2012/11/14

原発事故のこと 井伏鱒二 (1986年の文章)

原発事故のこと

井伏鱒二

 ソ聯のキエフ地方の原子力発電所に事故があったと新聞で見て、すぐ富山の松本君のことを思ひ出した。昭和十六年十一月、陸軍徴用でシンガポールに行く輸送船のなかで、僕は戦友として松本直治と知り合ひになった。松本君は徴用直前に結婚した人で、「今度もし俺が生きて日本に帰ったら、ぜひとも男の子を持ちたいものだ。俺は新婚の女房に男の子を産ませたい」と云ってゐた。ところが十七年十月、無事日本に帰還して来ると、東京での新聞社を止して郷里の富山で地方の新聞社に勤め、三年ぶりに丈夫さうな男の子が生まれた。やがてその子供は成長して北陸電力に勤め、「これからの電力マンが仕事に生き甲斐を求めるのは、近代科学の先端を行く原子力にある」と、若者らしい情熱をたぎらせて、東海村、敦賀の日本原子力発電所へ出向した。さうして能登に開発される原発の技術者としての将来に、いのちをかけたのであった。水力、火力の発電にはもう満足感がない。原発といふ新しい道への誘惑は、松本君にも痛いほど判ったが、それで結果的には、その憧れの原子力発電所で被曝して発病、入退院を繰返しつつ、舌ガンで死亡した。まだ三十一歳の若さであった。
 
 『原発死』といふ、子供を悼む手記に、松本君は次のやうに書いている。

 「短絡的に言ふなれば、原子力発電所で多量の放射線を浴び、ガンに冒され、闘病の末、死亡したことになる。私の思いを率直に云へば、平和利用の原子力の『絶対安全』を信じ、その『安全』に裏切られたことになる。これは私にとって衝撃の出来事であった。」

 「最近、アメリカのペンシルベニア州スリーマイル島で起こったあの“炉心溶融”寸前だったといふ背筋のゾッとするような、恐怖の原子力発電所の大事故があった。この原発事故の背後に横たはるのは、人間の断絶感だ。おかげで日本の原子力の火は一時期、一切がストップした。そして発電能力の最大を誇る関西電力の『大飯一号』の原発までが完全に止まった時、あの原子炉が『どんなバカなやつがやっても絶対安全』といふので『フール・プルーフ』と呼ばれてゐただけに、わたしの原発への不信はもはや動かしがたいものとなった。」

 「―原発の犠牲になった息子、許せぬ原発への不信―これに繫がって行く思ひが、五年余を経た今日、さらに深く私の胸を締めつける。私は、よく夜中、目をさますやうになった。水割りのウイスキーを少量飲んでも効果はなく、息子の死因への追及に心のたかぶりを鎮めるため、いつか睡眠薬の常習者になってしまった。市販が厳しく、知人の医師から手に入れるのだが、どの睡眠薬にも『習慣性あり』と書いてある。常用は命をちじめると注意する人もあるが、転々として眠れぬ夜を明かすよりはずっと健康にいいと思って常用を今も続けてゐる。原発への疑問が、時に私を襲ふ。」

 「発ガンと被曝の因果関係の立証は、科学的にも、また医学的にも難しいとされてゐる故に確たるものではなかった。ところが昭和五十二年、衆院予算委員会に於ける原発追求の中で楢崎弥乃助代議士(当時はまだ社会党所属)が、放射線被曝による死者は七十五人を数へ、うち半数に近い三十五人がガンによる死亡であるとの驚愕の報告を知り、それらの死者のうちの一人に私の息子名を発見してから、私の血は逆流した。そして自分の息子の死の原因が原発の被曝によるものとの確信を深めたが、それは今日に至るも弱まるどころか、より強固な怨念となって私の胸を締め付ける。もし国会の楢崎代議士証言の時、全米アカデミーのショッキングな研究報告の内容が発表されてゐたら、私の疑問はおそらく決定的なものになってゐたであらう。その全米科学アカデミーのショッキングな研究報告は、国会での楢崎証言のあった二年半後、すなはちスリーマイル島原子力発電事故を機に全米で盛り上がってゐる原発反対運動に油を注ぐに間違ひないほど強烈な報告を、米紙『ニューヨーク・タイムス』がすっぱぬいたものである」

 「それによると、『一九七五年から二〇〇〇年までに、原子力発電により全米でガンのため死亡する人の数は二千人に達するだらう』といふものである。原子力発電に伴ふ核燃料の開発、加工、運搬、再処理、保管などの過程で浴びる放射線の影響と、自然界に発生する放射線をプラスすると、ガン患者の数はもっと増える可能性があることを指摘、しかも原発計画が現在よりも拡大される場合や、放射性廃棄物処理などの問題を対象に入れた場合、さらにガンの発生率を高めるといふものである。」
 
「『原子力発電に伴ふ危険性』と題する主要調査の対象は、スリーマイル島原発事故の際に発生したラドン、クリプトン、クセノン、ヨウ素、炭素など放射性同位元素であり、それだけに各方面に与える影響は極めて大きい。
 また別の調査は『放射能によるイオン化現象の生物的効果』に関して全米アカデミー諮問グループが行ったもので、これは原発による放射線だけでなく、核実験による放射線の発生や医療用放射線、宇宙線に低レベル放射線の発生の影響も計算に入れてゐるもので、全米人口の約〇・一パーセントがガンに冒されるとの警告である」

 「原子力発電所は、その後ますます増設され、次々と日本列島を汚染の渦に巻き込んでゐると私は思ってゐる。そのことは、かつて戦争の足音が国民の上に暗く覆いかぶさった過去の思ひに繋がるのだが、一般にはその原発の持つ恐怖が意外に知られてゐない。あたかも戦争への道が、何も知らされないうちに出来上がっていったやうに―」
 
