2012/12/16

「原子力は間違い やめるしかない」 小出裕章(12月16日東京新聞)

今日、投票日の東京新聞 ― 全国紙になってほしいなあ。

2年後の定年後について尋ねると「生きているかどうかも自信がありません」との答え。聞くと、次男が障害がある状態で生まれ、3カ月で退院しながら半年で亡くなった経験から、「生き物はいつ死ぬか分からないと心底思っている」と打ち明けてくれた。この「決定的に私に教えてくれた」という死が、小出さんを強く、優しくしたのではないかと思った。

◆ 原子力は間違い やめるしかない
小出裕章 京都大原子炉実験所助教
(2012年12月16日 東京新聞)

東京電力福島原発事故が起きてからは、各地の講演会に引っ張りだこの京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)助教の小出裕章さん(63)だが、それまでは少数派の一人として反原発を訴えてきた。足尾鉱毒事件に半生をささげ、来年没後100年になる政治家田中正造を最も敬愛する人物に挙げる。反骨の学者はどうやって生まれたのか。(稲垣太郎)

●田中正造を最も敬愛しておられます。

大学に入ったころは日本の公害問題が顕在化した時代でもあった。水俣病も猛烈に悲惨な状態になっていたし、日本の公害というものがどこで、どんなふうに起きて、広がって、どんなふうになってきたのかということに無関心ではいられない時代だった。公害の問題をあれこれと調べて勉強していたのですが、水俣病とかイタイイタイ病とかのずっと前に足尾鉱毒という問題があったということに突き当たった。自分で調べ、正造さんに巡り合いました。

生き方そのものがあまりにも強烈で。会社、大学でもいいですが組織に入ると組織の論理というものが必ずあるわけで、組織の論理は、その社会の体制の論理にほとんどが組み込まれている。正造さんが生きた時代だって、明治大正の時代で、日清、日露戦争を戦って、日本が強国になることが大切なんだという論理があった中で足尾鉱毒という問題が起きた時に、組織や体制の論理ではなく、自分の論理をきちんと持って、忠実に生き抜いたのです。

●正造の生まれ育った栃木県佐野市での講演では、正造が心の支えになったと話されました。

正造さんは栃木県の県議会議員になったり、議長になったり、第一回帝国議会の議員になったりと出世街道まっしぐらで人生を歩んだけども、政治や議会というものが人々の幸せの妨害になっていると気付き、議会を捨て、自分のそういう人生を捨てたんですね。その後は自分の信念に従って生きるという生き方を選択し、死ぬまでそうしたわけです。

私も初めは原子力に夢を持ってしまったけれども、それが間違いだと気付いた以上、捨てるしかなかったし、捨てて以降はとにかく自分の思うところを忠実に生きるしかないと思っているので、正造さんが示した人生を生きたいと生きています。

●原子力との出会いからお聞かせください。

中学、高校の時に東京で広島、長崎の原爆展がしきりに開かれ、何度も見に行く機会があった。原爆というのはひどいものだなと思ったし、同時に猛烈なエネルギーを出すものだなと頭に刷り込まれた。当時は原子力に夢をかけていた時代でした。例えば手塚治虫さんが鉄腕アトムを描いていて、アトムの妹はウランちゃんという、そんな時代だった。

原子力を軍事的に使えば悲惨なことになるけれど、平和的に使えばきっと役に立つと思い込んでしまった。それで大学(東北大)に行くときに原子力を選んでしまった。とにかく原子力をやりたいという思いに凝り固まっていた。学生服を着て、授業は1時間も欠席することなく受けた。

●その後、転機が来たんですね。

1969年1月の東大安田講堂の攻防戦を生活協同組合の購買部に置いてあったテレビで見て、今、大学で起きていること、大学闘争でやっていることが何なのかを考えざるを得なくなった。ちょうどそのころ、東北電力が原子力発電所を造る計画を発表した。原子力をやりたい私としては歓迎しましたが、建設場所は電気をたくさん使う仙台という大都会ではなく、女川という本当に小さな漁村に建てるということになった。女川の人たちが「何でだ」という声を上げたんですね。

日本中、世界中が原子力の夢に浮かれていて、原子力発電はちゃんとやれば安全だし、猛烈に役に立つものだという宣伝ばっかりだった時に、女川の人たちは「どうして自分たちの所に持ってくるのか」と疑問の声を上げたのです。

どうしてなんだろうという疑問が私の中に起こった。他方で大学闘争があり、他方で原発建設という計画があり、大学闘争に向き合わざるを得なくなって。一体何をしているんだろうかと考えて、たどり着いた結論が、自分やろうとしている学問が社会の中でどういう意味を持っているのか考えるべきだというのが大学闘争の問い掛けだったと気付いた。

自分がやろうとしている学問は原子力なわけだから、それの社会への表れ方、つまり、原子力発電がどういう意味を持っているのか答えざるを得なくなった。なぜ原発を大都会の仙台ではなく、女川という過疎地に建てるのかという答えを探し始めた。だが東北大工学部原子核工学科もそうですけど、原子力を推進するための教育をする場所だったので、教員は皆、原子力はよいものだという教育しかしてくれなかった。いくら聞いても、どうして仙台ではなくて女川なんだということに答えられない。そうなると自分で勉強するしかないということになった。

ちょうど当時は米国で原子力に対する科学的、専門的な問題の洗い出しが出てきたころで、米国から入る情報を入手して勉強した。そして工学部の教員たちと論争を始め、たどり着いたのが、原子力発電には都会では引き受けることができないほどの危険を持っているが故に過疎地に押しつけるのだという結論だった。そう決してしまうと私としてはそんなものに人生をかける気はしないし、そんなものを許すこともできないと思うようになり、以降、原子力発電をやめさせなければならないという生き方をすることになった。

●大学院を経て助手として就職した京大原子炉実験所では助教授や教授の公募に応募しなかった。

昇進のことですか。私を採用する時も公募という制度で採用されているのですね。この実験所の教員の採用は全て公募です。助教授も教授も公募して、応募した人の中から誰かを選ぶ。私自身は助教授や教授になりたいわけでもないし、自分のやりたいことができればいいのであって、組織の中で上のポストに就いて、人を動かすという役割はしたくなかった。だから一度も応募をしないで今日まできています。

