リッチよりハッピーを目指せ!

雑誌 『Fole』 2006年12月号(発行:みずほ総合研究所)に
スロービジネススクールが紹介されています。

リッチよりハッピーを目指せ!

進化した「スロービジネス」5つの着目点
(『Fole』12月号、発行:みずほ総合研究所)

従来型の、規模の拡大を目指す「ファスト」なビジネスに対し、環境や人とのつながりを重視する「スロー」なビジネスが注目を集めている。経済活動と社会貢献の両立を目指す「スロービジネス」は今や単なる理想ではなく、広く顧客に支持され、持続可能な利益を上げる事例も増えている。こうしたビジネスを成功させる5つのポイントを紹介する。

○広い世代、多様な職業の人が”スロービジネススクール”に
土曜日の朝、南伊豆の山あいの古民家を訪ねると、約束の場所には人影がなかった。ビジネススクールの合宿と聞いて、研修所でみっちり講義を受けている光景を頭に描いていたわれわれは拍子抜けした。鳥のさえずりと木のざわめきしか聞こえない。なんとも時間がゆっくり流れている。そう、ここは、学校は学校でも「スローなビジネスの学び場=スロービジネススクール(以下SBS)なのである。

しばらくして、校長の中村隆市氏がひょっこりやってきた。少し離れた別館でミーティングをしていたという。中をのぞかせてもらうと、12~13人が車座になって、SBSの組織運営について熱心に話し合っている。

彼らは、SBSを運営する中間法人スロービジネスカンパニー(SBC)のメンバーであると同時に、スロービジネススクールの学生でもあり、ときには教える側にも回る。「社員で、学生で、講師」という不思議な関係になっている理由は後述するとして、まずスクールの概要を説明しよう。

SBSは、2004年5月に開校した。学生の募集は年二回で、年齢、居住地、職業を問わず。誰でも応募できる。学費はDVD教材なども含めて年間3万円という安さ。
授業はWEB講義と質疑応答、メーリングリストによる交流などインターネットをベースにした形式が主体で、そのほか、不定期に地域や興味あるテーマごとに集まってワークショップ形式の勉強会を開いたり、年に3回程度の合宿を行ったりしている。

これまで講師として授業を行ったのは、今回登場する非電化工房代表・藤村靖之氏や明治学院大学教授・辻信一氏らのほか、未来バンク代表の田中優氏、保育アドバイザーでモンテッソーリ教育専門家の深津高子さん、バイオマス産業ネットワーク理事長の泊みゆきさん、鳥越農園長の鳥越和広氏など。幅広い分野から、個性的な面々が集まっている。

この日の参加者は約30名と少なめだったが、学生総数は4期生までを集めると約180名に達する。中村校長は、設立当時の状況をこう語る。
「一期生を募集したとき、30人も集まればいいと思っていたら、130人も応募がきました。年齢層も幅広いですね。これから就職する20代の若者が中心だろうと見ていたのですが、10代から60代までまんべんなくいる。現役で仕事をしている30代~40代が意外に多いんです。しかも、女性が3分の2を占めます。

また三期生で、高校生が応募してきたのには驚きました。出身は北海道から沖縄まで各地に散らばっていて、国外からも、これまで世界5カ国からの応募がありました。職業もさまざまです。現役の学生だけではなく、学校の先生や医師もいれば、大企業の社員もいる。カメラマンやダンサーもいる。すべての世代から人が集まり、予想していた以上にスロービジネスへの関心が高いことを実感しました」

POINT1
お金を稼ぐだけの仕事ではなく、自分たちの目的を実現するために働く
中村校長は、スロービジネスを「自然と共生し、未来世代とのつながりを豊かにするような平和な社会、いのちを大切にしてハッピーになれる仕事」と位置づける。「BUSY」を語源とする「BUSINESS」は、一見すると「SLOW」とは矛盾するように見える。しかし、ビジネスのベースとなる経済活動とは、本来”経世済民(=世の中を治めて人民の苦しみを救うこと)”を意味するという。

「現代は弱肉強食の競争社会であって、勝ち組に入らないと生き残れない、と思っている人が多い。そういう人はビジネスはこういうものだという固定観念、社会は甘くないという常識、自分の価値観を捨てないといけないという思い込みに、がんじがらめになっているのです。スロービジネスを広めることによって、そうじゃないという実例を一つでも、二つでも示していきたい。利益や資源を奪い合うのではなく、分かち合い、幸せになれる発展の仕方があるはずです」

中村校長自身の活動からおのずと生まれてきた思想である。中村校長は、不良少年だった10代の終わりに記録映画で水俣を知り、環境問題に開眼。映画監督、有機農業、生協の産直運動を経て、チェルノブイリ原発事故の被害者を支援しながら1987年に中南米の有機コーヒー生産者とのフェアトレードを開始。

