2012/11/10

6歳でチェルノブイリを経験した歌手の2008年のメッセージ

今、多くの人に伝えたいメッセージ

ウクライナ出身の歌手、ナターシャ・グジーさんが「視点・論点『チェルノブイリとヒロシマ』」というNHKの番組に出演したのは2008年。美しい声で心を込めて歌う「千と千尋の物語」の主題歌「いつも何度でも」が素晴らしく、とても感動した。が、それ以上に私の心に響いたのは、自らが6歳のときに経験した原発事故の体験と、その後の放射能汚染地の話、そして、最後の「人間は忘れることによって、同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないで下さい。同じ過ちを繰り返さないで下さい」というメッセージだった。

ナターシャ・グジーさんが「視点・論点」で話したことから抜粋

今日、8月6日は、60年以上前に広島で悲劇が起こった日です。広島や長崎の悲劇がまだ終わっていないように、20年以上前に起こったチェルノブイリの悲劇もまだ終わっていません。

いまから22年前にチェルノブイリ原発が爆発しました。当時、私は6歳でしたが、お父さんが原発で働いていたので、家族全員で原発から、わずか3.5kmのところに住んでいました。事故が起こったのは夜中だったので、ほとんどの人たちがそんなに大きな事故が起きたとは知りませんでした。

そのため、次の日は普通に生活していました。子どもたちが学校に行き、お母さんたちが小さな子どもたちを連れて一日中外で遊んでいました。そして、一日中、目に見えない放射能を浴びていました。事故のことを知らされたのはその次の日でした。「大したことは起きていません。でも、念のために避難して下さい。3日間だけ避難してください。3日後に必ず帰ってきますので、荷物を持たずに避難してください」そう言われて私たちは皆、荷物を持たずに街を出てしまいました。でも、3日経っても、1ヶ月経っても、そして20年経っても、その街には戻ることはありませんでした。子どもの頃、毎日遊んでいた美しい森も、たくさんの思い出が詰まった家も、放射能のせいで壊されて土の中に埋められました。今そこには何も残っていません。かつて、いのちが輝いていた街は、死の街になってしまいました。

あの恐ろしい事故で、私たちが失ったのはふるさとだけではありません。とてもたくさんの人が亡くなっています。私の友だちも何人も亡くなっています。そして当時、私と同じように子どもだった人たちが、もう大人になり、結婚したり、子どもを産んだりしています。そして、新しく生まれてくる赤ちゃんたちの健康にも異常があります。

人間は忘れることによって、同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないで下さい。同じ過ちを繰り返さないで下さい。そう願って、私は歌を歌っています。

http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded


 いつも何度でも
             作詞 覚和歌子  作曲 木村弓

 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ

 
 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 わたしのなかに
 見つけられたから


http://www.youtube.com/watch?v=xQJog0rs7Eg&feature=fvwrel


ナターシャ・グジー 
ウクライナ生まれ。ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。

その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。

2012/11/09

東電発表 3月に、大気に放出された放射性物質だけで チェルノブイリ原発事故の17%

東京電力は、これまでも様々なウソをついてきたし、最近も原発の事故処理作業員の登録者を8000人しかいないのに2万4000人と3倍も多く発表していたから、福島原発から「大気に放出された放射性物質がチェルノブイリ原発事故の17%」という数字も信じることはできない。そして、地下や海にも大量に放出している。しかし、なぜ地下や海に放出された数値が推測でも発表されないのか?

福島汚染、主因は2号機 東電発表 3号機も大量放出
(2012年5月25日 朝日新聞)

 東京電力は24日、福島第一原発事故で大気に放出された放射性物質の総量を90京(けい)ベクレル(京は兆の1万倍)とする試算結果を発表した。2号機からが最も多く、昨年3月15日、主に2号機からの放出で原発の北西地域が激しく汚染されたとする説を裏付けた。16日にも海の方角へ大量放出があったらしいこともわかった。東電は「3号機から」としているが、詳しくは不明だ。

 東電は、昨年3月12日~31日の期間の大気への放出量を評価。90京ベクレルは、経済産業省原子力安全・保安院が昨年6月に示した77京ベクレルの約1.2倍。旧ソ連チェルノブイリ原発事故での放出量の約17%にあたる。

 1?3号機からの放出量の内訳は、1号機13京ベクレル、2号機36京ベクレル、3号機32京ベクレル。発電所周辺の空間放射線量の値などをもとに割り出した。放出源が判明しないものも11京ベクレルあった。定期検査中だった4号機からの放出はない、とした。

浜岡原発でタービン羽根にひび割れ 4号機に15カ所

「羽根を取り外して調べたら、4カ所のひび割れと11カ所の亀裂が確認された」
東海地震の震源の真上に建ってる浜岡原発ですら、こんな状態で動かしていた。

浜岡でタービン羽根にひび割れ 4号機に15カ所

 中部電力浜岡原発4号機(静岡県御前崎市)の「低圧タービン」の一部にひび割れの疑いが出ていた問題で、中部電は6日、抜き取り検査した72枚の羽根の15カ所に、ひび割れや亀裂が見つかったと発表した。

 中部電によると、羽根を取り外して調べたところ、6日までに4カ所のひび割れと11カ所の亀裂が確認された。破損の原因を調べるとともに、超音波検査で取り付け部に異常が見つかった1700枚全てについて検査を進める予定。

 浜岡原発は3~5号機が政府要請で運転を停止。今後、4号機と同じ型式の3号機も検査し、型式が違う5号機は4号機の検査結果を踏まえて対応を検討するという。
2012/11/07 00:46 【共同通信】

2012/11/06

低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害

『低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害』
馬場 朝子 (著), 山内 太郎 (著)