 
 松本君が書いた『原発死』といふ題の手記は、謂はば息子さんへの鎮魂歌である。私は松本君に頼まれて、この手記に対し「まへがき」の意味で、怖るべき原発はこの地上から取り去ってしまはなくてはいけない、といふことを書いた。「放射能」と書いて「無常の風」とルビを振りたいものだと書いた。
 今度、キエフ地方で原子力発電所に事故があったと新聞で見て、松本君は何と感じてゐるだらうと思ひを馳せたのであった。

◆覚え書
人間は絶対に原爆に手を触れてはいけないこと。

(昭和61年7月「新潮」)
【井伏鱒二自薦全集第十一巻より】

この記事は、以下より転載しました。
http://www.facebook.com/photo.php?fbid=358919707535739&set=a.119165638177815.24093.100002531398844&type=1&theater

2012/11/13

原発のない世界へ 写真集 『100人の母たち』(南方新社)

亀山ののこ 写真集 『100人の母たち』 より抜粋

「ママは原発いりません」がなぜ「脱原発」を叫んでいるのか

ママ原のメンバーの多くは放射能から避難してきた原発被災者です。そしてそれに寄り添う者たち、で構成されています。原発被災者の苦しみ、悲しみ、そこから立ち上がっていくこと、それを経験してきたり、間近で見てきている人たちです。

私たちは帰る家を失いました。
生まれ育ってきた故郷に二度と戻れなくなりました。
避難場所を転々として地に足がつきません。
家族が離れて生活することになりました。

親に孫の顔を滅多に見せることができなくなりました。
クリスマスもお正月も誕生日も、家族ばらばらでした。
友人、親せきと疎遠になりました。周囲からノイローゼ扱いされました。

長年誇りをもってしてきた仕事を捨てました。
子どもを泣かせて、それでも転校させました。

被曝の危険を理解してくれない夫と離婚しました。
たった1人で知らない土地で子どもを産みました。
住めない家のローンを払い続けなくてはいけません。
避難生活でもう貯金が底をつきました。

そしてなにより悲しいことに、大切な我が子や自分の身体に異変が起こりました。
鼻血がでました。血便がでました。下痢が止まりません。
湿疹がひどくなりました。風邪をひき続けています。
甲状腺にしこりができました。血液の状態に問題があると指摘されました。
子どもの未来を考えると眠れません。
うつっぽくなりました。

これは、私自身や私が福岡で出会った友人たちの生の声です。

1年たってもまだまだ終わらない。この先、一体どうしたらいいのか。自分たちはどこに行くのか。離れることで薄れていく家族の絆を取り戻せるのか。そしてこの先、我が子が病気になるかもしれないという不安。

悲しい、苦しい、悔しい、さみしい、憤り、怒り・・・心の中がぐちゃぐちゃになりそうなこともありました。

でも、自分たちはつらいんだと声高く愚痴ったりできないのは、この悲劇を引き起こした原因の一端に自分たちの無知、無関心があることに気付いているからです。原発の事故がこんなことを招くなんて夢にも思わなかった。私たちが何気なく使っていた電気を作るシステムは、人口の少ない地方に危険な原発を押し付け、そこで働く原発労働者に被曝を強いて病にさせる、そういう誰かの犠牲の上に成り立っているものだった。

そんなこと自分たちに火の粉が降りかかってきて初めて知りました。自分たちは間接的だけど加害者でもあるのです。これまでの自分の無関心さに心から反省、後悔もしているのです。

福島では1年たっても、10年たってもその先もずっとこの苦しみと戦っていかなきゃいけない。それは想像を超える苦しさではないかと思います。もうそんな思いをする人をこれ以上増やしたくない。またどこかで事故が起きて手遅れになる前に気付いてほしい。九州は福島を、東北関東を助けられるところだから。

だからママ原は「脱原発」なのです。
イデオロギーでも自己満足でもなんでもないのです。
こんなひどいことになる原発、子どもの未来にはいらないよねって
親として、人間として、当たり前のことを言いたいだけなのです。

だから私たちは子どもを抱えて声をあげ続けてきました。
知っているのに沈黙することは罪だろうと思うから。
大人の、みんなの沈黙が子どもを虐げることになるのだから。

今、この瞬間も人がいてはいけない高線量地区で、子どもたちが色んな事情でやむなく暮らしているのです。家族が、友人が、恩師が、大切な人たちが暮らしているのです。

脱原発を訴えることは原発被災者と寄り添うことだとも思っています。

(「ママは原発いりませんhttp://mamagen.jimdo.com/

2012/11/12

26年後のチェルノブイリ報告 健康被害、3世代に(中日新聞)

もう一度、読み直したい記事
つなごう医療 中日メディカルサイト

26年後のチェルノブイリ報告 健康被害、3世代に
(2012年10月1日 北陸中日新聞)

8歳児 心臓、甲状腺に障害

 原発事故でまき散らされた放射能汚染は、子どもらの健康をいかにむしばむのか。事故から26年後のチェルノブイリを視察した日本の作家やNPO法人が、現在進行形の被害や苦しみを相次いで報告している。福島の子どもらに、同じ悲劇を繰り返させてはならない。学ぶべきものとは。 (林啓太)

 「高い放射線量で内部被ばくした女性の子どもたちのほとんどに健康被害があった。悲劇だ」

 俳優で作家の中村敦夫さん(72)が険しい表情で語る。

 日本ペンクラブの環境委員長として、浅田次郎会長らと4月中旬から1週間の日程でウクライナを訪れた。1986年4月に事故を起こしたチェルノブイリ原発の廃虚やその周辺を巡り、健康被害に苦しむ住民や医師らに話を聞いた。

 原発から南に約100キロ離れた首都キエフ郊外にウクライナ内分泌代謝研究所がある。面会した男性(34)は事故当時8歳で、20年以上もたってから甲状腺がんを発症した。
画像石棺で覆われたチェルノブイリ原発=中村さん提供