教員の独創性を重んじるという京大の特殊性と、職場の特殊性が合わさって、誰かから命令されたり、迫害されたりということが全くないままここにいます。

●大学生の時の決意をずっと今まで貫けたのはなぜでしょうか。

例えば正造さんだったら何度も投獄されるなどものすごい困難の中で貫いたが、私は何の苦労も、組織からのバッシングや命令を受けたこともなく、国家から逮捕されたこともなく、この研究室で好きなことをやることができる。何の困難もないぬるま湯のような状況の中でずっと生きてきてしまって、貫くも何も、ないのです。最高の居心地の中でやりたいように生きてきた。それだけです。

【こいで・ひろあき】
1949(昭和24)年東京都台東区で衣服製造販売業を営む父親の次男に生まれる。開成中、高校を経て、68年東北大工学部に入学。74年に同大学院工学研究科修士課程を修了し、京都大原子炉実験所に助手として就職。四国電力・伊方原発設置許可取り消し訴訟の住民側証人となり、各地の原発周辺の放射線量の測定を始める。

東京電力・福島第一原発事故後の2011年5月、参院の行政監視委員会に孫正義ソフトバンク社長らと参考人として出席し、原子力行政の行き詰まりを指摘した。著書は「隠される原子力・核の真実」(創史社)、「いのちか原発か」(共著、風媒社)など多数ある。

【インタビューを終えて】
取材を申し込んだメールの返信には「毎日を戦争のように過ごしており」とあった。田中正造の大きなパネル写真が飾られた研究室は、極力電気を使わないように照明が落とされ、パソコンの画面だけが光っていた。

2年後の定年後について尋ねると「生きているかどうかも自信がありません」との答え。聞くと、次男が障害がある状態で生まれ、3カ月で退院しながら半年で亡くなった経験から、「生き物はいつ死ぬか分からないと心底思っている」と打ち明けてくれた。この「決定的に私に教えてくれた」という死が、小出さんを強く、優しくしたのではないかと思った。

2012/12/08

作家の片山恭一さん 玄海原発差止裁判で、「愛をさけぶ」

「世界の中心で、愛をさけぶ」を書かれた作家の片山恭一さんが、昨日の玄海原発差止裁判で、「魂の意見陳述」をされました。一人でも多くの人に伝えたいメッセージです。

まさに片山さんは今、「愛をさけんでいます」

2012年12月7日

原告 片山恭一

私は文筆を生業とする者で、主に小説を書いています。学生のころから、核兵器を含め核エネルギーという人間の技術にたいして、心情的な嫌悪と反発を感じてはきましたが、かといって積極的に反対してきたわけではありません。

原発の安全性についても、多くの日本の国民と同じように、福島の事故が起こるまでは、ほとんど無関心であったと言っていいのです。そのことを強く後悔しながら、いまあらためて核エネルギーについて考えようとしています。

福島の事故が起こってまず思ったことは、私たちは歴史上はじめて、未来の者たちから憎まれ、蔑まれる先祖になったのかもしれない、ということです。

私たちは子どものころから、先人たちを敬い、感謝することを教わってきました。そうした教えは、実感ともずれていなかったと思います。この暮しは、昔の人たちが連綿として培い、築き上げてきてくれたものの上に成り立っている。そう素直に信じることができたのです。

しかしいまや、状況はすっかり変わってしまったと言うほかありません。未来の者たちが私たちにたいして抱く思いは、敬いでも感謝でもなく、「なんということをしてくれたのだ」という、恨みとも憎しみとも蔑みともつかない、やり場のないものではないでしょうか。

原子力発電は、ウラン鉱の採掘からウラン燃料の濃縮、発電に至るまで、すべての過程で多くの放射性廃棄物を産出します。

高レベル放射性廃棄物の場合は、深度三百メートル以上の地層で数万年以上にわたって管理する必要があるとされています。これは「地層処分」と呼ばれ、現時点では唯一の最終処分法と考えられているものです。ノルウェーでは、一億八千万年間動いてないことが確認されている花崗岩の岩盤に、深さ五百メートルの地下施設を作って、最終処分場にしようという計画が進んでいるそうです。しかし地殻変動の活発な日本では、このような地下処分は不可能でしょう。そこで今後、五十年から数百年にわたって暫定的に保存し、そのあいだに最終処分法を考えようという案が浮上しています。

「最終処分」と言うのだそうです。放射性廃棄物の最終処分……どこかナチスのユダヤ人絶滅政策を連想させないでしょうか。「最終処分」というプロセスを伴っていることが、すでに決定的に間違っているのではないか。そう考えてみるべきではないでしょうか。地中から取り出したウラン鉱石をエネルギーに利用し、その廃棄物を最終処分する。それが地球を、あるいは世界そのものを最終処分することにならなければいいと思います。

いったい誰が、どのような権利があって、こんなことをはじめたのでしょう。五十年から数百年にわたって暫定的に保存すると言っても、数百年先のことなど誰にもわかりません。日本という国はなくなっているかもしれないし、人類だってどうなっているかわからない。ほとんど人間が生存するかぎり管理しつづけなければならないものを、私たちは現在の自分たちの生活のためだけに作りつづけています。たった半世紀ほどのあいだに繁栄を謳歌した、地球上のごく一部の人間が、この先数万年に及ぶ人間の未来を収奪しつつあると言っていいのではないでしょうか。

いくらノーベル賞級の知性を結集したと言っても、私たちのやったこと、やりつづけていること、将来もやりつづけようとしていることは間違いなく浅知恵です。人間は技術的に高度化すればするほど、深刻な浅はかさにとらわれていく。一流の頭脳をもった人たちが一生懸命にやっていることを集積すると、ほとんど人間性を根底から否定してしまうほどの、巨大な愚かしさが立ち現れてしまう。そういう恐ろしさ、忌まわしさが人間の技術にはある気がします。

数十年先、数百年先には、核にたいするテクノロジーは格段に進歩しているかもしれない。原子力発電所は安全に運転されるようになっているだろうし、核燃料サイクルは確立されているだろう。「死の灰」を無毒化する方法も見つかっているかもしれない……そのように考えることが、まさに浅知恵なのです。

本当の「知恵」とは、未来の者たちにより多くの選択肢をもたらすことではないでしょうか。核エネルギーの研究や開発をつづけるかどうかは、あくまで未来の人たちが判断することです。これまでに生み出された放射性廃棄物を処理するためだけにも、彼らは否応なしに、核エネルギーの問題に取り組みつづけなければならない。このことをとっても、すでに私たちは、既定の未来を彼らに押しつけているのです。将来に不確かな期待をもつことは、さらに彼らの未来を収奪しつづけることになるでしょう。

