子どもへの説明例(WFスタッフ矢野の場合)その2

先週の金曜日、九州にも放射能の心配
もあるかもという情報があり、また雨が降っていたので、
ソウタを学校まで車で送ることを提案しました。

【ソウタ】
歩いて、自分で行けるよ

【ひろかず】
ああ、うん。ちょっと放射能がくるかもなんで、雨ふって
るし、今日は一応、お父さんがおくっとく。

そう伝えて走り出した車中。

【ひろかず】
その後、学校でも放射能のことなんか、話題になってる?

【ソウタ】
いや、べつに・・・

10歳の少年と、父親の、男同士の会話なんて、こんなも
んなのだろうか。

最近、あまり会話が弾まない。今年で5歳になるヒナタは、
ゴムマリみたいな体つきと同様、ぽんぽん言葉を弾ませて
からんできてくれるのだが。

10歳といえば、もう立派な少年。1歳のマナカとお出かけ
するときなど、立派なサポート力をもっていて実際、頼りに
なる。

すでに、自分の世界を形成していて、「オレにはオレの世
界がある」ようで・・・いや、決して仲が悪いというわけでは
ないのだが、無駄にしゃべらないというか、余計な言葉は
使わないというか。

だから、とくに二人でいるときに流れる沈黙も、別
にどうってことはないのだが。

【ひろかず】
放射能のことで、不安とかある?

【ソウタ】
いや・・・

だが、放射能をめぐる会話については、この沈黙が、ぼくには
つらい。

実を言えば、あれこれ質問してくれた方が、ぼくはよっぱど楽
なのだ。あれこれ、適当な言葉を使って、時間を埋めることが
できる。

だが、ソウタは「沈黙」という言葉で、ぼくを問い詰めてくる。

「子ども」という存在そのものが、ぼくにとっては巨大な問い
なのだ。

「なんで、こんなことになってしまったの?」、と。

沈黙を通して、ソウタが投げかける質問から、ぼくは逃げら
れない。いつ、彼が実際に、そんな質問をしてくるのか。こ
の先、必ず、そんな日はくるはずなのだ。

今、大人を演じている人が、いずれ、どこかの局面で。
「なんで・・・・」と。子どもから、そんな質問を受ける。そ
れはもう起こっているかもしれない。

そんな根源的な質問に、ぼくは、どう応えたら、いいのだろう?
みなさんなら、どう?

起きてしまった原発事故の処理や放射能汚染について
の状況説明や共有は、いのちを守るために、とても大事
なこと。

そして、さらに、その奥底にある、「そもそも、なぜ、こん
なことに・・・」という疑問。

それは、ソウタからすれば、「お父さん、なにしとったんよ?」
と問い詰め、責めたくなるのも仕方のない疑問。

「そういう社会構造だったのよ」と社会のせいにして、その場を
しのぐことができたとして、でも、一人の大人として、やのひろ
かず、あんた、どうだったのか?

