2004/01/08

『エコロジーの風』11号の発行に寄せて

日頃の皆様のご愛顧に心よりお礼を申し上げます。おかげさまで、1987年にウインドファームの前身である有機農産物産直センターが設立されて以来17年目の今日まで、 農薬や化学肥料に依存しない有機農業の普及事業を継続することができました。
今回で11号となる「エコロジーの風」は、新たな編集スタッフの参加を得て、フェアトレード、スローライフをテーマとする総合情報誌として新しく生まれ変わりました。昨年亡くなられたジャカランダ農場のカルロス・フランコさんの追悼特集と2002年にインタグコーヒーの産地(エクアドル)で開催した「第3回有機コーヒー・フェアトレード国際会議」が今号の中心となっていますが、「スローライフ」や「スロービジネス」などの新たな記事も多くなっております。本誌を読まれて生産者へのメッセージや読後感想などをお寄せいただければ幸いです。

(more…)

2003/03/29

セヴァン・スズキとの対話 (2002年12月4日)

セヴァンとの対話(2002年12月4日)
(2003年3月発行 エコロジーの風)から抜粋

セヴァン・スズキ <対談> 中村隆市 (通訳・辻信一)
ブラジル、リオで12歳のセヴァンが、後に世界中で語られることになるスピーチを行ったのは1992年6月。その2ヶ月後、中村隆市は有機コーヒー農場を調査するためにブラジルを訪れ、そこでセヴァンの名前を知る。「いつか、ゆっくり話が出来ないだろうか」。そのときに抱いた想いは、10年の歳月を経て実現することになった。

中村隆市(以下、中村)
セヴァンを日本に呼ぶにあたって、ちょっとした物語があるので、そのことから話したい。10年前のリオサミットから2ヵ月後に私がブラジルに行ったとき、セヴァンのスピーチの話を聞いた。セヴァンのことを教えてくれたのは、ブラジルで有機農業を広めようと活動している人だったけど、私は12歳の少女がリオサミットで、最も人びとの心を動かすスピーチをしたという話を聞いて、いつか、その少女に会ってみたいなと思った。そう思った日から6年が過ぎた1998年に、エクアドルのある先住民が、私と辻信一さんとの出会いをもたらしてくれた。それは、私が福岡で国際有機コーヒーフォーラムを開催したときに、エクアドルから招待したアウキ・ティテュアニャという先住民の知事に辻さんが同行してきたために、私たちは出会うことができたわけです。

 その翌年、辻さんと私は一緒にカナダの先住民の重要な祭りに参加しました。これも先住民が取りもつ縁ですが、そこで私はデヴィッドという生物学者と会い、そのあと、環境団体の代表であるタラという女性活動家に会った。そして、この二人と親しい辻さんから「リオサミットで12歳でスピーチしたセヴァン・スズキは、彼らの娘」であることを聞いたわけです。驚いた私は、帰国してすぐ辻さんが翻訳したスピーチの全文と講演の様子を録画したビデオテープを見せてもらいました。それを見た私は、こころを揺さぶられ、さまざまな思いが湧きあがり、自分の人生を振り返りました。感動した私はセヴァンを日本に呼びたいと思い、それが今回のセヴァンツアーにつながったというわけです。

セヴァン
うわー、すごい。

中村
まず、セヴァンとジェフに大変ハードなスケジュールを組んでしまったことのお詫びと、ハードスケジュールにもかかわらず見事に講演ツアーをやりとげた二人に感謝の気持ちを伝えたい。私は、ツアー全体の60%位に同行したからツアーのハードさがよく分るんだけど、各地での歓迎と熱気はすごかった。セヴァンに対する期待の現れでもあったけど、それに対してセヴァンもよくそれに応えてくれたね。この3週間、本当にお疲れさま。

セヴァン
ほんとにハードなスケジュールで疲れたけど、とても充実したツアーになったから、やり遂げたという満足感があるわ。

中村
これからこのツアーを振り返りながら、いろいろと話し合いたいと思うんだけど、私が考えていたこのツアーの目的は、日本国内だけでなく世界の自然を破壊し、環境を汚染し続けている日本、未来世代のことを考えない日本の社会を変えていくキッカケにしたい。そのためには、環境運動に若い世代の参加が必要だと考え、そして、それができるのがセヴァンだと考えた。

 その後、実際にセヴァンツアーを呼びかけるために、2年前からセヴァンのリオでのスピーチを私の会社で発行している冊子やホームページに掲載したり、私自身の講演で紹介し始めると、予想を超える反響があり、この時点で、ツアーの成功を予測できたんだけど、実際に各地での受け入れ準備を進めていくにしたがって、各地の実行委員会に若者の参加がどんどん増えていって、最終的には小学生、中高生、大学生から社会人、主婦、高齢者まで、幅広い年齢層の参加がありました。また、多くのNGOも参加してくれて、NGOの中には、環境問題だけではなく、平和の問題や南北問題、教育や福祉関係の団体、あるいはチェルノブイリ原発事故被害者の支援団体など、いのちを大切にしたいと考えて活動しているNGOが多数参加しました。そして、山田養蜂場のような4300万部の新聞(日本で発行されている新聞の85.5%)に全面広告でセヴァンのスピーチを掲載するようなこれまでにない強力な支援をしてくれる企業も現れてきました。この記事に対する反響もすごかった。

 そして、今回の取り組みには、有機農業や漁業、林業などの一次産業に携わる方がたくさん参加されたのも大きな特長でした。このように、年齢も立場も違う、さまざまな人びとの参加と協力によって、ツアーが大きな成功を収めたんですが、もう一つセヴァンに伝えておきたいことは、今回の各地での取り組みがキッカケとなって、その地域での新しいネットワークができてきているということです。環境問題に留まらず、福祉や平和の問題に取り組む「いのちのネットワーク」のようなものが芽生えています。そして、地域と地域がつながったり、県境を越えたつながりも生まれていて、すでに交流が始まっています。

 そういう面でも、大きな成果があったツアーだったんだけど、この成功を次のステップにつなげていくために、ツアーの中で感じたこと、話し合われたこと、見えてきたこと、これからの課題などについて、気楽に話し合ってみたいと思います。

セヴァン
今の話を聞いて、とてもうれしいです。こういうツアーをやっても、それだけで終ってしまうんじゃ、何にもならないんで、そういうふうに次につながっていくことがうれしいです。今回のツアーで、私は非常に可能性を感じました。特にいろんなグループの間の、ネットワークのやり方とか、とてもよく組織されていて、大きな運動を作りだす可能性を秘めているように感じた。

 非常に興味深く思ったのは、私は皆さんにとって、よそ者なんですが、そういう外の者を象徴的に使う形で、ツアーをめぐってみんなが結集するという、この運動は面白いと思った。

中村
今回のツアーでは子どもたちもたくさん関わっています。子どもたちに伝えておきたいことはありますか?

セヴァン
子どもたちに言いたいのは、環境を守るためにやることはたくさんあるということ。そして、分からないときは、どんどん大人に聞いたらいい。何か必要だったら大人に助けてって言ったらいい。そうすると本当に信じられない所から助けが来たりするわ。本当に大人たちっていうのは、私たちが思うより、助けたがっているものよ。

中村
そうだね、それは、お年寄りもそうだよね。

セヴァン
ほんとにそうだと思う。いろんな与えるものがあるのに、特に子どもと祖父母の関係が、残念ながら都市化のなかで壊れているけれども、それは本来とても自然なつながり方で、精神的な大きな支えになるものだと思う。

 特に、祖父母の世代っていうと、まだ機械化されていなくて、自分たちでいろんなことができた世代でしょ。手作りすることの楽しさとか、多くのことを教えることができる。それなのに、機械化されてきて、必要とされなくなってきている。

 いのちを大切にするということでつながって、一緒に動くという話をされたけど、全くそう思うんです。私たちの活動は、「環境運動」や「平和運動」と言われるけど、本当はそういう狭い、限られたもので言い表せるものではないと思うんです。

 大事なことは、人間であるということはどういうことなのか、だと思います。私たちは、感情を持ち、他の人と共に生きる社会的動物だから、人間とのつながり、自然とのつながり、動物とのつながり、そういうなかで人間であるということはどういうことなのか、ということだと思います。

 例えば、ナマケモノ倶楽部が他のグループと違うのは、自分たちがやっていることを環境とか平和だけに限定しないで、ビジネスや文化など、いろんなところとつながっているところだと思う。そして、その真ん中にあるのは哲学ですね。その哲学をシェアして、皆つながってるんじゃないかな。哲学や思想の部分で。

