2011/10/06

チェルノブイリの子どもたちの作文集 『私たちの涙で雪だるまが溶けた』

1995年6月に発行されたこの作文集の編集と出版に私も関わった。初版の印刷部数を決めるとき、通常は3000部程度が一般的な発行部数だが、自費出版にしては異例の1万部を印刷した。それは、この本をできるだけ多くの日本人に読んでもらう必要があると思ったからだ。(その後、本は口コミで広がり、増刷され13000部発行されている)

この本の解説を「100万人のキャンドルナイト」のキッカケをつくった松下竜一さんが書いている。東京電力の原発事故が起こったいま読み直してみると、出版当時も印象深かった次の文章が当時以上に響いてくる。

       *              *          

チェルノブイリの事故は、「原発をやめるべきだ」という天の声ともいうべき人類への警告であったのではないか。

日本政府は「日本の原発技術は卓越している」と過信して、いまや世界でも突出してしまった原発推進政策を改めようとはしない。先の兵庫県南部地震によって、日本の技術神話など吹き飛ばされたというのに。

ベラルーシの少年少女たちが紙背に涙をにじませて綴った本書を、一番心して読むべきは私たち日本人でなければなるまい。

       *              *          

この本は、1986年4月26日未明に起きたチェルノブイリ原発事故の被害にあった子どもたちが書いた作文集である。

チェルノブイリ原発の爆発によってまき散らされた放射能は地球全体をおおったが、原発の風下にあったベラルーシ共和国には、放射性物質の70%が降り注ぎ、たくさんの「死の町」、「風下の村」が生まれた。後になってわかったことだが、遠く300キロも離れた町でさえ、チェルノブイリ周辺と同じように強く汚染されていた。作文を書いたのは、これら「風下汚染地」に生まれ、生きてきた子どもたちである。

作文コンクールは「私の運命の中のチェルノブイリ」というテーマで、1994年3月から4月にかけて行われた。実施したのは、ベラルーシ社会エコロジー同盟「チェルノブイリ」というベラルーシの民間支援団体である。また、作文を募集するにあたっては、ベラルーシ教育省の全面的な協力と援助を受けている。

呼びかけに応え、寄せられた作文の数は500編を越えた。ベラルーシでは、これらの作文のうち優れたもの100編を収録して、「黒い雨の跡」という単行本が出版された。

作文を書いたのは、主として中等学校(11年制で、6歳から16歳までの子どもが学ぶ)の高学年の生徒たちである。事故が起きた時、彼らはまだ幼く、なにが起きたのかを正確に理解することができなかった。そんな子どもたちに襲いかかった悲しみや苦悩が、一人ひとりの体験として綴られている。

たった一回の原発事故がいかに多くの人々の運命を変えてしまったことか。だが、絶望や悲しみだけではない。取り返しのつかない悲劇を引き起こしてしまった無責任な大人たちを鋭く告発しながらも、自分たちとこれからの世代に希望をつないでいる。

日本語版では、これらの作文のうち50編が収録されている。この50編を選ぶに際し、ベラルーシの子どもたちと同世代の日本の中高生に、作品を選ぶ作業に加わってほしいと呼びかけた。この呼びかけに対し、全国からたくさんの中高生が協力を申し出てくれた。この本は、ほとんど彼らが選んだ作品で構成されている。

解説から抜粋

あの日の青空の美しさ・・・が、それを見ているはずもない私の心にもひろがって、色あせようとはしない。

あの日というのは、1986年4月26日のことである。その日ベラルーシは夏を感じさせるほどの暑さで、空は青く澄みわたって人々を戸外へと誘っていた。

のちに、その日が自分たちの運命を一変させた日であったと知ったとき、もう二度と仰ぐことのできない故郷の『無垢な青空』として、ベラルーシの人々の心に焼きついたのだろう。本書の手記で幾人もが『あの日の青空』を切ないまでに美しく語っているのは、そのためである。
 