子どもの目は、じっと見つめてくるに違いない。

その質問に、どう応えれば・・・

いつまでも逃げ切れるものではないので、今回の出来事
について。

自分ごととして、どう受け止め、これから、どうするか?に
ついて、ソウタに説明することを意図して、書いてみました。

「はっ、口先だけの愛じゃん」とソウタに言われるのがこわ
いので、まだ彼には読ませられないけど、いつかの、良い
日のためのトレーニング。

今のところの、オヤジの言い訳的説明と意思表明。という
感じでしょうか。

愛するソウタへ

原子力発電所が事故を起こして、今も大量の放射能が
大地を汚しています。

君は思うでしょう。

「なぜ?」と。

「なぜ、こんな危険な原子力発電をやってきてしまったの?」と。

ぼくが17歳のとき。広瀬隆さんの「危険な話」を読んで、原子
力発電の危険性に絶望したことがあります。

ぼくも、そのとき、今、君が抱いているのと、まったく同じ想い
を抱きました。「なんて、愚かな大人たちなんだろう」と。「なぜ
そんな危険なことを選ぶのか」と。

そんな絶望を抱いたまま、ぼくは、いつしか大人になり、オヤジ
になり、かつてぼくが抱いた絶望と疑問を、君にも抱かせてしま
うことになりました。

ごめんなさい。許してください。

放射能汚染という不安を、君に抱かせてしまうことになったこと
自体は、もう打ち消すことはできません。

ただ、やはり、なぜ、こんなことになってしまったのか。
その質問を、ぼく自身の問題として捉えた場合、
ぼくは、こんなふうに考えます。

まず、「原子力発電というものが、どういうものか、

知らなかった」。
知識としての認識も甘く、その甘さゆえに、その危険性を伝え広
めるということも、充分にしてこなかった。 

もしも、その危険性を、この国の多くの大人が知っていれば、
危険な原子力発電を、国策として選ぶような人を国会に送り
込むようなことはせず、選挙にもきちんと関心を持って臨み、
安全なエネルギー政策を掲げる政治を選んでいたことでしょう。

もっと、きちんと、原発というものが、どういうものか。ぼく自身、
きちんと理解していれば、と今、後悔しています。

ぼくの身近な仲間には、原発のことをよく知り、それを分かりやす
い形にまとめた二つの冊子(「知ることからはじめよう」「原発が止
まる日」)を作るという、大事な仕事をした人がいます。

伝え広めるための冊子があったのにも関わらず、原発の危険性に
ついてぼくは、自ら広めようとしてきませんでした。

これから先、ぼくなりに、きちんと原発のことを知りなおして、そし
て、きちんと伝えていくようにします。特に上に上げた二つの冊子
を、中学生、高校生のうちから読んでもらえるようにすること。

それをすることで、原発のない社会を作っていきます。

あと、もうひとつ。

「なぜ、こんなことになってしまったのか?」についての、質問
への応えを、伝えさせてください。

それは、お父さんが受けてきた教育にあると思っています。

お父さんが受けてきた教育のなかで、お父さんは常に競争を
強いられてきました。

人よりも多く、人よりも強く、人よりも賢く・・・と。

今でこそ、お父さんはそうした競争なんかどうでもいいと思って
いますが、それでも、まだ心のなかに刷り込まれた「人よりも」
という気持ちは残っています。

なにか社会的に良いことをするときも、「人に認められたい」
「人からよく思われたい」、「人からバカだと思われたくない」
そんな思いを抱いてしまいます。

そんな気持ちが、「人からよく思われたい」という欲望を生み、
「人に非難されたくない」という恐怖を生み、本当にすべきこと
から、ぼくを遠ざけていたのでしょう。

人からまともな人と思われたいがために、日々あれこれ、右往
左往していたのです。

これから、ぼくは、そんな自分を変えていくとともに、そんな
自分を作り上げてきた教育というものを、徹底的に見直して
そして、君には、君が本当に平和な人間に育っていくための
教育を準備します。

では、それは、どんな教育か?

それは、「平和を、子どもから始める」ための教育です。
幸い、「デチタ。でチた。できた」という本もあって、この本に
書かれてあることが、ぼくにとっての道筋になります。

「平和を、子どもから始める」ための教育。

モンテッソーリという、100年前のイタリアの女性が考えた
教育が、あるのです。

それを通して、まず自らを育ち治し、君とともに分かち合いな
がら、ともに育ち、そして社会に広げていく。

加えて、原発がどんなものなのか?
その認識を、広めていく。

今回のようなことはが決して起こらない世の中にしていく
ために、上記二つのことをしていきます。

最後に、こんな拙い自分を、親として選んでくれて、

ありがとうございます。

そして、君のことを、これからもずっと、永遠に、あいしています。

4月10日、ソウタ10歳の誕生日に。

追伸
あ、あとね。非電化住宅。これは今年中に作るから。
住宅ローンで借金ちょっとするけど、それも親子で、
仲良く分かち合って、支えあっていこうね。約束ね。ぐふ。

ひろかずより

と、まあ、こんな感じ。
子どもをイメージして書いてみると、実際に書いてみる
と、案外、新しい発見もあって、具体的に何をしていくか
に気づいたり。

まだまだ自分の書いたことに自信はもてないけれど、
いつでも、子どもの眼差しを正面から受け止められる
ような自分であるように、準備していきたいなと思います。

子どもから平和が始まるのであれば、きっと、ぼくたち
大人にとっての平和の道も、子どもを通して見えてくる
はず。

そのことを、大切にしていきます。

矢野宏和

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