中村
ツアーの途中で、幼稚園の子どもを持つお母さんからこんな話がありました。「環境運動をやってる人たちの話は、こうしないとダメだとか、こうしなければならないとか、消費を減らさないといけない、節約しないといけない、我慢しないといけない、というふうに、義務のように押しつけてくる」と。その若いお母さんは環境問題をよくしないといけないというのは分かるけれども、そういう雰囲気がすごく嫌だというんです。

 その話を聞いてて思ったんだけど、ナマケモノ倶楽部に若い人たちが集まってくるのは、やりたい人がやりたいことを、好きなようにやれるからだろうなって。そして、ナマケモノのように「ゆっくりやろうよ」というのが合言葉だから、世話人である私自身がとても楽しい。今回のツアーでは、各地に楽しんでやっている人が多かったね。

セヴァン
 ある会議で、こんな話が出ていた。ROR(セヴァンが呼びかけている自分自身に対する「責任の認識」という運動)を皆が守っているかどうか、どのようにチェックしたらいいのか、そういう話がでていた。でも大切なのは、自分が、自分に対して、どんなふうに感じることができるかだと思う。外から教えて、きちんとやっているかチェックするとういうものではないと思う。だから、ナマケモノ倶楽部の合言葉であるスローイズビューティフル(ゆっくりは美しい)という言葉が半分くらい意味を持っているって言われてるけど、RORもそうだと思う。つまり、自分の責任を認識するという、この言葉でもうほとんど半分の意味をもっている。そこで大事なのは、自分がそれを読んで署名したときに、実際に自分が世界に働きかけたり、世界を変えていくことに参加できるということを実感すること。一人だと思っていたのが、こんなにたくさんの人が、同じ流れの中にあるという、その流れを感じることだと思うの。

中村
さっきの若いお母さんといろんな話をしたあとに、最後に私はこう言ったんです。「ひとり一人が自分のペースで、自分がやりたいことや大切にしていることを大事にして、自分自身の人生を充実して生きることが大事なんじゃないかな、それが皆のいのちを大事にすることにつながるんだと思う」って。

セヴァン
まさにそうなんです。世界は要するに自分自身なんです。自然というのは自分自身なんです。自分自身を大事にできない人が、環境も何もない、まさにそういうことを私は言いたかったんです。

中村
先日、辻さんと話した「えっ、いいんですか」っていう話ね。あれ、とても大事な話だと思うんです。若い人たちが、子どものころから危険だからとか、汚れちゃうからとかで、「ああしちゃいけない、こうしちゃいけない」と言われ続けてきた結果、いろんなことを「許可なしにやってはいけない」と思っている若者が多くなっていて、私たちがやっていることを見て、「えっ、そんなことやっていいんですか?」という反応が多い。ナマケモノ倶楽部が、会社を作ったり、カフェを作ったりしていると「NGOがそんなことしていいんですか?」とか、地域通貨の「ナマケ」という紙幣や硬貨を作ったら「えっ、お金作っていいんですか?許可は取ってるんですか?」といった反応が返ってくる。何をやるにも、誰かの許可を取らなきゃいけない、と思っているわけです。

辻信一
「えっ、いいんですか」から「えっ、いけないんですか」に僕は変えようと思うんだけど。つまり、今までは「えっ、いいんですか?」だったけど、これからは、何でもやって、何か言われたら「えっ?いけないんですか?」って聞くようにしようと。

中村
若い人たちがセヴァンのように自由に伸び伸びやるようになったらいいなあ。いま、環境問題にしても、平和の問題にしても、すごく状況が厳しいということを若い世代がかなり感じているんですね。最近、高校教員の友人が、生徒たちに「これから世界はどうなっていくと思うか」という質問をしたんです。すると生徒たちの大半がとても悲観的になっていて、未来に明るい希望を持てないという結果が出た。これは我々の世代の責任でもあるんだけど、でも裏を返すと、生徒たちは、やはり平和を望んでいるし、環境をよくしたいと思っているということの現れだと思うんです。

そして、未来に希望を見出せない状況だからこそ、よけいに水筒運動のように楽しさを語っていくことが重要なんじゃないかと思うんですね。義務とか、ガマンとかじゃなくてね。若い人たちが率直に自分の思いを表現して、もっと自由に活動するようになったら、いろいろ面白いことが起こってくるんじゃないかな。

 ちょっと、まわりには不評なんだけど、この水筒に私は「ハッピースイトー」っていう名前をつけたんです。ハッピーとピースと水筒(好いとう)が一体となっているんだけど、まわりから「また、始まった」って笑われてる・・・

*******************
【コラム:楽しく始めよう、水筒運動】
 あなたは、外出していてのどが乾いたらどうしますか?
 駅のホームで、帰り道で、店の前で、自動販売機の前に立っていませんか?
 世界中の国で、日本ほど自動販売機がそこらじゅうに並んでいる国はないんです。なんと22人に1台あるそうです。(1998年には、全国の550万台の自動販売機は、6兆9000億円を売り上げました。飲料の自動販売機は1台1ヶ月あたり、一般家庭の消費電力(平均290kwh)に匹敵する240?450kwhもの大量の電力を消費します。そして、もし、日本中の自動販売機がなくなったら、原子力発電所がひとつ必要なくなります。どんなに人のこない場所にある自動販売機でも毎日毎日24時間、誰か客がくるのを待ってあかあかと自己主張し、常にジュースを冷たく、温かく用意して立っているのです。さらに、自動販売機を作るためのエネルギー、中に入るペットボトル・カン、その中身。これらを作るエネルギーは原発何基分になるだろう。そして一人が1日1本自動販売機でジュースを飲んでいるとしたら、どれだけの空き缶が出ていることでしょう。

 「すいとう」は福岡の言葉で「I love you.」、「すいとうや?(=水筒屋)」は「Do you love me?」って意味です。それは地球からの最後のラブコール。「今でもすいとう?」ってね。それに私たちは何と答えることができるだろう?「Yes,I do.」って言えるのか。それが問われているんです。人は愛無しでは生きていけない。地球を癒すのは「地球環境汚染反対!」という憎しみではなく、愛なのだというメッセージを込めました。

 低エネルギーでエコロジカルな生活を実践するために、ひとりひとりが外出するときは水筒を持ち歩きましょう!自動販売機で飲み物を買わず、自分で作ったお茶やコーヒーを水筒で持ち歩いたら、電力やゴミを大幅に減らせるし、身体にもいいのです。自動販売機を使うのをただ我慢するのでなく、水筒を持って街に出るのがおしゃれで楽しい行動になるのを目指します。
(ナマケモノ倶楽部ホームページより)
****************

(セヴァン)(笑いながら)楽しさっていうのは絶対重要だと思う。楽しい世界のために私たちはやってるわけで、それに至るまでの過程が楽しくないなんてことは、あり得ない。だから、シャレとか、言葉遊びとか、どうやってしゃべるか、どういう言葉使いをするかとか、これはみんな大切なことだわ。

それから、危機の意識っていう問題で、今までのタイプだと、私たちは恵まれてる、第三世界の人たちは貧しくて、厳しい状況にあるから、危機のなかにあるから助けなきゃいけない、そういうアプローチがあった。でも危機は足元のここにある、私たちにとっての危機、それはもう限界まできているようなそんな危機のなかで生きている。その危機というものを、はっきりと見据えていくことが大事だと思う。

 危機っていう場合に、物質的な危機と精神的な危機がある。物質的な危機は確かにあふれかえっている。でも、より問題なのは、むしろ精神的な危機ではないか。例えば、北アメリカで、女の子たちの間で、拒食症や過食症が本当に大変な勢いで広がっている、伝染病みたいな勢いで。若い女性たちが、若いお母さんたちが拒食症になる。自ら選んで飢餓で死んでいく。一体こういうことが広まる社会というのは、病気でなくて何だろうか。そういう意味で危機というのは、私たちのまわりに広がっているのではないか。今までは飢餓とか貧困だとか、外の問題だったけど。

(中村)日本では、ガンで死ぬ人が増え続けている。これは病気だけじゃなくて、自殺とか地震とか、交通事故とかを含めた全ての死者のなかで、何%がガンで死んでいるかというデータだけど、1975年には、5人死んだうち一人はガンで死んでいる。10年後の85年には、4人に一人がガンで死んでいる。そして、今は3人に一人がガンで死んでいる。もう一つ日本で心配なのは、肉体的な病気だけでなく、精神面での病気がある。幼児や子どもを虐待して殺すとか、逆に親を殺してしまうといったことも増えてきている。

