2004/01/27

悲しいお知らせ エコロジーの風11号「カルロスさん追悼特集」より


ブラジル、ジャカランダ農場のカルロス・フランコさんが、ブラジル現地時間で7月4日朝8時頃、心臓病のため自宅で永眠されました。75歳でした。
「農薬なしにコーヒーができるはずないじゃないか」と言われていたブラジルで、有機コーヒー栽培のパイオニアとして、試行錯誤を繰り返しながら有機コーヒーの栽培を根づかせ、多くの農民と共に、ミナス・ジェライス州の南部を有機コーヒー栽培の中心地に育てました。


 

〜10年間、ともに歩んだ道のなかで〜

ジャカランダ農場にはブラジル各地、中南米各国からも生産者や研究者が見学に訪れ、有機農学校の役割も果たしてきましたが、カルロスさんはいつも見学者に対して、消費者と連帯することの重要性も語りかけていました。そして、フェアトレードでつながった消費者からのメッセージをうれしそうに紹介していました。ときには、見学者から学ぶこともありました。特に、エクアドルやメキシコの生産者や研究者と交流するなかで、森林農法(アグロフォレストリー)に興味を抱き、農場の中に植林する樹木を増やしていきました。農場の名前に「ジャカランダ」という樹の名前を付けたように、カルロスさんは子どもの頃から樹木が大好きでした。

ブラジルミナス州南部に広がる高原地帯にあるジャカランダ農場の遠景

また、カルロスさんは自ら話すことは殆んどありませんでしたが、20代の後半から福祉活動に熱心に取り組まれ、ストリートチルドレン、一人暮らしのお年寄り、赤ん坊を抱えた少女たち、エイズの子どもたちなどの世話を続けてこられました。人も自然も大切にするカルロスさんが、1980年から無農薬栽培に切り替えた最大の理由は「いのちを大切にしたい」ということでした。農場で働くスタッフの健康、土中の微生物や虫や小鳥などの、弱いもの、小さな「いのち」をあたたかく見守っていたカルロスさんは、作今の武力によって国際問題を解決しようとする暴力的な世相を悲しんでいました。
この10年間、フェアトレードを通じてカルロスさんと共に歩んできた私共にとって、いかにカルロスさんの存在が精神的な支えであったのかを今更ながら痛感しています。以下に、ウィンドファーム現地スタッフのクラウジオ・ウシワタからの手紙(抜粋)を掲載させていただきます。
 

ジャカランダ農場に別れを告げて

  〜クラウジオからの手紙〜
『金曜日の朝にカルロスさんの孫、ジョン・ギリエルメさんから電話で悲しいニュースが届きました。すぐに、中村さんに国際電話で報告して、この知らせをメールで多くの人に流し車でカンピナス市へ向かいました。午後7時にカンピナス市の教会に着き、カルロスさんのご家族と会いました。悲しい、とても悲しかった。涙が止まらなかった。今も信じられません。気持ちを言葉に出来ません。私たちの痛みと悲しみの気持ちとして花束を差し上げました。
亡くなる2日前の7月2日にカルロスさんと電話で話しました。カルロスさんがセキをしていたので、風邪に気をつけてくださいと言ったら、カルロスさんはもう良くなっていると返事をしてくれました。 カルロスさんは亡くなる前日にジャカランダ農場に行きました。しかし、体調が悪かったので、自宅に戻り、病院に行きました。おそらく、旅発つ前にもう一度ジャカランダ農場に行きたかったのだと思います。
カルロスさんは7月4日の当日、朝早く起きて、シッキーニャさんとの結婚52周年の記念日であるため、奥さんにオメデトウといいながら、キスをしました。朝食をとる準備をしたのですが、体調が悪いためベッドに戻り、寝て急に心臓が止まり亡くなりました。
カルロスさんは亡くなる前の一週間に、息子全員と娘のテルマさんと会い話しをしました。これは神様の行いだと思います。神様は、この世を旅発つ前にカルロスさんに、そのチャンスを与えました。
カルロスさんは、中村さんと僕が何時来るのかを時々聞いていました。息子さんともよく話していたそうです。今考えると、たぶんカルロスさんは、僕たちとももう一回会いたかったのだと思います。僕のミスでそのサインを読み取れなかったのです。
ジャカランダ農場のジョゼ・アイルトンさんは、カルロスさんの遺体を見ることがイヤだったので、どこかに逃げて誰も見つけることができませんでした。セバスチオンさんは、一日中泣いて体調が悪くなり、娘さんがカンピナス市の教会まで行かせませんでした。ジャカランダ農場の皆様は大変悲しんでいるようです。
カルロスさんは、天国で有機農業をやって行くと思いますが、残された私たちには、かなりの責任が残った気がします。しかし、カルロスさんがまいた種は、花と果実になるのではないかと思います。(後略)』