内容紹介
いまなお続く放射能汚染による健康被害

昨年4月、ウクライナ政府はチェルノブイリ原発事故後の、国民の健康への影響を詳細に調べた報告書を公表した。低線量汚染地域に居住してきた人々への定点調査では、甲状腺がんや心臓疾患、白内障といった疾病や慢性疾患の増加という実態が浮かび上がってきた。四半世紀を経てなお続く原発事故の「後遺症」を綴る。

(レビューから)
★5つ星のうち 5.0 今読むべき本! これから数十年価値を持つ本!!
2012/10/6 By zawa

 今年(2012年)9月にNHKで放送されたドキュメンタリー番組の書籍版。番組を見た人でも買って読む価値がある。

 昨年ウクライナで出されたチェルノブイリによる健康被害の報告書を巡る話とチェルノブイリから140キロ離れた低濃度汚染地帯の都市コロステンに暮らす市民の苦悩が取り上げられている。

 汚染地域で診療してきた医師達が直面している「現実」に基づいた報告書は、放射能との関連の「科学」的証明が不十分として国際的な共通認識を得られていない。日本でもウクライナの「現実」を無視することで避難の基準を年20ミリシーベルトにするという政策が採られている(ウクライナは年1ミリシーベルト以上は移住権利地域、5ミリシーベルト以上は移住地域)。学者は本来であれば「科学」的に証明できない「現実」があれば「科学」の限界に思い至り謙虚になるべきだと思うのだが、日本の(御用)学者は「科学」的に証明されていないものは「現実」にも存在しないかのように傲慢に振る舞うようだ。

 コロステンの市内は、年0・5~1ミリシーベルトの放射線管理区域と年1~5ミリシーベルトの移住権利区域が半分ずつ占めている。日本でも同程度の汚染地域は広く分布しており、おそらく数百万人が暮らしている。年0・5ミリシーベルト以上の汚染地域ならば1千万人以上が暮らしているだろう。チェルノブイリから26年後のコロステンの現状は、目をそらすことなく凝視すべきだろう。

 しかし、子供たちの75%以上が何らかの疾患を抱えているという「現実」はあまりにも重すぎる。
 著者二人の姿勢は公平である。誰かを糾弾するでもなく、不安を煽るでもなく、とても誠実に書かれている。私自身は、こんな惨禍を招きながら未だに誰も責任を取らない状況は異常なので、個人名をあげて告発する事は絶対に必要だと考えている。しかし、報道の良心に従い、必要と思われる事実を丁寧に書き記した本書からは多くの事を教えられた。信頼するに足る良書である。

★5つ星のうち 5.0 関東のわが市も全く同じ状況の兆しが。
2012/10/20 By 高橋享子

 この本を読んで衝撃的でした。現在私の住むN市はチェルノブイリ事故の低線量被ばく地域であるコレステンと状況がよく似ている。確かに26年たったという差はありますが、民間団体の土壌検査の結果、移住権利地域が6分の1程度、それ以外ほとんどが放射能管理地域です。

空間線量は、安全な住宅街で0,15高いところは0,23以上森は0,3以上なのです。このまま除染をしなければ25年でこの地域のもコレステンと同じ被ばく量になります。コレステンでは森の食べ物は絶対食べてはいけないといっているのに、わが市では野生の栗などを検査しても大丈夫として売っている。

25年後の未来の子供たちに誰も責任はとれないのです。関東も含めて低線量被ばく地域に住む放射能被害を気にする人々、子どもを持つ親たち、そして若者もこの本を読んで将来起こるかもしれない現実を知ってほしい。読みやすく素晴らしい本だと思います。

★ チェルノブイリの痛切な経験から日本人に警告する
2012/10/25 By つくしん坊 トップ500レビュアー

原子力関連の国際機関(たとえば国連科学委員会)によれば、チェルノブイリ事故による放射線障害は、事故直後に放射性ヨウ素を被曝した子供たちの甲状腺がんと、高線量被曝をした事故処理作業員の白血病と白内障だけである。しかし、チェルノブイリ事故で大きな影響を受けたウクライナの各地を取材した本書によれば、実態は全く異なる。

子供の甲状腺がんはもちろん、大人や子供を問わず、循環器系疾患をはじめ、消化器系、神経系・感覚器系、および呼吸器系疾患などあらゆる病気が、事故後顕著に増えている。特に、健康な子供たちがほとんどいないという驚くべき事実には、心が痛む。本書は、低線量被曝でも健康に大きな影響を及ぼしうる、というチェルノブイリの痛切な経験から日本人への警告の書である。

ウクライナでは、年間5ミリシーベルト以上が強制移住、1ないし5ミリシーベルト未満が移住勧告地域である。重要な点は、福島では居住が認められている年間20ミリシーベルト以下でも、ウクライナでは顕著な健康被害が認められている点である。しかし、国際機関は科学的な根拠が不十分として、ウクライナの低線量被曝による健康被害を認めておらず、日本も同様である。これから日本で起こりうる悲劇を考えると心配でならない。

今のところ、日本の国や行政機関が年間20ミリシーベルト以下の低線量被曝に対して、何らかの対策を打つ気配がない。本書は、われわれ日本人が、チェルノブイリ事故とその後の長期的な放射線被曝から何を学ぶべきかを教えてくれる、貴重な内容である。

 

福島の地にとどまり続けることがどうして危険か 

福島「甲状腺検査結果」を受けて、緊急記者会見ひらかれる
(2012年9月20日 JanJanBlog 三上英次)から抜粋

 9月11日に福島県から発表になった「健康管理調査」について、19日、「ふくしま集団疎開裁判」の柳原弁護士、同裁判で意見書を書いている矢ケ崎琉球大学名誉教授らにより緊急の記者会見が行われた。そこで同弁護士らは、「最新の健康調査から見ても、福島の子どもたちの疎開は緊急の最重要課題である」「まったなしだ」と強く訴えた。

