やホールボディーカウンターによる継続的な内部被ばく検査を行う考えだ。原子力災害現地対策本部の担当者は「生活再建の時期や方法は各世帯で異なる。地元である市の取り組みを支援していく」としている。


南相馬の避難勧奨すべて解除 住民反発「線量まだ高い」
(2014年12月28日 朝日新聞)から抜粋

 東京電力福島第一原発事故の避難指示区域外で局所的に放射線量が高い地点を政府が指定し、住民に避難を促していた「特定避難勧奨地点」が28日午前0時、全て解除された。だが今回、指定が解除された福島県南相馬市の152世帯の住民の多くは「線量がまだ高い」などとして解除に反対し、「すぐには帰還しない」と話している。

 同地点には年間積算線量が20ミリシーベルト(毎時換算3・8マイクロシーベルト)を超える恐れがあった同市や同県の伊達市、川内村の一部で計281世帯が指定されたが、南相馬市以外では2年前に既に解除された。

 政府は解除の理由について、今夏に実施した現地調査をもとに「指定基準値(20ミリ)を十分に下回り、健康被害は考えにくい」と住民らに説明。東電から住民への精神的賠償支払いを今年度末まで続ける・・・

原発事故による健康被害の現状と 「9歳の小学生の願い」

東京電力福島第一原発事故から3年10カ月、福島県では様々な病気が増えてきていますが、マスコミが報道しているのはその一部だけです。

甲状腺検査 112人(今回4人含む)がんやがんの疑い 対象38万人中30万人受診 

通常、子どもの甲状腺がんは、100万人に1人、未成年の甲状腺がん年間発生率も100万人に2~3人と言われていました。2006年の統計では、甲状腺がんと診断された20歳未満の人は、【全国で46人】でした。これは【未成年2250万人に46人】であり 【100万人に2.0人】です。
しかし、2014年に福島県では【38万人に58人】も甲状腺がんと診断されています。

福島 子どもの甲状腺がん

日本の全人口の約1.5%の福島県で、通常の全国の発生数より多い58人が甲状腺がんという異常事態です。原発事故当時 0歳から18歳までの子どもたちは、この3年間で84人が甲状腺がんとなり、「がんの疑い」28人を加えると112人になっています。

3年間の子どもの甲状腺検査結果を見て心配なのは、福島原発事故の後、甲状腺がんが増えただけでなく、がんになる可能性がある結節やのう胞が年ごとに急増していることです

罫線入り表 甲状腺 結節のう胞 H26年6月30日現在

5ミリ以上の結節がある人が、0.5% → 0.7% → 0.9% と、この2年で1.8倍に急増し、のう胞がある人も、36.2% → 44.7% → 55.9%に増加。精密検査が必要な子どもは1.8倍になっています。

子どもの甲状腺がんで特に心配なことは、転移が早いことです。
がんを手術した54人のうち8割超の45人は腫瘍の大きさが10ミリ超かリンパ節や他の臓器への転移などがあり、2人は肺に転移しています。
チェルノブイリ原発事故で大きな被害を受けたベラルーシの国立甲状腺がんセンターの統計では、15歳未満は3人に2人がリンパ節に転移し、6人に1人が肺に転移しています。

ベラルーシの統計 甲状腺がんの転移 リンパ節67.5% 肺16.5%

チェルノブイリ原発事故の健康影響調査に関わった山下俊一氏も福島原発事故が起きる前は、「大人と異なり、小児甲状腺がんの約4割は、この小さい段階(1センチ以下、数ミリの結節)でみつけてもすでに局所のリンパ節に転移があります」と話しています。

1990年代に医療支援のために度々チェルノブイリ原発事故の汚染地を訪問していた私は、ベラルーシに福祉作業所(工房)をつくったナターシャさんという女性に出会いました。彼女は2人の子どもをガンで亡くしていますが、息子さんは9歳で被ばくし、甲状腺がんが肺に転移して21歳で亡くなっています娘さんも胃ガンが全身に転移して亡くなっています

このような状況で、「未成年の甲状腺検査は2年に1回」というのは、少な過ぎます。チェルノブイリのように毎年行い、津田敏秀教授が「市民科学者国際会議」で提言されたように原発事故当時19歳以上の人たちと福島県外の汚染地での健診も早急に開始する必要があります。

福島で増えている病気は、甲状腺がんだけではありません
福島県立医大で治療数が増えている病気」を見るとチェルノブイリでも増えた病気が増えています。

*膀胱腫瘍が2倍(66 → 79 → 138)
福島県立医大で治療数が増えている病気

『チェルノブイリ膀胱炎』 尿から内部被ばく
(2011年9月14日 東京新聞)
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「福島県立医大で治療数が増えている病気」
*心臓弁膜症が3倍(35 → 54 → 103)
福島県立医大:弁膜症の増加

体内にセシウム 心臓疾患まねく ゴメリ医科大・元学長
ユーリー・バンダジェフスキー博士の研究データから セシウムが甲状腺や心筋(心臓を構成する筋肉)に多量に蓄積している
心筋や甲状腺にセシウムが蓄積する

「福島県立医大で治療数が増えている病気」
*「胆のう、肝外胆管の悪性腫瘍」が3.5倍(32 → 94 → 115)
福島県立医大:胆のう、肝外胆管の悪性腫瘍の増加

一つの病院のデータだけでは、福島県で実際に病気が増えているのか判断できないので、他の都道府県と比較してみました。2013年の人口動態統計で、全国平均より福島の死亡率が1.4倍以上高い病気は、内分泌・栄養及び代謝疾患(1.40倍) 皮膚がん(1.42倍 ) 脳血管疾患(1.44倍) 糖尿病(1.46倍) 脳梗塞(1.60倍) 特に、急性心筋梗塞、結腸がん、腎臓病、消化器系の疾患などが原発事故の後に急増しています

2012年福島県の死因ワーストランキング
   (表は宝島から拝借 クリックで拡大できます)

チェルノブイリと同様に最も急増しているのが、セシウムが蓄積しやすい心臓の病気で、急性心筋梗塞の死亡率が全国平均の2.40倍慢性リウマチ性心疾患の死亡率が全国平均の2.53倍で、どちらも全国1位になっています。

福島県の急性心筋梗塞死亡率 2009~2014.3
*2010年以前から全国1位。原発事故が起こった2011年から急増 2014年1~3月 福島の477人は、3か月間に急性心筋梗塞で亡くなった人の実数。全国の実数は、12,436人。福島県の人口は、全国の1.53%なので、12436×0.0153=190人 全国平均なら福島は190人ですが、その2.51倍の477人が亡くなっています。

原発事故以前から全国1位という数字を見て思い出すのは、原発周辺では事故を起こさなくても白血病やがんが多いというドイツ政府やフランスでの発表福島には原発が10基もあったこと、そして、2011年の原発事故前から「小さな事故」が多発していたこと、さらに事故の隠ぺいが日常化し、29年間も臨界事故が隠されていたほどですから、どれだけの放射性物質が放出されてきたか分かりません。

同じ心臓病の「慢性リウマチ性心疾患」は、急性心筋梗塞より1年遅れの2012年から死亡率が急増しています。

福島県の「慢性リウマチ性心疾患」 死亡率

グラフにするとその急激な増加がよくわかります。
赤色が全国平均、紺色が福島県です。

慢性リウマチ性心疾患のグラフ

こうした状況にありながら日本政府は、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアが制定している被ばく線量を減らすための法律(「チェルノブイリ法」)をつくろうとしません。年間1ミリシーベルト以上は、「避難の権利」があり、5ミリシーベルト以上は「移住の義務」があることを柱としている「チェルノブイリ法」は、移住のための費用や医療費などの手厚い補償があります。移住を選んだ住民に対して国は、移住先での雇用を探し、住居も提供。引越し費用や移住によって失う財産の補償なども行われています。