数万年以上にわたり貯蔵・保管しなければならない物質を生み出すような技術を、過去に人間はもったことがありません。この厄介な物質をどうするかということは、私たちがはじめて考えなければならないことです。ここに原子力発電という技術に伴う、大きな倫理的空白が生じているのです。この空白に付け入ってはならないと思います。それはかならず大切な人間性を損ない、私たちをいかがわしい生き物にしてしまいます。

最後に、私がたずさわっている文学の話をさせてもらいたいと思います。文学とは本来、人間の可能性を探るものです。人間はどのようなものでありうるか。小説とは、それをフィクションという設定のなかで問うものだと、私は考えています。

核エネルギーとともにあることで、私たちは人間の可能性を探ることができなくなってしまいます。なぜなら核廃棄物という、自分たちに解決できないものを押しつけるというかたちで、私たちは数万年先の人間を規定し、彼らの自由を奪ってしまっているからです。

少なくとも私のなかでは、核エネルギーの問題を放置して小説を善きつづけることは、自らの文学を否定してしまいかねない矛盾と欺隔を抱えることになります。これが原子力発電所の廃絶を求める裁判に、私が参加しているいちばん大きな理由です。

自分はいかなる者でありうるか、ということをあらためて考えたいと思います。私たちが個人でなしうることは、一人の人間の身の丈を、それほど超えるものではありません。しかし私たちが「こうありたい」と望むことは、過去と未来を貫いて、人間全体を眺望しうるものです。

そのような眺望をもって、自分の死後に生まれる者たちと、どのようにかかわるか、いかなる関係をもちうるか。それが経済や暮らしとはまったく次元を異にする、人間の自己理解の根本にある問題です。

過去を健全に引き継ぎ、歪曲されない未来を受け渡していこうとすることによって、私は自らが望むべき者でありたいと思います。そして私たち一人一人の人間性を深刻に損なってしまう原子力発電からの速やかな離脱を、この裁判をとおして強く訴えたいと思います。

以上、意見陳述を終わります。

2012/12/06

<イラク>新生児の異常急増 04年以降 

大量破壊兵器を持っているという「無実の罪」で米軍などに攻撃されたイラクのファルージャで「障害児」の出生割合が急激に増加している。
91~00年では1.72%
01~03年では10.5%
04~06年では30.3%
07年以降では 54.3%

<イラク>新生児の異常急増 04年以降
(2012年12月3日 毎日新聞)

 【ロンドン小倉孝保】イラク中部ファルージャで米軍による激しい軍事作戦が行われた04年以降、障害児の出生割合が急激に高まっている可能性があることがわかった。イラクや米国の研究者らが国際医療科学誌に論文を発表した。爆弾などに含まれた毒性金属が母体を通して新生児体内に蓄積された可能性を指摘している。

 論文は「シュプリンガー」の9月16日号に米ミシガン大の環境毒素学者、サバビエアスファハニ氏やバスラ医科大のサバック講師ら6人が連名で発表した。イラクの戦争被害については南部バスラなどで劣化ウラン弾の影響が疑われる事例が報告されているが、ファルージャでの出生異常に関する科学的報告は初めてとみられる。

 2010年にファルージャ総合病院に出産や産後治療に訪れた計56家族を対象に1991年から2010年までの20年間について、夫婦のほか双方の親や兄弟など親族も含めた出産状況を聞き取ってまとめた。

 その結果、91年から20年間に生まれた新生児は計202人。91~00年では新生児58人のうち障害があったのは1人(1.72%)、01~03年では19人のうち2人(10.5%)だったのに対し、攻撃が激化した04~06年では33人のうち10人(30.3%)、07年以降は92人のうち50人(54.3%)に障害があった。「04年以降」の障害児出生割合(48%)は「03年以前」(3.89%)の約12倍。主な障害は心臓疾患、神経系疾患などだった。

 また、新生児と両親の毛髪を分析した結果、障害を持つ新生児は障害のない新生児に比べ鉛含有量が5倍、水銀含有量が6倍だった。ウラン含有量に差はなかった。親の毛髪の鉛、水銀の含有量にも大きな差はなかった。

 障害児出生割合が高まった原因として、米軍が使用した爆弾などの毒性金属が水や食料から母体を通して新生児の体内に入った可能性を指摘している。爆弾や銃弾には、水銀や鉛などの毒性金属が含有されているという。

 ただ、ファルージャ総合病院で過去の出生記録が発見できず聞き取りで出生状況をまとめたため、過去にさかのぼるほど記憶違いが大きくなる可能性や、障害を持つ新生児の出生をより強く記憶している可能性もある。

 サバビエアスファハニ氏は毎日新聞に「論文は、ファルージャの人々が毒性金属に汚染され、出生異常割合が驚異的に高まっているていることを示した。障害児出生は今後も増える可能性があり広範囲な環境調査を急ぐべきだ」と述べた。米国防総省広報担当者は「ファルージャなどで米軍の武器に含まれる金属と障害児出生増加を関連付ける公式報告はない。我々は戦闘地域での人々の健康には常に最大の関心を持っている」と話している。



*日本も米兵を輸送するなどして、米軍をサポートする形でイラク戦争に加担した。開戦前にブッシュ大統領やチェイニー副大統領が「イラクは大量破壊兵器を保有している」とメディアを通して繰り返し広言していたため、開戦後に大量破壊兵器が発見されなかったことでこの戦争の『大義』が失われた。

日本には、憲法9条があったため、直接、戦闘に参加することはなかった。しかし、その憲法を自民党の安倍総裁や維新の会の石原代表は改定しようと考えている。

安倍総裁、憲法改正を争点化の考え 次期衆院選
(2012年9月30日 朝日新聞)から抜粋

 自民党の安倍晋三総裁は30日、京都府綾部市で講演し、憲法改正について「(改正発議に)反対と思っているような横柄な国会議員には次の選挙で退場してもらいたい」と語り、次期衆院選で憲法改正を争点化する考えを示した。

 安倍氏は、各社世論調査で過半数が憲法改正すべきだと答えていると指摘。憲法96条で発議要件が国会議員の3分の2以上となっていることについて、「たった3分の1ちょっとの国会議員が反対すれば(憲法改正が)できないのはおかしい」と述べ、96条の要件を2分の1に緩和するべきだとの考えを強調した。