 

カルロス・フェルナンデス・フランコの歩み

   〜コーヒーの有機栽培に注いだ情熱〜
カルロス・フランコさんは、1927年8月22日、ブラジル、ミナス州南部の高原地帯でコーヒー栽培を営む農家に生まれました。父親のイザウチーノさんは、原始林を焼き払ってコーヒー樹を植えるという栽培方法が一般的な時代に「土壌をいかにして豊かに保つか」という今日の有機農業につながるテーマに着目していました。後年、カルロスさんが実現させたコーヒーの有機栽培は、父の側で働きながら学び、受け継いできた技術を基礎とするものでした。1949年、一九歳のときにサンパウロ大学に進学したカルロスさんは、農場で水力発電やコーヒー豆の精選機械の整備をしていたこともあって、工学部で電気機械について学びました。二四歳で、電気機械技師の資格を得て卒業したときには、すでに土木技師の兄クロービスさんと土木建築会社を設立していました。
初めの7年間は学校やビルの建設を主体にしましたが、その後は、橋梁の建設を専門に取り組み、21年間に160もの橋梁を作りました。しかし、この業界には政治家の汚職や談合が充満しており、それはカルロスさんにとって耐えがたいことでした。一九七二年、建築会社を売却して農場を購入したカルロスさんは、それまでは手伝う程度だったコーヒーの栽培に、本格的に取り組んでいくことになります。
農薬や化学肥料が広まったのは、ちょうどその頃で、ブラジルにおいて国家主導の産業化政策に拍車がかかり始めた時期と重なります。広大なブラジルの耕地は、農薬や化学肥料を売り付ける企業にとっては格好の投資対象となり、積極的な販売活動が展開されて、欧米ではすでに使用禁止になった農薬までもが、まだ充分な規制の確立されていないブラジルには入り込んできました。
ジャカランダ農場に対する営業活動もすさまじく、化学肥料の販売会社と除草剤や殺虫剤、殺菌剤を売る会社から、1時間に1本は営業案内の電話が鳴り、企業から派遣された農学者が、実験データを持って農場に出没しました。
しかし、除草剤を散布した場所で小鳥の死骸を見て以来、カルロスさんは、農薬の危険性を感じ、使用を制限していたため、ジャカランダ農場では、人命に関わる重大な事故は起こりませんでした。しかし、1976年、農場で飼っていて牛がパラクアッチという農薬を溶かした水を飲んで死亡し、その二年後、大学で生化学と薬学を学んでいた次女のテルマさんが、カルロスさんに農薬の取り扱い注意事項を書いたレポートを送ってきました。このレポートを読んだカルロスさんは、「農薬の使用は生産者にとっても消費者にとっても自然環境にとってもよくない」と判断し、1978年からコーヒー耕作地における農薬の使用を減らし始め、一九八〇年には、無農薬栽培を実現しました。
 

「いのちを大切にしたい」という想いから

  〜カルロスさんが取り組んできたこと〜
カルロスさんは、20代のころから路上で生活する「ストリートチルドレン」の世話などを続けてきましたが、1981年から4年間、貧困な家庭の子どもたちを預かる託児所や老人ホームを運営する協会の会長に任命され、週の四日を無給の福祉活動に費やし、残りの3日をジャカランダ農場での仕事にあてて生計をたてていました。自給できるものは自給するカルロス夫妻の質素な食事、質素な暮らしぶりが、少ない収入での生活を可能にしていました。 
「いのちを大切にしたい」という想いから、ジャカランダ農場での農薬使用を停止させ、福祉活動に深く関わってきたカルロスさんは、農薬だけでなく化学肥料も使わない有機栽培への挑戦を始めます。その理由についてカルロスさんは、「近代農業は多額の投資を強要します。しかし、農業生産者には他の産業のような見返りはありません。農薬、化学肥料、農業機械を販売する商売人と、大量にコーヒー豆を生産する巨大な農場と、それを買い占める商社だけがますます儲けていくシステムのなかで、小さな生産者や生産基盤を持たない農村労働者はますます貧しくなっていきます。近代農業がもたらしたこうした状況に対して、私は、私のできる仕事のなかで、出来ることから取り組みたいと思っています。有機農業は自然を痛めません。多くの手間を必要とするため、たくさんの人の仕事をつくりだしてくれます。病気の力を弱め、飢餓を追放する食糧の生産が可能です。豊かさを生み、あらゆる階層の人々にそれを分配できます」と語っています。
カルロスさんが有機栽培の勉強をするために、サンパウロの有機農業協会(AAO)に加入し勉強していた1993年、「ブラジル各地をまわって、有機コーヒーを探している日本人がいる」という話を聞いて、連絡をとった相手が私でした。こうしてジャカランダ農場産の有機栽培コーヒーは、1993年から日本に届けられるようになったのです。