 柳原弁護士らがおこしている「ふくしま集団疎開裁判」は、「福島の子どもたちが被ばくの危険性の無い安全な場所で教育を受けられるようにすること」を求めるものだが、「福島の地にとどまり続けることがどうして危険か」について、矢ケ崎名誉教授が今年2月に仙台高裁に提出した〔意見書(4)〕で極めて明快に説明している。以下にその内容を簡単に紹介する。
      

  ◇◆◇〔意見書(4)〕で指摘される重大な事実◇◆◇

 〔意見書(4)〕が書かれたのは、今年2月29日。ここで矢ケ崎氏は、検査した約30%の子どもたちにしこりとのう胞が発見された、2012年1月25日発表の「東電福島原子炉周辺の4市町村の子どもの検査結果」をもとに意見を述べているが、その基本的なスタンスは現在も変わらない。

 同氏は、チェルノブイリ原発事故(1986)以後、ベラルーシで「おとなも子どもも事故後1年目に発がん率の増加が認められていること」を挙げて、次のように書く。

 「これらのデータからは、東電福島原発事故後に現れた甲状腺のしこりや嚢胞はこれから現れるであろう発がん等の健康被害を暗示しております。このことは、子どもの健康保護を具体的に急がなければならないことを示しているのです。特に、子どもの教育を安全な場所で展開する必要に迫られていて、すぐさまの疎開が求められることを示しています。」(同意見書P3〕

 今回(9月11日福島県発表)、3回目の検査として42000人の子どもたちのうち43%もの高率で甲状腺に「しこり」や「のう胞」が見つかったことを考えると、上記矢ケ崎氏の訴えはまったく杞憂ではない。そうではなく、同氏の懸念がますます現実的になっていることを今回発表の検査結果は示している。

 〔意見書(4)〕の中でも、矢ケ崎氏は、しこりやのう胞について「原発の影響とみられる異常ではない」とする意見に反論している。同氏があげるひとつの反論材料は、「甲状腺ガンは、ベラルーシではチェルノブイリ原発事故以前は10万人に0.1人(すなわち100万人に1人)であるのに対して、事故後はチェルノブイリ周辺では、1000人中に10人以上の規模で、子どもの甲状腺がんが観測されている」という事実である。(同意見書P6)

 矢ケ崎氏によれば、日本では、子どもの甲状腺にどの程度の割合で、結節(しこり)やのう胞が現れるかは、まだ統計的なデータはないという。しかし、だからと言って、福島でのいくつかの症例は、「安心していれる状態」とは言い難く、むしろ「子どもの健康管理にとって、大きな警鐘を鳴らしていると見るべき」と同名誉教授は説く。(同上)

 同意見書P10に載せられたチェルノブイリでの甲状腺がん発生統計表を見れば、福島の子どもたちが置かれている危機的状況は素人(しろうと)でもわかるはずだ。

 その統計表は、1986年チェルノブイリ事故の前後8年ずつのチェルノブイリ近郊での甲状腺発がん数をまとめたものだ。それによれば、子どもの甲状腺がんの発生件数は、1986年に2件、1987年に4件、以後5件(1988)、7件(1989)と微増していくが、事故後4年で「29件」と激増する。そして、その後も59件(1991)、66件(1992)、79件(1993)、82件(1994)と増加はとどまるところを知らないかのようである。

 そして、この事実は、文科省前の集会で、井戸弁護士が甲状腺異常を安全視する意見に対して述べた次の言葉とぴたりと符合する。

 「この『チェルノブイリ事故でさえ…最短で4年』というのは、大ウソです。正確には、『チェルノブイリで急激に増加し始めたのが4年後』であって、チェルノブイリでも翌年から子どもたちの甲状腺の異常は見つかっているのです」
     

  ◇◆◇記者会見での矢ケ崎氏の訴え◇◆◇

 19日の会見で、上記意見書の内容もふまえた上で、「被ばくに関する科学」が「真理探究の内実をもって執行されていない」つまり、「被ばくが生命に対してどのような影響があるか、どういう害悪をもたらすか」が明らかにされてこなかったと、矢ケ崎氏は過去をふりかえる。

 「被ばくに関する科学がきちんとしていれば、原発関連企業が徹底的に打撃を受けるのです。国際的にも、ICRPが長く内部被ばくを研究させないというようなことをやって来ました。歴史的に見て、いかに内部被ばくの被害に関する研究が隠されてきたかということです。今でも、被ばくからいのちを守らなければいけないというグループが少数派になっているのです。被ばくについては色々と議論の分かれるところですが、その議論が、いのちを守ろうとする人たちによるものか、あるいは核推進の立場にある者の言動かを、判断の基礎に置いてほしいです。」

 「たとえ年間1ミリシーベルトを基準にするとしても、これは人体に安全であるはずがないのです。それを子どもたちに年間20ミリシーベルトまで許容させるなんてことはとんでもないことです。この〈20ミリシーベルト〉を、マスコミはあまりにも冷静に書き過ぎです。

 ICRPの基準は、原発を擁護するものです。基準を厳しくすればするほど原発企業は経営が成り立たなくなります。ですから、ある種の功利主義に立って、みんなのためなら被ばくもやむを得ないだろうという…その折り合いが1ミリシーベルトなのです。ですから、たとえどんなに低線量の被ばくでも害はあるのです」

意見を述べる高橋氏「原発作業員と同じ被ばく基準、年間20ミリシーベルトを一般の県民や子どもたちに強いるのは、いくら何でも無茶です。年1ミリシーベルトを超える地域については、〈避難する権利〉を住民に与えるべきです