 テレシェンコ医師によると、事故時に18歳以下の人に施した甲状腺がんの手術は90年に64件を数えたが、「それが2010年に約700件に上った」と説明した。

 小児甲状腺がんは、飲食を通じて放射性ヨウ素を喉にある甲状腺に取り込み、細胞ががん化した病気だ。事故の4年後ぐらいから急増し、90年半ばをピークに減った。ところが当時の子どもが大人になった今、甲状腺がんを多発している。半減期が長いセシウムが蓄積されて被ばくしているとの報告書もある。

 小児甲状腺がんは国際的に原発事故との関連が認められている。中村さんは「後から発症する人も放射線との関連を疑うべきだ」と指摘する。

 日本ペンクラブの視察団はほかに、事故から約20年もたって生まれた子どもに、放射線の影響をうかがわせる障害があることを報告している。

 原発から西に約80キロのナロジチ市で、市民病院の近くに住むブラート君(8つ)。心臓や甲状腺に障害があり、生後4カ月をはじめに5回も手術を受けた。年の離れた2人の姉も甲状腺に障害がある。母親は事故時、10代後半だった。中村さんは「ほかにも筋肉まひや発達障害など、さまざまな病気に苦しむ子どもたちがいた」と話す。

足首や関節に 痛み訴える子

画像エフゲーニャちゃん(右)が痛みを訴える足に手を当てる小若順一さん=5月、ウクライナ・エルコフツィー村で(小若さん提供)

 同様の健康被害は、NPO法人「食品と暮らしの安全基金」(さいたま市)も現地で把握した。原発事故を経験した女性の孫の世代までを対象とした健康調査を今年2月に開始。5〜6月には、原発の半径約150キロの8つの村で、14家族の61人や小学生らに聞き取りした。

 放射線の健康被害の研究は、がんや心臓病、白内障などの症例が知られているが、小若順一代表(62)は「幼児や児童らが足首や関節に痛みを抱えるケースも多いことが分かった」と明かす。

 原発から120キロほど西にあるモジャリ村。約20人の小学生に「脚が痛くなる人は」と聞くと半数近くが手を挙げた。膝、すねやくるぶしに痛みを感じると言い、痛む箇所を指さしたりさすったりしてみせたという。

野生キノコやブルーベリー 食料自給が影響? 

 原発から南東に140キロのエルコフツィー村では、エレーナ・モロシュタンさん(27)が「心臓が痛い」と話し、長女エフゲーニャちゃん(3つ)もくるぶしの痛みを訴えた。

 エレーナさんは放射能に汚染された場所に半年間、住んでいたことがあるが、エフゲーニャちゃんが生まれた同村は「非汚染地帯」とされる。小若さんは「子どもが関節に痛みを覚える以上、放射線の影響も想定せざるを得ない」と続ける。

 「ウクライナの田舎では食料の自給率が高い。原発事故のころに妊婦だった女性が汚染された野生のキノコやベリー類などを食べ続け、胎児の遺伝子が傷付き、それが孫の世代まで影響を及ぼしているのではないか」

 チェルノブイリの周辺では今も汚染されたものを食べる危険にさらされている。食料品の線量を調査する現地の疫学検証センターの担当者は、日本ペンクラブの視察団に「牛乳や肉の線量は低下しているが、キノコは7万6000ベクレル、ブルーベリーも5200ベクレルと異常に高い地域もある。野生動物の肉も線量は高い水準のまま」と説明した。

 小若さんは「胎児の細胞の遺伝子を傷付ける食べ物の放射線量、摂取した量や期間を明らかにした研究はあまり知られていない」と指摘。基金は9月24日から3回目の現地調査を行い、住民の食べ物の放射線量も本格的に調査している。

 これまで牧草地や菜園など20カ所で放射線量を測ると、平均値は毎時0.115マイクロシーベルトなのに、放射線の影響が疑われる健康被害も出ている。

 小若さんは「福島県内に毎時0.115マイクロシーベルトを超える地域は多い。現時点では、妊婦がウクライナの農村のような自給自足の生活を送った場合、子どもの健康に害を及ぼす可能性を肝に銘じる必要がある」と警告する。

 福島原発事故の子どもの健康への影響をめぐっては、甲状腺検査で1人が甲状腺がんで、ほかにしこりも多く見つかっている。小若さんは国などにこう注文を付ける。

 「チェルノブイリの事例からも、放射線が人体にどのような影響を及ぼすのか、解明されていない点は多い。対応の遅れで正真正銘の被害者を出さないためにも、子どもの健康被害の可能性を最大限にくみ取って対応や調査をしてほしい」

事故に関心 持ち続けて

 そのウクライナでは原発事故の記憶が風化しつつあるという。「時間がたつほど原発事故の被害は見えなくなる」。同国出身で、東京で通訳業を営むエレーナ・ポタポワさん(40)が話す。

 原発事故の時はキエフで暮らしていたが、父親の計らいで別の場所に一時避難した。日本に住んで約10年になるが、2度も原発事故を経験した。「都会の人は事故を忘れがち」。エレーナさんには、福島原発事故の前のにぎわいを取り戻した東京がそう見えて訴える。

 「チェルノブイリや福島では時間は止まったまま。事故に関心を持ち続け、放射線の被害で苦しんでいる人たちを支援することが大事です」

 前出の中村さんは、福島第1原発の周辺自治体などを帰還のために除染する方針に異を唱える。「チェルノブイリ周辺も除染して農業の再開を試みたが結局、諦めて移住したケースが多い。広大な森林は手付かずで汚染されたまま。放射性物質は消えず、除染は気休めにすぎない。除染事業が新たな大手業者の『利権の巣』にならないようにしなければならない」

デスクメモ

 中村さんは参院議員時代、脱原発を唱え、いち早く再生可能エネへの転換を説いた。小中学のころの10年間を福島県いわき市で過ごす。その浜通りの人びとは放射能汚染で追われた。「気分が鉛のように重い。晩年にこんな思いをするとは」。思い出の詰まった故郷の再生にペンで訴えていくつもりだ。(呂)

