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エコ風通りの人々

ウインドファームの来訪者〜メキシコのラウラさん
岩見知代子(ウインドファーム)

今年(2002年)の5月、一人のメキシコ人が日本へやってきた。

名前はラウラ・カズコ・サルディバール。日本人の血を引くラウラは、来日してから自然農法を実践している農家に滞在するなどして各地を回り、東京で明治学院大学の辻信一さんを通して中村隆市と会った。この時の会話で、ウインドファームを訪ねることに。
 3日間のウインドファーム滞在中、「コーヒーを作っている国」メキシコから来たラウラは、「コーヒーを買っている国、日本で、それがどのように届けられ、飲まれているのかを知りたい」と希望し、焙煎を見学したり、初めてとなるコーヒーの袋詰め体験を楽しんだ。

ラウラは現在30歳。母が日本人、父がメキシコ人の日系メキシコ人である。両親は、旧ソ連のルムンバ大学で知り合い、結婚した。現在、母は歴史家、父は環境経済の専門家としてそれぞれ大学で教鞭を執っている。母親が若い時に農民運動の研究をしていたこともあり、昔からラウラの家には小さな畑があった。「母は、自分の家で食べる野菜やハーブを育てていたの。そのうち日本の野菜も育てるようになったけどね。私も小さい頃からよく畑仕事を手伝っていたのよ」。そうして気がつくと、農業や作物を育てること、そして自然や生きものに大きな興味を抱くようになっていた。
 学校では自然科学の授業が好きだったこともあり、メキシコの国立大学に入学して生物学を専攻することを選択した。けれど大学での授業は期待していたものとは違っていた。あまりにも細分化されて、理論ばかりにこだわる研究。悶々とした中で彼女に強い思いが生まれた。「私は、得た知識を現場に活かしたい」。

大学の卒論では、メキシコ南部、グアテマラとの国境近くに位置するチアパスに1年3ヶ月ほど滞在し、セルバ・ラカンドーナの森で森林伐採の調査を行った。
この間、彼女はサン・クリストバルという町に住んでいた。チアパスの商業的・社会的中心地であるこの町には、毎日のように州の各地から彩り鮮やかな野菜が運ばれ、美しくマーケットを飾っていたという。
 森林調査を進めながら、地元の農家の人たちの様子も垣間見た。メキシコでも最も貧しい地域と言われるチアパスでは資金がないために農薬や肥料を買うことができない。意識的に有機農業に取り組んでいるというのではなく、むしろ近代農業に移行できないがために有機農業を続けてきた地域だった。実際ここは、伝統的な有機農業がメキシコ国内でも最もよく残っているところだと言われている。この地で生きてきた農家の人たちと共に作業をしながら、ラウラはアグロエコロジー、有機農業、アグロォレストリーなどについても学んだ。
 「なぜ、あなたは有機農業にこだわるのですか?」と私が質問すると、ラウラは「それは、自分が基本とする考え方にある」と答える。彼女が基本と思うのは、「食べ物を本来のきちんとした方法で作ること」。そうすれば、「それが自然を守り続けていくことにもなるし、体にとっても良い」、というのだ。「すべての基本はそこにある。だから、有機農業や自然農法に興味を抱くのです」。

大学卒業後、母親から誘われたこともあって一緒にパーマカルチャーのコースを取った。パーマカルチャーは、自然農法という一つのものを追う狭いものではない。住居の建築や畜産、池を利用した水産なども含む広くて深い一つのテーマだ。パーマカルチャーによって彼女は、「すべてはつながっている」ということを強く認識するようになった。
 そして、メキシコシティ市のプロジェクトで、社会部門や環境部門のアシスタントとして働き、GEA(環境教育グループ)というNGOでも働いた。活動内容は多様で、GMO(遺伝子組み換え作物)への反対運動、貧困地域での食の安全性に関する問題 、またグリーンピースとも活動を行うこともあるという。この内ラウラが関わっていたのが、住民参加の民主主義を目指す活動だった。
 こうした多様な経験を経て、コーネル大学の大学院へ進むことを決意し、渡米。さまざまな国から学生が集まるイサカ市には、「イサカ・アワー」という名の知れた地域通貨もあり、コープ(生活共同組合)の活動も盛んだ。そんな土地で暮らすことは、彼女にとって大きな意味を持っていた。有機農業や自然農法はもちろんだが、ここで、コープやフェア・トレード、そして地域通貨といったことにも興味を持つようになったからだ。
 「フード・ファースト」という食の安全性を問うNGOでも研修を積み、修士論文では、ニューヨークに数多くあるコミュニティ・ガーデンを取り上げた。
 そして大学院を卒業してから半年後の 今、こうして日本を旅している。

一通り話を聞き終えた私に、彼女は言う。「何か他に聞きたいことはない?私は話すのが好きだから、質問の答えがすごく長くなっちゃうと思うけど」。 
 彼女と過ごす時間はまだ少し残っていたが、私は別れの時までに急いで質問を投げかけるということはしたくなかった。それまでの会話や一緒にいた時間と空間の中で、なんとなく彼女の意識や想いが私の中にすでに入り込んできていたからだ。けれどただ一つ、聞き忘れていたことがあった。私は彼女に伝えた。「一つだけいいかな?前に、『これから先、あなたがやりたいことは何?』って聞いたと思うけど、もう一度聞き直したくて」。そして尋ねた。「あなたのDream(夢)は何?」。「これから先やっていきたいこと」と「 (夢)」。それは少しばかり類似した問いかけに思えたが、私はあえて、「夢」という言葉を使って彼女に尋ねてみたかった。
 その問いかけを受けたラウラは、愛らしい顔で笑いながらこう答えた。「夢か・・・。正直言って、私の場合、挑戦してみたいことがたくさんあって困るの。旅が好きだからいろんなところを訪ねてたくさんの人に会いたいし。」そしてこう続けた。「でも“ベスト”なのは、一日の数時間を農作業に充て、残りの時間で書き物をする。それで週末なんかにカフェを開く。そういう生活かしら」。たくさんある中の“ベストなもの”。それが彼女が望む暮らし方。そして夢。「でも、私の言うカフェは、コーヒーが一番にあるところってわけじゃないの。有機栽培のちょっとしたレストランでもあり、情報交換、環境教育の場にしたいから。もちろん外には小さな畑もあるのよ。パーマカルチャーのアイデアを使って、とにかく人がたくさん集まる空間にしたい」。
 私はまた問う。「カフェ・スローに似てるのかな?」。「そうね。でもカフェ・スローは立派。あんなに大きいカフェは作れない。もっと小さなカフェでいいの。そして、そこで地元の若い子たちが働けたらいいんだけど」。そう語りながら、彼女の想いはすでに未来にあるだろうそのカフェにある。
 けれど今は、まだ他にもやりたいことがある。この旅を終えてメキシコに帰国したら、トラヤカパンという小さな町のコープで働くことになっているのだ。そこで、農産物や主婦たちのグループが作ったものを離れた都会で販売するのではなく、地元の市場を開拓していくアドバイザーの役割を務めたいのだと言う。そして、有機栽培を知らない農家の人たちに自分が学んできた有機栽培の情報なども提供できたら、とも語る。
 ゆっくりと自分の“ベストなもの”を目指していくラウラ。どんなふうにそれが進んでいくのか、私も楽しみだ。
そしていつかトラヤカパンを訪ねたい。そこにはきっとラウラの素敵なカフェがあるはずだから。