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セヴァン・スズキ講演録

これから始まる新しい地球のために

2002年11月に来日したセヴァン。全国22カ所で講演を行い、およそ4000人にセヴァンは語りかけた。足元の自然から、やがて地球を包み込むように展開する話の中で、セヴァンは問いかける。 私たちの地球に果たすべき責任とは?

なぜ、私たちは、今日ここに集まったのでしょう?

もしかしたら皆さんは、町の空気の汚染でひどい目に遭っているのかもしれません。あるいは土壌や水の汚染の影響を感じているからでしょうか。自分の子どもたちをきれいな環境の中で育てたいという思いからここに来られている方もいるでしょう。私たちが子どもたちにどんな世界を残せるのか、心配な人もいると思います。自分は小さいときにたくさん自然の中で過ごした経験があるんだ、ということで来られている方もいるかも知れません。また、何かがおかしい、自分たちは、皆で分かち合わなくてはいけないこの場所、私たちが住んでいる地球に対して、ひどい扱いをしているのかもしれないという気持ちから、ここに集まっている方もいると思います。

カナダ大使館でインタビュー

セヴァンの育った世界 日本とのつながりのなかで

私は自然の世界について、大変心配している人間の一人です。そして、私は自分が自然に関心を持つのは、私が半分日本人であることに絶対関係があると思っています。私は日本に来ることができて大変うれしく思います。私の曾祖父母は日本で生まれ、カナダに移住するまでここで育ちました。私は日系四世ですが、私の祖父母も父も、それゆえに私自身も、日本人の子孫であるということに大きな影響を受けてきました。
 私の祖父母やその子どもたちはカナダで生まれ、英語をしゃべって育ち、一度も日本を訪れたことがありません。しかし、第二次世界大戦中、日本人の遺伝子を持っているからという理由で、彼らは敵として収容所に入れられたのです。祖母や私の父、その姉妹である叔母たちはブリティッシュ・コロンビア州の中央部にある山の中の人里離れた町に、他の日系カナダ人たちと共に移り住みました。ブリティッシュ・コロンビアは今私が住んでいる州です。そしてそこで私の父は、森や山を駆けめぐり、川や湖で釣りをして少年時代の数年間を過ごしたのです。
 この時代は父の人生にとって大変重要な時期に当たります。戦争中の経験によって、彼は偏見や社会の不公正と闘っていく人生を送ることになります。しかし同時に、山の中での経験は、彼に自然について目覚めさせたのです。

先住民族から学んだこと ハイダの人々との出会い

私の父はその同じ価値観で私を育てました。両親は私が小さかった頃から、私と妹をキャンプや釣りに連れて行き、自然の中の生と死のサイクルについて教えてくれました。そして、自然の恵みを楽しむこと、手つかずの自然をそのままに味わうことを私たちに教えてくれたのです。ごく幼い頃から私は自然を愛することを学んだのです。
 私の祖父の名はカオルというんですが、彼にはブリテッィシュ・コロンビアにたくさんの先住民の友人がいました。彼は釣りやキノコ狩りや狩りや海草を集めたりすることが大好きだったんですが、こういった趣味のおかげで彼はいつも、先住民の人々がそうであるように、母なる地球に近いところで生きていました。日本人とブリティッシュ・コロンビアの先住民の間には、自然への関心の持ち方や態度に関して似ている点がたくさんあるんです。(私たちは先住民の人たちを「ファースト・ネイションズ=一番目の民族」と呼んでいます)
 こうしてブリテッィシュ・コロンビア西海岸に住む先住民と私たちの家族との交流は続き、私と妹はまだ小さかった時に、そのファースト・ネイションズのふたつのグループからメンバーとして迎えられました。
 私は高校を卒業した夏、ブリティッシュ・コロンビアの海岸の沖にある島、ハイダ・グァイに行きました。そこにはハイダの人々が住んでいます。私はそこでハイダの女性、ダイアン・ブラウンと一緒に一月過ごしました。彼女は私を海の岩場に連れて行き、そして「潮が引いたら、食事の準備は完了よ」と言いました・・。彼女は私にウニの突き刺し方、岩に隠れているホタテ貝の見つけ方、どうやってオヒョウやタラや春鮭を捕まえるのかを教えてくれました。私は自然について学び、私たちの周りには恵み豊かな資源が満ちていること、それらの資源がどのように私たちを支えてくれているのかを学びました。そして同時に、私は彼女から自然界に対する畏敬の念も学んだのです。私はこの畏敬の念は、日本に古来からある自然崇拝と大変似ていると思います。
 お話ししてきたように、私の中に流れる日本の血は、今の私にたどり着くのに大きな影響を与えてきました。私は、日本に行くことになったとき、とても興奮しました。この国は私の先祖がやってきた国であり、私の人生に大きな影響を与えてきた国なのです。
 幼い頃から、私は自然界の恵みについて知っていました。カナダはその豊かな自然、豊富な天然資源、美しい空気で有名です。