 こうしたことに関連して、メキシコで注目すべき調査があります。ほとんど同じような生活、文化をもっていた二つの地域で、近年、大きな違いが現れているという調査です。農業において、一方は昔ながらの農薬を使わない農業を続けていた。もう一方は、農業近代化をすすめようと農薬と化学肥料を多量に使う農業に転換していった。この2つの地域にどんな違いが現れてきたかということが調査された結果、わかったのは、農薬を多用する地域の子どもたちは、とても暴力的になった、ということです。おだやかさや精神的な落ち着きがなく、自分自身の感情を自分でコントロールできない子どもが多くなっている。精神面で、もう一つ日本で起こっている気がかりなことは、すごく自殺が増えているということです。一年間に3万人以上が自殺で死んでいて、若い世代が急激に増えている。

(辻)これは、発表がそれだけですからね、実際にはもっと多い。だいたい、自殺というのは隠せたら隠したいわけですから。
 
(中村)そんなふうに、肉体的な面だけでなく精神面でも、さっきセヴァンが言ったように、こころが満たされないといった面と、化学物質などが神経をおかしくしていく面が・・・

(セヴァン)私がイエール大学に行ってるときに住んでいたニューヘーブン、あそこは、非常に問題の多い町なんです。あそこで私は本当に鬱病だった。それは、もちろん精神的なものなんだけれども、確実にそこには化学的な問題、化学物質の問題があったと私は思っています。82年のロサンゼルスの暴動の後に、化学的な空気の汚染との関係があったという研究もあります。

(中村)辻さんともよく科学の話をするし、セヴァンのお父さんも科学者だけど、一般には、科学が日々進歩していると思われているけれども、私は今のような科学が進歩するほど、社会がおかしくなっていくと思うんだけど、セヴァンは今の科学について、どう思っていますか。

(セヴァン)20世紀の初めまでは非常に多くの科学者が、スピリチュアルな人たちで、霊性や精神性を重んじていました。例えば、アインシュタインなんかも、私たちと大地や宇宙とのつながりを強く感じていた人なのではないかと思う。中国の漢方や昔からの遺伝学にしても、科学というのは壮大な宇宙の流れのなかでゆっくりと進んできたと思います。

 それが凄く短い期間に、特に経済との結びつき、それから、軍事、戦争との結びつきによって変化していった。そして、すべてがお金に換算されるようになり、大量生産、大量消費、大量廃棄に結びついてしまって、ゆっくり進んでいく流れを見失ってしまい、非常に近視眼的なところに陥ってしまったのではないでしょうか。

 今でも「科学と宗教というのが、いかに関係が深いか」ということについて語るフリチョフ・カプラや私の父デヴィッド・スズキもそうですが、人をとりまく宇宙の壮大な流れの中に身を置ける人はいます。でも、科学がそういうことを主張したり、環境運動をしていると、批判をされるわけです。「本来、科学というのは中立でなければいけない」と。でも、これは矛盾していると思う。批判をしている科学者たちの多くは、化学会社や薬剤会社からお金をもらって研究していて、自分たち自身は完全にひもつきにされている。

(中村)今、話のなかで、科学も経済に引っ張られているという話があったけれども、セヴァン自身もRORのなかで、「GDP(国内総生産)は人間の豊かさや幸せとつながっていない」ということを言っているよね。まったく同感なんだけど、もっと言えば、日本などの工業化がある程度進んだ国では、むしろGDPが上がることの方が、人々の生活の質とか、幸せというものを逆に低下させているように思う。GDPというのは、その国で使われたお金の合計のことだから、例えばセヴァンが講演でよく話していたように「先進国」の人たちは水を買う人が増えている。水がきれいな時代は、水を買う必要はなかった。食べ物も自給していれば買わなくてよかったから、その分もGDPは低かった。それが、水が農薬やダイオキシンなどで汚染されて、水を買わなければならなくなるとGDPの数字が上がる。

(セヴァン)私が言ったのは、GDPというのは、幸せを換算できない、それを計る物差しとしては全く不適当なものだということなんです。

(中村)そうなんだ。GDPというのは、病人が増えたり、重病で医療費が高いほど数字が上がるし、夏暑くてエアコンをガンガンかけると、エネルギーをたくさん消費するからGDPが高くなる。GDPというのは、人間の幸せと全く比例しないというのは、誰でも分ることなんだけど、いまだにGDPを基準にして、それを「成長」させようとしている。
 
(辻)GDPっていうのは、もともと非常にインチキで、やりとりだから、同じ物がいったりきたりしてても数字が高くなる。

(中村)自給的に農業やってたり、自分でものをつくったり、修理してたら、GDPに全然反映しない。逆に、今までより丈夫で長持ちするものとか、修理して使い続けるものが増えるとGDPは下がる。そのため、GDPが高くなることが経済成長しているという考え方では「消費は美徳」であり、使い捨ては歓迎される。長持ちすることは良くないし、故障したら修理しない方がいいし、ファッションなどの流行がどんどん変わって、次々に新しいものが売れるのがいいことだと考える。そうした考えが未だに政策の柱になっている。もうそろそろGDP信仰から脱却する必要がある。そういうことを考えていくと、私たちがこれからやっていくことの一つは、GDPを下げることかもしれない。私たちの周りに農業の「農」に関心がある人たちが非常に増えてきている。自分で農的に暮らしたいっていう人たちが。

(セヴァン)北米も日本も流行を追っかけるから、こういうものも流行に乗っけてやっていくという方法もあるのかもしれない。マイ箸や水筒を持ち歩く運動も、大流行になりうるかもしれない。例えばパーティー、若者のパーティー、私たちもよくやるんだけど、友だちがみんな、ゴミを出さないように自分でもってきて、全部それがオーガニックだったり、自分の庭でとれたものだったり、たいがい私たちは先住民の友だちが来るから、その人たちは鮭を持ってきてくれる。これはみんな大地を全く傷つけないで、しかも私達にとっては健康によくて、そしてすっごいご馳走。これ以上の楽しさってないんじゃないかしら。小さな町に暮らしていた私の子どもの頃を思い出しても、パーティーっていうのは、文化の重要な要素だと思う。

(辻)日本の場合は特にひどい。完全にパーティーが商業化されちゃって、専門家がやらないと、自分たちでパーティーができない。

(セヴァン)日本の大学生に聞いたの。普段、何を楽しみにしてるのって。そしたら、なんか、うーんって考え込んでるから、パーティーやらないの?って聞いたら、時々レストランに行くくらいなんだって。結婚式とかクリスマスとか、そういう時しか人が集まって楽しむことがないらしいの。

 サンフランシスコの友達の結婚式に行ったんだけど、日本人はものすごくお金を使う。だから、アイディアの一つとして、運動として、私のパーティー、私のウエディング、私の誕生日会、それを私は売りに出しません。売ったり買ったりしませんというのは、どうかな。
日本の若い環境活動家に聞いたんだけど、あんまり自分が働きすぎなために、彼女にふられちゃって、ストレスで倒れそうになったりとか、やっぱり、楽しさっていうのがなきゃだめなんじゃないかしら。
 
(中村)そうだね、楽しくないとね。そういう手作りの持ちよりパーティーはいいね。
 消費を減らすっていうこと、今の過剰な消費を減らすということが重要だと思う。これだけ工業化されて、これだけモノが行き渡ると、もうあまりモノがいらなくなっているんだけども、そのことを「景気が悪い」とか「不況」だとか言ってると思うんだよね。今までみたいにどんどんモノを作っても、買う必要がないから買わない、それで売れないわけです。工業が発展してある段階までいったら、生き物でいえば、もうそろそろ身体の成長は止まっていいんだけど、それを永遠に成長させようとして、消費をあおるようなことを企業はずっとやっている。セヴァンはRORで「消費を控えて、環境への負荷を減らそう」と呼びかけているよね。

 日本では、環境保護団体が「消費を減らそう」というと、経済界とか、政治家は、消費がにぶると不況になって、不況になると仕事がなくなる。そしたら、失業率が高くなってしまう。だから、成長が必要なんだと。経済(GDP)が成長しないと社会が維持できないというわけです。しかし、私が思うには、環境を悪化させる企業はつぶれた方がいいし、失業率が増えてきたら、ワークシェアリングをしていけばいい。仕事が10%減ったのなら、皆の仕事時間を10%減らせばいい。そしたら、給料も減るけど、働く時間が少なくなって、もっとゆったりした生き方ができる。

(セヴァン)私は、この辺は非常に難しくて分からないけど、非常に大きな転換だから、ワークシェアリングだけではなくて、やっぱり、新しい仕事っていうのがかなりでてくるんじゃないかと思う。

(中村)例えば、風力発電やバイオマスなどの自然エネルギーとか。

(セヴァン)それはサラリーを取るという仕事だけに限らない。自分のうちでガーデニングして、でも私のおじいさんは給料はもらってなかったけれども、すごく一生懸命働いて、かなりのものを作っていた。そういう自給の部分を充実させていくという仕事もある。

