2005年04月26日

第19話.無農薬野菜の産直運動

 卒業後、中村は農村や漁村の子どもたちに映画を見せる活動や、廃品回収業を経て、1980年、24歳のとき、福岡県内の生活共同組合に就職した。危険な農薬を多用する農業についても問題意識を持っていた中村は、無農薬野菜の産直活動に取り組んだ。

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消費者が畑で農業を体験する

 当時、農薬を使わずに栽培された野菜は、農業の近代化から取り残された山間僻地の畑でお年寄りが作るぐらいだった。その数少ない野菜を県内の消費者グループが取り合う状態が続いていた。 「少量の無農薬野菜を奪い合っても仕方がない」と考えた中村は、有機栽培で野菜を生産する意志のある農家を探した。自分自身も妻子とともに農村に移りすみ、野菜、米作りを学びながら、一緒に取り組んでいける生産者を増やしていった。

 しかし、無農薬野菜の品質が一定の水準に達するまでには時間がかかる。「こんなレースのカーテンような虫食い葉っぱまで出荷するなんて」そんなクレームの処理に中村は追われた。また、野菜の収穫量が多いときは、売れ残りが多くなるなど、生産者にとっては厳しい状態が続いた。こうした問題をすべて生産者に押しつけている限り、無農薬野菜の産直は成り立たなかった。

 産直に取り組み始めて3年ほど経った頃から、状況が変わり始める。農薬の危険性を知った消費者の「安全な野菜を広めたい」という切実な気持ちが高まってくるにつれ、ようやく生産者と消費者が互いに協力していく姿勢が見られるようになる。

 「無農薬で野菜を作るために、どれだけの労力がかかっているか」それを知るために、消費者が農家を訪れ、実際に畑で草を取り、堆肥の散布作業をするなど、様々な農作業を体験した。その際に農家から野菜の保存方法や伝統的な野菜料理についても学ぶ機会を持った。逆に、農家の方も消費者の学習会に参加し、農薬だけでなく、食品添加物や合成洗剤の問題について勉強した。

 生産者、消費者がともに有機農業の重要性を共有するようになると、価格についてもお互いに負担にならない「ほどほどの価格」を考える人が増えていった。

 この7年間の産直活動を通して「生産者と消費者がしっかりしたコミュニケーションをとることと、ものごとを長い目で見ることの大切さを実感した」と中村は語る。このとき得た経験は、その後の中村にとって大きな財産となった。

投稿者 akira : 2005年04月26日 13:20