第5話 闘いは砂糖から始まった

先住民たちがトセパンを組織化した動機は、「商品を高く売りつけられ、収穫物は安く買いたたかれる」という状況を改善することにありました。

1977年、クエツァランにおいて700名の農民が集まり、家庭で消費する砂糖を獲得する闘いが始まりました。面白いことに、トセパンのルーツは「砂糖」にあったのです。山岳地帯は寒くなるため、コーヒーを飲む事は人々の文化となっていました。その際に、砂糖をたっぷり入れて飲むことも習慣化していました。

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トセパンの生産者もコーヒーは大好き

1970年代、クエツァランの商人たちは砂糖1kgを12ペソで販売していました。政府の公定価格は2.5ペソでしかなかったので、約5倍の価格です。権力者たちが商店を独占的に経営し、価格を牛耳っていたため、生活必需品である砂糖を人々は泣く泣く高い金額で購入していたのです。

そこで農家、日雇い労働者、大工などの貧しい男女が集まり、1977年に砂糖を安価で手に入れるための運動を開始しました。

当初は、一部の地区だけが運動を展開しました。委員会を設置して、砂糖生産者連合(UNPASA)の倉庫管理者と何度も交渉をしました。しかし、1ヶ月にわずか1トンの砂糖割り当て許可が与えられるのみでした。それはとても足りる量ではなく、さらには前払いを強いられるという状況でした。

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ケッツァランの中心部

 この状況への不満が、地域での活動を活性化させました。メンバーは精力的に活動を展開していきました。首都メキシコシティーまで交渉にも行きました。事前交渉や役人との交渉を重ねた上に、地域の他組合と共に1978年、サカポアクストラの倉庫を占拠することで砂糖を獲得することとなったのです。結果として、権力者は民衆の力を思い知ることになりました。獲得した砂糖の分配のため、活動当初から参加する5つの地区に組合の店舗を1店ずつ開いていくことになりました。

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トセパンの現地ロゴマーク。

 山岳地域の道路状況が悪いことから、店舗の品数は少なく、品質は悪く、さらに価格は高いという状態だったのです。こうした背景もあり、先住民が勝ち取った物流プロジェクトは必要に迫られ急速に展開していきました。毎月、新たな店舗が開かれ、砂糖に始まり、とうもろこし、豆、その他の必需品の扱いに広がっていったのです。

協同組合の店舗数は1978年に12を数え、1980年に26店舗、1990年に32店舗へと増えていきました。必需品とされる12品目を扱うようになり、人々の食料不足という状況は徐々に改善されていきました。砂糖をめるぐ闘いが、具体的な変化を生み出していったのです。この必需品の物流の変革手法を模範として、メキシコ政府は1980年に地域に倉庫を建設し、同様の枠組みを全国にて展開するほどでした。

砂糖をきっかけとして先住民たちは組織を作りましたが、未登記であり法的実態はありませんでした。融資を受けることや商業活動もスムーズではありません。政府の役人からも軽んじられていました。しかしながら、人々が自分たちの状況をより良く改善しようという流れは止められません。1980年には、地域の組合組織は30以上。これらを代表する組織の正式な登記が必要となり、山岳地区小規模生産者連盟として共に歩んできた32地区は、トセパン・ティタタニスケとして組織され、強化されることになったのです。

社会の不条理と闘い、自分たちの権利を勝ち取るという動機からスタートしたトセパン。設立当初から脈々と続く彼らの理念と行動は、「団結」という言葉に深い意味と重みを与えています。

設立に深く関わったドン・ルイスは自分の手を開いて見せながら語ってくれました。

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森林農法の森で解説をしてくれるドンルイスさん

「トセパンとは何か?その質問に答えるために、いつも5本の指の話をするんだ。親指1本では、軽いものしか持てないね。人さし指を添えると、もう少し重たいものが持てるよね。そして、中指、薬指、小指と添えていくと、さらにもっと重たいものが持てるようになるだろう。私達の暮らしも同じなんだ。お互いに支えあって、1人では不可能なことを、皆の力で可能にしていく、より良い状況を自分たちで作っていくんだ。それが、「団結」という意味を持つ「トセパン」に込めた想いなんだよ。」

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