日本でこの原発事故の詳報が伝え始められたのは4月27日の夜のテレビ報道からで、私は事の重大性に愕然としてしまった。恐れていた最悪の事態が起きてしまったのだと思うと、身体が震えた。

新聞社からコメントを求められた私は、「今回の放射能雲の驚くべき拡がり方をみますと、原発を核の平和利用といういいかたで核兵器と区別しようとする考え方が、まったく無意味だということが恐ろしいまでに証明されたと思います」と、口早に答えたのだった。興奮していたのだ。

5月4日には早くも日本の各地で放射性ヨウ素131が検出され、それが報道されると乳児を抱く若い母親は不安にさいなまれた。

ヒロシマ・ナガサキの被爆体験を持つ日本では、原水爆禁止を求める国民的運動が戦後一貫して高まりをみせてきた。だが、そんな反核の潮流の中でも、「原子力発電は核の平和利用なのだから」という理由で反対対象から見逃されてきたというのが実情で、狭い日本列島にあっという間に原発は増えていった。

実は核爆弾も原発も本質的には同じなのだということを、無惨なまでに実証してしまったのがチェルノブイリ原発事故なのだ。核の平和利用などという幻想は一挙に吹き飛んでしまったと知らねばならない。

ここで、科学者でもなんでもない私がおおざっぱな(しかし本質的には間違っていない)理解で少し解説的なことに触れるが、核爆弾も原発も、原子核の分裂によって発生する熱エネルギーを利用しているという点では、まったく同じだといえる。

ウラン235という原子核に中性子がぶつかると、原子核は2つに割れ、そのとき大量の熱エネルギーを放出するが、同時にあらたに2個ないし3個の中性子も飛び出してくる。そして、飛び出したそれぞれの中性子がまた次の原子核に衝突すれば、そこでも核分裂が起きて熱エネルギーと2個ないし3個の中性子が飛び出して、その中性子がまた・・・と、ネズミ算式に核分裂の「連鎖反応」が起きることになる。ほとんど瞬時に突っ走るこの連鎖反応を一気に解放して灼熱の火の玉を発生させるのが核爆弾である。

一方、原子炉の中では、ネズミ算式の核分裂の連鎖反応が起きないように、飛び出した余分な中性子を吸い取ることで核分裂を「制御」し、ゆっくりした核分裂から安定した熱エネルギーを取り出し、それで電気タービンを回転させる蒸気を発生させている。

そこで、もしその「制御」がなにかの理由で失敗したらどうなるかということを、あなたは心配しないだろうか。チェルノブイリ4号炉で起きたのが、まさに「制御」の失敗だったのだ。秒単位で核分裂が暴走し、その結果猛烈な高熱が発生して蒸気爆発、水素爆発を誘発し、建屋をも破壊して炉内の大量の放射能を大気中に噴き上げてしまった。

先に、原子炉に中性子がぶちあたると2つに割れると書いたが、このかけらが「死の灰」と呼ばれる放射能で、したがって運転中の原子炉の中にはおびただしい「死の灰」がたまっていくことになる。

100万キロワットの原発が1日運転されると、炉内には3キログラムの「死の灰」が発生するが、これは広島に落とされた原爆3発分の「死の灰」に相当するというのだから、すさまじい。1年間稼動した原子炉内には広島型原爆千発分の「死の灰」がたまることになる。

チェルノブイリ原発4号炉から噴き上げた「死の灰」の量がどれだけかには諸説があるが、広島型原爆五百発分に相当するという専門家もいるし「死の灰」とは放射能であり、一口に放射能といってもいろんな核種が含まれていて、核種ごとにその毒性の強さも人体への作用も違うし、その毒性が持続する時間もそれぞれに異なる。

したがって、チェルノブイリ原発から噴き上げられた「死の灰」によって汚染された地球は、もはや1986年4月26日以前の地球には還れないのだ。その結果、至近距離で「死の灰」を浴び、避難したとはいえやはり汚染から逃れられない土地で暮らさねばならない人々は苦しみのどん底にある。