2012/11/10

6歳でチェルノブイリを経験した歌手の2008年のメッセージ

今、多くの人に伝えたいメッセージ

ウクライナ出身の歌手、ナターシャ・グジーさんが「視点・論点『チェルノブイリとヒロシマ』」というNHKの番組に出演したのは2008年。美しい声で心を込めて歌う「千と千尋の物語」の主題歌「いつも何度でも」が素晴らしく、とても感動した。が、それ以上に私の心に響いたのは、自らが6歳のときに経験した原発事故の体験と、その後の放射能汚染地の話、そして、最後の「人間は忘れることによって、同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないで下さい。同じ過ちを繰り返さないで下さい」というメッセージだった。

ナターシャ・グジーさんが「視点・論点」で話したことから抜粋

今日、8月6日は、60年以上前に広島で悲劇が起こった日です。広島や長崎の悲劇がまだ終わっていないように、20年以上前に起こったチェルノブイリの悲劇もまだ終わっていません。

いまから22年前にチェルノブイリ原発が爆発しました。当時、私は6歳でしたが、お父さんが原発で働いていたので、家族全員で原発から、わずか3.5kmのところに住んでいました。事故が起こったのは夜中だったので、ほとんどの人たちがそんなに大きな事故が起きたとは知りませんでした。

そのため、次の日は普通に生活していました。子どもたちが学校に行き、お母さんたちが小さな子どもたちを連れて一日中外で遊んでいました。そして、一日中、目に見えない放射能を浴びていました。事故のことを知らされたのはその次の日でした。「大したことは起きていません。でも、念のために避難して下さい。3日間だけ避難してください。3日後に必ず帰ってきますので、荷物を持たずに避難してください」そう言われて私たちは皆、荷物を持たずに街を出てしまいました。でも、3日経っても、1ヶ月経っても、そして20年経っても、その街には戻ることはありませんでした。子どもの頃、毎日遊んでいた美しい森も、たくさんの思い出が詰まった家も、放射能のせいで壊されて土の中に埋められました。今そこには何も残っていません。かつて、いのちが輝いていた街は、死の街になってしまいました。

あの恐ろしい事故で、私たちが失ったのはふるさとだけではありません。とてもたくさんの人が亡くなっています。私の友だちも何人も亡くなっています。そして当時、私と同じように子どもだった人たちが、もう大人になり、結婚したり、子どもを産んだりしています。そして、新しく生まれてくる赤ちゃんたちの健康にも異常があります。

人間は忘れることによって、同じ過ちを繰り返してしまいます。悲劇を忘れないで下さい。同じ過ちを繰り返さないで下さい。そう願って、私は歌を歌っています。

http://www.youtube.com/watch?v=ry_WACFd8Ds&feature=player_embedded


 いつも何度でも
             作詞 覚和歌子  作曲 木村弓

 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも心躍る 夢を見たい
 かなしみは 数えきれないけれど
 その向こうできっと あなたに会える

 繰り返すあやまちの そのたび ひとは
 ただ青い空の 青さを知る
 果てしなく 道は続いて見えるけれど
 この両手は 光を抱ける

 さよならのときの 静かな胸
 ゼロになるからだが 耳をすませる
 生きている不思議 死んでいく不思議
 花も風も街も みんなおなじ

 
 呼んでいる 胸のどこか奥で
 いつも何度でも 夢を描こう
 かなしみの数を 言い尽くすより
 同じくちびるで そっとうたおう

 閉じていく思い出の そのなかにいつも
 忘れたくない ささやきを聞く
 こなごなに砕かれた 鏡の上にも
 新しい景色が 映される

 はじまりの朝の 静かな窓
 ゼロになるからだ 充たされてゆけ
 海の彼方には もう探さない
 輝くものは いつもここに
 わたしのなかに
 見つけられたから


http://www.youtube.com/watch?v=xQJog0rs7Eg&feature=fvwrel


ナターシャ・グジー 
ウクライナ生まれ。ナターシャ6歳のとき、1986年4月26日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。

その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。2005年7月、ウクライナ大統領訪日の際、首相官邸での夕食会に招待され、演奏を披露。コンサート、ライブ活動に加え、音楽教室、学校での国際理解教室やテレビ・ラジオなど多方面で活躍しており、その活動は高校教科書にも取り上げられている。

2012/11/09

東電発表 3月に、大気に放出された放射性物質だけで チェルノブイリ原発事故の17%

東京電力は、これまでも様々なウソをついてきたし、最近も原発の事故処理作業員の登録者を8000人しかいないのに2万4000人と3倍も多く発表していたから、福島原発から「大気に放出された放射性物質がチェルノブイリ原発事故の17%」という数字も信じることはできない。そして、地下や海にも大量に放出している。しかし、なぜ地下や海に放出された数値が推測でも発表されないのか?

福島汚染、主因は2号機 東電発表 3号機も大量放出
(2012年5月25日 朝日新聞)

 東京電力は24日、福島第一原発事故で大気に放出された放射性物質の総量を90京(けい)ベクレル(京は兆の1万倍)とする試算結果を発表した。2号機からが最も多く、昨年3月15日、主に2号機からの放出で原発の北西地域が激しく汚染されたとする説を裏付けた。16日にも海の方角へ大量放出があったらしいこともわかった。東電は「3号機から」としているが、詳しくは不明だ。

 東電は、昨年3月12日~31日の期間の大気への放出量を評価。90京ベクレルは、経済産業省原子力安全・保安院が昨年6月に示した77京ベクレルの約1.2倍。旧ソ連チェルノブイリ原発事故での放出量の約17%にあたる。

 1?3号機からの放出量の内訳は、1号機13京ベクレル、2号機36京ベクレル、3号機32京ベクレル。発電所周辺の空間放射線量の値などをもとに割り出した。放出源が判明しないものも11京ベクレルあった。定期検査中だった4号機からの放出はない、とした。