*衆議院チェルノブイリ原発事故等調査議員団報告書

チェルノブイリ法の基準

日本にもできるだけ早く「チェルノブイリ法」をつくる必要があります。ところが、原発の輸出や再稼働に熱心な安倍首相は、健康影響を無視するだけでなく、東京五輪招致に当たり、福島原発事故による健康への影響について「今までも、現在も、将来も問題ないと約束する」と、信じられない発言をしました。

安倍首相「健康問題については、今までも現在も将来も問題ないと約束する」

安倍首相に同調するかのように原子力規制委員会も「年20ミリシーベルト以下は健康影響なし」と発表。被ばく対策が進むどころか、避難した住民を20ミリシーベルト以下の放射能汚染地に戻そうとしています

日本赤十字社は、原子力災害時の医療救護の活動指針として、累積被ばく線量が1ミリシーベルトを超える恐れがあれば退避するとしています。

ロシア科学アカデミー会員で、報告書『チェルノブイリ―大惨事が人びとと環境におよぼした影響』(日本語訳書『調査報告 チェルノブイリ被害の全貌』岩波書店 2013年発行)をまとめたアレクセイ・ヤブロコフ博士はこう言っています。
偽りのないデータというのは、1キュリー/平方km(年約1ミリシーベルト)以上に住むすべての人々に何らかの健康被害が出ていることです。5キュリー(5ミリシーベルト)に住む人はさらに被害が増大します。健康被害は汚染レベルが高くなるにつれ明確に増大します

ヤブロコフ博士「自然放射線も含めて年約1ミリシーベルトに住む全ての人に健康被害が出ている」

また、1985年にノーベル平和賞を受賞した米国の「社会的責任のための医師団(Physicians for Social Responsibility)」も次のように警告しています。

PSR ノーベル賞受賞 医師団

「日本で危機が続く中、人に発がんの危険が生じるのは最低100ミリシーベルト(mSv)被曝したときだという報道が様々なメディアでますます多くなされるようになっている。これまでの研究で確立された知見に照らしてみると、この主張は誤りであることがわかる。100 mSv の線量を受けたときの発がんリスクは100人に1人、10 mSv では1000人に1人、そして1 mSV でも1万人に1人である」

そして、2011年4月に内閣官房参与の小佐古敏荘・東京大学教授(放射線安全学)は、年間20ミリシーベルトを基準に決めたことに「容認すれば私の学者生命は終わり。自分の子どもをそういう目に遭わせたくない」と抗議の辞任をした会見で、「年間20ミリシーベルト近い被ばくをする人は原子力発電所の放射線業務従事者でも極めて少ない。この数値を乳児、幼児、小学生に求めることは学問上の見地からのみならず、私のヒューマニズムからしても受け入れがたい」と発言しています。

福島民報:20ミリ以下、健康影響なし

そして、「20ミリシーベルト以下は健康影響なし」とした原子力規制委員会が川内原発1、2号機を審査し、「新規制基準に適合している」と判定。国民の同意がないままに「原発の再稼働」が決定されようとしています。

私たちは、ベラルーシ科学アカデミーのミハイル・マリコ博士の言葉に謙虚に耳を傾ける必要があると思います。
チェルノブイリの防護基準、年間1ミリシーベルトは市民の声で実現されました。核事故の歴史は関係者が事故を小さく見せようと放射線防護を軽視し、悲劇が繰り返された歴史です。チェルノブイリではソ連政府が決め、IAEAとWHOも賛同した緩い防護基準を市民が結束して事故5年後に、平常時の防護基準、年間1ミリシーベルトに見直させました。それでも遅れた分だけ悲劇が深刻になりました。フクシマでも早急な防護基準の見直しが必要です

※ウクライナでは、年間被ばく線量が5ミリシーベルト以下の汚染地帯に事故以来25年以上、約500万人が住み続けていますが、「Safety for the future 未来のための安全」と題されたウクライナ政府報告書によれば、そうした汚染地帯で心臓疾患や膠原病(リウマチその他)など、さまざまな病気が多発し、特に心筋梗塞や狭心症など心臓や血管の病気が増加しています。福島県の病気のデータは、ウクライナに似てきています。

ウクライナ政府報告書 未来のための安全

子どもの健康悪化も深刻で、2008年のデータでは、チェルノブイリ原発事故後に生まれた子どもたちの78%が慢性疾患を持っていました。「子どもや妊婦さんまで含めて、年間20ミリシーベルトまで安全」としている日本の汚染地に住む人々は、どうなるのでしょうか・・・こんな人体実験は、決してやらせてはならないと思います。

「年20ミリシーベルトを超えない」として南相馬の避難勧奨を解除 住民反発

◆避難勧奨、最後の解除・南相馬
(2014年12月29日 河北新報)から抜粋

 南相馬市内の152世帯が指定された東京電力福島第1原発事故に伴う国の特定避難勧奨地点が28日午前0時、解除された。福島県内の勧奨地点は全てなくなった。市によると、指定世帯の約7割が現在も避難を続けている。国の決定を「一方的だ」と非難する声も強く、地元ではさらなる環境改善を訴えている。

 国は全世帯が指定基準の年間20ミリシーベルト(毎時3.8マイクロシーベルト相当)を下回り、「健康に影響ないレベルになった」(高木陽介経済産業副大臣)として解除に踏み切った。指定時に平均毎時2.4マイクロシーベルトだった線量は、除染で同0.4マイクロシーベルトに下がった。しかし、同1マイクロシーベルトを超える世帯もあり、地域には原発20キロ圏内より線量が高い場所が散見される。

 勧奨地点があった行政区長は、再除染と住民の被ばくを管理する健康手帳の発行などを国に求めてきたが、実現しないまま解除を迎えた。解除に伴い、慰謝料は来年3月で打ち切られる。避難の継続は家計の負担増にもつながる。

 地区30世帯の半数を超える17世帯が指定されていた同市原町区の大谷行政区の場合、指定世帯だけでなく、非指定世帯の避難者もいる。藤原保正区長(66)は「まだ空間線量が高く、特に若い住民の不安が消えない。解除は納得できない」と憤る。

 藤原区長は、国の対応次第では法廷闘争も辞さない構え。住民らと解除差し止めの訴訟についても検討しているという。

 原町区の自宅が勧奨地点になり、子ども3人と新潟市に避難する杉由美子さん(45)は「子どもに不必要な被ばくはさせられないので、慰謝料がなくなっても戻れない。解除で周囲に『戻れるんでしょ』と思われるのがつらい」と話した。

原発は事故を起こさなくても周辺住民の病気を増やしている
(2014/11/13 風の便り)から抜粋

「原発は事故を起こさなくても(日常的な放射性物質の放出によって)周辺住民の病気を増やしている」ということが、ドイツ、フランス、イギリス、アメリカ、韓国などでの調査でわかっています。

ドイツ政府の調査では、原発から5km圏内の小児ガンは全国平均の1.61倍、小児白血病は2.19倍となっており、フランス国立保健医学研究所の発表では、15歳以下の子どもは白血病の発症率が1.9倍高く、5歳未満では2.2倍高くなっています。

韓国の調査では、原発から5キロ以内に住む女性の甲状腺がんの発生率は、全国平均の2.5倍になっています。

こうした「原発の日常的な放射性物質の放出」によって周辺住民に病気が増えている中、福島では原発事故が収束していない(通常の運転中より多量の放射性物質を放出している)状況で、危険な地域に住民を戻しています。

加えて原発は、燃料のウランを掘る段階で採掘地の環境を破壊し、放射能で汚染して、鉱山作業員と住民に被曝させ原発で働く人たちの被曝労働や海の生態系を破壊する温排水吸水の問題核燃料再処理工場からの膨大な放射能の排出問題。さらに、100万年後まで毒性が消えない「放射性廃棄物」の問題を原発は生み出しています。

