NPOが福島の子どもの疎開事業

福島から長野県松本市に家族で避難して、NPO法人「まつもと子ども留学基金」の理事長を務める植木宏さんは言う。「事故から3年以上。福島にはまだ、子どもを避難させたくてもできない人たちがいる。国が何もしないのなら、私たちが動かないといけないと思った」

NPOが福島の子どもの松本疎開事業
(2014年4月3日 中日新聞・特報)

中日:松本へ 子は疎開

 福島県の子どもたちが、長野県松本市にあるNPO法人運営の寮に入り、地元の学校に通う「まつもと子ども留学」が始まった。初年度は女子8人が入寮する。原発事故による被ばくを避ける試みだが、被災地では政府が後押しする、情報共有によるリスク低減の取り組みである放射線「リスクコミュニケーション(リスコミ)」が加速している。子ども留学と安心を強調するリスコミ。どちらに理があるだろうか。

 「事故から3年以上。福島にはまだ、子どもを避難させたくてもできない人たちがいる。国が何もしないのなら、私たちが動かないといけないと思った」

 松本市の四賀(しが)地区にある「松本子ども寮」で、NPO法人「まつもと子ども留学基金」理事長の植木宏さん(43)は力を込めた。

 原発事故当時、福島県須賀川市に住んでいた植木さんは、妻と幼い息子2人とともに2012年7月、松本市へ自主避難。松本で他の子どもらを受け入れられないかと考えるようになった。

 そこで、医師出身でチェルノブイリ事故後に現地で住民の治療に当たった松本市の菅谷(すげのや)昭市長に相談。財政支援こそなかったが、寮として使える格安な物件の紹介などに協力してくれた。

 福島では事故後、低線量被ばくの危険性が指摘されているが、国は原発周辺の一部地域を除いて、住民を早期に帰還させる姿勢を崩していない。避難する権利も認めず、郡山市の子どもが市に「集団疎開」を求めた仮処分の申請も、一審福島地裁郡山支部、二審仙台高裁のいずれでも却下された。

 ただ、不安を抱えている住民は少なくない。今回、長女を入寮させた40代の女性は「国がいくら安心だといっても信用できない。かといって、高齢の親や夫の仕事を考えると、福島を離れられない。娘と別れて暮らすのは寂しいし、家族が離れ離れになるのはよくないけれど、それよりも被ばくのリスクの方が怖かった」と打ち明ける。

 松本子ども寮では、福島市や郡山市などに住んでいた中学生は2年4人と1年3人、小学6年1人の計8人の女子が築約30年の2階建て家屋で共同生活を送り、新年度から地元の小中学校に通う。寮費は一人月3万円で、高校卒業まで暮らす予定だ。

 寮には元教諭のNPO法人のスタッフ2人が住み込み、食事や身の回りの世話をする。「子どもたちが将来『ここで暮らせてよかった』と思えるような場所にしていきたい」と根岸主門(しゅもん)さん(29)は意気込む。

 中学2年の女子生徒(13)は「福島にいるときは親からあれこれ口うるさく言われたり、食べる物にも気を使わないといけなかった。こっちに来ていろんなストレスから解放され、ほっとしている」と話す。

 法人には留学したいという問い合わせが他にも数件来ているというが、課題は少なくない。寄付で賄う年間運営費1千万円余のうち、今のところめどがついているのは約500万円。

 植木さんは「楽な事業ではないが、安全だ、危険だと議論をしているうちに、どんどん被ばくが進んでしまう。少しでもリスクを減らすために、国は今からでも住民に避難する権利を認めてほしい」と訴えた。

留学事業 NPOが開始

「福島に戻れ」国は言うけど 

 一方、福島県では原発事故の収束にめどが立たない。除染も難航し、住民らは放射線の影響を懸念している。そこで行政が熱を注ぐのが安心を強調するリスクコミュニケーションだ。

 福島第1原発から30キロ近く離れながら、事故直後に大量の放射性物質が降り注ぎ、全村避難している飯舘村も例外ではない。

 村は12年6月に「健康リスクコミュニケーション推進委員会」を設けた。

 委員は17人。住民代表や学校関係者らのほか、東京大付属病院の中川恵一准教授、国際放射線防護委員会(ICRP)委員を務める東京医療保健大の伴信彦教授、県民健康調査を請け負う県立医科大の宮崎真氏らも加わる。

 リスコミ推進委は少人数の車座集会や講演会を繰り返し開くほか、一時帰宅や除染、健康調査等の話題を扱う広報紙「かわら版道しるべ」を3200ある全世帯に配っている。

 「かわら版」は既に11回発行されているが、安心感を植え付ける内容一色と言っていい。

 12年12月発行の第3号では中川氏の講演内容を取り上げ、「原発事故前から放射線は宇宙から降り注いでおり、大地にも大気中にも食物にも放射性物質は含まれている」「100ミリシーベルトの被ばくは野菜不足と同程度の影響」と紹介。13年2月の第四号では、村民向け放射線勉強会で「被ばくで子どもの甲状腺がんが増えることがあっても少なくとも4、5年かかる」と述べた伴氏の言葉を掲載した。