浜岡原発でタービン羽根にひび割れ 4号機に15カ所

「羽根を取り外して調べたら、4カ所のひび割れと11カ所の亀裂が確認された」
東海地震の震源の真上に建ってる浜岡原発ですら、こんな状態で動かしていた。

浜岡でタービン羽根にひび割れ 4号機に15カ所

 中部電力浜岡原発4号機(静岡県御前崎市)の「低圧タービン」の一部にひび割れの疑いが出ていた問題で、中部電は6日、抜き取り検査した72枚の羽根の15カ所に、ひび割れや亀裂が見つかったと発表した。

 中部電によると、羽根を取り外して調べたところ、6日までに4カ所のひび割れと11カ所の亀裂が確認された。破損の原因を調べるとともに、超音波検査で取り付け部に異常が見つかった1700枚全てについて検査を進める予定。

 浜岡原発は3~5号機が政府要請で運転を停止。今後、4号機と同じ型式の3号機も検査し、型式が違う5号機は4号機の検査結果を踏まえて対応を検討するという。
2012/11/07 00:46 【共同通信】

2012/11/06

低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害

『低線量汚染地域からの報告―チェルノブイリ 26年後の健康被害』
馬場 朝子 (著), 山内 太郎 (著)

内容紹介
いまなお続く放射能汚染による健康被害

昨年4月、ウクライナ政府はチェルノブイリ原発事故後の、国民の健康への影響を詳細に調べた報告書を公表した。低線量汚染地域に居住してきた人々への定点調査では、甲状腺がんや心臓疾患、白内障といった疾病や慢性疾患の増加という実態が浮かび上がってきた。四半世紀を経てなお続く原発事故の「後遺症」を綴る。

(レビューから)
★5つ星のうち 5.0 今読むべき本! これから数十年価値を持つ本!!
2012/10/6 By zawa

 今年(2012年)9月にNHKで放送されたドキュメンタリー番組の書籍版。番組を見た人でも買って読む価値がある。

 昨年ウクライナで出されたチェルノブイリによる健康被害の報告書を巡る話とチェルノブイリから140キロ離れた低濃度汚染地帯の都市コロステンに暮らす市民の苦悩が取り上げられている。

 汚染地域で診療してきた医師達が直面している「現実」に基づいた報告書は、放射能との関連の「科学」的証明が不十分として国際的な共通認識を得られていない。日本でもウクライナの「現実」を無視することで避難の基準を年20ミリシーベルトにするという政策が採られている(ウクライナは年1ミリシーベルト以上は移住権利地域、5ミリシーベルト以上は移住地域)。学者は本来であれば「科学」的に証明できない「現実」があれば「科学」の限界に思い至り謙虚になるべきだと思うのだが、日本の(御用)学者は「科学」的に証明されていないものは「現実」にも存在しないかのように傲慢に振る舞うようだ。

 コロステンの市内は、年0・5~1ミリシーベルトの放射線管理区域と年1~5ミリシーベルトの移住権利区域が半分ずつ占めている。日本でも同程度の汚染地域は広く分布しており、おそらく数百万人が暮らしている。年0・5ミリシーベルト以上の汚染地域ならば1千万人以上が暮らしているだろう。チェルノブイリから26年後のコロステンの現状は、目をそらすことなく凝視すべきだろう。

 しかし、子供たちの75%以上が何らかの疾患を抱えているという「現実」はあまりにも重すぎる。
 著者二人の姿勢は公平である。誰かを糾弾するでもなく、不安を煽るでもなく、とても誠実に書かれている。私自身は、こんな惨禍を招きながら未だに誰も責任を取らない状況は異常なので、個人名をあげて告発する事は絶対に必要だと考えている。しかし、報道の良心に従い、必要と思われる事実を丁寧に書き記した本書からは多くの事を教えられた。信頼するに足る良書である。

★5つ星のうち 5.0 関東のわが市も全く同じ状況の兆しが。
2012/10/20 By 高橋享子

 この本を読んで衝撃的でした。現在私の住むN市はチェルノブイリ事故の低線量被ばく地域であるコレステンと状況がよく似ている。確かに26年たったという差はありますが、民間団体の土壌検査の結果、移住権利地域が6分の1程度、それ以外ほとんどが放射能管理地域です。

空間線量は、安全な住宅街で0,15高いところは0,23以上森は0,3以上なのです。このまま除染をしなければ25年でこの地域のもコレステンと同じ被ばく量になります。コレステンでは森の食べ物は絶対食べてはいけないといっているのに、わが市では野生の栗などを検査しても大丈夫として売っている。

25年後の未来の子供たちに誰も責任はとれないのです。関東も含めて低線量被ばく地域に住む放射能被害を気にする人々、子どもを持つ親たち、そして若者もこの本を読んで将来起こるかもしれない現実を知ってほしい。読みやすく素晴らしい本だと思います。

★ チェルノブイリの痛切な経験から日本人に警告する
2012/10/25 By つくしん坊 トップ500レビュアー

原子力関連の国際機関(たとえば国連科学委員会)によれば、チェルノブイリ事故による放射線障害は、事故直後に放射性ヨウ素を被曝した子供たちの甲状腺がんと、高線量被曝をした事故処理作業員の白血病と白内障だけである。しかし、チェルノブイリ事故で大きな影響を受けたウクライナの各地を取材した本書によれば、実態は全く異なる。

子供の甲状腺がんはもちろん、大人や子供を問わず、循環器系疾患をはじめ、消化器系、神経系・感覚器系、および呼吸器系疾患などあらゆる病気が、事故後顕著に増えている。特に、健康な子供たちがほとんどいないという驚くべき事実には、心が痛む。本書は、低線量被曝でも健康に大きな影響を及ぼしうる、というチェルノブイリの痛切な経験から日本人への警告の書である。