原発問題 神様知恵をください 小学生9歳

原発問題 神様知恵をください
小学生 藤澤 凛々子 (東京都武蔵村山市 9 )
(2012年7月14日 朝日新聞 投稿欄)

この前、ギリシャ神話を読みました。
人間に火を与えた神プロメテウスに、全能の神ゼウスは言いました。
「人間は無知で、何が幸せで何が不幸かわからないからだめだ」

私はずっと人間は他の動物よりかしこいと思っていました。
火を使い、便利で幸せな生活を送っているのは人間だけだからです。

でも、大い原発が再稼働したというニュースに、
ゼウスの言う通り人間は無知なのかもと思いました。
福島第一原発事こは、まだ終わっていません。
放しゃ能で大変な事になってしまうのに、
この夏の電力や快てきな生活を優先したのです。
大い原発は幸せな未来につながるのでしょうか。
私が大人になるまでに日本も地球もだめになってしまうのではないかと心配です。

神様、どうか私に目先の事だけでなく未来のことまで考えて
何が幸せで何が不幸かわかる知恵をください。
その知恵で人も他の動物も幸せにくらせるようにしたいです。

2015/01/09

甲状腺がんに関する 2009年の山下俊一氏の発言

福島原発事故が起きる2年前の山下俊一氏の発言
日本臨床内科医会会誌(第23巻第5号 2009年3月)に記載

2009年山下講演1

(講演録から一部抜粋)

 日本では思春期を超えた子供の甲状腺がん
 まれにみるぐらいです。
 その頻度は、年間100万人に1人といわれています。
 これは欧米、日本、ほぼ変わりません。

 大人では、結節をさわるとだいたい100人に1人か2人に
 がんの可能性がありますが、子供の場合には約20%が
 がんでした。

山下俊一「小児甲状腺がんの約4割は、リンパ節に転移があります」

「大人と異なり、小児甲状腺がんの約4割は
 この小さい段階(1センチ以下、数ミリの結節)で
みつけてもすでに局所のリンパ節に転移があります」

(中村コメント:この発言は、山下氏が小児甲状腺がんは転移しやすいことを理解している重要な発言です。ベラルーシ国立甲状腺がんセンターの統計では、15歳未満は3人に2人がリンパ節に転移し、6人に1人が肺に転移しています。今、福島の子どもたちの甲状腺がんがリンパ節や肺に転移していることが分ってきた中で、甲状腺の検査が2年に1回というのは、少な過ぎます。)

放射線と健康影響を考えるときに、
広島、長崎の外部被ばくの様式と異なり、
この地域(チェルノブイリ)の一般住民には
内部被ばくの放射線影響があることを示唆しています。

いったん被ばくをした子供たちは生涯続く甲状腺の
発がんリスクをもつということも明らかになりました。

山下俊一「5000例の子どもの甲状腺がん手術、早期発見と早期診断を続けていく必要がある」

 これからもがんが起こりうるハイリスクグループの検診
 活動、早期発見と早期診断を続けて行く必要がある
 考えています。

 チェルノブイリの原発事故後の甲状腺がんの遺伝子
 変異の特徴が明らかにされつつあります。
 小児甲状腺がんのほとんどは、染色体が二重鎖切断
 された後、異常な修復で起る再配列がん遺伝子が原因
 だということがわかりました。

山下俊一「10~100mSvの間で発がんが起こりうる」

主として20歳未満の人たちで、過剰な放射線を被ばくすると、
10~100mSvの間で発がんが起こりうるというリスクを否定できません

(中村コメント:山下氏は、原発事故後は一転して「100mSvまでは安全」と言い続けています)

以上、山下俊一氏の発言は日本臨床内科医会会誌
(第23巻第5号 2009年3月)に記載されている

山下俊一講演「放射線の光と影」2009年3月 日本臨床内科医会

山下俊一講演「放射線の光と影」その3

2009年山下講演4

2009年山下講演5

2009年山下講演6

2014/12/12

寂聴さんと文太さんからのメッセージ

「表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。 あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。自民党の改憲草案では自衛隊を『国防軍』にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。私は、残りわずかな命を秘密法反対に捧げます。でも、私たちのように戦争を生き残った一握りの人間たちだけだと、とても戦えません。若い人たちこそ、歴史の過ちをもう一度振り返ってみてほしい。そして、『これは間違っている』と立ち上がってほしい」

瀬戸内寂聴

秘密法反対「残りわずかな命を捧げる」 瀬戸内寂聴さん
(2014年1月11日 朝日新聞)から抜粋

「若い人たちのため、残りわずかな命を反対に捧げたい」

  表面上は普通の暮らしなのに、軍靴の音がどんどん大きくなっていったのが戦前でした。あの暗く、恐ろしい時代に戻りつつあると感じます。

 集団的自衛権の行使容認・・・自民党の改憲草案では自衛隊を「国防軍」にするとしました。日本は戦争のできる国に一途に向かっています。戦争が遠い遠い昔の話になり、いまの政治家はその怖さが身にしみていません。

 徳島の実家にいた母と祖父は太平洋戦争で、防空壕(ごう)の中で米軍機の爆撃を受けて亡くなりました。母が祖父に覆いかぶさったような形で、母は黒こげだったそうです。実家の建物も焼けてしまいました。

 自分が死ぬと知りながら戦闘機に乗り込み、命を失った若い特攻隊員もたくさんいました。

 私は「生き残っているのが申し訳ない」という気持ちを心の底に抱えて、戦後を生きてきました。だからこそ、戦争を再び招くような法律には絶対反対なのです。

 日本人はあまり自分の意見を言いません。「お上の言うまま」という感覚が身についていて、「辛抱するのが美徳」とする風潮もあります。でも、もっと一人ひとりが、こういう風に生きたい、生きるためにこうしてほしいと心の欲求を口に出すべきです。

 私は、残りわずかな命を秘密法反対に捧げます。でも、私たちのように戦争を生き残った一握りの人間たちだけだと、とても戦えません。若い人たちこそ、歴史の過ちをもう一度振り返ってみてほしい。そして、「これは間違っている」と立ち上がってほしい。

日テレとNHKが菅原文太の反戦・脱原発発言を自主規制で封殺!?
(2014年12月6日 LITERA)から抜粋

 高倉健と菅原文太。相次いでこの世を去った二人の映画スターが自分の死を伝えるテレビニュ―スを見ていたら、いったいどんな感想を抱いただろう。もしかすると健さんは自分のイメージが守られたことに安堵したかもしれない。だが、文太兄ぃのほうは対照的に、相当な不満を感じたのではないか。

 なぜなら、多くのテレビ局が故人のプロフィールについて自主規制をかけ、彼のもっとも伝えたいことを伝えなかったからだ。

 菅原文太といえば、後年は俳優というより、むしろ市民運動に精力的に取り組んでいた。メインテーマは反戦、憲法改正阻止、反原発。集団的自衛権や特定秘密保護法、原発再稼働にもきっぱりと反対の姿勢を見せ、安倍政権を徹底批判していた。その情熱は、死の1ヶ月前に病身をおして沖縄県知事選の翁長候補(新知事)の総決起集会にかけつけ、演説で戦争反対を語ったことからもうかがいしれる。

 ところが訃報当日、こうした姿勢をきちんと伝えたのは『報道ステーション』(テレビ朝日系)と『NEWS23』(TBS系)のみだった。フジ系の『ニュースJAPAN』は夫人のコメントを紹介して、反戦への思いは伝えたものの、脱原発や集団的自衛権反対など、具体的な問題にはふみこまなかった。

 さらに、日本テレビの『NEWS ZERO』にいたっては、映画俳優としての功績を紹介しただけで、政治的な発言について一切紹介なし。最後にキャスターの村尾信尚が「晩年、社会に対して発言し続けた」と語っただけだった。

