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続・ジャカランダコーヒー物語

ブラジルで、確実に広がりつつあるコーヒーの有機栽培
そのパイオニアとして、技術を伝えるカルロスの仕事は続く

苦難を乗り越えて、今、

スタッフへ指示を出すカルロスさん
スタッフへ指示を出すカルロスさん。
 カルロス・フランコは、この20年間、安全でおいしいコーヒー栽培の研究を続けてきた。
 もともと自然や生き物が大好きなカルロスは、本能的に農薬の使用を少量に抑えていたが、1978年、大学で生化学と薬学を学ぶ娘から農薬の毒性を知らされてからは、意識的に農薬使用を減らし始め、1980年以降は農薬を一切使用しなくなった。1990年代に入ってからは化学肥料の使用も減らし、1993年には農薬も化学肥料も全く使用しない有機無農薬栽培に踏み切る。除草剤を使わないために草刈り作業が増え、化学肥料を使わないために堆肥や有機肥料の散布作業が増えた。傾斜のきついコーヒー園では、これは重労働であり、多くの人手を要する。ところが、そうした努力にも関わらず、コーヒーの収穫量は減少した。しかし、カルロスは「このやり方を続ければ必ず土が良くなり、その土がコーヒーの収穫量を安定させ、おいしいコーヒーを育てる」と信じて有機栽培を続けた。経営的には厳しかったが、日本との産直(フェアトレード)が、これを支えた。
 多くの困難を乗り越えて、今、ジャカランダ農場の有機栽培はブラジル国内で高く評価されている。新聞や農業雑誌にカルロスの特集が組まれ、ジャカランダ農場には見学者が増え、大学などからの講演依頼も多くなった。今年6月、コロンビアで開かれた第1回国際有機コーヒーセミナーでは、ブラジルを代表して講演を行った。
 今やブラジル有機コーヒー栽培の草分け的な地位を得ているカルロスだが、そのことよりも、有機栽培に取り組む生産者が増えてきていることに、カルロスは喜びを感じている。
 カルロスの半生を記録した「ジャカランダコーヒー物語」にはこうある。「近代農業は多額の投資を強要します。しかし、農業生産者には他の産業のような見返りはありません。農薬、化学肥料、農業機械を販売する商売人と、大量にコーヒー豆を生産する広大な農場と、それを買い占める商社だけがますます儲けていくシステムの中で、小さな生産者や生産基盤を持たない農村労働者はますます貧しくなっていきます。」そのような状況のなかで、有機農業がどのような意味を持つか?カルロスはさらに話を続ける。「人類の抱えている全ての問題の解決策などあるものではありません。私は、私のできる仕事の範囲のなかで、出来ることから取り組みたいと思っています。そのような理由から私は有機農業に入っていきました。有機農業は自然を傷めません。多くの手間を必要とするため、たくさんの人の仕事を作り出してくれます。病気の力を弱め、飢餓を追放する食糧の生産が可能です。豊かさを生み、あらゆる階層の人々にそれを分配できます」。「自然環境の保全にも優れ、また運営資金の面から見ても、農薬、化学肥料、農業機械に資金を費やす必要のない有機栽培により、きっとこの戦いに勝つことを確信しています」。
 今、カルロスの抱く願いと確信は、少しずつ実現しようとしている。今年8月ブラジルミナス州モンチカルメロ郡にあるラゴア村小規模生産者組合でカルロスは、コーヒーの有機栽培に関する講演を行った。講演を聞いた小農民の誰もが「すばらしい講演でした」と語っている。

