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ああくり AACRI 社名・団体名 AACRI(インタグ有機コーヒー生産者協会)は1998年3月に、銅山開発から森を守り、持続可能な発展を目指して有機コーヒーを栽培することを目的に設立された。現在、会員は320名、会長はエドモンド・バレーラ氏。1人のコーヒー栽培指導者が、伝統農業(自然農法や森林農業に近い自然の力を生かした農業)に基づいた方法で、豆選びから収穫まで丁寧に指導している。また、AACRIでは、山間地の急斜面の土壌浸食(流失)を防ぐためにも、伝統的なコーヒー栽培はとても重要だと考え、理解を深め、広めるために学習会を開き、環境保護的コーヒー管理、病害虫の防止、有機肥料づくりなどを勉強している。 参考 インタグコーヒー物語 第4話 インタグコーヒーの芽生え
あぐろふぉれすとり アグロフォレストリ 農業

 エクアドル、インタグ地区では、森林を残したまま、その間にコーヒーの木を植えて栽培しています。そこでは、バナナ、オレンジなどの熱帯果樹や樹木。また野菜などとの混作が行われているのです。こうした栽培方法(アグロフォレストリー)は、コーヒーが分散していて作業も収穫も手間がかかりますが、多様な作物を栽培しているため、土壌流出を防ぐことができ、農薬や化学肥料を使用せずに栽培することができます。また、いくつかの作物が不作だったり販売価格が暴落しても、他の作物で生活していける可能性が高いのです。場所によっては、アグロフォレストリーシステムをとっているところの方が、一般的な森林よりも多様性がある場合もあります。生物多様性を守るためには、とても優れた農法なのです。

参考  アグロフォレストリーに関する記述(パトリシア・モグエル)

あんにゃらいと アンニャ・ライト 人名

Anja Light。シンガ-・ソングライター、環境活動家。
スウェーデンに生まれ、オーストラリアに育つ。10代より環境・反核活動家として、オーストラリア、マレーシア、日本などを中心に活躍。「ディープエコロジー」哲学にもとづく環境教育の実践でも知られる。1999年日本の仲間たちとNGO「ナマケモノ倶楽部」を結成、以来その世話人をつとめる。現在はエクアドルを拠点に、夫の環境活動家マルセロ・ルーケとともに、生態系の保全と持続可能な地域づくりにとり組んでいる。2001年春長女パチャ、2003年夏長男ヤニを出産。CDに「Voices for the Forest」、「Pacha Mama」がある。
【参考】 京都大学大学院 共生システム論研究室より ディープ・エコロジーに基づいた関係論的思想

【画像資料】
いんたぐこーひー インタグコーヒー 商品・生産物

エクアドルのコタカチ郡インタグ地区で生産されるコーヒー。アグロフォレストリ(森林農法)にて栽培される。
【参考】 インタグコーヒー物語 | 通信販売ページ
インタグコーヒー生産者訪問記(エコロジーの風10号)

いんたぐちく インタグ地区 地名

インタグ地区

かぶしきがいしゃういんどふぁーむ 株式会社ウインドファーム 社名・団体名

所在地 〒807-0052 福岡県遠賀郡水巻町下二西3-7-16
TEL 093-202-0081
FAX 093-201-8398
【参考】会社案内

かるろすそりーじゃ カルロス・ソリージャ 人名

インタグコーヒーの生産者。

【参考】
森の人、カルロス・ソリージャとの出会い(インタグコーヒー物語 第2回)
正気の社会への道 持続可能な発展への取り組み(2001年9月フィエスタ・エクアドル講演)

かるろすふぇるなんですふらんこ カルロス・フェルナンデス・フランコ 人名

故・ジャカランダ農場主。1927年8月22日生まれ。2003年7月8日朝8時頃(現地時間)、サンパウロ州カンピナス市の自宅にて逝去。享年75歳。
ブラジルにおけるコーヒーの有機無農薬栽培の開拓者。「農薬なしにコーヒーができるはずないじゃないか」と言われていたブラジルで、試行錯誤を繰り返しながら有機コーヒーの栽培を根づかせ、多くの農民と共に、ブラジル・ミナス州の南部を「有機コーヒーのメッカ」とも言われるほどの地域に育てた。
【参考】カルロスさんの訃報 | 風の便り 悲しいお知らせ

