菅前首相インタビュー「首都圏3000万人避難も想定した」

菅前首相「首都圏3000万人避難も想定した」【インタビュー要旨

 菅直人前首相は18日までに共同通信のインタビューに応じ、3月11日の東京電力福島第1原発事故発生を受け、事故がどう進行するか予測するよう複数の機関に求め、最悪のケースでは東京を含む首都圏の3千万人も避難対象になるとの結果を得ていたことを明らかにした。

 発生直後には、現場の第1原発の担当者と意思疎通できないなど対応が困難を極めたことを強調。原因究明を進める第三者機関「事故調査・検証委員会」(畑村洋太郎委員長)は菅氏から事情を聴く方針で、事故対応をめぐる発言は、再発防止の鍵になりそうだ。

 菅前首相インタビューの要旨は次の通り。

 【発生直後】

 3月11日午後2時46分、参院決算委員会に出ていたがすぐ官邸に戻った。地震・津波については、すぐ緊急災害対策本部を設置したが、東京電力福島第1原発については約1時間後に「全電源喪失」と報告を受けた

 全電源が喪失して冷却機能が停止することがどういうことを意味するかについて、私なりに分かっていたので「これは本当に大変なことになった」と思った。冷却しなければメルトダウン(炉心溶融)に陥る。どうにかしなければということで、原子力緊急事態宣言の手続きと同時に、官邸危機管理センターに関係者を集め態勢をつくった。

 【電源車】

 いろいろなシミュレーションが事前にあったのに、ほとんど機能しなかった。地震と津波と原発事故が同時に起きることを全く想定していなかった。例えば、オフサイトセンターに関係者が集まって対策を進めるということだったが、東京から人が行こうにも、車も電車も走らない。

 官邸で掌握できることとして「対策として、まず何があるのか」と聞くと、東電からは「電源車を持っていけば冷却機能が回復し、何とかなる。政府も協力してくれ」との話があった。関係機関を通じていろいろ探して、ヘリコプターでの輸送も調べた。

 12日午前0時ごろ、電源車が着いたので「これで大丈夫だな」と思ったが、結局、電源はつながらなかった。「一体、どうなってるんだ」と思った。そういうことが次から次に繰り返された

 【メルトダウン】

 当時は、少なくとも経済産業省原子力安全・保安院から、メルトダウンの可能性について体系的な説明はなかった。ただ、私もいろんな専門家にセカンドオピニオンを聞いていた。かなり早い段階から「これはもうメルトダウンしている」と言った人はいた。

 【ベントに至る経緯】

 官邸にいた東電担当者や保安院、原子力安全委員会も「格納容器の圧力が高くなったからベントすべきだ」という意見で全員一致していた。「じゃあやりましょう」ということで、東電担当者に「やってください」と伝えたら「分かりました」ということだった。

 しばらくして「どうなった?」と聞くと「まだやってません」と。「なぜやってないの?」と聞くと返事がない。こういう理由でできませんという返事が東電側からない。それで「もう一回言ってみて」と伝えると「また言いました」。その後「だいぶ進んだ?」「進んでません」「なぜできないのか?」ということが繰り返された。海江田万里経済産業相が午前1時半に指示を出したが、それでもできなかった。

 なぜやらないのか、官邸にいた東電関係者も十分な説明ができない。本当に本店から現場に意思が伝わっているのか確信が持てなかった。

 結局、いくら官邸に関係者を集めても、現場とコミュニケーションが取れていなかった。やはり、現地の責任ある人間とコミュニケーションが全然取れなかったら、作戦の打ちようがない。それが一番大きかった。

 【原発視察】

 震災と津波の現状を空から見たいというのもあったが、併せて第1原発に降り立って現場の関係者と話をしようと思った。単にベントができなかったから行ったのではない。「ベントをやります」と言っているのに、できない理由が分からない。コミュニケーションが届いているかどうかさえ分からない。現実に行ってみて、吉田昌郎所長に私が「ベントをやってくれ」と言ったら「はい、分かりました」と動きだした。私が行くまで東電本店から「やれ」という指示が正式に下りていたのかどうか分からない。

 【東電撤退】

 3月15日午前3時ごろ、海江田氏から「東電が第1原発から撤退したいと言ってる。どうしましょうか」という相談があった。あり得ないことだと思った。「一体どういう事なのか」と尋ねると、社長から話があったと言うので、社長を呼んだ。「どうなんだ」と聞いたら、はっきりしたことを言わない。「撤退したい」とも「するつもりはない」とも言わない

 放置していたらグリップが効かなくなると思ったので、政府と東電の統合連絡本部をつくることを提案し、東電本店に置くことに決めた。午前5時ごろ、東電本店に行き「とにかく撤退なんてあり得ない。大変なのは分かっているが、何としても皆さんで頑張ってもらわないといけない」と強く言った。それから情報が極めてスムーズに流れ始めた