 また、NHKは沖縄県知事選での演説を一部流して、社会活動に関心をもっていたことはふれたものの、なぜか夫人のコメントを一部割愛・編集していた。

 実際の夫人のコメントは以下のようなものだった。

〈七年前に膀胱がんを発症して以来、以前の人生とは違う学びの時間を持ち「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境で日々を過ごしてきたと察しております。
 「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。一つは、先進諸国に比べて格段に生産量の少ない無農薬有機農業を広めること。もう一粒の種は、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れ、荒野に戻ってしまわないよう、共に声を上げることでした。すでに祖霊の一人となった今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。
 恩義ある方々に、何の別れも告げずに旅立ちましたことを、ここにお詫び申し上げます。〉

 ところが、NHKはこのコメントから「無農薬有機農業を広める」というくだりと「日本が再び戦争しないよう声を上げる」というくだりを丸々カットし、以下のように縮めて放映したのだ。

〈「落花は枝に還らず」と申しますが、小さな種を蒔いて去りました。今も、生者とともにあって、これらを願い続けているだろうと思います。〉

 これでは、どんな種を蒔き、何を願ったのか、まったくわからない。いやそれどころか、「これら」が「落花は枝に還らず」という言葉をさしているように解釈されてしまう。少し前、川内原発再稼働の報道をめぐって、原子力規制委員会の田中正一委員長の発言を編集した『報道ステーション』がBPOの審議対象になったが、もし、あれがBPO入りするなら、このNHKの菅原夫人コメント編集も明らかにBPOの対象だろう。

 いったいなぜこういうことが起きてしまったのか。

「例の自民党からの通達の影響です。公示期間中なので、選挙の争点に関わるような政治的な主張を取り上げると、後で何を言われるかわからないと、各局、びびってしまったんでしょう。ただ、日テレの場合はそれを利用した感じもしますね。読売はグループをあげて、安倍首相を応援していますから、通達を大義名分にして、自民党に不利になるような報道をやめさせたということでしょう」(民放関係者)

 しかも、この自主規制は翌日のワイドショーをみると、さらにひどいことになっていた。日本テレビ系の『スッキリ!!』や『情報ライブ ミヤネ屋!』が一切触れないのは予想していたが、TBS系の『ひるおび!』でも映画俳優としての足跡のみを特集し、政治活動については全く報道しなかったのだ。

「前日の夜に『NEWS23』と『報ステ』が『菅原文太の死を政治利用している』『反戦プロパガンダだ』と大炎上したんです。抗議も殺到したらしい。それでTBSはビビったのかもしれません」(前出・民放関係者)

 驚いたことに、テレビの世界では「護憲」「反戦」がタブーになっているらしい。いっておくが現時点では日本国憲法が日本の最高法規であり、戦争に反対するというのは大多数の国民の願いでもある。ところが、それを軽視することがタブーになるならまだしも、逆に尊重することがタブーになってしまっているのである。

 おそらく、こうした状況に一番、無念な思いをしているのは当の菅原だろう。強いものにすり寄ることしかしないこの国のヘタレマスコミによって、命をすり減らしながら叫んだ言葉が葬り去られてしまったのだから。

 だったら、その無念の何百分の一でも晴らすために、最後に菅原が雑誌の対談やインタビューで語った発言を紹介しておこう。

「憲法は変えたらダメだと思っている。戦後68年間、日本がどこの国とも戦争をしないで経済を発展してこれたのは。憲法九条のおかげだよ。九条は世界に誇れる日本だけが持っている宝ですよ。」(カタログハウス「通販生活」)

「戦争を知らないバカどもが『軍備をぴっちり整えなくちゃダメだ』とか言いはじめている。そういう国情って、まったく危ういですよね。それを防ぐためにはやっぱり、筋金入りの反戦家が増えてこないといけないし、それが大きな力になると思うんです。」(小学館「本の窓」2012年9・10月号)

「安倍さんの本当の狙いも集団的自衛権というより、その上の憲法を変えることにあるのかと思うのだけど(中略)拳を振り上げ、憲法改正を煽りたてる人たちは、いざとなったとき戦場には行かない人たちじゃないですか。
 出て行くのは無辜の民衆だけで、その結果、沖縄戦で二〇万人。広島と長崎で三〇万人、戦地では何百万人とも言われる有為の青年たちが命を落とした。それを繰り返すのではあまりに情けない。」(「本の窓」2013年6月号)

「安倍首相が『日本人は中国で何も悪いことをしていない』というようなことを言ってるんだから。(中略)日本はドイツと違ってすぐに過去を忘れて、ニワカ民主主義者が反省もなく生まれて、戦後ずっと来てしまったじゃないですか。上がそうだから、若い連中まで『虐殺はなかった』なんて言ってる。なぜ謝罪をしないのだろうか?」(「本の窓」2013年7月号)

「まさに戦争を知らない安倍、麻生、石破の内閣トリオは異様な顔ぶれだね。この異様さに、国民も、マスコミも、もっと敏感になってほしいよ」(「本の窓」2013年12月号)

「平和憲法によって国民の生命を守ってきた日本はいま、道を誤るかどうかの瀬戸際にあるのです。真珠湾攻撃に猛進したころと大差ありません。」(「日刊ゲンダイ」2013年8月29日号)

 おそらく、これから先、日本は菅原が危惧した方向にどんどん向かっていくだろう。国民がそれに抗することができるかどうかはわからないが、少なくとも菅原文太という俳優が最後まで警鐘を鳴らし続けたことは心に刻んでおきたい。

菅原文太 日本は今、真珠湾攻撃をした時と大差ないよ

2014/12/09

鹿児島県で、「川内原発の再稼働反対」が年々増えている

川内原発の再稼働について、鹿児島県民の世論調査が行われ、再稼働反対が初めて50%を超えて55.7% 再稼働賛成は38%に減少。鹿児島県では、年々再稼働に反対する人が増えてている。

       2012年12月  2013年7月  2014年12月
再稼働反対   47.3%    48.7%    55.7%
再稼働賛成   40.7%    45.2%    38.0%

西日本新聞:鹿児島55%再稼働反対

川内原発再稼働、鹿児島の有権者55% 反対
(2014年12月5日 西日本新聞)から抜粋

 地元同意手続きが完了した九州電力川内原発(鹿児島県薩摩川内市)の再稼働について、同県の有権者の55・7%が反対の考えであることが、西日本新聞社が衆院選公示に合わせて2〜3日に実施した電話世論調査で分かった。反対の比率は2012年の前回衆院選時、昨年の参院選時より増えた。伊藤祐一郎知事は同意の理由に「県民の一定の理解が進んだ」ことを挙げたが、立地県の有権者には不安がなお根強いようだ。

 調査によると、再稼働に「反対」は35.9%、「どちらかといえば反対」は19.8%。「賛成」は18.1%、「どちらかといえば賛成」は19.9%で計38.0%。反対派が賛成派より17.7ポイント多かった。

 12年12月の前回衆院選時は「政府が安全性を確認した原発の運転再開」を調査し、反対派は47.3%で、賛成派は40.7%。昨年7月の参院選時は「原発再稼働」を尋ね、反対派が48.7%、賛成派が45.2%だった。

——————————–記事の抜粋は以上————————-

再稼働反対と賛成の数字を整理すると以下のようになります。
2012年以来、すべての世論調査で再稼働反対が賛成を上回っています。
そして、世論調査をする度に再稼働反対が増えています。

       2012年12月  2013年7月   2014年12月
再稼働反対   47.3%    48.7%     55.7%
再稼働賛成   40.7%    45.2%     38.0%

