2005年04月30日

カルロスさんから受け継ぎしことは・・・
ジャカランダ農場のジョゼ・アイルトンのこと

 ジャカランダ農場のカルロスさんはいつもこう語っていた。「若い人が農業という 仕事に誇りを持って欲しい」。2003年、カルロスさんがこの世を去ってからもうすぐ 2年。今も、その想いをずっと心に抱き続ける青年が、ジャカランダ農場にいる。ジ ョゼ・アイルトンだ。
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ジョゼ・アイルトン
 ジャカランダ農場で生まれ育ったアイルトンは、15歳の頃から学校が終わるとカル ロスさんのところに駆けつけ、コーヒー栽培の仕事を教わりはじめた。以来、彼はカ ルロスさんと言葉を交わしながら農業という仕事に意義と誇りを見出していく。

 農業者として成長していこうとするアイルトンに、カルロスさんは自らその知恵を 授けるだけでなく、農業学校で学ぶ機会を与えた。それは、ジャカランダ農場しか知 らなかった彼にとって、外の世界を学ぶ場となる。ジャカランダ農場では決して使わ れることのない殺虫剤や除草剤の使用を前提とする農業学校での授業に、最初アイル トンは戸惑う。ジャカランダ農場では当たり前のこととして営まれていたコーヒーの 有機栽培は、農業学校では全く異質なものとして位置付けられていたのだ。

   「オーガニックコーヒー栽培の成果は出ていない」と語る教授の話は、ジャカラン ダ農場を脳裏に浮かべると何とも奇妙なものに聞こえたが、アイルトンはまず学校の やり方に慣れようと心がけた。そうしなければ、授業にはついて行けなかった。

 アイルトンが農業学校で掴んだのは、学ぶことの面白さだったという。だから、有 機栽培と近代農業のギャップに戸惑いながらも、農業学校を辞めようとは思わなかっ た。が、それでも一度、休学を考えたことはある。日々の農作業と学業の両立が大変 だったのだ。

 農業学校での2年目、夜間の授業を取るようにしたアイルトンは、ジャカランダ農 場での仕事を終えた後、夜間の授業を受けた。就寝は毎晩、午前1時を過ぎる。
   そのため、アイルトンは1年間の休学をカルロスさんに申し出た。
 すると、カルロスさんは「勉強は休まず続けなさい」と言い、祝祭日と週末を仕事 に充てることで、仕事と学業を続けやすい環境を整えてくれた。

   アイルトンにとって、かけがえないの存在であるカルロスさんが亡くなったとき、 彼はその死を受け止めることができず、葬儀に赴くことができなかった。だが、当時 すでに現場監督としての責務を担っていたアイルトンは、いつまでも哀しみにくれて いるわけにもいかない。コーヒー樹が必要としている作業を考え、スタッフが円滑に 仕事を進めていけるよう手配する。カルロスさんから受け継ぎし仕事が彼を待ってい た。

   ジャカランダ農場で、ともにコーヒーの有機栽培に取り組む仲間たちのことを、 「サッカーのチームのようなもの」だとアイルトンは思う。力を合わせ、良質のコー ヒーを生産するという目標に進むひとつのチーム。皆が快適に感じるようそれぞれが 最善を尽くす。その仕事のなかで、カルロスさんは今でも皆の手本としてあり続けて いる。豊富な知識と経験で、いつも自分たちの仕事を考え、その溢れんばかりの情熱 を大地に注いでいたカルロスさん。その姿そのものが、「スタッフ皆にとっての励み だった」。

   朝6時半、静かに昇る朝日とともにジャカランダ農場内の事務所に現れたアイルト ンは、前日の仕事内容と気づきを農業日誌に書き込む。そうして彼は、カルロスさん から受け継いだジャカランダ農場の新たな営みを1枚、また1枚と書き記していく。 午後4時に会計や事務などの仕事が終わり、ジャカランダ農場のスタッフが夕暮れ時 をゆったりと過ごす頃、アイルトンは会計の学校に向かう。帰宅するのは午後11時 頃。
 これからの4年間に会計の資格を収得し、そして結婚するのが夢だという。
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カルロスとアイルトン
投稿者 akira : 2005年04月30日 15:34