原子力政策 自民、歴史的責任頬かむり

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西日本新聞 2011年6月8日記事

政治考 
原子力政策 自民、歴史的責任頬かむり

 「あいつはけしからん。党から追い出せ!」
 5月、都内の高級焼き肉店。自民党政権下で原発政策を推進してきた元経済産業相、東京電力出身の国会議員らが顔をそろえた。出席者は酒が進むにつれ、ある議員をやり玉に挙げたという。

 河野太郎氏。自民党内で数少ない脱原発派だ。「自民党がやるべきことは謝罪だ」「利権で原子力行政をゆがめた」。福島第1原発事故後、河野氏は全国紙のインタビューなどで党の原発政策を痛烈に批判。事故から1カ月後には反原発の世論に抵抗するように原発維持を目的とした政策会議を党内に発足させた推進派にとって、疎ましい存在だったのだろう。

 しかし、河野氏の指摘通り、この原発事故の根源は電力業界、官界と一体となって原発立地を進めた歴代自民党政権にほかならない。

 自民党は中曽根康弘元首相らが旗振り役となって国策として原発を推進。1974年には「電源3法」を制定し、立地自治体に多額の補助金を拠出。立地が進む環境づくりにカネを注いだ。

 一方、電力業界は74年に政治献金が廃止された後も、広告費支出の形で事実上、自民党への献金を継続。10年間で約55億円に上った。批判を受け、93年に中止を決めた後も電力会社幹部による党側への献金は続き、結果的に電力会社の既得権益は守られてきた。

 原発安全神話による「人災」と原子力安全委員会の斑目春樹委員長も認める今回の事故。だが業界、官界とともに安全神話を国民に信じ込ませてきたことへの反省の言葉が、事故後、どれほど自民党内から聞かれただろうか。

 自民党による菅直人首相批判の背景には、浜岡原発の停止要請や発送電分離など、自民党政権時代には、タブー視されてきた領域に踏み込む首相へのいら立ちも透ける。

 「この危険なものが安全であるとして、ずっと取り扱われてきたというのは、僕は間違いだったと思っている」。7日、初会合が行われた政府の「事故調査・検証委員会」で、委員長の畑村洋太郎東大名誉教授はこう指摘。過去の原発政策を批判した。

 自民党内には、民主党との大連立で政権に入り、原発推進維持を含めたエネルギー政策の議論に関与したいとの思惑ものぞく。しかし、まずすべきは自らが進めてきた原発政策の検証への協力である。歴史的責任に頬かむりすることは許されない。
(高野靖之)

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