チェルノブイリ医療支援から(WFスタッフ矢野より)

以下は、スロービジネススクール、NGOナマケモノクラブの
メーリングリストに配信したものです。

チェルノブイリの医療支援活動を通じ、得たこととして、
参考になれば幸いです。

ーチェルノブイリの子どもたちの作文集 「私たちの涙で雪だるまが溶けた」 と、カルロスさん。ー

 

地震が起き、原発事故が起き、

ウインドファームと関わりのある生産地(ブラジル、エクアドル、メキシコ、インド)
から、お悔やみや励ましのメッセージが届いている。

 

もしも、カルロスさんが生きていたら、 地震と津波で被害を受けた日本の
人々への悲しみを強く抱き、誰よりも真っ先にメッセージを送ってきてくれた
ことだろう。カルロスさんは、ブラジルから遠く離れた日本の人々のことを、
コーヒーという自然の恵みを分かち合う、自分の家族だと思っていたから。

さらに放射能で大地が汚染されている様子を見て、カルロスさんの悲しみはよ
り深まっていることだろう。ジャカランダ農場に生きるすべての生命を大切に
するために、農薬を使わないことを決意したカルロスさんにとって、大地は決
して汚してしてはならない、聖なるものだった。それが農薬であれ、放射能で
あれ、土を汚すものについて、カルロスさんは断固として反対していた。

もう10年以上も前のことだ。

放射能の被害を受けたチェルノブイリの子どもたちの作文集「私たちの涙で雪
だるまが溶けた」が日本で出版された。この本を、ポルトガル語に翻訳して、
ブラジルでも広めようという話しになったことがある。

原発事故が起き、放射能汚染が広まったら、子どもたちはどんなふうに苦し
み、悲しむのか。二度と、同じことを起こさないために、実際に被災した子ど
もたちの想いをブラジルでも、広く伝えよう。当時、チェルノブイリの子ども
たちを支援する運動に関わっていたウインドファーム社の中村隆市の提案にカ
ルロスさんは全面的に協力してくださり、ロシア語とポルトガル語に堪能な友
人に協力をお願いしてくれるなどして、ポルトガル語版の発行に尽力してくだ
さったのだった。

そうして、チェルノブイリの子どもたちの想いは、日本を経て、ブラジルまで
届けることができたのだが、そのとき、私はこんな確信を抱いたものだった。
「フェアトレードのつながりはコーヒーだけでなく、チェルノブイリの子ども
たちからの大切なメッセージの分かち合いも可能にすることができるんだ。
きっとこうして人はつながりあって、原発のない平和な世の中になっていくん
だ」と。

だが、そんな想いを抱いたのも、もう遠い昔のような気がする。あれか
ら・・・。結局、日本で原発は減ることなく、国策として原発は推進されてい
き、多くの科学者が懸念したとおりに、地震が起きて、津波が来て、事故が起
きた。そして、今、日本に住まう人々が、放射能の恐怖を身近に感じ始めている。

放射能から逃れるため、西へ、西へと避難してくる人もでてきている。九州に
住む私も先日、5歳の男の子を自宅で受け入れたばかり。外で遊ぶことを禁じ
られていた彼にとっては、屋外でのサッカーや薪ひろいの作業は開放感を与え
てくれたのだろう。生き生きと大地で遊ぶ彼の姿越しにある空気、水、土を、
とても大切に感じた。

一方、福島県では、土を放射能で汚染されたある有機農家が、自ら命を絶った
という。同じ有機農家であったカルロスさんが、そのことを知ったら一体、ど
んな気持ちを抱くだろう。

私たちの生命を支えてくれている土台そのものが、今、崩れつつあるのかもし
れない。そんな不安に満ちた空気感が確実に流れている。
だから、なのだろう。今、私はチェルノブイリの子どもたちの作文集「私たち
の涙で雪だるまが溶けた」を読み返すことができない。すでに、幾度か読み通
しており、いくつかの作文も思い出すこともできるはずなのだが、思い出す気
持ちにもなれない。余計な不安や恐怖を、自分に課したくないのだ。悪い夢な
らば、とっとと覚めてほしいと想う。

カルロスさんだったら・・・。これまで、いろいろな局面で、そうやってカル
ロスさんに助言を求めてきた。そんなとき、いつも私の脳裏には、微笑みを浮
かべたカルロスさんが映し出され、私は気持ちを落ち着かせて、アイデアを得
ることが多い。

だが、今回ばかりは、私の脳裏に浮かぶカルロスさんの表情は、真剣さに満ち
ていた。「逃げずに、しっかり生命を見つめていく」。カルロスさんの面影を
通して得た、そんな言葉をかみ締めながら、コーヒーが注がれたカップの水面
を、じっと見つめる。

矢野広和

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