2006/08/05

チェルノブイリ支援のその後 20年目の対話 チェルノブイリ原発事故

◆20年目の対話 チェルノブイリ原発事故
(2006年6月27日 信濃毎日新聞)

 5月28日、ベラルーシの遺伝学者ゲンナジー・ラジュク(79)は、予定より早く、東京都渋谷区の「カタログハウス」に到着した。チェルノブイリ原発事故の影響をテーマに講演する前に、同社に渡したいものがあった。

 出迎えた同社読み物編集部の神尾京子さん(44)に差し出したのは、ワインレッドの冊子。遺伝研究者ら10人が名前を連ねた同社への感謝状が挟まれていた。「今までの支援をとても感謝しています」と、ラジュクさんは言い添えた。

 通信販売などを手掛ける株式会社カタログハウスは1990年から、季刊誌「通販生活」上で、原発事故汚染地支援のための募金を呼び掛け、国内の支援団体の活動に分配している。

 90年1月、同社は「通販生活」の春号で、中国残留婦人支援の募金を呼び掛け、大きな反響を起していた。ボランティアに関心が高い斉藤駿社長のアイデアだった。その年の夏、斉藤社長は入社2年目の神尾さんに声を掛けた。「このキャンペーンで担当者は人間的に大きくなれた。あなたもやってごらんよ。大きくなれるよ」

 示されたテーマは、当時支援が始まったばかりのチェルノブイリ。「きっかけがあり、きちんと届くと分かっていれば、手助けしたいと思っている人はたくさんいる」と話す社長に、神尾さんは、「やります」と答えた。しかし、ボランティアや国際協力には全く興味がなく、「面倒なことになった」と思っていた。

 現地の様子を知るため、ジャーナリストや市民団体関係者らに会った。90年11月、冬号で「通信生活 黙っていられない企画」として8ページの大型特集を組み、募金を呼び掛けた。反響は大きく、翌91年5月の夏号までに1万5千人あまりから約3千750万円が集まった。「真剣な団体の支援活動に分配し、その内容を紙面で公表しよう」と決め、何度も現地を訪れ、報告と募金を繰り返した。

 今年5月末までの募金総額は、延べ約17万5千件、4億3千6百万円超に上る。うち約4億2千6百万円が既に医療機器や医薬品などとして現地に届けられた。

環境や地域との共生が叫ばれる時代になり、国際支援にも何かの形でかかわろうとする企業が出始めている。有機栽培コーヒーなど輸入販売の「ウインドファーム」(福岡県水巻町)代表の中村隆市さん(50)は「もうけはそこそこでも、社会に良いことをしながら働こうという起業家が増えた」と話す。

 中村さんは87年、適正な価格で取引する「フェアトレード」で起業。「チェルノブイリ支援運動・九州」の活動を、利益の一部を回すなどして支える。以前、利益ばかりを追求するビジネスを毛嫌いしていたが、今は「問題は中身。仕事を通じて人々を幸せにするのが本来の姿だ」と考える。

 支援物資を送る際に1件5万~15万に上る荷役や保管料を受け取らない「名港海運」(名古屋市)や、白血病支援に自社製の高価な薬剤の提供を続ける「キリンビール」(東京)など、チェルノブイリ支援団体の周辺には、見返りを求めない企業の姿が浮かぶ。

 カタログハウスは、チェルノブイリなどへの募金キャンペーンが、同社の売り上げにどれくらい貢献しているのかを調べたことがない。取締役広報部長の松尾隆久さん(47)は「会社の姿勢を知ってもらえて、社への信頼が生まれた」と分析する。

 神尾さんは最初の数ヶ月を除き、チェルノブイリ支援キャンペーンを1人で担当してきた。同僚が商品企画を成功させるのを見て、「私なんか、いらないじゃん」と寂しくなることがあった。「寄付なんかしても焼け石に水なのでは」と思ったこともある。揺れた仕事への思いを、今は、「無駄に使われたお金はないと、胸を張って言える」と誇りに変えている。

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