チェルノブイリの事故は、「原発をやめるべきだ」という天の声ともいうべき人類への警告であったのではないか。それを知らせるために選ばれた「殉教者」がベラルーシをはじめとする周辺被曝者なのだと思い至れば、世界中のとりわけ原発先進国が支援の手を差し延べる義務を持つのは当然としなければならない。

さすがに、世界各国は震撼として原発政策からの後退を始めたが、日本政府は「日本の原発技術は卓越している」と過信して、いまや世界でも突出してしまった原発推進政策を改めようとはしない。先の兵庫県南部地震によって、日本の技術神話など吹き飛ばされたというのに。

ベラルーシの少年少女たちが紙背に涙をにじませて綴った本書を、一番心して読むべきは私たち日本人でなければなるまい。

松下竜一

特集:チェルノブイリの子どもたちの声を今、伝える意味
作文集『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた』発行から16年

特集:3.11 震災・原発事故 どう生きるか?

『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた ~ 子どもたちのチェルノブイリ』 
2011年3月11日、福島原発事故発生。大量の放射性物質が飛散する中で、一人の親である私は、子どもたちに何がこれから起こるのか、どうやって放射性物質から子どもを守ればいいのか、怯え慌てふためきました。その答えを求めて、手にしたのが『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた』です。

1986年4月26日、旧ソ連チェルノブイリで原子力発電所が大爆発しました。隣のベラルーシには南風にのって全体の70%にも及ぶ死の灰が降り注ぎ、多くの子どもたちが被ばくし、彼らのふるさとが汚染されました。それから8年後、ベラルーシで6歳から16歳を対象に「私の運命の中のチェルノブイリ」というテーマで作文コンクールが行われました。その中から、同世代である日本の中高生たちが50編を選び、日本語版としてまとめられたのがこの本です。

病に冒されていく辛さ、家族やふるさとを失う悲しみ、そして無策で偽りばかりの大人たちへの怒り、心に重く突き刺さってくる言葉が並んでいます。でも、決して目を背けてはいけない。この本には子どもたちの「願い」が、そしてその願いを叶えていくことに「希望」があるように思えたのです。

今回は、当時高校生として日本語版の作成に携わり、それをきっかけにベラルーシの子どもたちと交流を深め、チェルノブイリ医療支援ネットワーク元代表として支援活動に関わり続けてきた寺嶋悠さんに、今一度、この本の意義を振り返っていただきました。そして、心に抱く思いを、ベラルーシの友人であり、第四章収録「私は生きる」の著者でもあるリュドミラ・チェブチクさん(愛称:リューダさん)へ宛てた手紙として、書いていただきました。

日本でもチェルノブイリと同じようなことが起きてしまった、今。チェルノブイリの現実に深く関わった寺嶋さんが、そこにフクシマの光景を重ね合わせて見えるものは?感じるもの何なのか?リューダさんへの手紙の中に集約されています。

(企画・編集 陸田留美)

特集:チェルノブイリの子どもたちの声を今伝える意味/子どもたちのチェルノブイリ作文集『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた』発行から16年

 ベラルーシの友へ宛てた手紙
チェルノブイリ、フクシマ・・・。悲しみを繰り返さない未来のために。

 親愛なるリュドミラ・チュブチクへ
  リューダ、元気にしていますか。

 6年前、久しぶりにミンスクで会って以来、なかなか直接会えないけれど、頑張っている様子を伝え聞いてます。専門学校で国語を教えてるんだよね。女性の活躍するベラルーシ社会で、きっと素敵な先生に成長してるんだろうと思います。

『わたしたちの涙で雪だるまが溶けた』より、マリーナ・ヴィンニコヴァちゃん画「チェルノブイリの悲劇」 初めてリューダと会ってから、もう16年になります。作文集「私たちの涙で雪だるまが溶けた」が出版され、その出版記念キャンペーンでリューダたちが来日したのは、1995年。食事の時、隣に座ったリューダが、「ピシモー(手紙)」と言って、箸袋の裏にグルシュコビッチ村の住所を書いてくれたのを、今でも思い出すよ。下手なロシア語でハガキを出したら、返事をくれたよね。うれしかった。