97年に株式会社ウインドファームを設立した。その後、文化人類学者の辻信一教授(13ページのインタビュー参照)、環境活動家でシンガーソングライターのアンニャ・ライトさんと出会う。それまでバラバラだった”学問、運動、ビジネス”の3つを融合しないと社会は変わらないという共通認識の下に、市民団体(NGO)のナマケモノ倶楽部を99年に立ち上げた。

辻教授は、途上国の校外学習で自然と分かち合いながら暮らす先住民族の文化に共感し、生き生きとしていた学生が、就職時期になると自分の思いを生かせる職場がなく元気をなくしていく姿に心を痛めていた。中村校長も、「給料は安くてもいいからウインドファームで働きたい」「お金を稼ぐための仕事ではなく、自分たちが目指した社会をつくっていけるような仕事がしたい」と就職を希望する若者を、会社の規模が小さいがために断り続けてきた。そのような状況で、彼らの熱い気持ちに答え、思いを実現する場を作りたいと模索した結果、生まれたのがSBSだ。

<方法を教わるのではなく、自ら学び、授業を作る>
中村校長は、最短距離で効率的にもうかるビジネス、他人よりたくさんもうかる方法を教育するような既存の起業塾を作る気はなかった。
「SBSを作るときに『教育』と『学び』の違いを意識しました。教育は、学校の方針やカリキュラムに従って受身で勉強すること。『学び』は自ら進んで習うことだと思います。自分たちの頭で考え、アイディアを出し、何をどう学ぶか、その仕組みも含めてつくって、自発的に学び取ることで、新しい領域に踏み出していくという文化をつくりたいと考えました」

こうして、学生自らが、受けたい授業を作っていくスタイルができあがった。学びたい講師を選んで招き、ときには自らが講師になり、相互に教えあう関係が築かれていく。

また、単に学校をつくるだけでなく、学費を元手に会社を設立し、スロービジネスを実践することを最初から目指していた。SBSを卒業しても、何かの資格が得られるわけではない。実践することが学ぶことであり、学んだことを生かしてさまざまなビジネスを興していくことに意義があるからだ。

つまり運営主体であるSBCは、SBSができた後に、学生たちが自ら興した会社なのである。SBSの学生になると、SBCのさまざまな活動に参加できるという流れ。だから、「社員=学生=講師」ということになる。

<スクールをきっかけに、学生がビジネスを具体化>
学生たちのかかわり方はさまざまだ。合宿でワークショップの進行役を努めていたのは、第一期生の佐野淳也さん(35)。大学の教員養成プログラムの事務局に勤め、SBSでは「スローな学び場」という学習プログラムを担当している。

「講義を受ける側にいた去年までは、運営にはあまり関わっていませんでした。今年4月の合宿がきっかけで、自己判断で学習プログラムを提供する側に立ってみると、学習意欲の高い人たちがたくさんいることに改めて気づき、彼らに接することが社会変革につながるという意味で魅力を感じています」

高津克治さん(38)はIT関連企業に勤めていたが、今年9月に退社。スロービジネスアドバイザーを目指している。「小さい頃から自然に触れる機会が多く、学生時代は山岳部にいました。ただ、社会に出て就職すると毎日夜遅く、週末も仕事漬け。偶然、SBSの存在を知り、好きなことを仕事にできると知りました。これからは、地方の伝統産業を生かした町の再生や、スロービジネスを社会に広める活動をしていきたいですね」

開校から3年目をむかえ、レストランやカフェを開業するなど、学生や卒業生の間から具体的なビジネスが早くも動き始めている。SBC自身では、オーガニック製品や非電化製品などを扱うウェブショップの運営、ブックレットの出版、DVDの発行などを行う。その一方で、ビジネスプランのブラッシュアップ、同じような事業を目指す人のつながりの拡充、経験者のアドバイスなど、ネットワークを生かして開業のサポートを手掛ける。スクールの存在にとどまらない、柔軟でユニークな活動が広がっているようだ。

・・・・・・・・・・・ 『Fole』 の記事はここまで・・・・・・・・・・・

スロービジネススクール(SBS)ウェブサイト
SBS学生が運営するスロービジネスカンパニーのウェブショップ
SBS学生がつくったブックレット DVD
知ることから始めよう(原発)
原子力発電がとまる日 ~脱原発化を選んだ、ドイツからのメッセージ~
DVD 「六ヶ所再処理工場が問う私たちの生き方」小出裕章講演
DVD 「原子力エネルギーと別れ豊かに暮らす仕組み作り」田中優講演

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