カルロスさんが敬愛していた聖フランシスコの肖像画の前で

 

聖フランシスコのこと

 〜主よ 私を平和の道具にして下さい〜
カルロスさんの家には、肩に小鳥が止まっている人の絵が飾られています。初めて、カルロスさんに会ったころ、私がそれを見て、「素敵な絵ですね」と言うと、カルロスさんはうれしそうに微笑んで、こう教えてくれました。「この人は、聖フランシスコという人で、『人類で最初のエコロジスト』ではないかと思います。裕福な家庭に生まれた人ですが、財産を貧しい人に分け与え、自分は何も所有することがなかった人です。この絵のように小鳥と話ができたといわれていて、たくさんの美しい詩を残しています」といって私に、いくつかの詩を詠んでくれました。そのひとつが「平和のための祈り」といわれているものでした。
主よ 私を平和の道具にして下さい
憎しみあるところに 愛を 
争いのあるところに 許しを  
疑いあるところに 信頼を  
絶望あるところに 希望を  
闇あるところに 光を  
そして 悲しみあるところに 喜びを 
もたらす者にさせて下さい
主よ 慰められるより 慰めることを  
理解されるより 理解することを  
愛されるより 愛することを  
求める者にして下さい
与えることによってこそ 受け取ることができ  
ゆるすことによってこそ ゆるされ  
死ぬことによってこそ 永遠の生命に生まれることができるのですから 


日本からジャカランダ農場を訪れた消費者に土の状態を説明するカルロスさん。

カルロスからの贈り物
 〜「忙」という言葉の意味〜

カルロスさんはクリスチャンでしたが、宗教や宗派にはこだわらない人でした。2000年にブラジルで開催した「有機コーヒー・フェアトレード国際会議」を終えた後、カルロスさんはインタビューを受けました。「会議が終って、今、どのようなことを考えていますか?」「若い世代へのメッセージがありますか?」という問いかけに対して、「私が今考えていることは、『世界を変えたい』ということです。有機的に、しかも人間的な形に、世界全部を変えていければと、そんな想いを、今回の大会を通じて強く抱きました。若い世代の人たちには、自分たちのこころを大切にしてほしいと思います。なぜかというと、もしもいいこころをもって人間愛、自然愛をもてば、世界を、そのこころで変えることができるからです。去年、ダライ・ラマがブラジルにきました。私は、時間がなくて行けませんでしたが、彼の言葉には関心を持っています。彼が言っていることは、『こころを愛で埋め尽くす』それが一番大切だということです。とにかく、こころを大切にしてほしいと思います。」とカルロスさんは答えました。ダライ・ラマだけでなく、カルロスさんは、ガンジーや老子など、平和を愛した東洋の人々にも共感していました。
カルロスさんと10年間、一緒に仕事ができたことは、私にとって「ファンタジー」のような出来事でした。日本でどんなに疲れていても、カルロスさんに会って、その笑顔を見るだけで、元気になることができました。いつの頃からか私は、コーヒーを見るためではなく、カルロスさんに会うためにブラジルに出かけるようになっていました。
数年前、仕事が忙しくて体調を崩した私に、カルロスさんから郵便が届いたことがあります。「なんだろう」と手にとって見ると、それはカルロスさんの名刺だったのですが、その裏にカルロスさんの直筆で、「 忙 → 心+亡 」と書いてありました。これは、カルロスさんと出会って間もないころ、漢字が好きなカルロスさんに私が「忙しいという字は、心が亡くなると書きます」と教えたのを憶えていて、忙しくて一年以上もブラジルに来ない私に、手書きで漢字を書いてきたのでした。
  