世界各地で進む人間による環境破壊

しかし同時に私はいくつかの深刻な破壊も見て育ちました。ブリティッシュ・コロンビア州の北部のハイウェイをドライブすると、壮大な山々と森林の美しい光景を見ることができます。その一方で、樹木を徹底的に伐採した後の広大な荒れ地や、道路のすぐ脇にまで迫ってくるすさまじい地滑りを目にすることになるのです。
 だれもがカナダのことを新鮮できれいな空気と水の国だと思っています。しかし、今日、1万6000人もの人々が大気汚染のために毎年命を落としています。そして私のふるさとである美しいヴァンクーバーでは、もう我が家の前でヒラメを釣ることはできません。これらの魚の体中に癌性の腫瘍ができているからです。
 そして私たちは、私たちの森林資源と水産資源を急速に使い果たしています。私の国の東海岸では、タラが経済活動の主要産物でした。東海岸の多くの人々はタラ漁で生活を立てていました。しかし、技術の進歩と大規模処理工場の導入によって、海の魚は取り尽くされてしまい、また政府も地元の漁師たちの「タラの数が減っていっている」という苦情を無視しました。すさまじい乱獲によって信じられない事態が起こったのです。私は数年前の、タラが一匹もいなくなってしまったときのことをよく覚えています。
 私が住んでいるカナダのブリテッィシュ・コロンビア州の海よりの地域では、太平洋を泳いでいる鮭に大きく依存しています。いま、私たちは東海岸で犯したのと同じ過ちを繰り返そうとしています。経済も、州全体、あるいは内陸の村人たちも、熊や鷲や森の木々でさえも、人間が引き起こしている乱獲によって苦しめられています。
 あなたも私もこの同じ海を共有しているのです。ブリティッシュ・コロンビアの人たち同様、日本も太平洋に依存しています。私は日本人が、タンパク質の約半分を魚からとっていることを知っています。この魚の問題は私たち皆に共通の問題なのです。このことからも、私たちみんながどのようにお互いつながっているのかがはっきりとわかります。私たちは皆、お互いに影響を及ぼしあっているのです。世界中の多くの人々が依存している資源を、一部の人々が乱獲してしまうなんて、たとえ誰であってもこんなことが正しいことだといえるでしょうか?
 私は私たちの星、地球について学ぶうちに、世界中で同じことが起こっていることを知りました。世界中で森林や魚が減りつつあります。汚染は大きな被害を引き起こし、あげくの果ては天候にまで気候変動という形で変化が起こりつつあります。個々の国や地域の環境問題が、私たちみんなに影響を及ぼすのです。私たちは全員、一つのボートに乗っているのです。