こたかち・えころじー・せんたー コタカチ・エコロジー・センター(CEC) 社名・団体名

 コタカチ・エコロジー・センター(以下、CEC)は、インタグの森の保護など環境保護活動に取り組むナマケモノ倶楽部の世話人、アンニャ・ライトさんが、コタカチで地元の人たちや海外からの旅行者、ボランティアへの情報提供と、コタカチ郡産(インタグ地方)のおいしいコーヒーを飲んでもらうことを目的に、2000年に設立されました。その後、2003年8月にアンデス青年会(コタカチのキチュア民族の若者が集まって、先住民族の文化の保全とオルタナティブな経済の発展のための会)や海外からのボランティアが中心になって改装工事が行われ、2004年3月20日に再オープンしました。

【画像資料】
しんりんのうほう 森林農法 農業

アグロフォレストリ

じゃからんだ ジャカランダ その他

ノウゼンカズラ科ジャカランダ属の落葉樹。学名 Jacaranda mimosifolia。和名はキリモドキ(桐擬き)、紫雲木。高さ15mにもなる高木。シダのような葉を持ち、藤に似た紫色の見事な花をつける。熱帯、亜熱帯各地で街路樹として広く利用されている。
熱帯の植物でありながら耐寒性があり、日本でも栽培できる(霜さえ降りなければ路地植えも可能)が、乾期に落葉し雨期の始まりに一斉に開花するため、雨期と乾期の差がない日本では花をつけにくい。
アルゼンチンの国樹。(ブラジルの国樹は同じノウゼンカズラ科のイペー)
【参考】 株式会社MED ジャカランダ通信 | GARDENさかもと ジャカランダ | 群馬大学社会情報学部 青木繁伸教授の植物園より

じゃからんだこーひー ジャカランダコーヒー 商品・生産物

ブラジルのジャカランダ農場で生産されるコーヒー。アラビカ種。農薬や化学肥料を一切使わずに栽培される。豊かな香りを持ち、ほのかな甘味を感じさせ、すっきりとした後味を持つ、有機無農薬コーヒーの名品。やや浅煎り気味で実力を発揮する。
【参考】 通信販売ページ | インタグコーヒー

じゃからんだのうじょう ジャカランダ農場 地名

ブラジル・ミナス州に位置する農場。
ウインドファームの主力商品であるジャカランダコーヒーの産地。
農場名は農場内に多く生えたジャカランダ(ノウゼンカズラ科の樹木)から取った。
農場主でありブラジル有機無農薬コーヒーの牽引役であったカルロス・フランコは2003年7月に逝去、以後、残された家族が農場経営に勤める。
【参考】カルロスさんの訃報

じょせいとせいかつかんきょうのかい 女性と生活環境の会 社名・団体名

森に生息するカブヤを用いて
民芸品創作による女性たちの活動
<2002年にエクアドルコタカチ郡で開催された第3回有機コーヒーフェアトレード国際会議におけるシルビア・ペタンコートの発言より>

 「女性と生活環境の会」 シルビア・ベタンコート

 このグループは、エクアドルのサンタロサ地区プラサグティエレスの雲霧林保護区ラフロリダにあります。
 日々の家計の補助を目的に、このグループは1995年に結成されました。当時、 女性には収入を得る方法は他には無く、農業で稼げる収入は日当で約2ドルでした。 こうした状況のなか、都市への移住を防ぐため15名の女性が集まり、常に自然保護を 念頭に置く「女性と生活環境の会」を結成しました。
 私たちの主な活動は、インタグの森に生息する天然繊維カブヤを原料とする民芸品の創作です。
 染色し、紡がれたカブヤ1袋(45キロ)を、通常、仲介業者は15ドルの値を付けていますが、これでは、生産者が費やした投資額にも及びません。
 しかし、そこに民芸品制作という付加価値を加えると、200ドルの価格に上昇 し、制作前の繊維の20倍以上の収入をもたらします。
 民芸品制作は新たな職を生み出し、しかも、それぞれの家庭内で営むことができます。民芸品制作に携わるグループは、1袋(45キロ)のカブヤ繊維から、大きさやデザインにもよりますが、フレームや鉤針を利用して20個から40個の民芸品を作りま す。
 最初15名でスタートしたこの「女性と生活環境の会」は、独身や既婚のあらゆる地域の女性が参加するようになり、現在では、22名のグループになり、月に1度、会合を行っています。中には、1、2時間、歩いて来る参加者もいます。毎月開かれる会合では、注文の引渡し、作業、連帯を維持するための社会活動など、会の方針について話し合われます。
 貴重な雲霧林が広がるラフロリダ地区には、観光客が訪れます。女性は、観光客の思い出となるよう、適正な対価を支払ってもらえるよう、そしてこの会の利益のために、インタグの鳥をデザインとした刺繍をシャツに縫い付けています。また、3年前 から各会員はそれぞれ1年に2回、2日づつSIT(School for International Trainning)の学生を受け入れています。学生らは会員に幾ばくかの費用を支払い、農村での家庭生活を体験します。
 年月が過ぎ、女性達は作品の質も向上させていきました。新しいデザインや地域の植物での染色を試み、素晴らしい成果を出しています。
 希望の色をしっかりと出すには、葉、茎、樹木の実、潅木などをカブヤと共に1日煮込みます。この色を利用して、バッグ、ベルト、財布、帽子、網などを個々にデザインするのです。
 この会はDECOINの協力を得て、女性グループの視察、エキスポフェアーへの出展、 集会や研修への参加を果たしました。また、雲霧林保護区を訪れる学生グループから、寄付も頂いています。
 今後は、女性の連携を深め生産量を増やせる市場を、時間をかけて獲得したいと思います。そして、インタグ地域におけてこの会を、「組織」の水準にまで高めたいと考えています。