ウクライナでは、年間5ミリシーベルト以上が強制移住、1ないし5ミリシーベルト未満が移住勧告地域である。重要な点は、福島では居住が認められている年間20ミリシーベルト以下でも、ウクライナでは顕著な健康被害が認められている点である。しかし、国際機関は科学的な根拠が不十分として、ウクライナの低線量被曝による健康被害を認めておらず、日本も同様である。これから日本で起こりうる悲劇を考えると心配でならない。

今のところ、日本の国や行政機関が年間20ミリシーベルト以下の低線量被曝に対して、何らかの対策を打つ気配がない。本書は、われわれ日本人が、チェルノブイリ事故とその後の長期的な放射線被曝から何を学ぶべきかを教えてくれる、貴重な内容である。

 

福島の地にとどまり続けることがどうして危険か 

福島「甲状腺検査結果」を受けて、緊急記者会見ひらかれる
(2012年9月20日 JanJanBlog 三上英次)から抜粋

 9月11日に福島県から発表になった「健康管理調査」について、19日、「ふくしま集団疎開裁判」の柳原弁護士、同裁判で意見書を書いている矢ケ崎琉球大学名誉教授らにより緊急の記者会見が行われた。そこで同弁護士らは、「最新の健康調査から見ても、福島の子どもたちの疎開は緊急の最重要課題である」「まったなしだ」と強く訴えた。

 柳原弁護士らがおこしている「ふくしま集団疎開裁判」は、「福島の子どもたちが被ばくの危険性の無い安全な場所で教育を受けられるようにすること」を求めるものだが、「福島の地にとどまり続けることがどうして危険か」について、矢ケ崎名誉教授が今年2月に仙台高裁に提出した〔意見書(4)〕で極めて明快に説明している。以下にその内容を簡単に紹介する。
      

  ◇◆◇〔意見書(4)〕で指摘される重大な事実◇◆◇

 〔意見書(4)〕が書かれたのは、今年2月29日。ここで矢ケ崎氏は、検査した約30%の子どもたちにしこりとのう胞が発見された、2012年1月25日発表の「東電福島原子炉周辺の4市町村の子どもの検査結果」をもとに意見を述べているが、その基本的なスタンスは現在も変わらない。

 同氏は、チェルノブイリ原発事故(1986)以後、ベラルーシで「おとなも子どもも事故後1年目に発がん率の増加が認められていること」を挙げて、次のように書く。

 「これらのデータからは、東電福島原発事故後に現れた甲状腺のしこりや嚢胞はこれから現れるであろう発がん等の健康被害を暗示しております。このことは、子どもの健康保護を具体的に急がなければならないことを示しているのです。特に、子どもの教育を安全な場所で展開する必要に迫られていて、すぐさまの疎開が求められることを示しています。」(同意見書P3〕

 今回(9月11日福島県発表)、3回目の検査として42000人の子どもたちのうち43%もの高率で甲状腺に「しこり」や「のう胞」が見つかったことを考えると、上記矢ケ崎氏の訴えはまったく杞憂ではない。そうではなく、同氏の懸念がますます現実的になっていることを今回発表の検査結果は示している。

 〔意見書(4)〕の中でも、矢ケ崎氏は、しこりやのう胞について「原発の影響とみられる異常ではない」とする意見に反論している。同氏があげるひとつの反論材料は、「甲状腺ガンは、ベラルーシではチェルノブイリ原発事故以前は10万人に0.1人(すなわち100万人に1人)であるのに対して、事故後はチェルノブイリ周辺では、1000人中に10人以上の規模で、子どもの甲状腺がんが観測されている」という事実である。(同意見書P6)

 矢ケ崎氏によれば、日本では、子どもの甲状腺にどの程度の割合で、結節(しこり)やのう胞が現れるかは、まだ統計的なデータはないという。しかし、だからと言って、福島でのいくつかの症例は、「安心していれる状態」とは言い難く、むしろ「子どもの健康管理にとって、大きな警鐘を鳴らしていると見るべき」と同名誉教授は説く。(同上)

 同意見書P10に載せられたチェルノブイリでの甲状腺がん発生統計表を見れば、福島の子どもたちが置かれている危機的状況は素人(しろうと)でもわかるはずだ。

 その統計表は、1986年チェルノブイリ事故の前後8年ずつのチェルノブイリ近郊での甲状腺発がん数をまとめたものだ。それによれば、子どもの甲状腺がんの発生件数は、1986年に2件、1987年に4件、以後5件(1988)、7件(1989)と微増していくが、事故後4年で「29件」と激増する。そして、その後も59件(1991)、66件(1992)、79件(1993)、82件(1994)と増加はとどまるところを知らないかのようである。

 そして、この事実は、文科省前の集会で、井戸弁護士が甲状腺異常を安全視する意見に対して述べた次の言葉とぴたりと符合する。

 「この『チェルノブイリ事故でさえ…最短で4年』というのは、大ウソです。正確には、『チェルノブイリで急激に増加し始めたのが4年後』であって、チェルノブイリでも翌年から子どもたちの甲状腺の異常は見つかっているのです」
     

  ◇◆◇記者会見での矢ケ崎氏の訴え◇◆◇

 19日の会見で、上記意見書の内容もふまえた上で、「被ばくに関する科学」が「真理探究の内実をもって執行されていない」つまり、「被ばくが生命に対してどのような影響があるか、どういう害悪をもたらすか」が明らかにされてこなかったと、矢ケ崎氏は過去をふりかえる。

 「被ばくに関する科学がきちんとしていれば、原発関連企業が徹底的に打撃を受けるのです。国際的にも、ICRPが長く内部被ばくを研究させないというようなことをやって来ました。歴史的に見て、いかに内部被ばくの被害に関する研究が隠されてきたかということです。今でも、被ばくからいのちを守らなければいけないというグループが少数派になっているのです。被ばくについては色々と議論の分かれるところですが、その議論が、いのちを守ろうとする人たちによるものか、あるいは核推進の立場にある者の言動かを、判断の基礎に置いてほしいです。」