気づき、目覚めが新たな変革の第一歩

こういった問題を考え始めると、とても恐ろしくなってきます。私たち人類が直面している大問題なのです。好むと好まざるとに関わらず、地球規模のこれらの問題に自分も巻き込まれている。このことに気が付くといても立ってもいられなくなります。だけど、この気づき、この目覚めが、あなたの人生にとってマイナスになるとは限らないのです。それどころか、この目覚めこそが、変革に参加していく、まさにその一歩となるのです。地球規模で起こっている深刻な事態を前に落ち込んでしまう、あるいはそんな問題は無視してなかったことにする、それらに代わるもう一つの道があるのです。アクションを起こすこと、変化を起こそうという動きに参加していくこと、それによってあなたは自分の目覚め、ちょっとした気づきを、力強い経験へと変えていくことができるのです。自分がこの世界の変化に貢献できる、この感覚はすばらしいものです。そしてこれは、実際私自身が経験してきたことなのです。環境問題や社会の問題を学び、変革に参加すること。そのことを通して、私は人生の中で最高のすばらしい経験を味わうことができたのです。

リオ地球サミットであのスピーチが生まれるまで

おそらく、皆さんは1992年の地球サミットでの私のスピーチについて聞いて、今日ここに来られたのだと思います。あのスピーチは、私が小さかったときの私の最初のプロジェクトでした。
 そのことについて、いくつかスライドをお見せしながら、お伝えしたいと思います。
 物語は1989年、私の家族がアマゾンの熱帯雨林に友人を訪ねたことに始まります。それは私にとって信じられないようなすばらしい経験でした。私は9歳で、カヤポ族の村に2週間滞在し、熱帯雨林で人々が何千年も暮らしてきたのと同じやり方で生活しました。カヤポの人々と熱帯雨林は、圧倒的な影響を私に与えました。しかし、私たちが村を去る段になって、飛行機に乗って村々の上をとんでいるとき、いくつもの火事が起きていて、森が焼けているのが見えました。私は、私が見つけたばかりのすばらしい世界が燃えているなんて信じられませんでした!
 私はカナダに戻り、何かしなければならないと思いました!そこで友人に呼びかけ、ECOグループを結成しました。私たちは、環境問題について一生懸命勉強しました。私たちはいくつものプロジェクトを地元で実施しました。やがて2年後、私はリオ・デ・ジャネイロで開催される地球サミットのこと耳にしました。  私たちは地域で資金集めをし、4人の代表をリオに送るお金を集めたんです!!私は会場に駆け込んでスピーチをしました。もう、興奮の絶頂でした!
 リオでのスピーチのおかげで私は世界中から講演に招かれるようになりました。私は自分の信念、自分が大事だと思うものに忠実であり続けました。そして一つのことが、いくつものことにつながって、今日、ここ日本で、私が皆さんにお話をしているのです!!
 人々は私に言ったものです。「12歳なんてほんの子どもじゃないか!まだ小さいのに世界の大問題を抱え込むなんて!」
 でも、12歳の子どもには、「不公正とは何か」が、ちゃんと分かるのです。リオで、あるソーシャルワーカーが、私たちカナダから来た12歳の子どもたちとストリートチルドレンのグループとの話し合いの場を、とあるスラム街で設定してくれました。路上に生きる12歳の子どもたちの顔は、「彼らが子ども時代を味あうことなく、急激に大人にならなければならなかった」ということをありありと物語っていました。時として、12歳の子どもには、22歳の人よりも、あるいは40歳の人よりも、真実がよく見えるのです。私たちは、いまの12歳の子どもたちが世界の問題に気が付くように手助けしなくてはいけません。同時に、彼らが力をつけていくお膳立てをし、彼らがどうやったら状況を改善していけるのか示す必要があるのです。