せヴぁんすずき セヴァン・スズキ 人名

人物紹介
活動履歴
92年リオ環境サミット セヴァン12歳 伝説のスピーチ
スピーチ・記事一覧
あの伝説のスピーチが生まれるまで
「これから始まる新しい地球のために」(2002年11月来日時の講演録)
中村隆市との対談(2002年11月)

でこいん DECOIN 社名・団体名

鉱山開発問題を世界に知らしめ、地元で持続可能な発展を呼びかける、インタグの森を守る環境保護団体。
参考:インタグーヒー物語 第4回 インタグコーヒーの芽生え

【画像資料】
なかむらりゅういち 中村隆市 人名

1955年福岡生まれ。19歳で水俣病と出会い、公害問題、環境問題に関心を持ち始める。
環境保護の市民運動に関わりながら、有機農業見習い、廃品回収業などを経て、80年から7年間、生活協同組合にて有機農産物の産直運動に取り組む。
86年、チェルノブイリ原発事故をきっかけに生協を退職し、有機農産物産直センターを設立。その後、中南米の有機コーヒーやアジアの有機紅茶などをフェアトレードで輸入する(有)有機コーヒーと販売会社の(株)ウインドファームを設立。
98年から「有機コーヒーフェアトレード国際会議」を日本、ブラジル、エクアドルで開催。ビジネスの展開と平行して、原発事故被災者の医療支援を行う「チェルノブイリ友の会」、「非電化・有機工業運動」、「ワールドエコロジーネットワーク」の代表を務める。
99年、辻信一、アンニャ・ライトと共にNGO「ナマケモノ倶楽部」を設立。「スロー」というコンセプトを軸に、学問と運動とビジネスの融合を進めながら環境=文化運動を展開している。
この十年、「いのちを大切にする仕事」を広めるために、南米を含め十数社の会社設立に関わり、若い経営者たちとの協働を楽しんでいる。
2004年1月、米軍の先制攻撃を支持した国の人間として責任を感じ、「イラク医療支援基金」を立ち上げ、2004年5月、スロービジネススクールを開校。

ぱとりしあ・もぐえる パトリシア・モグエル 人名

1956年、メキシコ生まれ。現在、ラテンアメリカン大学(ミチョアカン州モレリア)教授。
貧しい人たちのために無償で弁護を引き受け、公正な社会を目指して活動していた弁護士の父のもと、幼い頃から社会問題や環境問題に触れながら育つ。高校卒業後、中東やヨーロッパを旅し、さまざまな国の状況、自然、人びとと接する。帰国後、大学へ進学し、生物学を専攻。動植物のみならず、環境や農業にも関心を持つようになり、メキシコ国内でのコーヒー生産や先住民族の研究を始める。世界で最初にコーヒーの有機栽培を始めたといわれるメキシコでは、多くの先住民族のグループが伝統的にアグロフォレストリー(森林農法)に基づいてコーヒーの栽培を行ってきた。このアグロフォレストリーが生態系や先住民たちの暮らし・文化にもたらす恩恵は非常に大きいといわれている。
パトリシアは、メキシコにおけるアグロフォレストリー研究の第一人者であり、国内はもとより、国外でも積極的に講演を行い、そうしたアグロフォレストリーの重要性を積極的に訴えている。「研究は、あたまでなく、心でする」と言う彼女は、研究者にとどまらず、常に現場で行動し続ける活動家でもある。理論ではなく、現場に直結したアドバイスや情報を、生産者に惜しみなく提供している。
現在は、メキシコにおける有機コーヒーの生産者グループ(先住民族による)の中では最も規模が大きいといわれるナワット族のコーヒー生産者組合トセパン・ティタタニスケ(TOSEPAN TITATANISKE)とともに、モデルプロジェクトとなるべく、持続可能な取り組みを行っている。
私生活では、二児の母でもある。

