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パトリシア・モグエルとの出会い

 メキシコが起源だと言われるコーヒーの有機栽培。
 今回、その現場を歩いてきました。そこには、「協力」、「分かち合い」を大切にする生産者、先住民の伝統文化があり、森と共生しながらコーヒーを栽培する農業技術は、豊かな文化の中で育まれたものでした。そして、その文化と技術を守ろうと、生産者とともに闘う1人の女性、パトリシア・モグエル(生物学者・ミチュアカン自治大学教授)との出会いがありました。

岩見 知代子

 飛行機は1時間ばかり遅れてメキシコシティに降りた。世界で最も人口が過密で、スモッグの問題も深刻なメキシコの首都はすっかり闇に包まれていた。
 これから、先住民のコーヒー生産者グループを訪問する旅が始まる。その10日間の旅をコーディネートしてくれるというパトリシア・モグエルは、空港まで迎えに来てくれることになっていた。
 2000年、(株)ウインドファームを通して、メキシコ・チアパス州の生産者グループから日本の消費者に初めてコーヒーが届けられた。この時、メキシコと日本をつなぐ架け橋となったのがパトリシア・モグエルだ。生物学者である彼女は、現在メキシコのミチュアカン自治大学の教授として教べんを執り、多様な果樹と共にコーヒーを育てる生産システム(アグロフォレストリ)が、生態系に与える恩恵や影響について研究している。
 飛行機を降り、空港のロビーに向かうと、たくさんの出迎えの人なかに、パトリシアの姿があった。覚えたばかりのスペイン語であいさつをする私に、彼女は丁寧に応えてくれる。初対面の私は、いささか緊張していたものの、彼女の笑顔とやさしい出迎えの言葉でリラックスできた。
 翌日から私は、パトリシアの案内で、プエブラ州ナウワット族の生産者グループ「トセパン・ティタタニスケ」、オアハカ州チナンテコ族の生産者グループ「カフェニェイ」、そしてこの「カフェニェイ」に有機農法の技術や情報を提供しながら、アグロフォレストリの維持に取り組んでいるチャピンゴ大学の付属研究所などを訪問した。

自宅の屋上を利用したコーヒー実の天日乾燥。
 自宅の屋上を利用したコーヒー実の天日乾燥。
コーヒー園にて、パトリシアの説明を受ける。
 コーヒー園にて、パトリシアの説明を受ける。
色づいたコーヒーの実
 色づいたコーヒーの実
 その間、パトリシアがすべて通訳をしてくれたのだが、コーヒー園では、専門家として樹木の説明も熱心にしてくれた。しかし、いつもは、穏やかに冗談を交えながら話す彼女も、生産者らが抱える問題や現状を話すときは、決まって力強い口調になった。
 コーヒーの国際市場価格の暴落の影響や、大企業によるコーヒー豆の買いたたきなど、現地の生産者を取りまく現実はとても厳しい。
 伝統的な有機コーヒー栽培では、自然や生態系を保護しながらコーヒーを生産する。しかし、その文化や技術を守りたくても、何の考慮もない安い価格でしか生産物を取引できない以上、収入を得るためには、こうした伝統を捨てざるを得なくなる。
 しかし、その中にあっても、トセパンやカフェニェイの生産者らは、「協力」、「分かち合い」という素晴らしい姿勢をもって、これを乗り切ろうとしている。そんな生産者らの現状や切なる訴えを、パトリシアは、まるで自分自身のことであるかのように私たちに話してくれた。
 それは彼女が、不公平な状況にある生産者の立場に自分を置き換えて、考え、感じることが出来る人だからなのだろう。
 しかし、貧困や差別といった社会に対する彼女の問題意識や行動力は、どこから生まれてくるものなのだろうか。
 彼女は言う。「私の人生に一番大きな影響を与えたのは、弁護士だった父親です」と。彼女の父親は、公平な世の中の実現へ向けて、常に高い意識を持っていた人だった。弁護料を払えないような貧しい人たちの依頼をすすんで引き受け、彼らのために無償で闘っていたという。「父は、貧しい人たちのために闘うこと、分かち合うという精神を持つこと、そして社会に矛盾や疑問を感じたら、それをはっきりと訴え、行動することが大切なのだということを教えてくれました。こうした父からの教えは、私にとってかけがえのない宝物なのです」とパトリシアは言う。
 そしてもうひとつ、彼女の生き方に大きな影響を与えたことがある。それは、イスラエルのキブツ(イスラエルで発達した世界的に有名な共同体社会)での生活だ。キブツの哲学というのは、「社会的平等を得て幸せになるためには、皆が協力しあって懸命に働かなくてはならない」、「皆が平等の権利を持つべきである」というもので、これは、彼女が成長する上で学んできた考え方ととても良く似ている。
 大学進学を目の前にした多感な時期に半年ほどキブツで生活し、農業を始め、さまざまな仕事を体験した彼女は、さらに半年、イスラエル国内を旅して多くの人と出会い、その生活、農業、自然を見て回った。こうした経験を通し、パトリシアは、社会問題に対してさらに強い意識を持つとともに、農業、環境、生物や生態系といったことにも興味を抱くようになった。この後大学へ進み、先住民の環境意識やコーヒー生産の研究にも従事することになる。彼女が、単なる研究者に留まらず、活動家として多くの問題と関わる根底には、こうした経験があるのだろう。
 今回の旅を通し、彼女が何度かこう言ったのを覚えている。「研究者と呼ばれる人たちは、いつも頭(知識)ばかり使っています。でも、それだけではだめなのです。本当の研究というのは、ハート(こころ)でするものなのですから」と。
 数日間ともに過ごし、すべて言葉にしなくとも、私はパトリシアの考えや思いがわかるようになった。それは、この言葉が象徴しているように、彼女がいつも「ハート」をもって私たちの心に語りかけ接してくれたからだろう。
 「以前は、こんな世の中に悲観的になることもありました。でも今は違います。メキシコの生産者と日本の消費者との強い絆をつくっていくという未来に、私は大きな希望をもっているのです」。別れの日、彼女は笑顔でそう語った。
パトリシアと、その友人たちと一緒に
 パトリシアと、その友人たちと一緒に。(中央が筆者)
 メキシコからの帰途、私は考えた。メキシコを訪れるまで、私の中にあったコーヒー生産という「フィールド」は、もしかすると単に「コーヒーを生産する場(コーヒー園)」に過ぎなかったのではないか。しかし、素晴らしい生産者と出会い、対話を重ねた今、この「フィールド」には、生産者が誇りとする信念や文化が溢れるほど詰まっているのだと心から感じとることができる。そして、パトリシアとの出会いは、今後この「フィールド」をさらに大きく、深いものへ変えてくれるに違いない。そんな期待とも確信ともいえる想いが、私のなかに残った。

パトリシアからのメッセージ

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