カルロスさんが送ってきてくれたメッセージカード
 

〜一番大切なことは、ゆっくり考えることです〜

カルロスさんから学んだことが、たくさんあります。ただ一緒にいるだけで、学ぶことができました。いろんな難しい問題が起きても、平然としていて、そんなときほど冗談を言っていました。そして、「自分たちにできることをやればいい、その結果がどうなったとしても、それはそれで仕方がない」という態度で臨んでいました。農場や地域や福祉活動などで問題に出くわしたとき、カルロスさんは有機農業に取り組むときと同じように、目に見える現象よりも、その現象が起こる背景、土壌に目を向ける人でした。多くの人は、作物に病気が蔓延したり害虫が大量に発生した場合、それが「原因」で作物がとれなくなると考えます。病気や害虫の大量発生を「天災」のように考え、農薬散布によってそれを抑えようとします。カルロスさんは、病気や害虫は「原因」ではなく「結果」だと考えて、それらを生み出す原因を探求します。堆肥や有機肥料の内容はどうだったか、苗を植える間隔が狭すぎて風の通りが悪くないか、「雑草」も含めた農場全体の生物多様性に問題はないか、といったふうに根本の原因を探っていき、その改善を考える人でした。そんな農業のやり方と同じように、社会的な問題に対しても表面的なことに一喜一憂せず、じっくりと物事の根っこを見つめ、「土づくり」や環境作りに励む人でした。このような姿勢で取り組むのは時間もかかりますが、その結果をみていると、紆余曲折があっても最終的にはいい方向に向かうのでした。
 
カルロスさんは、若い人にこんなメッセージも残しています。「ゆっくりと考えてください。過去を振り返り、過去をすべて観て、過去のものをまったくコピーするのではなく、いい所だけをとって、これから先の将来をよくしていってほしいと思います。一番大切なことは、個人個人がゆっくり考えることです。」
そのメッセージ通りに、カルロスさんは、とてもゆったりと人に接する人でした。人の話をよく聞き、ゆっくりと考え、おだやかに自分の考えを話します。ときどき冗談を言って皆を笑わせるカルロスさんは、そこにいるだけで、周りの人に安らぎを与える人でした。
そして、私に、生きることの素晴らしさを教えてくれた人でした。

カルロスさんの墓前にて

 〜ある「殺し屋」とカルロスさんのエピソード〜
     
7月の下旬にブラジルを訪れ、カルロスさんの御家族と共にお墓参りに行ってきました。
カルロスさんは「消費者」のことを家族のように思っていたので、日本の「家族」からのたくさんのメッセージを持参し、その思いをカルロスさんに伝えてきました。
 ブラジルでの滞在中、カルロスさんの御家族のお一人お一人と、そして、農場スタッフの皆さんと、カルロスさんの思い出を語り合ってきました。
 
 その話の中に、こころに残るうれしい話がありました。
「お父さんは、亡くなるまでの最後の10年間、フェアトレードで日本とつながった10年間が最も生き生きしていた。とても幸せな人生だった」という皆さんの言葉でした。
多くの人が、カルロスさんの人生を「とても幸せな人生だった」といいます。私もそう思っています。そして、こうも思うのです。「カルロスさんは、多くの人を幸せにしてくれた人だったなあ」と。
幸せにしてもらったうちの一人が私でした。        
カルロスさんには、女3人、男3人の6人の子どもたちがいます。その6人の中で、お父さんの死に対して、最も大きなショックを受けていた(ように私には見えた)末っ子のフーベンスは、私がブラジルに滞在していた間もずっと、お父さんの死のショックから立ち直れないように見えました。農場で、今後のことを話すときも、たびたび無言になり、涙ぐんでいました。彼のことが気がかりなまま、日本に戻るために別れのあいさつをしに行ったとき、フーベンスが、お父さんのある逸話を話してくれました。それは、要約すると、こんな話でした。
カルロスさんが、重い犯罪を犯した囚人たちと対話するカウンセラーのようなことをしていた時期があったそうです。ブラジルには「殺し屋」を職業としている人たちがいますが、カルロスさんが対話した「元殺し屋」は、それまで誰の話にも耳をかさない凶暴な男だったそうです。ところが、なぜかカルロスさんに対しては、こころを開いて、カルロスさんの話を素直に聞き、カルロスさんのことを大好きになったそうです。それから数年後の話ですが、刑期を終えたその人が、刑務所を出て真っ先に訪ねたのが、カルロスさんの家だったそうです。そして、カルロスさんに、「あなたのお陰で私はこころを入れ替えることができた、本当にありがとう」と感謝の気持ちを何度も伝えたあとに、こう言ったそうです。「私は、何も持っていないので、あなたに何もお礼をすることができない。だから、自分にできることでお礼をしたい。これまであなたに対して、悪いことをした奴が、どこに住んでいるか教えてほしい」と。それを聞いて、少しあわてたカルロスさんでしたが、落ち着いた声で、こう言ったそうです。「私に悪いことをした人は、一人もいない」と。
この話をしてくれたフーベンスには、もういつもの人懐っこい笑顔が戻っていました。私が笑うと、彼も声をあげて笑い、二人で大笑いしました。フーベンスは別れ際に、私にこう言ってくれました。「あなたの笑顔を見れてよかった、安心しました」と。