伊藤祐一郎・鹿児島県知事は、再稼働同意の理由に
「県民の一定の理解が進んだ」と言ったが、間違いは訂正した方がいい。

「再稼働に反対する県民が増えて、過半数を超えた。県民の意思を尊重する知事として、県民が支持しない再稼働を強行することはできない」と。

2014/11/28

国連科学委報告書 「信頼性低い」 福島事故で専門家

福島)「国連科学委は非科学的」 元WHO欧州地域顧問
(2014年11月25日 朝日新聞)から抜粋

 旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の健康影響調査などに携わってきた英国出身の放射線生物学者キース・ベーバーストック博士(73)が24日、東京都内で朝日新聞記者の取材に応じた。東京電力福島第一原発事故後のがんの増加に否定的な報告書を出した国連科学委員会(UNSCEAR)を「透明性、独立性を欠き非科学的」と批判し、「解散すべきだ」と訴えた。

 博士は取材に対し、科学委が今年4月に発表した福島第一原発事故の影響についての報告書で「被曝(ひばく)によるがんの増加は予測されない」などとしたことに、報告書が掲載している被曝線量でも「がんの過剰発生が予測される」と反論した。

 たとえば報告書は事故から約1年半後までに原発敷地内で働いた作業員で10ミリシーベルト以上被曝した人は1万人近くいるとしており、これだけで50人近くのがんが増えると主張した。

*2013年5月の記事
福島でがん増加「考えられない」 原発事故受け国連科学委調査
(2013/05/31 共同通信)

 【ウィーン共同】東京電力福島第1原発事故の健康への影響を調査している国連科学委員会は31日、放射性ヨウ素による周辺住民の甲状腺被ばく線量(等価線量)について、影響を受けやすい1歳児でも最大数十ミリシーベルトで、ほとんどが50ミリシーベルトを大きく下回ったとする推計を発表した。将来、事故による被ばくを原因とする「がん患者の増加は考えられない」とした。

 委員会は事故当時、周辺住民が素早く避難したことで、被ばく線量が10分の1程度に減ったと指摘。放射性物質で汚染された食品の摂取が早い段階で防げたことも被ばくの低減につながったとした。


国連科学委報告書「信頼性低い」 福島事故で専門家
(2014/11/20 共同通信)

国連科学委報告書「信頼性低い」 元WHOスタッフ ベイバーストック 
           (2014.11.24 福島民友)

第4回 市民科学者国際会議 
(2014年11月22日‐24日 国際放射線防護シンポジウム)から抜粋

キース・ベーヴァーストック講演
環境科学、 放射線生物学
東フィンランド大学環境科学学科

100 mSv未満の線量における放射線リスク

講演概要から抜粋

UNSCEARの線量評価は、日本でフォールアウト(放射性降下物)の影響を受けた地域のほとんどの住民の実効線量を、最初の1年で10 mSv未満とし、今後80年にわたって20 mSvを超えないとしている。しかし、外部被ばくの実効線量が年間20 mSvに下がった避難区域への帰還が実施されれば、実効線量はUNSCEARの推計値よりもはるかに高くなってしまう。

ここでは、100 mSv未満への被ばくのリスクについての疫学的証拠、および100 mSv未満でのリスクに関する理論的議論を考察し、100 mSv未満の被ばくが「安全」であるというのは科学的ではなくむしろ政治的な決断であり、科学的に正当な意味がないことを示す。

結論
100 mSv未満と100 mSv以上で、100 mSvあたりのリスクが量的・質的に異なるという仮定は、科学的に支持できない。十中八九、リスクの線量依存性は、ゼロ線量から上方に線的である。すなわち、線形しきい値なし(LNT)関係が適用される。
そして、公衆衛生政策を目的とするリスク推定においては、たとえどんなに微量であろうとも、集団が被ばくするかもしれないすべての線量を考慮することが不可欠である。

現在、事故後3年半経ったが、事故により一般市民に必然的に伴うリスクの細部にわたる実態は、いまだに完全に理解されていない状態である。

福島事故・国連科学委会報告をどう読むか
安心するのは早い 疫学調査の積み重ね必要

(2013年6月15日 東京新聞)

安心強調は早計 国連科学委

 福島原発事故の健康影響について、国連科学委員会は先月末、「被ばく線量は少なく、健康への明確な影響はないとみられる」ことを骨子とする報告書案を発表した。これまでも、世界保健機関(WHO)や民間団体が影響の推測をまとめてきたが、今回の報告は他と比べても「安心」の度合いが高い。この報告書をどう読むべきか。京都大原子炉実験所の今中哲二助教らに聞いた。(出田阿生、中山洋子)

 「国連科学委の報告書案に記された数字で計算すると、福島原発事故により、少なくとも日本全体で2050人のがんによる死亡が増えることになる。これを多いとみるか、少ないとみるか」

 京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)の今中哲二助教はこう語る。今中助教は、原発事故直後から福島県飯舘村に入って放射性物質の測定などの調査を続けてきた。

 今中助教が注目したのは日本全土でどれだけ被ばくしたかを表す「集団実効線量」の推計だ。甲状腺の集団実効線量は11万人・シーベルト(生涯の被ばく線量)、全身でみると4万1000人・シーベルトとなっている。

 国際放射線防護委員会(ICRP)は「1万人・シーベルトで500人のがん死が起きる」とみている。全身の集団線量に当てはめると、がん死の増加は2050人だ。

 この数値をチェルノブイリ原発事故後の旧ソ連や欧州諸国の約六億人分のデータと比較すると、福島原発事故による被ばく量は甲状腺は約20分の1、全身が約10分の1という結果になる。

 「大したことはない」と安心したくなるが、こうした一連の数字をどう読むべきだろうか。
 「無視できる数とは言えない。当てはまった人は、事故という人為的な原因で死を迎えるのだから」(今中助教)

 健康影響を語る際、被ばくとの因果関係が明白ながんや白血病のみを取り上げがちだ。この報告案もそれを踏襲する。

 しかし、被ばくによる健康影響には、いまも不透明な部分が大きい。チェルノブイリ原発事故後には、子どもの免疫低下や心臓疾患の発生が見られた。今月初旬、ウクライナを視察してきた今中助教は「被ばくの人体への影響は多様だと実感している」と話す。

WHO報告は対照的な視点

 国連科学委の報告書案と対照的なのが、今年2月末にWHOが発表した報告書だった。

 「大半の福島県民にがんが明らかに増える可能性は低い」と結論する一方、一部の乳児は甲状腺がんや白血病などのリスクが生涯で数%から約70%増えると推計。15年後は1歳女児の甲状腺がんの発生率が浪江町で約9倍、飯舘村で約6倍になると予測した。

 WHOは前提条件を「計画的避難区域で事故後4カ月避難せず、県内産の食物だけを口にした」とした。この想定は論議を呼んだが、飯舘村では近い実態もあった。
 「想定は過大評価になるかもしれない。だが、過小評価よりも良い。過小評価の危険を最小化したかった」(WHOの公衆衛生環境担当マリア・ネイラ氏)という。

 国連科学委の報告書案でもう一点懸念されるのは、この推計の根拠とされたデータの信頼性だ。一例として、子どもの甲状腺被ばくについての数値がある。

 この数値は政府が2011年3月下旬、飯舘村や川俣町、いわき市などで、事故当時に県内に住んでいた15歳以下の子ども1080人を対象に実測し、まとめた。

 今中助教は同時期に飯舘村に入って調査していたが、空間線量を測定すると村役場の屋外で5マイクロシーベルト、室内で0.5マイクロシーベルトだった。ところが、政府の調査で子どもの首に測定器を当てて測った数値は「0.01マイクロシーベルト」などと記されていた。

 今中助教はこれほど周囲の放射線量が高い場合には、そうした微量の放射線は測定することは不可能だと指摘する。

 甲状腺に集まる放射性ヨウ素の半減期は8日。事故直後に測定しないと測れなくなる。今中助教は「真っ先に取り組むべきは、最も影響を受けやすい子どもの甲状腺被ばくなのに、検査数があまりに少なすぎる。旧ソ連でさえ、約40万人の子どもの甲状腺被ばくを調べた」と振り返る。