 「福島県立医科大学の山下副学長らのグループは、『甲状腺がんは100万人にひとりのもので、今回の検査結果も原発事故の影響ではない』などと言っていますが、この検査結果を見れば、子どもたちを最大級の警戒体制で見守らなければいけないのは明らかです」

 矢ケ崎氏が〔意見書(4)〕に書くこと――、

 「政府は放射線の被害を『直ちには健康に被害は無い』とだけ言い、現在健康被害が現れる恐れに対して〈無料健康診断〉や〈医療費無料化制度〉など、何ら具体化はしていないのが現状です。子どもの命を大切にし、健康被害を防止する立場からは、あらゆる健康被害の気配を察知し、即刻万全の備えをすることを願うものです。日本国憲法で〈個〉の尊厳が謳われ、第25条健康で文化的に生きる権利が保障され、国は誠実にそれを実施しなければならないとされています。この主権者が望む当たり前の願いは、被曝防護としては集団疎開であり、無料の医療検診、治療制度を確立することから始めるべきだと思います。」(P11)

 これらの実行に向けて、いったいどんな難しさがあるというのだろうか。あるいは、これらよりも優先させなくてはいけない、ほかのことがらが何かほかにあるだろうか。

 26年前にチェルノブイリで起きた悪夢が、日本で今後起きないとは誰も言い難い。むしろ、過去3回にわたる甲状腺の「健康管理調査」は、その予兆を示しているし、今後、政府が子どもたちに何の救いの手も差しのべず、子どもたちが被ばくするに任せていたら、どうなるか――。それは「福島は、チェルノブイリ原発周辺地域の12~15倍もの人口密度がある」と柳原弁護士が警告するように、チェルノブイリの比ではない悲劇が、4年ないし5年後といった近い将来に引き起こされることはまちがいない。

内部被ばくの危険性について語る矢ケ崎氏(右)。矢ケ崎氏らの立ち上げた「市民と科学者の内部被曝問題研究会」はそのメンバーも活動内容もすばらしいものだ。下記《関連サイト》参照

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 愚かな母と言うならば言え

俵万智さん
<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>

(2012年2月24日 毎日新聞夕刊)

 日本よ!悲しみを越えて 歌人・俵万智さん

(たわら・まち 1962年大阪生まれ。現代歌人協会賞受賞の第1歌集「サラダ記念日」で口語短歌の裾野を広げた。「愛する源氏物語」で紫式部文学賞。主な歌集に「チョコレート革命」「プーさんの鼻」など著書多数。 <この国はどこへ行こうとしているのか>)

 ◇「便利」の先に何が?――俵万智さん(49)
 あのミリオンセラー歌集「サラダ記念日」から25年になる。<大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋>。日本人が酔ったバブル時代の空気をそう詠んだ人が今、東京から2000キロ以上離れた南の島にいると聞き、会いに行った。

 気温14度。待ち合わせたリゾートホテルの庭には真っ赤なハイビスカスの花が咲いていたが、北風のせいで南国情緒は感じられない。「石垣にしては肌寒いですね」。落ち着いて、すっかり島になじんだ様子の俵さんだったが、東日本大震災当時の状況を尋ねると笑みがすっと消えた。

 「あの日は都内の新聞社にいたんです。読書推進会議の最中にすごく揺れて、『仙台で震度7! 号外が出ます!』という情報が飛び込んできたんです。すぐ実家のある仙台に電話したんですが、手が震えちゃってボタンをうまく押せなくて……」

 俵さんは03年11月に未婚のまま、男児を出産したシングルマザー。一人息子の匠見君を育てながら都心で創作を続けていたが、幼稚園入園を控えて06年に、両親が老後の家を求めた仙台市に移り住んでいた。「母が仙台出身で、父も東北大大学院で学びました。子どもの頃からなじみの深い土地だし、息子を土の園庭で伸び伸びと遊ばせてあげたくて。東京へも日帰り圏内だし、引っ越したんです」

 それから4年余り。かつて家族や恋愛模様をうたっていた歌人の関心の対象は、最も大切な存在である息子へと移った。<だだ茶豆、笹(ささ)かまなども並びおり仙台の子のおままごとには>。母親の眼差(まなざ)しに仙台の風土を織り交ぜた作品を詠むようになったが、震災がそれを中断させた。

 幸い家族は無事だったが、交通機関はストップ。5日目にようやく山形経由で仙台入りした。<電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ>。再会した息子が発した言葉はそのまま歌になった。

 だが、東京電力福島第1原発事故による放射能汚染が重くのしかかった。いとこの勧めもあり、着の身着のまま、息子を連れて2人で仙台を離れる決心をした。<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>。その苦しい胸中を、そんな三十一文字で表した。

 「子どもを被ばくさせてはいけない、安全な所へ逃げようと。那覇便が空いていたので、春休みいっぱいぐらいは様子を見ようかと思ったんです。2月に始めたばかりだったツイッターに『西を目指す』と書いたら、大部分は励ましのツイートが寄せられたのですが、『行ける人はいいね』『もう帰ってこなくていい』とかの批判もあって心に刺さりました」。それでも、息子を守れるのは自分しかいないと思い定めた。

 那覇のホテルにいた2週間、震災ニュースにくぎ付けになった。正月に家族で滞在した南三陸にも津波が押し寄せていた。「2人ともだんだん煮詰まってきたんですね。息子は指しゃぶりを始めたりおかしくなって、私も般若のような顔でテレビを見ていたりして。ちょうど歌人の松村由利子さんが石垣に住んでいることを思い出して連絡したら、『いらっしゃい』と言ってくれ、1週間くらい居候させてもらいました。海に連れて行ってもらったり、近所の子どもと遊んだりしているうちに息子も回復してきて。やっぱり人のつながりがある所にいなきゃダメだなって、つくづく思いました」