2012/12/04

福島の健康調査「不十分」 国連人権理事会の専門家が指摘 

「いのち」と「人権」を守るために、非常に重要な
国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメント

国連専門家が国・県批判
ヨウ素剤無配布、健康調査不開示

(2012年11月29日 東京新聞)

国連専門家が国・県批判

「政府が住民にヨウ素剤を配布していなかったのは残念」「福島県の健康管理調査は不十分」─。福島原発事故の被災地などを現地調査した国連の専門家は、行政側の「被災者目線」の欠如を批判した。政府や県は国際社会の厳しい視線を受け止め、説明責任を果たせるのか。(林啓太)

福島で聞き取り調査

原発事故の被災地を調査したのは、国連人権理事会で健康分野に携わるインド出身の弁護士アナンド・グローバー氏。12日間の日程で、行政担当者や被災地の住民たちから聞き取りし、最終日の26日に暫定の調査結果を記者発表した。

グローバー氏は政府が原発周辺でヨウ素剤を配布していなかったことについて「甲状腺がんの危険を減らすための常とう手段を欠いた」と批判。緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の情報が避難に生かされなかったことについても「正確な情報提供が重要。政府の信頼性が問われる」と指摘した。

さらに政府が定めた年間20ミリシーベルトの避難基準について「チェルノブイリ事故の強制移住の基準は年間5ミリシーベルト以上だった。こうしたズレが住民の混乱を招いている」と懸念。

県の子どもを対象とした甲状腺検査についても、「子どもの親は診断資料を受け取れない。医療記録にアクセスする権利を否定されている」と、県の対応を痛烈に批判した。

一方、福島県外への避難を希望する人に対する県の住宅支援の新規申し込みは、来月28日で打ち切られる。行政の被災者支援については「政府は、すべての避難者が避難を続けるのか、自宅に戻るのかを自分の意思で決められるようにするべきだ。経済的な支援や補助金を継続、復活させなければならない」と問題提起した。

グローバー氏は今後、政府の反論も聞き、来年6月に国連人権理事会へ報告書を提出するという。

福島県郡山市の子どもや親たちが「集団疎開」を求めて仮処分を申し立てた裁判の原告代理人の柳原敏夫弁護士は「被災者の苦しみを思いやった調査だ。政府や県は指摘を率直に受け止めて対応してほしい」と話した。

<福島原発事故>「健康調査に不備」国連の専門家指摘
(毎日新聞 11月27日)

 東京電力福島第1原発事故被災者の健康を巡る問題を来日調査していた国連の専門家「健康を享受する権利に関する特別報告者」アナンド・グローバー氏が26日、東京都内で記者会見し「福島県の健康管理調査は(対象地域や項目の)範囲が狭い。子どもの甲状腺検査の診断書を受け取れない親もいる」などと問題点を指摘した。日本政府の反論も踏まえ来年6月、国連人権理事会に報告書を出す。

 会見では同調査のうち、県民の外部被ばく量を推定する調査の回答率が「わずか23%」と批判。一方、内部被ばくについて研究者間でも評価が異なるとして「政府は用心深い姿勢に立ち、長期間の調査を行うべきだ」と注文を付けた。同調査検討委員会が秘密裏に開いていた準備会(秘密会)を巡っては「専門家だけではなく地域社会も関わらなければいけない」とプロセスの透明化を求めた。

 また、日本政府に対し、避難か帰宅か避難者が選べるような経済的支援や、高線量地域の除染計画の明確化などを要請するとした。

 インド出身弁護士のグローバー氏は15日来日。同県や、自主避難者が多い山形県などで被災者らに聞き取りをした。福島県郡山市の男性(54)は同氏に、市が進める除染作業で▽住民の被ばく対策が不十分▽汚染土類の保管場所がない――と安全管理の不備を訴えた。取材に男性は「権利が侵害されている状態を第三者の立場から判断してほしい」と報告書への期待を語った。

 特別報告者は国連人権理事会に選ばれた独立専門家で、中立の立場で問題状況を調査・報告する。【日野行介、蓬田正志】

福島の健康調査「不十分」国連人権理事会の助言者が指摘
(2012年11月27日 朝日新聞)から抜粋

東京電力福島第一原発事故の影響を調べるため、来日した国連人権理事会の助言者、アナンド・グローバー氏が26日、都内で記者会見した。福島県民への健康調査について「不十分」と指摘。さらに「除染のあり方などを決める場に住民が参加していないのは問題」と述べた。

 インド人弁護士のグローバー氏は、福島県民らの「健康を享受する権利」が守られているか調べるため、政府や東電関係者、県民らから事情を聞いた。この結果は来年6月の国連人権理事会(前身・人権委員会)に報告され、日本政府に勧告すべきか議論される。

 福島県などが行っている子どもの甲状腺検査や一般的な健康診断、アンケートについて「内容が不足している。チェルノブイリの教訓や、100ミリシーベルト以下でもがんなどの健康影響があるとする疫学研究を無視したものだ」と批判した。


子どもたちを放射能から守るために、非常に重要な
「国連人権理事会 特別報告者のプレス・ステートメント」
から抜粋

達成可能な最高水準の心身の健康を享受する権利に関する
国連人権理事会特別報告者
アナンド・グローバー
訪日期間:2012 年11 月15 日~26 日

プレス・ステートメント
2012 年11 月26 日 東京

本題に入る前に、まず大切なご家族を亡くされた方々に対して、心からお悔やみ申し上げます、そして地震、津波、原発事故の被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。

原子力発電所で事故が発生した場合の災害管理計画について近隣住民が把握していなかったのは残念なことです。実際、福島県双葉町の住民の方々は、1991 年に締結された安全協定により、東京電力の原子力発電所は安全であり、原発事故が発生するはずなどないと信じてきたのです。

原発事故の直後には、放射性ヨウ素の取り込みを防止して甲状腺ガンのリスクを低減するために、被ばくした近隣住民の方々に安定ヨウ素剤を配布するというのが常套手段です。私は、日本政府が被害にあわれた住民の方々に安定ヨウ素剤に関する指示を出さず、配布もしなかったことを残念に思います。

