2011/07/10

「原発を導入し推進した政治家は責任を取らない」

核をめぐる対話 「過去」の教訓生かされず から抜粋

作家・大江健三郎さん/第五福竜丸元乗組員・大石又七さん

■福島原発事故
放射能の怖さを教えよ 大石さん
責任曖昧にせず究明を 大江さん

 大江 ビキニ被曝の衝撃から核兵器に反対する運動が盛り上がり、1955年に初めて原水爆禁止世界大会が広島で行われる。3千万人もの禁止署名簿に私の署名もあります。一方その年に、わが国では原子力の平和利用を盛んに唱える政治家が現れた。原子力がなければ世の中の発展はあり得ないと言う人たちの動きが政治的、経済的に大きくなっていく。いわゆる原子力の平和利用が進行し、できあがった仕組みが今日まで続いている。原発を推し進めた政治家は、福島の事故の後も日本の産業のために必要だとしゃべっています。大石さんは沈黙の間も怒りを感じられたはずです。

 大石 原子力の平和利用ということで物とかお金とかに慣らされ、それで生活しないと幸せじゃない、という感覚が染みついた気がするんです。

今、福島原発からの放射線量は何マイクロシーベルトだから大丈夫と専門家は盛んに言ってますよね。私たちのときもそうでした。本から拾い出した判断ですよ。実際はマーシャルの住民や私たちを見ても、そんな答えではない。何年もたってから発症している。

 日米両政府は1955年1月、米国が総額200万ドル(当時7億2千万円)の「慰謝料」を支払うことでビキニ事件を収め、11月に原子力協定を締結。1957年茨城県東海村で国内初の研究炉が運転を始め、1966年には商業原発が稼働して今の54基となっていく。

 マーシャル諸島・ロンゲラップ環礁の住民は米国の1957年の「安全宣言」で帰島したが、がん発症が相次ぎ1985年に他の島に再移住。汚染除去が続いている

 大石 結局ビキニ事件を政治決着して放射能の怖さを握りつぶしてしまったから今、見えない放射線で大騒ぎしている。教えてこなかった責任は一切言わず「風評被害」として押さえようとしている。専門家、政治家の言うことにも腹立たしく思っています。(被曝の)現実をきちっと教えないと、また、あちこちで同じことが繰り返されるんじゃないかと思います。

 私たちが少年だったころ戦争を指導した人たちは、責任があるのに取らなかったですよね。新憲法ができても大きな顔をした。福島の問題でも、原発を導入し推進した政治家は責任を取らない。私は我慢ならないんです。

 大江 償うことができないことをしてしまった人が責任は取らない。それを日本人の曖昧さと僕は言っているんです。大切なことを曖昧にして責任を問わない、話さない習慣がある。しかし今度こそ日本人が、なぜ福島の原発で大きな事故が起こったかということを根本的に、みんなに分かるように突き詰めて調査する。その結果を行動に示す。政府はみんなが納得すれば原発を廃止することが必要ではないかと考え、今そのことを書こうとしているんです。

 54基の原発を、増設しようとする14基をどうするかをはっきり考えなければ、また事故は起こりうる。数多くの人が苦しむ。一人の人間は数多くの人を殺すようなことをしてはいけない。それは根本的な倫理だと思います。自分がよく訳が分からない、分からない危険があると分かっているときに、人間はその道を選択してはいけない。それこそ子どもにも分かるように、専門家でない小説家にも納得できるよう、はっきり言う声がほしい。大石さんがなさっているのはそういうことだと考えます。

大石 小さなことですけどね。

核をめぐる対話 「過去」の教訓生かされず(全文)

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