(中村)そうそう、そういうこと言いたかったんだ。今の、失業という見方を昔の自給的に生きていた頃に当てはめると、昔はとんでもなく高い失業率になってしまう。

(セヴァン)ほんとに、そうだと思うわ。

(辻)ここでもって3日、給料もらう仕事をして、こっちで家庭菜園したりすれば、それだけ食べ物ができる。その間に、例えば陶芸をやったりとか・・・

(中村)さっき言いかけたのは、経済学者は、消費が鈍ると不況になって、不況になると失業者が増えるから、不況になってはいけないと言うけども、消費が鈍るということは、生活する者の立場から見ると、ものを買わないでよくなるということだから、お金を使わなくてよくなる。だから、仕事が減ったのなら、リストラで首を切るのでなく、少し給料は減ってもワークシェアリングで皆の仕事を減らしていけばいい。もともと、日本人は働きすぎなんだから。

 セヴァンが来日してすぐに、日本の塾の話をしたよね。日本の子どもたちは学校に行って、そのあと塾に行って、朝から夜まで机に向かっている子どもたちが多いから、自然の中でゆっくり遊ぶような時間がほとんどないという話。セヴァンはそのことを「クレージー」だと言ったけど、なぜ、大事な子どもの時期に、そんなクレイジーなことをしているかというと、例外もあるけど、多くの親が、子どもを将来、給料の多い会社に就職させたいと考えていて、そのために、就職に有利な大学に行かせたいということがある。

 大人も子どもも、皆が忙しいために、食卓を家族みんなで囲めなくて、別々に食べることも多くなっている。子どものころから長い間、受験戦争という競争社会のなかに身を置いていると、分かち合うとか、助け合うといった人間的な経験があまりできなくなる。

(セヴァン)親たちはそういう子どもたちをみて、悲しくならないの。

(中村)大人たちも、そういう競争社会で育ってきているから、その異常さに麻痺しているのかもしれない。タイムイズマネーという考えにたって、たとえそれが人間にとって大事なことであっても「非効率」だとか、「生産的でない」とかいうことで、どんどん切り捨てていく。いつも時間に追われて、イライラすることが多くて、ゆったりと過ごすことが少ない。そういう意味でも、私はもっと仕事は減っていいと思うし、その分、家族と過ごす時間を増やして、畑仕事に携わったり、手作りしたりすることが増えるといいと思う。

 それから、2005年に計画している「スロー・エキスポ」の話だけど、エコロジカルで、持続可能な様々なモノや技術、暮らし、地域、取り組みなどに光を当てようと考えている。その中で、特に重要なこととして、修繕することの意味をきちんと見直して、再評価したいと思う。修理して使い続けるためには、修理しやすくて、長く使い続けられるものに変えていく必要がある。モノを大事にするということは、いのちを大事にするということであり、それは、自然や人を大事にすることでもある。

 セヴァンがRORで、全てのいのちに思いやりをもつことや、非暴力、平和の文化をつくろうと呼びかけ、社会活動や選挙を通じて自分の声を社会に届けようと言っているけど、今の米国や日本政府の動きを見ていると、ほんとにそれが必要だと感じる。とにかく、セヴァンが呼びかけてくれたRORは、いのちを大切にする上でとても重要なことなので、これからも連絡を取り合いながら、一緒にたのしく運動をすすめていきましょう。

(セヴァン)まず、私がこのツアーに来るにあたって、中村さんからの手紙が重要な役割を果たしたということを言っておきたい。あれで、このツアーの目的だけでなく、その後ろにある哲学が分かりました。そういう意味で、中村さんと話し合うことが大切でした。こういう時間をとってくださったことをありがたく思います。これからのつながり、単に具体的なことだけではなくて、スピリチュアルなつながりを育てていく。それが、今度ここに来た目的だと思います。

 長い時間、私たちと一緒に動いてくれたことは、決定的に大事なことでした。とても感謝しています。何ごとをするにも基礎が大事なので、基礎をつくっておかないとつながりも何も、できないと思います。だから、私は自信を持って、同じ運動をやっていると言うことができます。これから、いろいろと一緒にやっていけることにとてもわくわくしています。

(この対談記録は、ツアーを終えたあとの2002年12月4日の対談をベースに、ツアー途中の対談も一部加えています。通訳は明治学院大学教授の辻信一さんです。)

『エコロジーの風』第10号 2003年3月 ウインドファーム発行より抜粋

2003/03/11

電力自由化 電力会社 「原発はコスト面で不利だ」

電力自由化:原発の扱い結論出ず コスト面で不利に
(2002年12月27日 毎日新聞)

 総合資源エネルギー調査会の電気事業分科会が27日まとめた電力自由化の枠組みでは、自由化の範囲や制度が決まったものの、原子力発電と電力自由化をどう両立させるかについては結論が得られなかった。電力の自由化が進むと、コスト面で原発は不利な立場に追い込まれる。政府は05年末をめどに核燃料サイクルを含む原子力発電の収益性や官民の役割分担を改めて検討することになったが、電力会社は「原発が本当に優位なのかオープンに議論したい」としており、自由化をきっかけに原子力政策が方向転換する可能性もある。

 電力の自由化で、新規参入の電気事業者の大半は、余剰の石炭火力発電所を利用してコストの安い海外炭を燃やし、安価な電力を供給する。これに対し、既存の電力会社は1基約4000億円と膨大な初期投資のかかる原発を「国策」として建設し、40年間以上の長期にわたる運転で採算をとろうとしている。

 このため「原発は短期的にはコスト面で不利だ」と電力会社は主張政府は原発の発電コストが1キロワット時当たり5.9円で、石炭火力の同6.5円より安いとしているが、電力会社は「現実的でない」と反発している。使用済み核燃料の再処理など核燃料サイクルを含めるとコスト面や安全面で未知の領域もあり、「原発にこれ以上、手を出したくない」というのが電力会社の本音だ。

 電力自由化が進むにつれ、初期投資がかさむうえ、トラブル続きの原発は電力会社にとっては重荷となりつつある。05年末に向けた政府の原子力政策の検討会の中で、電力業界は「自由化問題と原子力政策のあり方を原点に返って議論し、現実的な選択をすべきだ」(電気事業連合会幹部)と主張している。 【川口雅浩】

経産省:原発廃棄物処理で電力会社支援を検討
(2002年12月27日 毎日新聞)

 経済産業省は27日、原子力発電の放射性廃棄物の処理や老朽化した原発の廃炉作業など、将来的に発生が見込まれる巨額のコストを負担する立場の電力会社に対し、政策的な支援措置の導入を検討する方針を明らかにした。

 電力自由化の進展に伴う新規参入者との競争で経営資源を割かれる電力会社が、中長期的に原発を維持、運転できるようにするための措置。総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の電気事業分科会の下に来年中に専門委員会を設け、04年度末をめどに官民のコスト分担のあり方や、具体的な支援措置について結論を出す。

電力自由化:電力会社は発送電分離阻止に安堵
(2002 年12月27日 毎日新聞)

 電力各社は、今回の電力自由化論議で「発電」と「送電」の分離(発送分離)が見送られたことに胸をなでおろしている。当初、欧米並みに自由化を進めるには「電力会社の発電部門と送電部門を切り離さないと、新規参入者が支払う託送料金の透明性が図れない」と推進派は主張。しかし、発送分離は電力会社の分社化につながるため、各社とも「一体運用でなければ安定供給に支障が出る」などと反論し、結果的に電力会社は現状の体制を維持することに成功した。

 託送料金の公平性と透明性を確保するため、電気事業分科会は料金設定のルールを策定して監視する中立機関を設置するとともに、電力会社内で送電部門の収入と支出の会計を分離することなどを盛り込んだ。電力会社は「発送分離しなくても、競争の環境が整備された」と評価。各社の関心は「具体的にどんな制度をつくり、運用するのか」など、早くも今後の展開に向かっている。

 発送分離という電力会社にとって「最大の危機」を乗り越えたことで、電力会社は将来的に全面自由化が進んだとしても「安定供給を確保しながら、新規参入者と競争できる」と、自信を見せている。 【川口雅浩】

2002/09/11

持続可能な社会のためのフェアトレード

2002年9月10日にエクアドル・コタカチ郡で開催された有機コーヒー・フェアトレード国際会議での中村隆市の講演録(抜粋)とエクアドル・インタグコーヒー生産者カルロス・ソリージャさんの、会議に参加しての感想を掲載しています。

(more…)

2002/09/10

コタカチ国際会議・主催者あいさつ

2002年9月9日にエクアドル・コタカチ郡で開催された「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」での、中村隆市の開会式でのあいさつです。

(more…)