災害、なかでも原発事故のような人災が発生した場合、政府の信頼性が問われます。従って、政府が正確な情報を提供して、住民を汚染地域から避難させることが極めて重要です。しかし、残念ながらSPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)による放射線量の情報および放射性プルームの動きが直ちに公表されることはありませんでした。さらに避難対象区域は、実際の放射線量ではなく、災害現場からの距離および放射性プルームの到達範囲に基づいて設定されました。

従って、当初の避難区域はホットスポットを無視したものでした。これに加えて、日本政府は、避難区域の指定に年間20 mSv という基準値を使用しました。これは、年間20 mSv までの実効線量は安全であるという形で伝えられました。また、学校で配布された副読本などの様々な政府刊行物において、年間100 mSv 以下の放射線被ばくが、がんに直接的につながるリスクであることを示す明確な証拠はない、と発表することで状況はさらに悪化したのです。

年間20 mSv という基準値は、1972 年に定められた原子力業界安全規制の数字と大きな差があります。原子力発電所の作業従事者の被ばく限度(管理区域内)は年間20 mSv(年間50 mSv/年を超えてはならない)、5 年間で累計100mSv、と法律に定められています。

3 ヶ月間で放射線量が1.3 mSv に達する管理区域への一般市民の立ち入りは禁じられており、作業員は当該地域での飲食、睡眠も禁止されています。また、被ばく線量が年間2mSv を超える管理区域への妊婦の立ち入りも禁じられています。

ここで思い出していただきたいのは、チェルノブイリ事故の際、強制移住の基準値は、土壌汚染レベルとは別に、年間5 mSv 以上であったという点です。また、多くの疫学研究において、年間100 mSv を下回る低線量放射線でもガンその他の疾患が発生する可能性がある、という指摘がなされています。研究によれば、疾患の発症に下限となる放射線基準値はないのです。

残念ながら、政府が定めた現行の限界値と、国内の業界安全規制で定められた限界値、チェルノブイリ事故時に用いられた放射線量の限界値、そして、疫学研究の知見との間には一貫性がありません。これが多くの地元住民の間に混乱を招き、政府発表のデータや方針に対する疑念が高まることにつながっているのです。

これに輪をかけて、放射線モニタリングステーションが、監視区域に近接する区域の様々な放射線量レベルを反映していないという事実が挙げられます。その結果、地元住民の方々は、近隣地域の放射線量のモニタリングを自ら行なっているのです。訪問中、私はそうした差異を示す多くのデータを見せてもらいました。こうした状況において、私は日本政府に対して、住民が測定したものも含め、全ての有効な独立データを取り入れ、公にすることを要請いたします。

健康を享受する権利に照らして、日本政府は、全体的かつ包括的なスクリーニングを通じて、放射線汚染区域における、放射線による健康への影響をモニタリングし、適切な処置をとるべきです。同調査の対象は、福島県民および災害発生時に福島県を訪れていた人々に限られています。私は、日本政府に対して、健康調査を放射線汚染区域全体において実施することを要請いたします。

これに関連して、福島県の健康管理調査の質問回答率は、わずか23%あまりと、大変低い数値でした。また、健康管理調査は、子どもを対象とした甲状腺検査、全体的な健康診査、メンタル面や生活習慣に関する調査、妊産婦に関する調査に限られています。残念ながら、調査範囲が狭いのです。

これは、チェルノブイリ事故から限られた教訓しか活用しておらず、また、低線量放射線地域、例えば、年間100 mSv を下回る地域でさえも、ガンその他の疾患の可能性があることを指摘する疫学研究を無視しているためです。

健康を享受する権利の枠組みに従い、日本政府に対して、慎重に慎重を重ねた対応をとること、また、包括的な調査を実施し、長時間かけて内部被ばくの調査とモニタリングを行うよう推奨いたします。

自分の子どもが甲状腺検査を受け、基準値を下回る程度の大きさの嚢胞(のうほう)や結節の疑いがある、という診断を受けた住民からの報告に、私は懸念を抱いています。検査後、ご両親は二次検査を受けることもできず、要求しても診断書も受け取れませんでした。事実上、自分たちの医療記録にアクセスする権利を否定されたのです。残念なことに、これらの文書を入手するために煩雑な情報開示請求の手続きが必要なのです。

政府は、原子力発電所作業員の放射線による影響のモニタリングについても、特に注意を払う必要があります。一部の作業員は、極めて高濃度の放射線に被ばくしました。何重もの下請け会社を介在して、大量の派遣作業員を雇用しているということを知り、心が痛みました。その多くが短期雇用で、雇用契約終了後に長期的な健康モニタリングが行われることはありません。日本政府に対して、この点に目を背けることなく、放射線に被ばくした作業員全員に対してモニタリングや治療を施すよう要請いたします。

日本政府は、避難者の方々に対して、一時避難施設あるいは補助金支給住宅施設を用意しています。これはよいのですが、 住民の方々によれば、緊急避難センターは、障がい者向けにバリアフリー環境が整っておらず、また、女性や小さな子どもが利用することに配慮したものでもありませんでした。

悲しいことに、原発事故発生後に住民の方々が避難した際、家族が別々にならなければならず、夫と母子、およびお年寄りが離れ離れになってしまう事態につながりました。これが、互いの不調和、不和を招き、離婚に至るケースすらありました。苦しみや、精神面での不安につながったのです。日本政府は、これらの重要な課題を早急に解決しなければなりません。

食品の放射線汚染は、長期的な問題です。日本政府が食品安全基準値を1kgあたり500 Bq から100 Bq に引き下げたことは称賛に値します。しかし、各県ではこれよりも低い水準値を設定しています。さらに、住民はこの基準の導入について不安を募らせています。日本政府は、早急に食品安全の施行を強化すべきです。

汚染除去の実施に際して、一部の汚染除去作業が、住人自身の手で、しかも適切な設備や放射線被ばくに伴う悪影響に関する情報も無く行われているのは残念なことです。

また、日本政府は、全ての避難者に対して、経済的支援や補助金を継続または復活させ、避難するのか、それとも自宅に戻るのか、どちらを希望するか、避難者が自分の意志で判断できるようにするべきです。これは、日本政府の計画に対する避難者の信頼構築にもつながります。

訪問中、被害にあわれた住民の方々、特に、障がい者、若い母親、妊婦、子ども、お年寄りなどの方々から、自分たちに影響がおよぶ決定に対して発言権がない、という言葉を耳にしました。健康を享受する権利の枠組みにおいては、地域に影響がおよぶ決定に際して、そうした影響がおよぶすべての地域が決定プロセスに参加するよう、国に求めています。