土への、そして人への優しさを〜ラゴア村での講演会から

 1970年代後半、カルロスが農薬の危険性に気づき始めたころ、ラゴア村のあるパラナイバ川流域では「近代農業による受難の時代」が始まっていた。
 大量の化学肥料、農薬を投入し、大型機械を使って進める近代農業。それは、自然環境と多くの農民を苦しめるものだった。利益を得るのは一握りの者だけ。小規模な家族農業は衰退し、農村の人口は都市へと流れる。農薬や化学肥料により、健康を損なう人が増え、土壌の流亡が引き起こされた。
 こうした背景を持つラゴア村でのカルロスの講演会には、コーヒーの無農薬や低農薬栽培に取り組む18人の生産者が集まった。
 小農民の自立を支援するNGO日本ブラジルネットワークの農業指導員として、ラゴア村で3ヶ月間、現地調査と農業指導に従事していたクラウジオ牛渡(29)(現在、ウインドファーム南米事務所スタッフ)は、カルロスの講演についてこう語る。「これまでも、ラゴア村の小農民の多くは、農薬を使わずにコーヒーを栽培していましたが、その理由の1つは、農薬を購入する資金がなかったからでもあります。カルロスさんのような確かな技術に基づいた有機栽培ではありませんでした。これからラゴア村の生産者が、日本の皆さんに飲んでもらえるおいしいコーヒーを作っていくためには、カルロスさんが持つ経験と技術が必要になってきます」
 子どもの頃、教育を受けることができなかったラゴア村の人たち(70才代のお年寄りも含む)が普段、仕事を終えてから読み書きや算数を勉強する「小さな仮校舎」で、カルロスはいつも農場のスタッフに優しく語りかけるように、柔らかい身振りと写真を交えながら、その経験と知恵を伝えた。
ラゴア村でのカルロスさんの講演
ラゴア村でのカルロスさんの講演。
 「コーヒーの有機栽培には、土の中に含まれる有機質が、少なくとも3パーセント以上なければなりません」。講演は、まず土作りに焦点が当てられた。有機質が不足しているときは、コーヒーの外皮を主原料にして作った堆肥を施す必要性を述べて「有機栽培では、あらゆる物質を循環させていくことが大切です」と語った。
 「土への優しさ」をカルロスは説いた。「土を傷つけてはいけません。だから土を鍬で耕してはいけない。耕すことは、土を削ることであり、土を構成している粒子そのものを壊してしまう。壊れた土の粒子は水に溶けて固まり、土壌の水の通りと通気性を悪くします。すると微生物やミミズなど土中の生物が生息できない堅い土になってしまいます」。
 雑草の処理も土作りに密接に関っている。「雑草を刈るときも、根から掘り起こしてはいけません。地表に出ている草だけを刈り、根は残す。残された根はやがて腐植し、土中の通気性をよくする穴となります」。
 「土を守れば、植物は生きていけるのです。」カルロスはジャカランダ農場の写真を見せながら、そう語った。そして土を傷つける最たるものである農薬や化学肥料については、「たくさんの生き物を殺してしまうので、絶対に使うべきではない」と強調。「土に対して有害であるだけでなく、それは人に対しても危険なものであるからです。」
 話は農業技術に関する話から、カルロスの人生哲学へと移り、身近な家族や仲間たち、人間と自然環境を大切にすることを強調して、長時間の話を締めくくった。

ジャカランダ農場スタディツアーから

ジャカランダ農場スタディツアーより
ジャカランダ農場スタディツアーより。
 この10月、スタディーツアー一行と新聞記者2名がジャカランダ農場を訪れた。訪問者の誰もが感動したのが、一般の農薬、化学肥料を使用しているコーヒー園の土の硬さとジャカランダ農場の土のやわらかさの違いであった。「こんなにも違うものか」コーヒー園の中を歩いただけでよく分かる。一方は固い土の道路を、一方は柔らかい布団の上を歩いている感じである。
 11月の国際有機コーヒーフォーラムに、カルロスの代理で来日するジュゼ・アイルトン(当時21歳)によれば、彼が通っていた農業学校の教員は、このやわらかい土に触れて考え方を変えたらしい。「農業学校に通い始めた頃、先生たちは作物の病気や害虫に対して、その原因を考えることをせず、この病気にはバイジストン、この害虫にはテミクというふうに農薬一辺倒の対策を教えていた」。しかし、ジャカランダ農場に見学に来て、土の良さやコーヒーのできばえを見てからは教え方が変わってきたという。来年には、この学校で有機栽培のセミナーも計画されている。
 ジャカランダ農場には、この学校以外にも、大学や研究機関、農業技師、そして、数多くの農民が見学に訪れている。その結果、ジャカランダ農場のあるマッシャード地区や周辺の農場でも、この2、3年、無農薬や有機栽培のコーヒーを作り始めた生産者が増えてきている。
 カルロスにとって、有機コーヒーの生産者が増えることは「コーヒー販売の競争相手が増えること」でもあるのだが、彼はそんな小さなことにはこだわらない。環境汚染や自然破壊をくいとめ、子や孫や、その後の世代にも思いを馳せ「みんなが幸せになるにはどうすればいいか」と考えながら、自分にできることを実行している。
 ラゴア村で生産された無農薬コーヒーは、ジャカランダ農場のコーヒーとブレンドされて「ミナスコーヒー」という名で、日本で販売される。コーヒーを生みだす人々と大地の確かな関りは、地球を半周隔てたブラジルと日本のつながりを通して広がろうとしている。

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