震災後、赤村に移住して、ウインドファームスタッフに。

 朝夕は、だいぶすごしやすくなりました。季節は、カエルの鳴き声から虫の声に移り変わってきましたね。3・11東北関東大震災から半年が経ちました。震災が大きなきっかけになり、東京都国立市から福岡県田川郡赤村に移住し、8月16日より、ウインドファームのスタッフとしてお仕事をさせていただいている、鶴島夕子です。

移住してから、あっという間にひと月がすぎ、引越後の諸手続きに追われていたバタバタ感はだいぶうすれてきました。赤村で暮らしてるんだなーと思うのは、朝、畑作業をするとき、夜に星を見上げるとき、目の前に広がる田んぼを見ながら自転車で坂を下るとき、雨が降ってきたと思ったらすぐに晴れ間が出て、洗濯物を持って家と物干しとを行ったり来たりするようなときです。

村の生活のことでは、なにがわかっててわかっていないのかが、まだよくわかっていない感じがありますが、春夏秋冬1年かけて、地元に学び、いろいろな人との出会いを楽しみながら、ゆっくりなじんでいきたいと思っているところです。

今回、生活の拠点を赤村に移すことにしたのは、「観」と「えい!」という思い切りでした。放射能から子ども達の身を守り、将来への健康リスクをできるだけ背負わせないという思いが現実を変えていったと思いますし、震災での経験が、これからどう生きたいのかをまるごと問いなおす機会になり、その過程で得られた「観」のお陰でした。

授かっている大切ないのちを、植物がお日様にむかって精一杯枝葉を伸ばしていくように、わたしも自分ができることを精一杯やって、具体的に表現したい。生きる場は大きな自然に内包されているのだから、土に根ざし、季節のうつりに沿って日々を営み、身の丈にあったライフスタイルを手を使って創り出したい。できれば、美しく。そんなふうにしている自分が観えて、どこまでできるのか未知でしたが、変化を受け入れてその波にのることにしたのです。

東京での仕事を整理し、赤村にやってきて、新鮮な気持ちで仕事をしはじめました。ゆっくり村プロジェクトと、子育ちを応援する「デチタ」プロジェクトを、赤村を拠点にした事業に集約しているところです。集約といっても、ただ取りまとめているだけではありません。関わるスタッフがこころの奥底で求めていることを言葉にして統合し、今できることから継続的な事業に仕立てていこうとしています。わたし達ひとりひとりが、その理念と、自分が言っていることややっていることを整合させ、望む変化となって体現していくことで、九州エリアで変化を引き起こすのイマジナル細胞になろうというものです。

平和は子どもから始まります。この言葉を唱えると自分がわくわくしているのがわかります。かつて子どもだったおとな達と手をつないで、今、子ども時代を生きている人と、これから生まれてくる子たちと、「いのちってありがたい」「生きているって嬉しい」「おとなになるのは素敵だ」なんて一緒に笑い合えるようなコミュニティづくりを、小さなひとしずくのチカラを信じて取り組んでいきます。

みなさん、応援してください!

最後に、わたしが今、こうして赤村にて新しい暮らしと仕事を始められたのは、たくさんの人たちの情緒的なサポートと、具体的なサポートがあったからです。ほんとうにありがとう。愛してる!!これからもどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 


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