 「たとえ年間1ミリシーベルトを基準にするとしても、これは人体に安全であるはずがないのです。それを子どもたちに年間20ミリシーベルトまで許容させるなんてことはとんでもないことです。この〈20ミリシーベルト〉を、マスコミはあまりにも冷静に書き過ぎです。

 ICRPの基準は、原発を擁護するものです。基準を厳しくすればするほど原発企業は経営が成り立たなくなります。ですから、ある種の功利主義に立って、みんなのためなら被ばくもやむを得ないだろうという…その折り合いが1ミリシーベルトなのです。ですから、たとえどんなに低線量の被ばくでも害はあるのです」

意見を述べる高橋氏「原発作業員と同じ被ばく基準、年間20ミリシーベルトを一般の県民や子どもたちに強いるのは、いくら何でも無茶です。年1ミリシーベルトを超える地域については、〈避難する権利〉を住民に与えるべきです

 「福島県立医科大学の山下副学長らのグループは、『甲状腺がんは100万人にひとりのもので、今回の検査結果も原発事故の影響ではない』などと言っていますが、この検査結果を見れば、子どもたちを最大級の警戒体制で見守らなければいけないのは明らかです」

 矢ケ崎氏が〔意見書(4)〕に書くこと――、

 「政府は放射線の被害を『直ちには健康に被害は無い』とだけ言い、現在健康被害が現れる恐れに対して〈無料健康診断〉や〈医療費無料化制度〉など、何ら具体化はしていないのが現状です。子どもの命を大切にし、健康被害を防止する立場からは、あらゆる健康被害の気配を察知し、即刻万全の備えをすることを願うものです。日本国憲法で〈個〉の尊厳が謳われ、第25条健康で文化的に生きる権利が保障され、国は誠実にそれを実施しなければならないとされています。この主権者が望む当たり前の願いは、被曝防護としては集団疎開であり、無料の医療検診、治療制度を確立することから始めるべきだと思います。」(P11)

 これらの実行に向けて、いったいどんな難しさがあるというのだろうか。あるいは、これらよりも優先させなくてはいけない、ほかのことがらが何かほかにあるだろうか。

 26年前にチェルノブイリで起きた悪夢が、日本で今後起きないとは誰も言い難い。むしろ、過去3回にわたる甲状腺の「健康管理調査」は、その予兆を示しているし、今後、政府が子どもたちに何の救いの手も差しのべず、子どもたちが被ばくするに任せていたら、どうなるか――。それは「福島は、チェルノブイリ原発周辺地域の12~15倍もの人口密度がある」と柳原弁護士が警告するように、チェルノブイリの比ではない悲劇が、4年ないし5年後といった近い将来に引き起こされることはまちがいない。

内部被ばくの危険性について語る矢ケ崎氏(右)。矢ケ崎氏らの立ち上げた「市民と科学者の内部被曝問題研究会」はそのメンバーも活動内容もすばらしいものだ。下記《関連サイト》参照

子を連れて西へ西へと逃げてゆく 愚かな母と言うならば言え

俵万智さん
<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>

(2012年2月24日 毎日新聞夕刊)

 日本よ!悲しみを越えて 歌人・俵万智さん

(たわら・まち 1962年大阪生まれ。現代歌人協会賞受賞の第1歌集「サラダ記念日」で口語短歌の裾野を広げた。「愛する源氏物語」で紫式部文学賞。主な歌集に「チョコレート革命」「プーさんの鼻」など著書多数。 <この国はどこへ行こうとしているのか>)

 ◇「便利」の先に何が?――俵万智さん(49)
 あのミリオンセラー歌集「サラダ記念日」から25年になる。<大きければいよいよ豊かなる気分東急ハンズの買物袋>。日本人が酔ったバブル時代の空気をそう詠んだ人が今、東京から2000キロ以上離れた南の島にいると聞き、会いに行った。

 気温14度。待ち合わせたリゾートホテルの庭には真っ赤なハイビスカスの花が咲いていたが、北風のせいで南国情緒は感じられない。「石垣にしては肌寒いですね」。落ち着いて、すっかり島になじんだ様子の俵さんだったが、東日本大震災当時の状況を尋ねると笑みがすっと消えた。

 「あの日は都内の新聞社にいたんです。読書推進会議の最中にすごく揺れて、『仙台で震度7! 号外が出ます!』という情報が飛び込んできたんです。すぐ実家のある仙台に電話したんですが、手が震えちゃってボタンをうまく押せなくて……」

 俵さんは03年11月に未婚のまま、男児を出産したシングルマザー。一人息子の匠見君を育てながら都心で創作を続けていたが、幼稚園入園を控えて06年に、両親が老後の家を求めた仙台市に移り住んでいた。「母が仙台出身で、父も東北大大学院で学びました。子どもの頃からなじみの深い土地だし、息子を土の園庭で伸び伸びと遊ばせてあげたくて。東京へも日帰り圏内だし、引っ越したんです」

 それから4年余り。かつて家族や恋愛模様をうたっていた歌人の関心の対象は、最も大切な存在である息子へと移った。<だだ茶豆、笹(ささ)かまなども並びおり仙台の子のおままごとには>。母親の眼差(まなざ)しに仙台の風土を織り交ぜた作品を詠むようになったが、震災がそれを中断させた。

 幸い家族は無事だったが、交通機関はストップ。5日目にようやく山形経由で仙台入りした。<電気なく水なくガスなき今日を子はお菓子食べ放題と喜ぶ>。再会した息子が発した言葉はそのまま歌になった。

 だが、東京電力福島第1原発事故による放射能汚染が重くのしかかった。いとこの勧めもあり、着の身着のまま、息子を連れて2人で仙台を離れる決心をした。<子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え>。その苦しい胸中を、そんな三十一文字で表した。

