第4話 抑圧されてきた先住民たち

トセパンは山岳地方の先住民たちが立ち上げたのですが、設立の背景には、人々が置かれていたとても厳しい生活と経済の状況がありました。

トセパンを組織化した「ナワット族」の人々は、祖父母の世代までは蒸留酒の製造業者向けに、サトウキビの栽培をしていました。他にもオールスパイス、オレンジ、コーヒーなどを育てていました。しかしながら、権力を持つ商人、仲買人、大土地所有者たちによって長年に渡り虐げられてきたのです。

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農村の典型的な風景

収穫物や収入の大半が力のあるもの達によって収奪されていました。交渉力の無かった先住民たちは言われた通りの安値で収穫物を販売せねばならず、時には土地の利用料として成果を丸ごと取り上げられて来たのです。

仲買人、高利貸し、商人は商店主でもあり、コーヒー、オールスパイス、オレンジ、貴重な木材を素材とした民芸品などの価格を思うがままに牛耳っていました。

さらに、小規模農民向けの土地は少なくなっていきました。大規模な畜産家が牧草地をさらに開拓していくのです。その中で、先住民が種を撒く土地が失われていきました。1970年代の中頃、こうした不平等を背景に、土地なし農民による大農園占拠が数多く発生しました。事態は深刻でしたが、一方で牧場主や地方領主は、力を誇示し、時には暴力を使うことで、農民たちの抵抗を退けていたのです。

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ケッツァランの街並 商店が建ち並ぶ

1974年、政府プログラムであるサカポアクストラ計画が発表されました。トウモロコシなどの主要穀物栽培の技術指導を展開し、指導プログラムの受け皿として、生産者を組織する内容でした。

推進委員には10名の農業技術者と、スペイン語とナワット語を話す地元農民30名も加わり、現地補佐を行いました。当初、指導員は、改良された種と肥料を用いて、農地からいかに多くの収量をあげるかを教えていきました。

化学肥料の力でより多く生産できるようになりましたが、農園所有者に利益を吸い上げられるため、農民たちの生活はほとんど改善されませんでした。先住民たちは何名かの指導員と相談をして、知恵を出し合い、大地主や仲買人から自由になる道を模索し始めたのです。

当時、最も深刻な問題は自分たちが食べる食糧の不足、そして仲買人による買い叩きでした。「当時は商店では高い買い物を強いられ、収穫物は安く買い叩かれる。さんざんな状況だったんだよ」と老人は語ります。人々は、とても苦しい状況に追い込まれていたのです。

 

この状況下で、先住民たちは団結し、共に最初の一歩を踏み出していきます。多くの人々が町の中心部へ行くのは日曜日でした。その日に市が立つからです。その機会を利用して、中心都市であるクエツァランにて集会を開かれ、全ての山岳地区の人々が参加するようになりました。

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とにかく良く話し合い対話を尊重するトセパンの文化がある

サカポアクストラ計画がきっかけとなり、集会が何度も開かれ、虐げられた先住民の組織化が進むことになりました。自分たちの店舗を持つことが可能となり、オールスパイスとコーヒーを直接販売する道が開かれたのです。

この流れの中で、組織的に動いたのは「家庭で消費する砂糖の確保」でした。1977年にいくつかの地区のメンバーが集まり、トセパンのルーツである「山岳地区小規模生産者連盟」が設立されました。この組織は1980年にトセパン・ティタタニスケとなり、現在に脈々と続くことになります。

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