日本政府に対して、被害に合われた人々、特に社会的弱者を、すべての意思決定プロセスに十分に参加してもらうよう要請いたします。こうしたプロセスには、健康管理調査の策定、避難所の設計、汚染除去の実施等に関する参加などが挙げられるでしょう。

この点について、「東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律」が2012 年6 月に制定されたことを歓迎します。

この法律は、原子力事故により影響を受けた人々の支援およびケアに関する枠組みを定めたものです。同法はまだ施行されておらず、私は日本政府に対して、同法を早急に施行する方策を講じることを要請いたします。


年間20ミリの避難基準を非難 国連特別報告者

2012/12/02

WHO 独立性回復を  IAEAに従属 『被害隠蔽の共犯』

マスメディアがほとんど報道していない“国際原子力ムラ”に関する非常に重要な記事です。この記事が多くの人に読まれることを願っています。

WHO 独立性回復を IAEAに従属『被害隠蔽の共犯』
(2012年5月26日 東京新聞)

 世界の人々の健康を守るべき世界保健機関(WHO)が“国際原子力ムラ”に従属してきた実態を告発する医師。チェルノブイリ原発事故後、汚染区域ごとに分けた被災者支援の法律を作った科学技術者。この二人がそれぞれ来日し、福島の原発事故による近未来を懸念してチェルノブイリの教訓を伝えた。(小倉貞俊)

 「原発事故から26年。汚染地に住み、被ばくで傷付いた遺伝子は世代を経るごとに異常化が進み、被害者を増やしている」。24日、東京・新宿のホテルで、スイス・バーゼル大学名誉教授のミシェル・フェルネクス医師(82)は話す。

 「WHOは隠蔽(いんぺい)の共犯者である。だが事故の教訓を福島に生かさなければならない」。WHOは1948年設立され、本部はスイス・ジュネーブにある。かつて専門委員として感染症の研究をしてきたが、86年に起きたチェルノブイリ事故後の姿勢に疑問を投げかけてきた。

 原子力産業が台頭した1957年に米国主導で設立した国際原子力機関(IAEA)や、国際放射線防護委員会(ICRP)は、事故による死者数を急性被ばくなどの数十人と公表。いまだ小児甲状腺がんの増加しか認めていない。

 一方、ニューヨークの科学アカデミーの後援で編集され、2009年に刊行された本では、事故による死者は98万5千人と推定した。「被害実態を明らかにした研究者からの報告を黙殺し続けている。それに異を唱えないWHOは被害の矮小(わいしょう)化に手を貸しているといってもいい」

 WHOは緊急時にも適切な医療技術を提供する役割を負う。
 ところが、59年にはIAEAとの間で「WHOは国連安全保障理事会に従属するIAEAの了解なしに情報を公開したり、研究したり、住民の救援をしてはいけない」との趣旨の合意をし、事実上「放射線分野での独立性を失った」と続ける。

 「IAEAは放射能汚染から人々を守ることが目的ではなく、経済的な配慮を優先させる組織。被ばくが原因と思われる健康被害を過小評価したり否定したりし、汚染地域からの避難が遅れる可能性もある。原子力事故があってもWHOは介入を禁じられてきた」

 チェルノブイリでは今もさまざまな疾病の増加が報告されている。「死産、周産期死亡、先天性異常、感染症…。ベラルーシでは、飲食による内部被ばくも続き、子どもの8割が何らかの病気にかかっている」

 遺伝子は放射線を浴びて切断されても修復する力があるが、間違って修復された場合に遺伝子が変異し、成長期には変異した細胞が増殖する。原発から30~300キロの地域のネズミを調べた研究では、22世代にわたって遺伝子の異常がより進行しているという。

 「WHOは早く従属的な立場から脱し、健康被害の情報を正確に評価しなければならない」。そう唱えるフェルネクス氏らは2007年、WHO独立のためのキャンペーン活動を開始。しかし、WHOは09年に放射線健康局を廃止し、さらに後退している。

 福島原発の事故で、日本政府の情報開示や対応は後手に回った。「言語道断だ。チェルノブイリ事故の直後、子どもたちにヨウ素剤を配ったポーランドでは、健康を守ることができた」とフェルネクス氏。

 今回、福島県郡山市や広島市、さいたま市などで講演した。23日に新宿で開いた講演会では、来場した双葉町の井戸川克隆町長から「いま福島はまるで核実験場のようなところ。住み続けるべきか、避難するべきか」との質問も出た。

 あらためてフェルネクス氏に聞くと「汚染度の高いところは避難すべきだ。それ以外で住み続けるのなら、内部被ばくの防止を徹底する必要がある」。放射能のない食べ物のほか、体内の放射性セシウムの排出に効果的なペクチンが含まれる海藻やリンゴ、抗酸化物質として作用するビタミン類やカロチノイドがあるニンジンなど色つき野菜の摂取を提言した。

 福島では今後、年間の積算被ばく線量が高い20ミリシーベルト未満でも帰還はできるとし、政府は除染を進めていく考えだが、被災者の悩みは深まるばかりだ。

 被災者を支援する実効性の高い法律の制定が急務となる中、国会で与野党それぞれが被災者支援法案を提出し、協議を重ねている。その手本として注目されているのが、チェルノブイリ事故後にロシアで制定された「チェルノブイリ法」だ。

 「福島を支援する法律を作るため、参考にしてほしい」。法の制定に力を尽くしたロシアの「チェルノブイリ同盟」副代表で科学技術者のアレクサンドル・ベリキン氏(59)は17日、東京・永田町の衆院第二議員会館での集会で訴えた。

 被ばくで健康被害を受けた労働者らを国が支援する仕組みがなかったことから、「自分たちの権利を守ろう」と同盟を結成。事故から5年を経て、法制定につなげた。今回「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」など3つの市民団体の招きで来日した。

 ベリキン氏は「この法律の良いところは、被災した住民自身が今後の暮らし方を決められる点です」と説明する。年間積算線量が5ミリシーベルト以上になる区域を「移住義務ゾーン」、1ミリシーベルト以上5ミリシーベルト未満の区域を「移住権利ゾーン」と設定。被災者は支援を得て汚染地域で暮らすのか、非汚染地域へ移住するかを選ぶことができる。