 13年9月の第8号では、甲状腺検査の説明会で宮崎氏が「がんの原因は放射線だけでない。たばこや肥満、職場環境やストレスも関係がある」と述べた様子を扱い、今年1月の第10号では「100ミリシーベルト以下の被ばくによって、がんなどの影響が引き起こされるという明白な証拠はない」と強調する記事を載せている。

福島県飯舘村で発行されているリスクコミュニケーション紙「道しるべ」

飯館村で発行リスクコミュニケーション紙「道しるべ」

賠償減を狙う?

 飯舘村でのリスコミには国が深く関わっている。推進委の取り組みは復興庁の委託事業「福島原子力災害避難区域等帰還・再生加速事業」の一環で、復興庁が2月に示したリスコミ施策集でも飯舘村の実践が先進例として紹介されている。

 リスコミに躍起になる国の真意はどこにあるのか。

 国学院大の菅井益郎教授(日本公害史)は「事故が収束せず、除染も遅れている現在、危険な状態があるのなら、住民にその現状を伝えないといけない。しかし、国は早期帰還を実現させて避難者の生活支援の費用や賠償を抑えたい。安全を装い、帰還を促そうというのがリスコミに込められた思惑だ」と指摘する。

 ただ、避難生活を送る飯舘村民はそうした国の姿勢に冷ややかだ。伊達市の仮設住宅で暮らす60代の女性は「国の言うことを真に受ける人なんているか。いままでさんざんだまされてきた」と憤慨した。

 子どもたちの受け入れに協力した松本市の菅谷市長は「国がいくら安心だと主張しても、不安に思う福島の親たちは子どもを外出させようとは考えない。子どもは運動不足で転びやすくなったり肥満になったりする。世の中への関心が薄れて無感動、無気力になる危険性すらある」と心配する。

 「原発は国策なのだから本来は国がやらなければいけないことだが、低線量被ばくのリスクが高い子どもは一定期間避難させて、のびのびと過ごさせるべきだろう。松本の留学制度をモデルケースとして、全国の自治体が支援する体制を整えていく必要がある」

(上田千秋、榊原崇仁)

「福島に戻れ」 国は言うけど


福島の子、新天地で春 松本で「子ども留学」
 (2014年3月22日 信濃毎日新聞)

 東京電力福島第1原発事故の影響を避けた福島県の小中学生が、松本市四賀地区で寮生活しながら地元の小中学校に通う「まつもと子ども留学」の受け入れが21日、始まった。松本市に避難した人などが設立したNPO法人「まつもと子ども留学基金」が寮を運営。4月1日までに計8人が寮に入る。基金理事を務める福島県郡山市の種市靖行医師(49)は「子どもを安全な場所に移す取り組みは国がやるべきことだがやらない。松本の動きが全国に波及すればいい」と期待していた。

 21日は、同県郡山市の小学校を20日に卒業した佐藤愛(まな)さん(12)が母友紀(ゆき)さん(41)と到着した。留学基金の植木宏理事長(43)が出迎えた。

 愛さんへの放射線の影響を不安視した友紀さんは、愛さんを東京の医療機関で受診させ、医師から福島を離れて過ごすよう勧められたという。寮に着いた愛さんは「直感でここがいいと思った」とし、「家族と一生会えないわけではないので寂しくない。楽しく遊びたい」と話していた。

 留学基金は、松本市に避難した人や同市の弁護士、種市医師ら9人で昨年設立。福島県内などで参加者を募り、松本市が提案した四賀地区で民家を借りて寮に改修した。寮費は食費を含め月3万円。子どもたちは四賀小学校や会田中学校に通学する。

 福島県の病院で甲状腺の超音波検査などを手掛ける種市医師は、子どもを福島県から離れさせることについて「放射線が安全か、危険かの議論以前に、子どもを避難させたという親の安心感は何物にも代えられない」と説明。まつもと子ども留学は「経済的事情などで行動に移せない人の受け皿を、と作った」と話す。

 福島県は2月、県民健康管理調査で子ども75人にがんの疑いが判明し、このうち手術を受けた33人にがんが確認されたと発表した。種市医師は「大人になって見つかるがんが今回の調査で発見されたとも、原発事故の影響でがんになったとも考えられる。今後も行う調査の結果を見ないといけないが、現状が安全ということではない」とした。

 その上で「福島県は県外避難者に県内に戻るよう呼び掛けている。一方で、子どもが遊ぶ屋内施設が各地に開設され、福島県立医大も放射線の影響に対応する医療拠点の設置を計画し、母親たちの不安につながっている」と指摘した。

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