 健康影響に否定的とみられる報告書案だが、一方で100ミリシーベルト以下の低線量被ばくでも「がんの増加について科学的根拠が不十分でも、調査を長期間継続すべきだ」としている。今中助教は「被ばくの影響が完全に解明されていない以上、この姿勢は重要」と話す。

 「国連科学委員会は厳密さを追求する組織。だが、行政には健康を守るための予防原則が求められる。科学的な厳密さより、これからどんな影響が出てくるか分からないという視点が大切だ」

<デスクメモ> 「白黒つけずにあいまいなままにしておくこと」。復興庁参事官がツイッターに書き込んだせりふだ。時間がたてば、国民はフクシマを忘れるという「解決策」が政府の本音と感じてはいたが、実際そうだったわけだ。その先にあるのは今秋からの再稼働だろう。都議選、参院選は忘却との闘いである。 (牧)

<国連科学委員会> 被ばくの程度と影響を調べるため、国連が設置した。各国の核実験で放射性物質が拡散し、被ばくへの懸念が高まっていた1955年に発足した。関係者の間には「核実験の即時停止を求める声をかわす目的だった」という指摘もある。報告書はICRPの基礎資料になる。ICRPのメンバーと重複する委員もいる。

『福島原発事故被害は過小評価されてる』 国連科学委員会(UNSCEAR)ベルギー代表
mardi 20 août 2013 Canard Plus)から抜粋

原子力事故や放射能の被害を評価する任務を負う国連機関 UNSCEAR内部で議論に火花が散っている。UNSCEARは最近ウィーンで開催された会議において用意された暫定報告書を、各国専門家の議論に委ねた。この報告書がベルギー代表団を激怒させたのだ。ベルギー代表団メンバーによれば「報告書全体が福島原発事故の被害を過小評価するために執筆、作成されている感が否めない。チェルノブイリやその他の研究から得られた情報のレベルからさえも後退している。」と言う。

ベルギー代表団を構成しているは、モル核エネルギー研究センターやさまざまな大学の専門家たちである。他国の多くの専門家たちとともに、彼らは五月にウィーンで開催された会議に参加した。UNSCEARは来秋、国際連合総会に報告書を提示しなければならない。

ブリュッセルに帰国後、ベルギー放射線防護協会(ABR)でのプレゼンテーションにおいて、代表団団長ハンス・ファン=マルケはUNSCEARの暫定結論に対する非常に批判的な意見を明らかにした。この批判はグリーンピースや反原発派からではなく、”原子力推進派内部”から噴出しただけに衝撃的である。我々の得た情報によると議論は過熱を尽くし、ベルギー代表団のショックはあまりに大きかったため、報告書への署名拒否さえちらつかせているそうだ。また何人かのメンバーは会議からの退場も考えたと言う。ベルギー代表団の発言と、またイギリスの専門家やその他何人かの専門家の発言の行われた結果、彼らの見解も改訂版を編集するうえで考慮に入れられる可能性はあると言う。しかし過去の歴史からこの手の組織においては、プログラムや文書の最終的な方向性は事務局と報告官によって決定されることがわかっている。最終稿が議論をきちんと反映しているかどうか、最大の注意が支払われることになるだろう。

批判

地上への放射性物質降下量は無視できる量ではなく、従って住民の健康や将来への被害も無視できるものではない。その上、放射性物質の降下は福島市や郡山市(人口30万人)のように人口密度の高い地域で起こっている

UNSCEARの報告書が提示しているデータの多くは不完全であり、また提示の方法に問題がある。一般市民が受けた被曝量は不適切な方法を使って少なく見積もられている。これは事故現場で働いている作業員数万人の被曝量に関してもまったく同様である。そして日本政府も東電もこの件に関する詳細の公表を拒んでいる。安定ヨウ素剤が配られなかったことも明白であり、甲状腺検査の実施は一般に遅すぎた。そのために現時点でUNSCEARの報告書が主張しているように将来事故の影響はほとんど現れないだろうと断言することはできない。

またUNSCEARによる分析は、速断で胎児や遺伝を脅かす潜在的な危険を強制的に除外してしまっている。発癌リスクに関しては、明白な病変を引き起こすには放射線量が低すぎるため、懸念をする必要はないと評価している。このような仮説はベルギー人も含め多くの専門家を激怒させた。というのも上記の通り、一方では被曝量の評価が適切でないうえ、他方ではチェルノブイリの情報や近年行われた数多くの研究から低い線量でも健康に影響の現れ得ることが示されているからである。

しかしながらUNSCEARはこのような放射線科学の発展から明らかに後戻りをしようとしている。各国からの代表者たちの一部は、今回の会議においてだけでなく、ここ数年間繰り返し、年間100ミリシーベルトという敷値の下ではいかなる健康被害も起こらないという考えを通そうと試みている。

しかし国際放射線防護委員会(ICRP)は、平常時においては一般市民は年間1ミリシーベルト、原子力産業従事者は年間20ミリシーベルトの被曝量を越してはいけないと勧告しており、また事故時においては、一時的な基準の超過は大目に見られるものの、超過は持続的であってはならないとしていることを今一度確認しておきたい。

最新の研究では様々な分野において年間10から100ミリシーベルトの間の低線量被曝でも、健康に影響のあり得ることが示されている。被害は癌だけではない。胎児への影響、遺伝のかく乱、心臓血液疾患や白内障なども問題となる。

チェルノブイリと同じ被害の否定が福島でも行われるのか?

いくつもの報告書が机上にあり、完成を待っている。そのひとつは子供たちについての報告書だ。子供は被曝が起こった場合、特別に保護し、監視しなければならない対象である。この子供たちについての報告書はフレッド・メットラー教授率いるアメリカチームが請け負ったのだが、メットラー教授と言えば、チェルノブイリ・フォーラムで公表された報告書の著者の一人である。当時の報告書はチェルノブイリ事故被害を過小評価しているとして、大変に議論を沸かし、批判を浴びたものである。彼はまたも臭いものに蓋をしようとしているのか? 少なくともメットラー教授による今回の子供についての報告書では、低線量被曝が子供たちにもたらす健康被害に関する一連の研究や発見、論点が先験的に除外されてしまっている。このテーマに関する欧州原子力共同体(ユーラトム)の専門家グループによる報告書さえ、メットラー教授は考慮に入れようとしなかった。

もうひとつ関連する報告書の中で無視され、ほとんど議論されていない非常に重大な問題がある:それは持続的な慢性被曝のケースである。これは例えばある身体器官が内部から被曝を受ける場合に起こるものだ。実際、放射性物質が体内に均等に分散するか、あるいは逆に特殊な部位に蓄積するかによって、現れる健康被害は異なるらしいことがますます明らかになっている。つまり同じ被曝量でも被曝が起きている部位によってその影響は異なるということだ。このことは既に何年も前にチェルノブイリ事故における数々の影響を研究したベラルーシの科学者ユーリ・バンダジェフスキーが発表した仮説と一致する。

分裂・・・

福島原発事故(そしてチェルノブイリ原発事故)の被害を過小評価し、放射線防護に関する最新研究がもたらした結果から後戻りしようとする試みはいったいどこから発生しているのか? それは主にロシア、ベラルーシ、アメリカ、ポーランドそしてアルゼンチンの専門家によって構成される派閥からなのである。彼らの多くはUNSCEARだけでなくIAEA、そしてICRPの中心人物でもある。その一人、アルゼンチン人のアベル・ゴンザレスの就いている役職はアルゼンチン国内の原子力産業のものも含めて数知れず、前回のセッションでは、ベルギーの専門家が利益の混同を批判する書面を送ったほどである。