 そのまま石垣への長期滞在を決意し、目の前に美しい湾が広がるマンションを見つけた。4月、小学2年生になった匠見君は地元小学校に元気に通い、すっかり地元の言葉も板についてきた。<ダンボールから衣装ケースに移すとき「定住」という言葉を思う>。創作活動はどこにいてもできる??夏休みを過ぎるころから、こんな心境にもなってきた。「私が仕事で留守にする時には、近所の人が息子を預かってくれます。昨日は近所の幼稚園児が我が家に『泊まりたい』『いいよ、いいよ』って。地域社会の中で子どもが育っている感じが、すごく魅力的なんです」と笑う。

 <まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉

 月刊誌「歌壇」の昨年9月号に寄せた歌。原発事故によるパニックを避けるために政府高官がひねり出したごまかしの言葉に、世事を直接的にうたうことを避けてきたはずの歌人は鋭く反応した。

 「国って自分たちに何をしてくれるのとか、今までそういう見方で何かを考えたことはなかったんです。今だってスローガン的には書きたくはない。けれども『直ちに』と言われた時に、後からだって影響が出たら困ります、だって子どもはまだ恋もしたことがないんですよという、母親としての感情ならうたえるかなという気がしたんです」。そうした心境の変化は、子どもへの放射能被害を懸念する全国の母親たちの気持ちをまさに代弁していないか。

 権力者の言葉を信じず、地域住民の手助けがなければ生活もできないスローライフをあえて選択した俵さんは、さらに続ける。「便利は快適だし楽しいし、別にそれを否定するつもりはありません。でも、便利の先に何があるのか、それをどんどん研ぎ澄ませていったところに広がる空気は、それほど幸せでもなかったのかなあって」

 過剰なまでの「便利」の追求――。「その便利の象徴が電気だったような気がします。今、私たちはそのしっぺ返しを受けているんじゃないかと……でも人間ってキリがないんですよね」。消費社会の“魔力”を知る歌人は苦笑した。ホテルのBGMで流れるヒーリング音楽が、耳障りな音に聞こえてきたのは気のせいだろうか。

 取材後、私が運転するレンタカーで、俵さんを市中心部の市役所まで送った。「きっかけは避難でしたが、今はここが気に入って住んでいますね。自宅から市街地までタクシーで30分くらいかかるので、用事をまとめて済ませるようにしているんですよ。これから窓口で子ども手当をもらってこなくっちゃ」

 助手席でそう話した彼女の後ろ姿を見送りながら、自分にとってかけがえのない存在とは何だろうかと考えさせられた。【中澤雄大記者】

元原発作業員 放射線量が高い現場で働かせた関電工を告発

元原発作業員 関電工を告発
(11月1日 NHKニュース)

東京電力福島第一原子力発電所で、事故直後に対応に当たった元作業員が、放射線量が高い現場と知りながら作業を続けるよう指示されたと主張して、作業を請け負った関電工を労働安全衛生法違反の疑いで労働基準監督署に刑事告発しました。

告発したのは、福島第一原発で去年3月から4月にかけて作業に当たった福島県いわき市に住む46歳の元作業員の男性です。

1日会見した男性や代理人の弁護士によりますと、男性は、東京に本社がある関電工の下請け企業の社員として、事故直後の去年3月24日、関電工の社員ら5人と共に、福島第一原発の3号機の原子炉タービン建屋で、地下に電源ケーブルを敷く作業に当たったということです。

建屋の地下には水たまりがあり、同じ場所にいた東京電力の作業員は、空間の放射線量が1時間あたり400ミリシーベルトと計測されたため作業をせずに撤退しましたが、男性らは関電工の作業員から一緒に作業を続けるよう指示されたと主張しています。

男性は地下で働くことを拒否し、主に1階で1時間ほど作業しましたが、およそ11ミリシーベルト被ばくしたということです。このため、男性は、放射線量が高い現場と知りながら作業を続けるよう指示されたと主張して、関電工を労働安全衛生法違反の疑いで労働基準監督署に刑事告発しました。

また、作業を発注した東京電力についても、作業員の安全を確保する必要な措置を怠ったとして労働基準監督署に是正を指導するよう求めました。男性は「福島第一原発で働く作業員が、私のように危険な目に遭うことなく安全に仕事ができるよう改善してほしい」と話しています。

今回の告発について、関電工は「作業が終わったあとで、東京電力の作業グループから空間の放射線量が高いことを知らされ、一緒に撤退したと認識しており、作業を行った時点では線量が高いとは認識していなかった。労働基準監督署の調査には真摯に対応したい」と話しています。

また、東京電力は「詳細が分からないのでコメントできないが、引き続き安全対策を徹底したい」と話しています。


東電のウソ 原発作業員登録数 説明の3分の1だった 
被曝量が多い過酷な作業で辞める人が多い

福島原発は地震で電源を喪失 津波の到達はその後 

福島第1原発事故 「原因から地震排除」 
国会調査委の田中三彦さん、講演で国や東電批判 /宮城
(毎日新聞 2012年11月04日 地方版)

 東京電力福島第1原発事故をめぐる国会の事故調査委員会で事故原因調査を担当した田中三彦さんの講演が3日、仙台市青葉区で開かれた。福島第1原発事故について「原因が究明されていないのに、原因から地震の揺れを排除しようとしている」と国や東京電力の姿勢を批判したうえで、東北電力女川原発について「“被災原発”として、東日本大震災の後遺症の調査が全く不十分。再稼働を論ずることすら時期尚早」と訴えた。【藤田文亮】

 ◇女川原発「震災後遺症ある」

 講演は「女川原発の再稼働を許さない!みやぎ秋の集い」の一部。田中さんは元原子炉設計技師で、「福島原発事故の実態と女川原発再稼働の問題点」と題した講演に、約300人が聴き入った。