もしこの地球を、外から見たら・・・

 もし、宇宙から地球外生命体がやって来たら、彼らは、この惑星を支配しているひとつの動物種が先のことを何も考えず、惑星資源を急激に使い尽くそうとしていることに一目で気づくでしょう。これら人類は、自分たち自身の資源をあらん限りのスピードで食い尽くそうとしているのです。
 でも、人類は地球上で何千年も暮らしてきました。なぜこの様なことが突然起こり始めたのでしょう?
 昔、私たちが土とふれあいながら生きていた頃は、私たちは生命のサイクルと調和して生きていました。そして、どうやって土の上で働くのか知っていました。そのおかげで私たちは何世代にもわたって生きてくることができたのです。雨や植物の生長や動物の行動は、私たちの生存と深く関係し、私たちが文化を通して教えられる価値観の中にも深く入り込んでいました。私たちは、私たちの将来のことを考えながら行動していたのです。
 世界中の先住民の文化において、その文化の焦点は、彼らが人間たる所以(ゆえん)は何なのか、また、彼らがお互いに対し、あるいは将来の世代に対して負っている責任や、彼らに様々なものを与えてくれる地球に対して負っている責任を説明することに当てられています。これはアマゾンのアクレやカナダのハイダ・グァイの事例に明らかです。
 しかし、技術や生産力が向上するにつれて、私たちは土や雨からますます遠く引き離されてしまいました。同時に、エコシステムの状態を表すサインや、とるべき方向を私たちに示す指標をも失ってしまったのです。今日、私たちの近視眼的行為の被害はますます明らかになりつつあります。

実のところ「環境」って何でしょう?

これは実際、大事な質問です。こんにち、ほとんどのカナダ人も日本人も町に住んでいて、自然と慣れ親しんではいません。多くの人は「環境」というとき、森林やどこか遠くにいる野生生物のことを思い浮かべます。その人たちは、環境というと、その場にはない遠くにあるもの、毎日の都市生活の中では関わらなくていいものだと考えています。私たちは環境のことを、私たちを取り巻いているものだとは考えません。私たちが住み、私たちが呼吸し、私たちが食べ、私たちが投げ捨てるもの。環境とは私たちが存在する場所そのものなのです。
 私たちは私たちを取り巻く環境が私たちを生かしていることを忘れています。新世紀に入って、私と同世代の人々はますます自然とのつながりを失っていっています。私たちは、ペットボトル入りの水を飲みます。私たちは、遺伝子組み換え食品を食べます。私たちは、今までなかったような大きな車に乗っています。  これまで人類が自然に対して持っていたような繋がりをもてるのは、私たちの世代が最後になるのではないだろうか、こう考えるのは恐ろしいことです。私たちはインターネットやコンピュータを通して何でも知ることができ、若い人々はますます戸外に出ることなく、家に閉じこもっています。
 若者として、私はずっと子どもたちに焦点を当ててきました。子どもたちが、もう私たちのようには外で遊ばないことを、私は本当に心配しています。子どもたちは、もうそれほど裏庭で遊びません。多くの子どもたちの家には裏庭さえないんです!かれらはコンピュータで遊び、ビデオゲームをするかテレビを見ています。

私たちの価値観を問い直しましょう

社会そのものも、私たちが自然なしで生きていけると考えているようです。同時に、瞬時に伝わるコミュニケーション技術やメディアのおかげで、私たちの世代は世界の出来事に敏感になっています。私たちは今、貧困や社会の不均衡の問題について、生物多様性の喪失、気候の変動やグローバリゼーションの及ぼす影響について知っています。でも、私たちの多くは、問題が大きすぎて打つ手が何もない、とんでもない問題を受け継がされたと感じているんです。問題の深刻さに圧倒されてしまいそうです。私はまた、うつ病や絶望や無気力が、私の世代の特徴といわれるくらい増えているということも聞いています。これらにはなにか繋がりがあるのでしょうか?
 自然から、あるいは個々の人々がお互い離れていることが、私たちが今日不安定な生を送っている原因の一つだと思います。また、そのことが、私たちが自然に対し、あるいは人間同士が親しい関係をもてない理由でもあると思います。そして私はこれが抑鬱、あるいは自殺にまで至る要因の一つだと思っています。私たちの価値観はどこか狂っています。
 価値観というものは、ある文化が生み出す数々の物語、あるいは、ある文化において子どもたちに伝えようとする物語の中から生まれてくるものです。
 私たちの価値観は、経済システムが動かすメディアによって、大きく歪まされていると思います。子どもの時に、「もっと消費しなさい」「真剣に考えないで気晴らししなさい」というメッセージを受け続けてしまうと、何が正しくて、何がまちがっているのかという一番基本的なものを学ぶことが困難になってしまいます。ほとんどの人が町に住み、テレビを持っているので、私たちの価値観は、メディアが私たちに伝えるものによって大きな影響を受けてしまうのです。
 私たちは自らの価値観を問い直すことから始めなくてはなりません。私たちにとって本当に大事なものは何なのか、私たちが決めなくてはならないのです。私たちの将来のために必要なものはなんでしょうか?