 第1原発だけで六つの原子炉があるのを放置して遠巻きに見ていたら、チェルノブイリどころではなくなる。撤退すれば、事故を起こした原発を放置することになり、あり得なかった。100キロ、200キロ、300キロが全部高濃度の放射能にやられ、住めなくなれば、日本という国が本当に機能するかどうか。本当に瀬戸際だった

 【最悪の想定】

 いくつかのところに最悪のシミュレーションを頼んでいた。いろんな段階でいろんな報告が来た。最悪のシミュレーションはちゃんとやっておかなきゃだめだ。最悪をちゃんと想定して、そうならないように。かなり早い段階からやっていた。(200キロ圏内の避難が必要との試算があったが)200キロといったら、もう東京圏が入る。250キロといえば、ほとんど首都圏全部だ。3千万人だ。避難というレベルを超えている。大混乱だ。日本が社会的に機能しない状況に陥る。国が国として成り立つかという瀬戸際だった。

 【SPEEDI】

 緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステムの「SPEEDI」は、事前に考えていた利用想定が事故の現実にそぐわなかった。

 【最大の危機】

 一番危ないと思ったのは、最初の10日間ぐらいだ。東電撤退が一つの象徴だ。最初は水素爆発なんて起きないと言っていたが、実際に起きた。今になって検証すると、全部後追いだ。状況把握ができていなかった。事故がどんどん拡大していったのが最初の10日間。その途中、撤退ということが出てきた。

 【原子力安全神話】

 原発を「危険だ」という人がいたのだから神話ではない。つくられたものだ。安全性を高めるという努力ではなく、原発を「危険だ」という人の口をふさぐ努力を電力業界はしてきた。

 【浜岡原発停止】

 30年以内に巨大地震が起きる可能性は80%台と極めて高い。これだけの危険性を指摘しながらそのままにしておくのは論理矛盾だ。

 【脱原発】

 核(廃棄物)は無毒化できず封じ込めるしかないが、完成した技術とは思えない。事故のリスクを取れないならば、原発に依存しないやり方しかない。最悪の状況では国そのものが機能しなくなるかもしれない。そんなリスクをカバーできる安全性とは何か。その答えは原子力に依存しないことだ。

 経済産業省原子力安全・保安院の判断だけで原発再稼働を認めることを、国民が納得できるわけがない。そこで原子力安全委員会も関与させ、安全評価を導入した。玄海原発で経産省は再稼働の既成事実を急いでつくろうとしていたようだ。

 【福島県民に】

 福島の皆さんには、本当に申し訳ないと思っている。単に前首相ということを超えて、日本が進めてきた原子力政策を受け止めてもらった中で、これだけの事故が起き、これだけの(深刻な)ことになった。

 その中で、福島で実行したいことがある。大規模な自然エネルギー研究所を設けるとか、それに基づいた再生可能エネルギー発電や、再生可能エネルギー産業を現地で広げることなどだ。

 それらを2011年度第3次補正予算案含めて積極的に進めるべきだし、私の立場で、いろいろ提案している。徹底的にやりたい。これは(政治家としての)責任だ。

「命懸けて。逃げても逃げ切れぬ」 前首相の東電訓示
(2011年9月9日 東京新聞朝刊)

 東京電力福島第一原発事故で、本紙は、菅直人前首相が三月十五日未明に東電本店に乗り込んだ際の訓示の記録全文を入手した。現場からの撤退を打診した東電側に「放棄したら、すべての原発、核廃棄物が崩壊する」と警告し、「命を懸けてください」と迫っていた。菅氏は本紙のインタビューで「東京に人がいなくなる」ほどの強い危機感があったと明かしていたが、訓示の内容からもあらためて裏付けられた。 (宮尾幹成)

 第一原発では当時、1、3号機が水素爆発を起こし、2号機も空だき状態の危機が続いていた。政府関係者の記録によると、菅氏は「(撤退すれば)チェルノブイリ(原発の事故)の二?三倍のもの(放射性物質の放出)が十基、二十基と合わさる。日本の国が成立しなくなる」と危機感をあらわにした。

 その上で、「命を懸けてください。逃げても逃げ切れない」と、勝俣恒久会長や清水正孝社長(当時)ら東電側に覚悟を要求。「六十歳以上が現地に行けばいい。自分はその覚悟でやる。撤退はあり得ない」と訴えた。

 菅氏は海江田万里経済産業相(当時)から「東電が撤退意向を示している」と報告を受け激怒。清水社長を官邸に呼び政府と東電の統合本部設置を通告し直後に東電を訪れた。

 東電の松本純一原子力・立地本部長代理は今月六日の記者会見では「撤退を申し上げた事実はない。七十人程度が事故対応のために残り、それ以外は(対応拠点の)『Jヴィレッジ』や福島第二原発に退避することを考えていた」と説明した。

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