 「子どもを被ばくさせてはいけない、安全な所へ逃げようと。那覇便が空いていたので、春休みいっぱいぐらいは様子を見ようかと思ったんです。2月に始めたばかりだったツイッターに『西を目指す』と書いたら、大部分は励ましのツイートが寄せられたのですが、『行ける人はいいね』『もう帰ってこなくていい』とかの批判もあって心に刺さりました」。それでも、息子を守れるのは自分しかいないと思い定めた。

 那覇のホテルにいた2週間、震災ニュースにくぎ付けになった。正月に家族で滞在した南三陸にも津波が押し寄せていた。「2人ともだんだん煮詰まってきたんですね。息子は指しゃぶりを始めたりおかしくなって、私も般若のような顔でテレビを見ていたりして。ちょうど歌人の松村由利子さんが石垣に住んでいることを思い出して連絡したら、『いらっしゃい』と言ってくれ、1週間くらい居候させてもらいました。海に連れて行ってもらったり、近所の子どもと遊んだりしているうちに息子も回復してきて。やっぱり人のつながりがある所にいなきゃダメだなって、つくづく思いました」

 そのまま石垣への長期滞在を決意し、目の前に美しい湾が広がるマンションを見つけた。4月、小学2年生になった匠見君は地元小学校に元気に通い、すっかり地元の言葉も板についてきた。<ダンボールから衣装ケースに移すとき「定住」という言葉を思う>。創作活動はどこにいてもできる??夏休みを過ぎるころから、こんな心境にもなってきた。「私が仕事で留守にする時には、近所の人が息子を預かってくれます。昨日は近所の幼稚園児が我が家に『泊まりたい』『いいよ、いいよ』って。地域社会の中で子どもが育っている感じが、すごく魅力的なんです」と笑う。

 <まだ恋も知らぬ我が子と思うとき「直ちには」とは意味なき言葉

 月刊誌「歌壇」の昨年9月号に寄せた歌。原発事故によるパニックを避けるために政府高官がひねり出したごまかしの言葉に、世事を直接的にうたうことを避けてきたはずの歌人は鋭く反応した。

 「国って自分たちに何をしてくれるのとか、今までそういう見方で何かを考えたことはなかったんです。今だってスローガン的には書きたくはない。けれども『直ちに』と言われた時に、後からだって影響が出たら困ります、だって子どもはまだ恋もしたことがないんですよという、母親としての感情ならうたえるかなという気がしたんです」。そうした心境の変化は、子どもへの放射能被害を懸念する全国の母親たちの気持ちをまさに代弁していないか。

 権力者の言葉を信じず、地域住民の手助けがなければ生活もできないスローライフをあえて選択した俵さんは、さらに続ける。「便利は快適だし楽しいし、別にそれを否定するつもりはありません。でも、便利の先に何があるのか、それをどんどん研ぎ澄ませていったところに広がる空気は、それほど幸せでもなかったのかなあって」

 過剰なまでの「便利」の追求――。「その便利の象徴が電気だったような気がします。今、私たちはそのしっぺ返しを受けているんじゃないかと……でも人間ってキリがないんですよね」。消費社会の“魔力”を知る歌人は苦笑した。ホテルのBGMで流れるヒーリング音楽が、耳障りな音に聞こえてきたのは気のせいだろうか。

 取材後、私が運転するレンタカーで、俵さんを市中心部の市役所まで送った。「きっかけは避難でしたが、今はここが気に入って住んでいますね。自宅から市街地までタクシーで30分くらいかかるので、用事をまとめて済ませるようにしているんですよ。これから窓口で子ども手当をもらってこなくっちゃ」

 助手席でそう話した彼女の後ろ姿を見送りながら、自分にとってかけがえのない存在とは何だろうかと考えさせられた。【中澤雄大記者】

元原発作業員 放射線量が高い現場で働かせた関電工を告発

元原発作業員 関電工を告発
(11月1日 NHKニュース)

東京電力福島第一原子力発電所で、事故直後に対応に当たった元作業員が、放射線量が高い現場と知りながら作業を続けるよう指示されたと主張して、作業を請け負った関電工を労働安全衛生法違反の疑いで労働基準監督署に刑事告発しました。

告発したのは、福島第一原発で去年3月から4月にかけて作業に当たった福島県いわき市に住む46歳の元作業員の男性です。

1日会見した男性や代理人の弁護士によりますと、男性は、東京に本社がある関電工の下請け企業の社員として、事故直後の去年3月24日、関電工の社員ら5人と共に、福島第一原発の3号機の原子炉タービン建屋で、地下に電源ケーブルを敷く作業に当たったということです。

建屋の地下には水たまりがあり、同じ場所にいた東京電力の作業員は、空間の放射線量が1時間あたり400ミリシーベルトと計測されたため作業をせずに撤退しましたが、男性らは関電工の作業員から一緒に作業を続けるよう指示されたと主張しています。

男性は地下で働くことを拒否し、主に1階で1時間ほど作業しましたが、およそ11ミリシーベルト被ばくしたということです。このため、男性は、放射線量が高い現場と知りながら作業を続けるよう指示されたと主張して、関電工を労働安全衛生法違反の疑いで労働基準監督署に刑事告発しました。

また、作業を発注した東京電力についても、作業員の安全を確保する必要な措置を怠ったとして労働基準監督署に是正を指導するよう求めました。男性は「福島第一原発で働く作業員が、私のように危険な目に遭うことなく安全に仕事ができるよう改善してほしい」と話しています。

今回の告発について、関電工は「作業が終わったあとで、東京電力の作業グループから空間の放射線量が高いことを知らされ、一緒に撤退したと認識しており、作業を行った時点では線量が高いとは認識していなかった。労働基準監督署の調査には真摯に対応したい」と話しています。

また、東京電力は「詳細が分からないのでコメントできないが、引き続き安全対策を徹底したい」と話しています。


東電のウソ 原発作業員登録数 説明の3分の1だった 
被曝量が多い過酷な作業で辞める人が多い

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