あなたにとって本当に必要なものは?

ちょっと質問をさせて下さい。あなたにとって、これは絶対美しい、あるいは素晴らしい、というものを考えてみて下さい。あなたがお気に入りの居場所は?あなたにとって本当に大事なもの、あなたがこれだけは絶対必要、あるいは神聖だと思うものはなんですか?
 私はヴァンクーバーの自宅の窓から見える山々を思い浮かべます。それから浜辺で拾ったきれいな貝殻、そして山の清々しい空気、そしてきれいな海の水を思い浮かべます。さあ、では、これらのものは一体いくらするでしょう?お金に換算するとこれらの価値はどうなるんでしょう?
 おそらく、あなたがもっとも大事でもっとも美しいと思ったものは、金銭的にはほとんどタダに近かったのではないでしょうか?あるいは、値段が付けられないか。私たちの経済システムは精神的なもの、人間にとって根本的に大事なものには注意を払いません。でも、このようなシステムが私たちの社会を動かしているのです。この経済システムが、私たちがどのように働き、どのように遊ぶのかを決めているのです。このことを考えていけば、今、私たちが「価値がある」と教えられているものが、私たちにとって本当は大事なものではないということがわかると思います。
 私たちは統計上の単なるデータではありません。私たちは単なる消費者ではないんです。私たちは人間という動物であり、生きていくためにきれいな空気と水を必要としています。私たちは、互いに結びつくことやコミュニティが必要なんです。そして、満足感を得るためには、前向きな方法で社会に貢献していかなくてはならないのです。私たちには、私たちの周りにある生命やエコシステムとの繋がりが必要不可欠なのです。

