「被曝の真実」命懸け問うた科学者の遺言

ニュースUP:「被曝の真実」命懸け問うた科学者の遺言=社会部・牧野宏美
(毎日新聞 2011年12月7日 大阪朝刊)

 <おおさか発・プラスアルファ>

 ◇弱き人々の側に立て

 神戸大教授だった故中川保雄さんの著書「放射線被曝(ひばく)の歴史」が福島第1原発の事故後に脚光を浴び、10月に復刊した。病床でこの本を手がけ、20年前に48歳で亡くなった中川さんは生涯を懸けて何を訴えようとしたのか。妻で、遺志を継ぎ兵庫県宝塚市で反原発運動を続けている英文学者の慶子さん(69)を訪ねた。

 ■過小評価を告発

 「人類が築き上げてきた文明の度合いとその豊かさの程度は、最も弱い立場にある人たちをどのように遇してきたかによって判断されると私は思う」。放射線被曝の人体への影響が過小評価されてきた歴史を告発した本の中で、20年前に書かれたこの言葉が今、重く響く。

 「福島の事故以降、原発や被曝について、あちこちから講師に呼ばれることが多くなった。空いてる日がないくらいなの」。宝塚市内の自宅で、慶子さんはおっとりとした口調ながら、複雑な表情を見せた。リビングには生前の中川さんの写真が飾られ、仏壇に復刊した本が供えられている。「もし夫が生きていたら事故にものすごくショックを受け、忙しく飛び回ってまた体を壊してたかもしれませんね」

 中川さんが反原発運動に本格的に取り組むようになったのは79年の米スリーマイル島原発事故がきっかけだ。80年に研究者仲間と「反原発科学者連合」を結成し、各地で学習会を開いたり、原発の下請け労働者の実態を調べた。81年には慶子さんを誘い、自宅のある宝塚市で市民団体「原発の危険性を考える宝塚の会」をつくった。中川さんが国内外を飛び回り多忙を極める一方、慶子さんは仕事と子育てをしながら、地元で無農薬野菜の共同購入をしていた友人らと学習会を開くなどした。

 ■20年前の名著に光

 「放射線被曝の歴史」は91年出版。工学博士で科学技術史を専攻していた中川さんが87年に渡米して入手した資料などから、国際的権威とされる国際放射線防護委員会(ICRP)の放射線防護基準がどのように作られ、変遷したかを丹念にひもといている。

 著書によると、ICRPは原子力開発を推進する米国の強い影響を受け結成された。中川さんは、防護基準について「ヒバクを強制する側が、強制される側に、ヒバクがやむをえないもので我慢して受忍すべきものと思わせるために、科学的装いを凝らして作った社会的基準。原子力開発の推進策を政治的に支える手段だ」と厳しく批判。一貫して、原発労働者や子どもら「社会的に弱い立場にある人たち」の側に立ち、防護基準のもとになった原爆傷害調査委員会(ABCC)の被爆影響の過小評価の問題や、原発事故の危険性を鋭く指摘する。

 絶版になっていたが、事故後、ICRP勧告をもとに政府が設定した年間被曝線量の上限値が高すぎるなどの声が高まる中、インターネット上で話題になり、ネットオークションでは数万円の高値がついた。東京大の島薗進教授(宗教学)は自身のツイッターで「早急に復刊すべきだ。なぜ多くの『専門家』が理解困難な放射能安全論を説くのか理解しやすくなるはず」などと評価した。米国の核戦略を研究する広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師(アメリカ史)は「原爆投下時の残留放射線などの過小評価が現代にもつながっていることがよく分かる。『科学的』とされる情報に疑問を持つことから出発していて、研究者として人間として強く共感した」と話す。6月に出版社から慶子さんに復刊の打診があり、中川さんの研究者仲間が加筆し出版することになったという。

 ■痛みに耐えながら

 中川さんは奈良県出身。61年に大阪大工学部に入り、応用物理学を学ぶ傍ら、ベトナム反戦運動などにも関わった。文学部の同級生だった慶子さんとは学内の合唱団で知り合う。「思慮深く実行力があって、魅力的な人でした」。2人とも大学院に進み、67年に結婚、慶子さんは私立大の教員になった。博士課程を終えた中川さんは大阪府の教職員研修施設に就職し、科学技術史に専攻を変えた。78年に神戸大の講師になった。

 しかし、90年秋に末期の胃がんと分かる。当時、研究の集大成となる「放射線被曝の歴史」を執筆中だった。医師に告知を止められた慶子さんは、「完成させないまま亡くなったら後悔する」と3日間寝ずに悩んだ末、伝えたという。

 中川さんは激しい痛みに耐えながら病床で口述、慶子さんがワープロに入力した。入稿を終えた91年5月に死去。慶子さんと息子2人が校正した。「読み進めるたびに胸が詰まり、泣いてばかりいました」。原発を止めなくてはいけない、という気持ちがますます強くなったという。宝塚の会の代表を引き継ぎ、20年間こつこつ活動を続けてきた。

 「中川さんは私たちの中で生きている」。11月、復刊と没後20年を記念する集いが大阪市内であり、ともに運動した研究者や市民、原爆被爆者ら約50人が集まった。「福島での健康調査は不十分」など事故の対応を批判する声も多く出た。慶子さんは「夫もどこかから見ている。今頑張らないとね」と自らを奮い立たせるように言った。

 事故後の社会は、最も弱い立場の人たちをきちんと「遇して」いるだろうか。集いからの帰り道、私は中川さんの言葉を思い出し、自分自身に問いかけた。「増補 放射線被曝の歴史」は2415円、明石書店(03・5818・1171)。

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