 田中さんは、福島の事故について、原発の運転日誌や運転員の証言の精査から、電源喪失時間が事故当日の午後3時35〜36分で、高さ10メートルを超える大津波の到達はその後の同37分であることが写真などから分かった、と報告。「つまり、津波の前に電源が失われており、事故の本当の原因が地震の揺れだった可能性を示している」と強調し、「国や東京電力は、全国の原発に影響が広がるのを嫌がり、事故原因を津波だけのせいにしようとしている」と論難した。

 女川原発についても、「震災で相当の後遺症を負っているはず」と指摘。新潟県中越沖地震(07年)で損傷した東京電力柏崎刈羽原発ではいまだに耐震安全性の確認が済んでいないとしたうえで、「女川原発は、津波被害からは紙一重で免れたが、大きな揺れを体験した被災原発。ボルト1本までの調べる必要がある。ストレステスト程度では安全性の確認にはほど遠い」と主張した。

東電のウソ 原発作業員登録数 説明の3分の1だった 被曝量が多い過酷な作業で辞める人が多い

福島第一原発の事故は収束しておらず、今も放射性物質を放出し続けており、現場で事故処理作業に従事している作業員の被ばく量も多い。そうした過酷な「被ばく労働」を体験して辞める人も多く、作業員の確保ができていないことが明らかになった。こうした状況がある中で、他の原発を稼動させればさせるほど「被ばく労働者」がより多く必要になり、福島原発の作業員が不足していくだろう。

原発作業員登録数 説明の3分の1だった
(2012年11月5日 18時47分 NHKニュース)から抜粋

東京電力が、福島第一原子力発電所の廃炉に向けて、現場で働く作業員として登録した人数が、先月時点で、これまで説明してきたおよそ2万4000人より少ない、8000人であることが、取材で分かりました。
東京電力は、「再び登録する人がいる」などとして、短期的には作業員の確保に問題はないとしていますが、長期的な確保に懸念が出ています。

福島第一原発では、メルトダウンした3つの原子炉の核燃料の取り出しなど、前例のない廃炉に向けた作業が続けられていて、今も1日3000人が働いていますが、過酷な作業で辞める人も多く、作業員の確保は大きな課題です。

これについて東京電力は、ことし必要となる作業員の人数を1万1700人と想定し、これに対して、現場で働くために登録した人がおよそ2万4000人いるとして、「要員の不足は生じない見込み」と、これまで説明してきました。ところが、この2万4000人は、事故以降、福島第一原発で働いたことのある作業員の総数で、このうちの1万6000人はすでに登録を解除し、先月時点で登録のある人は8000人であることが、東京電力への取材で分かりました。東京電力は、「いったん登録を解除しても再び登録する人がいる」などとして、短期的には作業員の確保に問題はないと説明しています。

しかし、再登録した作業員の人数を把握していないうえ、一度現場を離れた人が再び登録する保証はなく、その一方で必要な人数は想定より増え続けており、作業員の確保の見通しは不透明な状況です。こうした状況について、東京電力は「確保できる作業員の人数が、一定の幅を持って不確かさであることは事実だ。今後、長期的な確保が相当難しくなる可能性があり、人材の育成に力を入れていく必要がある」と話しています。


元原発作業員 放射線量が高い現場で働かせた関電工を告発
(11月1日 NHKニュース)から抜粋

東京電力福島第一原子力発電所で、事故直後に対応に当たった元作業員が、放射線量が高い現場と知りながら作業を続けるよう指示されたと主張して、作業を請け負った関電工を労働安全衛生法違反の疑いで労働基準監督署に刑事告発しました。


福島第1原発の作業員被曝線量、平年の16倍 事故後1年の総量
(2012/7/25 日本経済新聞)

 東京電力福島第1原発で事故が起きた昨年3月から今年2月末までの1年間に、同原発で作業した人の被曝(ひばく)線量の総量である「集団被曝線量」が、事故前の通常の年の約16倍に上ることが25日、東電の集計で分かった。

 同原発では高線量の場所が相次いで見つかっており、廃炉に向けロボット導入など作業被曝を抑える態勢整備が課題になりそうだ。作業員が線量計を鉛カバーで覆い線量を偽装したケースも発覚しており、正確な線量の把握も求められる。

 集団被曝線量は、作業員一人一人の被曝線量を足した総数で、単位は「人シーベルト」。作業被曝を低減するための目安などに使われる。

 東電などによると、福島第1原発では事故前の2009年度の1年間は14.9人シーベルトだったのが、事故後は244.6人シーベルトと跳ね上がった。事故があった昨年3月だけで約半分の120.2人シーベルトを占めた。

 同原発では、2月末までの1年間に約2万人が平均約12ミリシーベルト(1ミリシーベルトは1シーベルトの千分の1)被曝した。作業員の被曝量の最高値は678.8ミリシーベルト。09年度は約1万人で平均1.4ミリシーベルトだった。

 事故後に引き上げられた職業被曝の上限値250ミリシーベルトを超えたのは、5月末現在で6人。発がんリスクがわずかに上昇するとされる100ミリシーベルト以上は6人以外に161人に上る。通常時の職業被曝の年間線量限度である50ミリシーベルト以下の人が96%だった。

 1986年のチェルノブイリ原発事故では、作業員や住民を合わせた集団被曝線量は60万人シーベルトに上ったとされる。〔共同〕

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上記記事に「発がんリスクがわずかに上昇するとされる100ミリシーベルト以上」という表現があるが、以下の記事にあるように、5ミリシーベルトの被曝でガンになった原発労働者が労災の認定を得ている。また、ノーベル賞を受賞した米国の「社会的責任を果たすための医師団」も伝えているように、100ミリシーベルトの線量を受けたときの発がんリスクは100人に1人、10ミリシーベルトでは1000人に1人、そして1ミリシーベルトでも1万人に1人である。「発がんリスクがわずかに上昇するとされる100ミリシーベルト以上」という表現は適切な表現だとは思えない。(中村コメント)

