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「炭焼き」 自然と人を結ぶ伝統

佐賀県神埼郡脊振村 小柳政敏さんを訪ねて

岩見知代子(佐賀大学大学院生)

 佐賀県神埼郡脊振(せふり)村。この村は福岡県と佐賀県の境にある背振山地に位置し、林業中心の村づくりを進めている。江戸時代以前から炭焼きが行われていたが、今日、他の多くの山村と同様にそのほとんどの炭窯が消え、炭焼きの技術は失われつつある。
 現在この村に残る「炭焼きさん」は2人。その1人、小柳政敏さんは、村の中心地から離れた一谷という世帯数10戸の地区に暮らしている。
 現在80歳の小柳さんは、村役場を定年退職後、村議会議長を経て4年前に炭焼きを始めた。その技術は、幼い頃、炭を焼いていた父親の手伝いを通して身に付いたものだという。
「昔はどこでも炭を焼いとりました。このあたりじゃあ、私ぐらいの年の人ならみんな知っとります。」という小柳さんは、身近な資源を巧みに利用する方法を自然と身に付けている人だ。

 ここ数年、炭はブームで、消臭、浄化用や浴用、そして寝具や炭を焼くときに生産される木酢液の利用など、さまざまな用途や機能が生み出されている。スーパーへ行けば、プラスチックの小袋に入れられた炭が炊飯用に売られているし、バーベキュー用にと、箱詰めされた炭が積み上げられている。また町にも炭化工場ができ始めている。
 日本人の生活に欠かせない存在でありながら、1960年代の高度経済成長を機に、日本の家庭から消え去りつつあった炭が、こうして再び脚光を浴びるようになったことは喜ばしいことだと言える。しかし、20代前半の私は、生活の中で炭を利用してきたという経験がなく、ブームだからといってすぐに飛びつくこともできなかった。むしろ、炭自体よりも炭を焼くということに興味を抱いた。  昔から、炭は燃料として利用され、日本の山村では農閑期になると各農家から炭を焼く煙が上がり、「炭焼きさん」と呼ばれる職人が多くいたという。こうした山での「伝統的炭焼き」はどこへ行ってしまったのだろうか。小柳さんを訪ねたのは、そんな疑問からであった。

 小柳さん自慢の手作り窯は、自宅から5分ほど歩いたところの持ち山の中にある。窯まで歩いていく途中、大きなくぼみが1つ、小さなくぼみが2つあった。これは昭和初期の炭窯の跡らしい。この約1ヘクタールの山は、雑木で覆われており、一部竹林になっている。小柳さんは、「あれがカシの木、それからあっちはタブの木。」と丁寧に教えてくれる。ここを訪れる道中、整然と並ぶスギ林ばかりを見てきたせいか、いろいろな顔が入り交じった雑木林になんとも言えない心地よさを感じる。
 炭にするのはスギよりも硬質な雑木の方がいいそうで、人が炭を焼くことは、人の手が入らなければ(切って利用されなければ)維持できない雑木林にとっても、生き残るために必要なことだったのだろう。
 その日私が訪ねると、すでに朝早くから火を入れたという窯から勢いよく煙が上がっていた。炭焼きは、煙の色で炭の状態を判断しながら行う。まさに長年のカンがものを言う技術だ。まず窯に炭材を詰め、火入れを行う。窯の口で薪を燃やし、窯の温度がある程度まで上がると白い煙が上がり始める。火を入れてから約12時間経つと、焦げ臭い煙が出始める。この煙の様子から炭材が熱分解し始めたことがわかり、焚き火は不要となる。この段階で、通風口といわれる空気の吸い込み口だけを残して窯全体の口をふさぐ([〆込]という)。この頃の煙は少し黄色がかった色をしているそうだ。こうして通風口をだけを残した状態で約2日ほど経つと、煙が無色となり量も減ってくる。そうなると、通風口や煙突口を始め、煙がもれるような小さな隙間をすべてふさぐ([止め]という)。これすると、窯の中の酸素がなくなり、余熱で蒸し焼き状態になるのだそうだ。後はこのまま窯が冷えるのを待つ。3〜4日待てば冷えるらしいが、この冷却期間を十分にかけると良質の炭になるという。だいたい1週間ほどで炭ができ上がる。
 窯出し(出来上がった炭を、しっかり冷ました後に取り出す作業)の時に窯の中に入れてもらった。外から見るよりも中は意外と広い。「甲」と言われる天井部分が、中心に向かって盛り上がっているのがよく分かる。こうして丸みをもたせると、天井が崩れないのだという。小さな土の窯だが、そこには先人の知恵が詰まっていた。

 炭を通して、さまざまな人と出会えるのが楽しいと言う小柳さんの元へは、同村で陶房を開いている人が炭を買いにきたり、噂を聞いて訪ねてくる人がいるという。かくゆう私もその1人だ。小柳さんの自宅には炭を使った掘りごたつや七輪があり、私が押し掛ける度に、そのこたつに座って炭の利用法だとか炭を使っていた頃の話を熱心にしてくれた。  ある日、小柳さんが笑いながらこう言ったのをよく覚えている。「今の時代は石油に頼っとるから、これからの炭の需要が増えることもないでしょう。まあ、石油もやがてなくなってしまうでしょうけど。そう考えると、昔の生活に戻った方がええんじゃないかと私は思うんですけど。あんまりこんなことを言ってもしょうがないですけどね」。
 炭焼きはただの趣味だと小柳さんは言うが、その言葉からは、それ以上のものが感じられた。小柳さんにとって炭焼きは、炭と暮らしてきた生活、その中で生まれた知恵、そして自然と人の深いつながりを人びとに伝えるものなのかもしれない。

 私たちは、ブームに捕らわれて「炭」ばかりを見がちである。しかし、その奥にある「炭焼き」という伝統を見つめ直し、炭と深く接してきた人を知ると、そうでなければ見落としてしまうような大切なことが見えてくる。小柳さんと接し、彼が「炭を焼く」意味を知って、私はそう強く思った。

 今年も、あの炭窯からは煙が上っているのだろうか。澄みきった秋空を見上げながら、小柳さんが焼いた炭の暖かさを、ふと思い出した。

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