 作文集の編集ボランティアだった私は、作文集にまとまる前の、リューダたちの原稿を初めて読んだ時、本当に衝撃を受けました。目を見開いて、100編の作文を一気に読んだよ。豊かな自然と、自分と自分に続く祖先が暮らしてきた大地、大切な家族や友達。それらを引き裂き奪ってしまった、たった一度の原発事故。自分と同年代だった中高生の子どもたちが経験してきた、やり場のない悔しさと悲しみ、その中を生きている。子どもたちのまっさらな目が、日常の中のチェルノブイリ原発事故を見つめていて、テレビや新聞ではわからなかった、原発事故の残した真実に触れた思いだった。

それまで私の思い描いていた「チェルノブイリの大地」は、モノクロの世界。人々の悲しみと苦しみと放射性物質に重く包まれた、沈黙の世界だった。だけど、その中を生きている人たちがいる。「本当のこと」が知りたくて、翌年リューダの住むグルシュコビッチ村へのスタディツアーに参加しました。

 そこで目にしたのは、大地の恵みと優しい人々の笑顔に包まれた色あざやかな世界だった。コケモモとキノコの森、「ジモビッシチェ」。お父さんが建てたという古い木の家と、豊かな大地、ニワトリ、アヒル、豚、井戸。サワークリームのムース、酸っぱい黒パン、大きなクッキー、キュウリのピクルスとトマト、洋ナシ、笑顔で迎えてくれた村のみんな、ウォッカと音楽とダンスで更ける夜・・・。

 作文集で子どもたちが描いていたのと同じ、豊かな大地を歩きながら、ここで出会った多くの命が、何もかも、チェルノブイリの放射性物質に侵されているという現実に、私は戸惑った。悲しみの中を生きる、人々のたくましさに感動しながら、だけどやはり「なぜ、こんな事故が起きてしまったのか」と、出口のない思いが繰り返し浮かんだよ。

 リューダ。今年の3月11日、日本でも同じことが起きてしまった。毎日、信じがたいニュースが続き、リューダたちが言ったように、放射性物質や被ばく、セシウム、放射性ヨウ素、甲状腺といった言葉が、「日常」になってしまった。東北大震災とそれに続く福島原発事故は、深い傷跡とともに、私たちの暮らしを大きく変えようとしている。防護服を着た作業員、放射性物質測定を受ける子ども、帰りたくても帰れないふるさと・・・。チェルノブイリで見た光景や悲しみが、デジャ・ヴュのように、今また日本で繰り返されています。

 「フクシマ」を生きる子どもたちは、リューダたちと同じような悲しみと苦しみを、これから背負い続けるのかな。チェルノブイリ後の世界を経験したはずの私たち大人は、それを防げなかった。故郷や友達と引き裂かれ、永遠にガンや病気の不安を抱えて生きなければならない苦しみを、こんなにも身近に知っていたのに。

 私たちは、そろそろ本気で、別の未来を選び取らなくちゃいけない気がしています。リューダ。チェルノブイリやフクシマを繰り返さない未来は、きっと可能だと思いたい。だからもう一度、この作文集を手に取り、リューダたち、当時の子どもたちが見つめた「チェルノブイリ」に寄り添ってみたい。私たちは子どもから大人になったけど、子どもの頃のあの思いは忘れないでいたいよ。

 きっとまた会えるよね。お互い生きる場所は違うけれど、離れても思いはつながっていると信じてる。作文集の中の、ジモビッシチェの森を懐かしく思い出しながら、また会える日を楽しみにしています。

文/寺嶋 悠

作文集の注文先はこちら

Comments are closed.

Copyright © 2009 株式会社ウインドファーム.  

中村隆市ブログ「風の便り」 コーヒー関連ブログ「豆の便り」 スタッフブログ「土の便り」 /abbr/li