わだあやこ 和田彩子 人名

04intag7wa-wadaaya.jpg 

 2002年、3月。和田彩子はウインドファームの駐在員としてエクアドルに出発した。当時、26歳。 
 遠く離れたエクアドルへ、一人移り住む。その行動を思いつくに至るまでのプロセスは、次のようなことだった。
 和田彩子がエクアドル・インタグに赴くうえで、一番、大きな影響を与えたのが、 その森に住むカルロス・ソリージャという人物だった。彼との出会いは、四年前に遡 る。

 大学最後の春休み、和田はガラパゴスへの卒業旅行を計画したが、その旅の途中で、明治学院大学の辻信一さんが引率するエコツアーに合流し、インタグの森をカルロス・ソリージャに案内してもらう。
 エクアドルに移り住みたいという思いつきの起点となったのは、森の道で、カルロス・ソリージャと何気なく交わしたこんな会話だった。

 「ここまでは、国の保護林で、ここからは私有地の森です」と、歩きながら話すカ ルロス・ソリージャ。「保護林と私有地と、どう違うのですか」という和田さんの問いに、彼は「保護林は国が保護し、私有地の方は、自分たちでケアします」と、何気なく応えた。
 特に感情を込めたわけでもなく、ごく当たり前に伝えたその説明は、しかし和田にとっては、大きなメッセージとして、心に響く。

 「自分たちでケアする・・・」という説明の中の「ケア」という言葉を、和田は自発的に「愛」と置き換えた。森を、自分たちの手で愛し、守る。その行為に、強い関心を持ったのと、「自分も一緒にやってみたい」と思ったのはほぼ同時。ずっと心に留めていた探し物が見つかりそうで、心が今にも踊り始めそうな気がした。
 「お手伝いできることはないですか?」と、しかし、その時はすぐに言い出せなかっ た。カルロス・ソリージャとはじっくり話をすることもなく、「多分、いや絶対に私の顔など覚えていなかったと思う」ほどの接点しかなかった。

 日本に戻り、就職した。パソコンの技術を活かした仕事に不満はなかった。しかし、何となく残る歯車の一つといった感覚。やがてそれが、明確な不満へと変化する とともに、インタグで言えなかった「何かできることは、ありませんか」という問いかけは、自分のなかで次第に大きくなった。
 いつまでもその問いに対して黙することはできず、ついに和田はカルロス・ソリージャにメールを送る。最初の出会いから3年の月日が流れ、彼が自分を覚えていないのは、確実だった。にもかかわらず、その返信として、インタグでやってもらいたい仕事のリストがカルロス・ソリージャから送られる。

 仕事の内容は、日本との連絡やパソコンの整備など、インタグと日本の架け橋的な役割だ。和田がエクアドルに赴く半年後には、エクアドルにおいて国際フェアトレー ド会議が予定されており、その準備も含まれる。
 「クラウジオさんが目標」と和田は言う。「クラウジオさん」とは、ウインドファーム社の南米事務局長、牛渡クラウジオ剛(ブラジル・クリチーバ市在住)のことである。ジャカランダ農場の現状報告にコーヒーの輸出業務、有機認定に必要な書類の準備など、その多岐に及ぶ彼の仕事を一言で表現するとすれば、まさに「架け橋」ではないだろうか。2001年にブラジルで成功させた「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」をはじめ、クラウジオはその架け橋という仕事を年々豊かにしてい る。

 およそ地球を半周隔てた国と国の人々が行き交いも、その架け橋があってこそ可能になる。文化の異なる二つの国のそれぞれの人々から信頼されなければ、架け橋たる人物とはなり得ない。クラウジオを目標としている和田も、そのことは十分承知だ。
 ゆえに、不安は残る。小学生時代をアメリカで過ごし、高校時代にはチリに留学という海外での経験も豊富。父親の仕事の都合で、転校も多かった。自分を「根無し草」と表現するほどに、様々な場所を転々としてきた和田をしても、こう思うときがある。「果たして、インタグに押しかけていって、自分が必要とされなかったら、ど うしようかと・・・」と。「過去に前例もなく、全くのゼロからのスタート」であるから先行きも見えにくい。

 しかし、その一方で確実なこともある。すなわち、インタグコーヒーのフェアトレードを持続させていくためには、架け橋となる役割を担う人が、必要不可欠だということ。
 エクアドルに渡って以来、和田の架け橋としての仕事は、今日も続行中だ。エコツアーや会議のコーディネイトやインタグコーヒーの輸出の手配、生産者へのインタビュー。それらの仕事の1つ一つが、インタグとの確かなつながりを構築していく。

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