原発労働者のガン 5ミリシーベルトで労災認定 福島では250ミリ

原発作業員:被ばくでがん 労災10人 (毎日新聞 2011年7月26日)から抜粋

 ◇9人は100ミリシーベルト以下

 東京電力福島第1原発事故で収束作業にあたる作業員が緊急時の上限250ミリシーベルトを超えて被ばくするケースが相次いだが、過去にがんを発症して労災認定された原発作業員10人のうち9人は累積被ばく線量が100ミリシーベルト以下だった。遺族からは福島第1原発の作業員を案じる声が上がる。 

 厚生労働省によると、10人は作業中に浴びた放射線を原因として労災認定された。内訳は白血病6人、多発性骨髄腫2人、悪性リンパ腫2人。累積被ばく線量が最も高かった人は129.8ミリシーベルト、残り9人は100ミリシーベルト以下で、最も少ない人は約5ミリシーベルトだった。

ノーベル平和賞の「社会的責任を果たすための医師団」が警告
(警告は、2011年3月23日)(掲載記事 2011/04/16 風の便り)から抜粋

日本で危機が続く中、人に発がんの危険が生じるのは最低100ミリシーベルト(mSv)被曝したときだという報道が様々なメディアでますます多くなされるようになっている。これまでの研究で確立された知見に照らしてみると、この主張は誤りであることがわかる。100 mSv の線量を受けたときの発がんリスクは100人に1人、10 mSv では1000人に1人、そして1 mSV でも1万人に1人である。

学校放射線基準は「安全でない」 ノーベル賞受賞の米医師団
(2011/05/02 共同通信)

 福島第1原発事故で政府が、福島県内の小中学校などの屋外活動制限の可否に関する放射線量の基準を、年間20ミリシーベルトを目安として設定したことに対し、米国の民間組織「社会的責任のための医師の会(PSR、本部ワシントン)」が2日までに「子供の発がんリスクを高めるもので、このレベルの被ばくを安全とみなすことはできない」との声明を発表した。

 PSRは1985年にノーベル平和賞を受賞した「核戦争防止国際医師の会」の米国内組織。

 声明は、米科学アカデミーの研究報告書を基に「放射線に安全なレベルはなく、子供や胎児はさらに影響を受けやすい」と指摘。「年間20ミリシーベルトは、子供の発がんリスクを200人に1人増加させ、このレベルでの被ばくが2年間続く場合、子供へのリスクは100人に1人となる」として「子供への放射線許容量を年間20ミリシーベルトに引き上げたのは不当なことだ」と批判した。

2012/11/05

福島原発事故と水俣病の教訓 原田正純医師に聞く

もう一度、読み直したい記事

福島原発事故と水俣病の教訓 原田正純医師に聞く
(2011年9月8日 東京新聞)

天災ではなく、人災。企業も国も責任回避に走る―。公害病の原点となった水俣病と福島原発災害とは共通点が多い。水俣病研究・治療の第一人者で、熊本大助教授や熊本学園大教授を務めた原田正純医師は「この二つは非常に似ていて非なるもの。放射性物質による被害はもっと複雑で対策は困難だ」と語る。「水俣の教訓を生かし、腰を据えて問題に取り組まねば」と話す原田医師に聞いた。 (出田阿生)

 福島原発事故では、空気や土に加え、高濃度の汚染水が海に放出され、魚介類などからも高濃度の放射性物質が検出された。放出の際、複数の専門家たちは「放射性物質は海水で薄まるので、環境への影響は少ない」などとコメントした。

 原田医師は「これを聞いて、僕は腰を抜かすほど驚いた。海で薄まるから大丈夫なんて、学者の言うことか。水俣では海で薄められた有機水銀を食物連鎖で魚介類が濃縮して大変なことになった。教訓がまったく生かされていない」と憤る。

 当初、原田医師は原発事故は地震と津波による天災だと思った。だが、次第に「人災だ」と確信するようになった。人為的に引き起こされた広大な環境汚染。科学技術への過信。国策と企業の利益が優先され、住民が切り捨てられてきたこと―。水俣病と原発事故の共通点に思いをはせる。
 「行政は自分らに都合が良い学者だけを重用する。僕は何十年も水俣病患者を診てきているけれど、一度も行政の委員会に呼ばれたことはない。国から一銭も研究費をもらってないのは、むしろ誇りですけどね」

 原発の危険性を指摘する学者たちも徹底的に排除されてきた。「原子力推進は国家そのもの。圧力は水俣病の比ではないだろう」と推測する。
 ただ、一方で「原発災害は水俣よりもはるかにやっかいだ」と話す。

 水俣病には手足の感覚障害など特徴的な症状がある。しかし、放射性物質によるがんなどの発症は、他の原因による場合と区別がつきにくい。

 原因物質も放射性物質には複数の種類があり、人体への影響はより複雑だ。しかも健康被害が表面化するまでに何年、何十年とかかる。原爆被害と比較しても、事故では長期間、低線量の放射性物質が影響しそうだ。

 原田医師は「被害の認定をする機関は医者だけで構成してはだめだ。住民代表を入れる必要がある」と訴える。自らの水俣での経験から未知の分野では、既存の知識で説明しようとする医師は逆に誤りやすいという。
 水俣病では当初「母体に守られた胎児に影響はない」という説が支配的だった。しかし、「みんな同じ症状じゃないか」という当事者の母親たちの言葉をきっかけに、原田医師らは胎盤を通じて中毒になる胎児性水俣病を初めて立証した。