2002/07/31

なぜ、セヴァンを日本に招待したいと思ったのか

 今年、ウインドファームは、2つのイベントを開催します。ひとつは、9月にエクアドルで開催する「有機コーヒーとフェアトレード」をテーマとする国際会議、もうひとつは11月に、セヴァン・スズキを日本に招いて、九州、中国、関西、関東、北海道をまわるスピーキングツアーです。
 エクアドルの国際会議は、有機コーヒー生産者団体や地元の自治体と共催。セヴァンのツアーは、ナマケモノ倶楽部やエコリーグ、A SEED JAPANなどと実行委員会を組んで、全国の環境問題に取り組む団体、個人とともに準備を進めています。
 中村は、3年ほど前から、セヴァンを日本に呼びたいと思い、その時期をリオサミットから10年目の今年に定めていました。一昨年から、セヴァン親子と親しい辻信一さんを通じて連絡を取り始め、日本側の受け入れ態勢をつくり始めました。
 「風の便り」NO.1 は、ウインドファーム代表の中村がセヴァン宛てに書いた手紙をご紹介します。

(more…)

2002/06/18

中日新聞2002年6月18日掲載 「有機コーヒーいかが」

関心高まる「カフェ・スロー運動」

大手コーヒーショップチェーンが店舗拡大などにしのぎを削る一方で、有機無農薬コーヒーへの関心も高まっている。背景にあるのは、安全性はもとより 「フェアトレード(公正貿易)」や環境保全など、産地とのつながりを大切にしようという動き。安くファーストフード化されたコーヒーに対して、産地固有の 価値を尊重する「カフェ・スロー運動」の取り組みを紹介する。
(井上 昇治)

安全で味もマイルド

東京都府中市の有機コーヒー店「カフェ・スロー」で五月下旬、有機栽培コーヒーを焙煎(ばいせん)度合いを変化させて味の違いを飲み比べるイベントが行われた。浅い焙煎でいれたコーヒーはきれいな琥珀(こはく)色で、口に含むと、柔らかい味がじわっと広がる。

普通、コーヒー豆は焙煎を深くすると苦みが増し、逆に浅いと雑味が出やすい。そのため品質の悪い豆も焙煎を深くすれば、苦みでマイナスの味を隠すことができる。イベントは、画一化した「カフェブーム」の味に対してコーヒー本来の味を見直すのが目的だ。

手間をかけて育てた有機コーヒーは浅い焙煎でマイルドな味が楽しめる」と、イベント主催者の一人で、ウインドファーム(本社福岡県)代表の中村隆市さん (46)。中村さんは、中南米の有機コーヒー産地と提携、フェアトレードで輸入し、焙煎から販売まで一貫して手掛けている。

中村さんが、無農薬コーヒーの輸入を始めたのは1988年。「生産者のメッセージや産地の社会背景、環境問題も伝えたい」と考え、翌89年にはブラジルに。以後、同国やエクアドル、メキシコの生産者と交流を続け、有機コーヒーの普及に努めてきた。

しかし、新興勢力ベトナムの輸出増などで、コーヒー生豆の国際相場が低迷。中南米では、生産農家の困窮や失業問題が深刻化している。中村さんのもとにも、現地の知人から「生産者が生活できなくなっている」という声が届く。

「現地の森林や生産者たちの生活を守るために、有機コーヒーを飲んでくれる理解者を日本に増やす必要がある」。中村さんが行うフェアトレードでは、生産原 価の保証が原則であり、国際価格が暴落している現在、約3倍の価格で買い取っている。産地の環境を保全、先進国と発展途上国の格差を是正し、現地の営農を 安定させるのが狙いだ。

コーヒー生産者を応援する、こうした「カフェ・スロー運動」に賛同するカフェがブラジル、エクアドル、東京、福岡に広がり、仙台、大阪などでも始めたいという人が出ている。

今春、大学を卒業した藤岡亜美さん(22)もその一人。9月にエクアドルで開催される「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」に参加。現地の生産者と交流し、帰国後、来春にも東京都内にカフェを開店する。

「コーヒーを販売するだけでなく、現地の環境や生産者の生活など、地球の反対側でコーヒーを作っている人たちの背景を常に意識することで、新しいつながりを築いていきたい」と意欲的だ。

今後は、中村さんら関係者が「カフェ・スロー運動」に協力する全国のカフェを紹介する地図を製作。今年中に活動内容をまとめた本「カフェ・スロー宣言」も出版する計画を進めている。

「スローフードな人生!」の著者で、ノンフィクション作家の島村菜津さんの話

誰がどこで作ったのか、食べ物の実態が見えなくなり、食品のスピード化、画一化が進んでいます。スローフード運動は多様な味の世界を守ること。食のグ ローバル化は、コーヒー豆も例外でなく、多国籍企業に大量流通、大量生産が握られています。生産地に目を向け、ファースト化した生き方を反省する「カ フェ・スロー運動」は、スローフードの考え方と同じです。

中日新聞2002年6月18日掲載 「有機コーヒーいかが」

中日新聞記事

関心高まる「カフェ・スロー運動」

大手コーヒーショップチェーンが店舗拡大などにしのぎを削る一方で、有機無農薬コーヒーへの関心も高まっている。背景にあるのは、安全性はもとより 「フェアトレード(公正貿易)」や環境保全など、産地とのつながりを大切にしようという動き。安くファーストフード化されたコーヒーに対して、産地固有の 価値を尊重する「カフェ・スロー運動」の取り組みを紹介する。(井上 昇治)

安全で味もマイルド

東京都府中市の有機コーヒー店「カフェ・スロー」で五月下旬、有機栽培コーヒーを焙煎(ばいせん)度合いを変化させて味の違いを飲み比べるイベントが行われた。浅い焙煎でいれたコーヒーはきれいな琥珀(こはく)色で、口に含むと、柔らかい味がじわっと広がる。
普通、コーヒー豆は焙煎を深くすると苦みが増し、逆に浅いと雑味が出やすい。そのため品質の悪い豆も焙煎を深くすれば、苦みでマイナスの味を隠すことができる。イベントは、画一化した「カフェブーム」の味に対してコーヒー本来の味を見直すのが目的だ。
手間をかけて育てた有機コーヒーは浅い焙煎でマイルドな味が楽しめる」と、イベント主催者の一人で、ウインドファーム(本社福岡県)代表の中村隆市さん (46)。中村さんは、中南米の有機コーヒー産地と提携、フェアトレードで輸入し、焙煎から販売まで一貫して手掛けている。
中村さんが、無農薬コーヒーの輸入を始めたのは1988年。「生産者のメッセージや産地の社会背景、環境問題も伝えたい」と考え、翌89年にはブラジルに。以後、同国やエクアドル、メキシコの生産者と交流を続け、有機コーヒーの普及に努めてきた。
しかし、新興勢力ベトナムの輸出増などで、コーヒー生豆の国際相場が低迷。中南米では、生産農家の困窮や失業問題が深刻化している。中村さんのもとにも、現地の知人から「生産者が生活できなくなっている」という声が届く。
「現地の森林や生産者たちの生活を守るために、有機コーヒーを飲んでくれる理解者を日本に増やす必要がある」。中村さんが行うフェアトレードでは、生産原 価の保証が原則であり、国際価格が暴落している現在、約3倍の価格で買い取っている。産地の環境を保全、先進国と発展途上国の格差を是正し、現地の営農を 安定させるのが狙いだ。


コーヒー生産者を応援する、こうした「カフェ・スロー運動」に賛同するカフェがブラジル、エクアドル、東京、福岡に広がり、仙台、大阪などでも始めたいという人が出ている。
今春、大学を卒業した藤岡亜美さん(22)もその一人。9月にエクアドルで開催される「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」に参加。現地の生産者と交流し、帰国後、来春にも東京都内にカフェを開店する。
「コーヒーを販売するだけでなく、現地の環境や生産者の生活など、地球の反対側でコーヒーを作っている人たちの背景を常に意識することで、新しいつながりを築いていきたい」と意欲的だ。
今後は、中村さんら関係者が「カフェ・スロー運動」に協力する全国のカフェを紹介する地図を製作。今年中に活動内容をまとめた本「カフェ・スロー宣言」も出版する計画を進めている。

「スローフードな人生!」の著者で、ノンフィクション作家の島村菜津さんの話

誰がどこで作ったのか、食べ物の実態が見えなくなり、食品のスピード化、画一化が進んでいます。スローフード運動は多様な味の世界を守ること。食のグ ローバル化は、コーヒー豆も例外でなく、多国籍企業に大量流通、大量生産が握られています。生産地に目を向け、ファースト化した生き方を反省する「カ フェ・スロー運動」は、スローフードの考え方と同じです。

2002/03/20

有機農法に携わる人々(サンパウロ新聞)

◆有機農法に携わる人々(前篇)

