メキシココーヒー物語 第3話 メキシコと日本をつなぐ パトリシア・モゲル

コーヒーの国際市場価格の暴落、大企業によるコーヒー豆の買いたたき、開発による森林破壊など、コーヒー生産国、そして生産者たちを取り巻く現実は厳しい。コーヒー生産量世界第5位、そして有機コーヒーの生産量では世界第1位を誇るメキシコでも、その現実は同様だ。そん中、メキシコで昔から行われてきた森と共生しながらコーヒーを栽培するアグロフォレストリーを守り、「協力」と「分かち合い」という意識を持って、この困難に立ち向かう生産者たちがいる。そして、そこにはいつも、彼らとともに闘う一人の女性パトリシア・モゲルの姿がある。

パトリシア・モグエル
  パトリシア・モゲル

生物学者である彼女は、メキシコのラテンアメリカン大学の教授として、多様な作物や果樹と共にコーヒーを育てるアグロフォレストリーが、生態系に与える恩恵や影響について研究している。メキシコのアグロフォレストリー研究の第一人者だ。また、地元の町では、女性たちによる環境活動グループのリーダーも務め、積極的に環境保護活動にも取り組んでいる。常に弱い立場の人たちの側に立ち、環境問題や社会問題に取り組んできた。

伝統的な有機コーヒー栽培、アグロフォレストリーでは、自然や生態系を保護しながらコーヒーを生産する。しかし、何の考慮もない安い価格でしか生産物を取引できない以上、収入を得るためには、こうした伝統を捨てざるを得なくなる。メキシコの先住民たちは、昔から受け継がれてきた「協力」「分かち合い」 という素晴らしい姿勢をもって、こうした状況を乗り切ろうとしている。そんな生産者らの現状や切なる訴えを、パトリシアは、まるで自分自身のことであるかのように強く訴える。それはパトリシアが、不公平な状況にある生産者の立場に自分を置き換えて、考え、感じることが出来る人だからなのだろう。こうした貧困や差別に対する彼女の問題意識や行動力は、一体どこから生まれてきているのだろうか。

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  説明するパトリシア

彼女は言う。「私の人生に一番大きな影響を与えたのは、弁護士だった父親です」 と。彼女の父親は、公平な世の中の実現へ向けて、常に高い意識を持っていた人だった。弁護料を払えないような貧しい人たちの依頼をすすんで引き受け、彼らのために無償で闘っていたという。パトリシアは、この父から「貧しい人たちのために闘うこと、分かち合うという精神を持つこと、そして社会に矛盾や疑問を感じたら、それをはっきりと訴え、行動することが大切」ということを教わった。この父親からの教えは、パトリシアにとってかけがえのない宝物であり、彼女の大きな原動力になっている。

そしてもうひとつ、彼女の生き方に大きな影響を与えたことがある。それは、イスラエルのキブツ(イスラエルで発達した世界的に有名な共同体社会)での生活だ。キブツの哲学は、「社会的平等を得て幸せになるためには、皆が協力しあって懸命に働かなくてはならない」、「皆が平等の権利を持つべきである」というもので、これは、彼女自身が成長する上で学んできた考え方ととても良く似ていた。大学進学を目の前にした多感な時期に半年ほどキブツで生活し、農業を始め、さまざまな仕事を体験した彼女は、さらに半年、イスラエル国内を旅して多くの人と出会い、その生活、農業、自然を見て回った。こうした経験を通し、パトリシアは、社会問題に対してさらに強い意識を持つとともに、農業、環境、生物や生態系といったことにも興味を抱くようになった。この後、大学へ進み、先住民の環境意識やコーヒー生産の研究にも従事することになる。彼女が、単なる研究者に留まらず、活動家として多くの問題と関わる根底には、こうした経験がある。

パトリシアはよく言う。「研究者と呼ばれる人たちは、いつも頭(知識)ばかり使っています。でも、それだけではだめなんです。 本当の研究というのは、ハート(こころ)でするものなのですから」、と。彼女の言葉や行動が、いつも人を引きつけ、人の心に入っていくのは、この言葉が象徴しているように、パトリシア自身がいつも「ハート」をもって人びとの心に語りかけ接しているからだろう。

「以前は、こんな世の中に悲観的になることもありました。でも今は違います。メキシコの生産者と日本の消費者との強い絆をつくっていくという未来に、私は大きな希望をもっているのです」。日本とメキシコをつなぐ大きな掛け橋として、パトリシアは今日も現場で活動し続ける。

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