価値の転換は私たち自らが起こすこと 

10年前のリオ以来、私はたくさんの講演をしてきました。色々な会議に出席しました。その結果わかったことは、価値観の転換はトップ、つまり世界を動かしている側からは起こらないということです。
 起こるはずがありません。政治家達は大衆が求めるものに一生懸命あわせようとしているだけですから。
 変化は私たちの側から起こさないといけないのです。一般の人々の側から。私たちは「なにか今までと違うもの、現状を超えるものを求めていこう」と心に決めなくてはなりません。望ましい変化、コミュニティや自然との再度の結びつきは、私たちの子どもたちが、新しい価値観のもとで育ち、大人になってもそれを失わずにいて初めて、可能となっていくでしょう。私たちは自分を取り巻くものについて学び、自分たちがどれほどエコシステムに依存しているか悟らなくてはなりません。そうすることによって、私たちは自分たちが自分を取り巻く環境に対して責任を負わねばならないこと、畏敬の念を持って自分たちの環境に接しなければならないのだ、ということがわかってくるでしょう。
 では、どうすれば今言ったようなことができるようになるのでしょうか?
 まず、簡単に始められる二つのことをあげてみます。
 ひとつは自然の中に出て行くこと。二つ目はあなたの食べているものがどこから来ているのか突き止めることです。私たちは自然から学ばなくてはなりません。外に出ましょう!公園に散歩に行きましょう!キャンプしましょう!田舎に行きましょう!友達や子どもたちや両親と一緒に!出窓に種を植えて、育つのを観察しましょう!
 日本でもカナダでも大多数の人は都会に住んでいます。ますます自然なしの生活になっていきます。自然とはなにか、どうしてそれが重要なのか、この感覚を保っていくことは本当に重要なことです。もし、そうできないなら、私たちは愛してもいないもののためにどうやって闘えますか?私たちが知りもしないものをどうやって守るのでしょう? 
 私たちは、私たちを生かしている自然のシステムから完全に切り離された人間になってはいけないのです。そんなことになったら、私たちは一体自分たちが何を失いつつあるのかさえわからないでしょう。
 私たちは自然のなかに出て行かなくてはなりません。自然ほど、持続可能性ということについてよく知っている存在はありません。どんなエコシステムであっても、ちょっと分析してみれば、すべてのものが調和しあって活動し、そのシステム内の各要素がバランスを維持するようにお互いに作用しあっていることがわかるはずです。持続可能性や調和というものについて知りたかったら、どこにだってある自然のシステムをのぞいてみるべきです。そして、最後に、自然は心の安らぎ、将来へのエネルギーやインスピレーションの驚くべき源でもあります。だから外に出かけましょう。
 もう一つは食べ物です。食べ物によって環境はあなたの体の一部になります!食べ物はあなたが環境とつながる最初の地点です!あなたの食べ物がどこから来ているのか、調べてみて下さい。その食べ物はどのように育てられたのでしょうか?だれが育てたのですか?誰があなたが買い物をするスーパーマーケットにその食べ物を運んできたのでしょう?
 まず、手始めとしてこれらの疑問点を調べてみて下さい。そこで学んだことを元に次のステップに進むことができます。私たちは何を買うべきか、何を支持していくべきか、学んだことを元に決めることができるのです。食品と食糧生産はいまや一大産業で、地球の環境問題のなかでも大きな位置を占めています。ナマケモノ倶楽部が取り組んでいるスロー・フード運動は素晴らしいプロジェクトです!食べものについてどう考えるのか、自分の一部となる環境とどうつながるのか、スロー・フード運動はその発想の転換のすばらしい具体例です。
 もし、人びとがもっと外に出て自然にふれ、あるいは自分たちが食べているものや自分たちのライフスタイルに疑問を持つようになれば、そこから価値観の変化が始まっていくでしょう。
 私たちは、人間と自然とがよりよい関係を築くことを可能にするようなビジョンを必要としています。都市と私たちのコミュニティとの関係、国家同士の関係をよりよいものにしていくために、若い人たちに質問してみたいです。私たちはどんな未来を求めているのでしょうか? そして、どうすれば、私たち一人一人がその実現のために動けるようになるのでしょうか?

スカイ・フィッシュプロジェクトとは?