 両ゾーンでは国家の負担による健康診断や薬剤の無償提供、年金の割り増しなどの社会的な保護を受けられる。移住を選んだ場合でも、国は住民が失うことになる家屋などの財産について、現物または金銭での補償をすることになっている。

 同氏は「残留者、避難者とも支援する先進的な内容。どんな国でも、快くお金を支払ってくれる政府などない。人の権利を守る法律を制定するには、住民が声を上げることこそ大事」と呼び掛けた。

 福島では自主避難者も賠償対象に入ることになったものの、避難せずに残った住民の低線量被ばくは続く。協議中の法案は避難指示解除準備区域などを対象に住宅確保や就学を支援する内容だが、チェルノブイリ法のような「避難の権利」までは踏み込んでいない。

 同ネットの共同代表を務める河崎健一郎弁護士(36)は「政府はまず、被災者に健康影響も含めた正確な情報を開示すべきだ。その上で、20ミリシーベルトにこだわらずに移住か残留かの選択権を持たせ、十分な補償を受けられる仕組みをつくってほしい」と話している。

<デスクメモ> 「終りのない惨劇」(緑風出版)の出版を機に来日したフェルネクス氏。講演会で自ら登場するWHO報告会議などの記録映画も上映された。ロシアの科学者は「賠償金を払いたくないだけだ。だから事故の影響が深刻なものを示す研究成果は排斥する」と叫ぶ。11年後の福島事故後の姿も変わらない。(呂)

『避難の権利』 福島に

◆『避難の権利』 福島に
(2012年5月26日 東京新聞 こちら特報部)

■ロシア技師、経験訴え 被災者自身が暮らし方決定

福島原発の事故で、日本政府の情報開示や対応は後手に回った。「言語道断だ! チェルノブイリ事故の直後、子どもたちにヨウ素剤を配ったポーランドでは、健康を守ることができた」とフェルネクス氏。

今回、福島県郡山市や広島市、さいたま市などで講演した。23日に新宿で開いた講演会では、来場した双葉街の井戸川町長から「今福島はまるで核実験場のようなところ。住み続けるべきか、避難するべきか」との質問も出た。

あらためてフェルネクス氏に聞くと、「汚染度の高いところは避難すべきだ。それ以外で住み続けるのなら、内部被ばくの防止を徹底する必要がある」。放射能のない食べ物の他、体内の放射性セシウムの排出に効果的なペクチンが含まれる海藻やりんご、抗酸化物質として作用するビタミン類やカロチノイドがある人参など色つき野菜の摂取を提言した。

福島では今後、年間の積算被ばく線量が高い20ミリシーベルト以下でも帰還はできるとし、政府は除染を進めていく考えだが、被災者の悩みは深まるばかりだ。

■事故5年で支援法制定

被災者を支援する実効性の高い法律の制定が急務となる中、国会で与野党それぞれが被災者の支援法案を提出し、協議を重ねている。

その手本として注目されているのが、チェルノブイリ事故後に、ロシアで制定された『 チェルノブイリ法 』だ。「福島を支援する法律を作るため、参考にしてほしい。」法の制定に力を尽くしたロシアの「チェルノブイリ同盟」吹く代表で、科学技術者のアレクサンドル・ベリキン氏は、17日、東京永田町の議員会館での集会で訴えた。
被ばくで健康被害を受けた労働者らを国が支援する仕組みがなかったことから、「自分たちの権利を守ろう」と同盟を結成。事故から5年を経て、法制化につなげた。

今回、「福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク」など三つの市民団体の招きで来日した。ベリキン氏は、「この法律の良いところは、被災した住民自身が今後の暮らし方を決められる点です。」と説明する。

年間積算被曝量が5ミリシーベルト以上になる区域を「移住義務ゾーン」、1ミリシーベルト以上5ミリシーベルト未満の区域を「移住権利ゾーン」と設定。被災者は支援を得て汚染地域で暮らすのか非汚染地域へ移住するかを選ぶことができる。両ゾーンでは国家の負担による健康診断や薬剤の無償提供、年金の割り増しなどの社会的な保護を受けられる。移住を選んだ場合でも、国は住民が失うことになる家屋などの財産について、現物または金銭での補償をすることになっている。

同氏は、「残留者、避難者とも支援する先進的な内容。どんな国でも、快くお金を支払ってくれる政府などない。人の権利を守る法律を制定するには、住民が声をあげることこそが大事」と呼びかけた。

■正確な情報  十分な補償

福島では自主避難者も賠償対象に入ることになったものの、避難せずに残った住民の低線量被ばくは続く。協議中の法案は避難指示解除準備区域などを対象に住宅確保や修学を支援する内容だが、チェルノブイリ法のような「避難の権利」などには踏み込んでいない。

同ネットの共同代表を務める河崎弁護士は、「政府はまず、被災者にも健康影響も含めた正確な情報を開示すべきだ。その上で、20ミリシーベルトに拘らずに移住か、残留かの選択権を持たせ、十分な補償を受けられる仕組みをつくってほしい」と話している。

【デスクメモ】
「終わりのない惨劇(緑風出版)」の出版を機に来日したフェルネクス氏。講演会で自ら登場するWHO報告会などの記録映画も上映された。ロシアの科学省は、「賠償金を払いたくないだけだ。だから事故の影響が深刻なものを示す研究成果は排斥する!」と叫ぶ。11年後の福島事故後の姿も変わらない。

2012/11/26

福島に募金診療所が開院へ 住民の不安に応え

原発事故:福島に募金診療所が開院へ 住民の不安に応え
(毎日新聞 2012年11月24日)

 東京電力福島第1原発事故に伴う被ばくへの健康不安に応えようと、市民らが募金活動をした「ふくしま共同診療所」が12月1日、福島市太田町に開院する。18歳以下を対象にした県の甲状腺検査用機器も備え、セカンドオピニオンを提供して不安解消を目指す。呼び掛け人の一人で「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の佐藤幸子代表は「住民の心のよりどころになる診療所を目指したい」と話している。

 3階建てビルの1階部分約40坪を改装し、二つの診察室やレントゲン室を設けた。内科と放射線科があり、甲状腺検査もできる超音波診断装置を導入し、希望すれば尿・血液検査なども受けられる。松江寛人・元国立がんセンター病院医師が院長に就き、県外の医師4人も非常勤で勤務するという。