 日本の水俣病では、専門委員会は医師ばかりで構成された。複数の症状がなければ認定せず、地域や出生時期で線引きすることで患者を切り捨てた。一方、カナダの水俣病では認定機関は医師以外に法律家や被害者代表たちも参加している。

 原田医師は「水俣病みたいな単純な構造で起きた病気でも、一定のめどがつくまでに50年以上かかっちゃった。原発災害では、被害者を交えて議論を公開していく必要がある」と強調する。

 水俣病では健康調査の実施が遅れ、被害が拡大した。今回、福島県はすでに県民健康調査に着手している。原田医師は「初期に健康調査をやるのはいい。だが『被害はなかった』という行政の言い訳に使われてはならない」と注意を促す。「住民の不安を取り除く」目的で調査をすると、被害の過小評価につながりかねないからだという。

 原田医師は住民の長期的な健康管理や体調の異変に対応できる恒久的な窓口の設置が不可欠と説く一方、「調査が新たな差別を生まないようにしなければ」とも話す。
 原爆症や水俣病では、結婚や就職への影響を恐れ、検診を受けることを控える動きがあった。
 「将来起こり得る差別にどういう手だてを講じるのか。政治家を中心に全力で考えないと」

 加えて、原田医師がよく使うのが「差別のある所に公害は生まれる」という言葉だ。
 「僕も最初は病気のせいで水俣病患者が差別されていると思っていた。だが、世界各地の公害現場を歩くうち、差別される場所に公害というしわ寄せがくると分かった。原発も都会で使う電力を地方でつくり、廃棄物まで押し付けられる」

 訪れた場所の一つにインド中部ボパールがあった。そこで1984年、米ユニオン・カーバイド社の農薬工場が爆発した。工場には五種類の安全装置があったという。「その五つが同時に作動しなくなるのは、天文学的な確率といわれていた。まるで今回の原発事故も同じだ。安全性は確率では計れない」
 死者は一夜で二千人以上、五万人が中毒になったといわれるが、貧困層が集住するスラム街で起きた事故ゆえ、被害の全容は分かっていない。

 事故翌年に原田医師が現地を訪れると、死んだ赤ん坊を抱いた母親像が建てられていた。台座には「ノーヒロシマ ノーボパール 私たちは生きていたい」とあった。
 「教訓っていうのはそもそも何を失敗したのかということを発信することです。反省なしに発信は無理だ」と原田医師は言う。環境省は2013年制定を目指す水銀規制の国際条約に「水俣条約」と命名しようと提案している。しかし、不知火海沿岸の住民健康調査は実施されておらず、水俣病被害の全容は明らかにされていない。原田医師は反省は形にすぎないのでは、といぶかる。

 今回の原発事故では、税金が賠償に投入されそうだ。「納税者は被害者救済という第三者感覚ではなく、賠償という認識を持ち、東電や国の責任を明確にしなくてはならない」と力を込める。
 原発事故も水俣病も根幹には「豊かな暮らしを支える技術革新のプラス部分だけを求め、マイナスを社会的弱者に押しつける」という風潮があったと原田医師はみる。その結末が導いた単純な教訓をこう語った。
 「でも、そのために命や健康を失う人がいる。幸せな社会だろうか」

<水俣病> 新日本窒素肥料(1965年からチッソに改称、2011年3月に分社化)水俣工場の工業廃水に含まれていたメチル水銀が海に排出され、生物濃縮された魚介類を食べることで発生した公害病。1956年に公式確認された。59年に熊本大医学部の研究班が「原因物質は有機水銀」と発表したが、企業も国も責任を認めず抜本対策をとらなかったため、被害が拡大。国は68年になって、因果関係を認めた。刑事裁判としては88年、最高裁で元チッソ社長と元工場長の有罪判決が確定。複数の損害賠償請求訴訟も起こされ、関西訴訟では2004年、最高裁が水俣病の被害拡大について国と県の責任を認めた。

<デスクメモ> 40年前に自主講座「公害原論」を開いた東大助手(当時)の故宇井純氏は「学問というものは場合によっては立身出世に役立つものではなく、ことによると、それを知っていることが生命にかかわるようなもの」と書き残した。原田さんも後者を追求してきた。その誠実さが社会の暗部に光を当てた。(牧)

「水俣学の遺志継ぐ」 原田正純さん、悼む声相次ぐ
(2012年6月13日 朝日新聞)から抜粋

 11日に急性骨髄性白血病で亡くなった水俣病研究の第一人者、原田正純さん=元熊本学園大教授。77歳だった。「戦後最大の公害事件」と向き合ってきた医師の死を惜しむ声が各界から相次いだ。

 原田さんが医学的な助言をしたという石牟礼道子さんの著書「苦海浄土」。その作品を「世界文学全集」に編集した作家の池澤夏樹さん(66)は「『水俣』は終わっていない。もっと働いてもらいたかった」と残念がる。「病気を研究する中で、自然に被害者の立場に立ち、思想に裏付けられた科学者だった。結論をねじまげる科学者が多い中で、重大な仕事をした人」

 ノンフィクション作家の澤地久枝さん(81)は講演会や会合で原田さんと顔を合わせてきた。「大きな痛手です。勇気を持って告発され、あれほど丁寧に患者さんとお付き合いをされた方は他にいません」

 公害・環境問題に関わる人でつくる日本環境会議の代表理事だった原田さん。3月に松江市内で開かれた大会で、水俣病と福島第一原発事故を比較し、「放射能は海に出て薄まる」との専門家らの意見に怒った。「海で薄くなったものが食物連鎖で濃縮されたのが水俣の教訓ではないか」

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