しかしUNSCEARはこの批判書を議事録に記載することを拒否した。ゴンザレス、メットラー、ロシアのベラノフ(元IAEA職員であり、UNSCEAR報告書の一つの編集長)それに数人のポーランド人が、フランスのチュビアナ教授に代表される派閥とダイレクトにつながって、低線量被曝が起こしうるあらゆるネガティヴな影響に関する考えを頑なに拒絶しているのである。彼らは一丸となってこの路線を堅守しようとし、非常に活発な国際的拠点を築き上げている。彼らはUNSCEARやIAEA(UNSCEARの会議はIAEAの建物内で開催される)の事務局における戦略的なポストを占拠している。そして今日では日本人も彼らと見解を分かち合うようになっている。福島原発事故による影響を最小限に抑え、停止中の原発を再稼動させるのに懸命だからだ

かくして、一石を投じたのはベルギーの専門家たちだったのだ。イギリスの専門家たち、それにオーストラリア人の議長が彼らを支持した。またユーラトムの会議に参加しているヨーロッパの専門家たちは、UNSCEARの《過小評価派》に比べて、低線量被曝の影響をずっと気にかけている

いったいこれらの問題についての議論や科学的疑問はどこに行ってしまったのかと思わざるを得ない。少なくとも低線量被曝の影響を否定する一派は、来秋提示されるUNSCEARの報告書に彼らの見解が反映され、国連によって有効とされることを熱望している。それに対してベルギー人をはじめとするその他の専門家たちにとっては、それは放射線防護知識に関する最新の進歩に対する許しがたい後退を表すことになるだろう。

マルク・モリトール記
Marc MOLITOR
ベルギーRTBF(フランス語圏ベルギーTVラジオ局)

2014/11/22

低線量汚染地からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害 (NHK)

福島原発事故から3年8カ月、政府統計でも病気と病死が増加するなかで、もう一度、チェルノブイリの「低線量汚染地域」の健康被害を再確認したいと思います。

シリーズ チェルノブイリ原発事故・汚染地からの報告 ウクライナは訴える

2012年9月にNHKのETV特集で放送された
チェルノブイリ原発事故・汚染地帯からの報告 ウクライナは訴える
この番組紹介には、福島原発事故後の日本にとって大変重要なことが書かれています。

2011年4月、チェルノブイリ原発事故25周年の会議で、ウクライナ政府は、汚染地帯の住民に深刻な健康被害が生じていることを明らかにし世界に衝撃を与えた。チェルノブイリ原発が立地するウクライナでは、強制避難区域の外側、年間被ばく線量が5ミリシーベルト以下とされる汚染地帯に、事故以来26年間、500万人ともいわれる人々が住み続けている。

公表された「Safety for the future未来のための安全」と題されたウクライナ政府報告書には、そうした汚染地帯でこれまで国際機関が放射線の影響を認めてこなかった心臓疾患や膠(こう)原病など、さまざまな病気が多発していると書かれている。特に心筋梗塞や狭心症など心臓や血管の病気が増加していると指摘。子供たちの健康悪化も深刻で2008年のデータでは事故後に生まれた子供たちの78%が慢性疾患を持っていたという。

ウクライナ政府報告書 未来のための安全

2012年4月、私たちは汚染地帯のひとつ、原発から140キロにある人口6万5千人のコロステン市を取材した。この町で半世紀近く住民の健康を見続けてきた医師ザイエツさんは、事故後、目に見えて心臓病の患者が増えたことを実感してきたという。

学校の給食は放射線を計った安全な食材を使っている。しかし子供たちの体調は驚くほど悪化。血圧が高く意識を失って救急車で運ばれる子供が多い日で3人はいるという。慢性の気管支炎、原因不明のめまいなど、体調がすぐれない子供が多いため体育の授業をまともに行うことができず、家で試験勉強をして体調を崩すという理由から中学2年までのテストが廃止された。

チェルノブイリ原発事故から26年たった現地を取材し、地元の医師や研究者にインタビュー、ウクライナ政府報告書が訴える健康被害の実態をリポートする。

この番組制作に関わった馬場朝子氏と山内太郎氏が番組の内容をより詳しくまとめた本『低線量汚染地域からの報告書―チェルノブイリ26年後の健康被害』は、福島だけでなく東北、関東に広がる「低線量汚染地域」のこれからを考える上で、非常に重要な本です。その一部を抜粋します。

『低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ26年後の健康被害』

P.27
 私たちが取材をしたコロステンという町は、移住勧告地域と放射線管理地域が混在する地域だ。この町があるジトーミル州の住民は、事故が起きた1986年から2011年までの25年間に、平均で、移住勧告地域では25.8ミリシーベルト、放射線管理地域では14.9ミリシーベルトの低線量被曝をしている。 実は最近になって、こういった低線量被曝をした人々についての注目すべき報告がウクライナ政府によってなされた。それはチェルノブイリ原発事故後、彼らの健康状態が非常に悪化しているというものだ。

P.32 – P.34
 政府による詳細な調査報告
 東日本大震災の直後の2011年4月、ウクライナの首都キエフで、「キエフ国際科学会議」という会議が開かれた。チェルノブイリ原発事故からちょうど25年が経ち、事故の収束に向けて、当事国のウクライナ、ロシア、ベラルーシ3か国の政府関係者と、IAEA(国際原子力機関)などの国連の諸機関や、G8、EUの首脳が話し合う国際会議だ。

 その会議の席上、ウクライナ政府から発表されたのが「チェルノブイリ事故から25年 未来のための安全」と題された「ウクライナ政府報告書」だ。図版を含め352ページに及ぶ大部なものだ。執筆したのは様々な分野の専門家135人。土壌汚染、心理学、廃炉、放射性廃棄物の管理などの視点から、チェルノブイリ原発事故がウクライナの人々にどんな影響を及ぼしたのか、また、ウクライナが現在どのようにチェルノブイリ原発事故に向き合おうとしているのか、最新の研究成果に基づいて報告されている。

 そして、この報告書の中でも多くのページを割かれているのが、原発事故による住民の健康状態について書かれた「第3章 チェルノブイリ惨事の放射線学的・医学的結果」だ。
 
 甲状腺疾患、白内障、免疫疾患、神経精神疾患、循環器系疾患(心臓・血管など)、気管支系疾患(肺・呼吸器など)、消化器系疾患(胃・腸など)といった、体中のありとあらゆる組織の病気について記されている。

P.46 – P.47
 私たちは、被災地で暮らす人たちを取材するため、チェルノブイリ原発から140キロの距離にあるジトーミル州のコロステン市を目指した。人口6万5000、製陶やコンクリート工業といった製造業が盛んな町だ。市があるのは移住勧告地域と放射線管理地域が混在する低線量汚染地域で、年間0.5から5ミリシーベルトの被曝線量が見込まれる地域である。

P.48 – P.54
 患者を診続けてきた医師たち

 翌日、私たちはコロステン中央病院を訪ねた。待合室は患者であふれていた。この病院は町で唯一の総合病院で、近くの村からも病人が送られてくるという。まず私たちは、この町の住民の全体的な健康状態を知りたいと思った。

 私たちを迎えてくれたのは副院長のアレクセイ・ザイエツ医師。もう70歳になるベテランだ。この町で半世紀ほど住民の健康を管理してきた。私たちの訪問にザイエツさんは、「住民の健康状態についての会議を開くので、それを聞けばこの町の人々の様子がわかるだろう」と、病院の主だった医師を集めてくれた。集まったのは、副院長のアレクセイ・ザイエツさん、内分泌疾患を専門とするガリーナ・イワーノブナ医師、リウマチなどが専門のガリーナ・ミハイロブナ医師、そして悪性腫瘍専門のウラジミール・レオニードビッチ医師らだ。

 まず、副院長のザイエツさんが口を開いた。「残念なことに、日本でも1年前に原発事故が起きました。多くの点が、私たちの悲劇的な事故と共通していると思います。今の日本の状況は、私たちの事故と同じであり、私たちに起きたことが福島でも起きているのです。ご存じのように事故当時、放出物質の80パーセントは放射性ヨウ素でした。そして、まず被害を受けたのは甲状腺でした。そのため、甲状腺がんを含めた多くの様々な甲状腺疾患が現れました。私は今日の討議を、この甲状腺疾患から始めたいと思います。では、ガリーナ・イワーノブナさんから」