 県の甲状腺検査では、子どもに結節やのう胞が見つかっても大半が2次検査不要と判定され、保護者から「検査結果が分かりにくい」などの声が上がっている。低線量被ばくによる健康不安を抱えている県民も多い。

 診療所は県内外の市民や医師14人が呼び掛け人となり建設委を発足、今年1月から約4000万円の寄付金を集め開院にこぎつけた。70年代に相次いで白血病を発症した広島の被爆2世らが開設した広島市の「高陽第一診療所」をモデルにした。

 チェルノブイリ原発事故では、4〜5年後に小児の甲状腺がんの増加が確認された。松江医師は「放射線の影響が出るとすればこれから。症状は甲状腺だけとも限らず観察が必要だ」と話す。診療は毎週火、木、金、土曜日。問い合わせは同診療所(024・573・9335)へ。【蓬田正志】

学ぶのは人殺す方法だけ 軍の暴力性訴え イラク帰還兵

学ぶのは人殺す方法だけ 軍の暴力性訴え イラク帰還兵に聞く
(2012年11月24日 琉球新報)

軍の訓練やイラクでの様子を語るアーロン・ヒューズさん(左)とアッシュ・キリエ・ウールソンさん=21日夜、那覇市内

 「軍隊では米国の憲法や人権については一切学ばない。学ぶのは人を殺す方法だけだ」。イラク戦争での体験について講演するため来県していた、イラク戦争への従軍経験を持つ元米兵のアーロン・ヒューズさん(30)とアッシュ・キリエ・ウールソンさん(31)は21日夜、人間の尊厳を軽んじる訓練や任務を兵士らに強いる米国の軍国主義について語った。後を絶たない米兵による事件事故に「米軍による沖縄占領の歴史の中で、沖縄の人を人間として扱ったことがあるか。過去にないということは未来にも起きないということだ」と指摘した。
 2人は共に18歳の時、学費や経済的自立のため、州兵として軍に所属。「外国の戦地に派遣されることはない」などと言われ、契約書にサインした。
 大学に通いながら月に約1週間、正規兵も受ける基礎訓練を受けた。訓練は「頭に覚えさせるんじゃない。銃を撃つことを筋肉に覚えさせるんだ」とヒューズさんは振り返る。人型の模型が視界に入ると、体が条件反射で銃を撃てるよう「バスケットボール選手がフリースローを何度も練習するみたいに」(ヒューズさん)ひたすら訓練した。
 2人にイラクへの派遣命令が届いたのは2003年。戦地で感じたのは、末端の兵士を「消耗品」としか見ていない軍上層部の姿勢だ。ウールソンさんらの元に防弾チョッキが届いたのは、派遣から8カ月後。基地外の任務に14人で当たったが、用意された防弾チョッキはわずか10着。毎回その10着をめぐりストローでくじ引きをしたという。
 無事に帰還した今、2人は「軍は人を傷つける」と断言する。県内で米兵による事件事故が相次ぐ現状に「兵士は地元の人間をまともに扱わない。軍の外にいる人を暴力的に支配するように訓練されているのが兵士だ」と、指摘した。2人はイラクでの経験を語り継ぐことで「戦争の愚かさと平和の尊さを伝えたい」と強調した。


◆米兵自殺…戦死者を上回るペース 
イラク帰還の陸上自衛隊員の自殺率は日本平均の14倍以上

せめて、自分が生まれたころより 美しい星にもどしたい

生後17日目の孫の写真が送られてきました。

この子が成人するころまで
生きていられるかどうか、わからないけど

宇宙のなかで、奇跡のような美しい星に
生まれてくることが できたのだから

せめて、自分が生まれたころより
美しい星にもどして、引き渡せたらいいなあ

せめて、世界中の子どもたちが
安心して空気が吸えて
安心して水が飲めて
安心して食べものが食べられて
安心して大地で遊ぶことができる

そんな地球にして、旅立てたらいいなあ

原発のない世界を願う 『100人の母たち』からのメッセージ

脱原発を願う『100人の母たち』から抜粋

あの日、私は福島県郡山市の実家で震度6の地震を経験した。 里帰り出産後・・・ドンッと全てが壊れてしまうのではないかという強い、長い揺れ。生後3ヶ月のわが子を必死で胸に抱きしめた。どうかこの子を守ってくださいと祈った・・・家族や友人の安否を確認し続けた。ほどなく、原発の電源が喪失したというニュースが入った。

家の近くには、大熊町の住人たちが避難してきた。・・・息をのむ。なんて、おそろしいことが起きてしまったのだろう・・・地響きのような揺れがあるたびに、はっとした。原発はどうなった!?
この子を守れるだろうか、守らなければ。

テレビではただちには影響はありませんと伝えていた。
外は、市の発表で、3.2マイクロシーベルト/毎時らしい。

「逃げよう、それしかない」
郡山の実家を出発した。もしかしたら最後の福島、故郷になるかもしれない。両親には次にいつ会えるのだろうか。こんな形で別れることになるなんて、親にも心の中で謝った。

もう帰れないかもしれないと思い、故郷を後にした。
福島を出たあの日、空がとってもキレイで青く美しかった。
福島の空って本当にキレイなんだよ。私にとって自慢だった。
今も変わらずキレイなんだろう。放射能は目に見えない。

あれから早1年が過ぎた。

無力感、失望、絶望、悲しみ・・・避難する、しないでの葛藤、放射能・原発に対する考えの違い、東北に残してきてしまった。

私はどこへ向ったらいいのだろう。
どうしてたくさんの大切な人たち、故郷が、放射能に被ばくを強いられなければならないのか。

目の前の食べ物は安全なのか。
そして・・・子どもの成長、尊敬できる仲間、当たり前だと思っていたけど、当たり前じゃなかった幸せ、家族との別れ、家族一緒にいられる喜び・・・。

いろんなことを経験して、子どものまっすぐな目を見て、想う。
「ごめんなさい」

ごめんなさいだけじゃなくて「大人として親として責任とれてる?」と問いかけ続ける。

この子を守れるのか、大人として、一人の人として、
何ができるのか、問い続ける。

http://www.facebook.com/100mothers?fref=ts

Copyright © 2009 株式会社ウインドファーム.  

中村隆市ブログ「風の便り」 コーヒー関連ブログ「豆の便り」 スタッフブログ「土の便り」 /abbr/li