 農薬や有害化学物質などによる環境汚染、自然破壊が侵攻する今日。特に開発途上国などでは、海外からの企業進出がその要因の一つになっているケースも少なくない。そうした中で、身体に害の無い安全な生産物をつくり、消費者に提供するという動きが世界中で目立ってきている。ブラジルでも農薬の使用を減らし、有機農法を実践する人たちがいる。ここでは有機農業などに携わり、身の周りから環境破壊を防ごうとする人々を紹介する。

(1)

農場スタッフと交流する中村さん(右)
 生産者との公正な貿易(フェアトレード)を目指し、ミナス州マッシャード市の「ジャカランダ農場」で栽培されている無農薬有機コーヒーの日本での輸入販売を、九四年から始めた(有)有機コーヒー社長の中村隆市さん(四三、福岡県出身)。
 地元の高校を卒業後、映画監督になることを希望していたが、水俣病との出会いにより、公害、環境問題に興味を持ち、有機農産物の産直活動に取り組んでいく。

 八六年に発生したチェルノブイリ原発事故で被爆した、隣国ベラルーシ共和国の人々への支援を行うための運動を八九年から並行して展開。その支援金を捻出するためにも、有機無農薬コーヒーの日本での販売は欠かせなかった。何より、ジャカランダ農場で働く人々との出会いが、現在の中村さんの活動を支えている。農場主のカルロス・フェルナンデス・フランコさん(七一)の無農薬の土地づくりを推進する思いが、中村さんの気持ちと一致したためだ。 

 今年五月末に来伯した中村さんは、農場の状況視察とともにコロンビアで初めて開催された国際有機コーヒーセミナーに出席。研究者だけでない生産者との交流を行い、現場の声を目の当たりにした。

 また、十月十二日からは「消費者に実際の生産現場を見てほしい」との考えから、来年から本格的に行われるジャカランダ農場の「スタディー・ツアー」の準備を兼ねて約一週間滞在。再び農場を訪問し、生産者との交流も行なった。

 さらに、同じミナス州のラゴア村も訪問し、フェアトレードの可能性も探った。

 中村さんによると、現在の日本では有機無農薬産品について「一過性の健康ブームという訳ではなく、総合的な環境問題を含めて、当たり前といった意識になってきている」という。

 それだけ環境問題について、人々の意識が高まってきたとも言えるが、「身体に害のない美味しいものを食べたい」との考えが、消費者の中に芽生えてきたのも確かなようだ。

 「ジャカランダ農場とのつながりは、単に売る人と買う人の関係だけではなく、一緒に有機農業を広げていく仲間でもあります。農薬による被害で中毒になったり、亡くなったりしている人の問題を取り上げ、環境に対する一般の意識をさらに高めていきたい」(中村さん)
 中村さんの挑戦はさらに続く。

(2)

有機2.jpg

小鳥の繁殖を目指す源夫妻

 中村さんがミナス州ラゴア村の小農民の状況を視察した翌日の十月八日、有機農法博士の宮坂四郎さん(七四、北海道出身)の案内でモジダスクルーズへと向かう車に記者も同行させてもらった。

 宮坂さんは、七月のコロンビアでの国際有機コーヒーセミナーにブラジル代表として参加。炭を焼くことによって採取され、害虫の忌避剤にもなる「木酢(もくさく)」の効用について講義した。自然農法生産者協会(APAN)やブラジル有機農業協会(AAO)の創立に携わるなど、「有機農法の伝道師的存在」(中村さん)となっている。

 モジ群のボトジュル地区に在住する源マリオさん宅(六九、二世)を訪ねる。

 源さんも宮坂さんとともにコロンビアに同行した一人だった。日本から来た中村さんとの再会を喜ぶ。

 源さんは、約三十年にわたって建築資材の販売業を行っていたが、現在は定年退職し、五年前から全伯小鳥飼育協会に入会。絶滅の危機に瀕している「クリオ」(俗名)と呼ばれる小鳥の飼育・繁殖を促している。

 現役時代の建築業を生かして、自宅の裏側に十メートル四方の鳥かごを作り、「クリオ」や「オウム」など二十種類におよぶ小鳥を雌雄のつがいごとに入れている。

 「以前は家の周りでよく見かけたクリオは、最近ではほとんど見られなくなりました。私たちの協会は全国組織で、会員は一万人ぐらいいますが、小鳥を通じて自然保護を行っていくことを一つの目的としています」(源さん)

 元々は父親の代から、この地で養鶏や果樹栽培などの農業生産を行っていたという源さんは、昨年から趣味を兼ねて養蜂業も始めた。「遊び半分ですよ」と笑う源さんだが、少しずつ蜂蜜が売れ出している。蜂蜜は市販では、不純物が混ぜられて販売されているケースも多く、五十五年間ボトジュルに住んできて生まれた信用が、源さんにはある。

 「以前から環境問題にも興味はありましたが、定年退職してから、自分の好きなことがやれるようになりました」と源さんは現在、個人の立場でできる自然保護に取り組んでいる。

 「コロンビアにはあくまで宮坂さんに付いて行っただけ」と控えめな源さん。コロンビア・リサラルダ州の印象について「熱帯の割に、気候が良く、土地も肥沃だった」と語る。

 奥さんの園子さん(六五、高知県出身)は、源さんの父親たちと一緒に養鶏や野菜の生産を行い、一時期は地元の組み合いを通して出荷していた。今では夫同様、楽しみで竹の子などを家の周辺で栽培している。

 源さん夫婦は毎日、鳥の鳴き声や自然に囲まれながらの生活を送っているという。

 「若い時は、仕事の関係でブラジル中を歩きましたが、今はこの地にいながら、楽しみながら社会奉仕ができればと思っています。自分の知っていることを次の世代に伝え、それが人のためになればと考えています」と源さんは、環境保護への高い関心を示した。

(3)

 「ここでは、ハウス(栽培)内に鳥が巣を作ってますよ」―。

 こう語るのは、モジ群ビリチバ・ミリンでトマトを生産する鈴木啓三さん(六一、山形県出身)。農薬を使用していない証拠だ。

 鈴木さんは、九年間十一回にわたって、同じ場所でトマトの連作を行なっている。作っているのは「桃太郎」と言われる大玉の種類だ。化学肥料を使った場合、土地が疲弊するために休ませるのが普通だが、籾殻(もみがら)を焼いた煙炭、砂糖きびの絞りかすやボカシなどの有機肥料を使用することで、土地自体に持続力が付いていく。

有機3.jpg
有機トマトについて説明する鈴木さん

 自然農法生産者協会(APAN)にも八九年頃から入会している鈴木さんだが、それ以前から有機農法には興味を抱いていたという。
 「大抵の生産者は、トマトを育てることに一生懸命になっていますが、私の場合は、土地を作りあげることに力を入れてきました」
 実際、鈴木さんが栽培しているハウスの中には籾殻を焼いた煙炭が一面に撒かれている。

 しかし、そんな鈴木さんも有機農法に切り替えた当初は、害虫の被害にもやられた。土地自身に害虫をはねつける力が無かったことが原因だ。それ以来、農道にだけ使っていた除草剤もいっさいの使用を止めた。

 「色々な人に会って話を聞いたり、有機関係の本は片っ端から読みましたね」

 少しずつだが、土地に変化が現れ出した。農薬を使用する一般のハウス内には飛ぶことのなかった小鳥が飛び、巣を作るようになった。その積み重ねが、今の鈴木さんの考えを強固なものへと変えた。

 「この周辺では有機栽培をやっている人はほとんどいませんね。ハウスは二、三年やるとほとんどの人は資材などの費用がかさんで続けられなくなります。化学肥料を使っていることが、却って自分を苦しめることになるのです」

 現在では、化学肥料を使っていないのが「売り」となっており、市販のものより多少値段は高くても、自然な甘さが消費者に受けている。記者自身も賞味させてもらったが、まだ表面は青さが残っていたものでも、内部は柔らかく、濃い甘みがあるのが印象的だった。

 ブラジルではまだ有機農法は一部にしか認識されていないが、鈴木さんは「『有機農産物を作るのは当たり前』という方向に必ずなるでしょうね」と自信を見せる。

 「土壌を作るといっても、実際には微生物がやるんです。それをいかに我々が手を加えてやるかなんです。今まで多かれ少なかれ、いじめてきた土地を元に戻す作業を今やっている訳です」

 「桃太郎」種のトマトは最近ブラジルでも値段も安定し、美味しいのが定評となっているが、生産が難しいという。

 「難しければ難しいほど、またそれが面白くなって止められないんですね」と鈴木さんは笑う。心から農業を大切にし、楽しんでいる姿がそこにはあった。
 
(4)