 

カルロスさんに伝えたい未来の話

 〜スロービジネススクールの構想〜
カルロスさんは、過去のことを話すより、未来のことを話すのが好きでした。ですから、この文章を終えるにあたっても、未来の話で締めくくりたいと思います。
カルロスさんは、いつも若い人たちにチャンスを与えていました。子どもたちや青年たちに、教育の機会や個性に合った仕事の場をつくったり、見つけることを喜びとしていました。私もカルロスさんに習って、少しだけでもそんな仕事をやってみようと思い、来年「スロービジネス スクール」という変わった学校を始めることにしました。
「スロービジネス」というのは、市民運動が取り組んでいるような環境保護や平和の取り組みをビジネスという形で、日常的に実践していこうとするものです。スロービジネススクールは、学校でありながら、実際にスロービジネスを展開していくもので、学問とビジネスと市民運動が合体したような学校です。この学校の開校を後押ししてくれたのが、「天国」にいるカルロスさんでした。
ブラジルやエクアドルのスタッフを入れても十数人しかいない小さな会社(ウインドファーム)に、近年、就職を希望する人が後を絶ちません。希望者の大半は、ウインドファームがフェアトレードをやりながら有機農業を広め、環境保護や南北問題などに取り組んでいることも知っていて、「給料は少なくてもいいから働かせて下さい」と希望してきます。彼らに共通しているのは「働き甲斐のある仕事をしたい、社会をよくしていきたい」という思いを持っていることです。しかし、小さな会社で雇うことができる人は、ほんの僅かです。多くの可能性を秘めた青年たちに対して私は、残念な思いを持ちながらも断り続けてきました。それは、「可能性の芽を摘み取り続けている」ような気がしてなりませんでした。そんなことが数年続いていたときにカルロスさんが亡くなられ、私はブラジルに飛びました。ブラジルでのお墓参りを終えて戻ってくると、いつものように、就職を希望する真剣な手紙が届いていました。それを読みながら私は、「カルロスさんだったら、どうするかなぁ」と考えていました。「たぶん、カルロスさんだったら、このまま放置しないだろうなぁ」そんな想いを抱きながら眠りにつくと、夢のなかにカルロスさんが出てきて、私の話に耳を傾けてくれていました。そして、いつものように微笑を浮かべながら、「ナカムラさん大丈夫ですよ。あなたなら、そのうちにいい解決方法と出会うはずです。」といってくれました。翌朝、目がさめた私は、夢の中のカルロスさんの言葉「いい解決方法って何かなぁ」と考えていました。そしたら、ふと、あるアイデアが思い浮かびました。それが「スロービジネス スクール」だったのです。
カルロスさんがいたら、きっとこう言ってくれたはずです。「ナカムラさん、とってもいいアイデアですね。私もできるだけ応援しますよ」って。いままでカルロスさんは、私のどんなアイデアにも、必ずそう言って励ましてくれたんですから。
 はじめてカルロスさんと出会った日、私たちはコーヒーの話はそっちのけで、環境問題と平和の問題を一日中話し合いました。あの日のカルロスさんの言葉を今も覚えています。
 「本当に豊かな生活とは、自然と共にあり、次の世代に希望を残していくことではないでしょうか。私たちは決して一人で生きていくことはできません。すべてのいのちはつながっていて、そのつながりによって、私たちは生かされています。分かち合うこと、助け合うことが、私たちにこころからの平和と豊かさをもたらしてくれます。未来の子どもたちに希望を残せるよう、一緒に力を合わせて仕事をしていきましょう。
                             ウインドファーム代表 中村隆市

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