 内分泌科医のガリーナ・イワーノブナさんは、事故当時、医師としてこの町で患者を診ていた。ロシア人である彼女は、ウクライナ独立後ロシアに移住したが、コロステンが懐かしく、この町に戻ってきたという。「ザイエツ医師から話があったように、放射性放出物の80パーセントが放射性ヨウ素であったため、最初に影響を受けたのが甲状腺でした。大きく増えたのがびまん性甲状腺腫、結節性甲状腺腫、甲状腺機能低下症、甲状腺機能亢進症などです。同じく甲状腺がんも増えました。事故前まで私は、大人・子どもにかかわらず甲状腺がんの診断をしたことがありませんでした。私たちが最初に甲状腺がんを確認したのは、事故1年後の1987年で、子どもの症例が1例確認されました。甲状腺がんは91年には9症例、これは私たちの市のレベルでは大変多い数です。」

 ガリーナ・イワーノブナさんは、最近危惧される傾向について話を続けた。
若年齢層の問題です。特に、事故当時18歳以下の子どもだった人たちに関心を向けています。これらの人たちを、3か月ごとに検査をしています。彼らの多くは甲状腺疾患を患っており、自己免疫性甲状腺炎やびまん性甲状腺腫の人もいます。事故当時、少年だった彼らは、いまや大人となり、自分たちの子どもをもうけています。その生まれた子どもたちにも、多くの甲状腺疾患が見られるのです」

 この病院では対象者すべてに対し、甲状腺の検査を毎年行っている。細胞検査や甲状腺ホルモンについての検査だ。またこの町の人々にはヨウ素が不足しているので、予防的措置として、ヨウ素を多く含む海産物を食べること、ヨウ素を含んだ塩を食べることを勧めている。さらに、すべての妊産婦に対してヨウ素剤を支給するという措置をとり、甲状腺疾患への対策を進めている。

 次に報告を行ったのは、リウマチ疾患が専門のガリーナ・ミハイロブナ医師だった。
「すべての内科系の疾病の中で、もっとも特徴的な疾病がリウマチ疾病です。チェルノブイリ事故前はリウマチ患者は6人だったのに、2004年には22人、2010年には42人、2011年は45人でした。この数字は、かなり高い増加を示しています。リウマチは、チェルノブリ事故と関連があると思っています。こういった症状は、チェルノブイリ事故当日、若年層だった人たちに見られます」
 
 次に、がんの増加について、ウラジーミル・レオニードビッチ医師が報告した。
「私たちは分析のためのデータを、事故前の1980年から86年までの6年間と、事故後の1987年から2011年までの25年間とをとりました。事故前の(がんの)平均発病率は10万人あたり200人でした。現在は10万人あたり310人です。つまり1.5倍に増えています。

 また、リンパ腫と白血病という血液の病気も増えています。事故前の6年では、血液の病気について26の症例が記録されていますが、事故後は25年間で255症例となっています。この増加は、放射性物質の影響によるものだと考えられます。当然のことながら、がんによる死亡率も30パーセントほど増えました。その理由はよりがんの悪性度が高くなったということです。同じく放射能の影響と思われる多くの慢性病を抱えた患者が増えています。食べ物も原因のひとつと考えられますが、放射線も影響していると言えます。

 本当のがんの増加は事故から30年後くらいに見られるでしょう。事故当時に子どもだった人たちが自分たちの子どもたちを育てる時期です。最近5年間で最初のがん疾病が見られる年齢グループで、一番多いのは40歳までのグループです。2007年には9人、08年は15人、2010年は17人、2011年は22人でした。この人たちは、事故当時青少年だった人たちです。

 私たちは生まれた年に関連した分析を行いました。一番多くの影響を受けているのが1970年と71年生まれの人たち、つまり事故当時15、16歳だった人たちです。活発な生殖成熟期に事故に遭った人たちは、25年後にがんが14症例見られ、甲状腺、白血病、乳腺などにがんを発症しています。事故時期以降の子どものがん疾患の患者ですが、同じく1996年から2000年までの間に11症例、見られています。

 がん患者の年齢別構成グループについては、発症年齢が若くなっている傾向があります。30歳ですでに前立腺がんの患者が観察されています。以前は高齢者により多く見られたがんが、この年代でも見られるのです。もちろん私たちの診断の可能性が広がり、コンピューターを使った断層X線写真診断法を使えるようになったことも、症例増加に部分的に関連していると考えられます。しかし依然として患者は増え続けており、現段階で、実際にチェルノブイリ原発事故が私たち国民にもたらした健康被害を総括するのは、時期尚早だと思います。がんの分野についての結論を出すのは、まだ早いのです」

 次に、ガリーナ・ミハイロブナさんが、被曝した親から生まれる子どもの健康状態について話をした。
「被曝した両親から、障害を持って生まれる子どもがいます。例えば、2009年は先天性障害が身体障害全体の47パーセントを占めています。2010年は36.8パーセント、2011年は42.2パーセントとなっています。今年(2012年)第一四半期においては身体障害者の100パーセントが先天性障害です。先天性障害は、主に心臓循環器系疾患、そして腸、目などに確認されています。2005年から心臓の先天性障害が第1位で、現在もそれは変わりません」

 ザイエツ副院長が付け加えた。
「私が最も心配しているのは、先天性障害のある子どもたちの問題です。事故前までは年に数件しかなかったのですが、今は年に30~40人、そういう子どもたちが生まれています。私はこうした問題が、これからも起こる可能性があるのではないかと恐れています」

P.68 – P.69
 コロステンのあるジトーミル州全体の平均的な被曝等価線量について、ウクライナ政府報告書に詳しいデータがある。子どもの被曝が等価線量にすると大きくなるなどの年齢ごとの重みづけを行った被曝等価線量のデータだ。事故の年の1986年には1.96ミリシーベルト、その後の10年間に2.91ミリシーベルト、さらにその後1997年から2011年までの間に1.32ミリシーベルト。事故発生以後、25年間のすべての積算で6.19ミリシーベルトとなっている。年平均にすれば0.25ミリシーベルト。この数字をどう見るかにはいろいろあるだろうが、福島県浜通りの汚染と比べれば、かなり低い数値だと思われた方も多いのではないだろうか。

 実は、コロステンの町の汚染状況を、この数字だけで見ると見誤る可能性がある。ジトーミル州北部にあるコロステンの町は汚染地域の中に位置しているが、この州の南部には汚染地域に指定されていない地域がかなりの部分を占めているからだ。旧ソ連は、汚染地域をその汚染の度合いによって4つのゾーンに分類していたが、コロステンの町は、セシウム137による年間被曝線量が1~5ミリシーベルトの「第3ゾーン」と0.5~1ミリシーベルトの「第4ゾーン」のちょうど境目にある。町の中に「第3ゾーン」の場所と「第4ゾーン」の場所があるのだ。このゾーン分けから非常におおざっぱに類推すると、このふたつのゾーンの境目なので、年間被曝線量が1ミリシーベルト前後の地域だったと考えることができるだろう。

 ウクライナ政府報告書の別のデータから見ても、この数字は裏付けられる。報告書によるとジトーミル州の「第3ゾーン」「第4ゾーン」も1986年から2011年まで暮らした人の内部被曝と外部被曝をあわせてのセシウム137による25年間の被曝実効線量はそれぞれ25.8ミリシーベルトと14.9ミリシーベルトである。おおざっぱに言って、セシウムによる被曝に限れば、コロステンにいた人の被曝量は25年間の積算で15から26の間、だいたい20ミリシーベルト前後と見積もっていいだろう。このデータからも、年間被曝線量が1ミリシーベルト前後だという数字が導き出される。

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