 モジダスクルーゼスで有機農法に携わる人たちを訪ねて同行した記者は最後に、ビリチーバ・ウス郡にある宮坂氏の別荘に案内してもらった。

 そこには現在、宮坂氏の娘のロザーナさん(三四、二世)と夫で大工仕事を行う海老根盛人(えびね・もりと)さん(三二、栃木県出身)が住んでいる。場所は「人里離れた森の中」といった感じで、旧家を建て直して生活しているという。

 海老根さんは元々、家具職人として神奈川県で職業訓練校の教師を養成する「職業訓練大学校」に勤めていたが、本格的に家具作りに取り組むため、栃木に移り住んだ。その合間に「創造の森」という有機農業による畑を自ら作り、野菜など四十種類におよぶ生産物を栽培していた。その時に日本に就労していて知り合ったロザーナさんと結婚。並行して、有機生産物を使用したレストランも経営した。

 その後、九六年にブラジルに移住する決意を固め、現在の場所で大工仕事の注文を受けながら生活している。

 しかし、移住した当初やりたかった有機栽培は仕事が忙しいために中断しており、「暇を見つけて続けたいのですが」と海老根さんは苦笑する。

 自然とともに生きることをモットーとする「シュタイナー教育」に「少なからず影響された」という海老根さんは、少しずつ自分の考えを実践する。

 海老根さんは家具職人としてブラジルで働く中で、一つのポリシーを貫く。それは、「無垢」(むく)と呼ばれる一本木を使うことだ。

有機4.jpg
海老根さんの作品

 「ブラジルで販売されている家具はそのほとんどが、合板が使用されています。表面は見栄えがいいですが、良い接着剤を使わなければすぐに剥がれてきます。それに比べて無垢では、五十年、百年たっても壊れません」

 さらに海老根さんは、釘やネジなどを使わない日本建築の手法を重視する。例えば、机などはネジでとめると割れたり、素材そのものが曲ったりするが、木を組み合わせることによって、気候の変化に対応して伸び縮みできるようにできるという。そのためにも、無垢の素材を探し、保管・使用することは海老根さんにとって、最大のテーマでもある。

 また、海老根さんが作業場を山中に選んだのは無垢によって出る木クズを畑の肥料などに再利用することにある。

 「都会で大工仕事をしていると、木クズが大量に出てその処理に困りますが、ここでは畑の肥料としても使えるし、一石二鳥ですよ」と海老根さんは、限りある資源を再生することを重視する。

 海老根さんは、障子の桟(さん)を削る鉋(かんな)など日本でも最近では使用されなくなった大工道具も、ブラジルに持参してきた。
 「昔は手作りの道具もたくさんあったのですが今ではブラジルでも電動工具が主流になり、職人のレベルが低くなっています」

 いかに、自然の理にかなった家具づくりを行うか。仕事だけでなく、日々の生活の中で海老根さんは、常にこのことを考えている。(つづく)
                         (一九九八年十一月サンパウロ新聞掲載)
1998年 (最終更新日 : 2005/06/20)
http://100nen.com.br/ja/kojien/000089/20050421000997.cfm

◆有機農法に携わる人々(後篇)

(5)

 モジを訪問した翌朝、無農薬コーヒーを生産する「ジャカランダ農場」を訪ねるべく、中村さんたちと一緒にミナスジェライス州マッシャード市に向かった。

 この日、同行したのは、ジャカランダ・コーヒー友の会会長で、来年の農場への「スタディー・ツアー」を前に、「ぜひ現場を見てみたい」と自費参加した村田久さん(六三)と和子さん(五二)夫妻と農場には初めて行くという宮坂さん。それに(有)有機コーヒー社のブラジル側スタッフで、ミナス州ラゴア村の小農民に有機農業による自立支援に力を入れているクラウジオ牛渡さん(二九、二世)というメンバー。 

 サンパウロ市内のチエテ・バスターミナルから約三時間半。マッシャードに着いた我々を農場主のカルロス・フェルナンデス・フランコさん(七一)がスタッフとともに出迎えてくれた。

 農場近くにあるカルロスさんの別荘で休憩したあと、午後から市内の農業大学とジャカランダ農場のコーヒーが選別・保管されている「DINAMO社」に案内される。

 大学内にはコーヒーの苗木も育てられており、カルロスさんの口添えにより、ジゼリー・ブリガンテ学長が校内を案内してくれる。

有機5.jpg
DINAMO社を訪問した一行

 続いて見学させてもらった「DINAMO社」には、マッシャード周辺の五十におよぶ生産農家のコーヒーが保管されている。会社側の説明では、有機無農薬のものを扱っている生産者は、わずかに数家族に満たないという。

 その中でもジャカランダ農場から出荷されるコーヒーは、品質もトップクラスで、化学肥料を使用したコーヒーと混ざらないように配慮されている。

 昨年、ジャカランダ農場では、天候不順とコーヒーの木の老朽化で四百俵しか収穫できなかったが、今年は二千俵と元の収穫量を取り戻した。現在、カルロスさんは、DINAMO社に日本への輸出向けに千二百俵を預けているが、それらはすべて、中村さんの有機コーヒー社に直接送られる。

 中村さんとカルロスさんの「環境保護を通じて次世代に希望をつなぎたい」との共通した考えが二人の人間関係を、より強固なものにしている。

 最近では、マッシャード周辺の小農民の間でも有機農業に関心を寄せる動きにあり、そのことをカルロスさんは、自分のことのように喜ぶ。

 夜、カルロスさんの別荘での夕食のあと、改めて各自が自己紹介を行なった。村田夫妻と宮坂さんは、訪問させてもらったことへの感謝をそれぞれ述べる。

 カルロスさんは席上、農場の現状や自分の身の周りからできる環境保護の重要性を切々と語る。

 「有機農業を行なっていくうえで、技術の面だけでなく、考え方も変えていかなければならない」とカルロスさん。地球の汚染が進む中で、一人でも多くの人々の環境に対する理解が必要だと強調した。

(6)

 翌日、朝から待望のジャカランダ農場を見学する。総面積は二百七十三ヘクタールあり、その内の八十ヘクタールが、コーヒーの生産地。残りはバナナなどが植えられている。

 はじめに、カルロスさんが一日のスケジュールを確認するため皆を呼び集め、見学する行程を説明する。

 天日干し場に着くと、農場で働くスタッフがトラクターに繋いだ小型のトレーラーを用意していた。その上にスタッフやカルロスさんの家族を含めた十人ほどが乗り、農場内を見て回る。

 カルロスさんはポルトガル系移民の六代目。(株)ウィンドファーム社発行の「ジャカランダコーヒー物語」によると、この地でのコーヒー栽培の歴史は、一八五六年に入植したカルロスさんの曾祖父にあたるジョン・マノエル・フランコ氏から始まるという。それから数えて四代目となるカルロスさんは、現在でも、祖父の時代からの農場のスタッフとのつながりを大切にする。

 「五年前に初めてカルロスさんに出会った時、農場で働く人々との交流があったことが一番嬉しかった」と中村さんは、生産元にジャカランダ農場を選んだいきさつを目を細めて語る。

有機6.jpg

OC地区で農場スタッフと記念撮影する一行

 カルロスさんの指示により、OC(有機コーヒー)地区で下車する。農場には無農薬だが有機肥料を使用していない地域もあるが、ここは百%有機無農薬の土地だという。現在のコーヒーは九六年に植えられたもので、森のように茂っている。

 実際に足を踏み入れて感じるのは、土の柔らかさだ。ブラジルに多い赤土の「テラ・ロッシャ」とは違い、全体に黒い土で覆われている。

 カルロスさんによると、はじめのころは堆肥を撒いていたが、昨年からは撒いていないという。土中に含まれる「みみず」などの益虫や微生物が害虫の発生を防ぎ、土が柔らかいことで根が深くまで入り、水分の吸収を良くしている。また除草剤を使わずに草を刈ることで、天然の肥料となり、全体のバランスが取れるようになるとも。

 この日、カルロスさんを訪ねて同行し、二十年間コーヒー仲買商に携わっているという中島エジソン・サライバさん(四三、三世)は「十五年前のコーヒーは、その匂いを嗅いだだけで、大体の品質が分かりましたが、農薬使用して以来、試飲してみないと判断できなくなりました。しかし、カルロスさんのは、銀行融資を受ける際にも、匂いを嗅いだだけで良いものだとの信用を得ました」と品質の高さを保証する。

 OC地区には、一・八ヘクタールに一万七千株のコーヒーを植えた「ジャカランダコーヒー友の会」の土地がある。

 日本に出荷される高品質の有機コーヒーはすべてこの土地から採れる。

 ブラジル国内では皮肉にも、これらの高品質の製品は実際には飲めないという事実がある。

 カルロスさんはこのことについて、「私たちが努力して作ったコーヒーを日本の理解ある皆様に飲んでもらうことは、最高の喜びです」と意に介さない。

 良いものを良い仲間と作り、理解のある人に飲んでもらいたいとの気持ちが、カルロスさんを支配している。

(7)