このようなことを考えて、私はこの春、何人かの友人達と集まって話し合いました。そして私たちは討論のためのフォーラムを開催しました。これは、今の社会の価値観を問い直そうというグループで、前向きな生き方や世界をよい方向に向ける方法を考え出すことを目指しています。「スカイフィッシュ・プロジェクト」という名前です。
 私たちの最初のプロジェクトは「責任の認識」という声明文の発表です。"the Recognition of Responsibility"の頭文字をとって「ROR」と呼んでいます。これはわかりやすく簡潔な文章で「自分たちが持続可能な未来というビジョン作りに関わっていく」という意思や誓いの気持ちを表明する声明文です。
 この声明文の第一の意図は、私たちが世界の中でもっとも恵まれた国に住んでいることを認識し、恵まれた国に住んでいるということはそれなりの責任も伴っているのだということに気づくことです。  私たちは人類の中ではほんの少数者のグループの中に生まれたんです。その他、大多数の人たちはなんとかその日を生き延びるという大きな課題に日々直面しなければならないのです。私たちはエリートなのです。そして、資源の大部分を消費し、汚染を出す側でもあります。このことによって私たちは好むと好まざるとに関わらず、地球の他の人々に影響を及ぼしているのです。私たちは積極的に世界のために貢献する義務があるのです。
 「責任の認識」、「ROR」の主な主張は、まず第一に、この世界の中であなたという人が一体どういう存在であるのか、その見方を変えてみようということです。あなたがどれほど自然の資源に依存しているのか、あなたの生活がどれほど地球のシステムのバランスに影響を与えているのか、学ぶことです。この「教育」というものは大きな鍵となります。教育の力は素晴らしい。でも、多くの学校に行っている子どもたちは、「自分たちが食べているもののすべてが、生きている動物や植物から得られている」ということに気づいていません。私は、牛乳は牛が出している、ということを知らなかったという子どもたちや、野菜が地面で育つということを知らなかった子どもたちの話を聞いたことがあります!(このことは、外に出て自然に触れよう、ということや、自分たちの食べ物がどこから来ているのか学ぼうということつながります)
 どれほど私たちが自然とお互いに作用しあっているのか理解できると、私たち一人一人が個人として責任をとっていかなければならない、ということがはっきりとしてきます。
 これがRORにかかれている誓約です。どうやったらより責任を取っていけるようになるかのリストになっていて、家庭のゴミを減らしたり、車の利用を最小限にしよう、ということから、民主主義や正義と平和の擁護、消費主義をあおるような文化を容認しないことまで含まれています。
 三番目の部分はコミュニティに対して責任を果たしていくことについてです。あなたの意見を政治家や地域の代表に届けるのです。そして、あなたの学校や職場やあなたの周りの人々を変えていくのです。率先して周囲を変えていくには、何から始めればいいのでしょうか?それには見本を示すことです。私たちの世代は、RORを広め、説明していかなくてはなりません。そして、現在力を持っているより年配の世代の人たちにとっては、私たちのビジョンの確立に力を貸し、私たちに模範を示すことが、果たすべき課題なのです。  これは基本的には、今までさんざん話されてきたことを実践に移す取り組みです。その元になっているのは、一人、一人の人でも、たくさん集まれば大きな変化を起こすことができる、という考えです。とっても単純なことだけど、これがとっても重要なんです。

変化を望むなら、私たち自身が変化を

私たちは世界サミットにこの文書を持参し、また、ホームページにもアップしました。すごく大きな反響がありました!人々は何かをしたいと思っています。そして、私たちが絶対的な影響を及ぼせる唯一の相手、それは私たち自身です。私たちは、私たち自身の生活なら変えていくことができるのです、ガンディーが言ったように「私たちが世界に対して変化を望むなら、私たち自身もそのように変化しなくてはならない」のです。
 これが私たち、スカイフィッシュプロジェクトがRORを日本に持ってきた理由です。RORによって、私がいままで述べてきたような事柄と、日本で起こっている変化を起こしていこうという運動がつながれるのではないでしょうか。
 工業発展を遂げた社会のメンバーとして、カナダと日本に住む私たちは発展途上国の人々のモデルの役割を負っていることを認識しなければなりません。私たちがいままで続けてきたような資源をすべて使い尽くすようなやり方の代わりに、私たちはなにか新しい模範、新しい基準を設定しなければならないのです。日本は、全ての国々が見習うべき、地球市民の素晴らしいお手本になれる国なのです。
 そして最後に、これはおそらく最も重要なことではないかと思うのですが、いま、ここに一人一人の人間として集まっている私たちは、何世代にもわたって続いていく偉大なサイクルの一部なのだということを忘れてはなりません。私たちは進化してそれぞれこのような存在になりました。そして私たちの両親から世界を受け継ぎ、それをまた私たちの子ども達に残していくのです。先祖代々伝わってきた美しいものを私たちの子孫に残していくことは私たちの責任なのです。私たちの子孫が、私たちの時代を振り返って「ああ、あのころは大いなる無駄と無責任の時代だったね」と言ったりすることがないように。これは私たちの神聖な、人間としての責務なのです。

アイスマンとセヴァン