 日本から中村さんとともにジャカランダ農場を訪問した村田夫妻。ブラジルに来たのも、初めてだ。

 福岡県に会社がある中村さんの近所に在住し、その意気を感じて、カルロスさんの農場を支援する「ジャカランダコーヒー友の会」会長にもなっている。また、消費者に現場の生産作業を見てもらうことにより、「より生産者のことを知ってもらいたい」とする考えから来年、本格的に始まるジャカランダ農場への「スタディーツアー」の準備や下見も兼ねての来伯だ。

 しかし、それ以上に村田夫妻がこの地を訪れたかった理由は、ほかにある。

有機7.jpg

農場スタッフと談笑する村田夫妻(中央と右)

 村田夫妻は、マレーシア・イポー市のブキメラ村に進出していた日本企業が不法で出した産業廃棄物の影響で病に苦しむ子供たちの医療援助を個人ベースで続けており、その支援金確保のためにジャカランダ農場の有機無農薬コーヒーを販売している。かねてから中村さんに、農場の話は聞いていたが、「消費者に品質の良い品物を販売する以上、ぜひ自分の目で生産現場を見てみたかった」というのが、村田夫妻の考えだ。

 村田夫妻は、福岡県北九州市にある三菱化成黒崎工場(現・三菱化学黒崎事務所)に勤務していたが、三年前に久さんが定年退職。和子さんも今年十月三十一日に退職した。

 一九八二年四月、三菱化成は、マレーシアのブキメラ村に合弁会社を設立。現地住民には産業廃棄物の恐ろしさが知らされないまま、働く場所があるというだけで、二百人の労働者が集まった。

 翌八三年、「ゼリーベビー」と呼ばれる骨無し状態の子供が産まれたことことから、住民の会社に対する反対運動が起きた。

 三菱化成は、「モナザイト」と呼ばれる物質から自動車部品やカラーテレビのブラウン管の蛍光塗料などに使用される希土類を抽出していたが、その抽出過程で「トリウム232」という放射性物質が出ることを知っていたにもかかわらず、産業廃棄物のずさんな管理を行なっていた。

 「トリウム232」の半減期は百四十一億年もかかり、これらの事実を八五年に知った村田夫妻は「まさか、自分の働いている会社がそんな危険なことをしているとは信じられなかった」とショックの色を隠せなかった。

 住人は八五年に住民側八人の原告により提訴。九二年七月にイポー市高等裁判所で勝訴したが、翌九三年十二月に逆転敗訴となった。陰でマレーシア政府が圧力をかけたと見られている。

 九一年、村田夫妻は会社への内部告発とともに年に一回、現地を訪れ、ブキメラの子供たちへの支援活動を行うようになった。
 「現地で望んでいるのは、ブキメラの村内に病院を建て、せめて週に三回でもいいから、簡単な診療をしてもらいたいということなのです」(和子さん)

 現在、ブキメラ村には診療所はあっても医者が常駐していない状態で、村田さん夫妻は会社を辞めた今でも支援活動を続けている。

(8)

 農場を隅々まで見学したその日の夜、カルロスさんから一人一人感想を聞かれた。

 村田久さんは、日本で市民団体が活動するために、物販活動を行う経緯について説明。熊本県の「チッソ」工場から排出されて人体に被害を及ぼした「水俣病」の例を話した。

 それによると水俣病の支援活動者は、三十年以上にわたって柑橘類の一種で熊本特産の「甘夏」を販売しているという。しかし、甘夏の味が良くなくても、消費者は支援のために買っていた人が多かった。そのため、初めは支援の気持ちを持った人でも、時が経つにつれて、その気持ちが薄れてくると売れないようになるという。

 「ブキメラの支援運動も今年で七年目ですが、最初はマレーシアからカレー粉やTシャツを買ってきては販売していました。良い品物を売るというよりも、支援のために買ってもらっていた感じでした。しかし、ジャカランダのコーヒーを扱うようになってからは、いつの間にか、美味しいから買うという人が増えました。それが、そのままブキメラ村の資金援助に役立っているのです」(久さん)

 また、和子さんも「中村さんからカルロスさんの話を聞いてコーヒーの販売を始めましたが、累計で百万円以上の収益をブキメラに送りました。直接ここに来てみて、益々ジャカランダのコーヒーを自信を持って売ることができるます。人間関係がうまくいかないと、仕事もうまくいかないのだと実感しました」と率直な気持ちを語る。

 これまで、通訳に徹してきた牛渡さんに意見を求めた。

 牛渡さんは「消費者が、『誰が作っているのか』という生産者の顔を知ることが重要だと思います。私にとっていい仕事とは、いい気持ちでやることです。その意味で中村さんとカルロスさんという二人の人間関係の中で仕事をしていることに喜びを感じます」と述べた。

 しかし、農場経営が苦しいのも事実だ。今年は平年並みの収穫があったものの、ジャカランダ農場は昨年、大きな危機に見舞われた。コーヒーの木の交換時期と不作とが重なり、農場で働くスタッフの生活にも支障をきたした。

 そうした中、彼らを支えたのは、日頃から行なってきたコーヒーの品質に対する自信とカルロスさんへの信頼感だった。

 「スタディーツアー」の目的は、ジャカランダ農場の支援と同時に、中村さんをはじめとする関係者の新しい挑戦でもある。

有機8.jpg
カルロスさん宅で感想を述べ合う

 この日遅くまで話し合いは続けられた。今後の農場こと、来年から始まる「スタディーツアー」のこと。果ては、原発問題から環境問題にまで至った。

 同席していたカルロスさんの次女テルマさんが冗談めかして言った。

 「父はマサチューセッツ(工科大学)やハーバード(大学)よりも進んでいる」

 有機農業を実践しているという意味では、確かにそうかもしれない。

 人類がこれから迎える二十一世紀にあって、環境保護は自然なあり方として見られるようになってきた。しかし、それを良い方向に継続して進めていくか否かは、一人一人の考え方による。

 今回、有機農業に携わる人々を取材する中で、そのことを強く感じた。(おわり)   
             
              (1998年11月サンパウロ新聞掲載)
http://100nen.com.br/ja/kojien/000089/20050506001026.cfm

2001/01/21

エコロジー&フェアトレード・ショップ 『エコラ』訪問記

去る1月26日、環境保護団体「ナマケモノ倶楽部」の運営スタッフである藤岡亜美さんが、ウインドファームを見学するため、東京からやってきました。
藤岡さんはフェアトレードに強い関心を持っていたので、当日、福岡市内に用事のあった私は、オープンしてまだ間もないフェアトレードショップ”エコラ”を一緒に訪問することにしました。

福岡空港や博多駅から地下鉄で10?15分の赤坂駅を降り、歩いて4、5分ほどの所にエコラはあります。木造りの雰囲気の良い入り口は、誰でもが気軽に入っていけるような印象です。
エコラは、「西日本リサイクル運動市民の会」のメンバーが出資(ウインドファームも出資)してできたエコロジー&フェアトレードのショップです。熊本県 産の杉を床板などに使った心地よい雰囲気の店内には、環境に優しいオーガニック食品、衣類、洗剤、フェアトレードの雑貨などがところ狭しと並び、落ち着い た雰囲気の中にも賑やかさをかもしだしています。その中には、ウインドファームのコーヒーも扱っていただいており、一角にはちょっとした喫茶スペースも設 けてありました。
レジ横のカウンターには、パソコンiMacが置いてあり、インターネットで環境に関することを調べるなど、お客さんが自由に使えるようになっています。

将来、東京に同じようなエコロジー&フェアトレード・ショップの開店を計画している藤岡さんは、エコラの店長である大崎直子さんに熱心に質問していまし た。大崎さんは、エコラで働く前にも、別のフェアトレードショップを経営していた経験があり、豊富な経験を持つベテランの一言一言が藤岡さんにはとても勉 強になったようです。ウインドファームは、日本各地にこうした エコロジー&フェアトレード・ショップが増えていくのを応援しています。

エコラ写真1
奥行きのある店内。写っているのは店長の大崎さん。

エコラ写真2
店内にはパソコンが置かれ、訪れたお客さんが利用することができる。

エコラ写真3
商品の陳列に使われている棚は、すべてが木造り。

エコラ写真4
書籍やアクセサリー類など、扱う商品はさまざま。

エコラ写真5
エコラに置かれたウインドファームのコーヒー。

※エコラは、2002年9月30日で閉店しました。

Copyright © 2009 株式会社ウインドファーム.  

中村隆市ブログ「風の便り」 コーヒー関連ブログ「豆の便り」 スタッフブログ「土の便り」 /abbr/li